傍に立つ君は完璧で究極のアイドル 作:カミキヒカラナイ
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急げっ 乗り遅れるな
星々の輝きをその目に焼き付けるんだ
“推しの子・ラッシュ”だ
それは舞台「東京ブレイド」公開まで一週間を切ったある日のこと。居残りで稽古をさせてもらっていた鳴嶋メルトは、気分転換に外の空気を吸うべく表に出ていた。
その表情からは色濃い疲労が滲み出ている。メルトはスタジオの外に佇んでいる寂れた自販機に近付きミネラルウォーターを購入すると、行儀が悪いと知りつつも喉を鳴らして勢いよく水を呷った。
500mlのペットボトルを瞬く間に空にしたメルトは、涼感を貪るようにして息を吸う。そのまま建物の壁に寄り掛かり、深々とため息を吐いた。
「はぁー……キッツ」
東ブレの稽古は今まさに佳境を迎えている。しかし有馬かなが“とんでもないキラーパス脚本”だと評した通りの滅茶苦茶な難易度の脚本は、著しい負担をメルトに強いていた。
ララライの役者陣は新しい脚本を諸手を挙げて歓迎していたが、演劇の世界に入ってまだ日の浅いメルトにとってはそうもいかない。求められる演技の基準が跳ね上がったというのもそうだが、何より“原作に存在しないストーリーである”という点が最大の障害として彼の前に立ちはだかっていた。
当初の「渋谷抗争編」であれば、役者としてはまだ未熟なメルトであっても、原作の漫画を読み込むことである程度シーンごとのキャラの心情を読み解くことはできた。
しかし「血鬼の恩讐編」は原作には存在しない物語だ。ある意味ではこの脚本こそが原作だと言えるだろう。そして脚本は漫画ではない。故に絵がなく、従ってキャラの表情からその心情を推察することはできない。「このシーンではこのキャラはこういう思いを抱いているのだろう」ではなく、「このキャラであればこのシーンではこういう思いを抱いているはずだ」という、もう一段階踏み込んだ領域での考察、そしてそれを己が演技に落とし込む技量が求められるのだ。
そしてそれは、今のメルトには不可能な技術だった。
「……ダメだ、分かんねぇ。やっぱ俺には姫川さんや黒川みたいな演技は無理だ……」
分かり切っていたことを今更嘆いたところでどうしようもないことは理解している。それでも弱音を口に出さずにはいられなかった。メルトは悄然と項垂れ、力なく空になったペットボトルをゴミ箱に放り込んだ。
「ララライの人達が演技が上手いのは当たり前だ……だけど有馬やアクアはそれについて行ってる。俺だけだ……俺だけが全然ダメで皆の足を引っ張ってる……」
そうと自覚できるだけ成長したと言えるだろう。「今日あま」の頃のメルトであれば、そもそも自分の演技が下手だという自覚すらなかった。周囲と自分を比較し、実力を客観視できる程度には彼も役者として成長しているのだ。
しかし、そんなものは何の慰めにもならない。今メルトが欲しているのは成長の実感などではなく、周囲の演技について行けるだけの実力だった。
そしてそれが地道な努力の末にしか手に入らないことを、メルトは十分に理解していた。
「……稽古に戻るか」
努力するしかないのだ。物語の主人公のような急激なパワーアップなど現実には望むべくもない。そもそもモデル上がりで役者の道に入ってまだ日の浅いメルトは、スタート地点からして周囲に大きく後れをとっているのだ。厳しい仕事になることなど承知の上でこの舞台に上がることを決断したのはメルト自身なのだから、努力する以外に道はない。
気持ちを切り替えるように自分の頬を叩くと、メルトは寄りかかっていた壁から身体を離す。
そうしてスタジオに足を向けようとしたその時だった。ふと、視界の端に何やら挙動不審な二人組の人影が映り込んだ。
「──やっぱり妹としてはね、兄がちゃんとやれてるか心配なわけ! またボッチになってる光景が易々と目に浮かぶ! つまり、そう! いわばこれは授業参観! 見学も家族の義務だと私は思うわけ!」
「ウチの事務所厳しいんよ〜! 勝手に他所の現場に入り込んだのバレたらマネージャーにどやされるぅ〜!」
(うわ、容姿レベルたっか)
どう見てもその佇まいは一般人のそれではない。容姿が整っているのもそうだが、何よりも醸し出すオーラが普通とは異なっていた。
ピンクブロンドに染めた髪の少女は恐らく
だが、何よりもメルトの目を引いたのはもう一方の少女だった。
陽だまりのような金の髪に、宝石のように輝く紅玉の瞳。透き通るような白皙の美貌は輝かんばかりで、有馬かなや黒川あかねと間近に接し目の肥えていたメルトをして思わず息を呑んでしまうほど。
しかし何より特筆すべきはそのオーラだ。その少女はまるで色とりどりの花弁を思わせる、爛漫たる輝きをその総身に纏っていたのだ。
(あんなオーラのタレント、一度見たら忘れないと思うんだが記憶にねーな……まだデビューして間もない女優かアイドルかなんかかな)
特に着飾っているわけではない。プライベートではそこまで服装に気を遣わない質なのか、片割れのモデルの少女と比べその出で立ちには垢抜けなさが目立つ。しかし派手さを排していてもなお薫る華やかさというものがあって、隠し切れぬそれは少女を殊更に輝かしく見せていた。
夕暮れの薄闇の中にあって一層輝くその姿に思わず見惚れていると、視線を感じたのか少女はふっと顔を巡らせる。まるで星を浮かべたような瞳と目が合い、メルトは思わずどきりと胸を高鳴らせた。
「……あ! 『今日あま』のドラマに出てた人!」
