リオリールとトルテのアトリエ~三つ大島の錬金術士~ 作:ジャミゴンズ
翌朝、早朝。
東の空がカンカン山脈の隙間から差し込んできて、木々が朝露に濡れ輝きだす。
三つ牛の鞍はすでに被せられ、サンの調整をしているクラウスにカスカルが歩み寄った。
「クラウス兄さん。 おはよう」
「おはよーさん。 で、どうなった?」
「ボオォー」
クラウスは手を止めず、皮と金属のジョイントを繋ぎ合わせ、締め具合を確認しながら気さくに尋ねた。
それなりに気負って声をかけたが何の気負いも無いクラウスの受け答えに、カスカルは肩の力が抜けるようだった。
「えっと……三つ牛を借ります」
「そうか、分かった」
まだ少し眠そうなリオリールとトルテが、山小屋前でカスカルたちのやりとりを見守っている。
「お前が乗り慣れているクウでいいな?」
「はい、よろしくお願いします」
「んじゃ、出発前にレクチャーだ。 リオ、トルテ。 お前らも聞いておけ」
懐から用意していた『三つ牛の管理』について記載された羊皮紙を手渡しながら、注意点を学ぶことになった。
リオリールはクラウスの口頭の注意を聴きながら、羊皮紙に目線を落とす。
強調して書かれいる箇所に、目を丸くして尋ねた。
「ねぇ、この放屁って、おならだよね?」
「ああ、何度か言ってると思うが、本当に危険だ。 だから、良く読んでおくように」
細かく書かれていて、リオリールはとても一度で覚えられそうに無かった。
それでも、時間がかかっても、ちゃんと覚えようと心に刻む。
三つ牛を借りるということは、動物の命を預かること。
昨日の話し合いで気付いた事実は、ちゃんとリオリールは覚えていた。
「カスカルには一度教えたことが殆どだが、忘れた時はその紙を見て思い出してくれ」
「わかりました」
「クラウス兄さん、何から何までありがとう。 クウの事、大事にお世話するね」
「ああ……クウは6年目だ。 お前たちの旅が最後の旅になると思う」
クウはメスの為、7年目の途中まで子供たちの成人の儀の旅に付き合えば……後は8年目の寿命まで、牧場でゆっくりと余生を過ごすことになる。
頭を撫で、耳の後ろを掻いてあげながら、クラウスはしばしクウとの別れを惜しんだ。
「頑張って来いよ……」
「ボオォー」
「……よろしくな、クウ」
気持ちよさそうに鳴くクウに、カスカルも近づいてクラウスとは反対側の頬を一つ撫でた。
気持ちを切り替えたように、クラウスはリオリールに向き直る。
「リオちゃん、これを渡しておくよ」
「ん? これは、笛?」
「ピーピー笛っていうんだ。 三つ牛を借りる人に渡すやつで、吹くと必ず三つ牛が勝手に寄ってきてくれる。 緊急時とかに使うといいぜ」
「そうなんだ! 賢いねぇ」
「はは、そうさ。 三つ牛は最高なんだ。 成人の儀の旅が終わったら、一緒に、その、まぁ、あれだ……つまりだな」
「うん、絶対遊びに行くね!」
「お、おう……遊びに来てくれ!」
そう言ったクラウスはなんだか顔が真っ赤だったが、サンに颯爽と乗り込んで手綱を握ると、振り返って手を挙げた。
「じゃあな! また会おうぜ!」
「ここまでの案内、ありがとうございました!」
「兄さん、またねーーー!」
「大人になったら会いに行く」
「ああ、楽しみだ!」
三者三様に言葉を紡ぎ、クラウスの背が遠ざかるのを見届ける。
「ボォー!」
三つ牛の鳴き声にカスカルは妹たちの顔を見回して。
「荷物を載せて、小屋の掃除を終えたら出発だ。 いいな」
「うん、行こう!」
「この先はオーエン牧場ってところがあるみたい」
トルテは地図を片手にそっと指でなぞって次の目的地を指し示す。
オーエン牧場はボーク牧場と同じ様に、三つ牛の飼育をしているらしいのだ。
ただ、クラウスが言うにはオーエン牧場には寄らずにオワンバシ街を真っすぐ目指すように言われている。
「ライバル牧場だから、近寄るなってことなのかな?」
「えー、そうかなぁ?」
トルテの疑問に、リオリールは何とも言えない顔をした。
