月暈   作:albtraum

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自由気ままに好き勝手にやっております。

それでもええで
という方のみお楽しみください。


嬰鱗

 数百メートルという長い距離を、拳銃を持った正体不明の兵士に追い回された。撃たれながらもなんとか逃げ続けることができていたが、その悪運も尽きた。

 袋小路へ追いやられ、唯一存在した逃げ道である扉を開こうとしたが、非情にもそれが開け放たれることはなかった。

 固く閉ざされた金属の扉は、私が少し押した程度では開く様子を全く見せない。足が止まった私に対し、後方では息を切らしながらもゆっくりと立ち止まるブーツの重々しい足音がする。

「くっ…」

 後ろを振り返ると、スリングで首から下げている小銃ではなく、ホルスターから拳銃を引き抜くガスマスクの男が見えた。

 黒いヘルメットや黒い服で身を固めており、顔すらもガスマスクで覆っているため、素性が一切わからない。しかし、身のこなしや銃の扱いに慣れている所から、訓練された兵士であり、かなり大きな組織が関わっている事が想像できた。

 私が鉄パイプで殴ったことで、ガスマスクの一部が裂け、左目のレンズが砕けて目が露出している。血まみれでわかりずらいが、赤く反射した偏光ガラスとは対照的な青い瞳が私を睨む。

 頭を殴られたお返しだと言わんばかりに、拳銃をこちらへ向けようとするが、照準を付けられる寸前に身体のバランスが崩れ、視界が大きく傾いた。

 一瞬、撃たれたのかと錯覚したが、鉛玉が身体を貫く痛みや、炸裂した火薬で熱された弾丸が身を焦がすような熱も感じない。それに、発砲を示唆する火薬の炎も見えず、私はただただ困惑しながら後ろへと倒れ込んだ。

 後ろには開かない扉しかなかったはずだと思っていたが、金属の扉が軋みながらも、重々しく開く音が遅れて耳に届いた。

 銃を向けられかけ、無意識の内に後ろに下がっていたらしい。腕の力では開かなかった扉が、体重をかけられたことで、意外にも勢いよく開いた。

 この辺りにも爆発の影響が出ているのは見えていたが、建物が歪むほどだったのだろう。それのせいで ただ押しただけでは開かなかったのだ。

 金属の歪みとコンクリートと擦れる甲高い音を発しながら、金属の扉が大きく開け放たことで、中へ滑り込むことはできた。だが、予想外の動きだったことで、受け身を取れずに盛大に転んでしまった。

 早く起きなければと思ったのも束の間、生じた発砲音に思考が焦りに支配された。倒れることを想定していなかったのか、射出された弾丸は頭上を通り過ぎ、コンクリートの柱の一部を剥がし落とした。

 当たらなかった安堵感もあったが、それを覆すほどの異臭がする。しかし、それにばかり気を使ってはいられない。横へ全身の筋肉を使って転がり、危うく穴だらけにされるのをすんでのところで回避した。

 新たに射出された弾丸により、飛び散るコンクリート片を手で防ぎながら立ち上がり、様々な調理器具の転がる厨房を走り抜ける。その際に、何でもいいから適当な調理器具を拾い上げた。危うく刃で指を切りかけたが包丁を拾い上げ、兵士が入ってこないように入口へ向けて投げつけた。

 投げる用途に使われていない得物は錐もみし回転してしまい、運よく刃が当たっても装備を貫通することも皮膚を傷つけることも無いだろう。

 ダメージになる事に越したことは無いが、今の現状では牽制が目的である。この店を出れるだけの時間を稼ぐことができればいい。

 せっかく拾い上げた武器だったが、投げ付けてでも早く店を出なければならなかったのは、兵士に撃ち殺されるのとは別の緊張が私に広がっていたからだ。

 調理場に入った途端に感じた異臭は、何かが腐ったような匂いだった。しかし、店の裏側とは言え場所関係からかなり人気の店舗だったはずで、売れ残りがあって腐らせるような店ではなかったはずだ。

 答えは簡単で、科学的に着臭されたこの香りは、ガスが漏れているのだ。爆発による建物の歪みからガス管が破れたのか、それとも調理室でガスを出しっぱなしにしてしまっているからなのか。

