リオリールとトルテのアトリエ~三つ大島の錬金術士~   作:ジャミゴンズ

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04. 旅のお供のアトリエテント 2

 

 

 

 ……──―赤天蓋と涙の石道

 

 怪人一号はそう呼ばれている場所へと一人、人間とは思えないスピードを出して駆けていた。 積もった雪の上が、駆け抜ける一歩ごとに爆発したかのように白い粉を舞い上げる。

 

 この『赤天蓋と涙の石道』と呼ばれている場所は、まみどり大森林を更に西へと抜けた先に広がる窪地との境界線に存在していた。

 怪人一号が知るゲームの中では、採取地として後半に訪れるようになる場所だ。

 

 そもそもまみどり大森林は広大すぎて『リオリールのアトリエ』でも通り抜けるのに日数が掛かる。 日数の消費という点で赤天蓋は難マップだった。

 

 ゲームの知識はともかくとして、現実の地勢的には深い森の中で大きな山を二つ越え、そこから広がる更に大きな山にあるトンネルが、赤天蓋だ。 

 このトンネルはその大きさも尋常ではない。

 当然、人の手は入っておらず、自然に形成された三つ大島の雄大な景色の一つである。

 

 天蓋と呼ばれるように天井は真っ赤に染まっていて、宝石のようでもあった。

 

 怪人一号が辺境とも言えるこの場所に来たのは、レッドマンからの指示があったからだ。

 

「この辺のはず……」

 

 地上から40メートルほどの高所まで一気に駆け上がって、鍾乳洞のように伸びている赤く染まったツララを支えに、周囲を見回す。

 

 時折、吹き付けてくる風からは僅かに硫黄の匂いが嗅ぎとれた。

 

「フロジストンかな……帰りに拾っていったら、トルテさんは喜ぶかもな……」

『質が悪いぞ、ここのは。 大陸であればフロジストンは貴重だがな』

「! どこに……上?」

 

 懐に仕舞っていたぷにぷにを模した通信機が震えて、怪人一号は更に高所にある天井を見つめれば、そこには真っ黒なロングコートを羽織った一人の人間が天井の中で部屋を作って、椅子に座っているのが見える。

 腕がやたら太く見えたが、どうやらガントレットのような無骨な金属製の装備をしているようだった。

 

 顔は分からない。

 割れた不揃いの仮面のような物をつけており、片目だけしか見えないからだ。

 

 しかし、名前だけは分かる。 レッドマンからの手紙にあった、グリード・エングルード・リードという男だろう。

 しばしの観察を終えると、不自然にならない程度に天井の中の部屋まで近寄っていく。

 

『天井に、入口を隠してある。 お前のところからは取っ手が見えるだろう。 そこから入って来い』

「……」

 

 指示に従って蓋のようになっている扉を開くと、中は整然としていた。

 高所にあることを感じさせない、怪人一号が入ってもまったく余裕のあるスペースが広がっていて、廊下の様に部屋へと続いている。

 花瓶や絵画まで飾られており、ここだけ見ればまるで屋敷のようだ。

 気味の悪さを感じつつ、怪人一号は歩を進めて部屋の主と対面した。

 

「こんな場所まで呼びつけて、来るのが大変でした……っ!?」

 

 入室した途端、黒い帯のような物が四方から怪人一号へと目掛けて飛んで来た。

 とっさに身体をひねって躱すが、どうやら自動的に避けた標的へと追尾してくる。

 一つ、怪人一号の右腕に巻き付いて、更に一つ、くるくると高速で動きながら左腕すら絡めとった。

 

 巻き付いたのは鎖。

 それもかなり強度のある鉄で創られた物だ。

 

 二重三重に巻き付いた鎖に鋭い視線を返して言いながら、仮面のロングコートの男を見つめた。

 

「何のつもりですか」

 

 グッっと力を入れると、その圧倒的な身体能力によって拘束していた鎖がはじけ飛ぶ。

 

 レッドマンによって強化された肉体を持っている怪人一号にとって、錬金術の道具だろう鎖であろうと、生半可な品質では拘束に足るには力不足だ……が、足を動かそうとして態勢を崩してしまう。

 

「……見えない鎖?」

 

 目に見える脅威として映った鉄の鎖は、囮だったようだ。

 見えない鎖がいつの間にか足に巻き付いており、行動の自由を奪っていた。

 