クラウスの性格を考えると、そんなみみっちい事を考えている様には思えないのだが……
そんな風に話していると、カスカルが教えてくれた。
「いや、昨日の夜に聞いたんだけど、喧嘩を避ける為らしい」
なんでも、三つ牛にもナワバリ意識というものがあり、ボーク牧場の三つ牛がオーエン牧場の三つ牛と出会うと、険悪になってしまうのだという。
これはどちらの牧場も後から知ったことのようで、一度三つ牛の大暴走が始まって第三次になったことがあるという話だった。
「生き物って、やっぱり難しいんだね」
リオリールの言葉で締め括られ、旅の準備を終えるとクウに乗り込んでオーエン牧場を目指すことになったのである。
三つ牛の蹄が地面を叩く音が、静まり返った朝の森に心地よく響く。 御者席に座るカスカルが手綱を操り、クウは軽快な足取りで坂道を下り始めた。
『ふた顎なだら坂』
名前の通り険しい崖などはなく、なだらかな下り坂がどこまでも続いている。
しかし、この場所はとても普通の道ではない。
「うわぁ、近くで見ると本当に飲み込まれそうだよ」
リオリールが見上げた先。
西側の山肌に、とてつもない大きさの影が落ちていた。
体高二百メートル以上、開かれた顎だけでも五十メートルはあるという、超巨大なトカゲのような化石。
その全身は深い緑に覆われツタが這って森の一部と同化している。
「こんな大きな獣が居たなんて、信じられないな……」
「だけど、存在してる。 圧倒されるね……」
カスカルの声に、トルテが追随する。
悠久の歴史を感じさせる巨獣の脇を、リオリールたちが抜けていく。
長い長い下り坂を、何ともない顔で踏破するクウの上で巨獣を見上げる妹達に、カスカルは借りて正解だったな、と思う。
クウの足元はかなり泥にまみれていて、地面の状態が悪路であることがハッキリと分かった。
下手をしなくてもリオリールは数回は転ぶだろう。
泣いて喚く顔が想像できる。
しばらく坂を下っていくと、周囲の空気が少しずつ変わっていくのを肌で感じた。
カンカン山脈を越えた南側。
北側のボーク牧場周辺とは違い、どこか湿った空気を含む風が吹き始めている。
「あ、開けてきたな」
「ほんとだ! わあ! 大きな草原だね!」
「遠くに柵が見えるよ。 牧場かな?」
カスカルの声に、リオリールとトルテは前方を見る。 眼下に広がっていたのは、緑豊かな大パノラマだった。 なだらかな丘陵地帯に、整備された牧草地と農地が広がっている。
規模こそボーク牧場よりは小さいのだろうが、カンカン山を隔てた南側の食料と移動を支え、三つ牛を飼育するもう一つの『みつ島』の南部の生活圏……オーエン牧場である。
「グアアァ!」
開けた平原に来たからか、ドラが大声を上げながらトルテの下に飛んでくる。
「ドラ」
トルテは平行して滑空するドラを見て、良い子良い子と頷いた。
リオリールはちょっとだけ顔を顰めて突っ込んだ。
「ねぇトルテちゃん。 ドラ、口にウォルフを咥えてるけど……あれ死んでない?」
「逞しくて良いと思う」
「うん……そうだね」
ちらりとリオリールはクウを見て、動物の世界は弱肉強食だなぁとまた一つ社会を学んでしまった。
のどかな風景にバイオレンスな景色が混ざってしまったが、平和そのものに見えるその場所に、カスカルはクラウスの警告を思い出していた。
オーエン牧場は寄らずにオワンバシ街にまっすぐ行け、と。
「ゆっくりしたいけど、クウのことがあるからな。 寄り道はしない。 いいよな」
「うん!」
「素材は一杯拾ってあるから大丈夫」
リオリールとトルテの同意を得て、草原と農地を抜けていく。
牧柵に沿った道を抜けて、心地の良い風を浴びながら、いくつか風車のような物が見えてくる。 オーエン牧場の牧柵の中では三つ牛がのんびりと草を食んでいるところが見られた。
他にも羊や牧羊犬と共に牧夫の人達が大きな藁を運んでいるのが遠目に見える。
ボーク牧場に劣らない、立派な場所だった。 ここがみつ島の南部の酪農を支えているのだろう。
