リオリールとトルテのアトリエ~三つ大島の錬金術士~ 作:ジャミゴンズ
アサユウ街道の封鎖を継続することがアサハレ村、タータラベ街での協議で決定したことを、クラウスが伝えに来てくれた。
リオリールたちは出発を取り決めると、危ないと言われている、冬季の庭先街道へ。
ボーク牧場のなだらかな牧草地を背に、一行は南へと進路を取った。
最も古い基幹道路の一つである庭先街道。
かつては人々の往来で賑わったであろう道も、今はひっそりと静まり返っていた。
遥か昔に打ち込まれたであろう古びた木柵は、苔むし、所々が折れて朽ち果てている。
人工的に整地された跡がうっすらと残っているものの、長い年月をかけて自然に浸食され、土と草に埋もれかけていた。
ボーク牧場が見えなくなった丘を越えた辺りで景観が一変。
見渡す限りの大地が、真っ黄色に染まっている。
ここは『きいろじゅうたん』
まっ黄色の大地の原因は、ヒマワリだ。
その背丈は優に人間の身長を超えていて、どこまでも続いている様にすら見える。
「うわぁ……すごいよ、すごい! 眩しい! 前も後ろもヒマワリだらけだよ、こんな場所が近くにあったんだ~~~!」
三つ牛の背に揺られながら、リオリールは感嘆の声を上げた。
「こんなに大きいヒマワリ……後でいくつか採集しておこうか」
「うん、良いかも良いかも! ねぇ良いよね!」
「……しょうがないな、後で、少しだけな」
カスカルが頷いて、リオリールは楽しそうな顔で黄色い絨毯を眺めた。
ヒマワリは『黄色い花』という素材としてそもそも優秀だ。
花弁は大きく、多色染料や植物カテゴリに顔を出せる素材の代表格でもある。
これだけ大きいヒマワリなら、幾つか採集するだけでかなりの量になるだろう。
それにしたって、背丈が高い。
このように大きな背丈の植物は、他にも『セイタカトーン』などが存在するが、敷き詰められるように大地を覆う規模は初めてだ。
リオリールは三つ牛の上で、大きなヒマワリの海を眺めて深呼吸をした。 ちょっとワクワクしているのが自分でもわかった。
「採取する時は目を離すなよ、カスカル。 ここは迷いやすいからな」
「あ、分かりました、兄さん。 注意しときます」
「ああ」
頭上からは明るい日差しが降り注ぎ、花の周りでは虫たちがダンスを踊るように飛び回っている。
のどかで美しい光景だが、もし徒歩で来ていたら、クラウスの指摘通りに方向感覚を失って遭難していたかもしれない。
ちなみに乗っている三つ牛には 『サン』と『クウ』という名前があり、先日ボーク牧場でカスカル達が牛草をせっせと運んだ子達である。
「っと、お、おい。 右に寄りすぎだぞクウ……まったまった!」
「カスカル、こうだ。 俺の真似をしな」
そんなヒマワリの海を進む三つ牛の首元で、カスカルが緊張した面持ちで手綱を握り、ハンドサインを送っていた。
ボーク牧場での特訓の成果か、あるいは持ち前の筋の良さか。
ぎこちない動きではあるものの、彼は確実に巨大な三つ牛へ意思を伝え、進路を制御し始める事に成功しつつある。
ボオーっと鳴き声を上げて三つ牛のクウはのっそりとして身体を揺らしてカスカルの指示に従っていく。
「いいぞカスカル。 その調子だ。 手首の返しを早くしすぎると走り出すからそこだけ注意だ」
「わ、判ったよ、兄さん!」
並走するもう一頭の三つ牛から、クラウスが指導の声を飛ばす。
その背中には、大量の荷物と共にリオリールとトルテがちょこんと乗せられていた。
ちなみに、リオリールたちも出発前にハンドサインの練習をさせられたのだが──『お前らは牛を混乱させるからダメだ』──と、クラウスから早々に失格判定を受けてしまっていた。
