リオリールとトルテのアトリエ~三つ大島の錬金術士~ 作:ジャミゴンズ
01. 始まりは雪降る地から 1
大陸の首都メーテルブルク北方。
田園を抜けた先に広がる貴族たちの別荘地、その一角にフェントルスタン家の屋敷はあった。 王国六百年の歴史から見れば、男爵位を得て間もない若い家。
そこの一人息子が、フェントルスタン・クロームメックである。
「こんなものかな?」
その一室で少年が一人、ビーカーを見比べながらつぶやいた。
彼は17歳になるが、その背丈は平均よりもやや低く、筋肉がもともと付きにくい体質なのか、どうにも華奢に見えるほっそりとした体型。
片側に流した白い髪で、右側の目元が今にも隠れそうなほど伸びているのが最も特徴的な容姿を表わしているだろうか。 貴族らしい品の良いワイシャツにベルトの着いたベストを着込み、男性にしては小柄な体躯を少しだけ分厚く見せている。
目の前には数多の錬金術の器具がずらりと並び、アトリエとして使われているこの部屋は歳月を感じさせる趣と、完全に揃った環境からは歴史ある錬金術士のアトリエと遜色は無い。
内開きのドアが木材と金具の独特な軋む音を立てながら、ゆっくりと開いてメイド服を着こんだ老齢の女性が入ってきた。
「ぼっちゃま」
「うん? なんだ、レクローア。 僕は御覧の通り、忙しいんだけどな」
「お母様が閉じこもってばかりいるぼっちゃまを御心配されておりますよ。 そろそろ顔を見せてあげてくださいな」
「……勉強の心配をしていると思ったら、今度は顔を出せか」
「もう、そんなに嫌ですか?」
「別に嫌じゃない。 ただ、今年は必ずアカデミーの試験を受けたいから、それなりに努力したいんだ」
クロームメックは本来、昨年度のアカデミー試験を受ける予定であった。
ところが、クロームメックの婆に当たるフェントルスタン・ブーコが亡くなったことでアカデミー試験は来年に回したという経緯がある。
貴族としては末端も末端。 そんな彼は同じ年頃の貴族の子供達からは家格で舐められがちだ。 クロームメックがまだ幼い頃に悔しい思いをしたことは一度や二度ではない。
貴族と成った以上は関わり合わなければならない事も分かっていたが、感情が理解を上回って癇癪を起こした事も多かった。
総じて、クロームメックは立場を怨むこともあったが、それ以上に彼が持つ元来の負けん気が上回って躍起になったということもあるのだろう。
「婆さんの作り上げた 『新しい錬金術』 を、僕は絶対に受け継ぎたいんだ。 直接教えを頂くことはもう出来ないけど、婆さんの遺志を受け継いで、そして越える事を目指してる」
「そうですね……」
仕えて長いだろう老齢のメイド。
レクローアと呼ばれた腰の曲がった老婆はブーコ様のようにですか、と悲し気に呟いた。
試験管に向けて真剣な眼差しを向け、黙ったままのクロームメックに根負けしたように。
恭しく一礼をした後に、静かに退室していった。
横目でそれを視認していたクロームメックはハァ、と息を吐いて頬を掻く。
「……悪い事したかな……いや、でもアカデミー試験はもうすぐだしな」
傍に置いていたレシピを持ち上げる。
そのレシピに書かれているのは、先ごろ、アカデミー試験会場が『三つ大島の中央島』に正式に決まり、その為の視察に訪れていたというシーバーシー大講師が現地で作り上げた物だ。
イビルズキノコと学名に登録されたその錬金素材は、見た目がロイヤルクラウンと変わらない。
だというのに、突然に現れたというイビルズキノコは、ロイヤルクラウンとは似ても似つかない性質──悪意の塊としか思えない毒性に犯された──姿で、ロイヤルクラウンの代替品のように産まれたのだと言う。
ただ、そうした背景に、クロームメックはあまり興味はなかった。
政治的に関わったことも無ければ、三つ大島という場所は王国では非常に繊細なところで、現在は貴族の義務も発生しない土地だ。
錬金素材うんぬんについては、実際にアカデミーで扱ってから覚えれば良い事でもある。
重要なのは、アカデミーにおいても権威と立場を持つシーバーシー大講師が、イビルズキノコに対する解毒剤として作成したという事実である。
アカデミーに実際に解毒剤として登録し、レシピを公開したということは確かな実証と実践が確認された証明だ。
