【第二部始動】モブウマ娘がハンドラー・ウォルターのところへ来る話【第一部完結】   作:合間理保

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喫茶店までの描写はカットだカット


第8話

 ドアベルの音が小気味よく響く。「いらっしゃい」という優しげな若い男性の声がかけられた。

 声の主に目をやれば、617と一緒に写真に写っていた男性だと分かった。おそらく彼が617と結婚したという人なのだろう。彼は店内を手で指し示した。

 

「空いているお好きな席へどうぞ」

「えっと、その、今日は人に会いに来まして……」

「? お待ち合わせですか?」

「あの、この方なんですけど」

 

 私はポケットから写真を取り出して彼に見せた。この店の前で、617と彼が写った写真だ。

「わあ、お店を開いた時の写真だ。懐かしいなあ。ええと、ということは妻に会いに?」

 私はこくりと頷く。どうもほんわかとした空気をまとった人で、意気込んできたこちらの気がそがれる。客商売だったら、彼の様なゆったりした気質のほうがいいのかもしれないと思い直した。

 

「学園の子かな。ちょっと待っててね。呼んでくるよ」

 彼は店の奥へ向かっていった。しばらくしてウマ耳の女性がやってくる。写真の彼女だ。彼女は困惑げな表情で私に問うた。

「私にお客さんって……。ええと、どこかでお会いしたかしら?」

 私はごくりとつばを飲み込む。意を決して尋ねる。

 

「あなたが、617、ですよね」

 

 途端に彼女の顔つきが困惑から警戒へと変わった。

 

「あなた、誰? 何の用?」

「えっと違います! 私、ウォルターに担当してもらってて、620といいます! はい!」

 両手を体の前で振り、早口で答える。

 わたわたと慌てだした私に気勢をそがれたのか、それともウォルターの名を出したからか、彼女の警戒した姿はなりを潜めたようだ。彼女はいぶかし気にあごに手を当てる。

「620。そう、620か。それで、何の用なの、あなた」

 同じようなセリフだが、先ほどの様な言葉の棘は感じられず、口調からこちらに寄り添うような態度を感じた。

 

「話を聞きたくて。あなたと、ウォルターの話を。なんであなたが怪我をしたのか、とか」

そう、と彼女は目を伏せた。昔を思い出しているのか、その目は優し気な光をたたえている。

「長くなりそうね。奥の席を使いましょう。……ごめんなさいね、ちょっと抜けるわ」

 後半は夫である店主への呼びかけだ。コーヒーを淹れていた彼は「はいよ」と軽く答えた。

 

 テーブル席へと場所を移し、さてどう切り出そうかとしたところで、店主が声をかけてきた。静かにカップがテーブルに置かれる。

「はいどうぞ。ココア入りのカフェモカだからそんなに苦くないと思うよ。君にはカフェインレスのカフェラテね」

 カフェラテを受け取った617がありがとう、と答える。一方で、私は何も頼んでいないのにカップを渡されて困ってしまった。

「え、でも……」

「いいから。最初の一杯は妻の友達へのサービス」

 ぱちりと軽薄にウインクをしてから彼は頭を下げた。

 

「ごゆっくり」

 

 彼が立ち去ると、617がカップに口をつける。あなたもどうぞ、と声をかけられたので、いただきますとカップを手に取った。

 

「おいしい」

「よかった」

 にこりと617が笑う。

 

「それで、私とトレーナーの話が聞きたかったのかしら?」

「は、はい。……あの、ウォルタートレーナーがどう呼ばれているかはご存知で?」

「もちろん。私が居た頃にはもう良いトレーナーだって話は聞かなかったわね」

「それじゃあ、なんでウォルタートレーナーのところに?」

「きっとあなたと同じよ。どうしようもない私を拾ってくれるのは彼くらいしかいなかった」

 

 拾ってくれた、と私はオウム返しに呟く。たしかにそうだ。私たちはウォルターに拾われたのだろう。そうされなければ誰にも顧みられることなく、レースから去ることを余儀なくされていたのだから。

 

「618と619も同じだったわ。みんなで一緒に走っていた」

「ウォルタートレーナーはどんなトレーニングを?」

「どんな、って言っても……。ちゃんとしたトレーニングだったわよ。真摯に組まれたメニュー。使い潰すって感じではなかったわね」

「そう。そこなんです」

 

 私は頷いた。

 

「私も同じようなうわさを聞いて、それでもウォルタートレーナーのもとに行きました。けれど、使い潰すなんてされなかった。大事にされています。あなたたちもそうだったんでしょう。うわさはただのうわさに過ぎなかった。けれど、事実としてあなたたちは怪我をして引退をしている。使い潰されていないのに、潰れている。いったい何があったんです?」

 

「その答えは簡単よ」

 

 彼女は自嘲するように微笑んだ。

 

「私たちは、自ら、喜んで、潰れにいったのよ」

 

「……は?」

 

 私の口から息が漏れる。彼女が何を言っているのか分からなかった。

 

「どういうことです? 自ら進んで怪我を?」

「結果的にはそうなったわね」

 