結果、二人はこうして荷物の一部として運ばれる身分となっている。
「あ、見て! ぷにぷに!」
リオリールが指さした先、三つ牛の足元を、赤やオレンジ色のゼリー状の生き物がピョコピョコと集団で横切っていった。
さらに、風もないのに不自然に揺れるヒマワリがあったかと思えば、花弁を顔のように歪めた植物型モンスター『ヒマワリモドキ』が、ヌッと茎を伸ばしてこちらを覗き込んでくる。
「わっ」
「ひゃっ!?」
リオリールとトルテが身を竦めたが、ヒマワリモドキは三つ牛の巨体と鼻息に恐れをなしたのか、慌てて葉っぱを畳んで逃げ去っていった。
三つ牛は頼れる移動手段であり、荷物持ちであり、そして何より強力な魔物除けでもあるのだ。
クラウスが鼻高々に自慢するのも頷けるほど、完璧な旅のお供であった。
「昼過ぎか……ちょっと飯を兼ねて休憩するぞ」
太陽が中天を過ぎた頃、少し開けた場所で三つ牛を止め、一行は休息をとることにした。
サンから降りて地面に足をつけたトルテは、ふと足元の感触に違和感を覚えてしゃがみ込んだ。
「……柔らかい」
「え? 土が? わわっと、本当だ」
リオリールも隣で地面を踵で踏んでみる。
確かに、ただの腐葉土というには、あまりにもフカフカとし過ぎている気がした。
屈みこんで手で土を掬ってみれば、湿り気を帯びている物の柔らかさは抜群でポロポロと手のひらから落ちていく。
「ここら辺の土壌、異様に柔らかいね」
「どうも学士さんによると、土と植物で作る循環がなんたらかんたら……」
クラウスが得意げに説明を始め、土に水を撒きながら教えてくれるが、肝心な内容は良く分からなかった。 その水は見る間に土に沁み込んで溶けて消えていく。
とにかくすごく良い感じになって栄養満点の土が出来上がったらしいことだけは理解できる。
「ヒマワリがこんなに大きくなるわけだね。 錬金術の材料にしたら、いい品質の物が育つかな?」
「ねぇねぇトルテちゃん、これも採取しておこうよ」
「ん。 瓶とかあったっけ?」
「私持ってるよ。 アトリエから持って来たんだ」
二人がそんな会話を交わしながら土を小瓶に詰めていると、クラウスが地図を確認して顔を上げた。
「よし、そろそろ行くぞ。 日が暮れる前に麓まで行きてぇ」
再び三つ牛に揺られること数刻。
背の高いヒマワリ畑が途切れ、ゴツゴツとした岩肌と針葉樹が目立ち始めた頃、ようやく目の前に巨大な山脈の威容が迫ってきた。
カンカン山入口。
古びた立て看板に、かすれた文字でそう書かれている。
その麓に、古びているが頑丈そうな山小屋がぽつんと建っているのが見えた。
「着いたぞ。 今日はあそこで一泊だ」
クラウスの言葉に、リオリールたちは安堵の息を吐きながら、夕暮れに染まる山小屋を見上げた。
「こんな都合よく、山小屋ってあるんですね」
「そりゃ今も使われてる道だからな。 ここだけじゃないぞ。 どこの島に行っても山小屋は旅人にとっての休息地だから、使い方は覚えた方が良い」
行商人や通行人も使う場所であり、旅人のルールが適用されるのだ。
山小屋の中にはルールを知らない人の為に用意された紙がある、とクラウスに言われ、リオリールは早速その羊皮紙を見つけて広げて見た。
使用した分の薪は割って返す事や、山小屋を使った後に去る時の作法。
庭先街道から逸れてカンカン山への入山をする時は、台帳に名を残しておくこと。
こうした細々としたルールがきちんと整備されて記載されてあった。
「薪や保存食は分かるけど、名前を残すのは何でだろう?」
