傍に立つ君は完璧で究極のアイドル 作:カミキヒカラナイ
一万字以上の文章を投稿する時が一番生を実感するッ(話を畳むのが苦手なだけ)
ああ、これは死んだな──背筋が凍るような浮遊感に包まれながら、
冷静に考えれば、こんな傘もさしていられないような暴風雨の中を出歩くなど正気の沙汰ではない。特にビル風が吹きやすい都会はなおのこと危険である。
まして、より強く風の影響を受ける高所……例えば歩道橋の上を気もそぞろにフラフラ歩くなど、自殺行為以外の何ものでもない。
この時のあかねは冷静ではなかった。普段の彼女ならこんな危険な真似はしない。そんなことさえ判断できなくなるほど、SNSを通して向けられる誹謗中傷の数々は少女の心を傷付け、蝕んでいたのだ。
“一流の役者しかいない”と言われる劇団ララライの若きエースとして団の内外より期待と称賛を受けてきたあかねは、かように幼稚で残酷なネットの悪意に触れる機会など皆無に等しかった。板上の狭い世界しか知らなかった彼女は、テレビというより多くの人の目に触れるコンテンツが孕むリスクというものにあまりに無知であったのだ。
匿名であるが故、そこには遠慮も
どこかの元天才子役であれば「本物の炎上はこんなもんじゃないわよー?」と訳知り顔で言うかもしれないが。それでもあかねにとってこれは未経験の痛みであった。自暴自棄になって嵐の中に飛び出す程度には精神的に参ってしまっていたのだ。
その結果がこれだ。考え事をしながらフラフラと歩いていたあかねは、歩道橋の上、それも下りの階段の所で足を滑らせて転倒してしまう。そこに折り悪く強風が吹き込み、彼女の軽い身体はあまりに呆気なく風に巻かれて宙を舞ったのである。
頭から真っ逆さまに落ちていく。地面に激突するまで数秒もあるまい。
引き伸ばされた体感時間が流れゆく景色を非常にゆっくりとしたものに見せている。そんな中、あかねの脳裏を過ぎったのはここ数ヶ月の「今ガチ」における記憶だった。
番組のメンバーは皆良い人達ばかりだ。楽しかった思い出は沢山ある。だがそれ以上に直近の苦しかった記憶があかねを
出口の見えない迷路を
正直、苦しかったという思いが強い。絡む相手を間違えたと何度となく後悔した。それでも間違いなく番組の中心人物は彼で、番組に爪痕を残すためには彼と関わるより他に手はなくて──それでも、恒星のような輝きを放つ彼に手を伸ばし続ける日々はあかねの心に懐かしい思いを去来させていた。
(──ああ、そうか)
似ていたのだ。かつて幼心に憧れた“彼女”に。巨星の如く光り輝き、その
それは黒川あかねという女優を形作った原初の記憶。あの輝きに憧れたからこそ今の彼女があり、そしてまた同じような光を放つ少年に出会った。秘める才能は“彼女”以上かもしれない、
(憧れたんだ。また、あの光に)
いつから少年と“彼女”を重ねて見ていたのかは分からない。だが、気付いた時にはその姿を目で追っていた。数え切れぬほどの誹謗中傷に晒され、心折れそうになっても番組を降りなかったのは何のためか。
番組で目立つための手段としてでなく、本心から彼と釣り合う自分でありたいと思ってしまったからだ。憧憬し、焦がれ、故にみっともなく手を伸ばし続けていたのだ。かつて湧き上がる衝動の赴くまま、“彼女”と同じ
だが、それももう終わりだ。星の光を追い求め続けた彼女の旅路はここで潰える。
馬鹿だなぁ、と自嘲の笑みが零れた。ようやく自分の本心に気付けたのに。これでやっと勇気を出して番組に臨めそうな気がしたのに。ほんの少し自暴自棄になってしまったばかりにこの有様だ。不注意による事故死だなんて、あまりにみっともなくて涙が出る。
──まだ番組を続けたかったな。