「なるほど、だいたいわかった」

 

 パチン、とコート仮面の男は指を鳴らす。

 それだけで拘束が解かれて、また蹈鞴を踏むことになった。

 

「っ、いきなりの挨拶どうも。 貴方が私の仕える師匠ってことで良いんですよね」

「茶番のことならそうなる。 錬金術士レッド、それが俺の名になった。 それにしても、調合物を一瞬で粉々にする力……まったく、嫌になるな」

「錬金術士レッド。 出来れば今後はこういう挨拶はごめんですよ」

「ああ、そうだな。 興味があっただけだ。 悪魔に生み出された存在が、どういう性能なのかをな」

 

 そうして初めて真正面を向いた錬金術士レッドという『役割』の男。

 前を閉じていないコートの中身を見て、怪人一号は絶句することになった。

 彼はコートの下に何も着けておらず、開けた上半身には剥き身の『心臓』がドクン、ドクンと脈打っている。

 

 臓器を晒しているという衝撃的な姿に、思わず唾をのみ込んだ。

 

「怪人一号。 リオリール、トルテという二人の錬金術士の監視役だったな。 俺の補助役を担う者か」

「……あなたは……その心臓は」

「お前の主にやられたものだ」

「……それは貴方の意思で?」

「貴様に言う必要はない」

「そうですか。 レッドマン様に忠誠を誓った訳ではないと」

 

 聞いて、グリード・エングルード・リードというかつての錬金術士は卑屈に笑い、自分の剥き出しになった心臓を掴んだ。

 かなり力を入れているようで、心臓は形を変えてグニャリと歪に歪んでいく。

 

 彼の足元には、ヌルリと広がる円形の血液が、溜まりとなっている。

 何度も何度も、自分の心臓を潰すように手を動かし、赤い天井の床を血で満たしていた。

 何を、と怪人一号は焦るが、響くのはリード自身の哄笑だけだった。

 

 狂気に染まった行動に圧倒される怪人一号に、リードは笑い声を止めると口を開く。 

 

「俺はな。 人生を懸けた復讐を奪われ、命すらも弄ばれた。 見ろ。 何度、自分の心臓を握りつぶしても、死ねやしない。 貴様の主、レッドマンという悪魔に全てを奪われた男だ」

 

 かつてアカデミーで天才と称されたグリード・エングルード・リード。

 今ではアカデミーを除籍され、禁制品すらモグリで処方する錬金術士へと落ちている。 アカデミーへの敵意も、果たすべき復讐も抱えていた。

 悪の錬金術士を求めていたレッドマンにとって、これ以上ないほど条件の揃った男だった。

 

 片目だけ出した目元が痙攣する様に弧の字を描き、心臓を潰し続けて血に塗れた手を、怪人一号へと伸ばした。

 

 その尋常ならざる様子に一歩、無意識に後退った。

 

「俺達はパートナーらしいな。 これから人を困らせる道具を作り、その道具をレッドマンの為に使い、お気に入りの錬金術士に解決させる……その為だけの存在」

 

 リードは笑みを深め、頭を掻きむしった。

 

「悪魔の手先か。 くっくっく……はっはっはっはっはは、笑えるよな、怪人一号。 俺の磨いた技術は、茶番に使われることになるんだ!」

「レッド、あなたは……」

「こんな、こんなところで終わってたまるか。 ハァ……ハァ……いつか、いつか悪魔すらも滅ぼし、俺は目的を成し遂げて見せる……くはっ……はははははっ! か、がはぁ」

 

 突如として糸切れたように、怪人一号へと伸ばしていた『錬金術士レッド』の腕がガントレットの重みに耐えられぬよう、だらんと下がった。

 

 仮面姿のまま顔も俯き、椅子に座り込んだ態勢のままで微動だにしなくなる。

 完全に動きが止まった男に、怪人一号は警戒を解かずにそっと近づいた。

 

 椅子の近くには、封書があって怪人一号宛てと書いてある。 それを手に取って懐へ仕舞い、血の錆び付いた独特の匂いが充満する中、レッドを覗き込む。

 彼の心臓の鼓動音が間近で聞こえ、生きていることを証明しているように蠢いて。

 浅く漏れる呼吸の音が、確かに聞こえる。

 

