視野の彼方へ ~荒れ果てた世界で生きのびる方法~ 作:むろあをい
Vault76の自室は懐かしい。そこを出てまだ1日とは経っていないはずだが、既に懐かしい。
私は血まみれのスーツを脱ぎ捨て、洗濯機に放り込んだ。水を使わない分子分離方式の洗濯機が軽いうなりを上げて稼働し始める。それを横目で見ながら、下着姿のまま腹部の傷を調べた。
スティムパックはすごい。
傷痕の部分はピンク色の新しい肉が盛り上がっていて、既に痛みもない。傷の周りの皮膚にこびりついた、乾いた血痕だけが奇妙にリアルだ。
私は下着も脱ぎ捨てると、シャワー室に入って戦闘の痕跡を全て洗い流した。
身を清め終わったら、旅立ちの儀式のつもりで装備を身に着けた。
新しい下着、洗濯の終わったボディスーツ。旅立ちの時にもらったばかりのピップボウイを左腕に巻き付ける。これは便利なシロモノで、自分自身の様々な状態をアシストしてくれる。喉の渇き具合であったり、腹の減り具合であったり、武器や防具の威力を数値化して見せてくれたり。どんな持ち物を持っているかも一目でわかる。まさしく神の道具だ。
シャワーで濡れたままの髪が気になって、シャワー室の鏡を覗き込んだ。
見慣れた自分の顔。澄んだビリジアンの瞳が見返してくる。外に出たとはいえ、まだ一度きりでとんぼ返りしただけだ。肩のあたりでパツンと切り揃えたライトブラウンの髪。つやつやとして潤いがあり、絹糸のような光沢を放っている。外に出たらシャワーなど使う機会はなくなるだろう。髪など気にしている場合ではないと分かっているが、女子として身だしなみにはできるだけ気を遣いたい。
熟練のレジデントの中には、ちゃんとした家を建てて、風呂やトイレなどの生活空間を整えている猛者もいると聞く。将来的には、ぜひ、それを目指したいところだ。
(この顔も、当分見納めか……)
鏡に向かい、ニッと笑みを浮かべた。
前向きに行こう。深刻になればなるほど、状況は悪くなる気がする。希望など持ちようがないご時世だと分かってはいるが、どうせこれ以上悪くなることはない。
最悪の時期は過ぎた。自分は放射能に汚染された世界を救うための勇者。そう。そのために学べることはみんな学んできたはずだ。
これまでのことを思い返す。
私は母の顔を知らない。17年前、Vault76で人工ベイビーとして生まれ、Mr.ハンディを親として育った。卵子提供者としての母はどこかにいるはずだが、同じVault76にいたかどうかすら分からない。25年前のあの日、選ばれたメンバーの一人ではあるのだろうと予測はしているけれども……。
母の名はジェインと聞いている。同じレジデントとして外界に居るのであれば、運命に導かれて会うこともあるだろう。
私はもう一度、鏡を覗き込んだ。
(さよなら、ティーリア)
見返す緑の瞳は、母に似ているのかも知れないなとふと思った。
アパラチアにまともな鏡があるかは分からない。
この顔もしばらく見れない。自分にしばしのお別れだ。また会う日まで、元気で。
私は鏡の前を離れると、バックパックを背負った。今度こそ、本当の旅立ちになるだろう。
―=― 〇 ―=―
自室を出て、アルダートンの所へ戻った。
出る前に部屋じゅうの荷物を再確認し、持って行ける物がないか、もう一度チェック済みだ。道中で出会うMr.ハンディたちが全員、なけなしの物資を押し付けて来るのが面白い。水、スティムパック、ガムなどの菓子類がほとんどだ。
私が旅立ったら使う者がいなくなるし、程なくしてVault76のエネルギーも尽きる。彼らもまた、物言わぬ機械の塊に戻るのだろう。寂しいけど、これでお別れ。
私はMr.ハンディたちのこれからに想いを馳せた。
残って動かなくなる彼らと、去って生き延びる私。どちらがマシだろうと考えるまでもない。
(……生き延びるんだ……)
決意を込めてアルの前に立つ。
彼は、少し落ち着いたのだろう、穏やかな声で迎えてくれた。
「準備はできた?リア」
「うん」
アルダートンはメカニックだ。だから、決して表情が見えることはない。だが、その分、声のもたらす感情は多彩だ。彼はふ、と笑うように息をついた。
「リアは頼りないからナ。ワタシたちの未来を託すには、少々心配ダ」
「大丈夫。任せて」
「Vault76全員の願いダ。必ず、生き延びて。そして合衆国に未来ヲ」
「約束する」
ひとつひとつの言葉が祈りであり、願いだった。
私は彼らから、最後の希望を受け取る。
「これを渡しておくヨ」
アルが差し出したのはキャンプパックだった。Vault76を出る時に、全員必ず持っていくはずの大切な道具だが、私はうっかりしていてもらい損ねたようだ。
「ちゃんと持って行かないと。アパラチアにろくな街はないヨ。生きていくための方法は、先に旅立ったレジデントが導いてくれるはずダ。ほんとは、ワタシも一緒に行きたイ。リアひとりじゃ、不安で不安で」
「私もそう思うよ。アルが居れば頑張れる気がするし……」
アルダートンはちょっとしんみりした風情で、言葉を切った。
Vault76のすべてのロボットたちは、シェルターと運命を共にする。それはもう変えられない約束。
物理的に外に出れないわけではないが、アルダートンは戦闘用Mr.ハンディでもないし、アパラチアの危険地帯をくぐり抜ける事はできないだろう。エネルギー補給の問題もある。動けなくなれば置いていくしかない。連れて行って、彼の身の安全を保障できるほど、私は自信過剰ではなかった。
「…………」
「アルはここで待っていて。いずれ、合衆国の再建が上手くいったら会いに来るから」
「その前にエネルギーが尽きル。ワタシたちはみな停止スル」
「ばかだなあ」
私は笑った。
「停まってたら再起動するさ。アルは再建された合衆国の夢でも見ながら、待ってるだけでいいよ。外に出て、壊されたりしたら、それこそ二度と会えなくなるけど……ここは安全だ。ここで待っていればいい。いい夢を見ろよ」
「夢カ…………」
アルダートンは遠い目をした。
彼のまなざしの向こうにあるのは荒れ果てたアパラチアか。あるいは再建後の輝かしい合衆国の姿だったか。
私は立ち上がった。
「行くよ。アル、さよならだ」
「待っテ」
いよいよお別れ、というその時、アルダートンは無造作に何かを差し出した。
それは────ホロテープ。
新品同様のそれは、キラリと金属質の光沢を放っていた。
「何?」
「ワタシはついていくことができナイ。ワタシだと思って、連れて行ってほしイ。挫けそうになったら、これを見テ」
「ホロテープ?」
手の中に押し込まれたホロテープはひんやり冷たかった。
私はそれをていねいにバックパックにしまった。
「…………」
言うべきことはすべて言ったとばかりに、アルはもう何も言わなかった。
私は物言わぬ機械となった彼の横を抜けて、Vault76の出口に立った。
自動扉が音もなく開く。二度目の旅立ち。そして、最後の旅立ち。
────私は再度、アパラチアの地に足を踏み出した。