リオリールとトルテのアトリエ~三つ大島の錬金術士~   作:ジャミゴンズ

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13. シンボル 2

 

 

 珍しく台所に立つのが母のユトネではなく、父のウータスであった。

 大概、父親が台所に立つときは、その日の食事は海鮮鍋となる。

 もちろん、リオリールもカスカルも魚と鍋は大好きなので、否はない。

 どうやらシンボルと成人の儀に関しての話は家族にも伝わっているようで、エルオネやミルミスも何故か自分のシンボルを持ち出していた。

 

「えー、二人とも考えるの早くない?」

「だってエルは成人したら、すぐに大陸に行って良い男を捕まえに行くつもりだもん」

「エル姉は動機が不純……」

「ミールミース! 判って無いわねー! 女の幸せを掴むための努力の、どぉこが不純だっていうの? 良い男! 金! 権力! 幸せを掴むために良い女になる努力が悪いことなんて無いでしょーが! ほら、言ってみなさい。何かお姉ちゃんが間違ってるかーーー!」

「うぅ、それは……だって」

 

 妹の行動力とバイタリティ、そして極端な思想は慣れたとはいえ、リオリールはどうしても苦笑が零れてしまう。

 

「あはは、もう。 エルほど割り切れる人なんて、そうそう居ないんだから自分の妹を洗脳しないの」

「リオ姉ぇ~」

「もうちょっと! リオ姉! だって、エルは間違った事は言ってないもん!」

「だって、エル。 女の幸せって一つじゃないって私も思うしっ」

 

 矛先を向けられたエルオネは、姉をじとっと睨んで襲い掛かった。

 

「うるさーーい、リオ姉こそ女の自覚を持ちなさいってば! その無駄に育ったおっぱいにシンボルを刻んで男を誘惑しろー!」

「ぎゃあ、揉むなーーーー!」

「ふむ。 誘惑かぁ……」

 

 ちょっとした取っ組み合いを始める姉妹を眺めながら、トルテは誘惑について思考を巡らした。

 古い文献などにみられる男女の同性に関わらず、恋沙汰において錬金術が用いられた事例は事欠かない。

 『貴族のたしなみ』や『貴婦人のたしなみ』などに始まり、その効能は大抵、人の感情に作用する現在では禁止されている薬物系の物が殆どだ。

 色仕掛けの有用性について、トルテが自信の体格と合わせて本格的に考え込んだところで、騒がしく食事を終えたテーブルを囲んでいる中、不意に低い声が飛んでくる。

 

「……カスカル、話がある。 父さんの部屋に来なさい」

「え、あ、うん」

 

 食事も終わり、ウータスがカスカルと共に部屋の奥へと消えると、3姉妹は不思議そうに視線を送った。

 

「お父さん、難しい顔をしていたけどお兄ちゃんに何の用事なんだろう」

「シンボルの話をするって言われたんでしょ? リオ姉とは別々なのかな?」

「リオ、エル」

 

 呼ばれて母のユトネを見れば、食卓ではなく何時の間にか手招きするように台所のテーブルで手を振っていた。

 顔を見合わせて、リオリールたちは母親の前へ並び、自然と椅子の上に腰を下ろす。

 

「ほら、トルテちゃんもおいでなさい」

 

 少し離れた場所で経緯を見守っていたトルテも呼ばれ、居心地悪そうにしながらもリオリールの隣に座り込む。

 

「シンボルは、体に刻むものだから。 お父さんやカスカルに見られてしまったら、困るでしょ?」

「ああ……そういう」

「体に刻むのって、成人前に自分の家で済ませちゃうものなの?」

 

 エルオネの疑問に、ユトネはくすくすと笑った。

 

「今は昔ほど厳しくないみたい。 あなたたちの肌を傷付けなくて済んで、良かったって思うわ」

「まぁ確かに、自分で傷付けたくないもんね」

 

 エルオネは自分の腕を擦りながら、母親が用意している容器の中身を覗き込む。

 竈などに付けられた煤と、三つ大島で昔から用いられる油から造られたと思われる墨が満たされていて、ふむーと納得。 

 シンボルはデザインを自分で決めて、木や石などを使って型を作るのが主流だった理由が分かったからだ。

 

 成人を迎えるリオリールとトルテの二人が持ち寄った木の型枠を受け取りながら、ユトネは袖を捲って液体を小分けにしていく。

 

