リオリールとトルテのアトリエ~三つ大島の錬金術士~ 作:ジャミゴンズ
教会が佇む場所は殻貝街道沿いにある。
南へ進めば近年でも急激に成長を始めている『ハチヤド』が。 北へ向かえばみつ島と繋がるフタミツ港を繋ぐ場所に、ポツンと立っていた。
砂浜も近く、潮の香りが色濃い。
ボロロン、と不協和音を鳴らしているディーツハートは、この場所が気に入っていた。
異国の地にあって大陸を思わせる教会の前。
少し高い岩に登れば眺められる広大な海。 満天の星空に、冷たい酒。
ロケーションとしてロマンがあるし、風情も十分だ。
ディーツハートは岩場に腰を下ろし、ツィンケルタールの弦を弾く。
ヴビィーン……
調律が狂っているわけではない。 特別な使い方なんてものもない。 単純にディーツハートは弦楽器で、音を鳴らせるくらいの技術しか持ち合わせてないだけだ。
「簡単そうに弾いててんけどな、ややこしいわ」
潮風が鼻をくすぐる。 ひくつかせて薄く笑った。
ちゃんと弾ければ少しは様になるのだろうが、あいにく無い物はどうしようもない。
冷え込んだ空気の中で、彼は安酒の入った瓶を煽った。
喉を焼く酒精の熱さに、ふと瞼を閉じる。
『綺麗な音色。 こんな音を出してみたい!』
「出してみたい、か」
街から街へ、風のように現れては消える吟遊詩人。
奏でる音楽は魔法のようで、語る物語は色鮮やかだった。 夢中になっていたのを覚えている。
あの詩人が握られていた楽器こそが、今自分が腰で支えているツィンケルタールだった。
ずっと探していた物だ。
工房や街角のショップ、人伝手に聞いたりもしたけど見つからなかったもの。
首都のメーテルブルク、アカデミーのショップでやっと見つけた。
楽器職人の手によるものではなく、錬金術によって作られた楽器『ツィンケルタール』なのだ。
わざわざ錬金術で作られた楽器に頼らなくても、音色を楽しむ分には工業品が普及したことによって、高価な調合アイテムを使う人が少なくなった。
完全に廃れたわけではないが。
今でも様々な楽器が錬金術で開発されている、しかしツィンケルタールは『騒音』問題も引き起こすことがあって作られることが少なくなったらしい。
「俺だけのツィンケルタールを作る……ったってなぁ。 幸せを探すのも大変やねん」
アカデミーに入学したいのも、その為に認定証が欲しいのも、全ては手段に過ぎない。
大陸の人間である彼は、広く知られる一般的な知識はある。 錬金術という技術がどういうものかは知っているのだ。
生活の中に当たり前にある便利な技術。
だが、いざ自分がやるとなれば話は別だ。
三つ大島の連中ほど無知ではないが、技術者としての腕はからっきし。
今までのディーツハートは詩人を目指していた。 その為にずっとツィンケルタールを探し求めていた。
グビリ、と残りの酒を飲み干し、ディーツハートは楽器をそっと撫でた。
金属とも木材ともつかない不思議な感触を指先に感じる。
ひんやりとしていて、どこか温かい。
「ふあぁ、ぼちぼち寝るかいな。 おっと?」
テントに戻ろうと腰を浮かせた時、視界の端に夜闇を切り裂くカンテラの灯りだが、やたらと派手で目に留まってしまう。 虹色のカンテラ。
そして、月明かりに照らされた巨大なシルエットが見える。 あれは三つ大島でしか見たことが無い、三つ牛という動物だろう。
見覚えのある一行が足を止めていた。
フタミツ港で出会った、アカデミー入学試験を受けるという同期リオリールにトルテ、そして双子の兄であるカスカルという青年たちだ。
彼らは大きな門を開け、フラウセス教会の中へと入っていく。
「あらら、結局あの話が気になったんかいな。 あんな手も出せへん問題のどこが気になるんやか。 放って置いたらええのになぁ」
っぐっっ、とお酒を飲み干して、袖口で口元から垂れた液体を拭う。
細い目の中にある瞳が、教会の少年、シャイエルに向けられる。 彼が先導してリオリールたちを案内しているようだった。
教会に泊めてもらうのか。
それは別に不自然なことではないが。
ディーツハートはフラウセス教会を眺めた。
