【第二部始動】モブウマ娘がハンドラー・ウォルターのところへ来る話【第一部完結】 作:合間理保
スタートは苦手だ。最初の飛び出しで私はいつも中団に着く。素早い蹴り出しができない。それは自覚していた。
ウォルターの前でテストのためひとりで走った。距離は3000メートル。得意とする長距離だ。
スタートした後、飛ばしすぎないように気をつけながら加速していき、スピードに乗る。短距離だったらもっと速く走れるが、これはスプリントではない。スタミナの配分が重要だった。
他のウマ娘はいないから自分だけに集中して走れる。普段は集団の中で走る自分にとって、こういうシチュエーションは練習の中だけだ。それゆえに実戦とは違うタイムが出せる。
うまくスタミナが枯渇してきたタイミングでゴール前を駆け抜けた。
走り終わって息を整えているところにウォルターが来る。ドリンクを渡されたので浴びるように飲んだ。
ウォルターがタブレットでデータを確認しながら寸評を始める。
「悪くはないな。スタミナもあり、ペース配分もよくやっているほうだ」
「ありがとうございます」
彼は画面を操作した。
「だが、スタートは課題点だな。反応が遅い。トップスピードに乗るまでに時間がかかる。先行と差しの中間位置を余儀なくされそうだ」
「だからこその長距離主線です。スタートダッシュの影響が少ないです」
「だが、集団に飲まれる危険性もある。中途半端な位置取りが一番良くない。着けるなら、集団前方か後方かだ」
私はうなずいた。ウォルターは再度画面に目を落とす。
「ううむ。スタートの改善を目指すか、開き直って序盤は捨てるか悩ましいところだな」
その様子を見て、私は心の中で頭をひねった。
思いのほか真摯にトレーニングをしてくれそうだ。想像と違う。
噂と、彼を間近で見た印象が合致しない。どういうことだろうか。
「621。休憩を挟んでからロングランだ。まずは走り切る体力を付ける。スタートはそれからだ」
「は、はい。分かりました」
考え込んでいたところに急に話しかけられてびっくりしてしまった。私はゆっくりとストレッチをしはじめた。
ウォルターは私のスタートの不安によって集団の中で埋もれることを危惧しているようだが、それは問題ない。と、自分では思っている。
ウォルターの前ではひとりでしか走っていないので見られたことはないが、スタミナとペース配分以外に、もうひとつ得意だと思っていることがあるのだ。
それを伝えて本番でうまくいかなかった時、すごく恥ずかしい目に遭うはめになるので隠している。うまくいったら、実はこうなんですと伝えよう。
そう思っていた。
◆
トレーニングを積み重ねる。その日々の中で、私の疑問はより大きくなっていった。
やはり、噂とトレーニングを受けた印象が合致しない。ウォルターはウマ娘を使い潰すという話だった。が、自分はそう扱われていない。無理なトレーニングもないし、逆に完全に放置されているというわけでもない。
むしろ私の性質に合わせたメニューを組んでくれている。
どういうことなのだろうか、という疑問の声が出てくる。
たしかによく分からないな、とこめかみを叩いた。
けど、まあいいか、と思い直した。ウォルターのもとでの日々は想像と違っていたが、いい方向に転がっているのならまあ良しとしよう。
悪くないな。そう思い始めていた。
そういう日のなかで、彼のもとでの初めてのレースを迎えた。
レース場の控室でストレッチをして準備を整える。
希望していた通りの長距離戦だ。向こう正面からスタートし、一周半ほどの距離だ。私の力を存分に発揮できるだろう。
「お前のようなくすぶっているウマ娘が主体となるレースだ。ここで躓くようではお前の夢には程遠いぞ。目指すは三着以内だ」
「はい」
自信を持ってうなずく。その自信の源はウォルターのトレーニングだ。彼との日々は私に力と、それと同等のエネルギーをもたらしていた。