 都市ガスにはガス漏れがわかるようにワザと匂いが付けられているおかげでわかったが、それだけではここまで焦らない。

 ガスは空気よりも重たいため、転んだ私は一早く気が付いたのだ。だが、立って走り始めても尚、濃厚なガスの匂いが鼻につく。ここの調理場全体にガスが充満しているのを示唆している。

 そうなると無理やり扉をこじ開けたのは、かなりの綱渡りだった。もし扉の先に金属でできたものがあり、火花を散らそうものなら、その時点で兵士諸共吹き飛んでいた可能性は大いにあった。

 調理器具を避け、後方で包丁が壁か床に落ちる音を聞きながら、ホールと調理場を隔てているカウンターへ乗り上げ、イタリア風の丸い机の並ぶホールへ出た。

 連中が最初に起こした爆発の影響で窓は全て割れているが、こういう時に限ってほぼ無風と変わらず、店の中を空気が循環していない。そのせいでホールの中にまで濃いガスの香りが漂っている。

 人間だけでなく物も上品質に揃えていた店だったはずだったが、兵士のせいかそれとも爆発の影響か、今では見る影も無い程荒れ果てている。

 机はひっくり返り、粉々に砕けた窓ガラスや作られた料理がホール中に散乱している。それに加えて、ガラス片で斬り刻まれた人間や、弾丸で撃ち抜かれた死体が無造作に捨てられているのを見ると、華々しい装飾や気品溢れる建物も、全て過去の産物のように思える。

 感傷に浸っている時間を兵士は与えてはくれない。反撃が無い事を察した兵士が拳銃を握りしめて厨房内へ突撃してきた。地面にいくつか調理器具は散乱し、棚などにも皿などが積まれて視界を塞いでいるだろうが、走っている私を見失うことは無いだろう。

 私のように外気を呼吸をしているのであれば、ガスの存在に気が付いただろうが、兵士はガスマスクのフィルターを通して呼吸をしているため、ガスの存在に気が付かない。走って身体を晒してしまっている私へ、兵士が銃を向けた。

 銃声か引火したガスの爆発音かわからない轟音が鼓膜を震わせ、爆風が全身を叩く。背中を特に爆風に押され、割れていた窓から外へ放り出された。一番最初の爆発で窓ガラスは軒並み室内に向かって割れていお陰で、落下での打撲以外に切り傷を受けることは辛うじてなかった。

 頭から落ちそうになったのを腕でどうにか守るが、落ちる寸前にレストランの前に横転していた車へ背中を打ち付けた。肋骨が歪み、肺を満たしていた空気が私の意思を無視して口から飛び出していく。

「がはっ!?」

 爆発の衝撃も相まって意識の乱れがあり、危うく気絶してしまいそうになったが、娘のことが脳裏をよぎり、どうにか繋ぎ止めた。頭から落下しかけるが、頭を守ろうとしていたのが功を奏し、全体重を首で支えずに済んだ。

 倒れた私に炎の熱気が追い打ちをかけ、肌を焼く熱気は目の前にまで炎が広がっているのではないかと思える。目を瞑っていて見えなかったが、瞼越しのオレンジ色の光は視界全体を覆っていたことから、本当に目の前まで引火した炎が迫っていたのだろう。

 熱に耐えきれずに背け、息を吸いかけた口元を手で押さえ込んだ。炎に熱された空気を吸い込めば喉だけでなく肺まで火傷してしまうだろう。

「うっ…!」

 膨れ上がった炎が上空へ立ち昇ったのか、熱が引いていく。それと同時に爆風で吹き飛んできた瓦礫の雨を受けながらも薄っすらと瞼を開くと、膨れ上がった炎がガスの燃焼を使い果たしたらしく小さくレストランの中へと引っ込んでいく。

 店の大通りに面した側に外壁はなく、殆どがガラスで構成されていたおかげで何とか助かった。もし外壁があって外に投げ出されなかったら、爆発を生き延びたとしても炎で焼かれて死んでいたかもしれない。

