リオリールとトルテのアトリエ~三つ大島の錬金術士~ 作:ジャミゴンズ
「リオ、気になってたんだけど」
「なにがー?」
「ミツフタ港とフタミツ港、同じ場所なんだよね? 呼び方が違うのはどうして?」
「同じ場所じゃないよ? 別々なんだけど、なんだっけ? 機能が一緒みたいな……なんて言えば良いんだろう」
軒先村の大型飲食店の中で食事を楽しんでいる中、トルテが素朴な疑問を尋ねた。
ウィッシュは『フタミツ港』と言っていたし、手に入れた地図にもそう書いてあった。
けれど、リオリールやオワンバシ街の人々は『ミツフタ港』と呼んでいる。
リオリールはお皿の中でスプーンを回し、ロイヤルクラウンのシチューを掬う手を止めて、あ~、と一つ声をあげる。
「私も詳しいことは知らないんだけど、昔から難しい問題なんだって」
根深い地域の確執といえばそうだ。
場所は別だが交易上は一つの港湾機能とされている。
かつてフィンデラーント王国と三つ大島の住民が初めて交流を持った時期まで遡る。
島と島を繋ぐ重要な港であり、対外的に代表する名前をどうするかで、みつ島の人間は『ミツフタ港』を、ふた島の人間は 『フタミツ港』を主張したのだ。
地名というのは、一度定着してしまえばそのイメージが残り続ける。
本来なら地名を管理する中央島の自治区がズバッと決めるべきだったのだが、住民同士の感情的な軋轢を恐れて、あえて決定を避けた過去。
その問題が現代まで続いている……らしい。
「そうなんだ、色々あるんだ」
「うん、色々あるんだね。 でもな~、私はこういうのやっぱり面倒くさいから、早く決めちゃえば良いのにって思っちゃう」
「……イッチも、色々あったのかな」
「……」
掲示板に張られた『イッチの手配書』
軒先村の宿についた時に、すぐに気づいたあの似顔絵の顔。
ユウバナ村で一緒に活動してくれた、優しくて誠実なイッチが食い逃げをするだなんて、とても信じられないことだった。
カラリ、と食べ終えた空の食器の上に、木製のスプーンが転がる。
飲食店の中はまだご飯時ではないせいか、静かで食器の音が嫌に響いた。
「錬金術士のレッドさんっていうお師匠さんが見つかったから、だったよね?」
「うん、それで一緒に旅をすることは出来ない……って言ってたよね」
ちょうどこの成人の儀の旅を出る直前。 三日前くらいだった。
お師匠さんから呼び出されてユウバナ村を慌ただしく出立したのである。
「考えてみれば、イッチさんってアトリエの細かいことを全部やってくれてたなぁ」
アトリエの設立後、リオリールとトルテは錬金術だけに集中できた。 ユウバナ村の復興のため、アトリエの借金を道具を作って売った分だけ返済できるから、夢中で道具を作り続けたのを覚えている。
ロイヤルクラウンの解毒剤を中心に、道具を作ってきたアトリエでの日々は成人の儀の旅の直前まで慌ただしかった。
失敗したー! とか できたー! と騒いでいる横で、イッチは黙々と事務机に向かっていた。 村の復興という重たい責任の一部を背負ったアトリエの中で、リオリールとトルテが意識せずとも復興の為の事業として機能していたのはイッチのおかげだ。
難しいお金の計算も、借金の返済計画もアムースコ村長の家でしてくれていた。
生活や暮らしの中で依頼をまとめてくれていたのも、作る道具の素材を集めてくれたのも、売り方や行商まで面倒を見てくれたのもそうだ。
誰よりも几帳面だったし、犯罪をするような人ではない。
「やっぱり何かの間違いだと思う。 勘違いだよきっと」
「……と、いうより。 一緒に居る人が悪いんじゃないの」
『錬金術士レッド』と書かれた、手配書に載せられている仮面の男。
似顔絵だし、仮面もしているせいで全然風体が分からないけれど。
例えば、凄い性格をしている人なのかもしれない。
