なんでも九倍にする魔法   作:龍川芥/タツガワアクタ

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×4 魔法使いの決闘

 勇者ヒンメルの死から21年後。つまり今から8年前。

 その日のことを、オレは今も鮮明に憶えている。

 

「……ハッ。いかにも()()()()って感じの、気取ってる癖に間の抜けた名前だ。『ノイン』で止めた方がずっといい。」

 

 書斎にて。

 傷だらけの大人の女性、「先生」は、オレの名前を聞くなりソファにふんぞり返ってそう言った。

 尾のように揺れる、後ろで纏めたぼさぼさの長い黒髪。それとは真逆の白い肌には、しかし無数の傷跡が刻まれている。それは顔もだ。右耳は欠け、右眼、鼻と左頬には刀傷。しかめっ面が張り付いたぞんざいな表情と乱雑な仕草には女性らしいおしとやかさは微塵も無く……それでもその人は今まで見た誰よりも美しかった。使い込まれた英雄の名剣を見たかのようだ、とそう感じた。

 

 今は懐かしきルーガの街。あの街にやってくるのは、俳優や女優志望の若者、踊り子、旅の吟遊詩人、そして歌劇を見に来た旅行者などばかりだった。平和な歌劇の街には、基本的にそれ以外の来客は訪れなかったから。

 そんな街を「魔法使いが訪れた」と耳にしたとき、オレはすぐさま両親に頼み込んでその魔法使いを「家」に呼んだ。

 

 インクの匂いに埃の匂い。窓の外は晴れで、部屋は明るかった気がする。

 自己紹介直後の暴言、予想外の言葉にオレが何も言わないでいると、先生は「ハッ」と偽悪的に笑って意地悪に問う。

 

「なんだお坊ちゃん、泣いて私を追い出すか?」

 

 逆光で見えにくかったが、それはむしろ「そうして欲しい」とハッキリ書いてある顔だった。当たり前だ。歌劇の街に訪れたのというのに、見ず知らずの人の家にいの一番に連れてこられたのだ。追い出されてでも解放されたいと思うのは当然だ。

 だがそこまで考えが回っていない昔のオレは、ただ素直に心の内を口から溢す。

 

「……はじめてだ。」

「だろうな。『この家』で愛されて育ったんなら、こんな暴言を聞くのは初めてだろうさ。」

「ちがう。オレの心の中、ずっと思ってたことを言ったのは先生がはじめてだ。」

 

 そこで先生は、初めてオレの顔を見た。黒髪が尾のように揺れる。

 先生の夕焼けのような赤い眼と初めて目を合わせながら、オレはずっと思っていた、けれど誰にも言えなかったことを告白する。

 

「オレも『ノイン』で止めた方がカッコいいと思う。そっちの方が『ヒンメル』とか『アイゼン』みたいだし。」

「……そうかァ? 子供の感覚は分からんね。てか坊ちゃん、その『先生』ってのはなんだ。私の名前は父上サマから聞いてんだろ?」

 

 その問いに答える代わりに、オレは先生に一歩近づいて頼み込んだ。

 

「先生、オレに魔法を教えて。オレ、勇者ヒンメルみたいになりたい。カッコよく悪を切り裂く、魔法使いになりたいんだ。」

 

 その日、オレは魔法使いとしての第一歩を踏み出した。

 冒険譚のように劇的でもカッコよくもないその日を、オレは未だ鮮明に憶えている。

 

 

 

 その後の日々は不思議なもので。

 一日一日が長く濃密なのに、終わってみれば一瞬のようで。全てを憶えているようで、思い出せない部分も沢山ある気がする。

 ただ唯一ハッキリしているのは、その数年、オレの人生の中心に居たのは「魔法」と「先生」だったということだけだ。

 

「結局『私の魔法』教えちまった……」

「オレに才能があったからな。」

「違う。オマエに『まともな才能』が無かったからだノイン。」

「同じことだろ? オレには先生の魔法を受け継ぐ才能があったんだ。」

「……減らず口が。」

 

 雷の蹄で空を歩き、階段を下りるように三階の部屋の窓から中庭へ。

 そこで炎の魔剣を振り回し、笑いながら斬り合う。そんで吹っ飛ばされて、首元に切っ先を突き付けられて降参する。ずっとそんなことをしていたから、そのことはハッキリと憶えている。