ビシッと指を差されそう言われる。人見知りしないというか、仮にも初対面の相手に対して随分と物怖じしない態度をとる少女だった。それすら愛嬌として映るのだから美少女というものはお得だなぁ、と感じ入りつつ、メルトは少女の発言に対し首肯して答えた。
「『今日あま』で知られてるのはちょっと複雑だけど……まあ、自業自得か。それで、君は?」
「星野ルビーです。兄がお世話になってます!」
「星野……ああ、アクアの妹か!」
言われてみれば面影がある。柔らかな金の髪に、宝石のように綺麗な瞳。髪色も相俟ってどこか日本人離れした美貌の持ち主だ。
「けどアクアならもう帰ったよ。今日の稽古はもう終わってる。俺はちょっと個人的に居残りしてるだけで」
「え!?」
わざわざ兄の様子を見に足を運んだ少女には気の毒だが、アクアはとっくにスタジオを後にしていた。佳境を迎えているといっても、誰もが東ブレの稽古にばかり時間を割けるわけではない。翌日に別の仕事を控えている役者が多い場合などは、今日のように昼過ぎには
「お兄ちゃん毎日帰ってくるの日付変わる頃なのに……じゃあ毎晩遅くまで何やってるのよ!」
「んー……俺も詳しくは知らねぇんだけど、最近はいつも桐生と一緒に帰ってるな」
「桐生……え、シオンさんと!?」
「何だ、桐生のことも知ってるのか」
「はい! 私のアイドルの先生ですから!」
「……あいつアイドルもできるの? マジで何でもありだな……」
モデルで役者で超能力者でアイドル。マルチタレントにしても節操がなさすぎる。逆にお前は何を持ち得ないのだ。
「ちょっと電話して聞いてみる!」
「ルビー……野暮はあかん、そっとしとき……」
スマホを取り出したルビーの手を、モデルの少女……
「なに野暮って?」
「ルビーも『今ガチ』見てたんなら分かるやろ? アクアさんとシオンさんは……陰で付き合ってるんよ……!」
「なななな、なっ、何ですってーーー!?」
みなみはアク×シオのカップリング支持者だった。
今明かされる衝撃の真実に白目を剥いてショックを受けるルビー。実の兄が夜な夜な男と逢瀬しているなどと聞かされればさもあろう。
(いやー流石にそれはねーんじゃねぇかな……)
毎度毎度一緒にスタジオを後にするアクアとシオンの背中をすんごい目で見ている有馬かなと黒川あかねの姿を知っているメルトとしては、流石にそれはないと思いたいところだった。そんな四角関係は嫌すぎる。
「でも男同士だよ!? それも毎晩だよ!? ここ数日毎晩なんだよ!?」
「ええかルビー……! 禁じられた関係だからこそ……燃え上がるものもあるんや……!」
「いやあああああ!? 信じたくない! ママ……じゃない、シオンさんとお兄ちゃんがそんな関係だなんて認めたくない!!」
想像力逞しい子達だなぁ、とメルトは思った。
そしてこうも騒いでいればスタジオの中にも少女達の姦しい話し声は届く。それを聞きつけた人物が一人、建物の中から姿を現した。
「おっ、君達可愛いねー。誰かの出待ち?」
金の染髪に整った顔立ち。線は細いが引き締まった身体つきの青年がにこやかな表情で二人の少女に声を掛けた。
2.5次元経験豊富という前評判に偽りはなく、その実力はララライも認める程だった。
しかし役者としてはともかく、私人としては彼はそこまで品行方正な人間ではなかった。具体的に言うと女性関係にだらしのない一面を有していたのである。
鴨志田朔夜は自他ともに認める無類の女好きである。しかしここ最近は東ブレの稽古に掛かりきりだったこともあり、その手の“遊び”はご無沙汰だった。端的にフラストレーションが溜まっていたのだ。
そこに現れた見目麗しい少女達。片や抜群のプロポーションを誇るグラビアモデル。片や眩いまでのオーラを放つ現役アイドル。これには鴨志田の女好きセンサーもビンビンである。
これは誘ってるだろ! 誘ってるだろう!? なあ誘ってるだろおまえ──などと思考したかは定かではないが、いずれにせよ据え膳を前にしてお行儀良くしていられるほど鴨志田は大人しい質ではなかった。
渾身の踏み込みでスタジオの外周を囲う塀を飛び越える。そのまま空中で一回転した鴨志田は体操選手もかくやという見事な着地を決め、目にも止まらぬ速度でルビー達のもとににじり寄った。黒川あかねの足元ぐらいには及ぶかという凄まじい身体能力だ。げに恐ろしきは男の性欲であろうか。
好青年めいて爽やかな笑顔のまま、残像すら生じかねない超スピードで接近する鴨志田。その異様な動きにメルトとみなみはギョッとして後退った。
しかし、ルビーだけは鴨志田の超人的な動きに対してこれと言った反応を示すことはなかった。それは
宙返りなど今のルビーの身体能力を以てすれば簡単に再現できる。残像を生むレベルの高速移動ですら、彼女の動体視力ならば容易に捕捉できる程度のスピードに過ぎない。そんなルビーからすれば鴨志田の全力疾走など、「なんかイケメンの役者さんがちょっと慌ただしくやって来た」程度の認識でしかなかった。
「こんにちは! 出待ちと言えば出待ちかな? 入れ違いになっちゃったみたいですけど……」
故にこれと言って動じることなく、ルビーはにこやかに笑ってそれに応じた。
華やかな笑顔。愛嬌のある仕草。鴨志田は思わず目を奪われる。決して媚びているわけではないのに、その一挙一動がどうしようもなく男の興味を誘う。
それこそはルビーが母より受け継ぎ、一ヶ月に及ぶスパルタ訓練の末に花開いた天稟。その立ち振る舞いによって他者の視線を誘引し魅了する──即ち、天性のアイドルの才である。
(脈アリ!!)
