月暈   作:albtraum

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自由気ままに好き勝手にやっております。

それでもええで
という方のみお楽しみください。




銃の扱いがどうとか、そう言った所には目を瞑ってやってください。


奔走

 様々な音が交じり合う。風が吹き抜ける音、燃える火の揺らめく音、炎の中で可燃物がパチパチと水蒸気の小さな爆発を起こす音などだ。その他には話す声、誰かが歩く音など身近な物まで含まれた。

 身近でない音は、不快感を抱かせる罵声や嘲る笑い声だろうか。また、悲鳴や泣き声も含まれる。鼓膜にへばり付くような悲痛に満ちた叫び声は、私の精神をガリガリと削る。

 その他には、以前よりも激しく連射される射撃音や爆発音が重なり、建物に反響してあちこちから聞こえてくる。戦闘が激化しているのを感じた。

 開いた視界の先では、快晴とまではいかない空が映る。火災から立ち昇る黒煙や重火器の使用で発生した硝煙が漂っている事を除けば、悪くない景色だ。

 オレンジ色の光が空を包んでおり、あと一時間も経過すれば日が落ちるだろう。本当、何もなければ美しい夕暮れだというのに、今の状況では血のようなイメージが拭いきれない。

 そんなことをぼんやりと考えていたが、私は一瞬で我に返った。

「うっ……く…」

 体の節々が痛い。筋肉痛とは違う骨から来る痛みだが、折れているわけではなさそうだった。血まみれの手を見るだけで痛みを感じてしまいそうだが、肩の痛みが強く、全身から来る痛みを打ち消すほどに主張する。

 三階とは言え、あの姿勢で落下したというのに、なぜ私は死んでいない。嬉しくもあったが不可解で、顔を傾けると硬いアスファルトの地面ではなく、金属の歪んだフレームが目に入る。

 さっきは地面に降りる事ばかりで見えていなかったが、路肩に止めてあった車に落下したようだった。普通車の頑丈なフレームであったら、変わらず死んでいた可能性もあったが、普通車と比べて柔らかい軽自動車がクッションになってくれたらしい。

 運が良かったとしか言いようがない。無傷ではなかったが、五体満足で、しかも死体袋に入ることも無くあのビルから出ることができたのだから。

 そう思いながら、動こうとするが先ほどの兵士たちがまだ近くにいるかもしれない可能性を考えると、下手に行動することができない。

 なるべく最小限の動きと目だけで周囲の情報を集める。軍隊のような装備を着た兵士が、まだ虱潰しに建物の中を徘徊しているのが見えた。暗い建物の中で、発砲炎が時折チラついている。

 あれだけ厳密に始末していたというに、撃ち殺されなかったのは高い場所から落ちたことで、死んでいると判断されて見逃されていたのだろうか。

 いや、もうそれに付いてはもうどうでもいい。生きている事を喜びたいが、手放しに喜べる状況ではない。今は死亡直後で血色があるが、時間の経過で土気色に変わっていくはずだ。

 私が生きているかどうかは、時間が経てば経つほどにバレやすくなってしまう。その間に私は人の目を盗んで逃げなければならない。

 すぐに動こうとしたが、一度一呼吸の間を開けることとした。車の上とは言えおかしな姿勢で落下したのだ、骨の一本や二本折れていてもかしくはない。いざ動こうとしたのに、アドレナリンで感じにくくなっていただけで実際に動けなかったら困る。

 歪んだ車体の上にいる為、少し動こうとするだけで嫌に大きな金属音がする。動くのは最小限に留めつつ、体に異常が無いかを確認する。

 指先、足先の末梢。腕や脚の付け根、胸や鎖骨など中枢に近い部分も身を捩って確認するが、特に痛みが発生することは無い。大丈夫そうだが、立ってからわかる部分もある為、楽観的には考えずにゆっくり降りることにした。

 歪んだフレームの上を、あまり音を出さないように滑らせるようにして地面へと降りた。自分で音を出して降りているため、嫌に大きく聞こえてくるが、見える範囲では戦闘や制圧の真っ最中の兵士がこちらに注意を向けることはない。

 アスファルトには爆発の影響で大量の瓦礫が転がっており、凹凸がかなりある。ハイヒールでは注意して歩く場所を見定めなければ転んでしまう可能性がありそうだ。

 自分の足で体に掛かる重力を支えたが、骨が折れている様な違和感や、痛みなどが更に来ることは無い。ビルから落ちる際に怪我をした左肩に目を向けると、黒いジャケットとシャツが裂けて肌が露出している。

