リオリールとトルテのアトリエ~三つ大島の錬金術士~ 作:ジャミゴンズ
バシャアアアっと何かの液体が全身を打つ感覚と共に、リオリールは飛び起きた。
「きゃあああっ、な、なになに!?」
恐ろしく冷たい何かが、地面を濡らしている。いや、地面だけではない。
全身の震えから丸まって自分自身を抱えるように縮こまる。一糸も纏っておらず、リオリールは自分がすっ裸である事に気付いた。
混乱の覚醒の中、同じ様に生まれたままの姿で全身を濡らしているトルテが寝転んでいるのに気付く。
と同時に上空からまた水が降って来た。
バシャアアア……!
「ひいぃ! 冷たいよぉー!」
「うぅ……さ、さむ……」
今の降って来た大量の水でトルテも目を覚ましたようだ。
リオリールはこの冷たい水が降ってくる場所から逃れようと周囲を見回すが、そこは石造りで深い底と天井がある、まるで井戸の底のような部屋だった。
水が降ってくるのは天井近くの壁にある隙間からだ。
唯一ついている出入り口になりそうなドアは2メートルくらい上の壁についており、ジャンプしてもドアノブにすら届きそうにない。
足首にまで到達している水の音が、リオリールが周囲を見回している間にもパシャパシャと音を立てる。
「リオ、これ、なに……?」
「わかんない! すみませぇぇん! こ、ここは何処ですかー!?」
リオリールは大声を出した。 帰って来たのは無情にも天井近くの隙間から差し込まれた、バケツを持った誰かの手。
「起きたかい? いいから我慢しな!」
上から女性の大きな声が響いたかと思うと、新たな水が慈悲なく降り注いでくる。
頭から冷水を浴びて、リオリールとトルテは抱き合うようにして震えた。
天井近くの隙間から顔を覗かせたのは、日に焼けた肌と束ねた髪が逞しい妙齢の女性。
「冷たいだろうが、匂いを消すにはコイツをやるしかないんでね。 寒中水泳に挑んだつもりで暫くの我慢だ。 いいね!」
「が、我慢って! そ、そういえばスゴイ臭い……!」
「私たち、確か三つ牛――あ、おならで……」
リオリールとトルテは、ようやく思い出した。
クウの放屁で吹っ飛ばされたカスカルを追ったら、地獄という比喩すら生温い臭気に晒されほとんど何も出来ずに気を失った事を。
バシャアアア、っと立て続けに振り落ちてくる冷水は、独特の強力な匂いをまき散らしながら、すっ裸のリオリールとトルテの前進を濡らすように無慈悲に降り注いでくる。
「ひゃあああ!」
「いちいち叫ばない!」
「た、助けてくれてありがとうごじゃいますぅ! でも、冷たすぎて!」
「だーから我慢しなって言ってんだろ! 普通の水じゃあの三つ牛の屁の臭いは落ちないんだよ!」
「せ、せめてお湯にしてくれませんかぁーーー!」
「さ、さむい……つめたい……」
「薪代が勿体ない。 払うなら考えるよ」
女性はそう言って冷水を落とした。
「お、お金!? えっと、せめてもうちょっと優し……」
「甘えんじゃないよ! 耳の裏! 股の間! 脇の下! 胸の下! ちゃんと洗いな!」
「ひええぇぇ!」
「リオ、こっち! 隅っこなら当たらないかも」
せめて少しでも冷水を浴びない場所へとトルテは端の方に移動するが、途中で足元を滑らしたのか、盛大に転んでしまう。 リオリールの背中をバチンと叩き、冷えた肌に張りてをされたリオリールは大声で叫んだ。
「きゃあああ! 痛いぃぃ!」
「ゲホッ、ケホっ……ご、ごめ、リオ」
顔面から水に突っ込んだトルテも起き上がって赤くなった鼻を抑えつつ、何とかリオリールに謝った瞬間に上空からまた水が降り注ぐ。
留まる事を知らなかった。
冬の寒空の下、石造りの冷え切った部屋に容赦ない冷水攻撃が続く。
自分たちを助けるためにやってくれている。それは分かった。
あのまま放置されていたら、社会的に抹殺されるほどの悪臭を放ち続けていただろう。 だが、それにしても寒い。