綺麗な星空の下で、屋根に取り付けられた十字架が掲げられている。
「……ふうん」
ディーツハートは顎をさすり、空になった酒瓶を置いた。
他人の事情に首を突っ込むのは趣味じゃない。 そもそも自分の事だけで手いっぱいだ。
ツィンケルタールを背負い直すと、彼は岩場の下に広げたテントの中に入り込んだ。
案内された客間は寒かった。
暖炉の中の乾燥した薪が爆ぜる音が、静寂の中に心地よさすら覚えるリズムで刻まれていく。 そう時間も経たずに暖かくなるだろう。
野営を覚悟していたリオリールは嬉しそうに、ふかふかのベッドの上にシーツを広げ、就寝の準備を整えていた。
しばらくすると、三つ牛のクウの手入れをしていたカスカルとトルテが戻ってくる。
「ん、リオ。 ありがとう」
「ベッドメイクも少しはうまくなってきたでしょ? ねぇ、この客間の家具もすごい綺麗。 ちゃんと掃除も手入れもされてるみたいで、気持ちよさそうー!」
「そうだな……一泊だけとはいえ汚さないようにしないとな」
旅の疲れを癒やす準備を整えていると、控えめなノックの音が響く。
「失礼します。 温かいお飲み物をお持ちしました」
扉が開くと、シャイエルが入ってきた。
陶器のカップには就寝前を考慮したのか、暖かいお茶が入っているようだ。
「あ、紺色茶葉のお茶だ」
リオリールがカップを受け取って中身を覗くと、ユウバナ村でもアトリエでよく飲んでいたお茶だった。
カチャリとテーブルに置かれていく中、カスカルが上着を脱ぎながら礼を言う。
「ありがとう、シャイエル」
「いいえ。 夜は冷えますから、身体を温めてくださいね」
「ああ、そうだ。 せっかくだからこの前の話、もう一度ちゃんと教えてくれるか? もう夜も遅いけど」
「え?」
カスカルはマグカップを手に取り、その温もりが掌に伝うのを感じながら、ズボンのポケットに入れていた紙束を取り出した。
港で彼から受け取った、海面の上昇のこと。
何度も折り畳んだせいで少し草臥れてしまった紙を、カスカルは丁寧にテーブルの上に広げる。
リオリールとトルテも、カスカルが広げた紙を覗き込んだ。
カスカルの視線と、リオリールとトルテの様子を眺めてから小さくシャイエルは頷いた。
暖炉のそばにある椅子に腰を下ろし、揺らめく火の光に照らされた少年の顔が深刻な物に代わる。
「僕が知っている事で良ければ」
シャイエルは静かに語り始めた。
彼の声は淡々としていて淀みなく、一度もつっかえる事さえせずに読み上げるように滑らかだった。
ふた島の沿岸部、十か所以上に設置された水位計の記録。
波が高いと言う現地の海に住む者たちの証言。
一時的な高波や気象の影響ではなく、まるで地面そのものが海に飲み込まれていくような、静かで確実な変化があるのだ。
「海が増える?」
「かつては殻貝街道も海の底だったと言われています。 地底海回廊はその名残でもあると。 だから、減った水が戻ったという自然現象に……すぎないのかもしれませんが」
「そんな……」
リオリールがカップを両手で包み込みながら、不安そうに呟く。
「島が沈んでるのかも」
トルテが別の視点を指摘するが、どっちにしろとんでもない話だ。
「カデルエイ神父は数年もあれば、ふた島とみつ島を繋ぐ浅瀬は通れなくなるのでは、と考えているそうです」
数年。 それは遠い未来のようでいて、残酷なほどに近い数字だ。
トルテは無言でカップの縁に口をつけて天井を見上げた。
海面を数センチ上昇させるだけでも、天文学的な質量の水が必要になると思う。
自然現象としてはあまりに急激すぎるような気がした。
シャイエルはあくまでこの現象を伝えることを神父様に言いつけられているだけだ。
詳しい事はカデルエイという人物に聞くしかないという。
カスカルはそうか、と手元の紙をテーブルの上から手に取って、息を吐きだした。
彼の言葉には、嘘をついているような揺らぎはない。 ただ、あまりに事実だけを突きつけるその姿勢が、どこか現実離れした冷たさを感じさせた。
「俺たちにはどうにもできない問題だけど、できるかぎり協力はするよ。 本当か嘘かも分からないけど、この話は大きな問題だもんな」
