1泊2日の合宿。その初日の練習が終わり、夕方の今。
ウマ娘たちとシービーのトレーナーは更衣室へ行き、汗を流すためシャワーを浴びに行った。
その間、俺は何をしているかと言えば肉を焼いている。
砂浜から近い場所にある、海の音と風がやってくる屋根付きの炊事場。テーブルや椅子が並んであるところにコンクリの低い壁を挟んで、たき火台が複数置いてある。
そのふたつに薪で火をつけ、しゃがみながら肉や野菜を焼いている最中だ。
事前に焼いておくと冷えてしまうが、12人も大食いのウマ娘がいるから焼きながらだと追いつかない。
だからこうして練習が終わる少し前から焼き始めている。
向こうのテーブルにはある程度置いてあるが、まだまだ足りない。シービーのトレーナーが来たら手伝ってもらわねば。
ひとり忙しく焼く作業をしていると、近づいてくる足音がひとりぶんだけ聞こえてくる。
音がする方向へ目を向けると、そこには髪がしっとりとぬれていて、新しいジャージに着替えたシービーの姿があった。
普段なら白いミニハットをつけているが今はなにもなく、髪がところどころ大きく跳ねている。ぬれている今は髪の跳ねが小さくてストレートに近いロングヘアだ。
それを見るとぬれた髪をタオルドライしたいし、ぼさぼさの髪にクシを通したい。
あまり見ないシービーの新鮮な姿につい肉を焼く手が止まり、機嫌がよさそうなシービーがすぐ目の前まで来ても髪に目を奪われ続けた。
「ねぇ、お肉が焦げているけどいいの?」
「……おわっ!」
シャンプーのいい香りがするシービーの声で我に帰ると、肉の油が落ちてじゅうじゅうといい音がする肉を慌てて箸で紙皿へと取っていく。
そこそこ焦げていて、苦みが強そうな肉はウマ娘には食べさせられない。これは別に分けて俺が食べることにしよう。
今度は新しい肉を床に置いてあるトレーから取って焼き始めると、シービーは俺の真横にしゃがんできた。
「手伝おうか?」
「それよりドライヤーを使って来い。海の風は結構冷たいんだ。髪を乾燥させないと風邪を引くぞ」
「今やってる」
「薪の火でやるな。髪が焦げ臭くなるぞ」
そう注意してもシービーは目をきらきらと輝かせながら、俺が焼く肉をじっと見ている。
1度注意をしても動かないようならあきらめる。シービーは自分がやりたいことを優先するから、緊急性がない場合は教え子のときから放置していた。
俺は見られながらも肉や野菜を焼いていくが、ふたつのたき火台で焼いていると視界の端にちらちらと見えて落ち着かない。
その落ち着かない原因はシービーの耳だ。ぴこぴこと耳を動かしては焼く音を楽しんでいる。
髪をかわかす時間すら惜しみ、そこまで食事を楽しみにしてくれたのは嬉しい。他の子も同じぐらいだといいが。
ブライアンに関しては肉以外も食べさせる予定なので、恨まれるに違いない。
シービーと同じように早くご飯を食べたいために髪を適当にやって来るかと思ってシービーが来た方向を見るが誰も来る様子はない。
「どうしたの、教官」
「おい、シービー。早く来ているのはおまえだけなんだが」
「髪を綺麗にしておくと教官は喜んであまやかすでしょ? だからバーベキューでたくさん食べたい人はたっぷり時間を使って洗っているし、そのあとはしっかりドライヤーを使っているからね。ブライアンなんかは今まで見たことないくらいに集中してたよ」
身だしなみに無関心だったブライアンが自分から髪を大事にしているのは嬉しい。
しかしだ。髪を綺麗にしておけば、他の子よりも優先すると思われるだなんて。そうしないように理性で頑張っているのにこれからどうしてくれるんだ。
一目惚れするような髪の子が出てきたら、スズカのように門限破りでも甘くしてしまうぞ?