──これから沢山経験を積んで、立派な女優になりたかったな。
──もっと、あの人とお話したかったな……
後悔先に立たずとはよく言ったもので、こんな時に限って止めどなく悔悟の念が湧いてくる。
そんな現実を認めたくなくて。ゆっくりと、だが確実に迫り来るアスファルトの地面が恐ろしくて。その全てから目を逸らすように、あかねは固く瞼を閉ざした。
──ふわり、と。落下する感覚とは異なる、まるで何かに下から抱え上げられたかのような浮遊感が全身を包み込んだ。
想像していたような衝撃は来なかった。覚悟していたような痛みは全く感じなかった。
代わりに感じたのは、全身を包み込む圧倒的な存在感。その直後、まるで巨大な金属塊が地面に激突したかのような鈍く重々しい轟音と、音に反してあまりに静かな振動があかねの身体を震わせた。
「間に合った……結構ギリギリだったな」
その時、聞こえるはずのない声がした。
恐る恐る瞼を開く。視界いっぱいに飛び込んできたのは、この数ヶ月ですっかり見慣れたあまりに人間離れした美貌だった。
「あれ……私、どうして……え、し、シオン君……!?」
シオン。本名を桐生紫音という
「まったく、間一髪助かったから良かったけど……一歩間違えれば大怪我じゃ済まないところだったんだからね? こんな嵐の中を出歩くなんて、何考えてるのやら……」
どうして彼がここにいるのか。寮暮らしだという彼の住所はここから二駅は離れた所にあったはず。まさか探しに来てくれたのか。確かにグループLINEに外出する旨のメッセージは残したが、決して近くはないだろうこんな場所までわざわざ。
混乱する頭の中を取り留めのない思考がぐるぐると巡る。
しかし、そんな考えはすぐに打ち切られることになる。ややあって、あかねは自分が今どのような状態にあるのかを自覚した。
その細腕のどこにそんな力があるのか、紫音はあかねを軽々と抱え上げ横抱きにしていた。俗に言う“お姫様抱っこ”の体勢で、あかねは彼の腕の中で縮こまるように身体を竦めている。
まるで巨人の腕に抱かれているかのような圧倒的な存在感と安定感。頭のすぐ近くに彼の胸があり、力強い鼓動の音が耳朶に響いていた。
(わー! わーっ!)
女子校に通うあかねは同年代の男性と間近に接した経験に乏しい。ましてやこんな風に超至近距離で密着したことなどあるはずもなく。男性経験皆無の初心な少女にはあまりに刺激が強く、あかねの顔は瞬間湯沸かし器のように一瞬で真っ赤に染まった。
直前まで死の淵にあったことなどあっという間に忘却の彼方へ吹っ飛んだ。他にも「LINEを見てから来たのでは間に合うはずないだろ」とか「五メートル以上の高さから自由落下した人間一人をどうやって受け止めたのか」とか色々と疑問に思うべき点はあったはずだが、一瞬にして茹立ったあかねの脳内は既にして真っピンクである。そんな当たり前の疑問を抱けるようなまともな思考回路など残ってはいなかった。
「さて、いつまでもこうしてるのもアレだから下ろすけど……大丈夫? 立てるかな」
「あっ……う、うん、大丈夫」
至近距離にあった星の瞳が離れていく。遠ざかる体温と心音に名残惜しさを感じつつ、あかねは促されるまま地面に下りた。
見かけによらず力が強いんだな……と女の子のように細い腕から離れつつ思う。抱えている時もそうだったが、あかねを下ろす際も紫音の腕は僅かに震えることさえなかった。まるで自分が羽毛か何かになったと錯覚するほど軽やかに、それでいて割れ物を扱うかのように丁寧な手つきで地面に立たせる。紫音は最後まで息一つ乱すことなく、何でもないことのように姿勢を正すとあかねに向き直った。
(男の子って皆こんなに力が強いのかな……?)