 骨には達していなさそうではあるが、肉が抉られて出血していた。直ちに影響することはないが、放置すれば細菌などに感染し、感染症を引き起こしてしまう可能性があった。

 このテロがどれだけの期間、規模で行わられているのかわからない。慢性的に体調不良を引き起こす感染症のリスクを負うのは得策とは言えないのだ。しかし、それも生き残らなければ浮上することの無い問題であり、今は無視することにした。

 私が元々居たビルと、飛び移ろうとしたビルの間に人影は見えない。ジクジクと痛みを発する左肩を庇いながら、隠れて裏道へ進むことにした。裏道で出くわせばそれこそ逃げ場などは無くなってしまうが、どこに居るかわからない広い表の通りを歩く方がリスクが高いと思ったからだ。

 兵士たちの行動はわからないが、テロの開始からそこまで時間が経っていないのであれば、大通りを中心に制圧していくはずだから、裏道はまだ通れるかもしれない。

 望みをかけて薄暗い裏道を進む。道の大きさは一メートルから二メートル程度と狭くはあるが、大通り程広くないため人通りの有無は確認しやすい。

 警戒しやすくはあるが、同時に待ち伏せや出会い頭に兵士と遭遇する可能性がある為、ゆっくりと進みながら最初の曲がり角を左に曲がった。

 こういう時のための行動手順はあるのだが、今の私の頭には無くなっていた。ビルにいた時には、生きるか死ぬかと言う自分の事で精いっぱいだった。今もそれは変わらないが、上にいた時の銃を突きつけられているのに近い状況と比べれば、まだほかに意識を向けられる余裕があった。

 私が向かった方向としては、爆心地に近づく方向となる。兵士が行っている戦闘は、あの爆発地点を中心に展開していると思われる。その近くを通るのは自殺行為であるが、無策であったり錯乱しているわけではない。

 現在地点から、爆発地点を挟んで反対側に自宅があるのだ。そこには私の娘がいる。もしかしたら学童のカリキュラムに従って、自宅を出て避難所に逃げている可能性があったが、怖くて自宅で隠れている事も考えられる。

 大人ではなくまだ幼い子供で、状況の変化についていけていないかもしれない。家にいないかを確認してからではないと私も避難はできない。

 思ったよりも裏通りに人影は見られない。隠れているのか、非難したのか、それとも兵士たちに捕まってしまったのか。時折狭い道を横切っていく人影が見られたが、兵士のような風貌ではない。

 肩を庇いながら進んみ、しばらくすると銃声の毛色が変わってきたように感じた。裏路地へ響いてくる銃声は様々な位置から度々聞こえていたが、続いて聞こえて来たのは反響や強弱から、一か所で限定的に発生しているように感じた。

 だがそれも定かではない。何が起こっているのか、私にはまるでわかっていないが、爆発が起こってから時間が経過し、警察ももう動き出していてもいいころだろう。それらとの戦闘が始まったのだろうか。

 いや、そう考えるのは楽観的と言わざるを得ない。この殲滅がどれだけの規模で行われているのかわからない。ここだけなのか、他の地域でも行われているのか。または全国土での規模なのか。悪い方に考えれば、いくらでも考えられる。今は起こりうる最悪を想定しなければならない。

 なるべく速足で進むが、ハイヒールでは思うように走れない。無理をして走ろうとすれば、足首を捻って余計にスローペースになってしまう。早く走れないのがもどかしい。

 なるべく急いで走っているが、狭い裏路地には響いてくる銃声以外に、私の足音だけが鳴り響いている。先ほどまでは遠くで何かが動く様子が見えていたが、今ではそれが見えなくなっていた。

 その理由は、表通りの惨劇に見舞われた女性や男性が室外機の横で、小さく頭を抱えて怯えているからだ。逃げる勇気を失ったのだ。

 声をかけて一緒に逃げようと促したいが、今の私には誰かに構っているだけの余裕など存在しない。自分と最愛の娘を守る事しかできず、その娘でさえ助けられるかわからないのだから。

 逃げる為と探す為、目的に違いがある今の現状では、安易に誰かの命を弄ぶことは出居ない。この混乱下に置いては非情だが、どう行動するかは自己判断で自己責任だろう。

 返り血を浴びている彼女たちに手を伸ばすことができず、歯噛みしながらもその前を通り過ぎ、警察署などの避難所になり得る場所へ向かうように伝えるが、その度に体を小さく縮めるだけで一切動こうとはしない。

 動こうとしない理由は、最寄りの警察署程度の武力では奴らを止めるだけの力が無いと感じているというのもあるだろう。

 しかし、一か所に留まってしまうのは危険だ。その時に合わせて行動をしなければならない。戦場は常に変化していく。都市の大動脈を停止させ、次は大動脈の鎮圧に掛かった。次のフェイズでは大動脈から派生した毛細血管、周囲の建物や通路を責めるだろう。次第に裏道や小さな通りは潰されていくはずであることを考え、動ける今のうちに動くしかない。