大嵐で遭難したイッチを半年以上の期間、まるで気にもしておらず、必要だからと手紙を急に寄越すことが不自然でもある。
「お兄ちゃんが帰って来るまで、イッチさんの事も少しだけ聞いておこうよ」
「情報収集ね。 うん、少し意識しておこうか」
もともとこの軒先村の宿で錬金術のアイテムを作って売る予定だった。
その時に、お客さんたちにイッチの事や錬金術士レッドの事について聞くのも良いだろう。
かつてアトリエを支えてくれた友人を想い、リオリールは『出汁キノコのもこもこ汁』をぐいっと喉の奥に流し込んだ。
「何をしてるんだろ」
席を立ったトルテは、そうつぶやいた。
怪人一号は海の底を泳いでいた。
『ふた島』の方角へ向けて進んでいく。 その脇には、不気味な紫色のツボが抱えられていた。
怪人一号に呼吸は本来必要ない。 肺に酸素を取り込む必要がない構造は造り物であるという証でもある……が、生理的な違和感が常に付きまとう物で慣れそうになかった。
ただ、海の底は今までに見たことの無い景色が広がっており、荒々しい海域ではないが驚くほどに静かに凪いでいる。 多様な魚や生物が悠々と泳ぐ姿は圧巻だ。
(おっと、見とれてる場合でもないか……)
手元に抱える奇妙な形状のツボを持ち上げ直し、海の底を蹴って潜水を続ける。
錬金術士レッドがガントレットを使って生み出した、次なる悪意の塊を運んでいた。
条件は一つ。 陸上から手出しが出来ない場所だ。
それが、錬金術士レッドが出した設置条件。 人間が容易に近づけず、かつ効果範囲を最大限に広げられる地点を目指していく。
しばらく泳ぎ続けて潮流が複雑に渦巻くエリアに差し掛かった時、海面へと向けて浮上した。
「ふぅ……この辺りかな」
波を割って顔を出すと、直立した崖沿いだった。 地上までおそらく、20メートル以上はある垂直に降り立った絶壁が広がる。
怪人一号が手をつけて立ち上がる足元は、岩礁地帯だ。
浅いけど、泳いでくるのはどんなに水泳が得意な人間でも、目の前にある渦のせいで難しいだろう。 地上からは手出しが出来ない。
設置場所の条件を満たしているだろう。
濡れた髪をかき上げながら、岩礁の上に腰を下ろした。
「自然は本当に綺麗だ。 三つ大島は……」
視界の先には、遠くの海上の地平線から、沈みゆく太陽が空と海を染め上げている。
赤い夕焼けに夜を告げる青色の闇が美しいグラデーションを描いて、リオリールたちが居るみつ島のシルエットが暗く染まる。
怪人一号は自嘲気味な笑みを浮かべつつ、雄大な光景を納めながら波間を眺めた。
ゆらり、ゆらり。
何か丸くて長い物が、波に揺られてゆっくりと転がっているのが見えた。
「たる……あれは潮の結び目イベントかな? あったな……そんなの」
渦によって不規則に揺られたタルの一つが、クルクルと回転しながら、イッチの座る岩礁の上に流れ着いた。
「……」
一瞬、元の潮流に戻してあげようかとも思ったが、今の目的は違うのだ。
抱えていた紫色のツボを、岩礁の一番目立つ場所に置く。
バキリ、と底が大きく割れたような音を出した。
岩礁の表面を這うように再構成され、まるで元々そこに存在していたかのように岩礁の一部と一体化していく。
ツボの中からは何本もの触手が蠢き、意思があるようにヌメリとした液体を垂らしながらツボの中から溢れだす。
完成したツボは、まるで錬金術士が使うような 『錬金釜』 にそっくりだった。
「うわ、趣味悪……」
思わず身を引いたイッチ。 伸びた触手を避けて、海水の中に戻るとイッチは背を向けて戻っていった。
岩礁に残されたツボへ一本の伸びた触手が寄って来た。
一匹の巨大なタコが、大きなツボの中に入り込んでいく。
ツボの中からとめどなく溢れ出る水。
やがて潮が満ちてゴボゴボと音を立てながら暗い海の底へと沈んでいった……