パラパラと台帳に乗った冊子を捲ると、見知った名前も飛び込んでくる。
イモール・タラスクムードル
ユウバナ村の住人、28歳の男性であるイモールは、まみどり大森林の麓で林業全般を中心に営む若者だ。
外で三つ牛を繋ぎとめていたカスカルと、クラウスが小屋の中に入ってくると、不思議そうな顔をしていたリオリールに気付いて教えてくれた。
「ああ、台帳か。 イモールさんは庭先街道の主な山小屋に、定期的に薪の補充をしてくれてるんだぜ」
「へぇ~……時折、遠出することもあったけど……イモールさんがそんなことをしてたんだ」
「ついでに言えばヘーゲの父親であるヘイジのおっさんは、カンカン山の山小屋をほとんど作ってる。 三つ大島でも大工の腕でツルットマンさんは有名なんだ」
リオリールは荷物の中に立てかけられているオールを思わず見やった。 イモールさんが作ってくれて、普段から愛用している物である。
トルテも感心したように頑丈な柱や梁を見上げている。
同じ村で一緒に暮らしている人たちの、見えていないところでの仕事。
ユウバナ村から遠く離れた山道の安全を支えている事に気付くと、クラウスが言っていた社会を知る、という言葉を思わず反芻してしまう。
ただの麓の山小屋だけど、この場所を通じて繋がっている気がした。
「さて、もう夕陽が沈む頃だ。 カスカルは薪を準備しよう。 リオちゃんとトルテは荷物の整理と寝床の確保。 俺は牛の世話を済ませてくるぜ」
さっと指示を出して役割を与えると、クラウスは袖をまくって脚早に小屋から出て行った。
「じゃあリオ、私は食事の準備するから」
「うん、それなら私は寝床と荷物の片付けから始めようかな?」
しばらくすると小屋の外から、バコン、と大きな音。
カスカルが薪を割っているのだろう。 トルテが小さな鍋を取り出しているのを見ながら、リオリールはシーツを広げてベッドメイクをしていく。
「トルテちゃん、錬金術で作るの?」
「火種をね。 ほら、最近使ってるやつ」
「ああ、ホットストーン?」
「うん」
| ホットストーン | 作成者:トルテ |
|---|---|
| 叩くと割れ、石の中心から暖かな熱が溢れ出す。熱は100℃前後まで上昇し、約30分ほど持続する。成人の儀に向けてトルテが用意した携帯用の生活用品。何度も叩くと200℃を超えるため注意。 | |
| レシピ:(鉱石)・(粘土)・中和剤(赤) | |
| 効果 | 特性 |
| ・熱が伝わる | ・使用回数+1 |
| ・範囲を狭く | ・軽い |
| ・状態変化抵抗+ | ― |
手早く石で囲まれた焚き火用の中にホットストーンを数個入れて、トルテはポーチからハンマーを取り出してカツンカツンと叩いていく。
冷え切っていた小屋が即座に、ホットストーンの熱によってじわりと広がった。
「スープでも作ろうか」
「うん、任せるよ」
手際よくセットした鍋に乾燥した野菜を放り込んでいく。
「トルテちゃん、これ」
「ありがと」
発酵魚介の味噌状ペーストを包んだ物を放り投げると、トルテはそれを開いて、口を開けて鍋の中にブリュっと入れていく。 ユウバナ村で作られた調味料であり、これの考案者はアムースコ村長だ。
普通の調味料よりも味の癖は強いが、数年間は常温で保存できる携帯食料に最適化されている。
漁が主産業であるユウバナ村にとっては、大事な特産品の一つだ。
グツグツと煮える音と共に、小屋の中に食欲をそそる香りが充満し始めた頃、一仕事を終えた男性陣が戻ってきた。
「おお~、いい匂いだな。 干し肉を出すか」
「ふう、薪はこのくらいで良いよな、兄さん」
