リオリールとトルテのアトリエ~三つ大島の錬金術士~ 作:ジャミゴンズ
カスカルは潮と独特の匂いが混ざる柔らかな風を頬に受けながら、紙に目を落とした。
神父という人物が作ったデータであり、ふた島の水位を色んな場所で計測した結果もあった。 シャイエルと別れた後も、少し心に引っかかり続けていて気になってしまう。
「うーん、ちょっと難しすぎるぞ……」
専門的な言葉も混じっていて、まったく分からない。
そんな悩むカスカルに、ふいに声がかかる。
「やっぱ捕まってもうたんか~、急にあないな話されりゃ驚くやんなぁ」
緊張感のない声が背後から聞こえて、カスカルは振り返った。
ベンチの奥の木柵に腰を掛けて、楽器を器用に手で回しながらディーツハートがやぁ、と笑いかけている。 鍔の広い帽子を膝に置き、細い目をさらに細めてカスカルの手元の紙に視線が向かっていた。
「ディーツさん? いつの間に……食事は終わったんですか?」
「あぁ、ついさっき。 リオちゃんらがお兄がおれへんって心配しとったから、探しに来たんよ」
よっこいしょ、と一つ。
声を上げてカスカルの隣に座り直した。
ディーツハートも初日に、シャイエル君にたっぷりとその脅威という奴を聞かされたらしい。
フタミツ港の連中はあの子を教会のホラ吹き坊主扱いして、相手にされていない。 もちろん、ディーツハートも疑問に思って聞きまわった。 そもそもシャイエルという子供はよく顔を出していた馴染みだったらしい。
「せやけど、2週間くらい前から人が変わったかのように、島の危機を喧伝するようになってん。 海がどんどん陸を覆うとか何とか」
ディーツハートは鼻を鳴らし、カスカルから紙をひょいと受け取って眺めた。
それらしいことが並べ立ててあるが、確証など掴みようのない話だ。
最初はフタミツ港の大人たちもきちんと聴いていたが、シャイエルはやがて無視され始めた。 大陸から来た宗教家が変な事を言い始めれば腫物扱いになるのも仕方がない。
いくら彼が子供だったとしても。
「もしほんまやったらえらい大変なこっちゃ。 島ごと沈むなんてなぁ?」
「でも、本当だったら?」
「さぁ? 困るんちゃう?」
カスカルは肩の力が抜けて息を吐いた。 なんというか、普通過ぎる。
それはそうだろう。
ディーツハートがここにいるのはアカデミーの試験を受ける時に有利になる為に、ついでに認定証でも貰えたら良いなという理由でふた島に来たのは聞いている。 いわば、半分は観光目的のような物だろう。
彼にとって、ここはただの寄港地にすぎないのだ。
「そもそも、や」
ディーツハートは指を海の方向に向けた。
カスカルは思わず、彼の指を視線で追う。
海が広がっていて、水平線が静かに世界を区切っている。
「あれ、なんとかできるん? 無理やんねぇ」
ディーツハートは、わはは、と陽気に笑った。 その笑いは冷酷というより、あまりに巨大すぎる現実を前にした時の、凡人の正しい反応のように思えた。
成人前の子供にすぎないカスカルにとっても、あまりに途方もない話だった。
まぁ、そうだよな、とカスカルも納得するしかない。
「あ、お兄ちゃん、いたぁー!」
「リオ……」
遠くから、リオリールの元気な声が響いた。 見れば、トルテと共にこちらへ駆けてくるのが見える。 ディーツハートはほなな、と短く告げて手を挙げると立ち上がった。
「どこか行くんですか?」
「これから夜。 分かるやん?」
「まだ昼ですけど」
「そうやなぁ」
クイクイと、手で器を作って口元に寄せて顎を上げる。 なるほど、とカスカルはとりあえず納得した。 昼間からお酒を飲みに行くディーツハートを見送って、リオリールたちが合流するのを待った。
「お兄ちゃん! ぜんぜん帰ってこないから心配したよ~」
「少し考え事をしていたんだ」
「何も無くて良かった」
「トルテも、すまなかった」
二人に謝りながら、カスカルは手元に残されたシャイエルの紙束を、気づかれないように折りたたんでポケットに仕舞った。
すると、トルテがカバンから一枚の羊皮紙を取り出した。
以前、軒先村で行き倒れていた同じ成人の儀の旅を続けるウィッシュから譲り受けた地図。
「リオと相談したんだけどね。 次の目的地、決めたの」
