夢に出て来た女に会うために青年が巨大な地蔵を登るお話です!
夢に出て来た女は地蔵山の山頂にいると言う。地蔵山とは高さ三千メートルの地蔵のことである。それの周りには木々が生え川が流れ動物も生息していると言う。青年はその女に会う為に地蔵山に登ることを決意する。
早朝、世界はまだ暗かったが青年は家を出た。周りの家はシンとしていてまだ眠っているようだ。青年はただただ女に会う為だけに山へ向かう。八月の朝は既に生暖かく、少し歩くだけで汗が滲む。それでもかまわず歩き続けるといつも青年が使っている大通りに出た。学校に行く時は車と人でごった返しているこの道も、この時間帯だと月の影に隠れている。
「何処に行かれるのですか?」
「……地蔵山というところへ」
「行き方は分かりますか?」
「そんなことより、なぜ泣いているのですか?」
青年は男に聞いた。知らない男である。男は答えた。
「ただただ悲しいのです。いいえ、あなたを恨みはしません」
「私はあなたに何もしていませんよ」
「いずれ分かります。そんなことより今は地蔵山へ行くことの方が大切です。いいですか、このまま道を真っ直ぐに行って下さい。そしたら赤い地蔵に出会いますのでそこを左に曲がってください。そしたら青い地蔵に出会うのでそこを右に曲がって、そしたら黄色い地蔵に出会うのでそこをうんちゃらかんちゃら……」
「わかりました。ありがとうございます」
この男が誰かなんてどうでもいいことである。青年は男にペコリとお辞儀をし、スタスタと歩いて行った。一匹の蝉が鳴き始めた。
青年は男に言われた通りの道を黙々と進んだ。すると小さな小屋が現れた。既にだいぶ山奥に来ており、その証拠に青年の背中は汗でぐっしょり濡れている。また背後の東の空では鮮やかなオレンジ色の光が上がり始め、青年の背中に突き刺さり始めた。
「あっ、」
青年は足を止めた。小屋のすぐ後ろに果てしなく大きい地蔵の姿が見えたのである。肩から上は雲に隠れてみえず、また奥行きも一周するのに何時間かかるか分からない程である。表面からは木々が生え、膝や腰からは滝の様に水が飛び出ており、水滴が朝焼けに照らされてキラキラと光っていた。また周りにはカラスやトンビやらが不気味に飛び回っている。青年はごくりと唾を飲み小屋に向かって静かに歩き出した。
小屋に入ると木の匂いが青年を包み込んだ。
「誰だ?」
怖い顔の割には優しそうな目のした老人が話し掛けてきた。他に誰もいないらしい。
「地蔵山に登りに来た者です」
「そうかい、勝手にすると良い。この小屋の後ろが地蔵山だよ。でも休んでいった方がいいね、お前さん相当疲れている」
「いいえ大丈夫です。それに夜までには登りたい」
「ふふふ」
「何か?」
「地蔵山を登る者に昼も夜もあるかい」
老人の白髪もふふふと笑う。
「どういう意味です?」
「それと今までに地蔵山の山頂に到達した者はいない。数々の登山家が挑んできたがことごとく阻まれて来たのだよ。そりゃそうだ、山と言っても馬鹿でかい地蔵なんだからな。ほぼ垂直の壁をどう登るというのだろう」
青年ははっとして聞いてみた。
「あなたは地蔵山の山頂に何があるか知っていますか?」
「遺跡があるという」
老人は静かに答えた。
結局老人の言うことをきいた青年は、一時休息を取ることにした。食事をご馳走になり風呂にも入らせてもらった。辺りはすっかり明るくなっていた。
「布団を敷いといたから少し寝ていけば良い」
案内された部屋に行くと、畳の床の上に布団がちょこんと敷いてあった。華奢な体の割にはよく働き、また頑固そうな顔からは想像も出来ない程彼は優しかった。山奥のせいもあって程よく涼しい寝室に、青年は横になるとすぐに寝てしまった。
青年は夢を見た。彼は焦っていた。何かこのままではだめで、とにかく変えなくてはならず、でもそれが今報われる様な……
「この部屋にあるよ」
青年は飛び起きた。一瞬女の声がしたのだ。青年はしばらく動けなかった。蝉の声だけが部屋中に鳴り響いていた。
「この部屋にある……」
青年はぐるりと見わたした。この六畳位の寝室に一体何があると言うのだろう。青年はまず角に置いてあったちゃぶ台を調べた。次にタンスを調べ、その後に床や天井を調べた。しかし何もそれらしきものは見つからなかった。最後に押し入れを調べてみた。すると青年の目にあるものが飛び込んできた。押し入れの天井から木の棒みたいのが数センチ、ニョキッと生えているのである。青年は不思議に思い、その木の棒を押してみた。びくともしない。次に引いてみた、が次の瞬間、木の棒は簡単に引っこ抜かれ床に落ちた。
「ガチャリ」
壁の向こうから音がした。青年は震える手で押し入れの壁を触ってみた。すると壁はストンと下に消え、そこにはびっしり敷き詰められた土の壁が現れた。そしてその真ん中には丸い大きな穴があいてあった
人一人這いつくばっていけば通れそうなその穴は、マンホールより少し大きいくらいだった。また若干の上り坂になっており、それが何処までも続いていた。