そして手荒い。
「あうぅ、冷たいよぉ!」
「た、助けて」
情けない悲鳴が石造りの部屋にこだまする。
リオリールとトルテは、たっぷり一時間もの間、オーエン牧場の一角で強制的洗浄の刑に処される事となったのである。
ようやく解放された時、女性から暖められた毛布とタオルを受け取る。
その柔らかな感触と温かさといったら。
リオリールは毛布に顔を埋めて、生まれて初めて暖かいという感情をこれほどまでに深く噛みしめた。トルテもまた、毛布にくるまりながら目元を緩ませている。
妙齢の女性がそんな二人の様子に苦笑をし、一つの扉を開けると暖炉がパチパチと焚かれている細長い部屋に案内された。
「アタシは牧夫のウィナード・マディー。 ま、災難だったね。 ここでしばらく温まりな」
短い自己紹介を終えて、マディーはすぐに踵を返してドアを閉めて行ってしまった。
リオリールとトルテは何も言わず、すぐさま暖炉の前にあるソファーに二人で寄り添うように身体を近づけて暖を取る。
しばらく二人は、ただただ暖炉の火をみつめながら、毛布の温もりに包まれて全身から力が抜けていくのを味わった。
ちょうど、このソファーに腰かけた暖炉の設置されている壁には、大きな窓もあった。
牧場が見渡せて、長閑な景色が見えている。
「わっ! あ、温かい……!」
「ほら、入れ。 ここで暖まっておけよ」
腰にだけ布を巻いた裸のカスカルが、男性の牧夫に促されて反対の扉から入ってきた。
「お兄ちゃん!」
「カスカル」
「お、お前ら……そうか」
何かに納得して、カスカルも毛布に包まって暖炉の前にそそくさと移動する。
自分と同じ様にすっ裸なのであろうリオリールとトルテから少し離れた席で、暖かいタオルを顔の頬に当てて、溜息のようなものを盛大に吐き出した。
視線を床に落とし、体の上から毛布をかぶって震える身体を温めて行く。
特に声を発すこともなく。 パチパチと暖炉の前でぼーっと過ごした。
そうして暫くすると、マディーと名乗った女性がスープとパンを載せたトレイを持って扉から姿を現した。
「さて、暖まっているかい? 盛大にやらかしたね、あの子はボーク牧場の子だろ?」
「う……すみません! 注意書きはちゃんと読んでいたんですが」
「あの、クウは無事なんでしょうか」
「ああ、急遽専用の厩舎を空けてね。 荷物も一部を除いて全部洗うようだから、洗濯もやってるよ」
と、その前に、とマディーは一度扉から出てすぐにバケツを持って戻ってきた。
「一つ知恵を教えると、匂いを消し去る方法の一つは水に浸した物をひたすら被ることなのさ。 花の名前はパルファンブーケ。 覚えておきなさいな」
嫌がらせでも何でもなく、地獄の匂いを消し去る為には必要なことだ。
パルファンブーケは芳香成分の塊のような花で、古来から匂い消しに使われてきた。 これは錬金術ではなく薬師の知恵であり、三つ牛の生態がまだ知られていない太古から伝わっている知恵なのである。
「何から何までありがとうございます、マディーさん」
カスカルが代表してそう言うと、まぁこれも仕事だからね。 とサバサバとマディーは肩を竦めた。
スープを口に含んだトルテが、芯まで冷え切った内臓すらも溶かすような温かく柔らかな口当たりに、ほぅ、と息を吐き出す。
「匂い消しの為に3日間は冷水に当たる必要がある。 明日もやるから覚悟を決めておくように」
「え」
「え」
「え」
まさかの継続。
あの地獄のような時間をまた行わなければならない、という事実に三人の子供が青褪める中、さらにマディーは容赦のない事実を突きつけた。
「最速で成人の儀の旅を続けるなら、まぁ完全な匂い消しを含めて4日ってとこだね……っと、こんなところだ」
マディーは小洒落たテーブルの上にある台帳へサラサラと淀みなく筆を走らせる。