 それに、日が傾き出して徐々に周囲が暗くなり始めてきている。黒い服を着た兵士を認識できなくなってしまう。移動するのにも危険が付きまとい、高まるだろう。

 薄暗い路地を走る。十字路に出るたびに大通りに面した方へ通じる通路を確認するが、今のところ人影は見られない。横切る様子すらないのは、この辺りの大通りは既に制圧が終わっているのだろう。

 そろそろ爆心地が近くなってきた。建物の陰とは言え、アスファルトの凹凸が酷くなってきた。また、建物越しに見える大通りの風景は、荒れ地と言える。いや、更地の方が近いもしれない。

 瓦解したビルだった建物が、大量の瓦礫を山のように積み上げている。爆心地に近づくと、それは多くなっていき、大量の巨大な瓦礫が通路にちらほらと見える。

 乱立するビルも崩壊している物が多くなっていくが、反比例するように生きてる人物も少なくなっていく。爆発に巻き込まれたのであろう人物の腕、または脚が転がっているのは日常茶飯事。壁にへばり付いていたり、瓦礫に潰されているのもある。

 しばらく進み続けると裏路地が途切れている様子が見えた。第一の関門とも言える、大通りにぶち当たったのだ。

 爆発が起こった場所は街の大動脈だったと説明したが、どれだけの規模かと言うと、東西南北に巨大な道路を伸ばしている丁度交差点であったのだ。私のビルがあった場所は東側で、南側から回り込む形で西に向かっているため、南へ伸びる大通りに差し掛かったわけだ。

 大きな瓦礫や室外機などに隠れ、大通りの方向を確認するが、裏路地の前を通り過ぎる人影は見られない。これだけの時間が経過して、この周辺に一般人がいるとは考えられない。人影を見たら十中八九兵士だろう。

 数十メートルを数分かけてゆっくりと進み、大通りに出る手前まで到達した。屋上の一部が破壊されたらしく、大きな外壁の一部が横たわっているため、その後ろへと隠れた。

 遠くから聞こえてくる銃声や爆発音のせいで、大通りの方向から人の声や足音が聞こえていたとしても紛れてしまっている。

 後ろを振り返って後方から兵士が来ていない事を確認しつつ、自分の足音が響かないように壁へにじり寄り、背中を預けた。

 全身を晒さないよう顔の目だけが出るように、大通りを見渡した。大量の瓦礫が絨毯のように折り重なっており、足の踏み場もなさそうだ。建物もそうだが、車も爆心地に近い程に損壊が激しく、炎上する車両がちらほらと見える。

 そして、破壊され尽くしているビル群と道路に比例するように、爆心地に近づくごとに死体の数が夥しく増えていっている。

 だが、風になびかれながら立ち昇っていく黒煙、炎上する炎以外に動いている者が見えない。電柱も軒並み倒れ、電流が辛うじて通っている電線から時折火花が散っている。

 どこから吹き飛んできたのか、ベコベコにへこんだバスが道路の中央で横転している。その陰は中継地点として使えそうだ。しかし、大通りの中央横たわっている言ったが、若干対岸の建物寄りに倒れてしまっている。

 そこに行くまでに見つかる可能性や、バス自体が視界を塞いでしまっているため、見えない場所に兵士がいた場合を考えると中々足が出ない。

 裏路地から正面を見ていたが爆心地から離れるように視線を右に傾けると、私の居る周辺よりは損壊の度合いは弱くなっていくが、動く人影が見える。

 そこまで視力がいいわけではないが、黒い服にヘルメットを着けている事で兵士であることは遠目に見てもわかる。手元には武器が握られていた。

 五人程度の兵士がいるのが見えており離れているとはいえ、あれだけの人数の目を掻い潜って道路を横切れるとは到底思えない。

 引き返し、兵士の居なさそうな場所へ方向転換しようと考えたが、様子がおかしいのに気が付いた。銃を構えている兵士が横列に並んでいたが、壁際へと歩み寄っていく。

 視線を道路から更に右側へと傾け、壁際を見ると十人にもなるスーツ姿の男女が壁を向く形で立たせられているのが見えた。その近くには、既に殺されたであろう人間が、数人横たわっている。

 何となく、射撃音から通常の制圧ではない事はわかっていたが、こんなことがなされているとは思っておらず、言葉にならない。

 壁には飛び散った血痕が生々しく残っており、これから並ばせられている人たちが同じように殺されていくのだと思うと、胸に詰まる物を感じる。震える声で助けを乞い、呻くすすり泣き聞こえ、私の胸は張り裂けそうだった。