「ウィッシュさんが寄った所なんだろうけど、いろいろ印がついてるんだよね。 ほら、こことか此処とか。 それで、一番気になるこの場所に私が行ってみたくてさ」
リオリールが目を輝かせて地図の一点を指差す。
ウィッシュの描いたこの地図はかなり細かく描かれている。 距離感や正確な縮尺こそ測りかねるが、フタミツ港からほど遠くない。
なだらかな丘のような起伏を越えたあたりに、力強い筆致でグリグリと丸い円が描かれていた。
その円の中には、一言。 『ぷにぷに』 とだけ、丸っこい文字で記されていた。
「ぷにぷに……? 地名なのか、それともモンスターのことか?」
「分からないんだよね~」
「ここだけちょっと違った感じ」
トルテが言いながらリオリールに体を寄せて指でなぞる。
今いるフタミツ港や教会、ウィッシュの故郷である星読み村、そして大きな街である『ハチヤド』 や 『火渡り門』 などが、単なる文字情報としてではなく建物のアイコンとして可愛らしく描かれているのだ。
ウィッシュの几帳面な性格が出ている様に、分かりやすくきちんと描かれている。
確かにこの地図は、初めて貰った時にも感心した通り驚くほど見やすい。
殻貝街道などは道であることが一目で分かるように、絶妙な隙間を空けて二本の線で構成されていた。
「成人の儀の旅の中でこんなにちゃんとマッピングしてるなんて、感心するな」
「うん、凄いよね! ウィッシュは地図職人になりたかったのかな?」
「丁寧だよね」
こんなにもきちんとした地図は販売すら出来るかもしれない。
そんな丁寧な仕事がなされている地図の中で、リオリールが指した地点だけは建物も地形の絵もなく、ただ文字だけが躍っているのだ。
「ぷにぷにか……確かに、気になる」
言われてみればという感じではあるが、改めて指摘されると気になって仕方なかった。
「なんだか、ワクワクするでしょ?」
「ああ、悔しいけどリオの言う通りだ」
「モンスターが居るだけかもよ」
トルテは突き放すように言うが、言葉とは裏腹に期待に満ちたように地図に視線を落としていた。 ぷにぷにだし、と口の中で反唱しながら笑みを作る。
海面の上昇。
深刻な環境問題の話を忘れさせてくれるような、少女たちらしい好奇心の詰まった提案にカスカルは乗っかった。
「行くか、ぷにぷに!」
「やったね! よぉーし、決まり! ぷにぷにに行くぞー」
「おー」
旅の目的地が決まった。
フタミツ港で道具や新たな旅立ちの準備をしながら3日後。
大きな桟橋を三つ牛が歩いて抜けていく。
その背に乗るのはカスカルと、リオリール、トルテ。
ウィッシュのくれた地図を片手に、トルテが風景を眺めた。
島の大地へと潜り込むような下り坂、殻貝街道へと進むと、乾いた音がパキリ、パキリと足音と一緒に鳴らされた。 リオリールが覗き込めば、様々な貝殻の割れたカケラが砂利と一緒に混ざって音を立てているようだ。
「へぇ~、道が全部貝殻で埋まってて、音がすごいね」
「カスカル、ちょっと止まってもいい?」
「ああ、もしかして、素材になるのか?」
トルテが降りて、リオリールも続く。 屈みこんで覗けば粉々に砕けている貝は砂利と混じっていて選り分けが難しそうだった。
「だめだね」
「うん」
ここは殻貝街道。
名の通り、かつては海底だったこの土地が隆起した際、取り残された無数の貝殻が砕けてできた天然の舗装路がその正体だ。
光に反射して輝く道は長い年月を経て人や動物に踏み固められ、今はふた島の街道として生きている。 月明かりでもぼんやりと輝くふた島の主要街道だ。
リオリールとトルテがクウに登っていると、カスカルは遠くを眺めながら指を指した。
「あそこ見てみ。 素潜りしてるぜ」
「あ、本当だ。 あれがふた島の素潜り?」
「有名なの?」
「ああ、ふた島は素潜り漁が主流なんだって聞いた事があるんだ」
三つ牛の背から身を乗り出し、街道の下に広がる岩場。
腰にカゴをぶら下げた若者や大人たちが、次々と海へ潜っては上がってくる姿があった。彼らが手にしているのは、大きな大きな貝殻だ。
ふた島の全体で見られる特産品。
宝石貝。
「街道の名前、てっきり地面の貝殻のことだけかと思ってたけど。今はああやって貝を採るのが盛んだからなのかもね」
リオリールの推測にトルテもなるほど、と納得。
