Black Dog White Knight~黒狗と白騎士~   作:大正望

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死なず、生きて、助ける

 視界にあるのは先日も見た真っ赤な魔術機動歩兵。だが、今は向き合ってもあの平坦な敵意は向けられてこない。

 

「……ここまで、か。吹雪、あなたは先に行きなさい」

 

 柔らかな声が紡がれる。決して感情を喪ったような平坦な声ではなく、兵装越しですらこちらを労る優しさが感じ取れる。

 

「嫌だ。何を言ってるんだ。逃げるなら二人でだ。すずめを置いて行けるわけない!」

 

 駄々っ子のように首を振る。言い聞かせるように緋色の両手が伸び、黒い顔を包み込む。

 

「言うことを聞きなさい。ここで二人とも捕まったらあそこから逃げた意味はないわ。捕まれば解剖されるか、生かされていても脳みそを弄くられるか、あるいは……」

 

 言葉を切る。実際にそれらを見てきたのだろう。二つ年上の幼馴染みはアーバン・レジェンドに酷使されながらも常にそういったことを調べていた。

 

「だから行きなさい。行って、燐と蓮と合流しなさい」

「嫌だ! すずめと一緒じゃなきゃ嫌だ! すずめと一緒じゃなきゃ、意味がない!」

 

 それでも首を振る。目の前の人と別れて行動するなど考えたこともなかった。物心ついたときからずっと一緒だったのだ。貧民街で凍えてたときも、食べ物がなくて飢えていたときも、下の子たちが流行病で死んで埋葬したときも、アーバン・レジェンドに捕らわれて好きなようにされていたときも、ずっとずっと一緒だった。

 だからこれからも一緒にいる。その想いはしかし他ならぬすずめから拒否される。

 

「なにも私は人身御供になるつもりはないわ。魔力の切れかけたあなたを守りながら戦うよりは、自分だけの方が逃げられる確率が高い。あなたなら分からないことじゃないでしょう?」

 

 嘘だ。それが嘘だということは分かっている。自分と同様にすずめの魔力だって枯渇しかけている。リンクからもそれは伝わってきている。

 それほどまでに追っ手は執拗だ。

 そして、もう時間もない。

 

「四度目は言わないわ。吹雪、行きなさい。燐と蓮と合流した後は慎重にね。私たちはどうあっても常識の埒外にある存在なのだから」

 

 とん、と胸を突かれる。軽い力は、しかし抗えない強さを持っていた。

 

「決して折れない鋼の心を。吹雪ならそれを持てるわ」

 

 おまじないのようにいつも唱えられていた言葉をこんな時にも告げられる。いや、こんな時だからこそなのか。

 魔術兵装越しでもすずめが笑ったのが分かる。おそらくはもう二度と見ることの敵わない笑顔が見えた気がした。

 

「じゃあね、吹雪。ばいばい」

 

 それだけを言って夜空へと駆け上がる。そのままありったけの浮遊体を射出して、追っ手の方角へと突撃する。

 自分もそこに向かわなければいけないのに、助けなければいけないのに。

 しかし吹雪の足は正反対の方向へと駆けだしてしまう。リンクを通じて「行け」「逃げろ」「生き延びろ」とそればかりが伝えられてくる。それは暗に「こちらが来たら許さない」という意思表示でもあった。

 

 一度だけ振り向く。月のない闇夜に緋色の光が瞬いている。それを覆い隠すように緑や青、それ以外の光が緋牡丹へと殺到する。きっと、自分の知る魔術機動歩兵も追っ手に加わっているのだろう。

 ここから先には通さないという意志と、逃げ続けろという意志が同時に伝わってくる。自分のために戦ってくれているのに、逃げることしかできない。

 逃げる。逃げる。逃げ続ける。

 闘って、闘って、闘い続けている。

 

 戦場が遥か遠く、すでに視認できない遠さになってなお、逃走のために飛び続ける。闘争と、逃走、それがリンクを通じて共有される。

 そうして――。

 ぶつん、となにかが切れた。物理的な音はない。衝撃もない。ただ、切れたということだけが分かる。

 

「あ……ああ……」

 

 知らず、呻きが漏れる。凍えた全身に冷水を浴びせられたような感覚が嫌が応にでも現実を知らしめる。

 連兵の喪失という現実に。

 どんなにリンクを探ってみても、そこから先に繋がるものがない。つい先ほどまでそこにあったものが、ない。

 先ほどまで普通に会話していたのに。そこにいたのに。ずっと繋がっていたのに。

 