「さって、始めましょう。 リオ、どこにする?」

「えー、どうしよう。 トルテちゃんは何処にするか決まってる?」

「ん……あまり考えてなかったけど、まぁ……首の裏にしようかな」

「うなじのとこ? そっかぁ。 私はどうしよう。 あまり人に見られるような場所はやだからなぁ」

「それじゃ、最初はトルテちゃんから始めましょうか。 さ、おいでなさい」

「は、はい」

 

 うんうん唸っているリオリールを置いて、先に決まったトルテの方へ、預かったシンボルを当てる。

 トルテは少し申し訳なさそうに頭を下げ、ユトネに背を向けると手で髪をかき上げて言った。

 

「えっと……よろしくお願いします」

「ええ、擽ったかったら言ってね。 一回止めるからね」

「はい」

 

 

 

 ……パチ、と音が鳴った。

 準備を終えて、シンボルが体に押し付けられる冷たい感触を感じている。

 カスカルが選んだシンボルを刻む場所は、背中の中心。

 準備を終えたウータスの前に服を脱ぎ、背を向けて座り込んでいた。

 

 短い指示に受け答えする以外は、ウータスとカスカルの間に会話が無かった。父の寝室でもあるこの場所は、普段は海の上に出ている事もあって、生活感があまり無い。

 必要最低限の物しか置いていないので、フェルエクス家の中でもとりわけ人が居ない場所でもある。

 ウータスが居ない時は母のユトネくらいしか入ってこない。カスカルも用事がある時にくらいしか、立ち寄らない場所だ。

 天井からは数枚の垂れ幕が張り巡らされていて、それぞれ独特の模様が描かれている。

 窓が開けられている今、その垂れ幕は外の風に流され左右へと小さく揺れて。

 幼いころに聞いた話では、ウータスの父。お爺さんがこの垂れ幕をくれたと聞いている。ユウバナ村の漁で使った帆船で、実際に使用された物を再利用しているそうだ。

 

 垂らされた墨汁が、肌に触れてひんやりとする。

 少しだけ身体が動いて、カスカルは意識を背中に向けた。

 

「カスカル」

「ん? 何?」

「最近は、どうだ?」

 

 父の言葉に、カスカルは少しだけ顔を俯かせた。

 

「ん……最近は……うん、色々、やってるかな。 ほんと、色々って感じだよ」

 

 母のユトネやイッチから料理の基礎を教わったり、ヘーゲの大工仕事の雑用をしながら道具の扱い方などを教えられたり。

 エルオネが商売の真似事をしているのをお客役として手伝ったり、アトリエで居候となったナータン兄妹の遺跡調査に同行したりなど。

 ここ最近を振り返ってみても、自分がしていることは多岐に渡っていて、充実していた。

 一年前では考えられないくらい、色んな事に挑戦をしていると思う。

 それはきっと、成人の儀が間近に迫ってきたことも関係していて。カスカルは瞑っていた目を開けた。

 

「後は、リオの手伝いをしていたり、そんな感じかも」

「うん。 リオリールは……とっても忙しそうだな。 少し前、アトリエの前の掲示板を覗いたが、依頼も多そうだった」

「……うん、アイツ。 すごいよ」

 

 パチ、と音が鳴る。 光源に使っている火が爆ぜて、小さな赤い粉が正面を見つめるカスカルの前を横切った。

 黒く染まった型を置き、ウータスは手拭いをカスカルの背中に押し付けながら。

 

「カスカル」

 

 肩に手を置かれて首だけ振り向けば、ウータスは体の向きを変えるように手で示す。

 向けていた背中をひっくり返し、椅子の上に座り直して対面すれば、腕置きが目の前に設置されていた。

 

「ほら、手をこっちに」

「うん」

「後は手首をぐるっと塗って、それで終わりだ」

 

 手首に塗る墨は、成人の儀を迎える子供たちの目印のような物だ。

 シンボルを刻んだものと同じ墨であり、この塗料は1年間ほどの期間は水で擦っても落ちないし、人の油で滲む事も無い。

 中央島へ向かった子供たちが、成人の儀を受ける為につける目印。

 これはヘーゲやクラウスが成人の儀へ向かった時にカスカルも見せてもらっているものだ。

 

 いよいよ、自分も向かう時が来たのだと、嫌でも実感できる目印だった。

 

 父が筆を取る音と、光源である火花が散る音だけが暫く流れた。

 カスカルはじっと自分の手首に証が刻まれていくのを黙って見つめていると、ふいに低い声が落ちる。

 

「カスカル、すまなかった」

 

