それでもええで
という方のみお楽しみください。
逃げるために娘が荒らしたのか、それとも娘を追った兵士が荒らしたのか。今の状態からはわからず、中に入って調べるしかないだろう。だが、それと同時に救急箱も探さなければならない。
貧血で少しクラクラするが、冷静に物事を判断できるうちに娘を探して治療をし、逃げなければならない。やらなければならないことが山積みだが、一つずつ確実にだ。
上着の裾を右手で払い、ズボンに差し込んでいたリボルバーを取り出した。ダブルアクション式の回転銃は引き金を引くだけでシリンダーの回転と撃鉄を起こすことができる。扱いやすくはあるが、誤射や暴発には気を付けなければならない。
昨日の雨で若干ぬかるんでいた土を踏んだのか、廊下を進んでいくと大きなブーツの足跡が残っている。
乾き具合から、家に入ってからしばらく時間が経っていそうだ。出る足跡も若干残っている事から、いない可能性が高いが十分に用心して進む。
一番近くにある開け放たれている扉から部屋の中を覗き込んだ。机はひっくり返り、複数人の兵士が部屋を荒らした様子が伺えた。今のところ死体は無いが、まだまだ部屋は残っているため、その時を覚悟しなければならない。
どちらの緊張で心臓が激しく鼓動しているのかわからない。兵士と出くわすことを緊張しているのか、それとも娘の死を見たくない緊張か。今は圧倒的に後者の方が大きいだろう。
茶の間を通り過ぎ、その奥にあるキッチンへと向かう。部屋と部屋を繋げる扉にはしきりとしてカーテンを付けていたが、床に転がっている。泥だらけのカーテンを跨ぎ、壁に背中を預けながら部屋の中を覗き込む。玄関や茶の間以上に荒れ放題だ。皿や食器をしまう棚は隠れられそうな場所であるため、開いて中身が全て床にぶちまけられている。
「…」
かなり徹底的だ。こんな調子で探されていたら、生き残れる可能性はかなり低くなってしまうのではないのだろうか。
あまりゆっくりもしていられず、急いでキッチンから玄関に面した廊下へと戻った。極力音を立てずに数歩進み、廊下の途中にある脱衣所を覗き込む。
洗濯物を入れる籠は踏み壊されたのか、割れたプラスチックの破片が転がっている。縦型の洗濯機は横に倒れてしまっており、水道に繋がっていたホース内の水が逆流してきたらしく水がドラムの中から滴り落ちている。床に残っていた水溜りの反射具合で血に見え、一瞬焦りそうになった。
透明の水たまりから目を離し、風呂場へと視線を向けた。扉は蹴り開けられ、中も洗面用具などで散らかっている。浴槽の中も確認したらしく、湯が冷めないようにかけられていたカバーが取り払われて床に落ちている。
浴槽に空薬莢は落ちておらず、壁にも銃痕や血の跡はなさそうだ。籠っている空気に、火薬の燃焼した匂いは漂っていなさそうだ。血の匂いもないが、念のため浴槽の中を確認するが、まだ湯気の立っている湯舟しか見えない。
脱衣所を出て二階へ続く階段へと向かった。きっちりと二階も探索している事を示す足跡が階段に残っている。帰っていく足跡が重なり、ぐちゃぐちゃで何人が二階に昇ったのかわからない。
一階にはいなかったが、二階に兵士が残っている可能性がある。なるべく音を立てないように階段を上るが、一歩踏み出すたびに木製の床が軋む音を立て、誰にも聞かれていない事を願う。
自宅でこんな音を立ててはならない状況など想定していない。鳴らないように緩衝材としてカーペットを敷くか、少しでも手入れをしておけばよかっただろうか。
階段は途中でUターンし、踊り場を曲がって数段上がると二階へとつく。踊り場で立ち止まり、まっすぐ伸びていく廊下を階段から顔だけ出して様子を伺った。廊下は一本道となっており、兵士の姿は無い。見える範囲にはいないが、何かがいる音がする。床を重たい重量が歩く足音、そして、フィルターを介して行われる呼吸音がするのだ。
確実に兵士がいる。正面の一番奥にある倉庫として使っている部屋だろうか。それとも寝室か、娘の部屋か。音の距離感から倉庫ではなさそうなのだが、娘の部屋と寝室が廊下を挟んで同じ位置にあるためどちらにいるのかわからない。