そんな時だった、トルテの視界にあり得ない物が見えてしまったのは。
ドンケルハイト。
クウの背の上で、道端の横に当たり前のように生えていて目を疑う。
二度、三度と振り向いて追っていくと、間違いないように思えた。
古址街道の遺跡の花園で見つけた時も驚いたが、牧場のあぜ道にひっそりと生えているなんて信じられない。 トルテは興奮した面持ちでカスカルへと声を上げた。
「止めて!」
「なっ、なんだ、いきなり?」
「トルテちゃん!?」
鬼気迫るような鋭い声に、反射的にクウを停止させてしまったカスカル。
止める暇もなくトルテは三つ牛から飛び降りて、少し離れたドンケルハイトの場所まで走っていく。
「待ってよ、トルテちゃん! どうしたの!?」
リオリールも慌ててトルテを追いかけ、その背に大声で問いかける。
「素材! ドンケルハイト! 前に話した、エリキシル!」
「あの錬金バカたち……!」
トルテがしゃがみ込み、震える指先でその花に触れる。
間違いない、やっぱりドンケルハイトだ。
品質も最悪だし、効力も殆ど消えているが、確かに伝説の花だった。
「これは……使えるかどうか……」
「えっ、ダメなの?」
「うん。 牛に踏まれたか、食べられた跡がある。 花弁も半分しかないし、これじゃ錬金術の材料としてはギリギリ……でも凄い、こんな場所にドンケルハイトがあるなんて」
トルテは残念そうに肩を落とすが、その瞳の奥には確かな興奮が宿っていた。
ボロボロで半分欠けていようとも、これは伝説とも一年に一度しか採取できないとも言われる幻の花、ドンケルハイトなのだ。
三つ大島は天然の素材の宝庫。
分かっていても錬金術を学んでいるトルテにとって、夢のような環境であることをもう一度突きつけられた格好だ。
だが。
「でも、ここに生えているってことは……ねぇトルテちゃん!」
「そう。 環境が合ってる。 来年のこの時期に来れば、万全の状態のドンケルハイトが採取できる……かも」
「すごーい! エリキシル剤って万病に効く薬なんだよね!?」
「うん。 すごい発見だよ、これは」
リオリールは胸を躍らせた。
今はゴミ同然でも場所さえ覚えておけば、一年後には宝の山になるかもしれない。
錬金術において万病の薬と言われる伝説の花を初めて見て、とにかくすごい事なんだとリオリールは本気で喜んだ。
未来へのワクワクする気持ちが膨らみ、二人が顔を見合わせてニヘラと笑ったその時だった。
「馬っっ鹿やろうっ!」
追いついてきたカスカルが丸めたゼッテル用紙をスイングし、リオリールとトルテの頭を交互にフルスイングで引っぱたいた。
「あいたぁー!」
「カスカル……痛い」
「急に飛び降りるな! 危ないだろ! クウだって――あっ!」
説教をしようとしたカスカルだったが、周囲の異様な空気に気が付き、言葉を止めた。 リオリールとトルテも、兄の視線を追って青ざめる。
大声を出して騒いだせいだろう。
牧柵の向こう側、オーエン牧場にいた数頭の三つ牛たちがズラリと顔を向けていた。
それも騒いでいたカスカルやリオリールではなく、三つ牛のクウの方にだ。
ボォォ……! ボオオォォ……! と。
明らかに敵意のある低い唸り声を上げ始めていたのである。
ナワバリを荒らされたと感じたのか、オーエン牧場の牛たちが興奮し、今にも柵を突き破らんばかりに鼻息を荒くしている。
その殺気立った圧力は、たった一頭で敵地に乗り込んでしまったクウに集中していた。
リオリールやトルテ、カスカルは牛たちの放つ怒りのオーラに気圧された。
自分たちが標的でないにも関わらず、怒らせた牛たちを刺激したら殺されるのではないかと思えるほどの圧力だ。
「ボ、ボオオオオ……!」
クウが押し返すように後ろ脚を屈めて怒りを見せる。
「や、やばい! 止めないと大変なことになる!」
カスカルが恐怖を振り払って走りだし、クウを止めようと手を伸ばそうとした時だった。
極限のストレスと圧力に晒されたクウの臀部周辺の空間が、グニャリと歪んだ。
ボッ!!!