「げほっ…ごほっ…」

 呼吸をして息を整えようとするが、背中の痛みや炎の熱気に咳が誘発され、咳き込んだ。あまり音を立てるのは得策ではないが、生理現象には抗えない。

 火の海と化している厨房の方へ視線を向けると、ガス管からいまだにガスが出続けているのか、人の身長ほどもある火の柱が管の穴から噴き出ている。

 爆発で棚などは全て倒れ、調理器具も残っていなさそうだ。カウンターのせいで床などは見えないが、あれだけの爆発を受けたのであれば装備を整えていても死は免れないだろう。

 人影のない厨房から目を背け吹き飛ばされた大通りへ目を向けた。街の大動脈だった通りよりは小さいが、それでも街の中核を担う大きな道路ではある。既に制圧が終わったらしく、道の端には大量の死体がまとめられている。

 こんな光景が町中で行われていると思うと、ゾッとする。死体の山から顔を背け、私は休む間もなく移動を開始することにした。ガス爆発が起こり、かなり目立ったはずだ。

 そう思い、立ち上がるために手を地面につき、体を持ち上げようとすると左腕に力が入らず、バランスを崩しかけた。

「痛っ…」

 アドレナリンが脳をバグらせていたのだろう。腕に負担をかけるまで全く気が付かなかった。左の二の腕に一センチ程度の大きな銃創がぱっくりと口を開け、腕を通して道路の景色を小さな穴から確認できた。

 傷を自覚した途端に、その痛みが一気に脳へと押し寄せる。撃たれた経験など無く、私は銃創を押さえて蹲る。叫び声を上げなかったのを称賛してあげたいが、肉の抉れた痛みはなんとも耐え難く、絶叫の衝動を抑えられない。

 汚れているが、今はそんなことを考えていられず、スーツの袖を噛んだ。歯を食いしばり、痛みに耐える。生存の危機感からアドレナリンの分泌をさらに促し、痛みが緩和するのを期待する。

 血が溢れ出し、スーツを赤く染め上げる。指の隙間から流れた血がアスファルトの亀裂から地面へと沁み込んでいく。爆風に吹き飛ばされた時以上の痛みに、今度こそ失神しかけたが、アドレナリンが効いて来たのが、徐々に痛みが引いていく。

「くっ………うぅ…っ…」

 痛みが引き始めたことで、叫びたい声をどうにか飲み込んだ。それでも情けなく呻き声が漏れてしまうが、人影すらないこの通りでは聞く者などいないだろう。

 歯が砕けそうになるほど食いしばっていたが、ようやく力が抜けた。右手で銃創を抑え込み、出血を抑える。抑える痛みも加わるが、それでもどうにか耐え抜いた。

 全力疾走してきた時以上に汗が吹き出し、息が絶え絶えとなった。腕を握っていた手を緩めると、緩めたそばから出血量が増えていくのが目に見えて分かる。これでは帰る前に私が出血死してしまう。

 何か、結べるものは無いか。そう思いながら周囲を見渡そうとした時、私が叩きつけられた車が警察車両であることに気が付いた。最初の爆発後に来たらしく、横転した痕や降り注いできた瓦礫に当たった痕もない。しかし、生々しい銃痕と飛び散った血潮から、一方的な虐殺が行われていたのが想像できた。フロントガラスにはおびただしい数の銃痕があり、助手席の警察官は何かをする間もなく絶命したようだ。椅子にもたれるようにしており、頭部からは血か脳漿かわからない液体を流した跡が残っている。

「……」

 こちらから見て車の反対側にあたる、運転席にいた警察官は応戦することはできたのだろう。開け放ったドアの後ろで地面に突っ伏している。後頭部が大きく裂けて中身が飛び出ているため、額を撃ち抜かれたのは想像に難くない。

 運転席側からは目をそらし、助手席に座ったままの警察官に目を向けた。胸元にはいくつも穴が開いているが、私の目が止まったのはそこではない。Yシャツの首元を締めるのに使用する、ネクタイを付けている。包帯代わりに使えるかもしれない。

