傍に立つ君は完璧で究極のアイドル   作:カミキヒカラナイ

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明けましておめでとうございます(激遅新年挨拶並感)

受験勉強+過去一の難産回で投稿に時間がかかってしまいました。申し訳ございません。
疫病神ちゃんが腹を切ってお詫びいたします。

いやぁ……推しの子が遂に完結しましたね……。寂しいなぁ。欲は言わないからONEPIECE並みに続いてくれんかなぁ。
ちなみに作者は最終巻を読まないという“縛り”を設けることで受験戦争を有利に進める拡張術式を実行しているので、申し訳ありませんが感想欄でのネタバレはお控えください。受験が終わったらゆっくり読みます。



32.終幕(下):二つの巨星(ファタール)

 誰も予想だにしなかったキザミの覚醒。あらゆる攻撃を受け止め跳ね返す岩の刃により、盟刀“神喰(かみは)み”は鍔姫(つばき)の手から零れ落ち地面に転がる。

 依然として鍔姫自身は無傷のまま。しかし好機には違いなかった。普通に考えて、剣士の手から刀が失われれば大幅な戦力の低下は免れない。

 

 故にその後のブレイドの行動に落ち度はなかった。この好機を逃すまいと積極的な攻勢に出た彼を誰が責められよう。配下の作ってくれた絶好の機会を無駄にはすまいという意識も働いたのだろう、彼の行動は素早かった。

 

 一ノ刃“疾風刃雷”──ブレイドが盟刀“風丸”を手にして初めて開眼した基本の技にして奥義。真空を纏った刃の切っ先から紫電が奔り、得物を失った鍔姫を襲う。

 

()ァッ──!」

 

 しかし、風の刃は鍔姫の一喝で吹き散らされる。衝撃を伴う大音声が会場を揺らし、思わぬ反撃を受けたブレイドは怯んだ様子で踏鞴(たたら)を踏む。

 

 直後、これまで以上の凄まじい衝撃が大地を揺らす。グラグラと揺れる感覚は錯覚ではない。その踏み込みの衝撃は舞台を貫き、土台ごと建物を揺るがし文字通りに大地を震撼させていた。これで何故舞台が壊れないのか不思議に思える程の衝撃が辺りを襲い、危機感を覚えた観客の騒めきが広がる。

 

 だが彼らは直ぐに知ることになる。この程度の地揺らしなど、本気の鍔姫(シオン)にとってはほんの手遊び程度に過ぎないのだと。

 

「……戦場で得物を取り落としたのは初めてだ。見事だ、“磐石(いわむら)”の担い手よ。そして誇るが良い、この私に──本気を出させたことを」

 

「行儀のよい振りは、もうやめだ」

 

 鍔姫は“神喰(かみは)み”を拾いに行く素振りを見せず……どころか左手に槍代わりに握っていた軍旗からすら手を離し、完全な無手に移行する。そのまま彼女の一撃を受け止めたことで満身創痍となったキザミの服の襟を掴むと、鍔姫はグッと力強く床を踏み締め身体を沈める。

 

 ドン、と地響きと共にくぐもったような鈍い音が響き渡り。

 次の瞬間、鍔姫とキザミの姿は遥か上空にあった。

 

 えっ、と誰かの呆気にとられた声が上がる。

 えっ、とキザミの呆然とした声が上がる。

 

 キザミを掴んだまま天高く跳躍した鍔姫は、天井スレスレに達した所で強烈な後ろ蹴りを放ち大気の壁を蹴りつける。下方向への加速力を得た彼女は、まるで弾丸のような速度で地面に向かって急降下した。

 

「うッ……うおおおおおおおおおおおお!!??」

 

 そして、この一連の流れはキザミ(メルト)にとって全く慮外の出来事であり。

 即ち、完膚なきまでのアドリブだった。

 

 

 ッッッドンッッッ!!!! という凄まじい衝撃が舞台を揺るがした。火薬の炸裂にも匹敵しようかという爆音が轟き、生じた衝撃波と風圧が観客の肌を激しく叩く。

 

 その光景を見て、刀鬼(アクア)は舞台袖での一幕を思い出していた。

 

 

「桐生、手抜いてるだろ。本気出していいよ」

「えっ?」

 

 姫川の何の脈絡もないその一言に、シオンはきょとんとした顔で小首を傾げる。その表情と小動物じみた仕草を見たあかねが口元を押さえて身悶えしているのを努めて無視しつつ、アクアは突拍子もないことを言い出した姫川に白い目を向けた。

 

「自殺志願者ですか?」

「失礼だな、俺は本気だよ。コイツの才能は理解したが、俺にも一応プライドはある。遠慮されて共演者が本気を出せないなんてなったら仮にも主演の立場がないだろ?」

 

 それとこれとは話が別だと思ったが、姫川の目が本気であることを見て取ったアクアは口を噤む。つい先程まで控え室でグッタリしていた者の発言とは思えないが、アクアは大人なので敢えてそれを指摘することはしなかった。

 

「で、でも……良いんですか? 多分かなり派手なことになりますけど……」

「最高じゃねぇか。観客との物理的距離がネックになる演劇で派手なことは重要だぞ。俺はこの舞台を最高のものにしたい……これでも演技力に関してはお前より上だという自負がある。いくらでも合わせるから、桐生は好きに暴れてくれ」

「わ、分かりました! じゃあ、アクション部分でアドリブ入れますね。絶対に怪我はさせないので、安心して演技に集中してください!」

 

 やめた方が良いと思うけどなぁ、と思いつつ、盛り上がっているところにわざわざ水を差す必要もあるまいとアクアは声を上げることはしなかった。今は後悔している。よりにもよってそのアドリブの第一被害者が姫川でなくメルトになるとは流石のアクアにとっても予想外だった。完全に貰い事故である。見ろよあれ完全に気絶してるよ。白目剥いちゃって可哀想に……

 

 

「き……キザミィィィ────!!」

 

 ブレイドが声を掛けるも、十メートル以上の高さから激しく床に叩きつけられたキザミは完全に気を失っていた。死んでもおかしくないと言うか、普通に死んでいてしかるべき勢いで落下したキザミだったが、彼の身体は元より、不思議なことに舞台にも一切の損傷はなかった。しかしこれを見ている金田一(きんだいち)の胃は酷いことになっているだろう。

 

「今この瞬間は、力こそが全てだ。貴様らもまた“國盗り”を為し王たらんとするならば──」

 

 ギロリと紫の眼光が戦場を睥睨する。そこには追い詰められた者の焦りはない。得物を手放してなお、鍔姫は依然として絶対強者の眼差しで戦火の中心に君臨していた。

 

「示してみせろ。力こそ王の故よ──!」

 

 気絶したキザミを乱雑に舞台の端まで投げ捨てると、鍔姫は爆発的な加速でブレイドに迫る。両者の間にあった距離はたった一歩で踏み潰され、一瞬で肉薄した鍔姫の手刀が唸りを上げてブレイドに襲い掛かった。

