【第二部始動】モブウマ娘がハンドラー・ウォルターのところへ来る話【第一部完結】 作:合間理保
レースの翌日、私はウォルターのトレーナー室に足を運んでいた。
彼からは休息を指示されていたが、なんとなくそうしたいと思った。
いや、本当は分かっている。早めに会わなければ、こっぱずかしくて会いにくくなると思っていたのだ。
(大泣きしているところ見られたからなあ)
あんなに泣いているところを人に見られたのなんて、だいぶ久しぶりだ。レース後で感情が昂っていたこともあって、情緒が不安定になっていたのだろう。
思い返せば恥ずかしさに頬が赤らむ。それを隠すように口元を手で覆った。
とにかく、会ってこの気まずさを何とかしないといけない。うじうじと悩めば悩むほど会いづらくなってくるだろう。
トレーナー室に着けば、いつものドアが私を出迎える。
初めて来たときには、地獄へと続くドアに違いないと思っていたのだが、今ではなんてことのないただのドアだ。噂に振り回され、何を恐怖していたのだろうか。
そう、噂だ。なぜウォルターは「ウマ娘を使い潰す」などという噂が流れていたのだろう。
分からないが、本人が気にしているそぶりを見せない以上、あまりこちらから触れることでも無いかと思い直す。
私にとって、いいトレーナーであれば別にそれで良いのかもしれない。そう思うのは意地が悪いだろうか。
ともあれ、部屋に着いたのだから後は扉を開けて会うだけだ。それで、この決まりの悪さともお別れだ。
んん、と咳払いをしてノックをすれば、ウォルターの声が帰ってくる。ドアを開けると彼はわずかに驚いたような顔をした。
「どうした、620。今日はトレーニングもミーティングも無いぞ」
いつも通りの調子で声を上げるので、やはり昨日のことを気にしすぎているのはこちらだけだと分かった。意識しすぎていたという事実が露になって、それはそれでちょっと恥ずかしい。
そこで、はて、私はなんと言葉を返せばいいだろうか、と迷った。
まさか本当のことを言うわけにもいかず、かといってなんとなく会いに来ましたというのもおかしな話だ。
「ええ、いや、あの……」
と言葉に詰まっていると、ウォルターは眉根を寄せた。
「不調か? レースの後、一晩経って足が痛みだすというのも良くある話だ。もしそうなら……」
「あっ、いえ! 違います違います! 元気です! はい!」
「……? ならばいいが……」
「ええと、その、昨日のことが気になって……」
結局、そう濁して伝えることになった。
しかしウォルターはレースのことだと勘違いしたらしい。
「ふむ。デブリーフィングは明日にしようと思っていたのだが、そういうことなら軽めには伝えておこう」
ウォルターが続ける。
「二着は上々の結果だった。これで先のレースのような小規模のものから、少しは大きなレースにも出られるだろう。実際あるレースから出場の打診が来てい……」
「本当ですか!?」
「あ、ああ。さほど大きな規模とは言えないが、確かにステップアップと言える。調整が合えば参加させようと思っている」
「出ます! 明日でも大丈夫ですよ!」
「……やる気は買うが、落ち着け620。まずは体調の確認からだ」
そうウォルターは締めくくった。やはり私が怪我をしないことを優先しているらしい。どうにも優しさが隠しきれていないようだった。
「どうしてです?」
ぽつりとした呟きが私の口から漏れた。ウォルターは訝しげに眉をひそめる。
「なにがだ?」
「えっと、ウォルタートレーナーはどうして日本でトレーナーをやっているのかなって。外国の方ですよね」
慌ててそう言い繕う。さすがに「どうしてこんな優しいのに悪評が流れているんです?」とは聞けなかった。
彼はふむ、と口元に手をやった。
「そうだな、何と言えばいいのか。……トレーナーになる前の、昔の俺には成すべき事があって、それはどうしても果たさなければいけない使命だと思っていたのだが、結局俺では出来なくなってな。それで、古い友人と、」
と、そこで彼は言葉を切る。続く適切な言葉を探しているようだった。
「友人と……。ああ、信頼できる奴に使命を託して先に脱落したんだ。それから、いつの間にかここに居た」
「いや、大事なトコすっ飛ばさないでくださいよ」
「いや、本当にいつの間にかだったんだ」
すっとぼけるウォルターに、私は追究を諦めた。
ウォルターの傍らにある杖を見やる。足を怪我して何かを諦めたのだろうか。それから、ふらふらと色んなことをしていたとか。
色々と想像できるが、濁して言われたあたり、あまり言いたくないのかもしれない。
それでも、これだけは聞いてみたいと思った。
「ウォルタートレーナー、その託した使命っていうのは、果たせたんですか?」
「分からない。が、あいつらがやる事だ。どんな結末になっても、俺はきっと満足しただろう」
なんのてらいもなく、そう言ってのけたので、本当に信頼してたのだな、と私は少し羨ましくなった。
「まあ、今の俺のやる事はお前のトレーナーだ、620」
これは私が羨ましいと思ったことを見透かされたのだろうか。
あるいは、使命と同じ重みを、私やトレーナーという立場にも感じてくれているのかもしれない。
そこで、ドアがノックされた。誰だろうかと疑問に思っていると、ウォルターが立ち上がってドアを開けに行った。
そこに居たのはウマ娘だ。背負った大きなカバンから、食べ物の配達サービスのウマ娘だと分かった。彼女はカバンから紙袋を取り出す。
「どうも、ご注文のホットサンドです」
「ああ」
短くお金のやり取りをしてすぐに彼女は出て行った。どうやら別のトレーナーへの配達もあるようで、そのまま隣の部屋にも向かったらしい。
「いつも頼んでるんです?」
聞けば、彼は袋をデスクの上に置いた。
「たまにな。学園の近くにある喫茶店で、コーヒーが美味いらしい」
「らしい、って」
「行ったことは無くてな」
「行ったことのないお店のデリバリーばっか頼んでるんですか? なんでまた」
「ううむ、知った奴が開いた店でな。顔を出しづらい」
へえ、と思った。
ウォルターにも私のような気まずさを感じる場面があるらしい。そういうところは同じ人なのだなと思った。
「それじゃあ、そこのお店私にも教えてくださいよ! 私が偵察に行ってあげます! どんな人なんです?」
「……まあ、お前の学外の行動まで制限するつもりはないが……。もともとこの学園に居たウマ娘だ。結婚して、二人で店を開いた」
「へえ! 素敵な話ですね!」
思わぬ話に身を乗り出した。他人の恋バナは嫌いじゃない。
続きをせがむ私に、ウォルターは困ったように唸り声を上げたのだった。
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