 突然の父の謝罪に、カスカルは首を傾げた。

 

「どうしたの、父さん。急に」

「お前が色んな物事に挑戦している事は、知っている。 そして、その理由も皆から聞いた」

「あぁ……でも、父さんが謝るようなことじゃないよ」

「ずっと成人になったら、話そうと思っていたんだ」

 

 ウータスは筆を置いて、大きく息を吐き出した。 カスカルはじっと父の顔を見つめて、急かさずに続きを待った。

 カスカルにとって父ウータスは、偉大な人だ。

 普段は海の上に居る事が多いから、ウータスがもともと口数の少ない性格なのも相まって、交流はどうしても少なくなるし、家の中の事は母のユトネが一手に引き受けている。

 それでも当たり前の暮らしを当たり前にできているのは、父がフェルエクス家を土台から支えて、海に出て稼いで来てくれているからだと言う事をカスカルは知っている。

 長男として、家庭環境から妹達の面倒を任される多かった事に、不満を覚えた時もあったけど。

 

 フェルエクス家というものが立って居るのは、父のウータスが居たからだ。

 

「お前には、漁を教えて来なかった。 このユウバナ村に生まれてきた男児は誰もが教えて貰える物を、俺は教えなかったんだ」

「……」

「そのせいで、一時、お前が悩んでしまった事を申し訳なく思ってる。 本当にすまなかった、カスカル。 謝らなければいけないと、ずっと思っていた」

 

 一度だけ顔を俯かせ、すぐにカスカルは顔を上げて父のウータスと目を合わせて言った。

 

「うん。 本当は聞きたかった。 何で俺だけ父さんから漁を教えてもらえないんだ? って」

「昔、カスカルに一度だけ聞かれた時に、父さんは答えられなかった」

「……理由があったの? 俺って、漁師に向いてないとか?」

 

 息子からの疑問に、ウータスは首を振って否定した。

 

「カスカル。 俺にはお前よりも先に、一人の息子が、ユトネとの間に生まれてたんだ」

「え?」

「お前やリオリールには、お兄さんがいたんだ。 お前たち双子が生まれる、6年前だ」

「俺達に……兄さんが?」

 

 蝋燭に照らされた顔をゆっくりと縦に振って、ウータスは訥々と語り聞かせてくれた。

 

 母のユトネが大陸からウータスの下に押し入り、暮らし始め―――ユウバナ村に彼女が受け入れられ始めた頃だ。

 ウータスとユトネの間に、第一子がお天道様から授けられた。

 まだ若かったウータスはその事実に素直に喜び、息子が5歳になった頃にはウータスの方が張り切って漁師としての知識や技術を学ばせ始めた。

 カスカル達のお爺さんも生きていたから、ユウバナ村に住む漁師として何も間違っていないと確信して。

 

 それは間違いじゃない。

 誰だってそう言った。

 ユウバナ村の常識で、そして当たり前の事だから。

 何も疑わず、正しい事としてウータスは息子の指導に当たった。

 息子が将来、立派なユウバナ村の漁師として身を立てられるように。

 健やかに育ち、生涯に困らない生活の糧を得られるように。

 

「息子が7歳の時。 カスカル……リオリール……お前たちがユトネのお腹の中で育っていた頃だ。 俺は初めて息子を俺の船に乗せた」

「……まさか」

「その時、俺は7歳の息子を、船の上で失った」

 

 季節外れの大嵐だった。

 外洋ではなす術もなく、大時化に見舞われ荒れた自然は容易くウータスの目の前で……まるで簡単に、海へと攫った。

 ウータスは自分の船の上にしがみつく事しか出来なかった。 ただ何も出来ずに自然の猛威に縮こまる事しか出来なかったのだ。

 

 数日間の漂流を経て、ウータスもユウバナ村からの救助船に助けられた。

 ウータスの子供も捜索されたが、残念なことにまったく見つからず、遺品すらも残らなかった。

 食事も出来ず遭難し、窶れていた彼はユトネに合わせる顔が無かった。 妻であるユトネが大きなお腹を抱えて迎えに来るまで、彼はずっと友人の漁師の家で横になって。

 

「その時、俺が息子を失った漁に出ている間に、お爺さんが亡くなった事も告げられた」

 

 珍しい事では、きっと無かった。

 三つ大島のどこかで、誰もがきっと経験するだろう自然の猛威と悲しい出来事が重なっただけの、ありふれた話の一つ。

 いつかどこかで、誰かが被る不幸で。たまたまその時、ウータスに降りかかったというだけだ。

 