 この動きは台本通り。シオンにはまだ咄嗟に台詞を改変するようなアドリブ力はないため、アクションが派手にスケールアップしても基本の動作や段取りが変わることはない。だから合わせること自体は簡単だった。どれだけ人間離れした動きと速度であろうと、何が起こるか分かっているのなら──あと心構えさえできていれば──見合った演技をするのは難しいことではない。

 

 ギィン、と甲高い金属音が炸裂し火花が飛び散る。鍔姫の手刀がブレイドを斬り裂くことはなかった。まるでそう来ることが分かっていたかのように素早く踏み込んだ刀鬼が両者の間に割って入り、手刀の一撃を防いだのだ。

 傍目には卓越した先読みにより鍔姫の攻撃からブレイドを守ったように見えたことだろう。勿論実際にはそんなことはなく、稽古の段階で何度も繰り返し練習したからこその動きだった。そうでなければシオンの速度についていけるわけがない。というか何故素手と刀がぶつかって火花が散るのだろうか。あと音おかしくねぇ? 何で金属音が鳴るんだよ──という内心はおくびにも出さず、アクアは刀鬼としての振る舞いを崩すことなく眼光鋭く鍔姫を睨み据える。

 

「良い反応だ。しかし、ふむ……もう少し面食らってくれるかと期待したのだが、何とも可愛げのない」

「『刀がなければ戦えぬ剣士に価値などない』……そう言って稽古の場で散々に俺をぶちのめしてくれたのはどこの誰だと思っている。貴女は無手の方が容赦のないことなど重々承知しているとも」

「フフ、そうだったな……もう随分と昔のことのように思える。どうだ、久しぶりに組手でもやるか?」

「冗談。盟刀(これ)があって初めて対等だ、貴女とは」

「勝算はあるか、当代“血族の刃”よ。お前の盟刀(それ)は、私を殺し得るか?」

 

 服の裾が激しく翻り、細く引き締まった脚線美が露わになる。しかし見惚れることは許されない。それは命を刈り取る死神の鎌に等しかった。

 素早く身を屈めた刀鬼の頭上を死の刃が通過する。回し蹴りだ。しかし蹴りというにはその威力はあまりに凄絶だった。轟ッッ!! と空気が粉砕され渦を巻く衝撃が頭上すれすれから降り注ぎ、刀鬼はその鉄面皮を僅かに引き攣らせた。

 

 今の蹴りは明らかにアクアが頭を下げるのを待ってから放たれていた。これは殺陣(たて)なのだから当然といえば当然だが、一連のアクションは全て事前の綿密な打ち合わせと稽古の上に行われている。故に万が一にもシオンが加減を間違えて()()を起こしてしまうことはあり得ない。何より彼の身体操作能力は常軌を逸している。針の穴に糸を通すような精密な動きを機械のように寸分違わず何千、何万回と繰り返して再現できることをアクアは知っていた。

 だがそれはそれ、これはこれ。たとえ銃口がこちらを向いておらずとも銃声が恐ろしく感じるのと同じだ。すぐ頭上を人間など容易く死に至らしめる威力の蹴りが通過したという事実は、それだけで十分にアクアの心胆を寒からしめていた。

 

(で、ここにアドリブが入るかもしれないんだろ? 悪夢かよ)

 

 来ると分かっていれば心構えもできようが、いつ来るかも分からぬアドリブに対してはそうもいかない。思わず素で悲鳴を上げたメルトを誰が責められよう。アクアは黒子に引きずられ既に舞台袖に去っていったであろうメルトに内心で合掌した。

 

 アクアの内心の戦慄を他所に舞台は進む。鍔姫は蹴りが空振ったと見るや素早く足を引き戻し、今度は強烈な中段蹴りを繰り出した。

 刀鬼はそれを半身になって躱す。ボッッ!! と空気が抉れる異音が身体のすぐ横で鳴り響いた。風圧で身体が傾ぎそうになるのを踏ん張って耐える。

 

(こっっっっっわ)

 

 ちらりと観客席に視線を向ける。そこには一様に唖然呆然といった表情が並んでいた。

 気持ちはよく分かる。一撃一撃に砲弾もかくやという威力があることが容易に見て取れる、放たれる度に空気の爆ぜる轟音を立てる細い手足。躍動する肉体に漲る存在の熱量(エネルギー)は天井知らずの上昇を続けている。

 

 戦争映画に本物の戦場を用意するような、アメコミ映画に本物のスーパーマンを起用するが如き無理無体。本当に冗談のような存在だ。幻想の演出に真実味を持たせることにかけて彼の右に出る者はこの世に存在しない。畢竟(ひっきょう)、本物に勝るリアリティは存在しないからだ。

 

 だが、これは鍔姫の独り舞台ではない。彼女には彼女の、刀鬼には刀鬼の役割がある。ここで彼に課せられた役割は、鍔姫の身にたった一つの傷を負わせること。

 

「シィ──ッ」

 

 受け身の演技はそろそろ終わりだ。刀鬼は鋭い呼気を放ち、これまで以上の気合いを満身に行き渡らせつつ力強く地面を踏みしめる。

 

 ふわり、と何か温かいものに包み込まれるような感覚を覚えた。

 

 次の瞬間、強烈な加速が全身に掛かり、景色が急速に後方に流れる。己のものでない何らかの力の後押しを受け、アクアの身体は凄まじい勢いで前方へと押し出された。

 仕組みとしては鞘姫やつるぎ、雑兵達が先程からポンポン空を舞ってるのと同じものだ。超能力者であるシオンの念動力によって、あたかも凄まじい脚力によって間合いを詰めたように見せかけたのである。

 

 自分の意思とは関係なく身体が動くという感覚は何度やっても慣れないものだ。しかし度重なる稽古によって半ば自動的に手足は動き、刀鬼はすれ違い様に刀を振り抜いた。

 

 そして引き伸ばされる感覚の中、アクアは辛うじてそれを目にすることができた。

 勢い良く振り抜かれる刀の切っ先が寸分違わず鍔姫の頬すれすれを掠めるように通過したその瞬間、彼女の腕が動く。あまりの速さに一瞬だけブレたようにしか見えなかったが、確かに鍔姫の腕が高速で動くのが見て取れた。

 

 事前の打ち合わせにはない動き。しかしそれを疑問に思う間もなく……アクアの視界に、鮮烈な赤が舞った。

 

「な…………」

 

 思わず呆けたように息を呑んだアクアを誰が責められよう。

 老若男女問わず見る者を陶然とさせずにはおかない、魔的という表現ですら陳腐に思える窮極の美貌に走った、一筋の裂傷。白い肌に深く刻まれた赤い線から鮮血が滴り落ちた。

 

 それはこの戦いが始まってより初めての負傷。“完璧”に生じた綻びだった。

 

 瞬間、アクアの脳裏にかつて見た光景がフラッシュバックする。血に染まり冷たくなっていく、この世の何ものよりも輝いていた女の姿。

 

