Black Dog White Knight~黒狗と白騎士~ 作:大正望
宴会
職人の手によって整えられた庭園の中央に大きな枝垂れ桜が座している。この家の歴史を物語るように太い幹から瑞々しく張り出した枝が、桜色の豪雨を思わせるかのように見事な花弁を来客に披露している。
桜を見渡せるように設えられた宴席の中央へと歩み行く老女の着物にも桜が散らされており、見る者の目を楽しませていた。
猪口を一つ手に取り、注目を集めてから一つ咳払いをする。
「本日は武宮家にお集まり下さり、感謝いたします。今年は毎年恒例の枝垂れ桜のお披露目と、私事ではありますが孫のシロガネ・グリューネヴァルトがなにやら大きな仕事に取り組むとのことで、古めかしいながらも出陣式を兼ねております。とはいえ、宴の場で長々と話すのも不粋でございますね。特に子供たちには」
言って武宮静香は早くも落ち着きがなくなってきた幼児たちを見やって笑う。周りの大人たちもつられて微笑む。
「それでは手短に、皆様の健康と来年も集まれることを、そして我が孫たちの武運を祈って……カンパイですと語呂が悪いですので、祝杯を!」
その場の全員が唱和し、武宮は最初の一杯を枝垂れ桜の根本へと注ぐ。最初の一杯は毎年の開花を見せてくれている桜に。これが武宮家のしきたりだ。
そして始まってしまえば無礼講のお達し通り大人たちは好きに喋り、子供たちは縦横無尽のごとく駆け回ってはしゃぎ回る。
大人と子供で二十人を超える人数が集まり、騒いでもなお余裕がある。シロガネの実家こと武宮の家に設えた庭はそのような設計になっている。なんでも先々代の当主が庭の中央に植えられた大きな枝垂れ桜で花見ができるように造園したとのことだ。
この毎年恒例の花見に燐と蓮を誘ったところ大喜びで参加を承諾し、吹雪も言葉は少ないながらも即答で頷いた。
そうして今、国から保護文化財されている武宮家において大人数での宴が催されている。身内とその類縁が主だった参加者とはいえ、親しい人も誘っているので吹雪たちが浮いている様子もない。燐と蓮はその気さくさと容貌で溶け込んでいるし、酒を飲まない吹雪は意外なことにまとわりつく子供たちと遊んでいた。
見知らぬ大人にも物怖じしない男児たちが吹雪を相手に木の枝で打ちかかってくるのを相手してやったり、女児が身体によじ登ってくるのを腕で支えてやったりしている。
シロガネの義姉であるリディアも当然参加しており、こちらも酒は飲まずに大人たちと料理を突いている。
リディアやシロガネを初めとした統合軍の軍人もそれなりにいるので、軍人と民間人という軋轢も無縁である。
シロガネも最初の一杯だけは酒を付き合い、挨拶を済ませてから吹雪の元に歩いていく。
「黑金大尉、どう? これはお酒じゃないわよ」
持っていた徳利を掲げてみせると吹雪は自分の身体に登ってきていた子供を抱えて降ろし、少し怪訝な顔で猪口を差し出す。そこに注がれたのは清酒特有の無色透明ではなく、透き通ってはいるが緑色の飲み物だ。
「これは……お茶か」
「そう。朝に淹れたお茶を冷ましたのよ。これはこれで乙な味がでるわ」
「ん、いいなこれ。俺の好みだ」
よかったと微笑むと吹雪も素直な笑みを浮かべ、すぐに恥ずかしがるように収める。
「それとこれ。祖母が作った煮物、おいしいわよ」
「あの方が料理を作ったのか?」
宴の前に挨拶した顔を思い出す。どこかシロガネに似た容貌の、背筋が伸びてかくしゃくとした女性だ。普段は浮ついたどころか好き勝手に飛んでいくような燐と蓮も、武宮静香という女性の前では神妙に正座をして挨拶を交わしていた。
「ええ。武宮の伝統でね。宴では大体は仕出しを頼むのだけれど、家の女たちはなにか一つだけ手料理を振る舞うのよ。祖母のはこれ」