 片側だけ露出した瞳は、真っ白に染まっていて瞳孔すらも見えなかった。

 意識はまるで無いようだ。

 

「……命を弄ばれる、か。 レッド……いや、リードさん、ボクと貴方は同じなんですね。 ええ、同情してあげますよ」

 

 いつでもレッドマンの気分によって、使い捨てられる便利な手駒。

 扱いに差があるのは、何が原因かは分からないが、錬金術士レッドは反抗心を隠さずに抱いているようであった。

 

 創造主の手足となる使命を、本能的に植え付けられている自分に出来ることは何もない。 レッドマンがこの作られた『錬金術士レッド』の手足として、怪人一号は振る舞えと言うのなら、その通りにしか出来ない。

 そしてそれこそ、この世界で生きていく事が出来る唯一の道である。

 

 レッドマンから出される指令は絶対だ。

 そこに怪人一号の、意思の介在ができる余地はない。

 

 一つはリオリール・フェルエクスの生命を必ず守ること。

 一つはリオリール・フェルエクスの動向の報告と、錬金術士としての腕前を高めること。

 そして新たに追加されたのは。

 

 

 悪の『錬金術士レッド』の産みだす悪意ある道具を、錬金術でリオリール・フェルエクスが解決に向かうよう誘導することだ。

 

 人に害を齎す。

 その『程度』までは指示されていない。

 であれば、この優しいはずの世界を汚染しないような形にすることが出来れば上出来だろう。 

 

 最優先は自身の生き残りだ。

 

 ある程度、裁量が利く余地ができるのであれば、人が死ぬような道具を作らないで欲しいと願いたかった。 錬金術士・レッドの役目を持たされた人物と交渉するつもりで、ここまでイッチは足を運んだわけだが。

 

 

「彼の説得ができなければ……人殺しに加担する覚悟も、決めないと……かぁ」

 

 その覚悟を決める日は、案外に近いのかもしれない。

 

 三つ大島で始めるのか。

 それともフィンデラーント王国から動くのか。

 レッドが何を考えているか。

 復讐心のような物は見えたが、身の上を聴きだすのは苦労しそうだ。

 

 少なくとも、創造主であるレッドマンは滅ぼすべき悪魔だと認識しているようだが……

 

「ボクだって、死にたくないんだ……レッドマンは、守らないと」

 

 怪人一号は沈鬱な面持ちになりながら、前のめりに固まって意識を失っているレッドを椅子に座らせ、コートをちゃんと着させてから、赤天蓋を後にした。

 

 星が瞬いていた。

 今から戻れば陽が昇る前にはユウバナ村へ間に合うだろう。

 

 イッチは封書を懐にしまったまま、全速力で駆け戻った。

 

 

 

 ──・

 

 

 ──・

 

 

 翌朝、アトリエの居間は再び賑やかさを取り戻していた。

 薪の爆ぜる音と、何かを準備するカチャカチャという音、そして穏やかな話し声が混ざり合っている。

 テーブルの上で、昨夜から書きかけのゼッテル用紙に突っ伏して眠ってしまっていたリオリールは、かすかな物音に気付いて薄っすらと目を開けた。

 

「ん……、ふぁ~……」

 

 伸びをしながらゆっくりと顔を上げると、目の前に温かい飲み物が差し出される。

 

「おはよう、リオ。 寝坊だね」

「……あ~~~、トルテちゃん。 おはよぅ~」

 

 差し出されたマグカップを両手で受け取る。

 ミルクの味が口内に広がって、甘味が脳を活性化させた。

 

 そうだ、アトリエを持ち運べるレシピを書いてる内に、眠っちゃった。

 リオリールは昨夜の興奮がぶり返し、それまでの散漫な動きが嘘のように、キビキビと動き始めた。

 

「ねぇ! トルテちゃん、聞いて! 私、考えたんだ!」

 

 リオリールは勢いよく立ち上がり、寝癖でぼさぼさになった頭も気にせず、目の前のトルテを掴んだ。

 

「わ、わっ。 ちょっと待って、リオ、落ち着いて」

「私、思いついちゃったんだよ! 成人の儀の旅にも持っていける、アトリエ!」

「アトリエ? 聞くから離して、コップから零れちゃうって、リオ」

「あ、あはは、ごめん。 ってあれ? トルテちゃん、どこか出かけるの?」

 