 一切が、喪われた。

 ただ一つ、最後の最期に送られてきた「ごめん」という意志だけが重石のように残っている。

 こうして黑金吹雪は赤銅すずめという連兵を喪った。リンク以上のものも、全て喪った。

 軍に入って初めての連兵、オットーはアーバン・レジェンドとの闘いの中、憎悪に狂った中で喪った。

 次は冷静であろうとしたのに、同じように闘いの中でデリックを喪った。

 今度こそはと思っていたセシルは闘いが終わった瞬間に不意を打たれて死んだ。

 自分の出自も噂も気にしないと自然体だった秋貴は敵と相討ちになった。

 不吉の象徴のような吹雪を笑い飛ばしたヴァレリーは自分をかばって死んだ。

 

 闘って、闘って、闘って、大切な人たちを喪った。

 皆、死ぬべきではない人が自分のせいで死んだ。喪われた。少なくとも吹雪はそれを信じ切っている。

 それら全ての過去がシロガネへと流れ込んだ。

 

「うああああああッ!」

 

 喉を嗄らすように叫んで飛び起きる。

 見慣れた天井と見慣れた和室の建具が視界に入る。ここは紛れもなくシロガネの自室であり、魔術と剣戟が飛び交う戦場ではないと認識する。

 だが、そう理解しても昂ぶった感情が治まることはない。

 

 どくどくと心臓が跳ねるように鼓動を打ち続けている。今のは間違いなく吹雪の過去だ。吹雪が連兵殺しと呼ばれるに到った、全ての戦いだ。なぜかは知らねど、それが流れ込んできた。

 リンクを通じて見たものとは違う。吹雪の言葉で教えられたものとも違う。先ほどのものは正しく追体験だ。彼が見て、感じて、思ったことの全てを自分も体験した。

 

「黑金……大尉」

 

 視線は壁の向こう、酔いつぶれた燐と蓮の介抱のために泊まり込んだ吹雪がいるであろう方角に向けられている。そこは宛がわれた寝室ではなく、庭先だ。

 彼も今、起きてそこにいる。間違いなくその確信がある。

 夢で連兵の過去を追体験するなど初めてのことだ。ベルタと数年組んでいても、そんなことはなかった。なぜ、今この時にそれが起きたのか。

 

 だが、今はそんなことはどうでもいい。寝間着のまま襖を開けて庭に出る。祖母に見られればこっぴどく叱られるであろう格好も今は気にしていられない。

 自分の求める人物はきっとそこにいるだろうという確信がある。一刻でも早く、会うべきだと心が告げている。

 

「大尉」

 

 果たして吹雪はそこにいた。月光を浴びた枝垂れ桜の下で、幹にすがりつくように両手を着いて頭をもたげている。

 呼びかけにも振り向かず、その背中は拠り所を喪った子供のように震えていた。

 

「……見たんだろう?」

 

 言葉にせず、頷く。気配だけで伝わり、なにも言わない。じっと俯いたまま桜の根元に視線を据えている。

 一歩、踏み出す。その音と動きに怯えたように吹雪の身体が震えた。

 さく、さく、さくと芝生を踏む音だけが響く。震えながらも吹雪は動かない。逃げることもできるだろうに、それでもその場に踏みとどまっている。

 ゆっくりと、その肩に手をかける。抵抗することもなく、その手に導かれるままに振り向く。まるで迷子のように不安と恐怖に歪んだ顔が映る。普段とはまるで違い、ひどく幼げでもあった。

 

「なぜ……なぜ、いつも俺ばかりが生き残るのだろう」

 

 風に舞う桜に紛れるようにぽつりと漏らす。シロガネと合わせようとしない視線はゆらゆらと頼りなげに揺れている。

 

「俺じゃなくてすずめが逃げればよかったのに。そうしたら、すずめがあんな目に遭わなくて済んだのに。俺じゃなくてオットーが生き残ればよかったのに。そうすれば、家族が哀しむこともなかったのに。俺じゃなくて……皆が生きていればよかったのに。俺のせいで、皆を死なせてしまった。皆を死なせてしまう」

 

 力なく紡がれる言葉は、だからこそ本心だ。彼の記憶を夢に見た、シロガネにだけそれが理解できる。

 誰も死なせたくないのに、死なせてしまう。強く繋がっていた人たちを五度も――いや、すずめを合わせれば六度も喪ってしまっている。

 だから、シロガネは告げる。

 