 

「新しい魔法を教えてやるよ。ノイン、どんな魔法だと思う?」

「……敵を殺すための魔法。」

「当たりだ。よく分かったな。」

「先生がオレに教えれる魔法ってそれしかないじゃん……」

「黙れ殴るぞ。それに私が教えれないんじゃなくて、オマエが覚えられねーんだよ馬鹿。」

 

 これは新しい魔法を教わるたびにしたやりとり。お決まりの会話だったが、何故か飽きることなく毎回しっかり楽しかった。

 

「どうだった先生。今回の劇は良かったろ。」

「……勇者ヒンメルの冒険譚ねぇ。なんでこの街の奴らは、他人の殺し合いを愉しむんだか。」

「それは勇者ヒンメルの勇気と強さを讃えるためさ。カッコ良かったなァあの殺陣(たて)! 『我は勇者ヒンメル、貴様ら悪逆の魔族を討つ者なり!』って言って剣をこうビュンビュンと――」

「ハッ、戦場であんな派手な名乗りなんか上げてみろ。一瞬で死ぬぞソイツは。」

「……ちぇ、今回も駄目かァ。なかなか先生を感動させれる劇はねぇなァ。」

「なんでオマエは私を勇者ファンにさせたがるかね。……てかノイン、口調が乱れてるぞ。私が怒られるんだからヤメロよな。悪影響がなんたら~とか、オマエの御立派な御父上サマにチクチクよォ。」

 

 たまには魔法の修行じゃなくて劇を見に行ったりもした。オレは先生に自分と同じものを好きになって欲しくて、勇者ヒンメルの冒険譚ばかりを見せたっけ。

 

 そんな日々の最後の記憶。

 街から去る前、最後に先生が教えてくれたこと。

 

「ノイン、『魔法使いの決闘』の作法を教えてやるよ。」

「決闘?」

「私はやったこと無いがな。勇者ヒンメルみたいな英雄になるんだろ? なら覚えておいて損はない。」

 

 そうして先生は、傷だらけの顔で笑った。

 最初に見た意地悪そうで投げやりな笑顔ではなく、悪戯っぽくてどこか柔らかい笑顔だった。

 その顔で、先生はオレの顔を見て言うのだ。

 

「なにせオマエは『お貴族様』だ。御前試合なんかをすることもあるだろうさ。」

 

 そう言った彼女は、きっとオレが実際に家を飛び出して旅に出るなんて考えていなかったのだろう。オレがもし魔法を磨いた先は宮廷魔法使いだ、とか思っていたに違いない。いかにも現実的な、先生らしい考え方だ。

 でも、未だに一度も使ったことの無い決闘の作法を今も事細かに思い出せるのは、オレがそんな先生のことを好きだったからなのだろうな。

 

 先生に魔法の修行をつけてもらった日々。

 時間にして約四年間。十九年生きてるうちの四年間なのだから「長い四年間」と言うべきなのだろうが、オレはどうしても「たった四年間」だと思ってしまう。それはきっとその四年が、旅立つ前のオレの人生の全てだと錯覚できるほどに色濃く刻まれているからだ。記憶に、心に、深く刻み込まれているからだ。

 

 先生――戦場帰りの魔法使いフェイラが今どこに居るかは分からない。連絡を取る方法も安否確認の方法も無いから、もうとっくに死んでしまったのかもしれない。

 それでも、何故だろうか。

 「旅を続ければいつか会える」。

 オレはこの広い大陸を歩きながら、確証もないのにそんな確信を抱いていた。

 

 

 

  ■ 4 ■

 

 

 

 一次試験二日目、最終日。

 太陽がまだ昇っている最中、試験区域内森の中。

 木の幹を背もたれにし座り込んだ禿頭の男、その周囲に彼を心配する仲間の男女が居た。

 

「大丈夫かブライ。」

「ああ、死にはしない……だが体は痺れて動かん……すまん二人とも……」

「謝る事ではない。責任は幻影魔法を見抜けなかった儂にもある。」

 