皿に取り分けられた煮物を受け取り、箸をつけようとしてシロガネを見やる。
「女たちということはグリューネヴァルト大尉もなにか作ったのか?」
「え……ええ。作りはしたけど、その、なんというか私は料理があまり上手くなくて」
「別に毒を盛ったわけじゃないんだろう。だったら俺は君の料理が食べてみたい」
言ってから口説き文句のように思えて照れ隠しに煮物を口に運ぶ。確かにどこか懐かしい味は舌によく合う。酒好きなら進むだろう絶妙な味加減が熟練の技を思わせる。
「その、これなんだけど」
遠慮がちに、それでも妙に嬉しげに小鉢を差し出してくる。そこに盛られていたきんぴらごぼうを一口、ゆっくりと噛み締める。味付けされた料理がじわりと舌に広がる。
「……どうかな?」
「うん、うまい。うまいよ」
口数は少なかったが、それだけで不安げだったシロガネの顔が和らいだ。自分の言葉を証左するようにもう一度きんぴらを口に運ぶ。少し辛目の味付けが吹雪の好みだ。酒よりもさきほど淹れてくれた冷茶によく合う。
何度も口をつけ、あっというまに空になった小鉢に顔が綻ぶ。
「ごちそうさま。うまくないなんて、グリューネヴァルト大尉も人が悪いな」
「軽く炒めるぐらいのはね、なんとか。煮るとか揚げるとかになるとどうしてもね。昔からこういうことができなくて、母や祖母に叱られたりしたわ。結局は軍人になっちゃったし。武宮の家を継ぐのは弟に任せるわ」
言って宴席の中央を見やる。そちらにはシロガネの両親と、シロガネによく似た利発そうな青年が座って来客の相手をしている。
生真面目な相方の意外な側面に吹雪も少しだけ笑ってしまう。
「黑金大尉は料理はしないの? 一人暮らしをしているんでしょう?」
「俺はほぼ外食で済ませているな。家は休むだけの場になっている。こんな風に誰かが沢山来て騒ぐとかもない」
どこか遠い目で宴を見やる。あの事務室での会話以来、吹雪は時折このような顔を見せることがある。出会った時の表情を思えば、二人の関係としては格段に進んでいるだろう。
それでもやはり燐と蓮、それにすずめに対するものとシロガネに対するものは違うと思ってしまう。彼女らと過ごした環境や時間とはあまりにも違うのだからそれは当たり前であると理解していながらも、今現在の連兵としては少し複雑でもある。
そんな思考が子供たちのはしゃいだ声で中断される。見れば庭園の草を摘んで色々と遊びに興じているらしい。そうでない幼児ほどの子供はまた吹雪へとまとわりついて膝に乗り、側にいるシロガネの身体や髪も遠慮なく触ってくる。
やはり吹雪はそんな子供たちを面倒がるでもなく、丁寧に相手をしている。口元が汚れていたりすれば自分のハンカチで拭いてやり、髪の毛に草木がついていれば優しく取り払ってやる。子供たちもそんな思いやりが分かるのか、楽しそうに相手をしてもらっている。
無愛想に見える吹雪がそういう風に相手をしている光景を、どこか微笑ましく思ってしまう。
「黑金大尉は子供が好きなの?」
「貧民街にいた頃から年下の世話をしてたからな。俺も年上から世話をしてもらっていたし、子供たち同士で助け合わなければ孤児は生き残れなかった。だからまあ、嫌いじゃないさ」
少しだけ声が重くなる。リンクからは懐かしさといくらか重いものが伝わってきている。自分の失言に眉を下げた瞬間、吹雪は達観したように笑う。
「それに今でも子供のような姉二人がいるからな。世話するのは吝かじゃない」
騒ぎの中心に目を向ける。双子は来客の一人が三味線で弾き語るのに、手拍子を合わせて囃し立てている。終わると拍手をしては酌をし、返杯を飲み干している。遠目からも機嫌がいいのが分かる。
初対面であるのにもう昔ながらの付き合いであるかのように騒いでいる。実のところをいえば、この家の人間であるシロガネよりも溶け込んでいるように見えた。