ゴボ、ゴボ……と空気の泡立つ音を立てて。
ゴボゴボゴボゴボ。 鉄の鍋が煮立つ音が響く。
宿の店主にお願いして、50コールで大きな鍋を一つ借りるとリオリールとトルテは裏手の焚火をする場所で大鍋に素材をぶちこんでいた。
トルテが杖で攪拌しているのを眺めつつ、リオリールは自分のゼッテル用紙の束を掴み、うーん、と頭を悩ませている。
オワンバシ街での経験。エーゴン、ウィッシュとの同期との出会い。
それらを経て、路銀を稼ぐのに自分たちの道具を売り払う事を試すことにしたのだ。
売り方を兄に聞いてみたら、ざっくりとしたアドバイスだけくれた。
自分で考えろということなのだろう。
生きてるナワ、中和剤、トルテが開発したホットストーンなどは普段使いにとても良い物だと思う。 ゼッテル用紙のレシピを捲って今までに作った物をリオリールは思い出していた。
お薬なら日常的に役立つだろうか。 軒先村はキノコが特産品だと聞いている。 実際、ここの環境はキノコ類にとって理想的な環境が詰まっているのだろう。
体重を預けているベンチから岩肌に埋まっている大木の根を見る。
そこから生えてるキノコや雑草がびっしりと大木を埋め尽くしていた。
「うーん、虫とか蟻もたくさん寄ってるなぁ……」
……ぼんやりと見ているとそういえば、とゼッテル用紙を捲った。
中和剤の調合に初めて成功した後、リオリールは自分でレシピを見つけようと色々と試していた事を思い出す。
錬金術の理論なんてトルテと出会う前はまったく知らなかったから、本当に適当に何でもかんでも素材を鍋の中に入れては爆発させていた。
リオリールが初めて作った薬といえば『渋白湯』がある。
苦くて臭くてまずい。
風邪を引いたエルオネに処方して、死ぬほど酷評された事もあるお薬だった。
今なら、ちゃんと考えればもう少しマシな薬が作れるのではないだろうか。
というか、そのまま作ったら薬として買ってくれないと思う。 苦くて臭くてまずいし。
「これ、妖精の日傘に似てるけど……色がドギツイから違うキノコなんだろうなぁ。 こっちは『はぐるま草』の変種かな? ギザギザが鋭いし」
指先でツンと突っつくと、ボフッと胞子を撒き散らすキノコもある。
どれもこれも、特徴的だがキノコは似ている物が多くよく分からない。
まみどり大森林もよく探せば同じ物があるかもしれないけど、この土地ならではの素材たちと言える。 なんだか改良出来るための素材が揃っているような直感が働く。
「でも何が良いのか全然わからないよ。 こういう時は知ってる人に素直に聞いた方が良いよね」
その頼みの綱のトルテは今、鍋に向かって一心不乱に杖をかき混ぜており、声をかけたら杖で叩かれそうな集中力を発揮している。 そもそも彼女ばかりに頼るのは良くないだろう。 ウィッシュも自立が大事だ、と言っていたし。
「よぉーし、誰かに聞いてみよう!」
リオリールはパンと手を叩くと、ゼッテル用紙を懐にしまって宿の中へと戻った。
カウンターでは、恰幅の良い店主が帳簿をつけている。
「あのー、店主さん~」
「はいはい、なんだい? 鍋はまだ使ってるのかい?」
「あ、はい。 ちょっと一日くらい借りちゃうと思います。 ところでちょっと聞きたいことがあって……」
「裏の木の根っこに生えてるキノコとか草が薬に使えるか? うーん、私はちょっと詳しくないからね。 薬師さんを知っているから、紹介してあげよう」
「ありがとうございます! 行ってみます!」
「おう、気をつけてな。 婆さんは少し偏屈だから、礼儀正しくな」
店主に礼を言うと、リオリールは裏口に戻って顔だけ出しながら、トルテに声をかけた。
「トルテちゃん! 私、ちょっと薬師さんのところに行ってくるね! 素材のこと聞いてくる!」
「ん」