「そういう理由だとシービーは腹が減ってないってことか? あとでバーベキューの気分じゃないなら、あとでコンビニで弁当を買ってくるが」
「私もお肉を食べたいから買ってこなくていいよ」
「じゃあ、単にめんどうだったからって理由か」
「ううん、アタシにはとっておきの秘策があるんだ」
俺が肉と野菜を焼き続けている目の前に手を突き出してきた。
その手に握られているのは高級そうな見た目をしている木製のクシだ。
シービーがこういうのにお金をかけるイメージがないから、誰かから借りたんだろうか。
「これはね、さっきトレーナーのバッグから取ってきたんだ」
「あとで俺がトレーナーに怒られるんだが。ウマ娘になにをさせているんですかって」
「だいじょぶだいじょぶ。トレーナーがシャワーを浴びているときに借りるって言ったから。返事は聞いてないけど」
「俺が強引にウマ娘の髪を綺麗にさせているという噂が出てくるからやめてくれ。おまえのトレーナーとは仲良くしていたんだ」
「あたしのトレーナーの髪もさわりたいってこと?」
にんまりしたからかうような笑みを浮かべたシービーはぬれた髪を片手でつまむと、ふりふりと左右に揺らしてくる。
視界の端にうつる髪の動きを追って目は動いてしまうが、理性を強く意識して焼くことに集中する。
「多少はそういう気持ちもあるが、俺が原因で関係性が悪くなったら嫌だ。今回だって無理させてしまって後悔しているんだ」
「でも本人はあたしたちの面倒を見るのに張り切っていたよ? こんなにたくさんのウマ娘の脚を見れるのは幸せだって言ってたし」
「脚フェチか。トレーナーという仕事なら堂々と見れて安心だな」
だからウマ娘たちと一緒にランニングしていたときは後ろを維持して走っていたのか。
それなら長ズボンのジャージじゃなく、短パンやブルマで走らせたほうがよかったな。
転んだときのために長ズボンにさせていたが、明日はそのトレーナーのために短パンやブルマで一部のトレーニングをさせよう。
「それじゃあ交代しよっか、教官。はい、クシあげる」
シービーは俺にクシを押し付けると同時にトングを奪っていき、うきうきとした様子で肉をひっくりかえしては音を楽しみはじめた。
ずっと焼くだけというのは疲れたから、シービーがやってくれるというのならやってもらうか。
それに今の俺にはシービーの髪をクシで整えるという大事な仕事がある。整えなければシービーの髪質が悪くなるから教官として見過ごしてはいけない。
むしろ肉を焼くよりも優先度が高い。
だから俺が髪をさわっても問題ない。誰かが来ても言い訳、いや髪を整える正当な理由を言える。
髪が完全にかわききっていないと、キューティクルが開いている状態になっていてクシの摩擦で痛みがでる。
今は部分的乾燥といったかんじだが、クシをとおしながら乾かせばいいだろう。
俺は髪をクシで通すために深呼吸をし、少し緊張しながらゆっくりとシービーの髪の頭頂部へと当てる。
そして力を入れすぎないよう気をつけつつ、髪の根本から先端までゆっくりとクシを通していく。
途中、ひっかかることもあるがクシと持つ手とは反対の手でそれを直す。
クシの歯がシービーのぬれた髪をとおっていくと髪は整えられていく。
自分の手で髪を整えていくのは実にすばらしいものだ。
乱れていたのを綺麗にするのはやっていると心が落ち着く。クシを髪にとおすのは1度で終わるわけじゃなく、何度もクシで通す。
綺麗にすることだけを考え、無心で手を動かすのはヒーリングの一種と言ってもいい。
つやつやすべすべな髪をさわるのもいいが、ぬれた髪をクシで直していくのは別の楽しさがある。
よく風呂上りの女性の姿に心がときめくといった描写がドラマや漫画ではあるが、それは男性だけでなく女性も持つもので人種の区別なく共感できる共通点だ。
もっと男性の人は女性の髪を褒めるべきだと思う。そうすれば女性は喜び、髪の美しさに磨きがかかる。
髪にうっとりしていると、シービーがびくりと体を揺らしては1枚の黒焦げになった肉を箸で持ち上げた。
「焦げちゃった」
「シービーの髪は堪能したから代わろうか」
「大丈夫だよ。ブライアンなら焦げていたって肉ならなんでも食べるし」
「さすがに全部が焦げているのは体に悪いから捨ててくれ」