 第17パーティー、ノイン、ブライ、エーデルの三人。先程第1パーティーと戦闘をした際に、彼等は手痛い置き土産を貰っていた。即ち、ブライの体を痺れさせ自由を奪っているラントの魔法である。

 己を励ます声に、しかしブライはより意気消沈した様子だった。

 

「だが、俺のせいで隕鉄鳥(シュティレ)の捜索時間が……」

「うーん、こりゃ重症だな。ま、体がやられたときはメンタルもやられるもんだ。こういう時は気が晴れる話をすると良い、と先生が言ってたぜ。」

「……言っておくが、勇者の冒険譚は無しじゃぞノイン。」

「え!? 元気が出ると言ったら冒険譚だろ!?」

「昨日からずっと聞かされておるのじゃ。魔法の効果が切れるまで延々と聞かされてみろ、ブライだけでなく儂もノイローゼになってしまう。」

「そっかぁ……」

 

 ブライが「その通りです」みたいな顔をしているので、流石のノインも口をつぐんだ。

 その後、少し迷い、口を開けては閉じを数回繰り返して……。

 

「……しょうがねえ、大サービスだ。とっておきの笑い話であり恥晒し――オレの秘密を教えてやるよ。」

 

 彼はそう切り出した。「秘密?」と首を傾げる二人の前で、彼は言う。

 

「実はオレの『ノイン』って名前は本名じゃねえ。いや、今は何するにもノインで通してるからもう本名みたいなもんだが、昔は別の名前だった。」

 

 そして一拍置き、彼は己の隠していた秘密を明かす。

 

「『ノインマール・ルーガ』。それがオレの前の名だ。」

 

 その名は有名なものでもなんでもない、ただの名だ。だが普通の名には無いものもついていた。それが即ち。

 

「姓持ち……ノイン、おぬし貴族じゃったのか。」

()な。三年前に家は捨てた。今は『ルーガ伯爵の長男ノインマール』じゃねえ、ただの『魔法使いノイン』だ。」

 

 エーデルの問いに、ノインは少しぶっきらぼうに答える。

 『ルーガ』……それは大陸内の歌劇の街の名であり、その領地を治める伯爵の一族にのみ名乗るのを許された姓。

 あっけに取られる二人の前で、当の本人は頭を掻きながら一見普段通りの顔で笑う。

 

「にしてもノインマールって、我ながら今思い出しても笑える名だよなァ。」

「どうしてじゃ? 貴族らしい厳格な良い名ではないか。」

「ハッ、馬鹿言えよ。いかにもお貴族様って感じの、気取ってる癖に間の抜けた名前だ。『ノイン』で止めた方がずっとカッコいい。」

「そうか? ……おぬしの感覚は分からぬな。」

 

 そんな彼とエーデルのやりとりを見ていたブライは、痺れた体のまま憮然とした顔で口を挟む。

 

「……おいノイン。俺はおまえが貴族の出だって自慢を聞かされただけで、結局何も笑えてないぞ。」

 

 それを聞き、ノインは「信じられない」という顔で言葉を返す。

 

「はぁ? 自慢だァ? 馬鹿言うなブライ。貴族の出が笑い話と恥以外になるかよ。『お坊ちゃん』だったんだぜ? このオレが。思い出すだけで背中が痒くなる。」

 

 ブライは目をぱちくりさせた。

 目の前のこの、粗野で快活で野山で育ったみたいな男が、「お坊ちゃん」。なんというか、ミスマッチすぎてどうにも可笑しい。

 

「まあ、それは確かに面白いかもな。」

「だろ。しかも7歳まで『ボク』って言ってたしなオレ。オギョーギ良くよぉ。衛兵長に剣を習い出してからは流石にやめたけど。」

「……ノインが『ボク』か。ふふ、確かにこれは笑い話じゃな。」

 

 小さなノインが貴族の子供が着る小奇麗な服装で「ボク、ノインです!」と言っている所を想像し、遂にブライは堪えきれずに噴き出した。

 その後も、ノインの幼少期や魔法の師匠たる「先生」との話をしたり、逆に他二人の幼少期の話を聞いたり……すっかり誰かを責める雰囲気ではなくなった所で、ノインはブライに問う。

 