 リオリールはトルテが外出着に着替えている事に気付いて、目を丸くした。

 トルテは肩を竦め、乱れてしまった袖口を直すと、指をついっとゲージの方へと向ける。

 アードラーのドラが、窓から差し込む日差しを受けて気持ちよさそうに眠っていた。

 

「今日、ドラと別れようと思って」

「あ……トルテちゃん……」

「そんな顔しないでよ、リオ。 いつまでも引っ張ってると、決心が鈍りそうだから」

「そうだよね。 旅には連れていけないし、アトリエの中にずっと閉じ込められないし」

 

 コクリと頷くトルテの顔は、やっぱり寂しそうだった。

 たった数カ月とはいえ、家族の様に一緒に過ごして面倒をみていたトルテ。

 リオリールも一緒になってドラを育ててきたから、本音は別れたくなんて無い。

 

 とはいえ、成人の儀の旅は長期間に及ぶ。

 すぐに帰ってこれるようなものでもないのだ。

 アードラーは村の皆の総意という形で、野生に還すことに決まっていた。

 

 しんみりした気持ちを振り切る様に、リオリールは昨晩作っていたレシピ、ゼッテル用紙をパラパラ捲って。

 

 興奮冷めやらぬリオリールは、設計図を指さしながら力説を始めた。

 

「ところでトルテちゃん! ほら見て! マルグレートさんがテントで寝泊まりしてたでしょ?」

「テント?」

「あれをね、錬金術で持ち運び出来るようになれば良いと思う! テントの中にも作業台を置いて……旅のお供のアトリエテントだよ!」

 

 リオリールの目は、寝起きとは思えないほどキラキラと輝いている。

 

「これなら、どこにいても錬金術ができるの! 旅の間どこに居ても、錬金術の練習ができるの! 錬金術が出来るんだよ!」

「そう……興味深いね……っと」

 

 興味は抱いた物の、トルテは誘惑を振り切る様に首を振った。

 

「けど、ごめん。 一緒に行ってくれるイッチさん。 外で待たせちゃってるから」

「あぅ、見てもらいたかったけど……」

「じゃあ行くね。 リオも頑張って」

 

 トルテはそう言って、鳥かごの扉を開いた。

 すると、数カ月の間に驚くほど大きく育ったアードラーが、待ってましたとばかりに勢いよく飛び出してくる。

 その巨体はトルテの細い身体を軽々と押し倒し、バッサァと広げた羽がテーブルの上の温かいミルクの入ったマグカップを床に叩きつけ、大きな羽でトルテの身体を覆い隠してしまった。

 

「わわっ! トルテちゃん!」

 

 リオリールが慌ててアードラーを引き剥がそうとするが、大きくなったアードラーの力は強くて、なかなか離れてくれない。

 

「ドラ、ダメだよ! トルテちゃんが潰れちゃう!」

 

 トルテはくすくす笑いながら、羽毛に顔を埋めた。

 

「大丈夫、リオ。 ドラが甘えているだけだから」

 

 ちょうどその時、外で待っていたイッチが心配そうにドアの窓から中を覗き込んだ。

 

「大丈夫ですか? 何か大きな音がしましたが……」

「あ、イッチさん! ドラがトルテちゃんに甘えてるだけだよ。 ほら、もう離れた」

 

 満足したのか、リオリールがようやくアードラーの巨体を脇へ押しやると、トルテは床に座り込んだまま笑顔でイッチに手を振った。

 

「心配かけてごめんね。 今からドラを放しに行く」

「ボクの方は準備が終わってるので、トルテさんのタイミングで良いですよ」

「ん、大丈夫」

 

 アードラーはトルテから離れると、何事もなかったかのように大きな翼を広げ、窓枠に留まった。

 

「行こ」

 

 トルテが立ち上がり、身支度を整える。

 イッチは静かに頷き、トルテの背中を見守った。

 そうして、トルテとイッチはアードラーと共に、雪が残るアトリエの外へと歩き出した。

 リオリールは、その二人の背中と、空へ飛び立つであろうアードラーの姿を窓越しに見送る。 胸に去来するのは、寂しさだけではなかった。

 

 別れは、新しい旅立ちの準備でもある。

 

 そもそも、リオリールと契約した白狼であるボン様は、自由気ままの放し飼い状態である。 アトリエの中でしばらく丸まっている日々が続いたと思ったら、何時の間にか消えてしまった。