 星野アイ。永遠の憧れであり、敬愛する母であり、己が無力の象徴である墜落の星。

 

「────ッ!!」

 

 星は砕け地に堕ちる。

 遠い日に感じた無力さが、この身を焼き焦がさんばかりの絶望が蘇る。

 

「ふ……ク、ハハハハハハハ────!」

 

 今にも飛びそうだった意識を引き戻したのは、破裂するような哄笑だった。

 ハッと焦点が合わさり、目の前で大笑する人物の姿が克明に浮かび上がる。アイによく似た星の光を両目に湛える、だがアイとは似ても似つかぬ覇気を身に帯びた少女……否、少年の姿が。

 

「素晴らしい! そうだ、戦いとはこうでなくてはならん! 一方的な殺戮など何が楽しいものか! 互いが互いの肉体を傷付け血を流させる資格を有した者同士の骨肉の削り合い! それこそが闘争、それこそが戦争! 私の求めた戦士の社交場だ!」

 

 空気が壊れたのかと、誰もが思った。己が大なる火炎の中に放られたかのように感じたのだ。全身が粟立ち、説明のつかない発汗が促された。呼吸ができなかった。

 凄まじい威圧感が物理的な威力すら伴って放たれる。鍔姫が紫色の瞳で微笑んでいた。それは妖しいまでに美しく、危ういほどに底知れない。

 

 血化粧で赤く染まった頬を笑みの形に歪め、少女は刻まれた傷を言祝ぐように笑う。宝石のような赤紫色の瞳が、細められた目の中にキラキラと……まるで星の瞬きのように煌めいている。ズキリと頭の奥が痛みを発し、アクアは血の気が引くような感覚を味わう。

 

 ぐい、と鍔姫は親指の腹で乱暴に頬にできた傷を拭う。真っ赤な液体が指に付着し、だが血が拭われた後の肌には既に傷はなかった。そこでようやくアクアは今の怪我がシオンの自作自演……刀鬼が負わせた傷にリアリティを持たせるためのアドリブだったのだと気が付いた。

 

「お前は今、ようやく私の敵になった。倒すべき強大な勢力の、私の大事な素敵な宿敵となった」

 

 

「来たまえ、宿敵(とも)よ。勝負だ」

「言われずとも──!」

 

 

 アクアは鬼気迫る表情で駆け出した。血を見たことでその思考はいっそ凍りつきそうなほどに冷たく冴え渡っている。

 危うく刀鬼としての役に埋没しすぎてしまうところだった己を……()()()()()()()()()()()()己を律する。ここから先の演技に必要なのは刀鬼ではなく星野アクア自身の感情。十年の時を経ても変わらず燃焼し続ける昏い憎悪と悔悟の念だ。

 

「おいおい、あの女メチャクチャだな! 素手で刀鬼の奴とやり合ってるぞ!」

「分かっていたことです。姉さまは最強の剣士であり戦士……その強さは武具の有無を問いません。しかしようやく一方的だった勝敗の天秤はこちらに傾きました」

「あれっぽっちの傷で大勢が覆ると?」

「普通ならばあの程度の傷など何ら戦況に影響しないでしょう。しかし刀鬼ならば僅かな傷からも勝機を見出せる。何故なら彼の盟刀は敵の血を吸うごとに持ち主を強化する妖刀なのです」

 

 盟刀“荒刃々鬼(あらはばき)”。それは“支配者の剣”と対をなす“命奪の剣”。鞘姫の盟刀が受けた傷を他者に押し付けるのに対し、刀鬼の盟刀は敵に与えた傷を己が力とする能力を有する。

 この能力が故に刀鬼は渋谷クラスタにおいて白兵戦最強の名を(ほしいまま)にしているのだ。刀鬼に勝つためには一切の傷を負ってはならない。しかし首領の懐刀たらんと幼少期より厳しい鍛錬を積んできた刀鬼の剣技は卓越しており、彼を相手にして無傷で済ませるというのは困難を極めるだろう。

 

 盟刀“荒刃々鬼(あらはばき)”を振るう刀鬼を相手に有利に立てるのは、受けた傷をなかったことにしてしまえる鞘姫か、鬼と人の身体能力差を覆すほどの卓抜した技量を有するブレイドぐらいしか存在しない。

 

 故に、そもそも傷を付けることすら不可能なまでに圧倒的な力量差がある鍔姫の存在は、刀鬼にとって紛れもなく天敵だった。しかし同時に、唯一彼女を打倒する可能性を有するのも刀鬼だけだった。盟刀“荒刃々鬼(あらはばき)”を振るう刀鬼だけが、あの天賦の肉体に迫れる可能性を秘めている。

 そのためには鍔姫に傷を負わせることが絶対条件だった。そしてそれはキザミの覚醒によって当初の想定より早くに果たされる。尋常ならざる肉体の治癒能力によって即座に回復してしまう程度の手傷ではあったが、それは紛れもなく千丈の堤に空いた蟻の一穴だった。

 

「オオオオッ!!」

「先程までより格段に身体能力が向上している……なるほど、それがお前の盟刀の力か」

 

 冷えきっている思考とは裏腹に、アクアはその身に不思議な温かさを感じていた。どこか懐かしさを覚える……まるで母の腕に抱かれているような、心が温かくなるような熱が背中からじわりと全身に広がっていく。

 その感覚はかつて一度だけシオンから受けた霊能マッサージのものと酷似しており、事実同じものだった。触れてもいないのにどうやっているのかアクアには見当もつかないが、そういうものだと事前に説明を受けていたため驚きはない。

 

 少し全力で動けば使い切ってしまう程度の量に調節された生命力が流れ込み、この一瞬だけの怪力乱神がアクアの身に齎される。全能感にも似た気力の充実が心身を満たし、人ならざる剛力が四肢に宿る。まるで焚き火の中に薪が爆ぜるかのように、生命の火が燃え盛り力を放つ。

 

(これが有馬達が感じている感覚……)

 

 厳しい鍛錬(スパルタレッスン)でこの力を我が物としたB小町の面々と異なり、どうしても付け焼き刃にならざるを得ないアクアは身に余る生命力に振り回される。力の全貌が分からないのに加減などしようがない。一振りの度に刃が風を切る音が鳴り響き、当たり前のように音速を超える切っ先は客席にまで届く颶風を巻き起こす。桁外れの身体能力による剣舞は殺陣(たて)の枠を超え、人外の暴力となって死の気配を振り撒いた。

 

 観客は唐突に動きのキレを増した刀鬼の剣技に圧倒されるばかりだった。これまでも殺陣師顔負けの動きを見せていたが、今はその比ではない。常人の動体視力ではコマ送りのようにしか見えない神速の足運び、もはや目視不可能な速度の剣技は耳を(ろう)する風切り音によって破滅的な威力を物語る。