 何の罪も犯していない善人たちは、数えきれない銃声を皮切りに、一切の言葉を放たぬ人形へと成り代わった。こんなに簡単に人の命が潰えていく様子に、恐怖と焦燥感に涙が込み上げそうになった。

 あまりにも現実味のない光景に、夢か映画の中にでも迷い込んでしまったような錯覚に陥った。自分の芯に通っていた目的がぶれ、その場に座り込んでしまいそうになった。

「っ……」

 いや、駄目だと自分を叱咤する。ここで目的を投げ出して泣くことは簡単だが、愛する娘を探しに行かなければならない。この光景と、私が目的を投げ出す理由としては乖離している。

 ビルではあの女性を見殺しにしてまで逃げた。私があの女性を無駄死ににさせてはならないのだ。そして、この光景から目をそらしてはならない。私は、私たちはこの惨劇を後世に伝えていかなければならない義務がある。

 慣れた手つきで銃から弾倉を引き抜くと、新しい弾の込められた弾倉を差し込んでいる。その兵士達が次の人達を壁際に並べていく様子を、私は食い入るように見つめていた。

 向こう側へ渡るための突破口が無いか、周りをどれだけ警戒しているのかと言った部分を観察する。こちらからは積み重なった瓦礫や車の残骸で見えないが、まだまだ捕まった人間がいるらしい。飛び交う銃声の合間に、泣き声に似た悲鳴が聞こえてくる。

 逃げようとしても捕まえられるか、撃ち殺せる自信があるのだろう。周りに警戒している人物は見られず、壁際で人々を撃ち殺している連中がこっちを見なければ進むことができるだろうか。

 わざわざリスクを負うべきか。それとも様子を見て、兵士たちが他の生存者を探しに行くのを待つか。迂回するルートもいいかもしれないが、日没のタイムリミットを考えるとそうもいっていられない。

 日が傾き、太陽がビルの間から顔を覗かせているところから、時間が迫っているのを感じた。ビルから伸びる長い影が、大通りを跨いでこちらにまで届いてる。

 何度目かわからない掃射が終わり、次の十数人が壁際に並べられた。築かれた死体の山の目の前に来ると、次の人物たちは確定した死に恐怖で漏らしてしまう人物も少なくない。

 それを汚いと罵る人物も、笑う人物もいない。それらをせずとも、全員まとめて尿か血液かわからない体液の池に沈むことになるからだ。

 数度人が殺される間に気が付いたことがある。抵抗されることが前提ではないため、周りを警戒する様子が無いのだ。もし、道路に飛び出せるとしたら、撃っている最中だろうか。

 ガスマスクは目元にレンズのあるタイプで、口元を覆うタイプよりも視界の確保ができない。それに加えて発砲している間は目の前に集中するため、警戒しようとも限界がある。そして、発砲中に出るもう一つの理由は、足音の存在を消せることだ。

 十数人を撃ち殺すのには、過剰すぎるのではないかと思える程の銃声が絶え間なく鳴り響く。文字通りハチの巣にした人間が動かなくなり、それを確認した兵士は空になった弾倉を引き抜いて装填していく。

 次で行こう。覚悟を決め、身を屈めて下半身に力を込める。この靴を脱いで裸足で行きたいところだが、道路にはガラス片やコンクリート片が転がり、その合間に空薬莢もちらほらとある。下手に裸足となり、踏んだ痛みで動けなくなるリスクを取りたくはない。

 次の人達を死体の山の前に引っ張り出し、兵士が銃を構える。見た所、弾倉に込められている弾丸が全て撃ちだされるまでに3秒程度しかかかっていない。

 引き金を引く多少の差では、大きく見積もっても4秒程度だ。横転したバスまでの道のりは10メートル程あり、私の足の速さでは一度で走り抜ける事は難しい。

 中間で身を隠せる場所は無いかと目を配らせると、ビルの壁面が吹き飛んできたのだろうか。身を隠せそうな瓦礫が転がっている。ただ、一直線にバスまで行くよりも、多少遠回りにはなってしまう。

 しゃがむことで完全に隠れることはできるだろうが、その横には飛んできた瓦礫に潰された車体がある。それも避けなければならないため、長く見つかる可能性に晒さなければならないのは悩ましいが、悩んでいる暇は無いだろう。

 撃ちだそうとするタイミングを伺い、兵士が銃を構えてから一呼吸間を開け、私は走り出した。一歩一歩に自分の命が乗り、何度も人が殺されている状況を目の当たりにしていなければ、足が出なかったかもしれない。

 タイミングを伺っていた時もそうだが、緊張の度合いはビルにいた時以上だ。走り出して間もないというに、私の心拍数は銃声が轟く中でも聞こえてきそうだ。

 兵士の中で一人でも私の足音を聞いた人物が居たのであれば、あの、ハチの巣になった人たちの仲間入りをすることになるだろう。それを考え過ぎてしまうと、それこそ動けなくなってしまうため、目の前の事だけに集中して考えないようにした。