短く返答したのを聞いたリオリールは元気よく踵を返して、岩の階段を降りて行き、滝水が降り注ぐ広場を通り抜けて大木通りを抜けていく。
薬師の家は、大木のうろを巧妙に利用して作られた岩壁に寄り添う小さな家だった。
軒先村特有の薄暗さの中、唯一のドアの近くにある天井の岩にはわずかに日光が差し込む小さな穴が開いている。
リオリールがツタの這う木製の扉に手をかけ、声をあげる。
「ごめんくださーい」
ギィ……と控えめな音を立てて開いた扉から、一人の老婆が姿を現した。
彼女は背が低く、深い皺が刻まれた顔についた鋭い目がリオリールの顔を映し出す。
腰には薬草を摘むための小さな籠をぶら下げており、微かに湿った土と草の匂いがリオリールの鼻をくすぐった。
「……成人の儀の旅の途中かえ。 で、何か?」
「はじめまして、お婆さん! 私、リオリールって言います。 錬金術士です!」
「ほう?」
錬金術士という言葉に、老婆が何か引っかかったのか。 まっ白な髪を一つ撫でた後、顎先だけで自宅の奥を指して 入りな、とリオリールを招き入れた。
部屋に案内してお話してくれるのだろう、と思っていたリオリールだったが、お婆さんはズカズカと外見に似合わない力強い足取りで、部屋の奥へと進んでいく。
奥にある木の扉に手を掛け開かれたその先には、リオリールの想像をはるかに超えた生産地が顔を出した。
「えーー、なにここ! お部屋の中で植物を育ててるんですか!?」
「部屋じゃない、大木のウロの中だよ」
「ここ全部そうなんですか?」
「多少、人の手は入っているがね。 こっちだ、リオリール」
「あ、はい!」
ムワッとした湿り気と共に、土の匂い、朽ちた木の甘い芳香、無数の薬草が放つ青々とした刺激臭に包まれる。
お婆さんの言う通り、ここは壁面のように湾曲した木の幹に沿って、何段もの棚や木箱が螺旋状に設置され、管理された場所のようだった。
大木が吸い上げた天然の水が、まるで計算された濾過装置を通ったかのように滴り落ちて、葉や土を濡らしている。
外部の光はほとんど無いのに、発光しているヒカリゴケだけでちゃんと明るい。
曲がり角を曲がるとリオリールは驚いて跳ね上がった。
「きゃあ! で、でかっ!」
「静かにしな」
「あ、ご、ごめんなさい……」
そう謝りながらもリオリールの視線は固まってしまう。
見上げるほどの巨体をしたキノコがあるのだ。 『お化けサイズ』があるとは聞いていた。 あのキノコの形にも見覚えはある。 だけど規格外すぎる大きさだ。
ロイヤルクラウンだ。
リオリールはおろか、近くで管理者らしき大柄な男性よりも、もっとでかい。
見上げればとんでもない大きな傘が天井まで伸びていた。
傘の裏側の襞を、こんなにじっくり見れる場所は此処にしか存在しないだろう。 時折、上から滴る水滴がその傘に ポワン! と弾かれ、粉雪のような胞子がキラキラと舞い散る様は、アートを何も知らないリオリールにも美しい美術品のようにさえ思えてしまう。
「す、すごい……これ、本物のロイヤルクラウンなの?」
「何を当たり前のことを。 うちの特産品だよ。 良い値で売れるのさ」
「そりゃあ、これだけ立派なロイヤルクラウンなら、そうなんだろうなぁ……」
「リオリール、そこの扉の奥に椅子がある。そっちに座りな」
『お化けサイズ』のキノコに後ろ髪を惹かれつつ、扉を開けるとテーブルと椅子が狭い空間に押し込められていた。
素直に座ると、その対面にお婆さんが椅子を引いて腰を下ろした。
「さて、私はウィボッチ・オグサエル。 軒先村の薬師だ。 60年間続けてる」
「ろ、60年……大先輩ですね」
「たいていの薬も、素材も分かっているつもりだった。 けどね、イビルズキノコ……と中央島は名付けたけど、ようはロイヤルクラウンの亜種、毒キノコに生え変わった時、その特効薬は作れなかったのさ」