 それはまさしく“血族の刃”と呼ばれ恐れられた首領の懐刀、渋谷クラスタ最強の剣士たる刀鬼の姿そのものだった。氷のように冷徹で感情の起伏が少ない寡黙な性格とは裏腹に、ひとたび刀を取れば鬼神の如き力で敵対者を喰らい踏み潰すつるぎをも超える生粋のパワーファイター。舞台の上で圧倒的な暴力を見せつけるアクアの姿は、まさに本物の刀鬼が物語から現実の上に飛び出してきたかのようだった。

 

 だからこそ鍔姫の異常性が際立っていた。模造刀は軽量プラスチックや発泡スチロールで出来ているわけではないのだ。刃のない非鉄金属であるというだけで、その重量は一キロ近くはある。それと平然と素手で打ち合う姿はあまりに現実感がない。

 

 闇色の髪を揺らし、戦外套の下に細く可憐な体躯を躍動させて、軽甲冑の金属音も勇ましく戦士の威を示す。誰もがその勇姿を見ずにはいられない。言葉に耳を澄まさずにはいられない。己の命を熱くさせずにはいられないのだ。魂を火炎の如くして怯む素振りもないが、それは無感覚という意味ではない。むしろ逆だ。誰よりも鋭敏に全てを感知するが故に極所へと至り、そこへ至ったからこそ巨大とならざるを得なかったのではあるまいか。

 だから言葉が響くのだ。授かり物の力ではないから、得てそれまでの力ではないから、その声には魔訶の威が乗る。遥かなものを思わせる。聞く者の胸に火を灯す。

 

 その姿を見て、アクアは思いを馳せずにはいられなかった。誰の手も届かぬ遥か高みで輝く一番星。姿形ではなく、その在り様で以て誰をも熱くさせ、誰からも隔絶していたアイと彼の姿が重なって仕方ない。

 いつもそうだ。シオンの姿を目にする度、アクアは否応なくアイのことを思い出してしまう。輝かしい記憶、焦がれるような想い……この身を狂おしく責め苛む絶望を。

 

 怒りや憎悪などの負の感情は時間と共に風化していくものだ。アクアとてそれは例外ではない。アイを亡くして間もない頃は寝ても覚めても復讐のことしか考えていなかったものだが、それでも人は()()()生き物である。家族と話している時、学校で授業を受けている時、稽古に打ち込んでいる時……この十年を復讐に生きてきたアクアをしてふとした瞬間にアイのことを考えていない時がある。常に頭の片隅で燃え盛っている復讐の炎が、束の間その熱を失うことがあった。

 

 それは不思議なことではない。常に憎悪を滾らせていられるほどアクアの心は強くないのだ。

 しかしシオンを前にしてしまうとどうしても意識してしまう。その才の輝きを目の当たりにする度に、アクアの心には亀裂が走る。アイが生きていれば、きっと同じように今も眩く輝いていただろうに、と。

 

 何度となく都合の良い妄想に逃げそうになった。

 実はシオンは自分達と同じ転生者で、アイの生まれ変わりなのではないだろうか──年代が合わないことなど、考えるまでもなく明白なのに。

 

 下手な理屈で自分を納得させようとした回数は数知れない。

 死は覆らず、失ったものは戻らない。ならば、アイにも匹敵する天性の才がまた再び現れたことを喜ぶべきだ──何を馬鹿な。アクアが愛し憧れたのはアイであってアイの才能ではない。

 

「はは、楽しいなぁ刀鬼! お前は私を傷付け、殺すことができる! 鉄火の戦場! 心躍る宿敵! これこそ戦士の喜び! 英雄たる者の誉れだ!」

 

 ああ……本当に。

 桐生紫音。シオン。お前はどうして、そんなにも輝かしい。

 

 アイと同じ色の瞳に、アイと同じ星の煌めきを湛えて。

 

 戦場の粉塵に塗れた狂気の表情で、血に濡れたような台詞を口にしながら。

 

 どうして、そうも優しく微笑むんだ──

 

「えっ……」

 

 その声は誰のものだったろうか。

 刀鬼の主としてその背を見守っていた黒川あかねか。アクアの荒々しい殺陣に目を奪われていた有馬かなか。それとも観客の誰かか。

 

 刀鬼が、アクアが泣いていた。遠目からでも分かってしまうほどに、その瞳からは涙が滂沱として流れ落ちている。

 

 周囲から伝わる困惑を感じ取ってアクアは強く奥歯を噛み締めた。当然、ここで涙を流すことなど台本にはない。それでも流れる涙を抑えられなかった。アクアの心はとうに限界だったのだ。

 

 それはとても幼稚な涙だった。前世を医者として多くの患者と接し、今世を役者として人間の感情を学んだアクアには涙の種類が分かる。世の中には思うようにならないことが多くあり、それは思わぬ形で以て人に降り掛かるものだ。

 

 己の感情だからこそよく分かる。今も頬を濡らすこれは不承認の涙だった。かくも無惨な有様となった現実を前にして、それを認められずに泣いている。残酷な運命に悲嘆し、それを編んだ世界に憤っている。

 

 怒りも悲しみも十年前と変わらぬ熱量で胸の内に燻っているが、それを不用意に表に出すような真似をアクアは決してしない。泣いたところで現実は何も好転しないことを彼はよく知っているからだ。どうしようもない現実はいつだってそこにある。当たり前のことを当たり前と割り切らずに泣くのなら、それは幼さだ。そしてアクアはこのような場で感情を制御できずに涙を流してしまうような幼さとは無縁の男である。

 

 それでも涙を堪えられなかったのは何故かといえば、やはりその理由はシオンにある。

 

 十年の長きに渡って憎悪を滾らせ続けてきた少年の心はもう限界だった。彼の目には幻が見えていた。それはいつかの夢の中に見たものだ。

 アイだ。同い年の少年の姿に重なって、あの輝かしい女の姿が見える。一つの時代を築き、時代の熱狂の中に死んでいった女が、星のような煌めきを纏ってそこに立っていた。表情は慈しむような笑みを形作っている。シオンの微笑みはそのままにあるというのに、恒星の如き輝きを纏った幻像が確かにそこに屹立している。

 

 張り詰めた糸は些細な衝撃で容易く切れる。まさに張り詰めた糸のようだったアクアの心は、今この瞬間に均衡を失った。まず寒さを覚え、全身の力が虚脱していく落下感が後に続いた。内面にあっては陰惨な炎が音もなく燃え盛っている。

 

 アクアは時を失った。過去が大挙して己を呑み込み、現在も未来も暗く見えないものとなった。冷気と熱気とがアクアを挟んで咆哮を上げていた。

 

 それだけシオン(アイ)を傷付けるという行為はアクアの心に多大な負荷(ストレス)を掛けていたのだ。

 少年の姿にアイの虚像を幻視し、とうの昔に捨て去った幼さを蘇らせてしまうほどに。

 

(よりにもよってこんな時に……)

 

