6月中旬の土曜日の早朝、先月から計画してきた1泊2日の合宿計画を実行するときが来た。
参加者は13人。うち、教え子は15人中11人の参加で、もうふたりはシービーとそのトレーナーだ。
シービーが練習に混ざる予定はなかったのだが、どうしても参加したいと俺の家に来ては大量の肉を置いていくというプレゼント攻撃に屈したからだ。
その肉は使わず、合宿で使うため冷凍することに。量が多かったからシービーのトレーナーにも預かってもらうほどだ。
シービーが参加する条件としては練習だけで勝負をしないこと。競争なんてしたら心が折れる子が出るかもしれないから。
そういうことで早朝から俺が運転するマイクロバスにスズカやブライアンを乗せて合宿予定地へと向かう。シチーは仕事、ハヤヒデは遠慮をしてこなかった
合宿の場所はトレセン学園が毎年7月から8月に使っている。だが、6月の今は使用していないから借りる許可を取れた。
車の燃料費は経費でいけるが、食材は俺の自腹。世話になるからとシービーの女性トレーナーが少し出してくれて助かる。
そして今は誰もいない砂浜にやってきた俺たちだ。
青い空と青い海。よく晴れていて練習にぴったり。
ジャージを着たウマ娘たちは俺が指示した練習メニューを走り、シービーとなぜかトレーナーまでもが一緒に同じく走っている。
シービーのトレーナーは自身でも経験したい派なのかと感心をしつつ、俺はというとビーチパラソルの下だ。
海から吹く風が涼しさをくれるが、じっとしているだけはつらい。
だから日陰の下、シートを敷いては離れたところで見守っている。
練習が始まって1時間と少し。休憩時には各自で水分と塩分、それに糖分を取るようにしてもらっている。
熱中症で倒れてはせっかくの普段と違う練習も楽しめなくなるからな。
今日のスズカはすっごい笑顔で波打ち際や砂が深いところを走って楽しそうだ。ここに連れてきてよかった。
だが、楽しんでいるスズカもいれば体が弱くて練習を長く続けられない子もいる。
それは今、俺のほうへと向かってきているメジロアルダンだ。
彼女は体が弱く練習に参加できないことも多々あり、また足にも問題があるため練習のときは気をつけて見ている。
「隣に座っても構いませんか? 体がふらついてきましたので」
「おう、休め休め。倒れてからじゃ遅いからな」
俺は座る場所を移動し、シートの空いた隙間に指を向けた。
アルダンは俺に頭を下げて礼をすると、隣へと座ってくる。
ビーチパラソルの影、シートによって地面からの熱をさえぎるとなかなかに過ごしやすい場所だ。
俺が指導した当初、アルダンは頑張りすぎてよく倒れる子だった。
自身の体が弱いのに負い目を感じ、また姉であるラモーヌを見て頑張りすぎることがあって自分で自分を調整するのが苦手だ。
今ではそれもよくなり、人はそれぞれ鍛えるのに速度があるというのを理解しつつある。
メジロという名家の看板が重くて精神に負担が大きいのは、俺にはどうにもしてやれない。そういうのはトレーナーの仕事であるからだ。俺が面倒を見るのはトレーナーが付くまでで、最後までは付き合えないから。
隣に来たアルダンを見て成長した嬉しさと、髪の美しさでじっと見てしまう。
俺でなくてもアルダンの髪はよく記憶に残っている人も多いと思う。
それは特徴的なクラウンブレイドの髪型だからだ。
腰まで伸びているロングヘアをして、三つ編みを頭の上に乗せるように結っていて王冠のようなのを思わせることからクラウンブレイドと呼ばれている。
この三つ編みは常日頃から上品な雰囲気を持つメジロ家の中でも特に上品さを持っている、アルダンの強い特徴だ。
青さがある銀色の髪。それは銀細工のように光り輝き、宝石のように価値があるもの。
それにプラスしてクラウンブレイド。
髪だけでもすばらしいのに、アルダンの落ち着いた雰囲気と仕草が強く髪の神々しさを演出している。
俺が髪を見つめているのに気付いたアルダンは俺を見て、申し訳なさそうにする。