「おい、」
青年は振り向いた。老人が背後に立っていた。
「この穴を見つけたのはお前が初めてだ。いいか、山頂に行くならこの穴を三日三晩登れ。それがお前に出来るか?」
「瑠衣です。私の名前」
そう言うと青年は老人に深くお辞儀をし、穴の中に入っていった。
穴の中には小さな電灯が定間隔に付いてあり、茶色の世界がどこまでも続いていた。ひんやりとしていて無音。今が何時かも分からないまま、青年はひたすらに登り続けた。いつしか青年の頭には、これまでの人生が思い返されていた。
青年は他の人と変わらない普通の人生を送って来た。今だって普通の学生をしている。しかし青年には漠然とした目的があった。変えなくてはいけない、という目的が。それは平然と、しかし確実に青年の心に根をはやし、また彼の人生を支配していた。では何を変えるべきなのか、それは青年にも分からなかった。
山頂、つまりあの巨大な地蔵のてっぺんを目指して、青年は三日三晩穴を登り続けた。そしてとうとう青年は穴を抜けることになる。
「……」
青年は目の前の光景に息を呑んだ。自分よりはるか下でどこまでも続く雲海、ゾッとするほど青く澄んだ空、そして何より、広大な草原に存在する巨大な遺跡。青年は休むことなく遺跡に向かって歩きだした。そよ風が草原を揺らし、青年の頬を撫でた。彼は遺跡の中に入っていった。太陽が青年のことを見守っていた。
「あの人の言ったことは本当か」
遺跡は古代ギリシャをほうふつさせる程、巨大で洗礼されていてそれは見事なものだった。「コツコツコツ」青年の足音だけがこだまする。青年は日向と日陰の入り混じった遺跡達を見上げながらひたすらに歩いていた。
「瑠衣、」
青年の肩がびくっと揺れた。久しぶりに聞く女の声は生々しく、容赦なく青年の耳に入り込んでくる。美しい声である。青年はゆっくり振り向いた。
「おつかれさま」
女の姿を見た瞬間、青年の目はカッと見開かれ、そしてすべてを理解した。
「長いあいだ待ちつづけてよかった」
昔、青年はこの女に恋をした。そしてこの女もまた青年に恋をした。しかし、女には決められた男がいた。男は二人の結婚を許さなかった。また青年の家族も女の家族も結婚に反対した。だから二人は駆け落ちをした。
「うまくいったんだね」
まだ辺りが暗いうちに町を出て、二人はどこまでも逃げた。しかし、あとちょっとのところで男に捕まりそうになった。それは夜に起きたことだった……
「そこにいるのは分かっているんだ」
壁の向こうで男の声がする。
「どうしよう」
女がか細い声でいう。青年は首から滴り落ちる汗もそのままに、拳を握る。蒸し暑いはずなのに青年の体は震えていた。すると、目を逸らした先に地蔵があった。
「こんなところに、じぞう……」
青年は祈る気持ちで地蔵を見つめた。すると地蔵から眩い光が発せられ、視界は銀色一色になった。そして再び視界が戻った時には、二人はこの遺跡にいたのだ。
「瑠衣、ここはどこなの?」
青年の口は勝手に開いた。
「分からない……でもここは時間の流れが遅い。一年が一日だ」
「瑠衣?」
「いや、ここでお別れだ。私は人生をやり直す」
「なにを……」
急に訳の分からないことを言い出す青年に、女は困惑している様子だった。しかし、急に「なるほどね」という顔をした。まるでここにある空気が二人の脳に直接伝えた様に、まるで元々知らされていた運命を思い出したかの様に、二人はそれ以上言葉を交わさなくても理解していた。
「じゃあ、いってくる」
……遺跡にたどり着いた二人はそこで互いの運命を知る。青年は女と一緒になるためにもう一度人生をやり直す。つまり、記憶も消されまた赤ん坊の頃からやり直すのだ。その人生に女はいない。女はひたすらに待ったのである。あの遺跡で。そしてとうとう青年が女と一緒にいられる状況を作り上げた時、彼は夢で女に呼ばれたのである。
ではどうやって、青年は記憶も無いのにその状況を作り出すことができたのか? それは青年には生まれた時から「このままではいけない。変えなくてはいけない」という意識が存在していた。だから青年はその意識を頼りにがむしゃらに頑張ったのである。これが二回目の人生ということも、女のために誰にも邪魔されない状況を作るのが目的だってことも、彼は何も知らなかった。しかし彼の努力が今、奇跡を起こしたのである。
「瑠衣がおじいちゃんになって帰ってきたら、どうしようかと思った」
「君の助けがあったからなしとげられたことだ。私はだめだよ」
遠くに見える巨大な入道雲を背に、二人は遺跡を後にした。
十年後、じりじりと照らす太陽とミンミンと蝉が鳴いている街に一つの住宅街がある。その住宅街には一つの庭の広い家がある。その家の庭には一つの地蔵が置いてある。家からは元気な子供の声がし、昼間の住宅街に響き渡る。庭に植えてある大きな木の下で、地蔵は今日も気持ちよさそうにその声を聞いている。それを一匹の小鳥が不思議そうに見つめていた。