「痺れは取れたか?」

「……ああ、大丈夫だ。万全ではないが、魔法もなんとか使えそうだ。隕鉄鳥(シュティレ)探しを再開しよう。」

 

 木にもたれ掛かりつつも立ち上がるブライ、彼の起立を手伝いつつノインは笑う。

 

「良いね。『男なら苦境でも諦めず前を向け』、勇者ヒンメルならそう言うぜ。」

「……前々から思ってたんだが、その格言はホントに勇者が言った言葉なのか……?」

「少なくとも劇では言ってたぜ。ってことは本物も言ったってことだろ。」

「ノインのその劇に対する厚い信頼はなんなのじゃ……」

 

 エーデルが呆れたように呟いた時だった。

 

 少し離れた場所で、何者かの魔力が爆発した。青白い光が天を突くが如く瞬く。

 

「なんだぁ!?」

「魔法……湖の方角じゃ!」

 

 振り向いた三人は、とにかくその方向へ走り、木々の間を抜け……瞬間、風と共に顔を叩く冷気に思わず目を覆う。

 そして、そこに広がっていた驚愕の光景。

 

「湖が、凍っておる……」

「これじゃ隕鉄鳥(シュティレ)は寄ってこねえな。」

 

 湖――試験区域内最大の水場にして、絶好の隕鉄鳥(シュティレ)待ち伏せスポットが一面の氷に覆われていた。これでは隕鉄鳥(シュティレ)どころかどんな生物だってこの湖で水を飲めない。

 

「ぐぬ、仕方ない。二人とも、氷を溶かすのじゃ――」

 

 慌て叫んだエーデルの肩にぽんと手が置かれ声が止まる。振り向けばノインの顔。

 

「いや、多分そんなことしても時間と魔力の無駄だぜ。エーデル、おまえが隕鉄鳥(シュティレ)だったら、沢山の水場がある中で、わざわざちょっと前に天変地異みたく凍った湖を選ぶか?」

「……そう言われればそうじゃな。すまぬ、冷静さを欠いておった。」

「いやいや。今のはただオレが、凍った湖を溶かすなんて重労働をしたくない分だけエーデルより冷静だっただけさ。」

 

 軽口でエーデルの自責の念を散らし、凍った湖の湖面に手を触れるノイン。ブライも同じように氷の分析を始める。

 そんな二人に問う為か、ふとエーデルは疑問を呟く。

 

「これは、何じゃろうな。」

「ぱっと思いつくのは……妨害。既に隕鉄鳥(シュティレ)を手に入れたパーティーによる、な。」

「二次試験に進むライバルを減らそうとしている、ということか。」

 

 ノインの意見をブライが捕捉。エーデルがまさか、と叫ぶ前に、氷に触れたノインが自らそれを覆す。

 

「だがこの氷の魔法、前に見たフリーレンのパーティーの魔法使いが使ってたのに似てる。だとしたら妨害のセンはないかもなァ。」

「何故そう思うのじゃ?」

「オレの知る限り、フリーレンはこういうことする奴じゃねえからな。まァ、とにかく今は動こう。湖から離れた方が隕鉄鳥(シュティレ)を見つけられる確率は高そうだ。」

「そうじゃな。」

「賛成だ。」

 

 既に湖は隕鉄鳥(シュティレ)を待ち伏せするための場所どころか、試験区域内で最も隕鉄鳥(シュティレ)が寄り付かないだろう場所になってしまった。

 そうして彼等第17パーティーは、目標捜索の為森の中へと戻っていった。

 

 

 

 その後の捜索は、あまり順調とは言えなかった。

 湖に代わる水場を見つけるも既に他パーティーが張っていたり、誰も居ない水場で待ち伏せしてみても隕鉄鳥(シュティレ)は来なかったり。焦って適当に森の中を駆けまわったノインとブライも、特に成果を得ることは出来なかった。

 隕鉄鳥(シュティレ)の影も形も捉えることができないまま、ただ時間だけが過ぎていく。

 

 そうして、太陽が傾き出したときのことだった。

 

 突如として大地が揺れ、遠くの方で地面が垂直に隆起する。

 

「おいおい、今度はなんだァ……!?」

「地面を操る魔法か……なんて大規模な!」

 