シーバーシー講師はどうしてか、旧式である錬金釜を用いての手法を用いてレシピを完成させたようだが。 新式でも再現できるはずだ。
レシピを見つめ、クロームメックは唇をぎゅっと結んだ。
フェントルスタン家が貴族と認められた最大の功績。
つまるところ明白なのは錬金術の進化に最も貢献した一族。
フェントルスタン・ブーコとは錬金術士ではない。
新しい錬金術において欠かせない錬金器具の発明家として。
釜の錬金術を『旧く』した稀代の大天才だったのである。
今やアカデミーでもその多くが、ブーコの生み出した『新式』が中心となっている事から、どれだけ『錬金術』という技術そのものの革新を齎したのかは、容易に想像できることだろう。
煩雑する手順を省略化し、旧式とは比べ物にならない生産性を確保し、さらに安全性まで高め、旧式におけるほぼ全ての錬金術によって生み出されるアイテムを『均一的』に作成できる。
「錬金術が誰でも使えたら、きっと素敵な世界になる、か」
幼いころに見た婆さんの姿を瞼の裏に映す。
クロームメックはしばらく目を瞑っていたが、やがてゆっくりと瞳を開いた。
試験管に入った溶液を丁寧に蓋をして、クロームメックは部屋に取り付けられた窓から見えるアカデミー関係の建物を見やった。
ちらちらと、白い物が空から転々と降ってくる。
「え、雪……? 今年は、随分と早いんだな……」
カレンダーを覗いてみれば、クロームメックは随分と外に出ていない事に気付かされた。
秋ごろに始めたというのに、雪が降っても可笑しくないくらいには冬に近づいていることを、カレンダーは教えてくれた。
なんだか申し訳ない気持ちが湧いてきた彼は、久しぶりにアトリエの外に出て母親と食事を共にすることにしたのであった。
──―・
「なるほどな、それで出来上がったのが持ってきてるそれなのか?」
「ああ、市井のアトリエで鑑定もしてもらったから、効果はお墨付きだ。 アカデミーにまだ通っていない僕でも作れる事は証明できたと思う」
それからまた、少し歳月が経って、クロームメックは『イビルズキノコの解毒剤』の調合に成功した。
品質・効力や効果といった物はシーバーシー大講師の作り上げた物にはハッキリ言って遠く及ばない。 だが、本格的にアカデミーで錬金術について勉強をする前に作り上げられるなら上等であろう。
母との顔見世を兼ねた食事以降、アトリエに籠っていたクロームメックを再び外に出させたのは、一年前に一緒にアカデミー試験を受ける筈だった数少ない友人の一人。
トナトール・クラビフェンフォン・アッサム。
数少ないクロームメックの友人であり、大貴族アッサム家の正式な跡取り息子だった。
「ふーん、すげぇな。 流石に大発明家の秘蔵っ子ってやつか?」
「トール、辞めてくれよ。 分かってるくせに」
「ははは、悪い。 でもスゴイと思ったのは本当だ。 新式の扱い方って奴は勉強してるけど、お前ほど俺は使いこなせそうに無いな」
「まぁ、僕が扱いが下手だったらアカデミーでも思い切り馬鹿にされそうだからな。 少しは必死になるさ」
「へへ、お前と同期になるはずで、もっと勉強も楽に熟す予定だったんだけどな」
「本当に楽をすることしか考えないんだな、君は」
「逆だ逆。 俺がフツーなのよ。 でも、この分ならアカデミー試験も楽勝だろ。 心許せる友人が増えるのは、マジで嬉しいんだぜ」
「……今回は初めて三つ大島って場所での試験開催になるっていうから勝手が違うかもしれない。 油断はできない」
言葉の調子とは裏腹に、クロームメックは柔らかな笑みを友人に向けてそう言った。
クロームメックは成り上がり貴族の立場から、友人は少なかった。
貴族からは爪はじきにされ、庶民からは貴族扱い。 逆に貴族からは庶民扱いだ。
立場を分け隔てなく接してくれる友人は貴重で、トナトールはそんな数少ない心許せる貴族の友である。
環境から祖母であるブーコと一緒に居る事が多かった為、クロームメックはおばあちゃん子だ。
だからこそ、錬金術士としてアカデミーに臨めるというのもあるが。
「目標だったシーバーシー大講師のレシピの再現も出来た。 後はアカデミー試験に全力を尽くすつもりだよ」
「それで、頼まれたのがコレってわけね。 三つ大島行きの試験日のチケット。 ちゃんと予定通りの日時で取っといてやったぜ」