そして鴨志田は無意識であるが故に加減なく振る舞われるルビーのアイドル仕草に物の見事に引っ掛かった。
魔性の愛され体質にして歩くガチ恋ファン製造機。かつてのアイを思わせる魔性の片鱗を漂わせるルビーの有様を見て、鴨志田は己に気があるのだと勘違いした。かつて多くのドルオタを沼に沈めたその陥穽に気付くことなく、彼は自ら望んで深みに嵌っていく。
「誰を待ってたの? 俺で良ければ話つけとくよ?」
親切な風を装って近付き、あわよくば連絡先をゲットする。いつも通りといえばいつも通りの手馴れたやり口だ。しかし込められた熱量はかつてない程だった。紅玉の瞳に浮かぶ星のきらめきに夢中になっていく己を自覚することなく、鴨志田はスマホを取り出しつつ更に一歩ルビーに詰め寄った。
「えっと、お兄ちゃん……アクアとシオンさんに会いに来ました!」
そしてその名を聞いた瞬間、鴨志田は勢い良く背中からひっくり返った。
「か、鴨志田さーーーん!?」
ゴッ、と鈍い音を立ててアスファルトの地面に倒れ込んだ鴨志田のただならぬ様子に、流石のメルトも血相を変えて駆け寄った。
「どうしたんすか急にコメツキムシみたいにひっくり返って!? ていうか今頭打ちませんでした!?」
「だ、大丈夫……致命傷で済んだ……」
「ダメじゃねぇっすかソレ!?」
鴨志田のこの奇行には流石のルビーも目を丸くして呆然としている。
しかしこれはある意味で仕方のないことだった。現在の東ブレの現場において、シオンの存在は極めて特殊なものである。
血濡れの復讐鬼「
恐るべきは、そのオーラが十分に制御されたものであることだった。無理に「こづか」を演じていた時とはまるで異なる。野放図に振り撒かれるのではなく、確とした指向性を以て放たれる異形の圧力は、煮え滾るような暴力性と引き換えに怖気立つような鋭利さを具えるに至った。
そうして復讐者「鍔姫」は完成した。静かな佇まいと荒ぶる狂気とを危うい均衡で両立させた剣士の姿は、〆切に追われる
しかし共演する立場の鴨志田はGOAほど呑気に構えてはいられない。稽古の度にスタジオを覆い尽くす絶大なオーラ。天地を震撼させるが如きそれは大山の鳴動にも似て、鴨志田に対しても容赦なくその霊威を叩き付けてきた。彼の演じる渋谷クラスタの剣士「
それはある種の化け物にも思えた。芸能界に群を抜く才能とはそういったものなのだろうか。まだ齢二十二と若手の域を脱せぬ鴨志田には正確なところは分かりかねたが、いずれにせよ彼の心はシオンという恐るべき演者の放つ鬼気を前に屈服してしまっていた。
そして目の前の麗しき少女はそのシオンと知り合いであるという。そんな相手に軽率に手など出せよう筈もない。出せば己は死ぬという確信があった。
かくして鴨志田のナンパ、並びに自覚なき初恋は初動から僅か数秒で潰えることとなった。衝撃と失意のままに仰向けにぶっ倒れた鴨志田はフラフラと身を起こし、メルトの肩を借りながらようよう二本の足で立ち上がった。
「フフフ……残念ながら俺では力不足のようだ……いつか縁があればまた会おう、かわい子ちゃん達……」
「? 何だかよく分からないけど分かりました! とりあえず帰ったらお兄ちゃんシバキ倒して
「ああ、うん……程々にな?」
当然ながらルビーは目の前の優男からナンパされようとしていたことなど露ほども気付いてはいない。鴨志田への印象が「何やら挙動不審だがおもしれー男」で固定されたルビーは笑顔で彼に手を振り、そのまま別れを告げた。
その無垢な笑顔が更に鴨志田を狂わせる。何とも味わい深い表情をしたみなみを伴って去っていくルビーの背中を見送った鴨志田は、突如引き裂かれるような痛みを生じた胸を押さえて呻き声を上げた。
「だ、大丈夫っすか?」
「フッ……笑えよ鳴嶋メルト……年齢も芸歴も自分より下の新人に怖気付いてナンパを断念するなんざ、この鴨志田朔夜ともあろう男が落ちぶれたもんだぜ……」
「ああ、やっぱナンパ目的だったんすね……」
「しかし何だこの胸の痛みは……まさかこの年で胸焼け……? 昼食ったカツ丼が良くなかったのか……?」
「あー……取り敢えずスタジオ戻って少し休みます?」