「ごめんなさい」

 私はそう呟きながら、土気色の肌をした警官の首元に手を伸ばした。片手で取り辛くはあったが、血塗れのネクタイを解いて引っ張り抜いた。

 新品そうなネクタイをこんな使い方をするのに罪悪感があったが、今は仕方のない状況だと割り切った。銃痕のある位置に何重にも巻きつけ、結び目を作った。

 片手で少し手間取ったが、結び目さえ作れればあとはきつくするだけだ。私の物か、死んでいる彼のかわからない血の付いたネクタイの端を歯で噛み、結び目を介した反対側を手に持った。

 銃創部位を圧迫するだけで、かなりの痛みが生じることは想像に難くない。深呼吸を行い、息を整えてから私は全力で腕を引いた。

 滑りの良い布の擦れる音が聞こえていたのも束の間、ギチッと締め上げる音がした途端に左腕に激痛が走る。

「っ……んっ…ぐうぅ…!」

 だが、ここで痛みに負ければ、自分の命に直結する。自分でも締め過ぎだと思う以上に締め上げ、簡易的であるが止血を施した。

「くっ…………ふぅ…」

 ただ血が流れ出ないように食い止めているだけで、失血死を先延ばしにしているだけの状況だ。後で本格的な治療をしなければならないだろう。

 骨には当たらず、弾も貫通しているのが幸いだった。膝をついて座り込んでしまっていたが、重い腰を上げて立ち上がった。自宅までの道のりはもう少しあり、まだまだ止まってはいられない。

 立ち上がろうとした時、警察官の右腰についている袋のような物が目に入った。黒い人工的な皮のような質感のあるそれは、いわゆるホルスターという奴だ。

 もし、兵士たちに応戦したと思われる警察官が、死んだ仲間の銃を使用していないのであれば、まだ拳銃はホルスターに収まっているはずだ。血の匂いで充満している車内に上半身だけ入り、警察官の右腰に手を伸ばす。

 銃が落ちないようにホルスターにはカバーが付けられているが、それを外して捲り上げると、そこには装飾などが一切施されていない黒い重厚な雰囲気を漂わせる拳銃のグリップが顔を覗かせる。

 ホルスターから拳銃を引き抜くと、掌よりも少し大きいサイズの銃だったが、ずっしりと重厚な重みを感じた。一センチ程度の厚みのあるフレームで構成されているが、弾丸を込める円柱状のシリンダーが側面から大きくせり出ている。

 二センチ程度の長さのある銃身に、射撃した後の火薬の燃焼痕は見られない。グリップを握ると人間工学的に作成されているのか、思ったよりも握った右手に馴染む。親指の近くにはシリンダーを取り出すための小さなボタンがあり、それを軽く押しながら左手でシリンダーを右側から横に押した。

 樹脂と金属の混じった音を立てながら、シリンダーが目の前にスライドして出てくる。円柱状の弾倉には五発の弾丸がフルで収まっており、薬莢の後端についている雷管には撃針が叩きつけられた痕はなさそうだ。

「……悪くない…」

 ビルから落ちたり、追い回されたり、爆発に巻き込まれかけたり、撃たれたりとこれまでは運が無かったが、ようやく運が向いて来た。弾数は心もとないが、無いよりはましだろう。

 出てきたシリンダーを銃のフレームに戻すと、しっかりと定位置に戻った事を示すカチッという音がする。この銃は一発一発撃鉄を起こすシングルアクション式ではなく、引き金を引けば撃鉄が勝手に起きるダブルアクション式だ。複雑な操作が無い分、引き金を引く握力が求められるため、咄嗟に弾丸を放つのが遅れそうなのが怖い。

 ずっと銃を持っていると見つかった時に問答無用で撃たれそうだし、もし、生きている人に会った時に誤解されてしまいそうだ。スーツの上着を捲り、右腰のベルトへ差し込んだ。

 スーツの上着を捲らなければ見えないため、兵士以外の人間と会った時に誤解されることは無いだろう。できるならば、これが活かされる瞬間が来なければいいと思うが、それは楽観的だろう。これは絶対に必要になる時が絶対に来る。備えあれば患いなしだ。