はーい、と素直に返事をしたシービーは空いたトレーへと焦げ肉を捨てていく。
ブライアン、おまえは肉なら炭になっていても食べれると思われているみたいだぞ。
以前にも生焼けやちょい焦げた肉でも気にせず食ってきた実績がこうやって評判になってきている。
ときどきバランスよく食えとは言っているが、ブライアンは『草をたっぷり食べた牛肉を食うのなら、間接的に野菜を食っていることになるだろう?』と自信満々に言ってきたのを思い出す。
そのときはどうやって傷つけずに野菜の栄養価が取れないかと説明するのに苦労したものだ。
昔のブライアンを思い出していると、シービーが俺のところに来たときはどうだっただろうか。
今から5年ほど前になる
当時26歳の俺は正式な教官としての仕事をして2年目だった。
それまではサブトレーナーの仕事をしていた。だが結果が出ない、大怪我をして契約を切られるウマ娘たちを見続けるうちに自分の手で大事に育てたく思った。
少人数ではなくたくさんのウマ娘を。それならトレーナーではなく教官としてウマ娘の健康を第一に育てる方針で。
健康第一とはいっても管理してウマ娘を縛るのではなく、楽しんでできるのを優先している。
長く走り、上達するのは楽しんでこそだと思うから。それに走ることだけじゃなく、ダンスやボーカルレッスンでの疲労具合も考慮してやっている。
俺の手から離れても会いに来てくれるのは嬉しいと昔を思い出しているとシービーの耳が動いた。
その方向は更衣室がある方向だ。他の人に見られるのははずかしいため、クシを扱う手を止める。
「シービー、交代だ。おまえは飯を食うといい」
「わかった。ある程度食べたら交代しに来るから。教官も食べないとね」
「俺はあとでいいんだよ。旅館に戻ったあと、冷たいビールと一緒にコンビニ弁当を食うんだ。ひとり静かに食べるのは最高だぞ?」
「そんなにいいんだ。……アタシもビールを飲みたいんだけど?」
「20歳になってから言え」
未成年のシービーからトングを受け取り、テーブルがあるほうへと手を向ける。
不満顔ながらも肉を置いた紙皿を持ってシービーは歩いていった。
テーブル側に集まってきたウマ娘たちが「焼肉!」「シャワーを浴びたあとの焼肉はいいですよね」「おい、私の野菜をあげるから肉をよこせ」と喜びの歓声が聞こえる。
そして声を合わせて「教官、ありがとうございます!」と複数の声が聞こえた。
シービーのトレーナーが場を管理し、ジュースを配っていくのが音と声でわかる。
いただきますと挨拶をしてから、皆が食べ始めていく。
その間、俺はひたすら焼き続けていく。合間合間にトレーナーが来ては焼いたものを回収し、たくさん食べるウマ娘たちの胃袋へと放り込まれる。
肉以外にも買ってきたものもテーブルへと置いてあり、おにぎりや野菜サラダ総菜パンを楽しんでいるみたいだ。
こうやってウマ娘が喜ぶ声を聞くと嬉しい。
しゃがんでいる状態から腰をあげ、様子をうかがうとウマ娘たちの姿が見える。
どの子もシャワーを浴びたから、風によって髪がさらさらとなびくのがはっきりとわかる。
昼間の練習時でも髪を見て楽しめたが、今はさっぱりとした状態だ。汗でべたついたのとは違う。
肉の取り合い、野菜の押し付けといったときに髪が揺れるのは素敵だ。
だけど髪を見てばかりもいられない。材料がなくなるまで焼き続ける必要がある。
晩ご飯用に用意したのはトレーナーの車を使って、たくさん用意したが予想以上に消費しそうな気がする。
いつもの学園での練習と違い、開放感がそうさせているんだろうか。今日ばかりは俺も食べすぎだと注意しないこともあるから。
こうして晩ご飯はウマ娘たちに高評価を得て、終わった。
自分で食材の費用を出してまで来た価値があった。ウマ娘たちは気分転換ができ、海岸での練習に喜んでくれたのは嬉しい。
今日はアルダンとシービーの髪もさわれたことだし。
髪をさわる始まりのきっかけは引退を決めたウマ娘。その子を大事にし、面倒を見た。
その関連で精神的疲れてウマ娘たちの髪をさわり始めたが、今では生きる楽しみを得た。
髪をさわることによってウマ娘と親密に会話する機会も増えていいことだと思う。だからこれからもこうやってウマ娘たちのために頑張っていきたい。
髪描写が尽きました