【第二部始動】モブウマ娘がハンドラー・ウォルターのところへ来る話【第一部完結】 作:合間理保
完結はさせますのでのんびり待っていただければと
トレーニングに身が入らない。理由は簡単だ、それほどまでにあの敗北がこたえていた。圧倒的な差の前に、私はどうすればよいのか分からなくなっていた。
「620。今日のトレーニングは早めに切り上げよう」
見かねたウォルターから声がかかった。
「え、でも……」
「今のお前には気分転換が必要だ。自分で分かっているだろう」
「……そうですね」
「何をするかは任せるが、今日は自由にしていろ」
言い置いて、ウォルターはトレーニングルームから出ていった。
心配をかけているなあと思う。
あまりウォルターに余計な負担をかけたくはない。早いとここの宙ぶらりんな状態をどうにかしなければ。
さて、どうしようかとあごに指をあてる。
カフェでやけ食い。いや、ものを食べる気分ではない。
ならば商店街かゲーセンでも行こうか。うーん、何か違う。
などと思い悩んでいるうちに、私の足はグラウンドの方へ向かっていた。
ベンチに座り、トレーニングに打ち込むウマ娘たちを見る。トレーナーとマンツーマンで居る者、合同で走っている者、タブレットでデータを見ている者もいる。
私も彼女らの中のひとりなのだと思うと何となく胸がすっとした。
と、そこに声が降ってくる。
「あれ?」
「え?」
以前小規模レースでトップを競り合った逃げウマ娘がそこに居た。ドリンクを片手に首にかけたタオルで汗を拭いている。
「久しぶりな気がするね! 座っていい?」
「え、あ、うん」
「ありがとう!」
人好きのする笑みを浮かべて、彼女は私の隣に腰掛けた。
休憩中? と聞かれたので私はあいまいに頷いた。
「そっちも休憩?」
「そう! トレーナーってば書類を片付けてなくてね。中断になっちゃった」
彼女はやれやれとばかりに肩をすくめた。
「私のトレーナーは書類仕事やりたがらなくてね。そっちのトレーナーはどんな人?」
「ウォルタートレーナーは」
「え?」
「あ」
しまった。ウォルターの名はいわく付きだった。
そっと腰一つ分距離を取られた気がする。
「いや、いい人だよ? 噂なんか当てにならないね」
「そ、そう?」
「そうそう。今日も調子が悪かったから早めにトレーニングを終わらせてくれ……」
しまった。余計なことを言った。
彼女に目をやれば、我が事のように眉を八の字にしている。
表情豊かな子だなと他人事のように思った。
「えっと、聞いてもいい?」
「あー、まあ、いいか」
人に話すのも、何か心が晴れるきっかけになるかもしれない。
そう思って私はたどたどしく今までの経緯を話した。
「それでボロ負けして気が滅入っていたから、気分転換ってわけ」
努めて軽く何でも無いことかのように言ったのだけど、話を聞く彼女はやはり辛そうだ。
私の話なのに、本当にいい子だなあとあらためて思う。
そこで、彼女はスッと立ち上がった。こちらを向き手を差し伸べる。
「走ろう!」
「はい?」
唐突な彼女の言葉に、思わず目が丸くなる。彼女はぼうとしている私の手を取ると、引っ張って立ち上がらせた。
「悩んだり、辛くなったりした時は走るの。コーナーもペースも気にしないで、ただ真っ直ぐ走るんだよ。全部削ぎ落として、もう走れないってとこまで走ると大事なものが見えてくるの」
「大事なもの?」
うんうんと彼女は頷いて続ける。
「それに、私のトレーナーが言ってたよ。迷えば敗れるって」
「迷えば、敗れる」
彼女のトレーナーの言葉がスッと胸に落ちる。それが正しいなら、今の私は誰にも勝てないだろう。
今の私は行くべき道も、行きたい道も分からなくなってしまっている。なるほど、だからこそ。
「だから走るんだよ。迷いも、何もかも振り切った先に私たちの本当に大切なものがあるはずだよ」
にかりと音のするような笑みで彼女は言う。
「ここから向こうの端まで行って、またここまでね! はいよーいどんっ!」
「あっちょっと待ってよ!」
言うやいなや、彼女は一気に走り出した。慌ててそれを追う。彼女の言う通り全力疾走だ。多分復路の途中でバテるだろう。だけどそんなことは気にせず無我夢中で走った。
手を振り、足を振る。
それだけのことなのに、それがたまらなく心地良い。
私は速く走りたい。
どんな壁が立ち塞がろうと関係ない。ただただ速く走りたい。挑戦を諦めたくはない。自然とそう思える。
イレギュラー、そんなものは関係ない。私は620だ。ならば620に相応しい走りをしよう。私はひとりじゃない。ウォルターがそばに居るのだから。
全てを削ぎ落とした先に、何が見えるのか。
じきに呼吸が追いつかなくなってくる。また、視界が暗くなってくる。でもきっとこの先に何かがある。
真っ暗な視界の中でサンゴのように鮮やかな赤い光の点が見える。それはまるで音声の可視化グラフのように光の増減をまたたかせた。やがて一瞬の静寂の後、光は放射状に広が……
「620」
声が聞こえた気がした。
荒い息をつき、地面に腰を下ろす。
私より先にゴール地点に着いていた彼女が息を整えながら声をかけてくる。
「何か見つかった?」
「声、ウォルタートレーナーの声がした」
息も絶え絶えに答える。
「そっか、それがあなたの大切なものなんだね」
そうてらいなく笑う彼女に笑い返した。
そうだ、ウォルターは私を見出してくれた。
大成しないと知りつつ、イレギュラーがあまた居るこの学園で、私というノーマルをここまで引っ張り上げてくれた。
ならば、私はそれに応えるべきだ。いや、応えたい。
走ろう。
私の力を、ウォルターの力量を示すのだ。
私自身のために。
そして何より、ウォルターのために。
証明してみせよう、私たちにはそれができるはずだ。
ちょっとこの子感情がジェットコースターすぎやしませんかね