 どうも獣としては、あまり良い環境ではなかったらしいのだ。

 最近はまみどり大森林の小さな遺跡の中を城としているらしく、滅多に姿を見せてくれない。 モフモフに顔を押し付けるのは好きだったので、ちょっと残念。 

 

 二人の姿が見えなくなると、リオリールは少しだけ自分の爪を見てから、アトリエの中に視線を戻した。

 そこには、どっしりとした錬金釜が静かに鎮座している。

 トルテはきっと、ドラとの別れで、しんみりとした気持ちで帰ってくるだろう。

 リオリールは、ぐっと顔を引き締めた。

 

(寂しがってる暇なんてないよね、元気を出してもらう為にも、頑張らなくちゃ)

 

 旅のお供のアトリエテント。

 これこそ、トルテの顔を明るくさせるような、最高の道具になるはずだ。

 この画期的なアイデアを実現させれば、トルテも寂しさを吹き飛ばせるに違いない。 自分の不安だけではない。 大切な友人も励ませるなんて、一石二鳥としか言いようが無いだろう。

 

「よし! 最高の、持ち運べるアトリエを作ってやるんだ!」

 

 リオリールは再びテーブルに戻り、レシピを確認。

 むぅ、と少しだけ考え込んだが、いや、イケル! と完成レシピとなるゼッテル用紙を強く掴み取って腕をまくり、釜に火を入れた。

 

 

 

 トルテとイッチは、雪が多く残るまみどり大森林を歩いていく。

 ドラを放すのにユウバナ村の中だと、すぐに戻ってきてしまいそうだから。

 雪はまだしんしんと降ってはいないが、積もった雪が靴底に沈みシャリシャリという音を立てる。 トルテにとって雪は初めてだったので、最初は靴の底から響く音が妙に楽しくて戸惑うものだった。

 

 そんな中、イッチが先導して雪を掻き分けながら道を作っていく。

 あれは大陸から来たナハトバッハが使っている掘削用スコップだろう。 錬金術士が作ったというソレをトルテは見させてもらった事がある。

 後ろを、トルテがゆっくりと歩いていく。

 

 見上げれば、その頭上でドラが久しぶりとなる大空を、楽しそうに旋回して飛んでいた。

 

「イッチさん、大丈夫? そんなに雪を掻き分けて……疲れない?」

「まぁ大変ではありますけど、疲れはあまり」

「そう、なんだ……」

 

 トルテは改めて、イッチの驚異的な体力と能力に感心する。

 昨晩、雪が止んだとはいえ、かなりの積雪量だ。

 

 しばらくお互い無言だったが、トルテは昨日から気になったことを聞いてみた。 

 

「……ねぇ、イッチさん」

 

 トルテは、少し歩いてから、意を決したようにイッチに尋ねた。

 

「あの、手紙のことなんだけど……イッチさんも、同じ様に受け取ったんだよね?」

 

 イッチの動きが、僅かに止まる。

 彼は雪を掻く手を止め、小さくそうですね、と答えた。

 トルテの口から、おずおずと問いが漏れる。

 

「もしかして……レッド……」

 

 イッチは一度、逡巡するように顔を伏せたがすぐに顔を上げて、静かに頷いた。

 

「錬金術士レッドは、ボクの師です。 トルテさんの父である方と名前が一緒なのは驚きましたが」

 

 トルテが胸の辺りを手で押さえていた。

 懐にある手紙のあたりを。

 イッチは続けた。

 

「師匠のレッドは僕にすぐ戻る様に、と書いてありましたから……近く皆とは別れることになると思います」

 

 突然の別れの言葉に、トルテは目を丸くして立ち止まった。

 

「えっ……? そうなの?」

「今の用事が済み次第、アムースコ村長のところからお暇するつもりなんです」

 

 イッチはどこか申し訳なさそうな顔で、少し早口になった。

 

「ボクはもともと、行方不明になった師を探すためにこのユウバナ村に居候させてもらっていました。レッドを見つけるため、それだけのために……」

 

 雪の上に立つ彼が、言い訳をするように言葉を重ねる。

 

「もし、あのとき大嵐が来なければボクはそのまま師匠と旅立って、あなたたちと出会うこともなかった。 でも、大嵐で遭難して、トルテさんに救われて……リオリールさんやカスカル君と知り合って……僕は」