「そうするわ……お前スカした野郎だと思ってたけど案外いいヤツじゃねぇか……」
「それ本人の目の前で言うか普通……?」
初恋と失恋を同時に経験し傷心の鴨志田は、介抱してくれたメルトにあっさり絆された。
メルトとしては複雑な思いだった。自分と同じタイプのチャラい人間性、しかし役者としての技量は雲泥の差。同族嫌悪にも似た反発心を密かに抱いていた身としては、こんな経緯で親近感を覚えられても困惑するだけである。
「まあ、なんだ……俺もまだまだ若手だからあまり偉そうに言えた口じゃねぇけどよ。お前が頑張ってるのは見てりゃ分かる。毎回居残りで稽古してるし、模擬用の木刀もお前のやつだけ血豆の跡があるのも知ってる」
「……どうも」
「正直演技下手で気に入らねぇと思ってた時期もあったけど、下手なの自覚して努力してる奴を笑うほど俺も落ちぶれちゃいねぇ。その上で言うけどよ……あまり思い詰めない方がいい。桐生シオンは姫川さんと同じ、本物の天才だよ」
「……ッ」
内心をピタリと言い当てられたことに動揺すると同時、込み上げてきた悔しさに下唇を噛む。
鴨志田の言う通り、メルトはシオンのことを強く意識していた。同じモデル上がりの役者でありながら、あらゆる面で自分の上位互換である少年を。
当初のこづか役における迷走ぶりを見るにララライの二枚看板である姫川大輝や黒川あかね程の万能性はないようだが、そんなもの何の慰めにもなりはしない。泥中の
これでシオンが生粋の役者であるのならこうも意識することはなかっただろうが、彼はあくまで新人タレント。芸歴は一年程度で、しかも役者として活動した経験は皆無である。曲がりなりにもドラマの主演を務めたことのあるメルトより、経験という点においては明確に劣っているはずなのだ。
にもかかわらず、自分の役すら満足にこなせぬメルトと異なり、シオンに与えられた役は今や主演級。しかも超能力などという誰にも真似できない唯一無二の才能を活かし、舞台演出の一部を担うなど大いにその実力を発揮している始末だ。
その才を羨まなかった日はない。誰をも圧倒するオーラ、他の追随を許さぬ身体能力、世に冠絶した神々しいまでの美貌。同じモデルだからこそ、同世代の俳優だからこそ、かの少年に己が勝る部分など何一つないと分かっていても強烈に意識してしまう。
だからこそ受け容れられなかった。自分より遥かに上手い役者から「シオンと競わなくていい」と言われたことに。
そう言われたことに安堵している己をこそ、鳴嶋メルトは、何よりも許せなかったのだ。
海色の瞳孔が細まり、星の輝きが昏く濁る。その瞳に浮かぶ感情の色は殺意か、あるいは慟哭か。
その手に握られるのは刃──ではない。模造刀でもなければ模擬用の木刀ですらない。刀に見立てて丸めただけの台本である。
しかし、それを握る彼の手は悲しいほどに震えていた。喘ぐように息を荒げ、全身に冷や汗を浮かべる姿はおよそ尋常の様とはかけ離れている。
ならばやはり、彼──星野アクアの総身を満たすその感情は殺意ではない。恐怖だ。彼は何かを恐れ、僕に刃を向けることを躊躇っている。
「っ……クソッ!」
何か悍ましいものを振り払うようにして台本を床に叩き付ける。そのまま力尽きるように床に座り込み、荒くなった呼吸を整えるように胸を手で強く押さえた。
アクアのこの様子は今に始まったことではない。彼に頼まれて稽古の後に二人で練習を行うようになってから、既に繰り返し見られる光景だった。
“
いやにピンポイントなシーンの練習をするものだと思ったが、アクアのこの様子を見れば納得だった。確かにララライの稽古でこんな姿を見せれば騒ぎになるだろう。彼は話が大きくなることを嫌い、人知れず克服することを選んだのだ。
「…………悪い、シオン。折角付き合ってくれてるってのに……」
「ううん、それは良いんだけど……その、大丈夫?」
「大丈夫だ。しばらくしたら元に戻る……」
明らかに大丈夫ではない。しかし僕はその恐怖の理由を問い質すようなことはしなかった。問うまでもなくその理由は明白であるからだ。