 できるだけ周りにも注意を向けていたとはいえ、弾丸が装填されている事の確認で疎かになっていたのもある。周囲を見回し、兵士がいないことを確認する。

 道端に倒れている人以外の、動いている人影は道路に見当たらない。道路を横切り、再度裏道へと入り込むが、いくつかの建物を超えていくと、視線の先で建物が途切れているのが見える。

 確かここの先は、大きな川があったはずだ。数十メートルの距離は特に問題なく進めたが、他の問題が出てくる。進めば進むほど、おびただしい数の銃声が聞こえてくる。

 ただ、兵士に追い掛け回される前の、裏路地で聞いた激しい銃声の嵐ではない。しかし、距離はあるものの絶えず弾丸が飛び交っているような印象がある。

 先と同じように私は通りに出る一歩手前まで来ると、隠れながら通りを見定めた。車も通れる道が裏路地に対して垂直に通っている。道のすぐ横は三十メートルほどの幅がある川が流れており、いくつかの橋がかけられているのが遠目でも見える。川を挟んでその奥には目的地としている住宅地が並んでいるのが見えた。

 度々聞こえてきていた銃声は正面の住宅地から聞こえてきている。そして、時折空中を切り裂いて進んでいく、赤く小さい飛翔体が空に現れる。火薬で加熱された弾丸である事はわかっているが、銃声の数だけ虐殺があるとなると言葉が出ない。

 そして、ここに私の家がある事を考えると、娘がその虐殺に巻き込まれるのは火を見るよりも明らかだ。連中がどの方向から制圧を開始したのかはわからないが、手前というよりは奥に自宅がある為、まだ間に合うと信じたい。

 奥行きにどれだけ進んでいるかわからないが、銃声や発砲炎が街の広い範囲で見られることから、時間はあまり残されていなさそうだ。

 一番近くにある橋へ身を低く保って接近する。時折倒れている死体を避けつつ、五十メートル程歩いたところで橋へ到着した。さっさと渡ってしまいたかったが、橋の中間には数人の兵士が銃を持って何かを話している。

 周囲をたまに見て、いつでも戦闘に参加することはできているが、形だけで本気で警戒をしているわけではなさそうだ。雰囲気や肩を揺らして笑っている様子から、気を抜いていそうだ。

 何か気を引けるような物は無いか。瓦礫の欠片は幾らでもあるが、私という存在をあの人数に気取られてしまう可能性が高いため、使いづらい。

 私を追ってきた時と違って人数の多さが目立つ。人の数だけ視界があり聴覚がある。投げた石が一人にでも見られてしまえばその時点で私の位置が知れ渡る。車が三台ほど縦列に並ベる位の幅が橋にはあるが、十分とは言えない。

 話をしている兵士は四人おり、所持しているリボルバーの弾丸数でどうにかできない事は無いが、全員を一発で倒すことが前提となる。当たり所が良ければ倒せるだろうが、四人全員を仕留めるのは難しいだろう。

 兵士たちは装備が良く、胸や腹部を守るプレートキャリアを着込んでいる。そこには銃の弾倉などが差し込まれており、9mm程度の貫通力では心臓を狙うのは難しいだろう。頭部も考えたが、急いで撃っていかなければならない状況で、正確に全員の頭をぶち抜けるとは思えない。

 どうあがいても奴らを倒して進むのは難しい。ならば、見つからないようにして進むしかないだろう。幸いなことに道路にはいくつかの車両が無造作に乗り捨てられており、その陰を進めば見つからずに接近することはできるだろう。

 しかし、橋を超えることはできないだろう。どうやっても接近はできたとしても、見つからずに超えることができないのだ。あの兵士たちの前に、身を晒さなければ超えることは不可能でありそうだ。

 諦めるつもりは毛頭ないのだが、道路を走り抜けた時以上に不利な状況だ。どうやっても無傷で橋を渡り切る自信が無い。これまでもかなり危険な道を進んで来たと思うが、それ以上のいばらの道へ進まなければならないのを感じた。

 ここで臆していてはだめなのだが、どう奴らの隙をつくのか。どう隙を伺うか。どう隙を縫っていくのか。なるべく直前まで見つかりたくないため、じっと兵士たちを見定める。

「…」

 それぞれが定期的に周囲を見回す為、中々飛び出すタイミングを掴めない。それに、急いで行くのにどうしてもこの靴では早く進むことができない。脱いではいけないが、どうするか。