「ありがとう、トール。 君にしか頼れなかったから、助かるよ」
ひらひらとトールのポケットから出された封が閉じられた便箋に、クロームメックは手を伸ばしたが
「おっと、その前にメック。 こいつをやるには条件が一つあ~~るっ」
「な、なんだよ、急に」
「ここは良い所だろ? 爺さん婆さん連中が好んで移り住むのは、静かだからだ」
「急になんだよ。 確かに君の言う通り、貴族御用のアトリエも多いし良い所ではあると僕も思うけど」
「だけどな、遊ぶところがまったく無い訳じゃないぜ。 少しここからは歩くけどよ、立派なスタジアムが出来たの知ってるか?」
「ああ噂で聞いた事はあるよ。 この街に住んでるんだし、一度くらいは行こうとは思ってるけど、まだ見た事は無いね」
「な?」
ニッコリと笑ってポケットの中に三つ大島行きのチケットの便箋をしまい込んだ友人の笑顔に、溜息にも似た苦笑がクロームメックから漏れた。
なんだよ、早くくれれば良いのに、という不快な気分も、この肩の力が抜けるような笑顔を見ると毒が抜けてしまう。
「たまにはメックも息抜きをしなきゃなぁ~? 青っ白い顔をしやがって。 会った時はゾンビになっちまったと思ったぜ」
「君こそ、遊び歩いていないでせっかく入れたアカデミーで勉強するべきじゃないか。 その浅黒い肌も相俟って、良い噂を聞かないぞ」
「アカデミーでのランクが上がらずにお前と同じとこからなるのも、俺はそれはそれで良いかなって思うぜ」
「いや、良くないよ。 落第してるじゃん」
胸元に光る真っ白な特徴的なブローチを弄りながら、堂々と留年をしても良いなどと宣うアカデミーの先輩兼友人に突っ込んでしまう。
トナトールはアッサム家の正式な跡取り息子だ。
アッサム家と言えば400年以上を遡る歴史と格式が在る家の一つ。
『9家』でもあり公爵でもある、クロームメックと比べれば雲の上の権力を持つ存在。
将来この地の領主になるべき男だが、この性格は傍付きの家臣たちが苦労をすることになるだろうことは明白だった。
なんだかんだ、クロームメックは小言を言いながらも彼に付き合ってしまう。
昔からずっとそうだ。
こういう物が一つのカリスマ性というのだろうか。
結局、噂のスタジアムを友人としっかり堪能し、夜通し遊び歩いて朝焼けが目に染みる時間まで存分に娯楽を味わうことに。
トナトールから強引に胸を押された時まで、あれほど急かして欲しがっていた三つ大島行きのチケットのことを忘れてしまうくらいには、楽しかった。
「うわ、なんだよトール。 いきなり押すことないだろ。 渡すにしたって。 まったく、乱暴だ」
「いやぁ、早いとこ渡さないと忘れちゃいそうだったからな。 でもまぁ、良い頃合いじゃないか」
「君はいつも強引だよ。 色々突然だしさ……」
「でも楽しかっただろ?」
「まぁ……」
「良い顔になったしな。 俺達みたいなのはストレスは吐き出さねぇと頭がおかしくなっちまうぜ」
「……」
スタジアムの屋上から覗く朝日は、徹夜であることを差し引いても眩しいものだ。
遠くを見つめて、水筒を片手に眺めるトールに、クロームメックは何となく彼と同じ方向を見つめて朝焼けの太陽にわざわざ網膜を焼かれた。
薄く見開いた瞳の中に、空に浮かぶ一羽の鳥が優雅に営みを始めている様子が見える。
「メック、アカデミーで待ってるぜ」
「トール……」
「楽しい事をいっぱいしよう。 責任が薄い今しかやれない事。 アカデミーでなら出来る事をさ」
「……ありがとう。 約束するよ」
「おう、約束だ」
じゃあ、帰るか! と盛大に伸びをして水を飲み干す友人に、クロームメックは新たな決意と約束を胸に抱くことになった。
そして。
意気揚々と三つ大島の船に乗り込むその日の朝。
クロームメックは久しぶりに時計塔管理の責任者である、父と顔を合わせることになった。
フェントルスタン・リウデック。口ひげとポマードで塗り固めた灰色の髪を七三でわけ、パイプを嗜む男だ。
どれも貴族であることを念頭に、清潔感を重視した出で立ちの父である。
ある種、潔癖な彼を、クロームメックは時折苦手に感じることも多かったが、それでも嫌いにはなれない優しい父親だった。
「久しぶりだなメック。 三つ大島に行く事になるとは、思いもしなかったが……」