「私は、死なない」

 

 なにを言うべきかも分からない。

 

「私は生きる」

 

 どう言うべきかも分からない。

 

「私は君を助ける」

 

 思ったことをただ言葉にする。

 

「だから、私を頼って」

 

 殴りつけるような宣言に、ようやく視線が合う。

 怖々とリンクが繋がってくるのに、ありったけの本心をぶつける。

 私を信じてと。

 瞬間、吹雪の眼が見開かれてシロガネを凝視する。

 

「君は、どうして」

 

 自分の過去を体験した上でさえそこまで言ってくれるのか。それが言葉にならない。

 それを正しく理解したシロガネがにっこりと笑う。

 

「私が、そうするべきだと思っているからよ。君は私を真面目だと言ってくれた。善性であるとも言ってくれた。でもね、私は善性であろうとも、真面目であろうとも思ったことはない。私が私らしく在ろうと生きた結果、そういう評価を得ただけ。私にだって楽な方に目を向けたいときはたくさんあるわ。君の言う通り、聞かなかった振りをすることだってできた」

 

 楽をしようとする自分。誤魔化そうとする自分。害しようとする自分。そんな自分を認識している。

 だからこそ、それに立ち向かう。それが武宮静香の、そしてグリューネヴァルトの両親に教えられたシロガネの生き方だ。

 

「でも、私はそれに逃げない。一度逃げてしまえば、きっといつか本当に戦わなければならないときに逃げてしまうから。君と一緒にいて死ぬというのなら、これから逃げ出した時が本当に死んだということよ」

「ああ、君は――」

 

 決して折れない鋼の心を。

 すずめが常々言っていた口癖が吹雪にはどうも理解できなかった。日々を生きるのに精一杯だったこともある。すずめを喪ってからはなおさらそんなことを考えられなかったこともある。

 けれど、おそらく。

 今目の前にいる女性(ひと)が見せてくれたもの。

 これが、きっとそうなのだ。

 この枝垂れ桜の家で育ち、生きてきた女性の足跡《じんせい》がそうなのだ。

 

「君は強いな。俺なんかより、ずっと」

 

 吐息のようにぽつりと告げる。その評価が心外だったのか、眼を丸くして吹雪を見やる。

 

「まさか、そんな。だって、最初は君と組むのは怖かったもの。連兵殺しだなんて呼ばれていて、実際に連兵を何度も喪っていて、不吉な噂が囁かれている。私だって望んで死にたいわけじゃない。正直、その辞令に恐怖も激昂もしたわ。本人を前にしていうことじゃないけれど」

 

 笑いながら告げてくる言葉に、つい笑ってしまう。至近距離で笑顔が交わされる。

 

「私の真面目さなんて、そんなものよ。でも、それでも君がそう言ってくれるのなら――」

 

 一息吐いて、告げる。

 

「君が私よりも強くなればいいのよ。そうしたら、赤銅さんを助けられるし、四人で生きていくこともできるわ。そこに私も入れてもらえれば、嬉しいけれど」

 

 不意に手を繋がれ、温かさと柔らかさが吹雪へと伝わる。リンクなどしなくても、今二人は理解し合えていると分かる。

 

「私は生きるわ。私は死なないわ。そして、私は君を助ける。連兵殺しだなんてあだ名、吹き飛ばしてあげる。だから、君も死なず、生きて、私を助けて」

 

 繋いだ手を上げる。これまでの(えにし)を語るかのように、顔の横で二人の手が固く繋がっている。

 夜の中で視線が絡み合う。

 不意に溢れ出すような感情が吹雪の全身を満たす。下手に口を開けば、なにを言うか自分でも分からないような衝動が喉の奥まで迫ってきている。

 それでも言葉を紡ぐのはこらえる。今ここで感情のままになにかを言うのは、違う気がする。

 だから別の決意を伝える。

 

「約束、するよ」

 

 一度、言葉を噛むように歯を食いしばって頷く。

 

「俺も死なず、生きて、君を助ける。俺たちは、そういう連兵になろう」

 

 ぎゅっと、すがるように手を握る力を強める。頼るべき連兵は強い力に応えてくれる。

 決して折れない鋼の心を。

 それを持てるかどうかは分からない。でも、持てるように生きるべきだ。それをすずめとシロガネに教えられた。

 そうすれば、いつかきっと。

 自分もきっと。

 夜桜の下で吹雪はただそれだけを思った。

 




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