そういえば、とリオリールはいつかアサハレ村に解毒剤を卸しに行った時も、そんな話があったなと思い出した。
「錬金術士が薬を作った、という話は聞いていた。 だが、多くの人達はロイヤルクラウンの解毒剤を薬師が開発したものと勘違いしている。 分かるかい?」
「えーと……よく分からないです」
「横取りしたようで気分が悪い」
「あ、なるほど!」
「……こほん。 これでも私はそれなりの地位でな」
どんな薬でもたいてい作れる自負がこの年になっても砕かれる。
薬学には底が無い事を思い知ったと言いながら、エル婆はロイヤルクラウンの解毒剤を小脇の棚から取り出した。 リオリールか、トルテが作ったものだと思う。
恐らくエル婆さんもすぐに解毒剤の分析をしたのだろう。
解毒剤を手のひらに乗せて、老練な薬師は細く鋭い目を向けた。
その瞳の奥には、長年の経験と知識が光っている。
「この薬には驚かされたよ。 なんせ薬師では引き出せない効能が潜んでいる」
リオリールは不思議そうに言った。
「引き出せない、ですか?」
「ああ、はぐるま草を使ってるんだろ? 妖精の日傘も入っているが、効能の大部分は茎の成分だと分析したんだ。 あってるかい?」
リオリールは頷いた。 あっている。
「石由来の分泌液も確認している。 恐らく蒸留石だね。 液体に含まれる僅かな油分が証明しているさ。 ただ」
他にもう一つ液体を使っているが、それは知らないと告白するように彼女は言った。
あっている。
作り上げた調合品から素材を分析したり推測して、ピッタリと当てているのだ。
エル婆さんが分からなかったのは錬金術士の基本の調合品。 だけど基礎にして最も大事な中和剤の事を指しているのだ。 こればかりは錬金術士でなければ分からない道具である。
「なるほど、潤滑剤のようなものか。 だから特定できない成分が入っていたんだねぇ」
うんうん、と頷き、慣れた手つきでメモ帳にさっと何かを書き込む。
「リオリール、あんた若いくせにやるじゃないのさ。 褒めてあげるよ」
「えへへ、な、なんだか嬉しいです」
「で、何か用事があったんだろう。 何が知りたいんだい?」
リオリールは身を乗り出して、この集落に滞在する目的の一つを切り出した。
「あの! この村の素材で、何か薬に使える珍しいものはありませんか?」
「ああ、なるほどね」
エル婆は鋭い視線をリオリールに向けた後、店の奥にある、大木のウロを利用した広大な薬草の管理場所へと視線を向けた。
そして、立ちあがって手招きをしてリオリールを呼ぶ。
「良いだろう。 はぐるま草と妖精の日傘は省くよ。 ここで使える草と土、そして石とキノコ。 叩き込んでやるさ」
「え? あ、あはは、お、お手柔らかに……」
「いいや、薬師を目指すなら覚えてもらう。 ほら、立ちな」
「え! いえ、あの、私は錬金術士なんですけど……」
「同じようなもんだろ。 良いから来な」
突如始まったエル婆さんの指導は苛烈だった。
リオリールは泣きそうな顔で、渡された籠を抱えながら巨大なロイヤルクラウンの足元を這いずり回っていた。
ちょっと質問に来ただけなのに。
どうして今は、泥だらけになってスパルタ教育を受けているんだろうか。
「いいかい、そこらに生えてる草なんざ全部同じに見えるだろうが、葉脈を見るんだよ」
「は、はい……えっと葉脈……」
「『四葉の詰め草』は葉脈が十字に走ってるんだ。 欲しい時は近くの植生をしっかり見るようにしなさい」
「十字に走って……えーっと、つまりこれ?」
「おばか!」
エル婆さんの手にした杖が、リオリールの手元を容赦なく叩く。
「あいたぁ! エル婆さん、杖で叩かないで~」
「掴んだのはシロヒメ草の葉脈だよ。 根っこを見なさい、白いでしょう? これを間違えて煎じたら薬効が喧嘩するよ。 腹下しには良いけどね」
