ネロアリスがいつものねこのぬいぐるみにライド・オンしながら、赤の騎士に向かう。
迎撃しようと赤の騎士が右手を掲げると、炎が形作られた。
「やぁぁぁぁっ!」
アリスは放たれた矢状の炎を改めてみる。
魔力を練り、攻撃すべく作られた炎でできた矢でしかない。
……もう少し小細工があるかも、と考えていたが、あまりにも真正直な行動に、内心で呆れ、そして哀れんだ。
アリスが乗っているのは、魔法で動かしたりしているとはいえ、その本体はごく普通のぬいぐるみだ。普通にこの炎の矢が当たれば、燃えるだろう。
……そういう意味では確かに相性が悪い相手かもしれない。
だが、アリス的にちょっとだけ強化したぬいぐるみは、炎の矢をその前足で弾く。
その隙を待っていたのように、赤の騎士は物凄いスピードで接近してきていた。
……だが、何の問題もない。
気づいてさえいないのだから、赤の騎士には万が一にも勝ち目はない。
「ぃやぁぁぁっ!」
気迫とともに赤い騎士が炎を纏った剣を振り、アリスはぬいぐるみの足で受ける。
本来なら破け、炎が燃え移ってしまうのだろうが……それを意に介さぬように、ぐにゅん、とした弾力でその剣を食む。
「……くっ!」
剣が抜けないことに気づいた赤い騎士がぬいぐるみから剣を抜こうと、ネロアリスから意識を離したその一瞬。
アリスの魔法は展開した……。
……いや、既に魔法は展開されていたのだ。
◇◆◇
赤い騎士は暗闇の中にあり混乱する。
……何かと戦っていた、と思う。
だが、そんな記憶さえあやふやで、自分自身が何者であるかさえわからなくなっていた。
思い出そうとすれば、それはかえって輪郭を失って消えていく。
……何をしていたのか。……何をするべきだったのか。
それすらもわからなくなって、暗闇の中で呆ける。
(……わたしは、なにを……?)
自らの手を見つめる。
……小さな……とても小さな手だった。
(あぁ……そうか……)
……自覚した途端に、世界は明るくなる。
柔らかく、温かい物に包まれていた。
「……ぁぅ~……だぁぁ!」
(わたし、あかちゃんだった!)
どうやらベビーベッドの上に寝かせられているらしいと気づく。
……ひょこ、と何かが視界に映る。
(……ねこ! ねこしゃん!!)
ねこのぬいぐるみが様子を確かめるように覗いている。
「うぅ~……ぁ~☆」
触れようと伸ばした手がぬいぐるみの前足を掴む。
……ふかふかだった。
機嫌よくその前足を上下に揺さぶると、そのぬいぐるみは自らバランスを取り、引き倒されることなく、彼女の側で、彼女をあやすようにもう一方の前足で胸の辺りを、ぽんぽんと叩いてくれる。
「う~、にゃぁ~☆」
楽しい、嬉しい、という気持ちが溢れるものの、赤ちゃんの思考は刹那的だ。すぐに別の衝動が浮かび上がる。
(……おしっこしたい……!)
「……ぅぅ~……」
くしゃ、と顔を不機嫌そうにしかめて、周囲を見渡すものの、ねこのぬいぐるみ以外誰もいないことに気づく。
「……ふぇぇ~……!」
(……おしっこでちゃう! ……あれ? このまましちゃっていいんだっけ?)
頭の中では、恥ずかしい、という気持ちと、赤ちゃんだから良いのでは? という気持ちがせめぎ合う。
……しかし、それ以上の思考にはならない。
(……あ……れ……?)
現在の状態以上に、意思決定をする、という根本的なものが抜け落ちている。
……それ以前に。
(……わたしは……なに……?)
自分の存在が何のかを考えるという哲学的な考えるに至る。
……まぁ、それはそれとして、あかちゃんの体は我慢を許さず、粗相してしまうわけだが。
じんわりと下半身が濡れていく不快感に泣き声をあげる。
そんな彼女を覗き込んだ少女が、くすり、と笑みを浮かべると、手際よくおむつを替えていく。
(……だれ……?)