 靴をどこに踏みしめるか、しっかり見定めて全力で走る。銃声が鳴り響いている内なら、それらが掻き消してくれる。そう思わなければ、そう信じなければ、時間内に走り抜けることはできないだろう。

 目標としていた瓦礫の裏へ飛び込むとほぼ同時に、銃声が止んだ。既に倒れている人間から悲鳴が上がることはなく、空薬莢がコンクリートを跳ねる乾いた音だけが聞こえた。

 滑り込む形であったため体勢が大きく崩れ、足を投げ出すようにして尻もちをついてしまった。痛みに耐えつつ、後ろに下がって隠れている瓦礫に背中を預けた。体勢を立て直すことも考えたが銃声が鳴りやんでいるため、石を蹴飛ばして音を鳴らさないようにしばらくそのままでいることにした。

 次のタイミングを測るのに、瓦礫の裏から身を乗り出して様子を伺わなければならないが、見るタイミングを誤れば最悪見つかってしまう。

 瓦礫の陰からはみ出さない範囲で何か持っていないか探そうとするが、生憎ビルのデスクに置いてきてしまっていたのを思い出す。音を頼りに兵士が銃を撃つタイミングを探ろうとした時、傍らに鎮座する潰れた車体が目に入る。

 落下してきた岩石に潰され、フレームはぺちゃんこに潰れ、ガラスは一枚も残っておらず、タイヤも全てパンクして潰れている。その車には千切れかけているが、サイドミラーが付けられている。汚れて見づらかったり、見たい角度から少しずれてしまっているが、十分に使えそうだ。

 少し自分の角度を変えてあげれば、兵士たちがいる方向を見ることはできそうだ。サイドミラーに目を凝らして眺めると、黒い戦闘服を着た兵士が一人こちらへと歩み寄っているがの見えた。

「…っ」

 瓦礫の裏で小さく縮こまってはいるが、少しでもこちら側に回り込まれれば見つかってしまう。

 腰ほどの高さまである、私が隠れている瓦礫のすぐ手前で兵士は立ち止まった。ゆっくりと周囲を見回し、私を探している。私の姿を直接見てはいないのだろう。探し出そうとする必死さが無い。

 そのまま引き返して欲しいが、こちら側に回り込もうとしているのが足音からわかる。まだ、前に出したままだった足しか見えていないだろうが、回り込まれれば姿を見られてしまう。

 瓦礫に背中を付けていた為、そのまま上半身を預けるようにして死んだふりをする。あとはビルにいた連中のように注意深く死んでいるかどうかを確かめない事を祈るしかない。

 こちら側に来た兵士に見られる直前に、目を閉じて息を止めた。こちらも命がかかっているため、死ぬ気で動かないように必死に息を止める。

 兵士の呼吸音がフィルターを通して聞こえてくる。十秒、二十秒と時間が経過し、私の中で酸素がじりじりと消費されていく音が聞こえてきそうだが、聞こえてくるのは走った直後で高鳴っている心拍音だけだ。

 兵士は可能性を探っているらしく、帰ろうとせずにガスマスク越しに周囲を見回しているのだろうか。どちらを向いているかわからないため、私は目も開けられずにじっと息を堪えて死んだふりを続ける。

 ビルの時には男か女かもわからないがいる事は確定していた為、死んだふりを疑っていたのだろうが、今回は姿を見られていないためそこまで確かめることをしないのだろう。

 それでも周りを見定める兵士は一向に立ち去ろうとしない。三十秒を超え、四十から五十秒も経過すると、これまでに体験したことの無い息苦しさを覚えた。中枢神経は息苦しさを酸素の少なさではなく、二酸化炭素の量で感じるため、どれだけ二酸化炭素が生産されているのかが伺えた。

 今は頑張って堪えているが、その内堪えることができなくなり、兵士の目の前だというのに空気を吸い込んでしまう時が来てしまう。早く戻って欲しい。ただそれだけを祈る。

 私が思っている焦りなど知りもしない兵士は周りを見回し、何もない事を確認し終えたようだ。私が背中を預けていた瓦礫を回り込むように足音が遠ざかって行った。

 息止めの限界に差し掛かっていた私は、一気に空気を吐き出して、一気に空気を吸い込みたいところだった。だが、呼吸を聞かれないように息をゆっくりと吐き、吸い込んだ。

 体内に溜まりに溜まった二酸化炭素を排出し、酸素をできるだけ取り込もうとしているが、中々苦しさが収まらない。

 息を整えるのは時間をかけて行った。サイドミラー越しに兵士を確認しようとしたが、自分の事で精いっぱいで周りが見えていなかったが、いざ周りに意識が向くと私が撃たれて死体かどうか確認されなかった理由があった。