チラリと子供たちを見れば、絶望的な顔を浮かべて思わず吹き出してしまう。
「ぷはっ! まったくそんな顔をするんじゃないよ。 三つ牛の屁をまともに食らうと匂いがぶり返して、また気絶する羽目になる。 苦しくても洗礼としてしっかり受け止めて冷水をかぶりな」
「お、お湯! お湯はないんですか!?」
「できるけど、パルファンブーケの数を増やすことになるんだ。 5000コールは上乗せしないと難しいんだよ」
「5000コール!?」
「お金とるの?」
「当たり前だ、バカタレ。 どれだけの騒ぎになったか、判って無いのかい? ボーク牧場のクラウスは何を教えたんだか」
トルテの声に一喝。
尊敬する兄の名前を出汁にされてカスカルがむっと口を結んでしまう。
リオリールとトルテは申し訳ない顔ですぐに頭を下げた。
だが、マディーの言葉は尤も過ぎた。
ぐうの音も出ない正論だ。
マディーはペンを置き、インクが乾いたのを確認してからその紙片をペラリと千切り取ってテーブルに滑らせた。
「請求書だ。 支払いはユウバナ村か、ここで支払うかだよ」
カスカルが震える手でその紙を受け取る。
リオリールとトルテも、兄の肩越しに恐る恐るその数字を覗き込んだ。
・パルファンブーケ代(12束分) 3,960コール
・三つ牛 管理費 1頭(餌代含・4日分) 2,800コール
・荷物の脱臭洗浄費 800コール
・宿泊・食費(3名×4日分) 3,600コール
・牧柵修繕費…… 900コール
・騒動鎮静代行費…… 2,000コール
合計請求額 14,060コール
「い、一万……」
「そ、そんな……」
「未来ある若者から、必要以上に毟り取る趣味はない。 成人の儀の旅を始めたばかりってのも分かってるけどね。 これは最低限だ」
三つ大島の大人たちにとって、成人の儀に挑む若者は応援すべき対象だ。
どこの誰であろうと、それは変わらない。
そして成人の儀の旅を送り出す『村や街』は道中に躓く15歳の若者の未熟さなど当然ながら知っているし理解もしているものである。
今回、三つ牛の屁という物で大きな失敗をリオリールたちはした。
同じ様に三つ大島全体で、成人の儀の旅でヘマをする同年代の子供たちは賠償責任を負う事をどこでも誰でもやらかしてしまう事は多い。
そうして出来た『金銭の請求先』
出身の村や町に請求できる場所があるのは、子供たちの失敗を出身先が請けることで大人になるという意味を学ぶための物なのだ。
トルテは一つ唇を噛んでマディーに振り向いた。
「あの、そのお金。 私が借金をしても良いですか」
元はと言えばドンケルハイトの発見にトルテが暴走したことが全ての引き金だ。
全員のお財布の中身を足しても、6000コールほどしか路銀は用意していない。
ユウバナ村に負債を押し付けるなんてことも出来るはずがない。
「だめだね。 一括で支払ってもらう理由もある。 あんたらの連れの牛がやらかしたせいで、うちの牛たちがパニックを起こして大捕り物になった」
興奮して柵を破ろうとする数十頭の三つ牛を抑え込む労力は、想像を絶するものがある。
今までの旅の中、三つ牛に沢山頼ってきたからカスカル達はその光景を想像して、暗いかを落とすことになった。
「総出でなだめるのにどれだけ苦労したか……牧夫たちへの手当ても含めて、こればかりは正規の値段を払ってもらう必要があるんだよ。 だから、決めな。 ユウバナ村か、自分達の財布から支払うか」
大人としては当然の目線である。
成人の儀の旅をする子供は『大人になる』為に中央島を目指すのだから。
「はい!」
リオリールが手を挙げた。
カスカルもトルテも、思わず彼女に視線が集中して。
「ユウバナ村の、アトリエに請求してください!」
「リオ! でも私が――」
反対しかけたトルテに対して、リオリールは真っすぐにその目を見つめて首を振った。