母と言うにはあまりにも幼すぎる少女ではあるが、その目には母性が浮かんでいるように見えた。
抱き上げられて、哺乳瓶を口に近づけられる。
「……ぁ~☆」
(みるく! みるく!)
ちゅうちゅう、と貪るように哺乳瓶に吸い付く。
ふと、抱いてくれている少女を見る。
……微笑んでいる。……微笑んでいる、ように、見える。
(……だめ……)
……本能的に理解する。
コレは逆らってはいけないモノだと。
……だから、彼女はソレの望むままであるしかない。
(わたしはあかちゃん……なにもできないあかちゃん……)
そうして、わずかに残っていた彼女の意思は暗い闇の底に沈んでいく。
少女のような何かが浮かべる三日月のように大きく裂けた笑みを脳裏に刻んで。
◇◆◇
「……ふぇぇ~……!」
泣き出した赤子を、くすくす、と微笑みながらネロアリスは見つめる。
おしめを濡らしてしまった、ということに気づくと、楽しそうに、おむつを替える。
汚れた排泄器を清拭し、おむつを替え。抱き上げた赤子に哺乳瓶を吸わせる。
「……ぁ~☆」
機嫌よく微笑みを浮かべる赤子にネロアリスは満足気に微笑む。
生まれたばかりの赤子と言うのは、最も幸せな時間だろう。
何かを考える必要もなく。
己が欲望のまま、空腹を訴えて満たし、排泄し、眠る。
強者であっても弱者であっても皆同じ。
等しく無力で無防備だ。
……故に、ネロアリスが造り出した揺り籠の中では誰しもが無力である。
どんな悪意があろうと考える術を失い……仮に、誰かが操っていても無力な肉体は何事もなし得ない。
『ドールハウス』
多くの者が彼女の能力をそのように認識している。
……しかし、その形は一体誰が決めたのだろうか。
ヴェナリータがそのように話したに過ぎない。
『ドールハウス』と定めた内部のものを好き勝手に扱う能力。
それは何を指し、内とはどこで、外とはどこか。
そして、それを決めるのは一体誰なのか。
……考えれば、答えは一択。
「……♡」
にぃぃ、と口を三日月に歪めてネロアリスは嗤う。
彼女にして見れば、この戦いは始まる前から終わっていたもの。
マジアアトラが気づき、ネロアリスが人払いの結界を作った時から。
……そこは、ネロアリスの作った世界。
彼女の玩具箱。
中にあるものは須らく彼女のおもちゃ。
……だから、中にある
……誰が何を思って、
……だが、彼女の不興を買うには十分だ。
彼女たちは、ネロアリスとマジアアトラ、二人きりの時間の邪魔をした。
それだけで十分で、それ以上は必要ない。
……誰だか知らない何者かは、知らず虎の尾を踏んだ。
「……♡」
ネロアリスは笑みを深める。
手元にあるおもちゃを幼児退行させ、その精神を辱め、少女としての尊厳を蹂躙していく。
ソレがそもそも正気かどうかもどうでも良い。
……ただ、遊ぶ。無邪気に、無慈悲に。
……そして、待つ。
新しいおもちゃはいつの届くのか、と。
どす黒く染まった瞳と額に増えた星の模様と三日月のように裂けた赤い口で。
……おそらくはこちらの動向を見ているであろう存在に向けて、敵意を含めて微笑んだ。
◇◆◇
「……ぁ……ぁ~……」
呆けたように声を上げ、少女は倒れこんだ。
細身の裸身は美しいまま……しかし、しょわぁぁぁ、と漏れ出た液体が彼女の下半身を濡らしている。
その姿にネロアリスは既に興味を示さない。
交錯したその刹那の瞬間。それだけで十二分に遊び尽くした。
「……くぁ……っ……」
少しだけ訪れる眠気に欠伸を一つ。
……ネロアリスにとっては、その程度のことだった。