「それで、あかねさんはどうしてこんな嵐の中をフラフラと歩いていたのかな?」
そんな問いと共にじとっとした目を向けられる。その眼差しを受けたあかねはうっ、と声を詰まらせた。
字面ほど紫音の口調に責めるような色はない。だが尋常でなく顔が良い相手からのジト目とはそれだけで妙な迫力に満ちており、負い目のある彼女は恥じるように顔を伏せた。
「大体想像はつくけど……番組のこと?」
「……うん」
「やっぱりそうか……まあ、歩きながら話そうか。家すぐ近くなんでしょ? 送ってくよ」
その言葉にこくりと頷く。
促されるまま自宅に向かって歩を進める。紫音もまたそれに付き添うように歩き出した。
歩道橋の上よりマシとはいえ、辺りは変わらず強い風が吹き荒れている。歩きづらそうにするあかねに対し、紫音はさりげなく風上側に回り風避けになった。
風の規模が規模だけに気休め程度でしかないが、それでも無防備に風に当たるよりは幾分か歩きやすくなる。その程度の些細な気配りにすら胸を高鳴らせつつ、あかねはすぐ隣を歩く少年の横顔を窺いながら歩みを進めていった。
「……ごめんね。あかねさんがここまで思い詰めているとは思ってなかった。番組内で一番近くで接してるのは僕だったのに、全然周りが見えてなかったみたいだ」
「えっ? そ、そんなことないよ! シオン君の足引っ張ってばかりの私が悪いんだから……!」
まさか謝られるとは思っていなかったあかねは慌てて紫音の言葉を否定する。
そもそも悩んでいることを周りに悟られないよう平静を振る舞っていたのはあかね自身である。役者である彼女の演技は幸か不幸かしっかり効果を発揮してしまっており、ここまで深刻に思い悩んでいたことに気付いた者は紫音含めて誰もいなかった。
「メムさんに注意されてたのにエゴサばっかりしてた私が悪いんだよ……でも、否定的な意見が目に付くとどうしても気になっちゃって……」
「分かるよ。そういう否定意見ってどうしても目立つし、それで嫌な気持ちになると記憶に残りやすいものだから。それに真面目なあかねさんのことだから、きっとそういう声も積極的に取り入れて次に活かそうって考えてたんでしょ?」
そうだ、批判もまた一つの意見。それが視聴者の素直な気持ちであるというのなら、反省点として受け入れ自身の糧にすべき。苦しくともそれが芸能人としてあるべき姿だというのがあかねの考えだった。
だが、意味のある批判など現実には殆ど存在しない。とりわけ利用者の大半が匿名であるSNSという場においてはそれがより顕著だ。誰もが匿名という鎧に守られた意見の場は責任の所在を曖昧にし、必然、発される言葉はその殆どが無責任なものになる。
確かに飾らない本音を吐き出しやすくなるという側面はあるだろう。だが同時に、感情のままにあることないこと言い触らす者が増える原因にもなる。ほんの少し「気に入らないから」というだけの理由で相手を扱き下ろすような者が犇めく、批判の名を借りた流言飛語が飛び交う批評家気取りの社交場。極論でこそあれ、確かにそれはSNSの一側面であった。
とはいえ、それを言ったところでどうにかなるような簡単な問題ではないし、偉そうに講釈できるほど紫音もSNSに精通しているわけではない。
「でも否定意見ばかりだったはずはない。僕だって全くエゴサしないわけじゃないから知ってるけど、中には肯定的な意見もあった。そうでしょう?」
「うん……でもそういう意見は本当に少しだけで……」
「現状に不満がない人はわざわざ声を上げないものだよ。敢えて口に出すのは不満があるから。否定意見が多く感じるのはその
だからちょっと見方を変えてみようか、と紫音は続ける。
「否定意見があれば肯定意見もある。だからこうは考えられないかな? 否定意見にばかり目を通してそれを必死に受け止めようとするあかねさんは、肯定派の人達の意見を蔑ろにしているって」
「あ……」
「見えていないだけで、今のあかねさんを応援する人達は確実に存在している。『皆の意見』を受け止めることを是とするのなら、そういうファンの声を無視するのは道理に合わないと思わない?」
その言葉を聞いたあかねは思わず立ち止まり、呆けたように紫音の顔を見上げる。
まさに盲点という他なかった。確かに今のあかねのやり方は既存のファンの意見を軽視していると言われても仕方のないものだ。……というより、今の自分にファンがいるという認識自体がそもそもなかったのだが。
「少なくともここに一人ファンはいる。前にも言ったでしょ? いつも一生懸命で頑張り屋な君の姿勢はとても好ましいものだ。つい応援したくなっちゃうって言うのかな……見えていないだけでそういう人はきっと僕以外にも沢山いる。だからもっと自分に自信を持って良いんだよ」