 そう思っていると、少し前に壁にもたれるようにして死んでいた女性が居たのを思い出す。私服だったため分からないが、垢が抜けきらぬ顔立ちだったことで学生ではあっただろう。彼女が履いていた靴は、私が履いている靴よりも走るのに適したスニーカーだったはずだ。

 後ろを振り返ると、思っていたよりも近くの壁に、額と胸から血を流す女性がもたれるようにして死んでいる。

「ごめんなさい…」

 彼女に近づき、私はそう語りかけながら靴を脱がせた。自分の足の横に靴を置いてみると、少し小さいぐらいだ。急いでヒールを脱ぎ、もう片方のスニーカーも脱がせた。履き替えてみると指先に多少圧迫感を感じるが、飛んだり跳ねたりしても問題なさそうだ。

 橋の方へ戻って兵士たちの様子を伺うが、さっきと同じく何かを話しながら周りを見回している。隙を作り出すとしたら音を出すぐらいしか思いつかず、やむを得ないだろう。

 覚悟を決め、連中を音で誘導するために、近くに落ちていた石を拾い上げた。後はタイミングや投げる方向が重要になってくるが、それぞれが別々のタイミングで動く兵士たちの行動を読むことは難しく、ガスマスクで表情や目線を探れないのも大きい。

 しかし、急がなければならない気持ちもある。傾いた夕日が遠くの山に隠れ始め、薄暗さを感じ始めている。なのに、周囲の街灯はうんともすんとも言わないのは、街に送電している電線がきれてしまったのか、それとも変電所がやられてしまったのだろうか。

 日が完全に落ちてしまえば、確実に街は完全なる暗闇に包まれる。兵士の脅威を感じながら手探りで家へ向かうのは自殺行為とも言える。

 あと数百メートルで着くというのに、ここで足止めを食らってしまうのはなんとも歯痒い。川を泳いで渡ることも視野に入れようかと思ったが、昨日は大雨が降り、増水してとてもじゃないが渡り切れない。渡れたとしても、濁流の不規則な流れの中で川から上がれる自信は無い。

 歯噛みして悩んでいると、川越しに見える街の方向から聞こえてくる銃声に激しさが加わる。大まかな方向しかわからないが、いくつもの弾倉が空になるであろう発砲音が重なって聞こえてくる。

 私が向かおうとしている方向とは異なるが、集められた人間を撃ち抜かんとする連射具合に、大通りで見た処刑場を彷彿とさせた。

 単発でしか聞こえていなかった銃声がいきなり連射するものに変わったことで、兵士たちも気になったのだろう。その方向へ全員が顔を向けた。

 私も銃声を聞き行ってしまいそうになったが、一か所に視線を向けるまたとないチャンスだ。隠れていた場所から飛び出し、小石などを蹴飛ばさないように気を付けながら三メートル程先の車へと移動した。

 見つからないようにこっそりと顔を出して様子を伺うと、兵士たちは何かを話していて、こちらに振り返る様子はない。その間に、更に三メートルほどの距離を詰めた。

 全長が二十メートルはある橋の中間に兵士たちは居たが、今では目と鼻の先に居る。進みだす前は、間をいくつかの物体が遮っていたが、私と兵士たちを隔てるのは今隠れているひしゃげた車が一台のみだ。

 ほんの数メートル先で話している兵士たちの息遣いも聞こえてくるような距離に、緊張感が増す。ここからは下手に大きくは動けない。この距離間ともなれば、こちらが発する音も向こうに聞こえてしまうからだ。