「そこは妹じゃないの?」
「曲がりなりにも年上らしいからなあ。一応、尊重はしないとな」
笑いながら言うシロガネにこれも笑って応える。宴席にあってどこか静かな二人は、しばらくの間そうした雰囲気を楽しんでいた。
手洗いからの帰りにふと違う方向へ向かったのは気まぐれだ。宴が始まってそれなりの時間が経っているが、いまだに歓談の声はやむことがない。皆が楽しんでいるが分かる。
なにかに誘われるように来た道とは違う角を曲がる。あるいはそれも宴に誘われての行動かもしれない。
そこにはいくつかの桜があった。とはいえ庭園の中央にあるような立派な枝垂れ桜ではなく、大きさがばらばらの桜が横一列に並んでいる。右端から順に若木になっているようで、階段状に成長が見て取れた。
その中の一本、二番目に若い桜の前になんとなく歩み寄る。小さい木なりに懸命に花弁を咲かせている姿にしばらくの間見入ってしまう。
「それはシロガネが四歳の時に植えたものなのですよ」
振り返るとシロガネの祖母である武宮静香が立っていた。柔和な顔を吹雪に向けながら隣に来て同じように桜を見やる。
「武宮の家では子が四歳になった時にこうして桜を植えるのが習わしでしてね。あまりに育つと別の場所へ植え替えるのですけれど、今代のものは私のを含め、まだここに植わったままとなっているのです」
「色々とあるのですね。先ほどもグリューネヴァルト大尉から伝統で作ったというきんぴらをご馳走になりました。本人は謙遜していましたが、自分はおいしく頂きましたよ。もちろん、武宮さんの煮物もおいしかったです」
あらまあと口元に手を当てて笑みを零す。そこには自身の料理を褒められたということ以上のものが含まれていたが、今の吹雪にそれを推し量ることはできない。
しばらくの間、二人は無言でシロガネの植えた桜を眺め続ける。
風が頬を撫で、それに紛れるようにぽつりと言葉を漏らす。
「黑金さん、うちのシロガネはどうですか?」
首だけを動かして静香を見やる。相変わらず視線は桜に据えられたまま、ゆっくりと言葉が続けられる。
「あの子の生真面目さは知っております。けれど、それでも軍というのは私にとって想像もつかないような過酷な場所だと言うことも推し測れます。正直言って自分の孫がそのような場に身を置くのは恐ろしくあり、それでもあの子の選択ならばそれを支えてやるのが身内の務めというものだと私は思っております。だからこそ、あの子が務めを果たせているか……いけませんね、どうにも孫離れできていなくて」
そんなことはないと首を振ってみせると気配で察したのだろう、感謝するように小さく首肯する。
「心配されずとも彼女はきちんと務めを果たせております。自分にとって……そう、得難い連兵であると保証できます。彼女は自分の出自、噂、そういったものを踏まえてなお、真摯に自分と向き合ってくれていますので」
そうして二人で桜に向き直る。まるでそれがシロガネ自身であるかというかのように真摯に見据える。
「最初、彼女がなぜそこまでしてくれるのか自分には分かりませんでした。でも、今日ここに来て初めて理解できました。武宮さんやその周り、それが彼女の根幹を育んでいたのだと。この家で産まれたからこそ、あれほどまでに真っ直ぐな人が育ったのだと。いい家ですね、ここは」
それは心の底から素晴らしいことであると、そう言外にこめて言葉を紡ぐ。
小さく息を呑む音を聞きながら、ゆっくりと瞼を閉じる。そこにあるのは相互の理解だ。
「望外のお言葉ですね。シロガネもそれを聞けば喜ぶでしょう」
「……恥ずかしいので彼女には内緒でお願いします」
諧謔を滲ませて言うと、同じように小さく笑う。
「一つ、自分も聞いてもよろしいでしょうか?」