この土地の歴史も、ここがかつて海底だったという成り立ちも知らない。
けれど、目の前の活気ある風景と、足元の美しい道は名に反しないものだ。
みつ島では見られないふた島の景色を眺めながら南にひたすら進んでいくと、今度は巨大な岩壁が立ちはだかり、そこにぽっかりと空いた大穴が見えてきた。
「なんだ、あの洞窟」
「大きいね。 えっと、あったあった。 地図にも書いてあるよ」
近づいてみるとその洞窟の入り口周辺には、簡易的な屋台が数軒並び、香ばしい焼き串や冷えた果実水の匂いが漂っていた。
予想に反して殺風景……どころか客引きをしている人たちも居た。
洞窟の入り口が、小さな村になっているようだ。
カスカルがリオリールの差し出した地図を見れば、地底海回廊、と書かれている。
「まるで観光地だね! せっかくだし、お話聞いてみようよ!」
三つ牛を停めると、近くの屋台で鍋をかき混ぜていた恰幅の良いおばさんが、愛想よく声をかけてきた。
「おや、見ない顔だね君ら。 ん? ああ、札ってことは成人の儀の旅かぁ」
「はい! 成人の儀の旅なんですよ! 私、みつ島のユウバナ村から来ました、リオリールっていいます!」
「あははは、ご丁寧にどうも。 みつ島から来たなら、この回廊は初めてだろう? きっと楽しめると思うわよ」
ついでに楽しむための食事はどうだい? と焼き串を突き出され、リオリールは思わず受け取ってしまう。 あまりにも素早く自然な渡し方だった。
むわっとした匂いに、リオリールが視線を巡らせる。
一つ20コールと看板には書かれていた。
きっちり商売されちゃったな、と思いつつカスカルは懐から60コールを出して支払うと、まいどあり! と元気なおばちゃんの声が返ってくる。
かなりドデカイ串焼きで食べ応えは十分。
お昼ご飯はこれで十分な量であった。
「洞窟の中は分かれ道もあるけど、ちゃんと看板も明かりもあるから安心しな。 アタシらみんなで、毎日手入れしてるんだから」
「へー、そんなに凄いのがあるんだ?」
「そうさ、きっと驚く。 それに楽しめるよ」
バチっとウィンクをかまされて、リオリールは礼を言って頭を下げた。
洞窟の中へ足を踏み入れると、そこは本当にちゃんと整備されていた。 石ころすら転がっていないし、なるべく平坦にならされている。 要所には言っていた通り看板もちゃんとあった。
迷わないようにという配慮もきちんとされているようだ。
洞窟なのにランプが要所に設置されていて真っ暗な道でもない。
アサユウ街道もたくさんの人の手で整備されてきた事をリオリールは知っているが、こkも同じ様に生活と努力が見えてしまう。
なんだかリオリールは心が温かくなった。
「クウも歩きやすそうで良かったね! ほれほれ~嬉しいか~」
「ボオォ」
名前を呼ばれたからか律義に鳴くクウの耳の後ろを掻いてスキンシップ。
カスカルが操縦の邪魔だ、とリオリールの頭を叩こうとした時だ。
「きゃあ!? なに!?」
リオリールが悲鳴にも似た声を上げ、思わず自分の口元を押さえた。
トルテも目を見開き、反射的に息を止める。
カスカルさえも、一瞬手綱を引き絞り、クウの足を止めさせた。
海の中に放り込まれたと錯覚するほど、唐突に海中が姿を現したせいだ。
よく見れば壁一面が、完全な透明度を持つ天然硝子の壁。
分厚い硝子の向こう側には太陽の光が差し込む鮮やかな海中世界が広がり、色とりどりの魚たちが、まるで空を飛ぶように目の前を横切っていく。
「な、なにこれぇ!」
「ど、度肝を抜かれるって、こういうことか……」
「海の世界を、見れるってことなんだ」
思わず足を止めて大自然が作り出した光景に酔いしれる。
近づいて覗き込めば、大地には珊瑚が並び、その隙間から宝石貝やヒトデが顔を覗かせていた。 様々な魚が気ままに踊って回遊している姿がある種のダンスのようにも見える。
天然の水族館だ。
こんなものはみつ島には無い。
まさに、ふた島だけで見れる世界が広がっていた。
口をぽかーんと開けてガラス壁に張り付いているのが可笑しいのか、街道を通る他の人たちから笑い声が聞こえたが、そんなものも気にならなかった。
しばらくして、カスカルが気付いたようにそっとガラス壁から離れる。
「なんども海に潜ってるし、海の中の光景には見慣れてるけど……」
