日本ダービー。
英国で古くから行われてきた「ダービーステークス」を範として創設された、クラシック三冠の第二戦にして頂点。
ウマ娘が一生に一度しか出走することが叶わないこのレースに勝利することは、トゥインクルシリーズに関わる全ての者の願いと言っても過言ではない。
「ダービーウマ娘のトレーナーになることは一国の宰相になるより難しい」
「これまでの栄誉をすべて捨ててもいいから、ダービートレーナーの称号が欲しい」
「このレースだけは…このレースだけは特別だから…」
等々、長い歴史の中で様々な格言、名言を産んできた、まさにレースの祭典。トゥインクルシリーズの花形である。
そんなレースであるだけに、パドックの盛り上がりも半端ではない。
『メジロ家悲願のダービー初制覇の期待がかかります、7枠15番、メジロブライト。本日の一番人気です』
アナウンスの声とともに進み出たメジロブライトを、観客席を埋め尽くすファンからの圧力すら帯びた大歓声が出迎える。
(これが…ダービー…)
地を揺らすような声の圧力に臆することなく進み出て、優雅に
(やはりプレッシャーは相当のものですわねー…ライアンお姉さまもこうだったのでしょうか…)
待機所に戻れば、ブライトに向けていくつもの視線が集中する。
(長い府中の直線…末脚勝負になる公算は高い…当然マークされますわねー…)
皐月賞でしのぎを削ったランニングゲイル、京都特別から勝ち上がってきたシルクジャスティス等、特に末脚を武器とするウマ娘たちはブライトをマークしてくるだろう。
(ですが、皐月賞の轍は踏みませんわー…この日のために、お姉さまたちとともに早めに仕掛けるシミュレーションは繰り返してきました…
ロングスパート…それが今日のプラン。長い直線のさらに前、第4コーナーから早めに仕掛けて、必ず勝って見せますー…!)
ブライトはやんわりと微笑んで視線を受け流し、パドックに目を向けた。
『今日も大外枠から逃げ宣言、8枠18番、皐月賞ウマ娘サニーブライアン。七番人気です』
最後にパドックに進み出るサニーブライアン。
彼女が帽子を取って一礼すると、勝負服の燕尾が翻り、ブライトの脳裏に皐月賞の苦い記憶が蘇る。
(今度は…遅れは取りませんわー…)
「チッ…」
横からの舌打ちの音に視線を向けると、そこに居たのは皐月賞二着のシルクライトニング。今日の六番人気だ。
シルクライトニングは勝負服のポケットに手を突っ込み、いらだたしげに足を踏み鳴らした。
ライトニングと、同門のシルクジャスティス。二人はダービーウマ娘であるメリービューティーの指導を共に受けた仲だ。
その姉貴分が制したダービーで二着に入ったのがルナスワロー。
そのルナスワローの親戚であるらしいサニーブライアンに皐月賞で敗北を喫したことは、ライトニングのプライドを甚く傷つけていた。
(姉貴が負かしたヤツの親戚…そんな奴に二度負けるわけにはいかねぇ…お前の魂胆はわかってんだ…なにせあの時…)
「なっ…おい!」
考えを巡らせるうちに無意識に足踏みが速くなっていた。隣にいるジャスティスが慌てた様子で声をかけてくる。
「うっせーなジャスティス。行儀よくしろってんだろ?わかって…」
「いや、蹄鉄が…」
「あん…?」(どすグサッ)「痛ってぇええええええええええええええええええ!」
抜け落ちた自分の蹄鉄の釘を思い切り踏んづけてしまったシルクライトニングの悲鳴が響き渡り、パドック裏は騒然となった。
『えー…発走除外ウマ娘についてお知らせいたします…1枠1番、シルクライトニングは故障発生により、発走除外となります』
どおおおっとどよめきに包まれるレース場。
「放せえええええええええ!これくらいなんでもねェ!走れるって言ってんだろ!」
「バカ!レース場を血まみれにする気か!」
「くっそおおおおお!ダービーなんだぞ!ダービー!私のダービーがこんなことで…ちっくしょおおおおおおおお!」
「あのアホォ…」
シルクライトニングがトレーナーと係員に引きずられていくのを、ジャスティスは頭を抱えて見送った。
「ふ、不吉!不吉ですー!シラオキ様ー!お導きをー!」
「あっ…フクキタル。どこ行くの、そっちは4コーナーよ…!」
なにか当てられたらしい外ハネのウマ娘が明後日の方向に走っていき、栗毛のウマ娘…たしかサイレンススズカ…が呼び止める。
「はぁー…」
幼いころから共に過ごし、競い合っていた姉妹も同然の相手。自分はライトニングと違って皐月賞には出られなかったが、ダービーで一緒に走れることになったのは嬉しかった。
だが、皐月賞で二着に入線してから、ライトニングの様子は少しおかしくなっていた。
新聞を眺めながら舌打ちして、『私は騙されねぇぞ…』などと漏らしていた彼女。理由を聞いてみてもはぐらかすばかりだったが…。
ジャスティスは首を巡らせ、無表情でライトニングを見送る燕尾服のウマ娘を見た。
(サニーブライアン。皐月賞に勝ったは勝ったけど…展開が向いたが故のフロック勝ち…と言われてる。ライトニングが彼女を気にするのはわかるけど…マークすべきウマ娘は…)
シルクジャスティスは燕尾服から、緑のドレスに目を転じた。
一連の騒ぎも落ち着き、奇数から先に各ウマ娘がゲートに入っていく。
3枠5番、シルクジャスティス。
(見てろよ姉貴。ついでにライトニング。メジロブライトを抑えて勝って見せる…)
7枠15番、メジロブライト。
(ドーベル…お姉さま方…おばあ様…!メジロの栄光を…必ず…)
4枠8番、サイレンススズカ。
(トレーナーからは控えろって言われているけど…でも…うう…)
6枠12番、ランニングゲイル。
(今度こそ勝つ…見ていてね、姉さん…)
7枠14番、マチカネフクキタル。
(ふんにゃかーーー…はんにゃかーーーー!)