「今年の冬季特別試験開催地が、三つ大島になったからね。 母さんには反対されちゃった。 試験ならまた来年に受ければ良いのにって」
「ふふ、そうだな。 母さんはお前の事が大好きだから。 ああ、もちろん私もだぞ」
言って父は笑い、出港前の港のベンチに座り込む。
クロームメックは父に合わせて同じように隣に座ると、傍には見慣れない紙袋が置かれている事に気付いた。
「父さん、これは?」
「ああ、一年前にアカデミー試験を受ける前に用意した物だ。 アカデミーに入れば寮暮らしだろう?」
「ああ、そういう。 開けて見ても良い?」
声に出さずに頷いた父を見て、丁寧に包装を開けて紙袋の中を開ければ、出てきたのは見慣れないブローチとアクセサリだった。
クロームメックがアカデミーを目指す。 延いてはその大元にある大志と夢をクロームメックの親として、父としてそれは知っている。
「これは?」
「ブローチはお前の祖母ブーコが王国から授与された紋付きの証だ。 まぁ、我が家の貴族たる証の一つだ。実際にはもろもろ書類があるが……一目で分かるのはそれだ」
「!」
メックは驚いて父を見上げた。
薄く笑みを浮かべながら、彼は淡々と説明を続ける。
「もう一つは、俺が王国から急ぎ用意しろと言われて作った我が家の旗紋を誂えたペンダントだ。 まだお前に与えるのはレプリカだが……良いタイミングだから、アカデミー試験を受ける時に渡そうと思っていたんだ」
「貴族の責任、か」
「うむ。 お前にはまだ重荷かもしれないが、どうしたって付き纏う物だ。 アカデミーをどういう形で卒業するのか分からないが、もうお前も17歳……つまり、そう遠くない内に必ずやってくる物でもある」
「そうだね。 今はそれが良く分かるよ、父さん」
まじまじと見つめ、二つの証を紙袋に戻した後にメックは父の顔を見つめて頷く。
安堵したかのように重いため息を吐き出す父に、メックはなんだか可笑しくなって笑ってしまった。
いつも仏頂面なのに、心底安心したように肩の力を抜く見ることのない父の仕草が可笑しかったのだ。
そうか、トールもこんな風に自分を見ていたかもしれない。
彼もよく、溜息を吐いて苦笑する自分を見て同じ様に笑うことが多かったから。
「なんだ、笑う事は無いだろう。 大事な事だぞ、メック」
「分かってるよ父さん」
「なら、良い」
「……ねぇ、一つだけ聞いても良い?」
「ああ、なんだ?」
「貴族って大変?」
メックはずっと心中で思っていた事で、中々聞けなかった言葉がスルリと出た。
そもそも父は時計塔の管理者という役目があるし、メーテルブルク城に招喚されることも時折ある。 立派な貴族の一員だ。
なかなかクロームメックの居る家に帰る事が出来ずに、母と共に祖母のアトリエで暮らしていて父と会う頻度は少なかった。
父は息子からの質問に、一瞬だけ呆気に取られたように口を開けたが。
一つ頷いてから、大きく肺に息を吸い込んで。
「ああ! 大変だっ!」
ポマードで固めた七三分けが少し崩れるのも構わず、父は少年のように笑った。
メーテルブルクの港に、重く低い大声が反響するかのように響き渡って。
あまり見ない父の本音の暴露に、思わず腹の底から込み上げてくる。
「あははっ、なんだよ、それ!」
クロームメックはまた笑った。
フェントルスタン・ブーコは一代で成り上がった貴族である。
考えてみれば、フェントルスタン・クロームメックという存在の前に、父が同じ立場で同じ苦労を背負っているはずなのだ。
なるほど、大変らしい。
とっても参考になったと、メックは深く心に刻んだ。
特徴的な汽笛の音が、港に船便を報せる。
大事な父の土産である紙袋を失くさない様、クロームメックはしっかりと胸元に抱いてベンチから立ち上がった。
「……父さん、行ってきます」
「ああ、試験、頑張れよ! お前なら、絶対に受かるぞ!」
グッと拳を握って父は両腕を挙げる。
一つ微笑んでから、クロームメックは振り返ることなく三つ大島行きの船へと足を進める。
二度目の汽笛が鳴り響く。
大気を震わせる大きな汽笛の音に耳朶を打たれながら、クロームメックはアカデミー試験を突破するべく三つ大島へと乗り込んだ。
天気は曇り、白い粉雪がメーテルブルクの空を覆った船出となった。
書き溜めてたら2年も経ってました。ごめんの気持ち。
4章終了までは毎日投稿します。