音が聞こえていれば待ち構えている可能性はあるが、足音の持ち主の話し声が聞こえてくるところからそれはなさそうだ。二階へ登り切ってしまおうかとも思ったが、一人だけではなくもう数人潜んでいるかもしれない。
上がろうとした足を引っ込め、一度様子を伺って会話に耳を傾ける。
「ここには誰も居なさそうだ」
他にも兵士がいることを予想していたが、会話の後に同じ部屋か別の部屋から返答が帰ってくることは無い。やはり無線で会話をしているようで、沈黙が続いている。
「わかった。俺は念のために軽くもう一回りしてからそっちに向かう」
返答しながら兵士が寝室から姿を現し、すぐ向かいの娘の部屋へとゆっくりと入っていった。入っていく前に撃つべきだったのかもしれないが、会話の最中であったせいで撃てなかった。新たな敵を招くことは避けなければならない。
それに、もっと確実な時を狙うべきだ。奥の部屋へ最後に向かうのであれば、背中を狙える。奥に向かうことが無かったとしても、奇襲を仕掛ける準備だけは整えて引き金に指をかける。
ズルだ、卑怯だとは言うまい。そっちだってあるゆる人間を巻き込んで奇襲を仕掛け、戦える人間をお構いなしに殺しまくっているのだから。
娘の部屋を歩き回る音がする。落ちている玩具や家具を蹴飛ばし、隠れていそうな場所を探している。蹴られた反動で廊下にまで転がって来たのは、娘のお気に入りの人形だった。はやりの可愛いキャラクタの人形が踏まれ、泥と汚れで薄汚れてしまっている。
一部が裂けて中身の綿が飛び出してしまっている姿に、兵士に対して怒りが込みあげ、腸が煮えくりかえって来た。娘が大事にしていたところをずっと見ていたからこそ、余計にそう感じた。
娘の部屋を一巡し、入り口から出て来た兵士は階段ではなく奥の部屋へと向かっていく。しかし、警戒自体はしているらしく視線をこっちに向けた。雰囲気から、振り向くのが分かったため、直前で頭を下げて隠れた。
奥を確かめるでもなく、不自然に立ち止まったまま呼吸を繰り返すのは、こちらを向いている証拠だ。見えていないと思っていたが、私の気配を少なからず感じたからだろう。
「……」
それを確かめるか否か、迷っているのだろう。何秒間か悩んだ末、彼は奥の倉庫へと向かっていく。帰ってくる時では顔を見合わせた状態で打ち合う事になり、連射のきく小銃を持っている兵士相手に正面からやり合うのは得策とは言えない。
伏せていた上体を持ち上げ、リボルバーを構えながら奥へ歩いていく兵士へ照準を向けた。銃口の先と銃身の一番手前に付けられている溝、フロントサイトとリアサイト越しに兵士に狙いをつける。
数歩歩けば手が届くような距離であるため、狙いをつけるのは難しくはない。引き金に置いていた指を引き、兵士を撃ち抜こうとした。撃鉄が持ち上がり、回転するシリンダーに合わせて撃ち下ろされるという所で兵士が勢いよくこちらを振り返る。
引き金を引いた際の内部機構が稼働する音、シリンダーが回転するを聞いたのか。その反応の良さから、タイミングを探っていたのは私だけでなく奴もそうだったのだろう。私はまんまとおびき出されたのだ。
「くっ!?」
振り返るまでの時間で頭を撃ち抜くだけの時間はあったはずだったが、振り返りながら碌に狙いもつけず小銃を乱射したことで、撃たれる恐怖心から照準がぶれてしまったのだろう。
最初に感じたのは発火炎の光だが、一番印象に残るのは手や手首に伝わって来た衝撃だ。火薬の爆発から発生したそれは、自動拳銃のようにリコイルをある程度逃がす機構が備わっていないリボルバーでは、ダイレクトに伝わってくる。
続いて感じたのは爆音だ。兵士からの複数回の発砲音と、私の手元から発せられた爆音が折り重なる。シリンダーは密閉されているわけではないため、発砲音が周囲へ余計に伝わる。持っている近さも相まって相手の銃声も掻き消すレベルだ。