「すみません。せっかくここへ連れてきていただいたのに、満足に練習ができなくて」
「今日は気分転換が目的だからな。無理することはない」
左腕につけている時計を見ると、あと1時間で12時。昼の時間となる。
今日の昼は来る途中で買ってきた弁当とたくさんの総菜だ。夜はバーベキューとシービー提案の花火。
走る以外にも楽しいイベントを作っている。教え子のためなら多少の出費は気にしない。
だから今のアルダンが体が弱いことに自己嫌悪で落ち込んでいるが、夜にでもなればバーベキューを目にした途端、元気になるはずだ。
「体が弱くても体調はいいだろ。肌を見ればわかる」
「はい。そこにはとても気をつけています。食事や睡眠にも主治医の言いつけに従っていますよ?」
「ああ。だが、それを続けるのがつらくなったら家族や主治医に相談をするんだぞ? 我慢してストレスが増えたら結局はダメだからな」
「ご心配くださり、ありがとうございます。私は毎日が楽しいですからストレスはそんなにないと思うんです」
そう微笑んで言うもどことなくさびしげな雰囲気を出したアルダンは遠くを、スズカやシービーたちが波打ち際で波を蹴りながら走っているのをうらやましそうに見ている。
これになんて言葉をかければいいか悩み、言わないほうがいいと思ってやめた。
スズカたちウマ娘が俺たちの前を楽しそうに走っていき、その後方をシービーのトレーナーが頑張って走っている。
トレーナーというのはウマ娘だけじゃなく、自分自身も鍛えているのかと感心する。シービーはウマ娘たちの集団からトレーナーのところへ行くと、おんぶして走っていく。
その様子を見て、シービーとトレーナーの関係の仲がよくて嬉しい。あんな気まぐれで手間のかかるシービーと相性のいいトレーナーがいることはとてもいいな。
「そうだ、アルダン。今日の夜はバーベキューなんだが、焼いてみるか?」
「私がですか?」
「俺も肉や野菜を焼くがアルダンにも手伝ってもらいたい。俺には焼く以外にもブライアンに野菜を食べさせるという仕事があるからな」
あの根っからの妹体質で、クールな振りして人に甘えたがるブライアンのことでためいきをついて言うと、アルダンはそれに微笑んでくれる。
ウマ娘たちは食べることばかりを優先するからな。料理なんてできる子は少ないだろう。
まぁ、俺も中学生時代は料理はできなかったが。
「夜飯だけじゃなく今日の昼飯もきっとよく食べるぞ。いつもは学園の栄養が考えられた食事だが、今日はスーパーの弁当と総菜だ。いつもと違う味はきっと楽しめる」
「私もお弁当を楽しみにしていますよ」
「量も充分に買ってあるから楽しみにしてくれ。足りなければ、店は遠いが追加で買ってくる」
さっきまでのさびしげな雰囲気と違い、アルダンは少しだけ楽しそうにしている。
せっかくいつもとは違う場所なんだ。他の子たちを見てうらめしく思わない姿を見れて俺は嬉しい。
そんなアルダンの姿を見ていると思うことがある。
それは髪をさわりたいだ。前々からアルダンの髪は気に入っている。
以前に聞いたが、アルダンは尻尾や髪の手入れには注意していると言っていた。
外国製の特注オーガニックトリートメントを使っているということで、それがどれぐらいのものかが非常に気になる。
日本ではオーガニックの認定は植物の成分が数%入っていればオーガニックだ。
だがヨーロッパやアメリカでは日本と違って厳しい。
原料の95%以上を天然由来のものであることがオーガニックと認定される。天然素材を使う分、高級品の扱いだ。
そんな高いものを特注だと聞けば、いったいどれほどすごいかが気にならないはずがない。
自然のものは毛根にシリコンが蓄積しないから薄毛、抜け毛の予防になると聞くし、シリコンがないから髪のボリュームがアップする。
なにより自然の香料や肌に優しいのは素敵だ。
欠点もあって、元々の毛のダメージが強い場合には向いておらず、植物成分で肌がかぶれるという人もいる。