 シオンにアイの面影を見ているという自覚はあった。だから演技の上であっても彼を害することを心が忌避していた。頭と心が乖離し、その不均衡が精神的負荷となって演技に支障を来していた。

 それを解決するために何度も繰り返しシオンと稽古を繰り返したというのに。倒れて気を失ってしまうよりマシとはいえ、本番でこの様では何のために毎日のように協力してもらっていたのか分からない。

 

「お兄ちゃん……」

 

 観客席からそれを見ていたルビーは心配そうに眉根を寄せる。

 彼女もまた少年の姿に母の影を見ていたからこそ兄の涙の理由が分かる。それが演技でないことも。分かってしまうからこそ衝撃だった。

 

 ルビーから見て、星野アクアとは徹底して己の内面を他人に悟らせない寡黙な少年だ。

 他人とは己以外の全て。それは家族であっても例外ではない。養母であるミヤコは元より、紛れもない血縁であるルビーであってもどこか一線を引いてその全貌を明かさない。弱みを見せない。

 

 そんな兄が初めて見せた心の隙、弱さ。

 互いに同じ転生者、しかしより成熟した精神を持つ……明らかに自分と比べ“大人”であった少年。

 断じて、割り切ってなどいなかった。アクアもまたルビーと同じく、あるいはそれ以上に傷付き、その心の一部を十二年前に置いてきたままの、母を失い惑う子供だったのだ。

 

 誰が悪いかを論じるなら、間違いなくアイを死に追いやった何者かが一番悪い。

 しかし、この場における戦犯は間違いなくシオンだった。たとえアクア自身がそう思わなかったとしても、彼をここまで心理的に追い込んだ一因がシオンにあったことは間違いない。

 

 だが、アクアを限界に追い込んだのがシオンであるなら、悲しみと絶望に沈みゆく彼を現実に引き戻したのもまたシオンだった。

 

「──何を泣く、我が宿敵よ」

 

 静かな問い掛け。あかねは僅かに目を見開く。冷気を伴って響くそれは台本にない台詞、つまりはアドリブだった。

 台詞の改変を伴うアドリブには咄嗟の機転と、何よりも経験が求められる。才能はあれど、役者歴が短く経験に乏しいシオンには難しいはずのものだった。

 

 確かに経験は圧倒的に不足している。すぐさま機転を働かせられるほどに頭が良いわけでもない。

 しかし単純な思考速度を競うならば、シオンはこの世のどんな人間よりも優れていた。思考の速さとは要は脳内神経の情報伝達速度であり、常人であれば一瞬で神経線維が焼き切れるほどの活動電流を走らせたところでシオンの強靭極まる神経は小揺るぎもしない。

 

 シオンの理解力や発想力は常人の域を出ない。テストの点数に関わるような学才や、創造的な閃きといったものは彼にはない。しかし思考速度の一点において彼はまさに天才的だった。

 つまりシオンは肉体的に頭が良い。常人であれば一時間の熟慮熟考を要するものを数分にまで縮めた上で独創的に飛躍させるのが天才の思考力とするなら、彼は出せる結論こそ常識の範疇を逸脱することはないが、かかる時間を刹那にまで圧縮することができた。

 

 体感にして三十分程度、現実時間にしてゼロコンマ一秒以下の熟考の末。アクアの現在の精神状態を勘案した上で、どのような台詞回しを行えば自然に台本に回帰できるかを考え、シオンはアドリブを実行に移した。

 

「敗北と死を目前にした者が流す怯懦の涙ではない。よもや……惜別の涙とでも言うつもりではあるまいな?」

 

 瞬間、眼前で爆発的に膨れ上がった感情の熱を受けてアクアは我に返った。返らざるを得なかった。それは生存本能によるものだった。

 

 シオンが現状を打開するために出した結論は──あらゆる悲嘆の感情を思考の端に追いやるほどの、圧倒的な恐怖を与えること。

 即ち、人間の危機感知能力を刺激することで生存本能を喚起し、強制的に現実に立ち返らせる……あまりにもあんまりな力技だった。

 

 炎が立ち上ったかに見えた。憤怒の炎だ。アクアはそれを幻であるとすぐに理解したが、多くの者が同様にその威圧を感じていた。熱をすら覚えた。それは衣服を通り抜けて肌身に直撃していた。

 

 場の雰囲気が一変していた。ただの注目ではなくなっていた。演者と観客合わせて千三百余りという人間が、今、たった一人の少年に息を呑んでいる……アクアはそれを感じ取っていた。身体が震えていた。それは純粋に恐怖だった。敬愛していた者の本質は想像以上に恐ろしかったのだ。

 

 しかしアクアは踏み止まる。それはきっとこの場にいる演者達も同じだろうと彼は思った。

 彼らは知る。シオンのこれまでを。彼らは知る。今シオンが見せる心火が彼の全てではないことを。そしてまた思うのだ。期待していると言ってもいい。

 

 シオンはこの激怒の炎すらも、その巨大なる魂の膂力とでもいったもので把握している。振り回されてはいない。振るっているに過ぎない。限界を迎えてはいない。シオンはここに終わらない。

 まだだ。これですらまだ彼の本気ではないのだ。これですらまだ途上であり、まだ先がある。アクアは思う。これは信仰だろうか。否、これは確信だ。

 

 ならば、こんなところで絶望に暮れている場合などではない。ようやく己を取り戻したアクアは、手から零れ落ちそうになっていた刀の柄を強く握り直した。

 

「この私を前にして惜別の涙を流すとは、随分と付け上がったものだな。もう勝ったつもりか? それは傲慢というものだぞ、刀鬼」

 

 怒りによるものか、黒髪が怪しげに揺れ始めた。冷気すら伴って静かに響くその声には内側に溶岩の如き熱量が秘められている。囁くような声であるはずのものが、どうしてか耳元に聞こえるかのようだった。

 

「……その通りだ。俺はもう勝ったつもりでいる。()()()()()()()。この戦争は未曾有の大勝として歴史に名を刻まれることになるだろう」

 

 鍔姫から押し寄せる威風に気圧されることなく、刀鬼はそう断言した。

 その壮大さすら感じさせる断言に、鍔姫は地面を揺らすかのようだった──実際に揺れていた──赫怒の圧力を内に収める。鍔姫の知る刀鬼という男は本質的に飢えて戦う者だった。刃の上に身命を乗せ、研ぎ澄ませた牙で以て血肉を喰らう者だった。牙狼は餓狼であり、瞬間の戦いに全身全霊を以て当たることが本当の彼らしさだった。

 

 そんな彼が、敵の息の根が止まるのを待たずして勝利を確信している。ならば、そこには何らかの根拠があるはずだった。鍔姫の表情に笑みが戻る。

 

「ならば見せてみろ! 何がお前に勝利を確信させるのか!」

 

 鍔姫の台詞が台本に合流する。本来であれば余裕を見せる刀鬼の表情を受けての発言であったところのそれを、彼の流す涙をその理由とすることで再構築したのだ。

 