 当然、ウータスは父と息子を同時に失って、心身は憔悴した。

 だけど。

 

「ユトネがな。 毎日、お腹の中に居るお前たちの鼓動を聞かせてくれたんだ。 大丈夫だ、ウータス。 命を繋ごう、ウータス。 そう……優しく声を掛けてくれて。 あの時ほど、俺は押しかけて来たユトネを妻として迎え入れ……愛した事に感謝したことはない」

 

 ウータスが筆を置く音が、嫌に響いた。

 改めて顔を合わせ、ウータスはカスカルを真っすぐに見つめ。

 

「俺は、自分の子供を漁師として育てることが、怖くなった。 今でも……恐ろしくてな……カスカル。 俺はお前が泣いて漁師としての教えを手解きしてくれないのか聞かれても、何も答えることが出来なかった。もっと幼い時のお前の声に何も応えてやる事ができなかった。そのせいで、カスカルが今も自分の進路に不安を感じ、苦しんでいるのを分かっている。 だから……謝りたかったんだ」

「……」

 

 目の前で、初めて父が自分に頭を下げる姿を見て、カスカルは数瞬ためらった。

 話の内容もさることながら、自分の頭の中には無かった事実に驚き戸惑ったけれども。

 

「父さん」

「……カスカル」

「話してくれて、ありがとう。 父さん。 俺に……俺とリオに、兄さんが居たなんて、知らなかった」

「ずっと話そうとは思っていた。 だが……」

 

 カスカルは下がった頭を向けるウータスに伸ばした手を、少しだけ彷徨わせて。 少しだけ躊躇って。 それでも前に手を伸ばして父の肩へと下ろした。

 顔を上げたウータスとまた、視線がまっすぐにぶつかって。

 カスカルはニコっと笑った。

 

「いいよ、父さん、言わなくて。 さっきも言ったけど、むしろ感謝したいんだ。 俺、今の話を聞いて、やっと腹が決まった気がする」

「カスカル?」

「俺、これから大人になるんだ。 何がやりたいのか決まって無いし、何ができるのかも分からない。だけど、俺はユウバナ村のウータス・フェルエクスの息子……カスカル・フェルエクスとして、成人するんだ。 父さんの息子として、父さんが安心できるように、ユウバナ村でも一番強い男になる」

「お前……」

 

 肩に置かれた手を握って、ウータスはカスカルの顔を見た。

 息子の大きくなった手を掴んで、握りしめ、まっすぐに見つめてくる瞳を見返しながら。

 

「カスカル、立派になったな……お前を送り出すのに、何も不安はなくなった」

「父さんが育ててくれたおかげだ」

「そうか……はは、俺は、海にばかり居たが」

「本当だよ。 俺、父さんの息子で良かった」

 

 ウータスは思わず、彼の手を引っ張ってカスカルの体を抱きしめた。

 小さく耳元で、ありがとう、という言葉を聞きながら、カスカルは薄く笑って言った。 

 

「ねぇ、父さん。もし成人の儀から帰ってきて、漁師になりたいって言ったらさ……その時は、教えてくれるの?」

「その時は、そうだな。 父さんも覚悟を決めなければ。 そうじゃないと、大人のカスカルに怒られてしまいそうだ」

 

 しばらく抱き合い、父親から聞かされた話を改めて反芻しながら、ウータスから離れてカスカルは背を向けた。

 

「なぁ、父さん。 シンボルにさ、一つだけ付け加えたい物があるんだけど、良いかな?」

 

 

 

 

 シンボルを塗り終わったトルテは、たまに気になって首元を手で触れながら、アトリエへと向かっていた。

 ユトネとリオリールに見送られて。 

 

 トルテの隣を歩いているのは、ユトネからアトリエまでトルテを送るように言いつけられた、エルオネとミルミスが居る。

 夜道で一人きりは危ないから、と言われたが、ユトネは娘であるリオリールと個人的に話したいことがあったのだろうと、トルテは思う。

 今まで、フェルエクス家にお邪魔してアトリエに一人で戻ることは何度かあった。

 今日だけエルオネとミルミスを一緒につけて、なんてお願いするなんて。

 

 でも、そうだ。 成人の儀はトルテも、おとーさんの拠点を出る時に最初に成せと言いつけられた事だ。

 三つ大島に住む人にとって、成人の儀は昔から続けられている伝統。

 それは、子供たちの義務であり、そして人生においても大事な事の一つなのだ。

 