オーガニックのものを使っているからか、さきほどから海風によって俺へといい香りが運ばれてきている。
「あの、どうかしましたか?」
「アルダンからいい香りがするなと思ってな。ああ、いや、セクハラではなくて、ただの感想なんだ」
「そんなに焦らなくても大丈夫ですよ。教官はそういう下心がある方でないのはわかっていますから」
女性の髪をさわりたいという下心がたっぷりあるんだが。
俺が髪をさわりたいとか、髪が好きという話は伝わっているはずなのに、そう言われると良心が痛い。
「……私の髪をさわってみませんか?」
アルダンが1度、目線を外してからはずかしそうに上目遣いでそんなことを言ってきた
即答するところをなんとか理性で抑え、深く深呼吸をする。
すぐに飛びつくのは人としてみっともない。ここはアルダンだけじゃなく、他にウマ娘がいる。
だからといって、チャンスを目の前に遠慮するのはゴールドシチーのときのような髪を見るだけになってしまう。
至近距離で髪を見られるだけでも幸せだが、髪をさわれるのならもっといい。
教え子たちやトレーナーという人がいる、見知っているなかでさわるのは度胸がいる。
悩んでいると雲が空をさえぎり、少し薄暗くなる。今、アルダンの髪をさわるのはダメだと言われているような気がして。
場合によってはメジロ家から怒られるかもしれない。
「あの、遠慮をしなくても教官にならいいですよ?」
アルダンがそう言葉にした瞬間、雲の隙間からパラソルのあたりだけ光が差して明るくなる。
それはアルダンが光り輝いているように思えて神々しさが。
「それではさわらせてもらうか」
水の流れを象徴しているかのような色合いの髪を手に持ち、手のひらからこぼれていく様子は髪が水のように思える。
髪1本1本がとてもやわらかく、さらさらさしている。そして海風によってなびく髪はずっと見ていられるほどにすばらしい景色だ。
三つ編み部分のクラウンブレイドは少し力を入れて押すと弾力性がある、その感触は気持ちがよく、何度も押したいほどだ。
頭からなでるようにさわると、それは液体のようでこれほどのなめらかさがある髪は夢中になってしまう。
もうずっとアルダンをさわっていたい。そう思っても当然だ。喜びで胸が高鳴る。
まるで初恋をしたときと同じような気持ちだ。
興奮した気持ちを抑えるように意識して深呼吸をする。そしてある程度さわったあとで風や俺の手で乱れた髪の毛を手でまっすぐな形に整えていく。
段々と高鳴った胸の鼓動は落ち着いていき、なんだかさわっているだけで癒やされている気がしてきた。
「ありがとう。とてもいい髪だった」
「そう言っていただくと嬉しいですね」
手を離して満足の気持ちを込めて言うと、アルダンがやわらかい笑みをしてくれる。
これで俺が合宿へ来た意味があったというものだ。髪をさわれるのなら、食費の自腹ぐらいはそんなに痛くない。
そうして満足感でいっぱいになっていると、なんだか誰かに見られている気がした。
その視線へ顔を向けると、走るのを途中でやめた教え子たち全員がこっちを見ている。
視線には質量があるようで、こっちを見てくる教え子11人+シービーの視線がきつい。トレーナーは苦笑いを浮かべているし。
ウマ娘たちが俺を見る目は、ほほえましい、ふたりでいちゃつきやがって、仕事をさぼるな、もっと走っていいかしらというものだ。
「アルダン、シービーたちが休憩したら山のほうへ走らせに行くぞ。俺は車で追うがどうする?」
「教官がよければ、私も走らせていただきたいのですが」
「わかった。疲れたら車に乗ってくれ。走りたいときに走るのはいいことだからな」
真面目に練習をするのもいいが、今のように楽しんで走るのは大事だ。スズカのように門限破りはダメだが。
人によってはスケジュールどおりに走り鍛えさせるが、楽しんでやらないと途中で心が折れてしまう。
楽しめてこそ上達すると俺は思っているから。