以前から薄々察してはいたことだが、どうもアクアは僕とアイを重ねて見ている節がある。正直僕としてはどうしてそう思われるのか未だに疑問なのだが、壱護さんに言われたことで流石の僕も多少は自覚するようになった。
外見的にアイと似ているとは思わない。長年アイと共に過ごした上で、やはり僕と彼女の共通項など黒髪黒目ぐらいのものだ。
であれば容姿以外……雰囲気とかオーラとか、そういう目に見えない部分でアクアは僕の中のどこかにアイの姿を見ているのだ。
その上でアクアがこうも恐慌を来す理由について思いを馳せる。考えられるのは、やはり目の前でアイがストーカーに殺害された現場に居合わせたという一件だろう。アイ曰く、扉越しで直接その場を見ていないルビーと異なり、アクアはアイが刺される瞬間から息絶える最期の一瞬までの一部始終を見届けたのだという。
さて……どう思いますか。命の灯火が消えゆく様を実の息子に見せつけた星野アイさん。
『四歳なんて小さい頃の記憶がそんな鮮明に残ってるなんて思わんやん普通……』
ぷるぷると震えながら涙目でそんなことを
確かに四歳という幼児期の記憶など、大多数の人間はその殆どを忘れてしまうだろう。
目の前で実の母が殺され、冷たくなっていく様を目の当たりにする……これ以上に強烈な記憶などそうはないだろう。はっきりとトラウマものだ。
確かに幼すぎて当時のことを鮮明には覚えていないかもしれない。しかしそれは必ずしも記憶が薄れることを意味しない。むしろその逆、実際以上に酷い記憶となって定着、深刻化している可能性もある。そうでもなければこんなパニック症状じみた様相を呈するとは思えない。
まあ、僕もその可能性を失念していたわけだからあまり人のことを言えた立場ではないが。まさかあのアクアがここまでアイの死を深く引きずっているとは思ってもみなかった。
『うぅ〜! ダメなママでごめんねぇ〜! もうすぐ、もうすぐ実体化できると思うから! そしたらいの一番にアクアに会いに行くからねぇ〜!』
チワワみたいに小刻みに震えながら涙声でそう叫ぶアイ。
しかしその一方で、アイは壱護社長の時のように自らの存在を明かすつもりはないようだった。正直に言って、僕は今すぐにでもアイが健在であることをアクアに告げるべきだと思うのだが……
『いやー、それ逆効果だと思うよ? 社長の時とはちょっと状況が違うかなって』
ふむ。その心は?
『本番が近いのにこれ以上精神的に動揺させるのはやめた方が良いんじゃないかな〜……ってのが一番の理由。社長みたいに持ち直してくれるなら良いけど、アクアって昔からリアリストっていうか、理屈屋っぽいところあったから。多分社長ほどすんなり信じてはくれないんじゃないかなぁ。変に拗らせてシオンと喧嘩してほしくないし』
言われてみれば確かに、アクアは幽霊なんて微塵も信じてなさそうだ。聞けば彼の学力は偏差値七十台だという。そんな頭のいい子が幽霊なんて非科学的なものを、それも今のように精神的に追い詰められている状態で素直に信じてくれるかはかなり怪しいところである。
『もう一つの理由は……多分アクアならこの精神状態を
利用する? それは一体……
「おーい早熟、一旦休憩入れろ。人のスタジオでゲボ吐かれたらたまったもんじゃないからな」
「……うるせぇ、吐かねーよ」
先ほどから扉越しにスタジオの様子を窺っていた気配がそんな言葉と共に入室してくる。
現れたのは四十代ぐらいの年齢の男性だった。かなりの強面、というか気難しそうな顔立ちの人物だが、口調とは裏腹にその声色にはアクアに対する気遣いの様子が窺えた。
彼の名は
その親交は現在になっても続いており、こうして急に押し掛けてスタジオを借りられる程度には仲がいいようだ。アイ曰く「アクアは五反田監督のお気に入り」なのだそう。
「……それで、どうだった?」
「まあ、悪くないんじゃねぇの? 少なくともこのシーンに必要な感情は出力できてる。感情演技が苦手なお前にしちゃ上出来だ。……その精神状態に目を瞑れば、だがな」
「構わない。後は
……“この感情を維持したまま”? その今にも倒れそうな精神状態で演技を続けると、アクアは今そう言ったのか?