「あぅ……」
──この人はどうしてこう、人の琴線に触れるような台詞がスラスラと出てくるんだろう。
耳まで真っ赤になった顔を見られたくなくてレインコートのフードを目深に被る。
そんなことないと頭では分かっているのに、それでも「もしや本当に口説かれているのでは?」と思ってしまうほど紫音の言葉選びは的確であった。
図ったかのようなタイミングで颯爽と現れ窮地を救う手管に、傷心の少女のハートをピンポイントで直撃する甘い言葉の数々。吊り橋効果も合わさり、あかねの情緒は既に滅茶苦茶である。
「分かっているとは思うけど、今あかねさんを中傷しているような連中は炎上そのものを目的としたアンチばかりだよ。彼らの言葉にあなたが真剣に耳を傾けるような価値はない。──そんな奴らの言いなりになって右往左往するなんて、とても癪に障ると思わない?」
紫音は足を止めたあかねの背を優しく手で押す。再び歩き出しながら、彼は殊更に明るい声で言葉を続けた。
「外野の言葉に惑わされて今のやり方を変える必要はない。だけど改善点はあるかもしれない。さりとてあかねさんに偉そうに講釈垂れるほど僕にその手の経験も知識もない」
──だから、早速明日の収録で「皆の意見」を聞きに行こうか。
そう告げ、星の瞳の少年は悪戯っぽく目を細める。
どこか妖しさを漂わせる蠱惑的なその微笑みに、あかねは暫しの間目を奪われるのだった。
間一髪のところであかねさんを救出した翌日。何故かは知らないが「仕事と私どっちが大事なの!?」とテンプレみたいな面倒臭い女ムーブをかますアイを
台風一過で少し暑いぐらいの日射しの中、心配だったあかねさんも少し遅れて無事スタジオに到着する。
大怪我では済まないぐらいの事故に遭いかけたのだ。肉体的には問題なくとも、精神的なショックでダウンしてもおかしくなかったが……見たところ顔色は悪くないようで安心した。どうやら彼女は僕が思っていたよりタフだったらしい。
「あ、あの、シオン君……昨日はありが──」
「あかねぇ〜〜〜! 無事で良かったよ〜〜〜!」
「うきゃあ!?」
あかねさんが姿を見せた瞬間、押し倒さんばかりの勢いで
昨日の救出劇におけるMVPが誰かと言えば、それは間違いなくMEMちょさんだと言えるだろう。彼女が電話してこなければ僕がグループLINEに気付くのはもっと遅れていただろうし、そうなればあかねさんは無事では済まなかった。本当に間一髪だったのだ。
「おはよ。昨日は大変だったみたいね」
「よく間に合ったもんだが……まあ、二人とも無事なようで何よりだ」
ゆきさんとアクアの二人もスタジオ入りし、これでメンバーは五人になった。
残念ながら今日はこれがフルメンバーだった。ノブユキ君とケンゴ君の二人は本業の方で都合が合わなかったらしい。本当はメンバー全員から意見を貰いたかったのだが。
「それで、何か話があるってことだったが」
「うん。お願い、皆の知恵を貸してほしいんだ」
アンチにとやかく言われた程度で今のカップリングをやめる必要性は感じない。しかし僕とあかねさんの演出の人気が低迷しているのは紛れもない事実だ。僕が悪く言われる分にはどうでもいいが、あんなに頑張っている彼女がアンチの攻撃対象になってしまっているのには内心
見返してやる必要があるだろう。アンチもそれ以外の視聴者も誰をも黙らせる、見ていて面白いと思わせる恋愛劇を演出したい。
だが悔しいかな、僕にはこれといった名案が思い浮かばなかった。ならばここは恥を忍んでメンバーの知恵を借りるべきだと、そう思った次第である。
「なるほど、そういうことか」
「そういうことならもっと早く相談してくれれば良かったのにー」
確かに相談すれば答えてくれたことだろう。「今ガチ」のメンバーは皆良い人ばかりだ。僕らは同じ番組のメンバーであると同時に競争相手でもあるわけだが、彼らならきっと親身になって相談に乗ってくれたことと思う。
だが彼らは
仕事、勉強、そして「今ガチ」。これを未成年の身でありながら笑顔でこなす彼らの勤勉さには頭が下がるばかりである。だからこそ端から助力を請うことは
しかしあかねさんがああも思い詰めていたと知ったとあっては、もはやそんな悠長なことは言っていられない。そもそもこんな状況になった一因は僕にもあるのだから、せめて頭を下げるのは僕であるべきだ。そう考え、こうして収録前に時間を貰い、メンバーに相談を持ちかけたのである。
ちなみにアイには真っ先に相談していたのだが、彼女は駄目だった。流石は元トップアイドルにして主演女優も務めたスーパーマルチタレント。才能の権化とでも言うべき彼女にとっては、目立たないことに苦慮する少女の
Q.どうすれば番組で目立てますか?
A.目立てばよくない?