「うん、横から見ることなんて、無かったもんね」
「私は初めて見るけど……」
そう言ってトルテは海の中よりも海面の方へと視線を向けた。
「光が、すごいね」
感嘆の息を吐き出しながら褒めた。
本当にきれいだと思ったから、素直な感想しか出てこない。
「ふた島……良い所だな」
「うん」
「すごいよ」
「……名残惜しいけど、そろそろ行くか」
「えー、もっと見たいけど……ねぇ、時間ができたらまた後で戻ってこよう!」
「……戻れるのかな?」
「もっと見たい! トルテちゃんやお兄ちゃんは見たくない?」
「成人の儀の旅の最中だぜ。 すっかり観光気分なのも良いけどさ。 俺達、認定証を貰いに来てるのを忘れたらダメだ」
「うぅ、そう言われると……でももっと見たい~~~」
唸るリオリールを説得し、500メートルほどの回廊を抜けると、曲がり角から大地へと向かう勾配の坂になっていく。 クウはゆっくりと歩んで、その先に洞窟の終わりを告げる大きな光の壁が目の前に現れた。
洞窟の外はすぐに分かれ道だ。
リオリールが眩しさに目を細める中、トルテが掌を傘に地図を見て、カスカルも横から覗く。
「ぷにぷにはこっちの道かな?」
「ああ、東の方だな。 クウ、こっちだ」
東は川沿いの道だった。
いくつか曲がりくねった道を進めると、もう一本の川が見えてくる。
二つの川が道の間を縫うように、遠く見える高壁山脈から流れてきているようだ。
二つの清流が合流し、その間に取り残された中州のような場所。
ウィッシュの地図が示したぷにぷにの地点。
クウなら跳べるが、先に目的地点を見て置こうと木陰に繋ぎ止める。
川面にかかる小さな吊り橋を渡る。
そこから中州の台地へ上がるためには、2メートルほどの粗末な梯子を登らなければならなかった。
「よし、俺が先に行ってみる。 二人は下で待っててくれ」
「待って! お兄ちゃん! 私が最初に行きたい!」
「あ、おい、リオ!」
立候補したリオリールが梯子に手を掛けて、一段目の足場を踏んだ時にハッとして手が止まる。
よく考えればスカートだ。
このまま登ったらお兄ちゃんに丸見えになってしまう。
「やっぱ、お兄ちゃんが先で良いよ」
「だから言っただろ、おばか」
「むぅ、ズボンにすればよかった」
椋れているリオリールの頭をゼッテル用紙の束で一発叩き、カスカルが梯子に手をかけ、軋む音と共に一段ずつ登っていく。
台地の上に顔を出すと視界が、青一色に染まった。
「なんぎゅ」
何か、ひんやりとして弾力のある物体が、カスカルの顔面を真正面から押し包んだ。
「っ!? う、うわぁぁぁッ!?」
視界と呼吸を奪われたカスカルがバランスを崩して真下で待機していた妹たちの方に堕ちて行く。
「きゃあ! お兄ちゃーーん!?」
「……っ!」
「うぎゃあ!」
当然、リオリールたちに避けれるはずもなく、カスカルに押しつぶされた。
三人団子状態になって地面に転がって、追い打ちをかけるように頭上から丸いのが降って来た。
むぎゅむぎゅと丸いのが押しつぶしてくる。
ボヨンボヨンと飛び跳ねて。
色とりどりのゼリーがまるで堰を切って水が流れてくるように頭上から降り注いだ。
「な、なにこれなにこれ! お兄ちゃん落ちないでよ、重い! どいて!」
「仕方ないだろ! いきなり顔に張り付かれたんだよ! モンスターだ!」
カスカルが慌てて顔に乗っていた青いぷにを引き剥がす。
ゼリーのような粘液質ではなくゴムまりのような不思議な反発力。
これだけの数が集まると、ぷにぷにでも明らかな脅威だ。
「ころす」
身を起こしたトルテの瞳から、ハイライトが消えていた。 頭にはたんこぶが出来ている。
彼女は無言のまま、ポーチから赤く輝く爆弾『フラム』を取り出し、導火線に手をかけたところで大声が上から飛んで来た。
「ちょっと待ったぁぁぁーーーっ!!」
頭上から、凛とした声が降ってきた。
三人が驚いて見上げると、梯子の上から赤い髪をツインテールに結った女性が、腰に手を当てて仁王立ちで見下ろしていた。
「その物騒な玉をしまいなさい! ここは従業員専用なんだよ! もう、ぷにが逃げちゃったじゃないの!」
銛を構え、フラムの導火線に手をかけ、リオリールだけ頭とお尻を擦りながら。
カスカル達は顔を見合わせたのだった。