(二人とも上手い……経験不足をものともせず即座にアドリブを構築したシオン君の機転もすごいけど、不安定な精神状態を立て直してすぐ様シオン君の台詞に合わせたアクア君の「受け」の技術も並外れてる)

 

 あかねは思わず感嘆のため息を吐いた。

 

 まだ雰囲気(オーラ)で押し切った感の拭えないシオンのアドリブに対し、アクアの返しにはまるで最初からそういう台本であったかのような自然さがあった。精神的に不安定な状態からの切り返しとしては望み得る最上の台詞回しと言えよう。流石に芸歴十二年の役者が持つ咄嗟の引き出しの多様さは目を見張るものがある。

 発端であるアクアの精神的不調は憂慮すべき事態だが、それを帳消しにするほどに今し方のリカバリーは見事だった。瞬時に流れを変えたシオンの機転と、それを受けて理想的な調整を為したアクアの受けの技術。阿吽の呼吸というべきか、それはまさに理想的な補完関係だった。

 

 あかねの視線の先ではシオン演じる鍔姫が刀鬼に躍りかかっている。小柄な体躯に反してまるで巨大な壁が迫ってくるような凄まじい威圧感だ。

 

 繰り出すのは右回し蹴り。どうやってか空中で独楽のように回転し、その回転の勢いのまま稲妻のような蹴撃を刀鬼目掛けて放った。

 

 それを刀鬼は掲げた左腕で防ぐ。肉と肉がぶつかったにしてはあまりに硬質な音が鳴り響き、その激突は衝撃波となって会場を揺らした。

 

「なに──?」

 

 だが、無傷。常人であれば破裂した水風船の如く散華してしかるべき威力。たとえ肉体的に強靭な鬼族であっても防御した腕が微塵に砕けるであろう豪脚を食らい……だが刀鬼はそれを全くの無傷で耐え凌いだ。

 “荒刃々鬼(あらはばき)”による肉体強化を加味してもあまりに不可解な耐久力だ。たとえ“磐石(いわむら)”の能力であってもここまで完璧に鍔姫の剛力を防ぐことは不可能だろう。

 

 しかし鍔姫は見た。視界の端で、鞘姫が不自然に身体を傾がせたのを。その表情は痛みを堪えるかのように顰められている。

 

「そうか、傷移しの鞘。随分と懐かしい。そういえばその刀はお前が継承したのだったな」

「……その通りです。我が盟刀“久那刀(くなと)”の力により、刀鬼の受けた傷を私に移しました」

 

 己が受けた傷を他者に押し付ける“支配者の剣”の能力──その反転奥義。他者の受けた傷を己に移す身代わりの技である。

 それを鍔姫はよく知っている。かつて彼女自身も同じ技を用い、配下の傷を一身に引き受けることで不死身の軍勢を実現していたからだ。

 

「だが、それが叶ったのは私が人より肉体的に強靭に生まれついたが故の力技だった。お前はそうではあるまい、鞘姫。何故今の一撃を受けて五体満足でいられる? 何故お前の左腕はその形を保っている?」

 

 刀鬼の傷を引き受けた……そこまでは良い。しかしそうであるならば、鞘姫が未だに五体満足でいることが不可解だった。

 今し方の一撃は盟刀の肉体強化を加味しても刀鬼の左腕を粉砕して余りあるものだった。ならばそれを引き受けた鞘姫の左腕は代わりに粉砕されてしかるべきである。

 

「──簡単なことです。私が受けた傷を配下に移し替えただけ……それがこの刀の本来の使い方でしょう?」

「……そういうことか。能力反転により傷を引き受け、能力順転で傷を押し付ける! 反転と順転の連続使用とは器用なことを……!」

 

 能力反転“損傷収受”。

 能力順転“損傷譲与”。

 鞘姫の身体を中継器とし、刀鬼の傷を無数の配下の身体に分散させて受け流したのだ。負傷を引き受けてから移し替えるまでのタイムラグで鞘姫にも多少のダメージは残ってしまうが、そのまま一身に引き受けるより遥かに軽傷で済む。

 

「だが、それでは変換効率が悪い。よほど押し付ける先が多いのでもなければ満足な傷移しなど……いや、そうか。連合軍なのだったな、お前達は」

「はい、今や我々は渋谷と新宿合わせて五万の大軍勢です。押し付ける先には困りません……あまり趣味ではありませんが」

 

 人体など容易く爆砕させて余りある鍔姫の一撃とはいえ、五万分の一にまで低減させてしまえば一兵卒でも耐えられる。盟刀使い基準ならば無傷にも等しいだろう。

 そしてダメージをなかったことにしてしまえるのなら……“命奪の剣”により無限に強化されていく刀鬼が鍔姫を上回るのは時間の問題となる。

 

「理解したか、鍔姫。これが確信の根拠だ」

 

 刀鬼が刀を一閃させる。その一刀は先ほどまでより更に速く鋭い。鍔姫は素早く身を翻したが、避けきれず首筋に赤い線が刻まれる。

 鮮紅色が舞い、更に動作のキレを増す刀鬼。もはや観客の目には細かな挙動は映らず、ただ刃の残光だけが剣戟の凄まじさを物語っている。

 

 鍔姫も負けじと応戦する。足は風、手は風、五体(これ)全て旋風(かぜ)。細く優美な手足は颶風を纏い旋風の加速を得て刃と化す。

 あらゆる武に精通する鍔姫の五体は全てが刃であり鈍器であり槍である。その足刀は鋼を断ち、その拳打は岩塊を砕き、その貫手は城壁を穿つ。

 

 そんな最強の戦士が攻め(あぐ)ねていた。最初は圧倒していたものが、徐々に互角に持ち込まれ……今やその力関係は逆転しつつある。激しい攻防の中で明らかに刀鬼の攻撃が通る場面が増え始めていた。

 

 あらゆる負傷は鞘姫を通して全ての将兵に分散され、刀鬼の身を脅かすことはない。故に刀鬼は一切の傷を無視して攻撃に専念することができた。鍔姫が刀鬼からの攻撃に少なくない手数を割くことを強制される中、彼だけは全ての渾身を攻めに費やすことができる……そのアドバンテージは果てしなく大きい。

 加速度的に鍔姫の負傷は増えていき、流れる血が刀鬼を強化する。そして強化されるだけ刀鬼の攻撃は鍔姫に通りやすくなり、更に強靭になった彼の肉体は鍔姫の攻撃をも寄せ付けず、結果として鞘姫達の負担も減るという好循環が生まれていた。

 

 敵の血肉を喰らい自己を強化する命奪剣“荒刃々鬼(あらはばき)”。

 受けた傷を配下に移し主を不死身と成す支配剣“久那刀(くなと)”。

 

 二十一ある盟刀の中でも特にその異質な能力から“妖刀”と恐れられる兄弟剣、それがこの二刀だ。しかし兄弟剣と呼ばれながらも、これまでの歴史の中でこの二振りの盟刀が同時に運用されたことはなかった。

