【第二部始動】モブウマ娘がハンドラー・ウォルターのところへ来る話【第一部完結】   作:合間理保

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二部 第5話

 620との出会いは、私に新たな決意をもたらした。

 

 ウォルターに降り積もる灰、と彼女は表現した。

 彼女たちウォルターのもとにいたウマ娘の残滓が、肩に重くのしかかっている。

 それを払ってあげてほしいと託された。

 

 私には夢がある。

 

 有マ記念、その頂点。

 

 そこにたどり着けたのならば、彼の灰を払えるだろうか。

 

「621、聞いているか」

 

「あっ、ええと、すみません。集中してました」

 

 ウォルターに問われ、ハッとして慌てて言い返す。

 レース場の控室の快適な空調が私を包んでいた。

 精密検査の後、結果が出るまでレースには出させないと言われていたが、私はエントリーしてくれるよう必死に頼みこんだ。

 

 結果、折れたのはウォルターの方だった。

 

 それで、今私はレース前の控室で最終確認をしているのだった。

 

 ウォルターが不審げに眉をひそめる。

 

「また幻聴か?」

 

「いえ、違います。本当に大丈夫です」

 

「ならばいいが……。ではもう一度警戒事項を伝える」

 

 ブリーフィングを聞きなおす。レース場の特徴、天候から芝の状態、そして競う相手たち。

 ウォルターがひとりのウマ娘の名を挙げた。

 

「やはりこのウマ娘は脅威だ。無理に戦うな、一着は譲ってやれ」

 

「そんなことっ……」

 

「今のお前では無理だ。今は爪を研ぐ時だ。相手にするな」

 

「……イレギュラーってやつですか」

 

「ああ、そうだ」

 

「そんなに差がありますか」

 

「ある」

 

 鋭い断言に、私は歯を食いしばる。

 

「けれど、有マに出るのはそういうイレギュラーなんでしょう」

 

「そうだな。イレギュラーだけが登れる舞台だ」

 

「だったら私はそれから逃げることはできません」

 

「無茶をするな。怪我をしては本末転倒だ」

 

 その言葉に私はウォルターを見据えて、

 

「620みたいに、ですか」

 

 ウォルターはわずかに目を伏せた。苦しそうだと、私はそう感じてしまった。

 

「そうだ。怪我をしては意味がないだろう」

 

 苦しんで、灰の重みに耐えて、それでもなお彼は私を621として迎え入れた。なぜだろうか。

 

「ウォルター、ウマ娘が怪我をすることを痛ましくは思っているんでしょう? どうしてあなたは、それでも止まらないんですか? 何があなたをそこまで進ませるんです?」

 

「それが俺の仕事だからだ」

 

 なんともないような冷たい顔でウォルターは言った。

 私は口を引き結ぶ。

 

 ウォルターの言葉と私の思いに隔たりを感じずにはいられない。

 仕事だとか使命だとか、そういう感情で私たちは走っているわけではないのだから。

 

「ウォルター、私たちは楽しいから走っているんです。好きだから走っているんです。挑戦を楽しんでいるんです。だからトレーナーにも楽しくあってほしい」

 

「お前たちウマ娘はそれでいい。だが、俺は仕事としてトレーナーをしている。そこに感情が挟まる余地はない」

 

 冷えた灰の目、そこからウォルターの感情を推し量ることはできない。

 ウォルターは息を吐き、話を戻した。

 

「それよりこのイレギュラーだ。怪我をしたくないなら無理に付き合うな」

 

 イレギュラー。私たちの前に立ちはだかる者。私が乗り越えるべき壁。

 あえて自信満々だという風に息を荒げる。

 

「やってやりますよ。私が有マに出るには、逃げるという道はありません」

 

「……怪我には注意しろ」

 

 ウォルターはことさら冷たく言った。

 

 

 ◆

 

 

 ゲートが開く。レースは静かに始まった。互いをけん制しあい、ややゆっくりとしたペースで進んでいる。

 私は集団中央だ。その前方、先行の位置にイレギュラーがいる。

 