「そ、そうなんだ」
「こっちに来な、宿で見たってんならヤミヨタケだね。 水に浸しても成分が混ざらないのが特徴さ。 こっちの『ぬめりキノコ』の方は傘の部分に毒が含まれていて、薬に使うなら傘を切り落としな。 少し青みがかると腐り始めて、腐ると逆に毒が消える。 この場合は効果が増すので薬で使って良いよ。 間違えてはいけないよう注意しなさい」
ひぃひぃ、とリオリールはゼッテル用紙にメモを取る。 取るけどエル婆さんの情報の洪水に手が追い付かないし、頭も追いつかない。
彼女の知識量は底なしの沼のようにとめどなくリオリールに浴びせてくる。
「さぁ、次はこいつだよ。 この乾かした牛草は腐葉土に生える。 毒があるから素手では触れない」
「あ、牛草! 私も知ってるよ!」
「うむ。 こいつは猛毒だが、強力な薬にもなるんだ」
「え、そうなの?」
「三つ牛の主食で原動力なんだよ。 こいつの朝露の滴はとにかく栄養満点だ。 一滴で十分な活力剤になる、逆に言えば一滴以上は過剰だ」
「ほえ~……」
「間抜けな顔をしてないで、メモを取りな」
「いたっ、痛いよエル婆さん~~~、うぅぅ、栄養満点……」
こうして詰め込まれたお薬の知識。
軒先村の薄暗い環境に適応した独自の植生について、彼女は一つ一つ、その効能と危険性を熟知して、当然のように詰め込んでくる。
リオリールはもう目を回す寸前だ。
コバルト草、コエ草、甘露の枝、潜ら土、パルファンブーケにアウラウネの根。
砂や土、虫に植物に鉱物に骨に……エル婆さんの口から飛び出す知識は日々の体調不良と素材が結びついている暮らしの『知恵』だ。
トルテが理論と図鑑なら、エル婆さんは実践と暮らしの知の集積だった。
再び杖がリオリールの背中を叩く。
「あんっ! い、痛いよエル婆さん」
「しゃんと聞きな! あんたは立派な薬師になるんだろう」
「あうぅ、違いますぅ! 私、立派な錬金術士になるんですぅ!」
「だいたいやってる事は一緒じゃないか」
ワハハ、と笑うエル婆さんは強引で偏屈で厳しい。
でも、リオリールはそんな彼女を素直に尊敬した。 この知識は生きた知識だ。 本当にこの目の前の小さなお婆さんは全て知っている。
子供の頃に患った病気なんかも、もしかしたらエル婆さんのお薬を貰って治っていたのかもしれない。 薬学に対して本当に真剣で、きっとこうして指導できる人は貴重で孤独な戦いを続けていたんだと思う。
「こんなもんか。 リオリール、あんたそのメモ、後でちゃんとまとめておきな」
「えうう、復習ですか?」
「いんや、そうじゃない。 いつか役に立つ日がくるだろうってだけさ」
「……?」
「どんな知識も、あんたの財産になるのと同時に人を救うことになる。 薬師が学ぶのは今ではなく、未来なんだよ」
「はぁ……そうなんですか?」
「そうさ。 今は分からなくても良い。 だけど、心の中に閉まっておきなさい」
「はい……わかりましたぁ」
なんだか、すごく大事な事を聞いた気がする。
でも、それはそれとしてすっごくリオリールはきつかった。
ようやく解放されたと思えば、陽は見えずに真っ暗で、光苔カンテラが虹色の明りを灯す。
今日は結局、調合は何にも出来ていない。 また明日も来るように強く言い付けられてしまったし。
フラフラになりながら宿への道を戻る。
疲れ切ってはいたが、充実感が宿っていた。
エル婆さんの厳しい指導の中に、自分と同じ「作る人」としての情熱を感じていたから楽しかったというのもある。
でも。
「トホホ……明日は筋肉痛だなぁ」
いっぱい叩かれてひりひりした腕をさすりながら。
リオリールは脱いだブーツのふくらはぎを揉みしだき、冷たい岩の壁に頬を当てて苦笑した。
彼女の足元には、エル婆さんの教えであるメモがビッシリ隙間なく書かれたゼッテル用紙が転がっていたのだった……