衝撃や発火炎のインパクト、火薬が燃焼した硝煙の香りの余韻を感じる間もない。兵士が放った大部分の弾丸は壁や窓に穴を開ける程度で終わったが、その内の数発は私の体を捉えた。動体視力を軽く超える速度で進む弾丸は胴体や腕へ軽い衝撃を与えた。
「ぐっ!?」
撃たれて呻く私は後ろに転びかけ、兵士に撃ってくださいと言わんばかりに隙を晒してしまう。すぐに立て直さなければならないが、胴体や腕らへんの痛みに反応が遅れてしまう。
だが、理由はそれだけではなく頭部にも軽い衝撃を受けたことで、頭を撃たれたのだと誤認した脳がパニックに陥り、情報処理を一部放棄してしまったのだ。
後ろに倒れかけたが、壁が傾いていた背中を支えてくれたおかげで天を仰ぐことはなった。そして幸いにも、私が撃った弾丸も相手に当たったらしく、大きく怯んで即座の反撃ができていない。
「ぐっ…このアマっ!」
首元を押さえて片膝をつく兵士が悪態をつき、顔をこちらに向ける。曇り処理がなされていてこちらからは若干見ずらいが、薄っすらと目の輪郭がレンズ越しに私を睨みつけている。
小銃をこちらへ向けようとしているが、その動作は異様に遅い。撃たれたことで狙いがずれてしまったと思っていたが、意外にも急所へ当たってくれたのだろうか。
こちらも頭を打たれたことで判断がかなり遅れてしまっていたが、それでも相手が銃を構える前に立て直すことはできた。まだ意識を失っておらず、手も動かせる。指の一本でも動か専るならば、まだまだ戦える。
リボルバーを構え直し、こちらへ小銃を向けようとした兵士よりも先に照準を定め終える。銃身の上に取り付けられているサイト越しに兵士の目が見えた。
正確にはわからなかったが、驚いているような目の見開きを感じた。私が後ろに派手に吹っ飛んだように見えたことで、死んだと勘違いしていたのだろう。そこに死体撃ちでもしようとしていたことで、銃を構えるスピードが遅かったのだろう。
有難い。こちらにはまだ反撃能力が在ると早期に悟られていたら、銃口は私の混乱中に向けられ、無慈悲に撃ち抜かれていただろう。勘違いと油断が私に引き金を引くだけの時間を齎してくれた。
奴の狙いが定まる前に、私はリボルバーの引き金を引いた。起きた撃鉄がバネの力で振り下ろされ、薬莢の後端についている雷管を叩くと同時に、内部に発火を引き起こす。
発火した火薬が発生させる膨大なエネルギーが瞬時に発生し、手に重い衝撃が駆け抜ける。火薬炎が一瞬ではあるが視界を塞ぎ、耳を劈く発砲音に鼓膜が馬鹿になってしまいそうだ。
だが、手が痺れるような衝撃と密閉空間で鼓膜が破れてしまいそうな爆音に苛まれるが、私のダメージはそれだけだ。相手が放ったであろう弾丸による、新たな衝撃は感じられない。
距離感から弾丸は刹那の時間で兵士に到達する。いつ撃たれてもおかしくない状況に緊張感が増すが、発火炎が消え、発生していた硝煙越しに兵士の頭が僅かに後ろへ傾くのが見えた。
兵士の後方側の白い壁に真っ赤な血が大量にへばり付き、被弾を象徴する。首に当たってもそこまで出血する様子が無かったのは、強固な装備越しだったからだろう。
どこに当たったのか、近づいて確かめるまでもなかい。ガスマスクに二つあったはずの赤いレンズの片方がなくなり、射撃を境にして崩れ落ちていく兵士の様子から、頭を撃ち抜いたのだと分かった。
操る糸を切られた人形のように力を無くし、こちらに向けようとした小銃が銃口から床に落ち、兵士も前のめりに銃の上へ倒れ込んだ。受け身を一切取ることの無い倒れかたから、意識が無いのを感じさせる。
後頭部から溢れたどす黒い血が床に広がっていくが、それっきり兵士は身動きを取ることも無く沈黙を続けた。死んだふりの可能性もあったが、倒れた兵士の後頭部が大きく膨らんで弾け、中身を露出している所から絶命が確定した。
何とか倒せた。あとは急いで娘を探そう。希望的観測だが、どこかに隠れてやり過ごすことができていると思いたい。
そう思いながら階段を上り切ろうとしたが、体の節々から痛みを感じはじめた。痛みを二の次とする究極の状況で感じていなかったが、改めて撃たれていたことを思い出した。