「ああ、大丈夫だ……ってか、腕を抑えてどうした」
「三つ牛の世話の後だと腕がパンパンだよ」
「あははは、筋肉痛か。 でも実際、かなりセンスが良いぜカスカルは。 どうだ、成人の儀を終えて戻ってきたら、マジで牧夫を目指してみないか?」
お世辞でも、そんな風に言われると悪い気はしないカスカル。
苦笑いしながら肩を回すカスカルだが、その表情はどこか晴れやかだ。
自分たちが割った薪が、次の誰かを温める。その実感が、労働の疲れを心地よいものに変えているようだった。
質素ながらも温かい食事と会話が、小屋の中に満ちていく。
そんな穏やかな時を過ごしていると、天井からドスッ、ガサゴソと何かが降り立った音が響いた。
「グアァッ!」
鋭く、けれどどこか甘えたような鳴き声。
「あ、ドラだ」
トルテはスプーンを置いて、窓から顔を覗かせた。
月明かりの下、小屋の屋根の縁で、ドラが満足そうに羽繕いをしているのが見えた。
どうやら彼も自分の狩りを終えて、トルテの元に戻ってきたらしい。
放し飼いにしていても遠くに行かず、かといって近すぎず空を通じて見守ってくれている様にドラは追随してきている。
この調子であれば、離れ離れになってまで別れる必要は無かったのかもしれない。
「おかえり、ドラ」
窓越しに声をかけると、ドラはクルルと喉を鳴らして応えた。
トルテが安心して席に戻ると、クラウスが地図を広げながら、ふと思い出したように口を開いた。
「庭先街道の由来、知らないよな」
「え、うん。 なんで庭先街道って名前がついたの?」
ハムっとリオリールが干し肉を齧りながら首を傾げる。 可愛らしい仕草に優しく微笑んで、クラウスはつづけた。
「7年前までは、ガーデン村っていうのがあったんだ。 ちょうど俺が今のお前らと同じように成人の儀に挑んでた頃だな」
「ガーデン村……」
「そういえば、子供の頃に聞いたようなことがある気がする」
「ああ、ここの登山道をずっと南にいった所にな。 実際、ここからオワンバシ街までかなりの距離がある。 三つ牛でもぶっ通しで歩き続けても3日間くらいはかかるんだ」
3日間。
それもあの大きな三つ牛で。
のっそりした動きが目立つ三つ牛でも、その歩行速度は人間よりもよっぽど早い。
さらに坂道や崖などの地形も無視できるのに、真っすぐ歩き続けても三日間もかかるとなれば、人間の足では1週間ほどの期間が掛かる事だろう。
「オワンバシ街に行く前、休息地として活躍していたのがガーデン村だったんだ。 庭先街道を行きかう旅人や、商人が羽を休めるのに丁度いい中継地だったんだな」
「でも、無くなっちゃったんだよね? どうして?」
「モンスターに襲われたとか?」
「いや……」
クラウスはスープの残りを飲み干し、ふぅと息を吐いてから静かに告げた。
「ただの休息地だったからさ」
「え?」
「主産業と呼べるものもなければ、これといった特産品もない。 アサユウ街道が整備されて人が減れば、それだけで村は立ち行かなくなったんだ」
「そ、それだけ?」
「ああ、それだけだ。 金が回らなきゃ人は食っていけないからな」
魔物に滅ぼされたわけでも、災害にあったわけでもない。
ただ必要とされなくなって、静かに消えていっただけ。
それは、リオリールにとって魔物の脅威よりもどこか現実的で、少し寂しい理由だった。
「村が一つ消えるって、そんなにあっさりしたものなんですか……」
カスカルが眉を落としてそう言った。
「厳しいようだが、それが現実だった。 庭先街道に残っているのは今はこうして、俺たちが使ってるような山小屋が転々と残ってるだけだ」