 木々の隙間から覗くその光景は正に天変地異だ。地面から垂直に伸びる壁に、先程まで地面だっただろう頂上。強力な魔法により、地面がそのまま空の方向に引っこ抜かれ引っ張られたのだ。

 余波による風に髪を揺らしながら、三人は思わず足を止めてそちらを見。

 

 そして、最も早くノインがそちらに一歩踏み出した。

 

「ノイン?」

「もう日暮れ(タイムリミット)が近い。これが多分、最後のチャンスだ。」

 

 彼は二人を目で呼びながら歩き出す。二人もひとまず彼の背を追いながら説明を待てば、すぐにその意図は明らかになった。

 

「魔法使いが派手に魔法を使ったってことは、戦闘中ってことだ。そしてこの試験で戦闘する理由なんか一つしかない。」

「――隕鉄鳥(シュティレ)の奪い合い。」

 

 エーデルの言葉にノインは頷き、続ける。

 

「つまり、あの戦場には最低一羽隕鉄鳥(シュティレ)が居る。そいつを搔っ攫うぞ。」

「(あの魔法を見て1秒足らずでそこまで……)」

 

 感嘆すべきはその思考の瞬発力。大規模な魔法で思考を空白にされた二人と違い、ノインは冷静さを失わなかったのだ。

 しかしエーデルの足は重かった。

 

「意図は分かった。じゃが今の規模からして、相当手練れの魔法使いが居ることは間違いない。」

 

 自分たちは今朝、敵パーティーの襲撃に失敗したばかりなのだ。その上ブライも万全ではない。

 どうしても尻込みしてしまうこの状況で、ただひとりノインの足だけが止まらない。

 

「そうだな。もし相手がヤバそうだったら……」

「だったら?」

 

 先頭の彼は振り向いて、いつもと違う笑顔で言った。

 即ち、獲物を前にした猛獣の如き表情(カオ)で。

 

「超燃えるね。そんな相手から隕鉄鳥(シュティレ)を奪ったら、勇者ヒンメルの冒険譚みたいにカッコいいだろ?」

 

 臆することを知らぬかのようなその顔は、確かに仲間を鼓舞するに足るほど頼もしいものだった。

 だが、二人はそこに、同時に危うさのようなものも感じてしまう。どのような壁を前にしても歩調を緩めないその背は、しかし進む先が断崖絶壁であろうとも止まれないのではないか、と。

 

 言いようの無い僅かな不安を胸に、二人はノインの背に続く。

 彼の言葉、選択が正しい筈だと己に言い聞かせるように。

 

 そして、魔法渦巻く戦場が近付いてきた頃。

 戦っているのが二級魔法使いにして宮廷魔法使い・デンケンと、エルフの魔法使い・フリーレンだと分かったときのこと。

 デンケンの高い実力と、それすら軽くあしらうフリーレンの底知れなさに戦慄することさえ許さないように、その魔法は全てを砕いた。

 

 極光と共に、天が崩れる。

 否、崩壊したのは結界。試験区域を覆っていた、超強力な大結界魔法が硝子が割れるような音を立てて崩壊した。

 

「結界を、破壊した……!?」

 

 フリーレンが放ったその魔法は、全てを砕いた。

 天を覆う結界も、彼女と戦うための闘志も、とある魔法使いの勝機も、全て一瞬で粉々にした。

 

「なんじゃあの魔法使いは……」

「超強力な結界を、破った……」

 

 アレは無理だ、絶対勝てない。エーデルもブライも、砕け散る結界を見上げながら確信させられる。

 魔法というのはイメージの世界。

 自分では勝てないだろう歴戦の宮廷魔法使い。自分では絶対に破壊できないだろう大結界。それらを破った魔法使い・フリーレンに勝利するイメージなど、今の魔法で結界と共に跡形も無く消え去った。

 

 それでも。

 その男だけが、足を止めない。

 

「ノイン!?」

「馬鹿野郎、今の見て無かったのか!?」

 

 フリーレンの方に一歩踏み出したノインは、制止の声を受け振り向いて笑う。

 

「見てたさ。()()()行くんだろ。」

 

 二人の方を向いたのは流石に強気な笑顔ではなく、強張った表情。だというのに進もうと、挑もうとするノインに、エーデルは首を横に振る。

 