右肩と右わき腹に痛みを感じた。腕は動かせている事でそこまで深い傷ではないが、脇腹は骨を一部やられたらしく呼吸するごとに痛みが生じる。砕けた骨が肺を傷つけていなければいいが、今の状況からは判断できない。空気が漏れる感じはしないため恐らくは大丈夫だろう。
そして、頭に衝撃を感じていたが、弾丸が耳の一部を吹っ飛ばしていたらしく頬を血液が伝い落ちていく感触がした。脇腹の銃創が特に酷いせいで痛みを感じにくくなっており、咄嗟に側頭部を押さえた手に耳の感触が残っていたことで少し安心した。
探す前に応急処置をしないと私が先に死んでしまう。私だけの体ではないため、申し訳が無いが先に治療を行うことにした。階段を上り切り、寝室へと向かう。ベットはひっくり返され、クローゼットは開け放たれて中身を出された後に無造作に倒されてしまっている。
ベットの横に置いていた、腰程度の高さしかない小さなタンスは無事に残っている。その中には応急処置に使えるキットが入っていたはずだ。一番下の引き出しを開くと、白を主体とした箱があり、中央には赤い十字の模様が描かれている。赤十字は医療のマークであり、間違いはない。
すぐに箱を開け、中身をひっくり返して棚の中へぶちまけた。袋に梱包された止血剤と真っ白で清潔であることを示している包帯が転がり出てくる。持っていたリボルバーを棚に置き、処置へと移る。
上着とワイシャツを脱ぎ捨て、撃たれた銃創部を露出させた。ワイシャツが血と汗で肌に張り付いて脱ぎづらいが、ボロボロでもはや使い物にならない服を裂くようにして無理やりに脱いだ。
止血剤の袋を開けると中には茶色っぽくも、緑っぽくも見える粉が入っている。それを耳や撃たれた脇腹、かた、二の腕、足へとふんだんにかけていく。ビルから落ちる際に、露出した鉄筋が刺さった部分も忘れずにふりかけた。指や掌で、かけた粉を患部にしっかりと押し付けて効果を最大限に発揮できるようにする。
「っくぅ…」
特別この粉が痛みを誘発するわけではないが、傷口に塩を塗るような行為であるため、痛みを生じるのは仕方がない。
粉は血液を凝固させる作用のある薬剤が含まれているが、その他にも浸透圧を利用して出血を抑えるための化合物が含まれている。痛みの甲斐もって時期に出血量も減っていくことだろう。
肩や二の腕、脇腹、足にガーゼを当て、包帯でがっちりと圧迫する。これで医療機関に行くまでの時間は稼げるはずだ。応急処置に時間がかかってしまったが、ここをしっかりしなければ結局のところ行き着く先はどちらにせよ同じとなってしまう。
ひと段落し、ようやく娘を探すことに専念できる。包帯代わりに使っていた血まみれのスーツを捨て、改めて自分の体を見下ろした。応急処置はほぼ問題ないレベルでできたが、まだまだ予断は許さないだろう。
また撃たれるかもしれないし、止血剤を使用しているとはいえ、激しい動きをすれば当然ながら患部が裂けて出血を引き起こす。止血剤はまだあるため、念のためもう一袋持って行こう。
止血剤を使わない状況というのが一番いいが、そうも言っていられない。気を引き締め直し、床にぶちまけられた服の中から手短な新しいワイシャツを拾い上げた。それを着用し、新しい上着を探そうとしたが、季節の変わり目でスーツはほぼ全て服屋に預けてしまっていたことを思い出した。
血で汚れている上着を改めて着用し、棚の上に置いておいたリボルバーを改めて拾い直した。二回引き金を引き、残りは三発。この町から逃げるのに、それではかなり心もとない。
それに、撃たれた時のために防弾チョッキが欲しいが、そんな便利な物は本部のロッカーの中だ。
防御能力は諦めるとするが、欲を言うのであればもっと反撃能力の高い銃が現状では求められる。一発一発弾を込めるシリンダー式ではなく弾倉式の拳銃が欲しい所だ。
奴らは人を探すのが目的であるため、家の各所に隠している銃は見過ごされるかと思ったが、ひっくり返された机の板の下に張り付けておいた拳銃は見事に破壊されている。