 おとーさんに言われた事は絶対に守るつもりだから、何の疑問も持たなかったけれども。

 

「二人は、気にならないの? リオを、残して話していること」

「んー?」

「お母さんと、お姉ちゃんの話?」

「うん」

 

 気付いたら、トルテはエルオネとミルミスに疑問を投げかけていた。

 てくてくと歩く二人の脚が止まって、トルテも振り向いた。

 

「さぁ~~、大事な話なら、きっと何時か話してくれると思うし?」

「信じてるから、何も言われなくてもミルミスはへーき」

 

「そうなんだ」

 

 うんうんと頷き、アトリエにいこっか、とトルテの手を引っ張っるリオの妹たちに引きずられて、なるほど、と思った。

 家族の信頼というやつなのだろう。 母親の居ないトルテは、この親娘を見ていると少しだけ羨ましい気持ちが湧いてくる。

 自分よりも幼い少女たちに手を引かれながら、トルテは空を見上げた。

 満点の星空が、今にも零れ落ちそうなほど近くて、黒の帳に白が煌めく中。

 

 淡い月の光が降り注いでいた。

 

 どこかで見てくれているのだろうか。

 これから、大人になる。

 自分の姿を。

 

「……おとーさんに、会いたいな……」

 

 口の中で転がった声は、誰にも聞かれないままアトリエの帰路の中に消えた。

 

 

 

 

 

 扉が開く音。

 独特の軋みの音を上げる、聞き慣れた扉の音だ。

 リオリールは頭の中で聞こえてきた音に気付きながら、膝を抱えて窓から星空を見上げていた。

 

「リオ、アトリエには帰らなかったんだな」

「ぐす……うん……」

「なんだよ、泣いてるのか?」

 

 リオリールは母のユトネにシンボルを刻んで貰いながら、カスカルと同様に家族の事を聞いていた。

 話の途中から、リオリールはお兄さんが居た事。 お爺ちゃんが死んでしまった時の事。 ウータスが抱いた悲しみなどを聞いている内に目尻が潤んで止まらなくなってしまった。

 もう過ぎてしまった過去で、取り戻せなくて、悲しくて。

 そんな情緒が落ち着かない時に、ユトネにぎゅうっと抱きしめられてしまったら、溢れて零れて涙が止まらなくなってしまったのだ。

 

 フェルエクス家のリオリールの部屋は、衝立が立って居るだけで兄のカスカルと同じ部屋だ。

 アトリエに寝泊りすることが多くなってから、殆ど帰る事が少なくなった自室で過ごしたい気分であった。

 

 リオリールの鼻声での受け答えに、顔だけ覗き込んだカスカルが呆れたように声を掛けた。

 

「ったく、服も着ないまま何やってんだ。 風邪ひくぜ」

「だっでぇ……かなじいよぉ~~、うぇぇーー~~ん!」

「うわ、顔ぐしゃぐしゃだな……良いから、ちゃんと着とけ。 ほら」

 

 自分の着ていた上着だけを投げるように窓を見ているリオリールの背にかけて、カスカルは衝立の奥に戻ろうとしたが、その手を引っ張られて足を止めてしまう。

 お前な、と声を掛けようとしたところで、リオリールはカスカルの胸元に飛び込むように体重を預けてきた。

 子供の様に泣きじゃくり、腕に力を込めてカスカルの胸板に顔を擦る。

 わんわんと泣き喚くリオリールに、カスカルは困ったように頭を掻いた。

 

 しばしの間そうしていて、ようやく落ち着いた頃にカスカルはリオリールの肩へと手をかけた。

 ぐしゃぐしゃになった顔を布で拭いてあげて、リオリールの目線に合わせてあげる。

 

「ほら。 もう泣くなよ。 子供じゃねぇんだから」

「まだ子供だもん」

「はは、言い返す元気が出てきたなら、大丈夫だな」

「むぅ……ごめん、お兄ちゃん。 ありがとう」

「いいよ。 スッキリしたか?」

「うん、少し、落ち着いた」

 

 そう言って離れたリオリールに、カスカルは苦笑して昔を思い出した。

 こうやって妹が泣いた時に、服が濡れるのは久しぶりだ、と。

 

「私さ、思い出しちゃって。 それが頭の中に浮かんだら、もう歯止めが効かなくなっちゃったの」

「いいさ。 俺だって驚いたし……悲しい話だったもんな」

「うん……ねぇ、お兄ちゃん。 一階に置いてある、おもちゃ箱の事を覚えてる?」

「ん? ああ、そりゃまあ。 今度、母さんがまた子供を産むからって引っ張り出すの手伝ったから覚えてるけど」

 