流石は生まれついてのスーパースターと言ったところか。アイにとって他者より目立つのは自分の意思にすら依らぬ大前提である。故に焦点となるのはそこから更に先、如何にしてパフォーマンスを突き詰めていき“完璧”に近付けるかが彼女にとっての戦いだったのだ。
こう言ってはなんだが、あかねさんとはスタートラインの次元が違う。これが秀才と天才の違いとでもいうのか、アイを悪く言うわけではないが、やはり参考にはならなかった。
「やっぱり一番手っ取り早いのは、シオンがそのバカオーラを抑えることだと思うのよねー。そうすれば釣り合い取れるでしょ」
「そうだな。カメラ回った途端に溢れ出すそのバカオーラは何とかならないのか?」
あんまりバカバカ言わんといてや。
ゆきさんとアクアが口を揃えて言った通り、僕は仕事モードに入ると途端に近寄り難いオーラを放ち始める……らしい。
らしいという曖昧な表現なのは、自分ではイマイチ実感できないからだ。自分の存在感というものは中々自分では理解し難いものがある。流石に今は初回収録時ほどではないようだが、やはり少しでも緊張するとそういうオーラを出してしまうらしい。
「……やっぱり抑えようと思って抑えられるものじゃないかなぁ。カメラの前で完全に脱力するなんて、それこそ眠らない限り無理だよ」
「そこまでリラックスしねぇと抑えられないのかよ……」
「これだから才能オバケは……」
『シオンも大概私のこと言えないと思う』
揃いも揃って言いたい放題である。これでも抑えてる方なのだが。
あれだぞ。僕が自制をやめると凄いことになるんだぞ。何年か前に実験的に常の演技をやめて気合いを入れてみたことがあったのだが、途端に部屋の窓が全部割れたんだからな。あそこが廃墟でなければ窓代を弁償しなければならなかったところである。
「やっぱりあかねの方にテコ入れするのが現実的か」
「うぅ……ごめんね、不甲斐なくて……」
「いやあかねは悪くないでしょ。こんなバカオーラと比べられたら誰だってそうなるよ」
本当にゆきさんは物言いに遠慮がないなぁ。ひどい言われようである。まあ事実だからしょうがないけど。
「なら手っ取り早いのはあかねの“持ち味”を生かすことだな」
「持ち味?」
「ああ。お前、これが恋愛リアリティショーだからって徹頭徹尾自分自身を曝け出そうとしてるだろ。それやめた方がいいぞ」
「……へ?」
アクアの発言に目を点にするあかねさん。
僕もやや困惑している。恋愛リアリティショーはその名の通りリアルな自分自身を切り売りするコンセプトの番組。そのように
「確かに恋愛リアリティショーには台本がない。これといった筋書きもない。だが“演出”はある」
「台本はないけど演出はある……」
「分からないか? 演出があるなら、それはもう“
「……あっ!」
「恋愛なんて
……凄いな。こんなにあっさりと解決策を考え出してしまった。
役者ならではの視点ということなのだろう。偽らない自分では相手に物怖じしてしまうというのなら、“物怖じしない自分”という役を演じれば良いのだと。一見するとリアリティショーという番組の趣旨に反しているようにも思えるが、画面越しに見る視聴者にとってはそれがその人の素か演技かなんて分からないのだ。演じていることがバレなければ方法としてはかなりアリだろう。
そしてあかねさんはプロの役者。役を演じるということにかけては他のメンバーの誰にも劣ることはない。なるほど、持ち味を生かすとはこういうことだったのか。
『すごい! さっすがアクア! 私の自慢の息子♡♡♡』
アイがとろっとろの笑顔でアクアを褒めちぎっている。いつぞやのようにその全身からはハートマークが飛び出し乱舞していた。
いや本当に凄いよアクアは。流石はアイの子供。ビジュアルや役者としてのスキルのみならず、助言者としての才能も非凡なものがあるらしい。
「それに、嘘は自分を守る最大の鎧でもあるからな。何かしら演じていればその役が鎧になる。ありのままの自分を曝け出した上で批判を浴びるってのは想像以上に堪えるから……それはあかねも嫌というほど実感しただろう?」
「うん……」
「演技だから、仮に批判されるにしても対象になるのはあくまで演じてるキャラクター。そうすれば本人のダメージは少なくて済むもんね〜」
「その通り。MEMちょみたいにキャラ演じてる方が何かと楽だぞ」
「え、演じてないし! 元からこういうキャラだし! そういうアクたんだって何重も仮面被ってるでしょお!?」
ぎゃあぎゃあと抗議の声を上げるMEMちょさんを適当にあしらうアクア。