他にも隠していたため、武器は他を当たるしかないか。とりあえず部屋から出ることにした。死んだ兵士を跨いで娘の部屋へと入った。寝室同様に滅茶苦茶に荒らされているが、娘の死体が無い事で胸を撫でおろすが、まだ奥の部屋が残っている。
奥の倉庫に向かうが、そこにも娘の姿は無い。ひとまず押し入ってきた連中に家の中で殺されていないことに安堵できたが、娘が旨く隠れているのだろうか。それとも、想像したくないが、引きずり出されて外で殺されてしまっているのかがわからない。
靴箱の中身もぶちまけられて娘の靴を確認できていなかったが、改めて玄関先も確認しなければならないだろう。前者ならいいが、後者ならば最悪だ。この広い街の中から安否不明の自分の子供を探すなど、砂丘から一本の針を探し出すようなものだ。
だが、その可能性を家の中をくまなく探し出した後だ。まだざっとしか見ていないため、隠れている可能性を捨てたくはない。
「リリィ!」
外に声が漏れない程度の声で寝室や倉庫、娘の部屋を呼び掛けてみるが、反応は無い。一階へ移動し、茶の間で呼びかけるがやはり反応はなく沈黙を続ける。
一番隠れる場所の多いキッチンへ入り、棚の奥や床下倉庫などを調べるが娘の姿は無い。職業柄恨みを買うことが多く、何かがあった時のために、非常用の小さな小部屋を床下倉庫から行けるように作っておいた。そこにいると思い、扉を開けてみたが帰ってくるのは埃臭い空気だけだ。
娘の姿は影も形もなく、数日から数週間は過ごせるであろう保存食に紛れて隠れてもいない。耳を澄ましてみても、息遣いの一つも聞こえてこない。
徐々に心拍数が上昇していくのを感じるが、落ちつけと自分を自分で宥める。まだ確定したわけではなく、得られる情報がまだあるはずだ。
積もった誇りにムラがあり、小さな足跡が残っているのは娘ので間違いないだろう。不祥事があった際には私が来るまでは隠れるように教えていたが、その言いつけを守って隠れていたようだった。
なのに、小部屋の中に娘の姿が無いのがわからない。床に残る足跡をあらためて調べ直すと、入ってきて隠れた足跡がある所までは確認したが、その先がまだあった。歩いて自分の足でこの部屋を出て行っているのだ。
こんな危険な状況に、自分から飛び込む選択を普通は取らないだろう。まさか、見つかって連中に連れ出されてしまったのだろうか。いくら私の言いつけがあったとしても、銃を付きつけられれば従ってしまうのも頷ける。
「っ…!」
急いで小部屋から飛び出し、残った風呂場や脱衣所を探すが娘の姿は無い。廊下や茶の間の娘が入れそうな狭い隙間を探すが、あの子の輪郭すら掴むことはできない。
「リリィ…!いないの…!?もう大丈夫よ!お母さんが帰って来たから、お願いだから出てきて!」
静かにしなければならないのも忘れ、家全体に響くような大声でいつの間にか私は叫んでいた。そこには余裕など欠片も残されておらず、呼びかけながら泣きそうになってしまっていた。
「お願い…!お願いだから…!!」
最後は縋る様に娘を呼び、娘の無事を願うが帰ってくるのは無情にも無音だけだ。返事を返す言葉も、生存を示す息遣いも聞こえず、絶望に打ちひしがれる。
これまでの人生で、多少の山や谷はありつつも私はそこそこ満足に生きて来た。頑張って勉強し、そこそこの点数を取る。気の合う人と結婚し、贔屓目に見ても可愛い娘を授かった。
順風満帆だった人生の、それまでに降りかかることのなかった世界の理不尽や不条理を一度に受けているようで、やるせない。しかし、どんなに抵抗したくとも、私は間に合わなかったという事実だけが付きつけられる。
厳しい、理不尽な現実がだけが残った部屋の中で、それを受け入れようとした。外を、学校方面を探してはいないが、これだけの徹底した捜索ならば、どうなるかなど火を見るよりも明らかだろう。
どうしようもない怒りは何かをすることで解消することはできない。諦めようとした時、か細く消えてしまいそうな幼い声が聞こえて来た。
「………お母……さん…?」