 自分のベッドに戻るタイミングも無くなって、カスカルはリオリールが腰を下ろしている隣に座り込んだ。

 窓際の、少し見上げればユウバナ村の星空が見える場所で、昔は兄妹の二人で夜更かしをした時に夜空を見上げていたものだ。

 カスカルが耳を傾けながらリオリールの言葉を待っていると、リオリールはカスカルの手を急に握ってきた。

 

「あのね、おもちゃ箱の中身。 覚えてる? お兄ちゃんと私ってさ、一緒に遊んでたよね」

「え? そりゃ、何となくの記憶はあるけど……」

「私ね、おもちゃで遊んだ事は覚えてるけど、買ってもらった事って無かったなぁ、って。 お金が無いからってずっと思ってたけど、良く考えたら……」

 

 最初から、あったもので遊んでた。

 カスカルはリオリールに言われて、確かにそうかもしれない、と少し考えてから同意する。

 

「それを思い出しちゃったの。 おもちゃは、沢山あったけど。 きっと私たちのお兄ちゃんの為に買った物で遊んでたんだろうな~って」

「ああ……うん、そうかもな」

「それで、凄くさぁ! ぐわぁ~~ってなって、もう涙が止まらなくなっちゃったんだよぉ」

「そっか」

「あーあ、お兄ちゃんって全然こういう時に泣かないよね。 どうして泣かないでいられるの?」

「……目の前で号泣されると涙が引っ込むんだよ。 俺より先にギャンギャン泣くからな、お前」

「むぅ、不公平な気がしてきたぞ~~。 お兄ちゃんもたまにはブワーッと泣けば良いのに!」

 

 無茶苦茶を言うな、と思いつつもカスカルは口には出さないでおいた。

 リオリールが大泣きするような情緒が大きく乱れている時に、嗜めたり指摘したり、端的に事実を述べたりするような事を言うと何故だか妹は不機嫌になる事が多い事を経験則から知っていたからだ。

 いつもそうだったように。

 妹の肩を一つ叩き、カスカルは励ましてあげる。

 

「もしかしたら、俺達のお兄ちゃんは見つからなかっただけで、どこかで生きてるかもしれないじゃないか。 もし、そうだった時に俺達に出来ることを考える方が、なんだか前向きになれる気がしないか?」

「え? でも、もう何十年も前の話だし、生きてたら……」

「父さんも遺体を見た訳じゃない。 海に攫われても、何処かに流されて助かってる可能性は、もしかしたら。 イッチさんだって、大嵐で海に流されたけど生きてたしさ」

「……………………そ、そっか。 そうだよね。 死んだって決まった訳じゃないんだ」

「もし、そうだった時。 兄ちゃんが見つかったらさ、俺達に出来ることを考えようぜ。 ユウバナ村に戻れない理由があるなら、一緒に考えて。何かが必要なら、ほら。 お前の錬金術で作ってあげたりとかさ」

「うん……うん、そうだね。 もしお兄ちゃんが見つかった時、何も出来なかったら悔しいもんね」

 

 自分を納得させるように何度も頷く妹の顔に、元気が戻ってきたのを認めて、カスカルは立ち上がった。

  

 今度こそ、自分のベッドに戻ろうと背を向けると、カスカルの姿を目で追っていたリオリールが何かに気付いたかのようにあっ、と声を出す。

 リオリールがカスカルの上着をかけられ着ていたから、兄は上半身が裸だったから。

  

「なんだよ?」

「ううん。 えへへ、お兄ちゃんのシンボル、見ちゃった。 背中に描いたんだね」

「ん? ああ……へへ、似合うか?」

「うん、とっても格好いい」

 

 カスカルは親指を立てて自分の背を指し、そこには雄々しい男性が両腕を上げるシルエットが描かれていた。

 

 そのシルエットに一つ、漁で使う漁師としてのシンボル。

 

 

 一本の黒い銛を、背に括りつけて。

 

 

「クラウス兄さんとかは、もしかしたら兄ちゃんの事を知ってたのかもな……」

「え、なに?」

「何でもない。 リオ、俺は寝るからさ。 お前も夜更かしするなよ」

「うん、お兄ちゃん。 おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 

 

 こうしてそれぞれの証を刻み、リオリール達の成人の儀への旅立ちは、すぐそこまで迫って来たのであった。

 

 

 

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