ユウバナ村も、一歩間違えればそうなっていたかもしれない。
借金を抱え、特産品を模索し、必死に復興しようとしている故郷の姿が重なる。
リオリールは少しだけ真剣な顔つきで地図を見つめた。
「まぁ、ガーデン村の人々だって、指を咥えてただけじゃないけどな」
「……?」
「つまり、休息地としてのガーデン村が消えちまったのは事実だが、真相は消えただけじゃないってことだ」
地図に置いた指を、クラウスはスススっと動かして、カンカン山を指す。
「ここだ。 山頂付近のここに、村は──『移設』──されたのさ」
指が差したのは、大まかな地図ではあるものの、間違いなく山頂であった。
街道沿いという人通りがある場所を捨てて、険しい山の頂上に村が移設した。
あまりに予想外な言葉に、リオリールは目を丸くする。
トルテが呟いた。
「非効率的じゃない?」
「ああ、本当にな。 だが、それだけの価値があった。 ここの山頂には、良質でとんでもない規模の鉱脈が眠っていたからだ」
「鉱脈って……まさか、それだけで?」
「それだけなもんか」
カスカルの声に、クラウスは強い語気で否定した。
ここの鉱石はタータラベ街でも高価格で取引されている。
調度品や武器防具、生活雑貨に至る迄、あらゆる鉱物を使う中で最優先で割り振られるほどの最高級品。 しかも連なる山頂全体にその傾向がみられ、測れないほど広大な鉱脈が広がっている。
夏場に庭先街道を通る理由の大半が、村への鉱石の取引なのだから、復興を決定づけた勇気ある決断に違いなかった。
「名前をミミガーデン村と変えて、今も立派に運営されてるんだ」
「ミミ……」
「かわいい名前だね」
随分と可愛らしい名前に変わっている。
だが、麓の休息地から、鉱山資源を持つ村へ。
産業が無くて消える運命だった村が、自らの手で特産品を掴み取り、生き残る道を選んだのだ。
その事実は、ユウバナ村の復興を目指すリオリールたちの心に強く響いていた。
「すごいな……生き残る為に、村ごと山に登ったなんて」
「あはは、だよな。 でだ、その村に入るのには一つだけ絶対に守らなきゃならない掟があるんだ」
クラウスは急に真剣な表情になり、声を潜めた。 雰囲気にのまれてゴクリ、とリオリールたちは唾を飲む。
どんな厳しい戒律があるのか。
緊張が走る中、クラウスは腰元の荷物袋から取り出したものを被って見せた。
「これだぜ」
帽子の様にかぶったそれは、毛並みのついた耳のあるカチューシャである。
狼の耳のように、ピーンと立った立派な飾りがついていた。
「く、クラウス兄さん?」
「何をしてるの?」
リオリールの動揺と、トルテの冷静なツッコミ。
クラウスは恥ずかしげもなく続けた。
「けもの耳の着用が、ミミガーデン村への入村の条件なんだよ」
「なんでそんな掟が……?」
「ミミガーデン村がケモノと共存しているからだ」
クラウスの説明によると、山に住む「ケモノ」たちは人間を怖がる習性があるらしい。 だが、自分たちと同じような耳をつけていれば仲間だと認識して安心する。
共生を選んだ村人たちが、ケモノたちに配慮して定めた絶対のルール。
それがこのケモミミの着用義務なのだ。
真面目に説明してくれているクラウスには悪いのだが、リオリールはぶはっと息を吐くような笑い声をあげてしまう。
確かにワイルドな雰囲気があるクラウスが、可愛らしい獣耳をつけながら真面目な顔をしているのは違和感があった。
カスカルも思わず顔を逸らして、肩を揺らす。
「たっく、笑うんじゃねぇよ。 真面目な話なんだぞ」
「ご、ごめんなさい」
「まぁいいぜ。 重要なのは、ミミガーデン村を経由するか、このまま真っすぐ庭先街道を抜けるかっていうルートの話だ」