 向こうの処刑場ほどではないが、夥しい数の死体は息を飲ませるのには十分すぎた。血だまりに沈む大量の死体が十はある。これだけ死体が積み重なっているというのに、直前まで気が付かなかった自分がどうかしているか。むしろ、それほどに自分の事で一杯一杯であることの裏返しでもある。

 撃たれなかったのは、十ある死体が十一に増えていたとしても気が付かないだけか。もし、私だけだったら確実に撃たれていたか、脈の確認等はされていた可能性はある。

 木を隠すなら森にと言う言葉を、知らず知らずのうちに再現してしまっていたようだ。視線をサイドミラーに改めて確認すると、私を探しに来た兵士は処刑人の参列に並び、一般市民に向けて銃を構えた。

 引き金を引き、乾いた発砲音を響かせている内に走れる体勢へと変え、隣の車の陰へ移動した。大量の瓦礫があるが、発砲音のお陰で多少なりとも蹴飛ばしても問題は無いが、姿を見られないように、走り終わった後は動かないように地面へと突っ伏した。

 傍らに目を剥いて横たわる死体が私を見ているため、視線を兵士たちの方へ向けた。車の下を通すと足元しか見えないが、次の人間を移動させているらしく兵士のブーツ以外の靴がいくつか見えた。

 さっきよりもバスに近づいたことでその陰にいる掴まった人達の声が鮮明に聞こえ始めた。すすり泣きと命乞いする声が重なり、かなりの人数が掴まっているのが分かった。

 大通りに面した人たちを集めて来たのだろう。次の射撃に合わせ、バスまでの残りを走り切った。

 道路を横断する形で斜めに倒れているバスを背に、歩いて比較的安全に道路を渡り切る。あとは歩道分を渡って裏路地へ入るだけだが、斜めに倒れているバスの反対側の状況がわからないため、出るに出れない。

 せめてサイドミラーのような物があればいいが、こちらから見えるという事は、向こうからも見えているためむしろリスクを増やすことにしかならないか。しかし、飛び出すタイミングを掴めなければどちらにしろリスクだ。

「……」

 どうしようかと悩んでいたが、いつまでも同じ場所に留まるのも危険だ。一か八かで飛び出すのも視野に入れなければならない。少しバスから顔を出して歩道を確認するが、突出した反対側の縁が邪魔で探ることができない。

 飛び出すか否か。考えていると、発砲音の反響でわかりずらかったが、バスを挟んで反対側から割れたガラス片を踏みしめる音が聞こえて来た。

「っ…!」

 急いで身を引くと、バスに隠れる寸前に黒い樹脂で作られた銃を視界の端で捉えた。射撃の間に私の足音を聞かれてしまったのだろう。しかし、人の声と、銃撃の合間だったことで、私の正確な位置はとらえきれていないはずだ。

 連射することのできるであろう大きく長い銃を構え、一人の兵士が歩いてきた。他の兵士と同じくガスマスクを装備し、頑丈そうなヘルメットで頭部を守っている。ゆっくりと周囲をクリアリングしながら姿を見せる。この場所は奥ばっているため、辛うじて見つからなかった。

 しかし、探している動作から、確定はしていなくとも誰かが居ることの確信はあるようだ。雰囲気から見つけ出そうとする様子が見て取れる。

 まだこちらを見つけてはいないが、それも時間の問題だろう。瓦礫や鉄筋など物はあっても、隠れられる場所は周囲には無い。私は嫌でも行動を起こさなければ、ここを生きて逃げる事はできない。

 決めた覚悟に乗っ取り、見つかるまでの時間を最大限に活用する。近くに落ちていた小石を拾い、バスの奥を確認し終えてこちらを向きかけていた兵士に向けて投げつけた。

 厳密には兵士へ直接ではなく、その奥に投げた。ガスマスクで周囲の景色を捉えずらいため、発砲音とは異なる聞き慣れない音には非常に敏感で、ビルの壁に当たって跳ねた方へ銃を連射した。

 激しく発砲炎が燃え盛り、大量の硝煙が立ち込める。爆発で加速された金属の弾丸が、目に見えぬ速度でコンクリートにいくつもの穴を穿つ。耳を劈くような破裂音と、弾丸の着弾音が響いている内に、私は近くに落ちていたバットほどもある鉄パイプを拾い上げた。