「……正気ではない。あれに挑むなど、結界を張った大魔法使いゼーリエに挑むのと同じようなものじゃ。ならばその時間と魔力で日暮れまで隕鉄鳥(シュティレ)を探した方が絶対に合格の確率は高い。」

 

 それは、ブライからしても至極真っ当な意見だった。ただその理屈では彼は止まらないと、二人とも短い付き合いで理解していた。

 だから、エーデルはノインと目を合わせる。その心を覗き込むために。

 

「許せノイン。儂の言うことを聞いてもらうぞ。」

 

 エーデルの精神魔法。効果は相手の記憶を解析し、己の意のままに操ること。

 発動条件は相手と目を合わせることと、「声」を届かせること。

 エーデルの視線が、黄昏色の瞳を射抜き。

 

立ち止まれ。

 

 条件は達成され、精神魔法が発動する――。

 

 

 書斎。埃の匂いとインクの匂い。

 ノインの過去の記憶、彼にとって最も大切な、魔法使いとしての道が始まった日。

 

「先生、オレに魔法を教えて。オレ、勇者ヒンメルみたいになりたい。カッコよく悪を切り裂く、魔法使いになりたいんだ。」

 

 彼はそう傷だらけの魔法使いに真正面から頼み込む。

 だが、先生は素直に受け入れた訳では無かった。

 

 彼女はノインの輝く視線を避けるように顔を背け、どこか後ろめたそうにゆっくりと語り出す。

 

「……私はここに来るまで戦場に居た。戦場ってのはこの世の地獄だ。毎日のように人間が死ぬくせに、良いことなんて微塵も無い。それでも私はそこに十年居た。理由が知りたいか?」

 

 こくり、とノインが頷けば、彼女は傷だらけの顔で自嘲的に笑って言う。

 

「私の魔法を活かすには、そこしか場所を見つけられなかったからだ。」

 

 寂しい声だった。迷子の幼い子供のような、けれど大人にしか出せぬ声。冷たい夜が来ると知って眩い夕焼けを眺める、そんな寂しい声に聴こえた。

 そこからは、半ば独白だった。

 

「私の一族は魔族の魔法を模倣し、代々受け継いで来た。子供(ガキ)の頃、親から魔法を教えてもらったときは『宝物を貰った』とはしゃいだよ。魔法ってのは何も知らない子供(ガキ)の目には、やけにキラキラして映ったもんだ。」

 

 先生は己の手のひらを見つめる。顔と同じく傷だらけの手だ。赤い瞳は、その中に輝く『宝物』を見て……そして砕かんばかりに握りしめる。

 

「そして私は親から受け継いだモノを戦場で使って、魔族より遥かに多くの人間を殺した。そうすることでしか自分の魔法を活かせなかったからだ。私が受け継いだ魔法は、その全てが人殺しの為のものだったからな。笑える話だろう? 子供の頃親からもらったキラキラ光る宝物の正体は、敵の心臓を抉るためのナイフだったというワケだ。」

 

 ぱ、と手を開き、かつて大切だったものの残骸を振り払うように手を振る。

 そしてようやく独白は終わり、彼女はノインと目を合わせた。

 

「こんなものが格好良くあるものかよ。子供(ガキ)にはキラキラして見えるだけの単なる殺人道具だ。坊ちゃん、やめておけ。こんなもの覚えなくてもオマエは生きていけるんだから。」

 

 彼女が子供に向けたのは、剣呑な人殺しの目だった。

 血に濡れたナイフのように鋭い視線。それに射抜かれ、しかしノインは臆さず返す。

 

「『坊ちゃん』はやめて。呼ばれるなら『ノイン』が良い。」

「……オイ坊ちゃん、私の話をちゃんと聞いてたか?」

 

 その問いにも答えず、今度はノインがはきはきとした口調で語り出した。

 

「勇者ヒンメルは剣で魔王をうちたおした。魔法使いフリーレンは魔法でたくさんの魔族を討った。僧侶ハイターは女神様の魔法で悪を祓い善を救った。戦士アイゼンは斧で竜の首をとった。」

 

 指折り数えた彼は、不意に目の前の魔法使いに指をさす。

 