 そこで617はカップを口に運んだ。それから両手をしきりに組み直す。

 言葉をよくよく探しているようだった。

 

「私たちはウォルターに恩返しがしたかった。ただそれだけだった。レースに勝って、ウォルターの悪評を振り払い、よくやったと言ってほしかった。そのために走った。そして、限界を越えた結果を求めて怪我をしたの。私の前のウマ娘たちもきっとそう。……私たち三人の中で、まず618が抜けた。彼女はもともと身体の強度に不安があった。それで、走ることを諦めた」

 

 617はいまだに手を組み直し続けている。

 

「彼女は私たちに、私と619に意志を託した。ウォルターに勝利を、と。それから619が怪我をした。彼女はいろんなレースに出てデータを集めた。いろんなウマ娘のデータを集め、私が出るに相応しい大きなレースと環境を見繕ってくれた」

 

 組んだ手をぎゅうと握る。

 

「618の意思を託され、619が突破口を開き、617はレースに向かった。勝つんだと意気込んだ。けれど、そこに最大の障害が突如として現れた」

「障害?」

「データに無かったウマ娘。期限ギリギリになって出場を決めたらしいウマ娘が私たちの前に立ち塞がった。私はあらゆる手を使い、駆け引きを行い、限界を越えて立ち向かい、それでも一手足りなかった」

 

 617はほう、と長い息を吐いた。今思い出しても悔しさが滲み出てくるのだろう。

 

「後に残ったのは怪我をして、それでも勝てなかったという結果だけ」

「……」

「ねえ、あなた。ウォルターのために走るのはやめておきなさい」

 

 617は私の目を見て言った。

 

「きっと、あなたも私たちと同じ道をたどることになる。怪我をして、泣きながらウォルターのもとを去ることになる」

「そんなこと……」

「あるわ」

 

 言い返そうと思ったものの即座に言葉を返される。617は私に何を見ているのだろう。

 

「ウォルターは無茶をさせないわ。彼の指示に従って走っていれば無理な怪我はしない。それで十分なはずよ。それであなたは、華々しい成績が無くても、学園を走り抜けられるはずよ」

「そうはいきません。私はウォルタートレーナーのために走りたいんです。レースに出られる恩は、勝利でしか返せません」

 

 私は617の目を見返してきっぱりと告げた。

 

「それに、私は勝ちたいんです。イレギュラーと呼ばれる彼女たちに」

 

 617はピクリと眉を動かした。

 

「イレギュラーに憧れるのもやめておきなさい。それこそ身を滅ぼすわ」

 

「いいえ。いいえ、私は知ってしまったんです。過去にウォルターと共に走ったあなたたちのことを。あなたたちの渇望を」

「……? 急に何を……」

「トレーニングに打ち込み、ウォルタートレーナーに恩を感じ、そして怪我をしてまで追い求めた、あなたたちの勝利への渇望を、私は知ってしまったんです」

 

 そうだ。あのファイルのデータが、彼女たちの勝利への真摯な思いを、なによりも示しているのだ。

 617、と私は彼女に呼びかけた。

 

「617、私も同じものを持っています。私は走って打ち勝ちたい。あなたたちの思いを抱えて走りたい」

 

 覚悟を示すように、私は両手をぎゅうと握りこんだ。

 

「私たちの勝利を手にしたいんです。私と、ウォルタートレーナーと、617、あなたたちの全員の勝利を」

 

 617は手を額に当てうつむいた。彼女は長い息を吐く。

 

「きっと、きっと後悔する結果になるわ。あなたが壊れるのなんて、だれも望んでいない」

「壊れません。走り抜けて見せます」

「そう言って、みんな壊れていったのよ」

 

 言ったきり、617は黙り込んだ。しばらくすると諦めたように天を仰いだ。それからこちらをじっと見やる。

 

「止まる気はないのね」

「はい」

「そう。ならもう止めないわ。ねえ620。勝ってちょうだい。私たちの分まで、ウォルターのためにも、そしてなにより、あなた自身のために」

 

「はい」

 

 

 そうして、私はお店から出る。

 ここに来てよかった。負けられない理由がもう一つできた。

 

「そうだ、617」

「何かしら?」

「ウォルターがここのサンドウィッチ買ってるの知ってます? おいしいって褒めてましたよ」

「あら、それは……。ありがとう」

 彼女は微笑む。このことも告げられてよかったと思う。私は意気揚々と学園に戻った。

 

 

 学園に付くや否や、私はすぐにウォルターの部屋に駆け込んだ。

 

「ウォルタートレーナー! 私、このレースに出たいんです!」

 

 そのレースは、一流を見極めるレース。いい成績を残せば、大規模なレースの出場も見えてくる、まさしく登竜門と言うべきレースだった。

 

 私たちの真価が問われるだろう。

 私たち、ウォルターと、ウォルターに率いられたウマ娘たちの真価が。




トレーラーで618がいなかった理由

事前の作戦でKIA
もともとウォルターのもとにいなかった
その他

どれなんでしょうね
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