 その真価がまさに今、この上ない形で発揮されている。主を不死身に変えるが決定打となる攻撃能力のない“久那刀(くなと)”は“荒刃々鬼(あらはばき)”という矛を得た。攻撃性と継戦能力に特化しているものの、敵に血を流させるまではただの刀でしかない“荒刃々鬼(あらはばき)”は“久那刀(くなと)”という盾を得た。両刀の力が合一し、その刃は今や“神喰(かみは)み”の担い手たる最強の剣士をも凌駕しつつある。

 

「……なるほど、強いな。これが今の渋谷か」

 

 感慨深げに呟かれた声は、一際大きく響いた金属音によって掻き消される。

 

 剛剣は千技の妙を断ち切る。まさに万象一切を一刀の下に断ち切らんばかりの剛剣が炸裂し、薙ぎ払いの一閃が鍔姫の防御を打ち砕いた。

 これまでただの一太刀たりとも急所に届かせなかった鉄壁の防御が打ち砕かれ、今、刀鬼の目の前には鍔姫の華奢な胴体が無防備に晒されている。

 

 それは、この激しくも美しい撃剣の舞の終局を意味していた。

 

(──この無防備な胴を突けば終わる)

 

 この瞬間、刀鬼の力は鍔姫を上回っている。相手に素手というハンデがあろうと関係ない。ここは戦場だ。戦場にあっては命など獲得する戦果の一単位でしかなく、故にそこに慈悲はない。慈悲を乞うこともない。過去がどうあれ今や鍔姫は渋谷と世界の敵であり、己はそれを打倒するためにここにいる。それでも刀鬼は……アクアは、冷淡な意識の内に張り裂けそうになる心の悲鳴を堪えられなかった。

 

 今から刀鬼は、アクアは、鍔姫を、シオンを、星の瞳の君を殺す。鋼の刃でその腹腔を刺して殺す。かつてアイがそうなったように。かつてあの(ストーカー)がそうしたように。

 

 この手にはまだあの時の感触が残っている。一秒ごとに零れ落ちていく命の熱。もはや物言わぬ愛しき女の、(むくろ)の冷たさを。

 あれから十年以上の時が過ぎた。慣れはする。目で見たものも耳で聞いたものもやがては有象無象の中に忘れていける。鼻で嗅いだものなどはそもそも覚えることもできやしない。

 

 しかし、感触だけは駄目だ。最も深く響くのは熱である。触れて温かかったものが冷えてしまう体験はやりきれない。確かにさっきまでは熱を持っていたのに、一度その熱が失われたならば、もはや決して戻ることはない。触れていた手だけが寒々しく残るのだ。

 

 アクアは今でも夢に見る。輝かしい道を行くはずだった星の光は砕かれてしまった。悪夢だった。彼女在りし日々の輝きと、彼女失いし日々の暗闇と、その落差は絶望的に思えた。

 

 代われるものなら代わってやりたかった。可能ならば今からでも代わってやりたい。この十二年間、アクアはそんな悲嘆に取り憑かれたままに生きてきた。今この瞬間もその暗黒は胸中に(わだかま)っており、それはもう墓場まで伴い行くものと悟っている。疼きが消える時は死す時だ。

 

 アクアの傷は深く深く心の深奥にまで届いている。触れて揺すれば今にも新鮮な血を吐き出すだろう。そしてシオンはただそこにいるだけで、ただあるがままに輝いているだけでアクアの胸の傷を疼かせる。

 

 そして今、この舞台はシオンを目前とするアクアに二つの覚悟を迫っていた。彼という火を受け容れる覚悟と、その火を世界へと放つ覚悟だ。

 もはやアクアはシオンとは無関係ではいられない。アクアはそれを十分に理解していた。本当の出会いは不可逆なものだ。もう出会う以前に戻ることなどできはしない。受容するか拒絶するかしかないのだ。

 

 この舞台の成功はシオンというタレントに更なる飛躍を齎すだろう。彼の溢れんばかりの才の輝きはいや増すばかりだろう。アイなき世界で、彼はまるでアイに取って代わるかの如く輝き続けるだろう。

 

 その輝かしい未来を、在りし日を急速に過去にせんばかりに加速する世界を、アクアは受容できるのか。

 

 逡巡は一瞬だった。アクアは……刀鬼は手に持つ柄を顔の横へと持ち上げて、刃を寝かせるようにしてその切っ先を眼前の少女へと向ける。それは運命に指先で触れる行為だった。

 

「おおおおおおォォ────ッッ!!!!」

 

 我知らず咆哮を上げていた。そうでもしなければ動けなかった。喉よ裂けよとばかりに迸る喊声はビリビリと大気を震わせる。それは咆哮というよりは絶叫というべきもので、観客の耳には真実それが悲鳴であるように聞こえた。明らかに深手を負っているのは鍔姫の方なのに、観客の目には刀鬼こそが血に塗れているように見えていた。

 

 強烈な踏み込みで以て刃を寝かせた平突きが放たれる。

 鈍い音が鳴り、運命の刃は少女を貫いた。

 

「…………ぁ、…………」

 

 本当に刺したわけではない。そもそも尋常の刃ではシオンの身体を貫けない。身体全体で刺突する刃を覆い隠し、脇を通った刃先を背後に伸ばして貫いたように見せる。古典的な演出技法だ。

 それでも、確かにアクアは己の意思で刃を突き入れたのだ。実際に傷付けたかどうかなど関係ない。魂が砕けるような絶望が全身を襲い、呆然とした声が喉から零れ出る。

 

 力を失った少女の身体が(もた)れかかる。あまりにも軽い体重を受け止めた刀鬼の耳元で、掠れた声が優しく響いた。

 

「強く、なりましたね……刀鬼……」

「─────────ッッッ!!!!」

 

 慟哭が響き渡る。第三者に過ぎない観客をして思わず絶望の淵に落とされるような、演技というにはあまりに真に迫った破鐘(われがね)の声が魂を震わせる。それは獣の悲鳴のようだった。

 

 かくして復讐の炎で世界をも焼き尽くさんとした血鬼の企みは潰える。

 奇跡とは悲惨の内に生じるものなのか。地上で最も王の座に近かった最強の剣士を討ち取るという未曾有の大戦果を上げた男は、道を失った童のように泣き喚いていた。

 

 刀鬼(アクア)は幻覚に苛まれていた。幻が時の前後も天地の上下も整えず、無数の泡沫のようにして出現と消滅を繰り返していて、酔う。際限なく立ち現れる再現を、己の正体も何もかも判別のつかないままに見せつけられていて、惑う。追憶というにはあまりにも膨大で、長く、強引なそれらが実体験によるものなのか、強制された幻の中に見たものなのかすらもはや分からない。全てが遠く、意味も価値も判別できない虚空に浮かんでいるかのようだった。

 