どうぞ、という仕草が向けられる。
「この家も庭の作りも桜国のものとして見事な出来であると思います。武宮さん自身、純血の桜国人と伺いました。自分は国粋主義というわけではありませんが、それでもこの家に国外の血を入れるのに躊躇いはなかったのですか?」
宴に誘われる際にこの家や庭園が保護文化財の扱いであるということは聞いていた。一般人の家屋がそういった指定を受けるまでに桜国の文化というのは消滅の危機に陥っているのが現状だ。
吹雪は純血の桜国人ではあるが、貧民街の出自ゆえにそこまで桜国というものにこだわりはない。物心がついたときにはすでに多国籍の国になっていたということもある。
だがそれでも、今まで受け継がれていた文化に異国の血を入れるということに純粋な興味がある。それが、わずかなりとも桜国が桜国であった時代を知る人物によるものであればなおさら。
しかし、そんな疑問をなんでもないような仕草で笑い飛ばす。
「失礼ながら黑金さん、あなたは恋愛というものをしたことはおありかしら?」
「いえ、恥ずかしながらそういう環境になかったもので」
その返答に眼を細めるが、言及はせずに続ける。
「私の娘がこの人と添い遂げたいと、そう告げてきたのなら私はそれが誰であれ受け入れます。それが桜国人であろうが、ジャーニア人であろうが。恋とはそういうものです。愛とはそういうものです。もちろん、娘だけではなく孫が連れてきても同じですよ」
きちんと人となりは見ますけれど。と締めくくってから笑う。それを聞いてどこか曖昧な笑みを浮かべてしまう。
恋も愛も、吹雪にはよく分からないものだ。燐に思うものも、蓮に思うものも、すずめに思うものも、そしてシロガネに思うのも違うというのは分かる。
だが、その先を考えるにはいまだ未熟に過ぎる。貧困と戦い。それだけに費やした人生では無理からぬことだろう。成人となった今でさえ、吹雪の価値観は歪というより他ない。
果たしてそれが理解できる時が来るのかも分からない。前の連兵であるヴァレリーの家族の話を聞いたときは面白おかしく話してくる様子に笑いはした。だが、それを自分に当てはめるとなると、到底想像のつかない光景だ。
そんなことを考えていると、いつの間にか静香が向き合うように立っていた。そのまま吹雪の手を取って両手で握る。
「黑金さん。あの子をどうか、どうかよろしくお願いします。あの子が負うべきであろう大役がどのようなものか……私にはせめてシロガネと、黑金さんの無事を祈ることしかできません。ですから、どうかよろしくお願いします」
すがるような力にわずかに眼を伏せる。それはむしろ吹雪が願うことだ。
連兵殺しであり、アーバン・レジェンドの実験体であり、そして過酷な戦いに伴おうとしている。それは全て自身に起因する。
この懇願を安請け合いすることは可能だ。そのまま、分かりましたとでも返せばいい。それが表面上であれ、それで安堵するだろう。
だがそれができないのが吹雪であり、シロガネとはまた違う善性の現れでもあった。
だからこそ、黑金吹雪という人間だった。
「それは、こちらの言葉です。自分こそグリューネヴァルト大尉に助けられております。ですから――」
ゆえに顔を上げ、真っ直ぐに見つめて言葉を紡ぐ。たとえ自分がどうなろうと、シロガネ・グリューネヴァルトという女性だけは。
彼女にだけは偽りを示さない。
「自分は彼女に恥じぬ連兵で在ると、それだけはお約束します」
それだけが吹雪にできる唯一の誓いだった。
結局、この日の宴は例年にない盛り上がりを見せ、酒が進んだ双子が前後不覚に陥って、静香の許可を得て吹雪共々泊まることとなるのだった。
それが後々まで語られるようになる、武宮家の宴の顛末である。
評価や感想、ここを直せばいいなど頂けるとありがたいです。