旧知の仲であるアクアと五反田監督の言葉少ない会話は部外者である僕にはいまいち理解が追いつかない部分がある。どうにも、二人と僕の間には認識の齟齬があるように思えてならなかった。
「ちょっと待ってアクア。この特訓はその状態になるのを改善するためのものじゃないの?」
「……おいアクア、お前ちゃんと説明してなかったのか?」
「…………言えば反対されるかもしれないだろ」
「だからってお前、事情も話さずに延々稽古に付き合わせる奴があるかよ……付き合う方も付き合う方だが」
はぁ、と深くため息を吐く五反田監督。呆れ混じりの視線をアクアに向けた。
「お前が
「……分かってるよ」
「まあ気持ちは分からんでもないがな。見れば見るほどそっくりだ。顔のパーツは全然違うのにこうも雰囲気が似てるのは……やっぱ才能なのかねぇ」
五反田監督は僕の顔をまじまじと見つめてそう言った。
アイと面識があるこの人でもそう思うのか。そこまでアイに似ていると言われるのは複雑なような光栄なような……いややっぱり複雑だ。一応僕は前世も今世も男であるからして、尊敬する人だとはいえ女性に似ていると言われて手放しで喜べるものではない。
「で、どうしてこんな状態のまま芝居に臨むのかって話だったな。このムッツリは絶対に自分から言わねぇだろうから代わりに言うが……」
「誰がムッツリだ誰が」
「──こいつの抱いてる感情がこの上なくキャラの心情にマッチしてるからだ」
キャラの……刀鬼の心情に? こんなパニック症状一歩手前の状態のアクアが?
「台本と鍔姫とかいうキャラの設定資料は大まかに読ませてもらった。それによれば
「許嫁の実の姉、そしてかつて憧憬と共に仰いだ先達の剣士だ。敵意や憎悪なんて抱きようがない。殺意なんざ以ての外。……ここまで言えば分かるか? そら、この時の刀鬼の心情を二十字以上三十字以内で答えよ」
「えっ? えーっと……」
「──“恐怖”だろ。忌避感と言い換えてもいい。少なからず親交のあった相手を他ならぬ自分の手で害することに対する忌避感、訪れる永遠の離別への恐怖……一度は死んだと思っていた相手との望外の再会の後とあれば、この時の刀鬼の心情を察するのは簡単だ」
「はいアクア正解。でも文字数超過で減点っと」
「こいつ……」
なるほど、恐怖か。確かに刀鬼は闘争に生きる武人肌のキャラクターだが、感情のない戦闘マシーンというわけではないのだ。親しかった相手の息の根を自分の手で止めなければならないことに恐怖と忌避感を抱いてもおかしくはない。
凄いな。役者というものはここまでキャラの心情を深掘りして役を演じるものなのか。あかねさんや姫川さんの実力を遠く感じるわけだ。これがプロの役者の当たり前なのだとすれば、僕など半人前にも満たないだろう。
しかしアイはよくこれに気付いたものだ。役者経験もあるとはいえ彼女はあくまでアイドル。役を演じることは本分ではないだろうに。
『ふふん、そんなのすぐに分かったよ。何故なら私はアクアを信じている! アクアは選ばれし星の子! 星野
何言ってんだこの人。
「それを踏まえた上で、この状態のアクアはシーンにバッチリ嵌っている。誰とは言わないが桐生少年に誰かを重ねて見ているこいつは、別人だと頭では分かっていても恐怖せざるを得ない。たとえそれが演技だとしても、そんな相手に刃を向けるなんてタブー中のタブーだ。……だが、その恐怖が本物であればこそ、こいつの演技はより生々しく真に迫る」
「それは……」
それは、あまりに残酷な話ではないだろうか。
五反田監督は決定的なことは口にしなかったが、やはりアクアが僕を通して見ているのはアイの影だろう。だからこそ彼はこうも僕に刃を向けることを恐怖するのだ。何せアイはナイフで腹部を刺されて死んだのだから。
『くっ! あの時の私に今のルビーぐらいの腹筋があれば……!』
確かに生の感情を引き出すのは演技を行う上で有効だろうが、そのためにわざとトラウマを刺激するというのはいくら何でもやり過ぎだ。もしこれでPTSDがより深刻化するようなことになればどうするというのか。
「喋りすぎだ、監督。……良いんだ、シオン。これは俺が望んでやってることなんだから」
「だからって……役者ってそこまで心身を削らないといけないものなの? あかねさんや有馬さんはもっと楽しそうに演技してるじゃないか」
「俺にとって演技は楽しむものじゃない、手段だ。この
それは何のために?