爆発音……いや、空気の破裂音だ。
空間が撓み、発せられた空気の砲弾と言える。
直下の土が捲り上げられ泥飛沫をあげ、近くの葉が空中に吹き飛びバチッバチッ、と中空で千切れる。
クウのお尻から放たれたのは、マニュアルに『地獄』と記されたほどの禁断のガス――特大の放屁だった。
「――っッ!??」
最も不幸だったのは、クウをなだめようと真後ろに回り込んでいたカスカルだ。
放屁の衝撃波をゼロ距離で全身に浴びた彼は物理的に身体が浮き上がり、水平に吹き飛ばされて数十メートル先の牧柵へと激突した。
「お兄ちゃん!? うぐぅ、な、にこれ、ぇ……!」
吹き飛ばされた兄を見てリオリールが叫んだ直後、『地獄』が彼女を襲った。
目が潰れた(潰れていない)
喉が焼けただれた(焼けていない)
肺がドロドロに詰まった(詰まっていない)
あまりの刺激臭に、リオリールは白目を剥いてその場に崩れ落ちる。
隣のトルテも無事ではなかった。
呼吸をするたびに脳天が弾け飛び(弾けていない)
必死に両手を振って匂いを払おうとするも、吸い込んだ空気が胃液の奥底を焦がしていく(焦げていない)
「グアアアア!!」
主人の危機を感じ取ったドラが大空から滑空し、颯爽と救援に――来た瞬間にガスの層に突入し、断末魔のような叫び声を上げて即座に反転。
そのまま二度とこの場所には戻らないという勢いで大空の彼方へと飛び去っていく。
野生の勘は鋭かった。
バタリ、とリオリールとトルテが気絶するように草むらへ倒れ込む。
牧柵に叩きつけられたカスカルはなんとか立ち上がろうと力を籠める。
霞む視界の中で妹たちが沈黙する姿を最後に見て……ヒュゥ、ヒュゥと痙攣する肺でうっかり空気を吸い込み……
「グハッ!!」
と特大の嗚咽を漏らし、地面に膝をついたまま突っ伏した。
リオリールたちは、全滅した。
「ああ、ここに居ましたか。 探しましたよ」
「……操り人形か」
「ふふ、自己紹介ですか?」
「黙れ」
怪人一号が入った店は、岩場が滝の傘を作り、大木が岩にめり込んだ村の小さな飲食店だ。 探していた人間を見つけ、当然のように対面に座り同席した。
探し人はキノコとほうれん草のソテーと、麦蕎麦のような食事をしていた錬金術士レッド—―グリード・エングルード・リード—―その人である。
「何の用だ」
「ボクは貴方の弟子ですよ、錬金術士レッド。 怪人一号はやめてください」
「ち、そうだったな」
食事の手を止め、リードは口元をナプキンで拭った。
その所作はとても洗練されていて、まるで社交界の食事の席でのマナーのように紳士的だ。 怪人一号は目を少しだけ細め、彼の暗く絶望に染まっている黄色の目を覗く。
「探していたのなら、用があるんだろう。 とっとと言え。 そして消えろ」
「はは……弟子に冷たいな」
「おい、そのおどけた調子を止めたらどうだ。 殺されたいのか」
「やめてくださいよ、殺しても無駄なのは分かっているんでしょう。 お互いに」
互いに信頼も信用もない。 同じ悪魔の手先であり、操り人形でしかない。 共通点はそれだけだが、リードと怪人一号には明確な違いがあった。
怪人一号は創造主の命令に絶対であり、創造主を決して裏切らないこと。
つまり、裏切ることが己の意思で可能かどうかというのが、絶対的な両者の違いなのである。
お互いに見つめ合い、先に折れたのは怪人一号だった。
話が進まない。
「……良いですか、ボクたちはリオリール、トルテを監視し、保護することが同じ目的です」
「戻ったらどうだ? ここには居ないぞ」
「……オーエン牧場に入ろうと、安全地帯まで行ったところまで見届けましたよ。 まぁ、大丈夫でしょう」
「……それで?」
「少しだけ、悪魔怪人レッドマンにお願いして貴方の経歴を見ました」
バキッ、っと音がなってテーブルが砕けた。
喧噪の中で店内に響いたその大きな音は、周囲の目を引き付けるのに十分だった。
店員の一人が近づいてくる最中、レッドは右手のガントレットを少しだけ動かす。
「お、お客様、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。 別に壊れていない」
「え……あ、本当だ。 木片が飛んでたような気がしましたが……無事で良かったです」
「騒がせたな。 手がテーブルに当たっただけだ」
「ええ、お食事をお楽しみください。 相席の方は、ご注文はどうですか? 大きくて美味しいキノコが、今朝にわんさか入荷されたんですよ」