「あっちはβの部隊が担当してたよな?」

「ああ、なんかあったのか?」

 未だに聞こえてくる銃の連射は、連中の内情を知らない私からすれば虐殺のために行われているように感じるが、会話から察するにそうではなさそうだ。

「もう制圧が終わったのか?」

「いや、早すぎだろ。さっきの報告では50%も制圧が終わってなかったじゃないか」

 話の流れからすると、あのような状況になるのには早すぎるようだが、ならば戦闘になっていると考えられた。警察か、もしくは特殊部隊が街に到着したのだろうか。

「警察や特殊部隊が動くにしては早すぎないか?…あの馬鹿ども、無駄に弾を消費しているんじゃないだろうな」

 笑いながら言う様子から、大した問題ではなさそうな雰囲気が出ている。一人の兵士が所有している無線機に呼びかけた。

「こちらΔ第一分隊…β小隊現在の状況を報告せよ」

 ヘルメットに備え付けのヘッドフォンで聞いているのか、直接返答は聞こえてこないが、他の兵士たちの話し声からおおよそがつかめた。

「正体不明の敵に小隊の三分の一がやられたって、本当か…?」

「そんな奴がいるって情報なかったがな…たった一人の人間にβの連中が後れを取るとは思えん…」

 確か戦場で三割を超える損害というのは、全滅と同意義であると聞いた事がある。思ったよりも状況が悪かったらしく、重々しい雰囲気が兵士たちに流れ始めた。無線を黙って聞いていた兵士が指揮を開始した。

「βから援護要請だ…壊滅寸前らしい。我々は第二分隊と共にβ小隊の元へ向かう。ここの監視には一人残ってもらう…それじゃあ、いくぞ」

 視線やジェスチャーで誰が残るのかを決めていたらしく、すぐに複数人の足音が遠ざかっていった。仲間を見送っているのか、残った兵士はしばらくの間立ち止まっていた。

「…まったく……計画通りにはいかないもんだな」

 ため息交じりにそう呟くと、警戒を任された男が歩き始めた。人数が減ったことで、隙を作ることができれば橋を渡り切りやすくなったが、故に慎重にならなければならないだろう。

 そう思い、どう兵士を誘導するか悩んでいると、一人になった兵士がこちらに向かって歩いて来た。ブーツがコンクリートを踏みしめる音を立てる音が、徐々に大きくなっていく。

「っ…!」

 体を晒したわけではなかったため見つかったわけではない、巡回のために歩いてきたのだろう。さっきまでと同じく、適当に周囲でも見回してくれていれば楽だったというのに。

 ズボンのベルトに差し込んでいたリボルバーに手を伸ばそうとするが、車のフレームで死角になっていた位置から、銃を携えた兵士が現れた。

 ガスマスクの視界の悪さも相まって、私の姿は見えていないようだった。だが、一安心とはいかず、悪い状況なのは変わりない。

 そして、なぜ彼がいの一番にこちらに歩いて来たのか。地面に残る血痕が目に付いたのだろう。それも、私の体から流れ出た物だ。

 撃たれた左腕を応急処置していたが、ゆっくりと血は流れ出続けている。それが落ちて、私が通ってきた道を点々と示している。

 片膝をつき、黒いグローブに覆われた手で小さな血痕に人差し指を軽く触れた。水気が残る血液は指にベットリと付き、親指で人差し指を摺り合わせるとまだ乾いていないのが分かったのだろう。

 その行動は橋の制圧がとうの昔に終わっており、真新しい血痕が制圧後についているのだと、彼は察しをつけたらしい。落ちた血液の跳ね具合から、追跡は容易だろう。

 それを示唆するように、私が通って来た道筋を眺めていた兵士がこちらを振り向こうとする。片足を軸に、素早くこちらに向きなおろうとしたが、当然こちらを向くのは予想している。

 血痕を調べている内に私も動いていた。身を低くし、数メートル先でしゃがんでいた兵士に全身の体重をかけてタックルをかました。靴を変えていなければ、走り寄っている時点で気が付かれ、撃たれていただろう。

 体格の差や装備重量で、数歩でも後ろに下がらせるか、転ばせられれば十分以上と考えていた。腰に隠している拳銃を引き抜き、正確に狙えるだけの時間を稼げればいいと。

 攻撃を受けることを想定していなかったのだろう。視界の悪さも相まって、私の姿を捉えるに至らずにまともに攻撃を受けた。

「うおっ…!?」

 しゃがんでバランスが悪くなっていたことで大きくよろけた。橋から落ちないように区切る手すりまで数メートルはあったはずだが、兵士をそこまで突き飛ばすことができた。

 ただでさえ重い装備を着たまま転べば、起き上がるのに時間がかかる。兵士はバランスを取ろうと躍起になり、反撃どころではなくなっていた。手すりにほぼ全体重を預けることで止まったような物であり、そうでなければ転んでいた為、攻撃へ移行するのにも時間を要するだろう。