「…………」
「……シオン?」
正直、深く考えての行動ではなかった。
ただ見ていられなかったのだと思う。癒えることなく膿み続ける傷を掻き毟るかのような、自傷行為にも似たその姿が見るに堪えなくて──
「えっ」
『エッ』
「え──?」
気付けば僕は腕を回し、アクアの頭を胸の中に掻き抱いていた。
「し、シオン? 一体何を……」
「アクア、僕は死なないよ」
「……っ」
鼓動を聞かせるように強く、だが壊さないように優しく抱きしめる。
まだ高校生だというのに、随分と大人びて自立した少年だと思っていた。だが、それはそうならざるを得なかったからだ。幼くして母を亡くし、兄として妹を守る必要のあった彼は、強く在らねばならなかったのだ。心に負った傷をひた隠しにして、平然とした風を装って今日までたった独り歩いてきたのだ。
アイによって孤独から救われた身である僕は、アクアにかける言葉など持ち合わせてはいない。安易な慰めなど彼に対する侮辱でしかないだろう。
だから、せめて少しでもその傷の痛みを忘れられるように。来るべき再会の日まで、アクアの望みの助けになること。それがアイによって救われた僕が、彼女の息子である彼にしてあげられる最大限の手助けだ。
「詳しくは聞かないけど、アクアはきっとその“誰か”を失うことを恐れてるんだよね? なら大丈夫、僕は死なない。その人より僕はずっと強いからね」
「…………」
「ナイフでも、刀でだって僕は傷付かない。人間の力じゃ僕に擦り傷の一つだって付けられはしない。仮に虎や熊が襲ってきたって僕は返り討ちにできるんだから」
五反田監督が「え、そうなの?」みたいな顔してこっちを見てるが、返り討ちどころか瞬時に挽き肉にしてしまえるだろう。ルビーだって武器さえあれば猛獣とも渡り合えるのだから、その力の大元である僕にそれができない道理はない。
「本当はそんな辛い思いをしてまで演技してほしくないけど……そうまでしても譲れない何かがあるんだよね。だからアクアは演技に集中して。大丈夫。この鼓動は、何があっても絶対に止まらないから」
僕ではどうあってもアイの代わりにはなれないけれど。こうしてアクアの演技の助けになれるのなら、アイに似ていると言われるようなこの男らしさの欠片もない容姿にも何かしら意味があったのだろう。
僕を通してアイを見ていることも、それによって傷付いていくことにも最早何も言うまい。僕にできるのは、こうして触れ合うことで彼の抱く喪失の恐怖を和らげることだけだ。
「…………ア、イ──」
「ウオオオオオ!! 突撃! お前が晩御飯!! こんのバカ兄! 夜な夜なシオンさんと二人で一体ナニ……して…………」
バァン!! とスタジオの扉が蹴り開けられる。突如として部屋に乱入してきたのは、どうやってかここにアクアがいることを突き止めたのであろう、怒り心頭といった様子のルビーだった。
『あ♡ ルビーだ♡』
アイは呑気に喜んでいるが、こちらはそうもいかない。
最悪の場面を見られてしまった。ルビーは愕然とした様子で、顔を真っ青にして立ち尽くしている。当たり前だ。同級生の男の胸に頭を抱かれる兄の姿とか、全国の妹が見たくない光景トップスリーに入るだろう。
「…………詳しく……説明して下さい。今、私は冷静さを欠こうとしています。この精神状態でも理解できるように、その羨まけしからん状況に至った理由を、簡潔に客観的に説明してくれませんか」
「……待て、落ち着けルビー。違うんだ、何か疚しい意図があってこうしているわけでは……」
「FATALITY」
「判断が早い! まだ何も言ってな……ウオオオオオ!?」
瞬間、凄まじい速度で間合いを詰めたルビーがアクアに掴み掛かった。瞬間移動と見紛うスピードで接近してきた妹の姿にアクアが悲鳴を上げる。
素晴らしい体捌きだ。踏み込みから加速まで一瞬の遅滞もない。その凄まじい加速力に反して踏み込んだ足元に一切の破壊がないのは、無駄なロスを生じることなく脚力を全て推進力に変換できている証……って実況してる場合じゃない。今のルビーの力でじゃれついたらアクアが怪我してしまう。
颶風を纏って振るわれるルビーの腕を手の平で受け止める。バシィッ!! と甲高い破裂音が響き渡った。
「お、落ち着いてルビーさん。これは僕が勝手にやったことで……」
「なお許せない! シオンさんどいて! そいつコロせない!」
「殺意高くない?」
というかそこは普通、兄に良からぬことをしている僕の方に怒るものじゃないのか? 一体何がルビーを駆り立てるのだ。
「あー……何が何だかよく分からんが、とりあえずこんな時間に人ん家で大暴れすんのは止めてくれー。おらガキ共、ここは俺の顔に免じて穏便に──」
「泰志ィー!! ご飯できたからさっさと食べにらっしゃい!! アクア君とシオン君も食べてくわよねぇ!?」
「かーちゃん! 近所迷惑になるからこんな時間に大声だすんじゃねえよ!」
「さっきからケータイ鳴らしてるのに全然返事ないからでしょ!? これ以上待ってたら味噌汁冷めちゃうわよォ!!」
「だからうるせーって!!」
『うーん、カオス★』
結局、ヒートアップするルビーさんを落ち着かせるために何故か彼女にもハグする羽目になるのだった。
これ大丈夫? 現役アイドルを抱きしめる男の構図とか、誰かに見られてたら下手しなくても大スキャンダルだよね。
【
原作ではアクアを意識していたが、こちらでは自身と似た経歴のシオンを強く意識することになる。モデル上がり、役者経験なし、同年代と共通点が多いため仕方ない面はあるが、そもそも相手が真っ当な生命体ではないという点を失念しているため悲惨なことになっている。(ゲッターとは)競うなッ 持ち味をイカせッッ