……あの二人のキャラも演技なのか。全然、全く気が付かなかった。
まさか全部が全部作り物だということはないと思うが、多少は番組用の外向きの顔を作っているということなのだろう。役者とは凄いものである。片方は役者ではなくユーチューバーだが。
「じゃあじゃあ、早速どんなキャラを演じるか決めないとだね!」
すると、ゆきさんが妙に楽しそうにしながらそう声を上げた。
何だろう、そんなにワクワクするような要素あっただろうか。
「おっ、決めちゃう決めちゃう?」
「そりゃ決めるでしょー! 思い立ったが吉日! どうせフルメンじゃない今日は早めに終わるだろうし、早速次の収録からやってかないと!」
MEMちょさんも同調するようにソワソワしだす。
話についていけず僕とあかねさんは顔を見合わせる。直後、ゆきさんとMEMちょさんの視線が一斉にこちらを向いた。
「さあキリキリ吐け!」
「ぶっちゃけ、シオたんはどんな女の子が好み!?」
「……はい?」
突然水を向けられたかと思えば唐突に恋バナみたいな質問を投げかけられ、思わず呆けた声を上げてしまう。
すると視界の端であかねさんが手を閃めかせ、稲妻のような速さでペンとメモ帳を取り出すのが見えた。
僕の動体視力を以てしても一瞬だった。素晴らしい
『kwsk』
かと思えば、暇そうにアクアの顔を眺めていたアイも負けず劣らぬ電光石火の速度でこちらに躙り寄った。本当に女の子って恋バナ好きね。
「……何で急にそんなことを?」
「だって君があかねのカップリング相手じゃん! なら当然、演じるのはシオンの好みのタイプでしょ!」
「あのカリスマ読モ『シオン』の理想の女性像! これは話題性抜群ですよ〜!」
「バズる?」
「バズりますとも!」
「バズらせなくてよろしい。……なるほど、意図は理解したよ」
確かに理に適っている。これは恋愛劇なのだから、演じるなら相手の好みの人間性であるべきという主張は適切なものだろう。
だが困った。そもそも僕はそういう恋愛事が分からないからこの番組に取り組んでいるわけで。好みのタイプだの何だの、そういうのが分かるのなら端からこんな苦労はしない。
だが、向けられる四対の凝視の眼差しからは一切の虚偽を許さぬという圧力があった。これは生半可な解答では許容されないだろう。アクアから向けられる不憫なものを見るような視線が涙を誘う。
「…………可愛い子なら誰でも好きだよ、僕は」
「うっわ最悪」
「ルッキズムの権化出たな」
『そういう玉虫色の解答は求めてないんですけどー』
案の定というべきか、返ってきたのは轟々たる非難の声だった。あかねさんでさえ落胆の色を隠していない。
だが不適切な解答だったことは確かだ。今この場で求められているのは演じるべきキャラクター……つまり人間性だ。外見的に可愛いかどうかはこの場においては全く重要ではない。
『まあでも? 可愛い子っていう条件ならやっぱり私がトップかなー? ごめんね可愛くて! 私が「今ガチ」に出られたならシオンとのカップリングで人気爆発間違いなしなのに!』
「──それだ」
『へ?』
今アイが良いこと言った。
そもそもあかねさんの悩みは僕のバカオーラと比較されてしまっていることなのだ。ならば比較されても問題のない、同じようなバカオーラの持ち主のキャラクターを演じることができれば万事解決である。
「なに? 何か良い解答でも思いついた?」
「ちゃんとした答えがなければ今日はシオたんの奢りで焼肉ねー?」
好き勝手言いおってからに。だが今度こそ完璧な答えが用意できた。
誰と並べても、本人にそのつもりがなくとも目立ってしまう天性のオーラとカリスマ。万人を魅了してやまぬ完全無欠のパフォーマンス。そんな人物であれば僕と比較されても全く問題ない。
『ま、まさか……』
そして、そんな人間など僕が知る限り一人しかいない。
「──B小町の『アイ』って人なんだけど、知ってる?」
『うわあああああ!! 墓穴掘ったあああああ!!』
何やら叫んでいるが、やはり目立つことにかけては彼女をおいて他にいないだろう。まさに適役である。
『いやあああああ!! 何が悲しくて私の演技してる子との恋愛なんて見せつけられなきゃいけないの!? そんなの見せられるぐらいならいっそ私がやりたい! シオンと恋愛するのはこの私だー!!』
何を口走ってるんだこの幽霊……
確かに目の前で自分の物真似みたいなことされるのは複雑な気持ちになるだろうが、生憎とアイ以外に相応しい人物像が思いつかなかったのだ。許せ。
「アイ──……」