そして、8枠18番、サニーブライアン。
ゲートをくぐる前に、スタンドに目をやれば仏頂面でこちらを見るトレーナーと目が合った。
サニーブライアンは、皐月賞の翌日の事を思い返す。
「…本気?…いや、正気?」
旧棟のトレーナー室で、サニーブライアンはトレーナーを睨みつけた。
「ああ。ダービーを獲りに行く。そのプランがある」
いつも通りの無表情で見返してくるトレーナーに、サニーはため息をついて口を開く。
「あのねぇ…皐月賞はそりゃ勝てたけど。正直アレは…」
「人気薄の逃げウマ娘の一発、展開が向いただけのフロック。単なるラッキーパンチ…そう言いたいのか?」
「う…言いにくいことをずけずけと…」
サニーブライアンもウマ娘だ。勝利への渇望も速さへの自負もちゃんと持っている。
その上で、客観的に見れば…自分の能力はクラシック戦線を走るエリートたちに比べれば一枚劣る。
特に末脚のキレでは有力ウマたちにはかなわない。
そんな自分が皐月賞を逃げ切れた。無論誇りには思っているが…最上の幸運に恵まれた結果とは認めざるを得ない。
「その風評は間違いじゃあない。…ならば、もう一度起こせばいい」
「柳の下のどじょうっていう話、聞いたことないの?」
「そんなことは誰でも知っている。だからこそつけ入る隙がある。ラッキーパンチは狙って出すものだ…!」
トレーナーの唇がかすかに吊り上がり、めったに見ない笑みが覗いた。
「お前にはブライトやゲイル、スズカにはない、立派な武器がある…それと俺の策でダービーを獲る…!それとも…お前は、勝ちたくないのか?」
「…っ! そんなわけない! あたしも…あたしも勝ちたい!」
「よし…じゃあ説明する…まずは…」
その後、トレーナーは慣れない笑顔を浮かべ、いろんなメディアに出ては大言壮語を吹きまくった。
あちこちで恵比須顔のトレーナーの記事を見かけるたびに吹き出しそうになるのをこらえるため、俯き加減になってしまったほどだ。
プリンシパルSに出走表明をした上で適当な理由で取り消した。
学園では適当に流すくらいの練習にとどめ、日が沈んでからトレーナーがどこかから連れてきたウマ娘、スピードワールドと並走してトレーニングを積んだ。
そして出走枠。外なら外ほどいい、と願って引いた番号は18番、大外枠。
全ては『浮かれて二匹目のどじょうを狙う愚か者』の姿を見せつけ、皐月賞ウマ娘への警戒を下げるために。
その策は成った。今日も七番人気から繰り上がっての六番人気。
周りのウマ娘にも、無謀な逃げを打つウマ娘に警戒を向けている者はいない…!
(枠は大外…スタートでふさがれる心配はない… あとはあたしに勝つ力があるか!)
サニーブライアンはゲートをくぐる。
(そういえば、トレーナーが吹いた妄言の中で、一つだけいいのがあったよね…)
『各ウマ娘、態勢完了…かつてメジロライアンは、レコードで逃げるアイネスフウジンの前に涙を吞みました…!』
サニーブライアンは姿勢を低くし、笑みを浮かべて呟いた。
「一番人気は要らない…一着だけ欲しい!」
『さぁ!日本ダービー!スタートです!』
ゲートが開き、各ウマ娘は一斉にゲートから飛び出した!
サニーブライアンのヒミツ
②ツボに入ると笑いが止まらなくなる。