 両手で扱う小銃を携帯していたが、地面の血痕を調べるのにグリップを握る手だけで持っていた。突き飛ばされたことで数キロは下らない重量が重くのしかかり、握力だけでは保持し続けることができず、取り落としてしまっている。

 スリングで完全に身体から離れることは無いが、持ち直すまでにラグがある。だが、流石は訓練が行き届いた兵士だ。慌てて自動小銃を手探りで探すのではなく、腰のホルスターに収まっている拳銃に手を伸ばしている。

 だが、私としても突き飛ばしただけで終わっていない。手どころか息すらも届くような距離に接近しており、低い姿勢のまま兵士の足を掴んで力任せに持ち上げた。

 運動やトレーニングを行っていたとしても、普段の生活では事務作業をしている時間の方が圧倒的に長い。長い訓練で流々とした筋肉を持ち、最低でも数十キロもある装備を着込んだ兵士を純粋な自分の力だけで持ち上げることは難しいだろう。だが、今回はいくつかの要因により可能となった。

 一つに、兵士の体勢が大きく崩れている事だ。男女での腕力の差は、どう頑張ろうが埋められない。どれだけ鍛えようとも腕力でねじ伏せられれば女が負けるが、視界の悪さで私が女性とは認識できていないだろう。そして、拳銃に手を伸ばしている所から、兵士が私を捻じ伏せられない状況であるのだ。

 二つ目としては、兵士が背負っているバックパックの存在だ。突き飛ばした際に、腰程度の高さしかない橋の手すりで止まることはできているが、上半身は手すりを超えて、中空に投げ出している状態で居る。身体の重心がしっかりと踏みしめることのできる足元ではなく、何もない川の上にあり足元の姿勢を崩させるのは容易だ。

 最後に、兵士は手すりに腰を預けた姿勢を維持しているため、その接地面を始点にすれば、身体能力が高くない私でも少ない力でガタイの良い兵士を持ち上げられる。後は背負ったバックパックと体重が私を手助けしてくれる。

 思っていたよりも弱い力で足が持ち上がり、兵士が川へ落ちるように投げ捨てた。せっかくホルスターから拳銃を引き抜いたというのに、感じていた重力が反転したことで兵士は腕をばたつかせるだけで、こちらに発砲することができない。例え、撃つことができたとしても、狙いなど付けられなかっただろう。

 無線で呼びかける暇も照準を向ける暇もない。半ばパニックに陥っている兵士は腕をバタつかせ、言葉にならないくぐもった声を上げながらゆっくりと身体が落ちていく。

 時間にして一秒もない。僅かに小さくなっていった身体は、茶色く濁る濁流の渦の中へと飲み込まれて行った。たとえ泳ぐことができたとしても、あれだけ重たい装備を身に着けていれば、もみくちゃにされて立て直すのに時間がかかるだろう。すぐに川から上がって、橋の上にいる私に干渉することはおそらくできない。

 兵士が作り出した水面の波は、次から次に押し寄せる濁流に綺麗さっぱり拭い取られて跡形もなくなくなっていった。

 今の声を聴いて誰かがこの橋へ向かう前に、さっさと離れてしまうとしよう。

 連中にとっては予想だにしていない状況になったことで、今回はどうにかなった。だが、それは運が良かっただけだ。これからは戦闘が行われている場所に自ら飛び込むため、気を引き締めなければならない。

 水面から視線を外し、街を見る。銃声はそこら中から聞こえてきており、一部ではその銃声から苛烈な戦いが繰り広げられているのがわかった。

 いつどこで兵士と出くわすかわからない。いつどこで撃たれるかわからない。弾丸が飛び交う戦場へと向かい、血痕を残しながらも橋を渡り切った。

 




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