ボスが消滅すると同時、後方に残っていたセンチネル達も儚く四散したようだった。
周囲の壁に掲げられた松明が、暗いオレンジから、明るいイエローへと色彩を変える。ボス部屋を覆っていた薄闇が一気に吹き払われ、どこからか涼しい風が吹いて激戦の予熱を押し流していく。
これで本当に終わりなのか?ここからまた、《ベータとのちょっとした違い》があるのではないのか・・・?
と、その時。ゆっくりと剣を降ろしたトターにミトは言った。
「お疲れ様」
「・・・ああ。お前もな」
その言葉に、その場にいた皆がようやく確信した。終わったのだ・・・八千人のプレイヤーを第一層に閉じ込め続けた最大の障害が一つ、ついに取り除かれたのだ。
そして皆のその認識を待っていたかのように、新たなメッセージが視界に流れる。獲得経験値。分配されたコルの額。そして───獲得アイテム。
同じ物を見たその場の全員が、顔に表情を取り戻した。一瞬の溜めのあと、わっ!!と歓声が弾ける。
両手を突き上げて叫ぶ者。仲間と抱き合う者。滅茶苦茶な踊りを披露する者。嵐のような大騒ぎの中、トターは小さく息を吐く。
「・・・彼女のもとへと行かなくていいのか」
「後で行く。今は、ただ貴方と祝いたいの」
「そうか」
それ以上追求しないトターにミトは拳を合わせようと右手を持ち上げかけたその時───。
「─────なんでだよ!!」
突然、そんな叫び声が部屋中に響く。半ば裏返った、ほとんど泣き叫んでいるかのようなその響きに、広間の歓声が一瞬で静まりかえった。
全員の視線がそちらへと向けられる。そこは軽鎧姿のシミター使いの男が立っていた。しかし、限界まで歪められた口から迸った次の言葉を聞いた瞬間、ミトは悟った。
「───なんで、ディアベルさんを見殺しにしたんだ!!」
この男はC隊───つまり今は亡き騎士ディアベルの、当初からの仲間の一人だ。視線を移すと、彼の背後にも、残りのメンバー四人が顔をくしゃくしゃにして立っている。中には泣いている者もいた。
「見殺し・・・?」
「そうだろ!!だって・・・だってアンタは、ボスの使う技を知っていたじゃないか!!アンタが最初からあの情報を伝えていれば、ディアベルさんは死なずに済んだんだ!!」
呆然とする黒髪の剣士に対し、血を吐くように叫ぶシミター使い。彼のその言葉に、残りのレイドメンバーたちがざわめいた。
「そういえばそうだよな・・・」
「なんでだ?・・・攻略本にも書いてなかったのに・・・」
などという声が生まれ、徐々に広がっていく。
その疑問に答えたのは、ベータテスターを敵視していたキバオウ───ではなかった。彼は離れたところで、何かに耐えるように口を引き結んだまま立ち尽くしている。しかし彼の指揮するE隊の一人が走り出し、黒髪の剣士の前に立つと、指を突きつけ叫んだ。
「オレ・・・オレ知ってる!!こいつは、元ベータテスターだ!!だから、ボスの攻撃パターンとか旨いクエとか狩場とか、全部知ってたんだ!知ってて隠していたんだ!」
両眼に憎しみを滾らせ、再度何かを叫ぼうとした。
「でもさ、昨日配布された攻略本に、ボスの攻撃パターンはベータ時代の情報だ、って書いてあっただろ?彼が本当に元ベータテスターなら、むしろ知識はあの攻略本と同じなんじゃないのか?」
「そ、それは・・・」
押し黙ったE隊メンバーの代わりに、シミター使いは憎悪溢れる一言を口にした。
「あの攻略本がウソだったんだ。アルゴって情報屋がウソを売りつけたんだ!アイツだって元ベータテスターなんだから、タダで本当のことなんか教えるわけなかったんだ!他にも居るんだろ!!出てこいよ!」
───まずい。この流れはまずい。
ミトは顔を青ざめさせる。この流れは他のベータテスターたちにも敵意が向けられるかもしれない。下手をすればテスター狩りが行われ、死者が出る可能性もある。
どうすれば───どうすればこの状況を打開出来る?