 なるべく音を立てないようにしたつもりだったのに、兵士は弾丸を射出する音の合間になった、金属の擦れる音を聞き逃さなかった。

 生き死にをやり取りするこの異常な状況が通常よりも神経を尖らせ、普通なら聞き逃すであろう擦れる音を鼓膜が拾い上げた。弾丸を放つため、全身に力を込めていたのにもかかわらず、軽い身のこなしでこちらへ振り返ろうとする。

 しかも、装備に見劣りしない訓練された動きだ。振り向きと銃の構えが同時で、私の姿を見つけた瞬間に全身が穴だらけになるのを感じる。

 一メートル程度の長さがある鉄パイプが空気を唸らせながら兵士へ向かう。武器とした物の重量で身体が振り回されそうになり、握力を超えてどこかへ飛んでいきそうだったが全力で引き寄せた。

 真後ろから襲い掛かった私に向かうには、体を百八十度回転させなければならないためわずかな差で私私の方が速く、振り向きかけた兵士の左側頭部を鉄パイプが捉えた。

 銃が発するのとは一際違う金属音と男のうめき声。ガスマスクのレンズが割れたのか、ほんの一瞬だけ亀裂の生じる音とガラス片が崩れる小さな音が聞こえる。

 鉄パイプはヘルメットを避け、側頭部へ上手く当てることができた。ガツンと鈍い音を立て、身の毛もよだつ肉体の組織を潰す異音が耳に届く。

 本気で得物を人間に振るったことなど無かったが、物体に当たった鉄パイプが震え、それが感触となって伝わってくる振動は手に嫌な感触を残した。

 これで見つかったことは確定した。意識を奪ったのか、それとも今ので死んでしまったのかなど確認していられない。装備の間から見える金髪の軌跡を残しながら倒れ込んでいく兵士には目もくれず、殴った際の手の感触に構う暇もなく私は走り出した。

 たった数メートルとは言えこれだけ大きく動いたため、身を晒した瞬間に他の兵士に撃たれてもおかしくはなかった。だが、私はわき目も振らずに走る。もし、こちらに銃を向けていた場合に、動けなくなったら困るからだ。

 夕暮れ時の日差しが差し込み、暑さを若干感じていた大通りとは違い、冷えた空気の流れる裏路地に入り込んだ。銃弾が飛び込んでくることも無く、数メートルとは言えデスロードに近い歩道を渡り切った。

 見つかっていなければほっと胸を撫でおろしている所だったが、後方からは兵士たちの怒号が聞こえる。薄暗さが際立つ狭い裏路地を、連中がいるかどうかも確認することができず、そのまま疾走した。

 狭い道に入ったことでどこから狙われているかも、どこで見つかるかもわからない緊張感からも解放されたが、逃げ道が限定されることで追われることの緊張感に包み込まれた。

 後方からはあわただしい兵士の声が聞こえ、二十メートル程度進んだところで最初の曲がり角を左へ曲がる。しかし、スピードを押さえられず、壁に肩をぶつけそうになった。

 大回りになりつつも曲がろうとした私へこの裏路地内で発生した一際大きい発砲音が鳴り響いた。音が聞こえると同時に、握っていた鉄パイプからオレンジの混じる黄金色の火花が弾けた。

 拳銃とは違う発砲音から、もっと大きく強力な弾丸が飛んできたことがわかるが、分析よりも当たらなかった安堵しかなかった。

 半ばから千切れてしまった鉄パイプを捨てながら角を曲がり、そのまま瓦礫の散らばる路地を走る。後方からは足音が聞こえており、走りずらい今の靴では追いつかれてしまう可能性が高いため、迫りくる兵士の足止めの為、道の脇に置かれている動かせそうなものを狭い道へぶちまけた。

 爆発の影響で手のひらサイズの瓦礫は散らばっているが、更に裏路地はゴミやゴミ箱、木製の棚などが道を塞ぐ。

 それらを踏み越えて私へ距離を詰めてくるが、兵士は道の悪さに五分五分の速さしか出せていないのが幸いだが、物が無ければスピードからしてすぐに追い付かれてしまうだろう。

 瓶などのごみを蹴飛ばして散らかし、軽そうな箱を道の真ん中に傾けて塞ぐ。その度に打たれないかと冷や冷やしたが、銃を構えても撃ってこないのは向こうも楽しんでいるからだろうか。

 曲がりながら後方を肩越しにチラリと確認すると、追ってきているのは一人だけなのがわかる。けれど油断はできない。無線で連絡して、複数人でバラバラに居ってきている可能性もある。

 そして、追ってきているのは私が鉄パイプで殴り倒したあの兵士のようだ。レンズには偏光ガラスが使用されており、こちらからは赤い曇ったレンズに見えていたが、それが一つしか見えなかったのだ。