ふとアクアを見ると、やや青褪めた表情で俯き、アイの名を呟いていた。
しまった、本人の目の前で亡き母の名前を挙げるのは不謹慎だったかもしれない。当の本人がピンピンしてる所為ですっかり失念していた。
「アクア君、顔色悪いけど大丈夫……?」
「っ、あ、ああ……大丈夫だ。それより、紫音はアイについて知ってるんだな。もう十年以上も前に死んじまったアイドルだろ?」
俺にとっては同じ事務所の先輩に当たる人だから把握してるが……と、事情を知る僕からすると言い訳じみて感じる物言いをするアクア。アイとの血縁関係は絶対の秘密事項である以上、そのような言い方にならざるを得ないのだろう。
であれば、ここで変にアクアを気遣うような態度を取れば逆にこちらが怪しまれかねない。僕は素知らぬ素振りでアクアに話を合わせた。
「僕の親がファンだったんだ。その時僕はまだ小さかったけど、あの圧倒的なパフォーマンスは今でも鮮明に思い出せる。好みのタイプ……かどうかは分からないけど、間違いなく尊敬する芸能人の一人だよ」
『ぐぅぅっ、嬉しいけど複雑な気持ち……っ!』
スラスラと出まかせを口にする。こうして真顔で嘘が吐けるようになったあたり、僕も嘘が得意になったなぁとつくづく思ってしまう。
「へぇ〜こういう系がスキなんだぁ〜」
「メンクイだ〜」
素早く画像検索したMEMちょさんがスマホの画面を向け、アイの写真を全員に見せた。それを見たゆきさんはニヤニヤと
「B小町のアイ……うん、分かった。シオン君の好みの女の子、やってみるね!」
「やれやれー!」
「シオンを落とせー!」
まあ、流石にアイのオーラとカリスマを再現できるとは思わない。あれは天性のものだ。たとえあかねさんにどれ程の演技の才があろうとも、そう易々と再現できるようなものではあるまい。
だが、オーラは再現できずとも人間性は演じることができるかもしれない。アイは天性のカリスマに加え、
そのキャラクター性だけでも再現できれば、あかねさんは今よりも堂々とした態度で番組に臨むことができるだろう。
自分に絶対の自信を持つこと。アイ曰く、それができて初めて人は他者を魅了することができるらしい。
「──頑張ろう。シオン君はあの嵐の中、危ないところだった私を助けてくれた。私なんかのために皆に頭を下げてアドバイスもしてくれた」
嬉しかった。誰かに心を尽くしてもらえることがこんなにも嬉しく、満たされるものだとは思ってもいなかった。それが特別な感情を抱く相手からのものであれば尚更だ。
しかし、与えてもらってばかりではいけない。恩返しをしなければならないと、あかねは決意を胸に国立市民図書館へと足を向けた。
「好みのタイプを演じてアピールしたら、シオン君喜んでくれるかな? B小町のアイ……資料集めないと」
有名人とはいえ、インターネットから集められる情報量では恐らく足りない。信憑性も担保されるわけではない以上、本気で情報を集めたいのならやはり公的な機関に収められた資料を探るのが一番確実である。
あかねは国立図書館から借りた資料を持ち帰り、自室でそれを検める。集められるだけ集めた膨大な情報を精査し、プロファイリングを開始した。
「特徴はやっぱりあの瞳……自信から来るもの? だとしたら承認欲求は満たされてる。友人関係は薄そう? でも異性関係は何かあるだろうな。家庭環境は良い? ……いや、この人格形成は劣悪な方向かな」
表皮を剥がし、肉を透かし、骨を掻き分け臓腑を白日の元に晒すように。あかねは「アイ」という人物の全て見極めんと全神経を注ぎ込んだ。
少しずつ、だが確実に
それはまるで、目に見えぬ魂の奥底にさえ触れるような。
「愛情の抱き方に何かしらのバイアスあり」
「破天荒な言動に反し完璧主義者」
「金銭感覚が節制傾向」
「ファッションはやや無関心」
「聴覚と嗅覚が過敏」
「教育レベルは低め」
「箸の持ち方が少し
「思春期の段階で性交渉があった子特有のバランスの悪さ」
時を追うごとに増えていくメモ用紙。そこにはアイという人物の分析結果が事細かに記されており、それがビッシリと壁を覆う勢いで貼り出されていく。
一見すると無秩序に情報を抜き出しているだけのようにも思える。しかしやがてパズルのピースを合わせるかのように、徐々に、だが確実に朧気だった人物像に確かな輪郭を与えていった。
些細な言動に無意識下の挙動。集められた資料から抜き出された塵の如き僅かな情報はやがて山と積もり──遂に、山は一人の人間の姿を形取る。
「十五歳あたりから破滅的行動に改善が見られる……」
良い出会いがあったのかな──?