 少年は笑った。泣きながら笑った。

 これは最後の爪弾きだ。アクアはどうあってもアイを忘れることなどできやしないが、それでも一つの区切りをつけた。これは確かに過去との訣別だった。紛れもない一つの進歩だった。

 

 遠い日に感じた狂おしいほどの無力さを。身を焼かれるようなあの日の絶望を。絶えず膿み続ける喪失の傷の痛みさえ、感情演技という武器にしてみせる。アクアはこの舞台でその覚悟を得た。

 次の舞台では──きっと、もっと上手くやってみせる。

 

(見ていてくれたか、アイ。俺は……僕は……この舞台(せかい)で足掻くことをやめないよ)

 

 偉大な英雄の死に涙する少年を中心に、舞台の上には呆然とした時間が流れていた。誰もが彼の魂の号哭に息を呑んでいたのだ。

 それがどれほどの長さであったのか、観客の誰もが客観的な事実が欲しいと思った。冷や汗の量でそれが分かろうか。顎の筋肉の疲労でそれが分かろうか。まるで何も分からないままに、ただ、事態が次の展開を迎えたことを知った。

 

 力尽き、もはや動かぬはずだった鍔姫の指先が微かに震える。

 英雄は死に、そして伝説が蘇る。

 それは雷鳴を伴っていた。

 




鳴嶋(なるしま)メルト/キザミ】
 役者として一皮剥け、素晴らしい感情演技を披露したのも束の間。その余韻に浸る間もなく、またしても大輝お兄ちゃんからの教唆を受けたシオンのアドリブによって意識をパスアウェイさせられてしまった。力こそ王の故だからね、仕方ないね。
 防御能力に特化した盟刀使いのキザミは覚醒以降、完全に力尽きて敗北する場面はなくなったものの、話数が進むにつれパワーインフレを加速させていく新たな敵キャラの力を読者に見せるためのサンドバッグ役が板についてしまう。強敵の初見殺しの技を食らい「ぐわああああッ!!」と叫んで吹っ飛び、仲間から「き、キザミィ〜〜〜!!」と絶叫されるのはもはやお約束。敵の脅威度を説明する上でその大技を食らうのは必要不可欠な描写だが、直撃しようと死なないキザミは役割を全うしつつ戦線から離脱させる必要もないので大変便利、今後ともよろしく……という著者インタビューにおける鮫先生の述懐はあまりにも有名。

【有馬かな/つるぎ】
 アクアの壮絶な感情演技と涙に圧倒されつつも乙女ゲージ爆上がりしていた。面倒見の良い女ほどイケメンの涙に弱く、普段湿ってる奴ほど他人の湿気に敏感。私が(一生)守護(まも)らなきゃ……

【黒川あかね/鞘姫(さやひめ)
 某最強の呪術師の如く能力を反転させたり順転させたりする。白兵戦能力では姉に遠く及ばないが、盟刀の特殊能力の扱いに関しては鞘姫の方が上。最終的には自身の存在する空間そのものを支配下に置き、受けたダメージを空間に置換することで攻撃を受け流すようになる。敵からすれば鞘姫に攻撃を与えたと思った次の瞬間に目の前の空間が謎の爆発を起こして逆にダメージを負うという理不尽を味わうことに。

【星野アクア/刀鬼(とうき)
 某ミケラの刃の如く敵を斬る度に体力を回復し、更に攻撃が連続するごとに攻撃力が上昇し続けるという能力を持つ。別に腐敗の花を咲かせたりはしないが、最終的に自己強化をリセットする代わりに蓄えた力を爆発に変える一撃必殺の自爆技を習得したりする。

 アクアの心理描写に関しては物凄く悩みました。過去一難産だったかもしれない。
 原作では頭の中でトラウマを想起して感情演技を行っていましたが、こっちではシオンのせいでわざわざ想起するまでもなくトラウマスイッチがオンしてしまうためより酷いことに。刺そうとすればアイの幻覚を見て、刺したら刺したでまたアイの幻覚を見る始末。もういい……! もう……休めっ……!
 この章がアクアの最後のシリアスシーンのため、妄想力をフル稼働させて全力全開の鬱屈とした内心を描写しました。燃え尽きたぜ。「ファタール」を作業用BGMとしてエンドレスで流しながら書いたのでそこまで的外れではないと思いたいですが、少なからず私の妄想というか想像を含むので悪しからず。解釈違いだったらメンゴ。

【星野アイ】
 鍔姫が盟刀を取り落とした辺りからアクアの背中に引っ付いて生命力を分け与えていた。その時アクアはまるで母の腕に抱かれているような温もりを感じていたが、まさか本当に抱きしめられていたとは思うまい。
 しかしその温もりのせいで輝かしかった過去の記憶を思い出してしまい、それが却ってアクアを精神的に追い詰める羽目になるとは……読めなかった! この“星”のアイの目をもってしても!

桐生(きりゅう)紫音(シオン)/鍔姫(つばき)
 大輝お兄ちゃんの教唆を受けたことでもうやりたい放題。第二形態に移った途端に力こそ王の故を示すし、耐性のない者が間近で浴びれば気絶するレベルのオーラをお通し感覚でお出しするし、震度4レベルの地揺らしをスナック感覚で連発する。挙句の果てには人間の動体視力では感知不可能な速度で腕を動かし自傷することで迫真のダメージ演出を披露した。核爆発を目の前で浴びても産毛すら焦げないシオンの肉体にダメージを通せるのはシオン自身だけである。
 ちなみに何の相談もなくそれを見せられたアイは「うわああああ何やってるのシオンんんんん!?!?」と絶叫し、モニターでそれを見ていた金田一(きんだいち)さんは「いやああああレイティングが上がっちゃうううう!!!!」と悲鳴を上げ、神通力で劇を無断鑑賞していた疫病神ちゃんは「ぎゃああああ中身が溢れたらどうするんだこの馬鹿ああア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!!」と発狂した。

 そして鍔姫の死を以て舞台は次の場面へと移る。
 血濡れの復讐鬼が巻き起こした戦争は終わりを告げ、だが伝説の目覚めにより新たな戦いが幕を開けた。

 それは神をも喰らう神話の怪物。力を使い果たした刀鬼にそれに抗う術はなく、クラスタ最強の剣士の戦線離脱を受けて渋谷の軍勢は絶体絶命の窮地に陥る。

 だが希望は潰えない。かつてない絶望を前にして、遂に新宿最強の男がその刃を解き放つ──!

姫川(ひめかわ)大輝(たいき)/ブレイド】

「え? キザミと刀鬼相手にあんなに暴れてたのに、まだその上があるんですか?」← 新宿最強の男にして人類の希望

 また性懲りもなくシオンに本気を促した完璧で究極の教唆犯。喉元過ぎれば熱さを忘れて後で後悔するタイプ。金田一さんの胃痛の原因。諸悪の根源。このすぐ後、最大の山場を越えた達成感ではっちゃけたシオンの大暴れを目の当たりにし悲鳴を上げることになる。
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