光だった。
ひと筋の、光。
それは、瞬く間に。
――――一瞬だった。
スタンドから眺めていて。
多数の馬が、競走馬が輪を成すように闊歩する中を。
けれども彼は、迷わずに。
一頭の鹿毛を指さして。
告げる。青年はその口で。
生前に自身を狂わせた存在の名を。
――
うっすらと見えるその存在に、手を伸ばしてみる。
だが、あるのは伸ばせたという事実だけ。
手中に収めるなんて叶いやしない。
――ここは、府中……?
呟く。
自分はいつの間にこんなところを訪れていたのだろうか。
青年は朧げな記憶を辿ろうとして。
――あ、れ?
なんにも、思い出せない。
つい最近の出来事も。
直前になにをしていたのかも。
自身の名も。
まるで抜け落ちてしまったようだ。
しかし、ひとつだけ。
確かなのは、目の前に存在するあの馬に手を伸ばしてみたい。
自身が零した名を、もう一度呟く。
――ヒカル、イマイ。
もう少し、もう少し近づけたなら。
もう巡っているのかもわからない血が、青年の頭に昇っていくようだった。
「そこのキミ。そう、キミキミ。こんなところでなにをしてるのかい?」
問われて、青年は振り向く。
視線の先には、真っ白な少女。
鶴のように白いロングを靡かせる、10代に届くか届かないかの少女だった。
「……ふーん。そういうこと、ねぇ」
顎に手を置いて。
ニヤリと、少女は微笑む。
ただ微笑んだだけ。
だというのに。
青年は直感する。
あっ――死んだ、と。
「キミ、ちょーっと失礼じゃないかな?」
ま、と少女はつけ加えて。
「無理もないか。ホントに死んじゃってるもの、キミ」
――――え……ええ?
「困惑してるね。だけど事実だよ。……一応聞いとく? 死因ってやつ」
青年は黙り込む。
確かに明かされてみれば、自身は死んでいたのかもしれない。
なんというか、やけに全身がふわふわとしているのはそのせいか。
そう結論づける。
「受け入れが早いね。僕としては助かるよ」
もう一度、青年が口を開く。
「うん? ここはどこか? キミの理想・夢に決まってるじゃないか」
少女は肩を竦める。
「ま、キミはこういう人間だったんだなと知ってニヤけるのが、僕の仕事なんだけどね」
くすくすと笑ってみせて、言葉を続ける。
「――だけど、キミ、いい趣味してたじゃないか」
少女は懐から、赤ペンと競馬新聞を取り出すと。
「いいよね、競馬って」
「――――ここの買い目はね、ハイセイコーかイチフジイサミだと思ってたんだ。けどよりによってタケホープが来ちゃった。あんまりにもあんまりすぎて赤ペン投げ飛ばしかけたよ」
競馬新聞を広げて、互いに顔を見合わせて。
少女から日本ダービーで馬券を外したことを聞くと、自然と青年の身体から強張りはなくなっていた。
「…………そういえば一応だけど聞いとくよ。
キミ、好きなダービー馬っている? 僕はクライムカイザーが好き」
――ヒカルイマイ、かな。
「……へぇー」
頷いて、少女は立ち上がる。
「じゃあさ――もしもだよ?
青年は腕を組んで考え込む。
もしも目の当たりにできたのなら。
真っ直ぐに、少女を見据えて。
――夢を、乗せる。俺の夢を。
「……だいたいわかってたけど、そうか、なるほど。じゃあ実際に行ってみたら? あ、感想と馬券の報告、よろしくね」
少女は青年の額に手をかざし、人差し指でちょこんと突く。
――また死後で。ちゃんと悔いのないようにね。
艶のある黒いロングヘアが風に靡く。
女性――
「……うん、いいね。もうすぐか」
バスの車内で全身を揺らしつつ、バッグを片手に下げる。
「まだちょっと寒いけど、まあいっか。気にもならないし」
さて、と充希は続ける。
「買えるといいけどなぁ、あの仔馬」