 見間違いや急いでいて一瞬しか見えなかったからかもしれないため、確定はせずに必死に足を動かし続ける。

 普段から身体を動かしているが靴などの環境も相まってすぐに意気が上がり、酸欠で気分が悪くなってきた。荒く呼吸をするため、乾いた舌が喉に張り付いてしまいそうだ。ただ走るだけならまだしも、銃撃を気にしつつ障害物を作る為にも体力を使うため息の上がり方は早い。

 心臓の稼働は隠れたりしていた時の比ではない。激しく脈動しているがその内張り裂けてしまいそうで、苦しいの一言に尽きる。立ち止まって休むことができたらどれだけいいだろう。

「はぁ…!はぁ…!」

 今だけの苦しさと命を天秤にかければどちらが勝るのかなど、考えなくてもわかる。どれだけ苦痛だったとしても、止める選択肢など取らない。

 しかし、たった一人の人間に、なぜこんなに固執するのかがわからない。探そうと思えばまだまだ捕まっていない人間はいる筈なのに、なぜここまで追ってくるのだろうか。

 疑問が浮かぶが、今はそちらに思考を向けていられない。頭の中の地図を頼りに、右に左に曲がりながら走っていたが、瓦礫で塞がっていた道を迂回し、危険な長い一本道に差し掛かった。

 兵士がこの道に入ってくるまでに走り抜けたかったが、兵士の足はそこまで遅くない。中間あたりに達した時、二度の発砲音が狭い路地に響き渡った。

 反響してより強烈に聞こえてくる音に驚いたのもあるが、当たるかもしれないという恐怖から反射的に体が強張り転びそうになった。

 傾きかけた身体を起し、再度走りに集中する。体には痛みも熱も感じない。交感神経を刺激するアドレナリンのせいで痛みを感じにくくなっているだけなのだろうか。

 いや、それにしては激しく稼働させている身体には何の違和感も覚えない。恐らく当たってはいないはずだ。

 正面の壁に二つの銃痕が発砲音を境に作られ、その小さな溝からパラパラと細かいコンクリート片を零している。

 一直線で外してくれたのは全力で走りながら、かつ足元が不安定だからだろう。こんな運に助けられたような状況は長くは続かない。早く兵士をまかないと。

 そう思いながら走る脚を速め、一本道を駆け抜けた。左右に分かれていたが、自分の家に近づくために左へ曲がろうとした。しかし、道の先は巨大な瓦礫の山が道を塞いでいた為、右へ曲がった。

 曲がった先で私は後悔する。この周辺の裏道はある程度覚えているつもりだったが、銃撃などで動揺して自ら行きどまりへと歩みを進ませてしまった。

 先に見えるのは逃げ道の無い袋小路だ。

「……しまっ…!?」

 これから反対側へ逃げるわけにもいかない。すでに走り出してしまっているため、これから止まって振り返り、反対側の道へと進む前に追いつかれる。

 走っていたとしても手の届くような距離であれば、負傷しているとはいえ弾丸を外すことは無いだろう。一か八かの賭けに出なくともわかる。

 だが、私の運も尽きたわけではない。二十メートル程先にある行き止まりの正面に、金属製の扉が見えた。

 その扉に鍵がかけられているかどうかの運は必要になっては来るが、この状況ではそれに賭けるしかないだろう。

 食材を扱う店に繋がっているのか、廃棄物の袋や箱が扉の周辺に置かれている。最初の爆発でそれらが飛び跳ねたのか、少し周りに生ごみが散乱してしまっているが、走り切るのに問題は無いだろう。

 それに、鍵が開いている確信もある。夕方でこれから飲食店は繁忙時となり、閉店時はともかく廃棄物を捨てるのに一々鍵の開け閉めを行うとは思えない。

 あの爆発でパニックとなり、閉め忘れる可能性は大いにある。所々に錆の目立つ丸いドアノブへと戸を伸ばし掴むと同時に捻った。僅かな力でドアノブは回転したが、固く閉じられた扉が開くことはなかった。

「…!?……そんな…!」

 金属の扉とは言え蝶番に錆などは見られず、女性の力では開かない重厚さもなさそうだったが、この店のしっかりした店員は施錠を忘れなかった。

 普段以上に感覚が鋭くなっているのか、後方からの殺意をヒシヒシと感じた。どっと汗が滲みだすのを感じたが、私に振り返って銃口と目を合わせる勇気はない。

 金属の扉は鏡のように周りの景色を反射しているわけではないが、狙いを定めるために立ち止まろうとする兵士の陰を薄っすらと映し出す。

 選択を誤った。無理をしてでも、五分五分よりも低い確率の成功率だったとしても、引き返して反対の道に行くべきだった。こんな、不確定要素の多い賭けなどになぜ賭けてしまったのか。しかし、後悔しても今更遅すぎるだろう。

 




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