「そして、先生は魔法で戦場を十年間もいきのこった。『毎日のように人間が死ぬ』戦場を。」

 

 先生――魔法使いフェイラはその言葉に目を見開き。

 彼女が何かを言う前に、今度は己の胸に手を当ててノインは続ける。

 

「でもオレにはなにもない。なにかをやりとげたことも、そのための武器も。衛兵長に三年間訓練をつけてもらったけど、オレに戦士の才能はないって。だから魔法使いになりたい。いつか、『ノインという男は魔法でこんなことをなしとげた』って言われるために。」

 

 己を見上げる輝く瞳を、血濡れの女はしかと受け止めて問う。

 

「ココで一生幸せに暮らすんじゃダメなのか。それだって普通の人間には出来ない立派なことだろ。」

「それじゃダメだ。それじゃ、オレがもらった宝物をすてることになる。勇者ヒンメルにもらった宝物を……『勇気』を。この宝物は、この家の中じゃキラキラしないから。」

 

 その顔に、彼女はきっと思い出した。

 昔は確かに輝いていた宝物。かつてこの手の中に在り、生き方すら決めてしまったもの。

 未だに憎みきれないそれの輝きを思い出し、彼女は頭をがしがしと掻きながら溜息を吐いた。

 知っていたからだ。その輝きに逆らうことなど出来ないことを。

 

「……普通の魔法なら教えてやるよ。『一般攻撃魔法』とかな。それで英雄にでも成ればいい。」

 

 諦めてそう言うと、ノインはきょとんとした顔で尋ねる。

 

「先生のあのカッコいい魔法は?」

「アレは……まァ、ちょっと変な魔法だからな。英雄志望の人間が使うもんじゃねえよ。」

「そうなのか。あの魔法ですごいことができたら、みんな『カッコいい』って言うと思うのにな。」

「……馬鹿言えよ。それはオマエの感覚がズレてるだけだぜ、()()()。」

 

 それが、本当に全てが始まった瞬間。

 先生にそう呼ばれて、初めて『魔法使いノイン』がこの世に生まれ落ちたのだと彼は信じていた。

 

 記憶の中の幼いノインが振り向く。記憶の傍観者たるエーデルの方に。

 その顔に、臆さず己を見上げる表情に、彼の記憶を見たエーデルは答えを悟りながらも問う。

 

「……行くのか。」

「うん。」

「おぬしはきっと勝てぬぞ。それでも、恐れはせぬのか。」

「馬鹿言えよ、オレだって怖いさ。でも、勇者ヒンメルは魔王にさえ挑んだんだ。ここで前に進まなかったら、オレの憧れは嘘になる。守り続けた宝物がゴミになっちまう。どれだけ愚かと言われようと、オレにはそっちの方がずっと怖いんだ。」

 

 いつの間にか青年の姿に戻っていた彼の顔に、言葉に、エーデルは仕方ないと目を閉じた。

 

「(――そうか。それがおぬしの『勇気』か、ノイン……。ならば儂が言えることはひとつじゃな。)」

 

 目を開けたとき、そこは既にノインの記憶の中ではなく現実で。

 エーデルは現実のノインに言う。

 

「勝つのじゃぞ、ノイン。」

「ああ。ごめんな……いや、ありがとう、エーデル。」

 

 その激励を受けて、ノインはフリーレンを追うため紫雷の蹄で空を蹴った。

 飛び去って行くその姿と、追う様子の無いエーデルを見てブライは困惑する。

 

「おいっ、エーデル?」

 

 なぜ精神魔法を解いた、と問う彼の視線を受け、エーデルは見えなくなったノインの背を目で追うように空を見ながら答える。

 

「……行かせてやれ。ノインの記憶を見て、あやつの思い、あやつの計画は全て分かった。正直、勝率など1割無いじゃろう。それでも儂にはもう、見守る以外の選択肢は無い。」

 

 その言葉に、ブライは何らかの文句や異論をぶつけようとして……しかし、大きく息を吐いて脱力した。そして不承不承ながら言う。

 

「……分かった。俺もノインに賭けてやる。あいつには借りがあるからな。」

 

 行動不能になった自分を抱えて離脱し、励ますために秘密や思い出を語ってくれた男の無謀を、彼はそうやって許すのだった。

 