「っ!?…リリィ!?どこにいるの!?」
部屋の中を見回すが、娘の姿も娘が発しているであろう声の発信源を特定できない。あまりにもショックが大きすぎて、幻聴を聞いてしまったのだろうか。
訓練の中で精神面を随分と鍛えたつもりだったが、こんな家族がかかっている状況下ではあまり役に立たなかった。やはりショックのあまりに、幻聴を聞いてしまっていたのだろう。
がっくりと肩が落ちそうになったが、今度はもっと大きく、もっとはっきりと聞こえて来た。
「お母さん……ここだよ…」
他に兵士が要る事を警戒しているというよりも、恐怖心から大きな声を出せないのだろう。押し殺し、囁く声に私は弾かれたように飛び出した。
「…どこ!?どこなの!?」
声に引かれるようにキッチンから飛び出し、娘の行方を捜す。しかし、どこにも姿が無く、隠れることなど絶対にできないであろう小さなものまで裏返して探そうとするが、再度した声の方向は風呂場の方からだ。
浴室の中にまで入り込むが、そこに娘の姿は無い。窓の外を確認しようとしたが、再度した声の方向は脱衣所だ。振り返った脱衣所の中央に少女はいないが、こちらを向いている倒れた洗濯機の入り口の奥、タンクの中には小さく縮こまって震えているリリィの姿があった。
流行りの青い服に、流行りの黒い靴は、朝学校に行く際に着ていた服だったはずだ。それに加えて、私と同じ金髪で、紺碧の瞳は見間違えることは絶対にありえない。
「リリィ!」
「お母さん!」
娘も不安が大きかったのだろう。瞳に零れそうなほどに溜まっていた涙を流しながら洗濯機から這い出ると、こちらに走り寄る。
まだ幼い、私の腹部程度の身長しかない少女を、しっかりと抱きしめた。幻覚でも、幻聴でもないと、確かな声と感触と体温が言っている。
「よかった……よかった…!」
「お母さん…!…怖かったよぉ…!」
抱きしめ返してくれるリリィの確かな温もりを感じながら、力一杯抱きしめた。数分間もそうしていたが、遠くで鳴った銃声に我に返る。
「リリィ…今は逃げないと…」
「……うん…わかった」
頬を伝う涙を拭いながら、リリィは力強く頷いた。怪我をした様子はなく、リリィは問題なく移動することができるだろう。手を繋ぎ、玄関へ向かう。
手を引き、廊下へと出て玄関へと向かいながら耳に意識を向ける。家に入ってからもしばらく続いていたあのけたたましい銃声がほとんど聞こえてこなくなっていた。
遠くからの小さな銃声は聞こえているため全くの無音ではないが、別の地区での戦闘は続いてはいる。ここら一帯では発砲音はほとんどしないのは、どちらかだろう。
この地区に一体どれだけの兵士が動員されているのかはわからないが、かなりの人数が集まっている事を考えると、正体不明と呼ばれていた者は兵士たちに殺されたのだろう。
兵士たちは小隊と言っていた。小隊の人数は30~50人で構成されているはずであり、分隊までいると考えるとさらに人数が増えるだろう。それに、小隊もいくつあるかわからず、人数は100を超える可能性もある。
捜索や巡回に割り当てられていた兵士たちが持ち場へ戻る前に、なるべく移動しなければならないだろう。帰る兵士が多ければそれだけ見つかる確率が高くなるが、見つからずに進むことができればそれだけ逃げやすくなるのも事実だ。
廊下を曲がり、玄関を向いたその瞬間に私は息を飲む。私の緊張がリリィにも伝わったらしく、体を強張らせて握っていた手に力がこもる。
私の視線の先には、兵士が一人立っていた。巡回組か、捜索組か、それとも二階で死んでいる兵士と通信していた兵士が様子を見に来たのかはわからない。
いや、そのどれも違うとすぐに分かった。顔を覆うガスマスクとヘルメットの間から覗く金髪には見覚えがあった。左目のレンズは砕けて露出した血だらけの肌が見え、その中には映えるような赤と対照的な青い瞳が、怒りの炎を燃やしながら私を睨みつけていた。
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