しかし、分不相応なライバル意識は向上心の裏返しでもある。その一点においては完全に鴨志田を上回っており、それ故に金田一は将来性の面では最もメルトに期待をかけている。
【
2.5次元舞台のノウハウにおいてはララライをも上回るその実力は本物。しかし女癖が悪く、原作ではルビーがアクアの妹だと知ってなおナンパしようとするなど問題のある人間性が強調されていた。
しかしその一方で、本番で思いがけぬ実力を発揮したメルトを手放しで賞賛するなど、ただの下衆では留まらない味わい深いキャラクターでもある。公私の二面性が激しいだけで、芝居にかける熱意は本物である故だろう。
しかしながら、こちらの世界線では頭のおかしいゲッターがダイナミックエントリーしてしまったせいでただの様子のおかしい人になってしまった。過剰にシオンを恐れるあまりナンパも儘ならなくなるばかりか、ルビーに無自覚ガチ恋してしまったことで今後の女遊びにも支障を来すことになってしまう。これ以降、鴨志田の金と時間は全てB小町及びルビーへの推し活へと費やされることだろう。
ちなみにメルトの意識する相手がアクアからシオンに変化した影響でメルトは原作以上に必死に稽古に励むことになり、その姿を目にしたことで鴨志田のメルトへの態度も原作に比べ軟化している(一番の理由はナンパの邪魔をされていないからだろうが)。
作者は
鴨志田「B小町はいいぞメルト……深いぞ……」
メルト「結構です……」
頼れる(けど気を抜くとすぐにアイドル沼に沈めてこようとする)兄貴分。
【星野ルビー】
屈託のない仕草、溢れるような笑顔、無垢な言動。その様は正しく男の夢見る理想の少女像。無自覚に全方位へ魅了のオーラを振り撒く、母と同じ、しかし方向性の異なる天性の
しかしてその本質は、常人を遥かに凌駕して漲る生命エネルギーを内包した超人である。花のように可憐な有様は一ヶ月のスパルタ特訓でシオン(アイ)によって身に付けさせられたアイドルらしい立ち振る舞いがそう見せているだけであり、怒りの感情などによってその仕草を捨て去れば、たちまち荒ぶる超人としての姿を露わにするだろう。その本領は
それでも力関係的には「有馬かな>星野ルビー≧MEMちょ」だったりする。超人でも
【
Gカップ。
【
アーキバスグループ強化人間部隊「ヴェスパー」の第四隊長。
グループ傘下であるシュナイダー社の人材公募プログラムで見出され、半年に満たない短期でヴェスパー上位に抜擢された類を見ない経歴の持ち主である。
彼は入隊以前に強化手術を受けており、詳細は不明だが本人の申告によると第八世代であるという。
アーキバス主導での「壁越え」作戦で、なり行きから強化人間C4-621と共闘。以来621を「戦友」と呼ぶようになる。
あと子供部屋おじさんである。
【星野アクア】
アクア「…………」
五反田「……ぶっちゃけどんな感じだった?」
なんか良い匂いした「アクア」
五反田「逆だ逆」
よく来てくれた。残念だが、原作のようなシリアスなどはじめからない。だまして悪いが、ギャグ小説なんでな。死んでもらおう。
【桐生紫音】
シオン君さぁ……君、主人公としての自覚ある?
一応この小説はアイをゲロインヒロインとしたラブコメでもあるわけ。なのに
【星野アイ】
だいたい全ての元凶。作中のシリアスの大半が彼女を端に発している。
アイ……てめえには何度も曇らされたなあ……(特にアニメ第一話)
俺以外にも大勢いるぜ……てめえに曇らされた残りカスが……
教えてくれよ、どれだけ(ファンの情緒を)殺すつもりだ……?
話は変わりますが、読者の皆様の中には「何故佐藤社長には自身の存在を教えてアクアには教えないのか」と疑問に思い、本文中のアイの発言だけでは納得できない方もいることでしょう。
補足すると、アイはアクアに「自分のことは過去の事として乗り越えて、前を向いて未来を生きてほしい」と思い静観を選びました。自分の不始末によって起きてしまった事件であることは承知の上で、それでも子供達にはいつまでも死者に囚われてほしくないと思ったのです。
勿論本音を言えば今すぐ抱きしめたいし、何なら実体化したらすぐに抱きしめるつもりではいるが、それでもアイが既に故人であるという事実は覆らない。たとえ目に映り互いに触れ合えるようになったとしても、死者であるアイと生者であるアクアとルビーでは決して同じ時間を歩むことはできない。いつかどこかで再びの離別が訪れる。
死者は老いることも朽ちることもなく、未来に進まず停滞し続ける。しかしアクアとルビーは未来ある若者である。佐藤社長と決定的に異なる点は、これから待つ人生における時間の長さであり。その長い未来の時間を、それがプラスの感情にせよマイナスの感情にせよ、既に故人となったアイに引きずられたまま歩いていくことがないよう、一度完全に自分のことを振り切ってほしかった。だからこそアイは安易に自分の存在を暴露するのではなく、アクア自身の克己によってトラウマを乗り越えてもらうべく沈黙を選んだのだ。
……という感じの設定でお願いします。アイがそこまで考えるか? と思ったそこの貴方、こちらの世界線のアイは生前から数えて既に十二年も経過した立派な三十路の大人なので、原作時点のアイより深く物事を考えることができるようになっているのです。
……なに? 立派な大人は逆光源氏計画を企図したりしない? それはそう。