 

 

  ■ 4 ■

 

 

 

 カンネ&ラヴィーネ対リヒターの戦闘は、結界が崩壊したことにより地の利を得たカンネの水を操る魔法(リームシュトローア)が決め手となり決着。

 フリーレンがデンケン、ラオフェンを撃破したことで、第2パーティーと第13パーティーの隕鉄鳥(シュティレ)争奪戦はフリーレン達第2パーティーの勝利となった。

 

 魔法により変形した大地の上で、カンネとラヴィーネの健闘を称えるフリーレン。

 そんな彼女は、此方に近づいて来る魔力を探知した。

 

 雨天の中。

 灰色の空の下、その男は紫電を踏みながら空中に立って此方を見下ろしていた。

 

「フリーレン。」

「ノインか。」

 

 バチッ、と放電の音を立てながら、階段を下るように空中から地上に降り立つノイン。尾のような金の後ろ髪が揺れる。

 魔力切れで限界のカンネ、ラヴィーネを手で制し、庇うように前に出たフリーレンにノインは問う。

 

「あんたが結界を破壊する所を見た。答えてくれフリーレン。あんた一体、何者だ。」

 

 その問いに、フリーレンは杖を取り出しながら答える。いつもと変わらない、熱の無い氷の声で。

 

「ただの魔法使いだよ。1000年以上生きた、ただの魔法使いだ。」

「……そうか。」

 

 その答えに何を悟り何を思ったのか。それは彼にしか分からない。

 ただノインは杖を取り出し、その杖先をフリーレンに突き付けながらこう告げた。

 

「フリーレン。貴殿に一対一の決闘を申し込む。互いの命と誇りを懸けた魔法使いの決闘だ。」

 

 曇天の中。陽光を呑み込んだ黄金(こがね)の眼が、フリーレンを射抜くように見据えていた。

 魔力、技量、あらゆる要素で力量差は歴然。それでも彼は不意打ちを選ばない。選ぶのは常に王道であり、勇気が必要な選択の方。

 魔法使いの決闘――師から最後に教わったそれを始めて使う舞台は整ったと彼は確信していた。

 

 ノインはフリーレンから眼を逸らさず、貴族然とした真剣な口調で言う。

 

「オレが勝ったら隕鉄鳥(シュティレ)を貰う。そちらが勝ったなら何を望む?」

「なら、私が勝ったらノインたちが二度と私たちの隕鉄鳥(シュティレ)を狙わないと約束して貰おうかな。」

「了解した。」

 

 金の瞳と(あお)の瞳が互いを映し。

 そうして彼は名乗りを上げる。伝説の中で勇者がそうしたように、雄々しく声高に。

 

「ルーガ領主、アハトハイン・ルーガが一子、ノインマール・ルーガ……いや、訂正する。」

 

 しかしこの場にて名乗るには、その名は些か古すぎた。

 名乗りとは己が誰かを明かすもの。己が誰として戦うかを示すもの。

 ならば、この場で名乗るべき名はひとつだった。

 

「――我が名、魔法使いノイン。魔法使いフェイラが一番弟子、ノインだ。」

「大魔法使いフランメの弟子、フリーレン。」

「我が父、我が母、我が師と天上の女神様に誓う。不正なき全霊の戦いと契約の履行を。」

「私も誓おう。大魔法使いフランメと、勇者ヒンメルの名に懸けて。」

 

 フリーレンも名乗りと誓いを返した。ノインからの決闘を受けたのだ。

 これで両者の戦いは、両者以外の全てが入り込めない聖域と化した。即ち、勝敗を決するのは互いの実力と運のみであり、勝者が全ての栄誉を堂々と手にするということだ。

 相手が舞台に上がって来たことに、ノインはその力量さえ一瞬忘れ純粋に感謝した。

 

「感謝する。では、いざ尋常に――」

 

 くるん、と杖を回し、片手で背面に構えるノイン。

 杖を両手で持ち、杖先を相手に向け構えるフリーレン。

 互いの魔力が、闘志が、解き放たれて相手のそれと衝突する。

 

「「――勝負。」」

 

 図らずも言葉は重なって。

 ノイン対フリーレン。魔法使いの決闘が、始まった。

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