「おい、お前・・・」
「あなたね・・・」
今までずっと我慢していたらしいエギルとアスナが、同時に口を開いた時、黒髪の剣士がその動きを制した。
彼は一歩前に出ると、今まで見えなかった顔にふてぶてしい表情を作り、シミター使いの顔を冷やかに眺める。
そして冷たく、無関心な声で彼は告げた。
「元ベータテスター、だって?・・・俺を、あんな素人連中と一緒にしないでもらいたいな」
「な、なんだと・・・?」
「いいか、よく思い出せよ。SAOの
そんな侮蔑極まるその言葉に、皆が一斉に黙り込む。
そして同じベータテスターだったミトは、今から彼が何をしようとしているのかを察した。
「───でも、俺はあんな奴らとは違う」
冷笑を浮かべ、彼はその先を口にする。
「俺はベータテスト中に、他の誰も到達出来なかった層まで登った。ボスのカタナスキルを知ってたのは、ずっと上の層でカタナを使うモンスターと散々戦ったからだ。他にも色々知っているぜ、アルゴなんか問題にならないくらいな」
刀を扱うモンスターと散々戦った。つまり、彼は私と同じ、十層まで辿り着いたプレイヤーということになる。
「・・・なんだよ、それ・・・」
最初に彼を元テスターだと指弾したE隊の男が、掠れた声で言った。
「そんなの・・・ベータテスターどころじゃねえじゃんか・・・もうチートだろ、チーターだろそんなの!」
周囲から、そうだ、チーターだ、ベータのチーターだという声が幾つも湧き上がる。それらはやがて混じり合い、《ビーター》という奇妙な単語が生まれた。
「・・・《ビーター》。いい呼び名だなそれ」
彼はにやりと笑い、彼はその場の全員をぐるりと見回しながら、はっきりした声で告げた。
「そうだ、俺は《ビーター》だ。これからは、元テスターごときと一緒にしないでくれ」
そして彼はメニューウィンドウを開き、先ほどのボスからドロップしたのだろう、艶のある黒革のロングコートへと変わった。
「二層の転移門は、俺がアクティベートしといてやる。この上の出口から主街区まで少しフィールドを歩くから、ついてくるなら初見のモンスターに殺される覚悟をしておけよ」
そう。彼は自ら駆って出たのだ。
情報を独占する汚いビーターという役に。
今後、元ベータテスターの認識は二つに分かれるだろう。素人上がりの単なるテスターと彼のように情報を独占するビーターという名のテスター。
そうなってしまえば新規のプレイヤーの敵意は全てのテスター達に向けられることはなく、ビーターへと向けられる筈だ。仮に元テスターだと露見しても、すぐに目の敵にされることはなくなる。
とはいえ、それは一種の生贄だ。彼はこの先、二度と前線でギルドやパーティーに入る事が出来なくなるだろう。それはデスゲームとなったこのアインクラッドでデメリットでしかない。
その選択を元ベータテスターである私は取ることが出来なかった。ただ、怖かった。死ぬことが。そんな自分の事しか優先しない自分が嫌になる。
アスナやエギル、そしてトターも彼の考えている事が分かっていたのだろう。私の隣にいたトターは彼が二層に繋がる扉を開け、背を向けて歩く彼に、憐れみの目を向けていた。
そして暫し沈黙の後、トターは二層へと向かう階段へと歩き始めた。
「トター!」
私も彼の後を追うように走り出す。
「アンタら・・・アイツの後を追うのか?」
そんな私達にエギルはそう聞いてくるが、トターは首を横に振った。
「追うつもりはない。アレは彼が選んだ道だ。俺が口を出す必要もないだろう。それに・・・」
彼はこの場にいるレイドメンバー達へ向けて言い放った。
「この先、ボス攻略をしていくのならば・・・必ず、彼の力と知識が必要となってくるだろう。今、感情に任せ悪辣な言葉を吐いたとしても、彼の知識を必要とした時点で、お前達は結局、そのビーター達の力を借りて攻略したという事実は残るだろう。その事を忘れるな」
そう言ってトターはあの黒髪の剣士が開けた扉をくぐり、その姿は見えなくなる。
私はそんな彼の後を追いかけようとする直前、アスナの姿が目に入り、その足を止めた。そして振り返り、彼女を見る。
「・・・アスナ」
私がこの世界で彼女に会いたいと、そう願ってしまったがゆえに巻き込んでしまった友人。先の戦闘ではあの時の怨み言を一つも私に言わず、それどころか私をもう一度信じてくれた。
だが同時に私は彼女を絶対に守ると決めたのに、あの時、私は自分では無理だと思ってしまった。
だからこそ、私は思う。
私はもう一度、彼女の所へと戻っていいのかと。
どう接していいか戸惑っている私に、アスナは小さな笑みを作って言った。
「・・・ミト。お互い、色々と言いたいことはあると思うけど・・・今はあの人の所が貴女の居場所なんでしょ?今だけは私のことは気にしなくていいから、行って。私もあの人が目指す先を見てみたいって思う人が出来たから」
「・・・うん。ありがとう、アスナ。また次会った時、その時こそは言わせて」
「うん・・・。待ってるから」
アスナのその返事にミトは少しだけ微笑んだ後、彼女は先に行ったトターの後を追う。
そして───
「・・・・トターッ!!」
階段の途中でミトは先を歩くトターに追いつくと、彼の名を呼んだ。振り返った彼は少し意外そうな顔をした。
「彼女と一緒にいるんじゃなかったのか?ミト」
「最初はそう考えてた。でも、私は・・・トター。貴方と一緒がいいの」
「・・・俺と?」
「ええ。貴方は私にもう一度前に出る力をくれた。もしあの時、貴方が私にアスナは生きていると教えてくれなかったら、私はこうして貴方の前に立っていなかったかもしれない。だから貴方にお礼をしたいの」
「礼?」
「そう。私がアスナと仲直り出来たお礼」
そういう私にトターは少し考えるような仕草をする。そして、彼の口が開いた。
「そうか・・・。なら、不甲斐ないところもあるだろうがこれからもよろしく頼む。ミト」
そんな彼の挨拶に私は苦笑しながら───
「ええ、よろしく。トター」