トルテが気圧されるようにして身を引き、カスカルへと視線を移すと彼も顎に手をやっていた手を下げて、頷いた。
「マディーさん。 支払いは妹が言ったように、ユウバナ村のアトリエにお願いします」
「分かった。 ユウバナ村のアトリエだね。 後で請求書を清書して、ユウバナ村の村長さんに届けるように手配をするよ」
マディーが部屋を出ていくと、パタンと閉まった扉を見つめていたトルテが、すぐに不満げな顔で二人に向き直った。
「どうして……? 私が全部悪い。 私が借金を背負えばいいだけなのに」
「ううん、違うよトルテちゃん」
リオリールは首を横に振り、トルテの手をギュッと握りしめた。
「お兄ちゃんと、トルテちゃんが居てくれるから、この旅ができているんだよ」
リオリールの心からの本心だ。
「三人で一緒に臨んでいるんだもん。 誰かの失敗は、みんなの失敗だよ。 だからトルテちゃん一人に背負わせたりなんか、できないと思ったの」
「……」
真っすぐなリオリールの言葉に、トルテは言葉を詰まらせた。
そんな二人の様子を見て、カスカルも腕を組んで頷く。
「俺は何でもかんでも連帯責任にするのは好きじゃない……けど、今回ばかりは、間違いなく全員の責任だ」
「うそだよ。 下手な慰めは……」
「嘘なんかじゃない。 あの時、ドンケルハイトを見つけて飛び降りたお前らを無視して、俺がクウを走らせていれば、あんな場所で停まることもなかった。 そうすればクウがあそこで問題を起こすことは無かった筈じゃないか?」
「う、それは……」
カスカルの指摘はもっともだった。
御者であるカスカルには、乗客の勝手な行動を制止し、安全な場所まで移動する判断権があった。 判断ミスは明確だ。
カスカルはクウを停止させ、妹達を追いかけるという選択をしてしまったのだ。
あの時は、全員が判断を誤って大人であるクラウスが強く言いつけた『オーエン牧場は通り抜けろ』という注意をすっぽかしてしまったのだ。
「だから、今回は全員の落ち度だ。 誰が悪いかじゃなくて、同じ失敗を繰り返さない事の方がよっぽど重要だと、俺は思う」
「……うん」
「そうだよね……」
リオリールとトルテが小さく頷くのを見て、カスカルは頭を掻いて苦笑した。
妹が『ユウバナ村のアトリエ』を請求先にしたのは良い機転だったからだ。 むしろカスカルがハッと気づいたくらいである。
多分、無自覚だったのだろうが請求先アトリエなのは自分たちの借金が増えるだけのことだ。 いや、借金が増えたのは喜ばしくないが、復興のために頑張っているユウバナ村に負債を押し付けるのではないことが喜ばしい。
「どうせ、アトリエには60万コール以上の借金があるしな。 1万くらい増えたって……結局はアムースコさんに甘えることになっちゃうけど、そっちに上乗せしてくれるならマシだったと思おうぜ」
「あ、そっか! 良かったぁ、借金が増えただけだもんね! え、やだ! 借金増えちゃった!」
「言われれば確かに……自分たちの借金がちょっと増えただけ、か」
マディーたちは、まさか請求先の『ユウバナ村のアトリエ』が、既にリオリールとトルテが持っている巨額の負債を抱えている物だとは夢にも思わないだろう。
借金が増えたことには変わりないが、成人の儀が終わった後に、稼いで返せばいいだけの話だ。
「よし、それじゃあ……今後は絶対に屁を出させないよう、クウを大事にするぞ!」
「うん! もう二度とこんな事はさせない! 絶対に!」
「クウを守る……必ず!」
こうして、リオリールたちの借金は少しだけ増えたが、三人の結束は三つ牛のストレス管理の重大性に向けらた。
まるでラスボスとの最終決戦に挑むような面持ちで、三人は拳を突き合わせて決意することになったのである……
ちなみにドラはオーエン牧場で過ごした4日間ほど、姿を見せることはなかった。