 走りながらウォルターの言葉を反芻する。仕事だと言った意味を考える。仕事とはすなわち義務だ。

 義務、なんのだろう。

 ウォルターは何をなさねばならないと思っているのだろう。

 ウマ娘たちが怪我をし、それでもなおその道から逃げず進み続けなければならない理由。

 

 分からない。

 

 けれど、何かがあるはずだ。ウォルターのあの灰のような目。そうさせる何かがあるはずだ。

 

 ウォルターの仕事とはそこまでのものなのだろうか。

 あんな冷たい灰のような顔にさせてしまうようなものなのだろうか。

 

 だったら、私はその仕事を終わらせたい。全ての灰を吹き飛ばしてやりたい。

 義務ではなく、冷たい顔ではなく、笑ってトレーナーをできるようになってほしい。

 

 そのためには勝利が必要だ。

 620たちの灰でできた道の先には、明るい空があるのだと知らしめねばならない。

 

 その灰が無駄なものではなかったと証明しなければならない。

 

 残りの距離も三分の一ほどで、イレギュラーがレースを動かした。彼女がペースを上げ、他のウマ娘を引き剥がしにかかる。

 私は歯を食いしばった。

 

 集団から抜け出し、彼女を捉えんとする。

 

 イレギュラー、それがウォルターの道を塞ぐというのなら、私の前に立ちはだかるというのなら。

 

 私たちの前から、

 

「消えろ! イレギュラー!」

 

 叫び、私は加速する。

 飛び抜け、逃げウマ娘をかわした彼女に追いすがる。だが、彼女も伊達ではない。ストライドを大きく、私を振り払おうと駆けていく。

 

 長距離戦の後半とは思えないスピードだ。それでも、私は負けられない。苦しみにあえぎながら、それでもなお止まらない。

 

 勝つのだ。限界を越えるのだ。

 

 必死に体を動かし、イレギュラーを追いかけるなかで、耳鳴りが聞こえてくる。

 甲高い音、それをねじ伏せるように脚を叩きつける。

 

 邪魔をするな。私は今戦っているのだ。

 

 ゴールが見えてくる。体が熱くなる。イレギュラーはすぐ目の前だ。

 

 駆け抜けろ。噛みつけ。全てを食い千切れ。

 

 赤い光の中、私はゴールを駆け抜けた。

 

 

 減速して呼吸を整える。吸って吐く。それだけのことがうまくできない。

 体が熱を持つ。

 呼吸は乱れっぱなしだ。

 耳鳴りが大きくなる。

 

 やがて、それは声のように聞こえてくる。

 

「ああ、あんた。凄かったな。狩りのような走りだった」

 

 イレギュラーのウマ娘が声をかけてきた。だが、私はそれどころではない。声が大きくなってくる。

 痛みに頭を押さえた。足元がふらつく。

 

「おい、あんた。大丈夫か? ……救急! 来てくれ! 様子がおかしい!」

 

 彼女が手を振り、ひとを呼ぶ。それに構わず頭の中の声をオウム返しにぶつぶつとつぶやいた。

 

 救急員が走ってきて声をかけてくる。ウォルターも一緒だ。

 

「きみ、聞こえるかい。まずはゆっくりと座ろう」

 

 肩を貸される。声がうるさくて気にしていられなかった。頭の中に響く声をうめくようにくり返す。

 

「ISB2262。グリッド135。AH12。HI-32。IA-02」

 

「きみ、何を……? しっかり。こっちを見るんだ」

 

「IB-01。VE-60SNA。Rb23。ザイレム……」

 

 ひときわ頭の声が大きくなる。目をみはるウォルターと目があった。そして何度も繰り返される声を口に出す。

 

「……コーラル」

 

 眼球がぐるりとどこかを向き、体の力が抜けた。救急員が慌てて体をささえる。

 気を失う瞬間、見えていたのは、真っ青になったウォルターの顔だった。

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