 

 そして、彼は一度首を振って、微かに笑った。

 

「こんな風に、慌ただしく別れたくはなかったですね。 ある意味、僕にとっては夢のような時間でしたから」

「……そうなんだ、寂しくなる」

「そう思って頂けるなら、僕も報われますね」

 

 少し休憩しましょう。 と続いたイッチの言葉に、トルテは頷いた。

 こんなにも素直な気持ちをぶつけられたことは、珍しいなとトルテは思っていた。

 イッチはどこか、遠慮がちというかリオリールやカスカル達にも一歩引いたように話をすることが多かったように思えたから。

 

「あれ、ここ……」

「どうしました」

「ううん、何でもない。 リオと初めて出会った時、ここら辺だったなって」

 

 トルテが周囲を見渡せば、いつか出会ったはぐるま草の群生地だった。

 目を瞑ると思い出す。 あの時は結局爆弾を使い切っていて、初めて会った錬金術士を爆殺することができなかった。

 今思えば、リオリールと出会う事ができなければ、錬金術に関して色んなものが足りていない事に気が付かずに過ごしていただろう。

 馬鹿らしい出会いだったと、思わず口元が緩む。

 

 イッチから受け取ったお茶を口に含む。

 

「あ、あったかくて美味しい」

「紺色茶葉を使ったお茶は、好きだって言っていたので」

「……ありがとう。 あの、少しだけ、採取していくね」

「ええ、分かりました」

 

 イッチに断って、トルテはお茶を飲み干した後、いくつかのはぐるま草をむしり取ってポーチの中に放り込んでいると、ドラの鳴き声がはぐるま草の群生地に響き渡った。

 ドラは大きな体で滑空し、まるで巨大な影絵みたいに、トルテのすぐそばの地面にそっと降り立った。 熱気で、近くの草がかすかに揺れる。

 

 トルテは愛おしそうにしゃがみ込んで、ドラの大きな顔に自分の頬を寄せた。ゴツゴツ硬い皮膚の感触と、生命の力強さが伝わってくる。 大きくなったなぁ、と思わずにいられなかった。

 

「いい子だね、ドラ」

 

 そう言いながら、トルテは両手でドラの分厚い頭をしっかり撫でつけた。

 ドラは、その温かい手の感触を目を細めて静かに受け止めている。

 

「成人の儀が終わるまでだからね」

「グアァアァァ……」

 

 声をかけて、トルテはゆっくりとドラから離れた。

 名残惜しそうに、ドラは大きな翼を広げ鳴き声を空に放った。

 それは別れを惜しむ叫びみたいで、新しい旅立ちへの決意表明のようでもあった。

 

 次の瞬間、ドラは大地を蹴り、その力強い四肢で勢いをつけて、一気に大空へと飛びたっていく。 風を切り裂くすごい音、突風が下から吹いたみたいに、トルテのスカートを巻き上げて。

 ドラは、トルテたちの真上で一度、二度と優雅に大きな円を描いて旋回した。

 空を支配する王様みたいで、別れを告げる騎士のようにも見えた……などと思うのは感傷的になっているからだろうか。

 そして、何かを見つけたのか、その視線は一気に遥か彼方の空へ向けられ、ドラは迷うことなく急発進。 

 

 あっという間に豆粒みたいに小さくなりながら遠ざかる。

 

 飛び去ったドラの体から舞い落ちたものだろう。

 トルテは、地面に落ちていくそれをそっと手で拾い上げた。

 

 繊細な羽軸と柔らかな羽根の感触を確かめるように。

 

「お守りのつもりかな?」

 

 トルテは、はぐるま草を詰めたポーチに、その赤い羽も大事にしまった。

 それは、今日という日の、ドラとの絆の証みたいに見えた。

 満足そうに顔を上げたトルテは、隣に立っているイッチに優しく振り向いた。

 

「アトリエに戻ろうか」

 

 そして、はぐるま草の群生地を感慨深げに見つめながら、トルテはぽつりと呟いた。

 

「リオと出会って、ドラと別れて。 ここは不思議な場所」

「きっと縁があるんですよ」

「うん……そうだね、きっと」

 

 その声には、別れの寂しさよりも、新しい始まりへの期待が少し滲んでいた。

 

 

 

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