これは案内人であるクラウスの問いかけだった。
自分たちが選んだ場所に行く、とハッキリと顔で示している。
「先に言っておくが、ミミガーデン村までの道は本当に険しい。 説明しといてすまないが、生半可な気持ちなら止めたほうがいいな」
クラウスは真面目な顔でそう付け加えた。
だが、消滅の危機を乗り越えた村……そして異種族『ケモノ』との共生。
すごく見てみたい村だと、リオリールは思った。
それに、昔の話とはいえ、ユウバナ村と確かな共通点があるのだ。 村の復興を目指している。 役に立てるなら、成人の儀の旅の中でも役に立ちたい。
「俺は行ってみたい。 ミミガーデン村……7年前の話を聞いてみたいって思った」
「うん、確かに……ユウバナ村の復興について、何か新しいことが学べるかも」
カスカルとリオリールの声。 トルテはそんな二人とは違い、指を当てて黙考している。
「トルテは嫌か?」
カスカルの問いかけに、ハッと今気づいたように顔を上げて、首を振った。
「ごめん、ミミガーデン村に行くのは良いよ。 ただちょっと……」
トルテはクラウスを見つめる。 いや、その上に乗っかっているケモミミの方に視線が集中していた。
「ねえ、リオ。 ケモミミの用意、錬金術でやってみない?」
「え?」
「ほら、アカデミー入学試験の課題に装飾品を創る問題があったでしょ?」
ポン、と手と拳を合わせてリオリールは大きく頷いた。
「トルテちゃん天才! 練習にもなるし、やろうよ!」
「よし、決まりだ。 クラウス兄さん、ミミガーデン村へ俺達は行きます」
「……」
しばし目を瞑っていたクラウスが、何かに納得するように、ゆっくりと頷いた。
「わかった。 カンカン山を登るぞ」
「はい!」
子供たちの元気な声が山小屋に響いて、屋根で丸まっていたドラがグアァと暢気に鳴いていた。
就寝前の静かな時間。
リオリールたちは、テーブルに置かれた分厚い台帳を開いた。
「名前、書かなきゃね」
備え付けのペンを取り、インクを浸す。
『リオリール・フェルエクス』
『トルテ』
『カスカル・フェルエクス』
三人の名前を並べて記すと、なんだか急に旅をしているという実感が湧いてきた。
文字として残すことで、自分たちがここを通ったという証になったからかも知れない。
トルテは、インクが乾くのを待ちながら、パラパラと過去のページを遡ってみた。
イモールの名前があり、アムースコ村長やクラウスの名前もある。
行商人たちの走り書きや、吹雪をやり過ごした感謝の言葉。
そして──
『レッド』
「……」
トルテはまじまじとその短く記載された名前を見つめてしまった。
これはおとーさんだろうか。 殆ど字を書くところを見ていないので、筆跡からは判断できない。 日付もないから何時に使用したのかもわからなかった。
じっと見たまま動かなかったからだろう。
リオリールから、トルテちゃん? という小さな声がベッドの方から聞こえてくる。
「なんでもない、大丈夫」
トルテはそう言って、台帳をそっと閉じた。
別に珍しくもなんともない名前ではある。 もしかしたら全然知らない別人の可能性の方が高いのかもしれない。
ただ、父の歩んだ足跡をなぞっているのかもしれないという考えが、トルテの胸を暖かく満たしていた。
パチパチと薪が爆ぜる音を聞きながら、トルテは毛布にくるまった。
明日も早い。
三つ牛とクラウスという心強い案内人が居るとはいえ、ここからは未知の旅路になる。
「寝ようか、リオ」
「うん、おやすみ、トルテちゃん」
山小屋の夜はこうして優しく更けていった。