ウォルターは続ける。
「注意すべきはこの差しウマ娘と、この先行ウマ娘だ。中団で戦うお前にとって彼女らとの競り合いを制すことが重要だ」
「はい。勝ってみせます」
返事に、ウォルターは満足げにうなずいた。
「行ってこい、621。お前の価値を示してこい」
静かな激励に、自分のほおを叩くように挟み、気合を入れてターフに向かった。
ゲートに入る。周りを見てみると、落ち着かなそうな素振りのウマ娘が多い。長くくすぶり続けるというのは辛い。自信がどんどんと失われていくのだ。
自分も、ウォルターに会うまではそうだった。けれど621は違う。
必要以上に緊張しているのではないかという声を止めるようにこめかみを叩く。
やれる。そう言い聞かせて前を見据えた。
全員がゲートに着き静寂が訪れる。精神が研ぎ澄まされていく。瞬間、ゲートが開いた。
やはり私は集団のなかに埋もれた。が、ある意味これは想定通りだ。私の見せ場はここからだ。
周囲に気を配る。私は集団ど真ん中だ。先行にも、差しにも着けていない。
前方のウマ娘。ペースを落ち着けようとしている。
さらにその前方には気を付けるべきだと言われていた先行ウマ娘だ。
後方にいる差しウマ娘は私のペースに合わせてリズムを作ろうとしている。
外側のウマ娘はペースを上げようとしていた。
ならば、と少しペースを落ち着けてタイミングを伺う。じきにペースを落としていた前方のウマ娘と外側のウマ娘の位置が被る。両者の後ろにわずかなスペースが生まれた。
その間隙を見逃さず、私は外に進路を取る。ふたりの大外に抜け出し、集団の脇にはみ出した。
後方の差しウマ娘は私の急な動きに着いてこれず、集団の中に埋もれる。
前方はクリーンだ。一気にペースを上げて先行ウマ娘の後ろにつく。
私の得意とするところのひとつ。集団からの抜け出しだ。周りのウマ娘の動きや意図を推測し、スペースを見出す力。これには自信があった。
レースも中盤に差し掛かる。前方ではふたりの逃げウマ娘が争っている。その背後から追い立てるのは先行ウマ娘と私だ。
先行ウマ娘がじわじわとその距離を詰める。私はなんとかその動きについて行っている。
どうした、スタミナには自信があるはずだろ。
そう自分を鼓舞する。その意思が動きに出たのだろう。一歩足音が大きくなった。
それに反応したのか、先行ウマ娘がペースを上げる。ラストスパートの段階に入ったようだ。
私もそれに付いていく。ふたりで激しく争ったせいでスタミナ切れしてきた逃げウマ娘を交わした。
コーナーを抜け最後の直線。呼吸が苦しい。体が止まりそうになる。けれどそれは相手も同じだ。少し前を行く先行ウマ娘を追いかける。
ゴールまでもう少し。最後の力を振り絞り駆け抜ける。ゴールの瞬間、観客席に松葉杖を持ったウマ娘が見えた気がした。
ゴールを抜け、ゆるゆるとスピードを落とす。
膝に手をついて荒い息を整えた。
隣で先行ウマ娘が吠えていた。
「二着……」
結果をつぶやく。結局最後まで彼女を抜けなかった。観客席からは拍手が贈られてくる。松葉杖のウマ娘はやはりそこにいた。ウォルターの部屋を教えてくれた彼女だ。彼女も拍手をしている。誰かを見に来ていたのかもしれない。
私は天を仰いで控室に戻った。
控室にはウォルターが待っていた。
「惜しかったな」
「はい」
「序盤の集団からの抜け出しから中盤にかけては良かった。あと一歩伸びが足りなかったか」
「はい」
「顔を拭け」
タオルを渡された。
「……はい」
ゴシゴシと目元を拭う。そのしぐさに紛れ込ませてこめかみを叩いた。
ひとしきり落ち着いた後、ウォルターが言った。
「最高とは言わないが、上出来だ。今後に繋がるだろう。次のレースは俺が取ってくる。よくやった」
「次は勝ちます」
ああ、と彼はうなずいた。
621編ですがたぶん620編の半分くらいの量になると思います
(すでに次話で1話分想定の話が2話分に増量している顔)