「そうですね、それではこのバターキノコの焼きパイを」
「はい! ありがとうございます!」
そそくさと注文を取って通り抜ける店員を見送って、レッドは言った。
「それを知ってどうする」
「重要なことです、貴方に警告する為にはね」
「警告? くくく、これはとんだ弟子がいたもんだ」
皮肉を流して、イッチは錬金術士レッドを無視して口を開いた。
第67期アカデミー入学試験、当時最年少記録の16歳で試験を突破・合格。
翌年17歳。 入学から数々の資格と未発見レシピ、その実践を成し遂げて国家公認錬金術士にもなっていた。
その後、『旧式』錬金術と『新式』錬金術のマイスター資格を取得するまでに至る。
だが31歳の時、グリード・エングルード・リードは、アカデミーから追放処分を受けた。
「理由は禁制品の使用。 毒物の混入未遂。 天才エリートの転落ですね」
「……」
自身の経歴をつらつらと話され、リードは仮面の奥で当時の記憶がフラッシュバックしていた。 焼き付いた過去だ。 誰もが触れる事を許さなかった過去。
赤く焼き焦げた家屋と悲鳴。
美しい黒い髪をした倒れ伏した女。
朽ち果てた騎士の紋章と爆発音。
騒ぐ群衆の喧騒。
髭面のクソ爺。
「しかし――ッ」
「次に、口を開いてみろ。 絞め殺してやる」
瞬間、イッチは見えない鎖に首を絞められていた。
何もそこには存在してないように見えるのに、首筋にクッキリと跡が残る程の鎖の後が刻み込まれる。
「……ぐ……ぅ」
「何が言いたい」
シュルシュルという音だけが静かに鳴って、首の締まりが緩んだイッチは胸襟を冷静にただした。
冷たく、重いため息を吐くと注文の品がテーブルに届く。
受け取って、一口食べてから、イッチは咀嚼しながら言った。
「あなたは錬金術士として天才なんでしょう。 まぎれもなく。 だから、判らないんですよ……」
「何の話だ?」
「リオリールとトルテの話に決まっているでしょう。 最初からボクたちはそれだけの関係だと言ったのは、貴方ですよね」
「……」
「カンカン山の道具です。 あれはやり過ぎだ」
その話か、と錬金術士レッドは得心がいった。
リオリール・フェルエクス。
悪魔怪人レッドマンが、注視して警戒している錬金術士。
何か度肝を抜くような天賦の才があるのかと思いきや、その解決法はあまりにへっぽこだった。
平凡すぎて逆にどこを評価すべきか、分からなくなるくらいに。
リードからすれば、期待外れも甚だしい。
「レッドマンが熱視線を送る相手だ。 出来て当然だと思うのは仕方ないだろう」
「だから、それが貴方の悪い所だと言ってるんです。 リオリールは独学で錬金術士の居ない世界で育った子ですよ。 大陸の環境とは違う」
「……レッドマンの命令は、リオリール・フェルエクスへ試練を与えることだ……」
「程度の問題です。 次に仕掛けるならもう少し難易度を下げるべきだ……それがボクの警告です」
怪人一号からすれば、リオリールやトルテが導き出した道具で正解だと思っていた。
時間を取って探し出して正解だった。 リードはやはり経歴に違わない天才なのだろう。
未来はともかく、今のリオリールは成人の儀の旅をしている段階。
『リオリールのアトリエ』では錬金溶液にすら辿り着いていないひよっこなのである。
レッドマンの策謀で、或いはトルテという本来は存在しない錬金術士のおかげで成長は早くなったと思うが、それでもアカデミー入学試験に挑戦しようとしている未熟な卵なのだ。
食事を終えたレッドは、両手を上げてため息を吐いた。
「ふん、仕方ない。 考慮しよう」
「それは良かった。 ちゃんと考えて――」
「すまんがレッドマンの命令でな。 食い逃げすることになる」
言うが早いか。
レッドはガントレットを鳴らしてスゥゥ、とその姿を掻き消した。
「え?」
イッチは取り残された。
消えた。
今、対面に座っていた男が食事を終えて、話も終わって、スゥっと消えた。
「レッド?」
反応はない。
テーブルの上には綺麗に平らげた皿と……小さな道具の破片のみ。
その破片にはイッチは見覚えがあった。
『リオリールのアトリエ』にも登場した、高速移動用の『トラベルゲート』という道具だ。
困った。 何が困ったって、サバイバルから帰還後すぐに探しまわっていた為、コールを所持していないことだ。
手元には半分に減ったバターキノコの焼きパイ。
「……」
後日……軒先村峠村で食い逃げ犯として指名手配された錬金術士レッドと、怪人一号の手配書が、三つ大島に広がることになったのである。