【第二部始動】モブウマ娘がハンドラー・ウォルターのところへ来る話【第一部完結】 作:合間理保
「620。ブリーフィングを始める」
そうウォルターが言った。レース場の控え室の空気が一気に変わる。
「今回のレースは、お前のような小規模レースで結果を出したウマ娘が主体となる。主催者としては、ダイヤの原石を発掘できるレースだとアピールしたいのだろうが、走るこちらにとっては気にしなくてもいいことだ。走って良い結果を残す。それだけだ」
以前話のあった、出場打診の来たレースだった。小規模レースでの逃げウマ娘との競り合いが主催者の目に留まったようだ。今後伸びてくると思われているらしいのは素直に嬉しかった。
その後、コースの条件、芝の状態、相手となるウマ娘の情報などレース前に確認すべき情報をあらためて確認する。
「そしてこれが最大の注意点だが、」
とウォルターはタブレットの画像を切り替えた。
そこには、オレンジ色の長髪をたなびかせるウマ娘が表示されている。落ち着いた表情とすらりとした体が特徴的だ。
「彼女は本来このレベルのレースに参加するウマ娘ではない。頭ふたつ飛び抜けている。彼女とは戦うな」
「えっ?」
思わず声が出る。戦わずにどう勝てというのだろう。
「逃げで戦うウマ娘だが、無理に追うな。無視しろ。自分のペースを守り、落ち着いて走れ。」
そうすれば上位に入れるだろう、とウォルターは言う。
しかし、私は聞かずにはいられなかった。
「逃げるんですか? 戦わずに」
「……そうだ。イレギュラーが無ければ上位に入れる。彼女は気にするな」
苦々しい表情のウォルターに、私はなおも食らいつく。
「そんなに強いんですか、この子は」
「現状の手札では勝ちの目が見えん。トップクラスのランカーを視野に入れたウマ娘が調整のため出場しに来たといった形だろう。そういうウマ娘だ。……最終的にはお前の判断だが、素直に俺の言う事を聞いておけ」
「……私は」
どうしたいのだろう。620はどうすべきなのだろう。
頭の中の冷静な部分は、トレーナーとしての彼の助言に従うべきだと言っている。しかし私のウマ娘としての本能は、戦いたいと唸りを上げている。
「そろそろ時間だ、620。いずれにせよ、無茶はするな」
「はい。行ってきます」
部屋を出る前、私は振り返った。
「私は、きっと戦います。たぶんそうなります」
「そうか」
ウォルターはそれ以上何も言わなかった。
ゲートに入る前、オレンジ髪のウマ娘に目を向ける。彼女は他の誰にも目をくれず、ただ前だけを見ているようだった。その涼しげな目は何を見ているのだろうか。
それぞれのウマ娘がゲートに入る。
訪れる一瞬の静寂。
そして、ゲートが開いた。
スタートは、やはりオレンジ髪のウマ娘が圧倒的だった。
集団に飲まれることもなく、他のウマ娘を突き放ち先頭に立つ。先頭に着いてからもそのスピードは落ちることはない。いやむしろどんどんと加速している。
(は、速すぎない!? こんなスピードで最後まで持つの!?)
明らかにオーバースピードだ。たとえ自分が逃げで戦おうとしても着いていこうとすら思えない。とはいえ、自分のペースを守ったままではすぐに距離を空けられる。
どうするべきか、私たち他のウマ娘は選択を迫られた。
ペース配分を偏らせてでもスピードを上げ、彼女との距離を離され過ぎないようにするか。彼女のスタミナが尽きるのを祈って自らのペースを守るべきか。
私は前者を選んだ。
同じ選択をしたウマ娘と共にスピードを上げる。そうしなければ勝負権すら無いと考えた。
レースは圧倒的なスピードでひとり走るオレンジ髪のウマ娘、それに着いていこうとする第二集団、自分のペースを守り、後半に勝負をかける第三集団に分かれた。
レースも中盤、オレンジ髪のウマ娘も流石に息を整えているようで、そのスピードも少しは落ち着いた。ただそれでも私たちとの距離は縮まらない。
レースとしては、かなりのハイペースなものになっている。だがしかし、これは吉兆だと思える。
(こんなペース、絶対に失速する)
そうだ。ペースを落としてなお、私たち第二集団のハイペースと同等なのだ。これが終盤まで持つはずがない。問題は、私のスタミナのほうが先に尽きかねないということだ。
だがここは歯を食いしばって耐える時だ。そう思いペースを維持する。
ひとり、またひとりと第二集団からウマ娘が脱落していく。スタミナを食いつくした彼女らはもうレースにならないだろう。
そして第三集団もじりじりとスピードを上げてきた。残り少ないスタミナで彼女らの猛追を凌ぎながら、先頭のオレンジ髪のウマ娘を追わなければならない。
ついにレースは終盤に入った。
ここだ。ここで失速する彼女を捕まえる。そう思って視線を前に向ければ、彼女は力強く大地を踏み込み、再度加速した。
(ありえない! もうスタミナなんて残っていないはずなのに!)
一瞬でトップスピードに乗り序盤を逃げ切り、ハイペースを維持したまま走り続け、さらにラストスパートをかける。
そんな誰しもが夢想する走りで彼女は駆け抜ける。
どんどんと離れていく彼女の後姿に、視界が真っ暗になっていく。後方から追いかけてくる集団に飲み込まれる。
それに抗う力は、もう私には残っていなかった。
結局、私は失速し、八着に終わった。終わってみれば、自分のペースを守った第三集団のウマ娘たちが中団より上を占めていた。
そして誰をも寄せ付けず、誰にも影をも踏ませず、誰より速く駆け抜けた一着は言わずもがなオレンジ髪の彼女だった。
圧勝、完勝という言葉では表せない。もはや勝負にすらなっていないというようなレース運びだった。
その彼女は歓声を上げる観客に、ひらひらと控えめに手を振っていた。
その目に私たちの姿は少しも映っていないように思えて仕方がなかった。
いつの間にか、私は控え室に戻っていた。
ウォルターが心配そうに声をかけてくる。
「よくやった、620。よく戦った」
「戦った……?」
呆然と呟く。
「戦ってません。歯牙にも掛けられなかったんですよ」
戦いになんてなってませんと、また呟いた。それから言う。
「彼女は、あれはなんなんですか? あんな圧倒的な……」
「どこの世界にもああいう奴はいる。イレギュラー。ドミナント。形容する言葉は多々あれど、並の相手ではどうにもならないエースオブエースだ」
「イレギュラー……」
「そして、そういう奴らが集まり、しのぎを削るのが中央だ」
その言葉に私は何も返すことができない。あんなのが、他にもあまた居るのだ。
「620、お前は確かにエースだ。それは確かだ。だが、エース止まりだ。言っただろう、中央では大成しないと」
ウォルターと出会った日を思い出す。そうだ、テストの後そう言われたことをよく覚えている。
だけどそれでも走りたいと私は言ったのだ。言ったけど、
「トップとの差があるのは分かっていたんです。私じゃあ太刀打ちできないウマ娘たちが居ることも分かっていたはずなんです。それでも、肌で感じるとやっぱり違うんだなって」
彼女らに追いつきたい、追い抜きたい、そういう気持ちはもちろんある。
一方で、追いつけないと分かってしまうのだ。
イレギュラー、私は彼女たちとどう向き合えばいいのだろうか。
絶望の中で、それでも私の中には何かの火が燻っていた。
絶望を焚べよ