口の中で転がすその言葉には、既にある種の確信が
その生涯においてそれらしいスキャンダルの一つすらなかったアイドルに男の……あるいは隠し子の影。今となっては真実を確認する術はないが、そうであれば彼女の人格及び行動に整合性がとれると。
それからもう一点──
「アイの瞳……シオン君のとよく似てる……」
まるで宵の空を思わせる紫紺の瞳。その瞳孔には吸い寄せられるような星の輝きを湛える。
だが。
「確かによく似てるけど、少し違う? シオン君の方はあまり情報を詰められてないから確信はないけど……
誰に。あるいは何に。
それとも、
「……ま、いいか。とにかくアイのことは大体分かったし、あとは──」
黒川あかね。一流の役者が集う「劇団ララライ」の若きエース。
紫音はアイを引き合いに出して少女を秀才と評したが──彼女はただの一度として、彼らの前でその本質を見せていない。
伊達や酔狂では一流の中でエースの看板を張ることなどできない。彼女もまた方向性は違えど天性の才を持つ者の一人。
全ての条件が揃った今、その真髄は明かされる。
彼らは知ることになる。星を追い求め続けた彼女もまた、既にして
【
間一髪のところであかね救出を成し遂げ、ついでに彼女の男性観を滅茶苦茶にした。奴はとんでもないものを盗んでいきました。吊り橋効果って怖いね。
アクアからのアドバイスと併せ、あかねにアイの演技をすることを提案する。アイにとっては堪ったものではないだろうが、完璧で究極のゲッターに対抗できる存在なんて完璧で究極のアイドルしかいないだろうし、仕方ないね。
なお、再現できるのは精々言動や性格ぐらいだろうな〜と楽観している。
【
最近オチ要員が板についてきてしまった元トップアイドルにして現バラドル。完全に空気な今ガチ編のルビーよりは出番あるから許してヒヤシンス。
自分の失言が原因で自分を追い込むという見事な自爆行為を敢行した。やはりバラドル。お陰で自分の真似をするあかねと紫音の恋愛劇を目の前で見せつけられることが確定した。不憫可愛い。
なお、再現できるのは精々言動や性格ぐらいだろうな〜と侮っている。
【
紫音の口からアイの名前が出てきて動揺を露わにしてしまう。既にDNA鑑定で血縁上の無関係は証明されているが、やはり唐突にその名前を出されるのは心臓に悪い。
アイの真似をするあかねとアイを思わせる雰囲気の紫音との恋愛劇を目の前で見せつけられるという、下手すればアイ本人よりも酷い目に遭うことが確定した。不憫可愛い。
なお、再現できるのは精々言動や性格ぐらいだろうな……と楽観することで平静を保っている。
【
間違いなくあかね救出劇におけるMVP。彼女が電話してこなければアイとの会話に夢中になっていた紫音がグループLINEに気付くことはなかった。
アイに憧れたことが切っ掛けでアイドルを目指していた時期があった。諸々の理由で断念し今はユーチューバーをやっているが、そのような経緯もありアイのことはよく知っている。
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原作のようなトラブルがなかったため、あかねとは普通に仲の良い友人関係。原作ほどあかねが追い詰められていなかったため、却って彼女の精神状態に気付けなかった。
もっと早く気付けていれば危ない目に遭わなかったのかも……と自己嫌悪しているところにノブユキの天然ジゴロ発言を受け、それが切っ掛けとなり二人は正式な恋人関係へと発展していくといいな(願望)
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白馬に乗ったゲッターによって完全に男性観を破壊された。これ以降彼女の男性観はゲッターが基準になることが確定する。
紫音の言葉とアクアのアドバイスで立ち直る。黒川あかね復活ッ
そしてアクア曰く嘘は自分を守る最大の鎧になるそうなので、言われるがままスピリット・オブ・マザーウィルを建造した。
それは鎧というにはあまりにも大きすぎた。
大きく、分厚く、重く、そして火力過剰すぎた。
それはまさに
恐らく彼女の天職はFBIとかその辺である。