「うん、そうだよねお兄ちゃん。 私たちのユウバナ村だって他人事じゃないもの」
「みつ島も沈むかもしれない、か。 アデラの話が他人事じゃなくなってきたかもな」
シャイエルは一瞬だけその瞳に感情のような光を宿したように見えたが、すぐにまた元の静かな表情に戻って一礼した。
「みなさん、ありがとう。 知ってもらえるだけでも意味はあると思いますから」
シャイエルが部屋を出て行き、扉が閉まる音がカチャリと響く。
「怖い話だったね」
トルテが静かになった室内で、そうつぶやいた。
「うん……何も出来ないのかな?」
リオリールの不安に、カスカルはそっと妹の肩を叩いた。
振り向いたリオリールにカスカルはゆっくりと首を振る。 考えても仕方がないことだ。
今は、成人の儀の旅。 認定証の二枚目を得ることだけを子供の自分たちは考えれば良い。
「そろそろ寝よう。 明日も早くからクウの世話があるしな」
「うん……そうだね。 お兄ちゃんの言う通り寝ようか」
「睡眠不足は思考力を鈍らせちゃうから」
暖炉の前の火かき棒を手に取って、カスカルは掻き混ぜた。
炎の光源が室内をぐっと暗くして、揺らめく影は小さく掻き消える。
潮の音が教会の客間に、嫌に大きく響いた気がした。
波音だけが響く深夜の静寂。
規則正しいリオリールとカスカルの寝息が聞こえ始めた中、トルテはむくりと上体を起こした。
暗闇に目が慣れるのを待ちながら、小さく息を吐き出す。 眠れないわけではない。
ただ、口の中に残る微かな甘みが思考を現実に引き戻していた。
シャイエルが出してくれた紺色茶葉のお茶が、似ている。
トルテがユウバナ村のアトリエで暮らしている時、錬金術で道具を作った後。 ちょっとした休憩の時間。 ご飯を食べ終わった後。 今日のように寝る前。
イッチが淹れてくれた味と一緒だった。
お茶は、淹れ方で味が変わる事もイッチは教えてくれた。
だからこそ気になった。 偶然なのかもしれない。 同じような味になる作法が共通しているのかもしれない。
だけど、アトリエで飲んだ味とこの教会で飲んだ味が一緒すぎて、偶然、と片付けるには一致しすぎている。
グルメでも何でもないけれど、紺色茶葉のお茶はよく飲んでいた。
トルテは妙な確信を抱くほどお茶の味がまだ舌の奥に残っている。
リオリールとカスカルは、特に気にしていない様子だったが。
トルテは音もなくベッドから降りると、裸足のまま冷たい石床を踏んだ。
客間の扉をそっと開け、靴を履いて廊下へと出る。
ひんやりとした空気が肌を撫で、パジャマ越しの体温を奪っていく。
目的があるわけではない。 ただ、この奇妙な既視感の正体を探るように、足は自然と建物の中心へと向かっていた。 石造りの回廊を抜け、重厚な扉の前へ。
本で読んだ知識によれば、教会はいかなる時も人を受け入れる避難所としての役割を持つ。
だから、鍵は掛かっていないはずだ。
予想通り、少しの力で扉は開き、礼拝堂が姿を現した。
「……初めて、教会は見るけど……」
高い天井に設けられた天窓から、青白い月光が差し込んでいて厳かな雰囲気だった。
整然と並ぶ長い椅子は何人も腰かけられるほど大きい。
奥には祭壇のようなものがあって、大きなゆったりとした革張りの椅子が近くに備え付けられている。
「なんだっけ、こういうの……」
長椅子の一つに腰かけて、トルテの独り言が礼拝堂に響いた。
旅先でふと、日常の断片に触れて郷愁を覚える現象。
どこかで聞いた気がするけど、どういう名前だったのか思い出せなかった。
明日もお茶を貰ってから出ようかな。
指先を無意味にこねながら、それをじっと見つめてトルテはそう思った。
出発前にもう一度、あの茶を飲めば何かわかるかもしれない。
あるいは、少し紺色茶葉を分けてもらって作ってみるのも良いだろう。
リオリールやカスカルに教えてあげても良い。
旅先でアトリエで飲んでいたお茶。 振る舞ってあげたら驚かれて喜んでくれるかもしれない。
ふっと、トルテは笑みを知らず浮かべていた。
そんな事を考えて居たらじっと自分の指先を見つめていた視界の端に、何かが落ちているのを見つけた。
月明かりが照らす礼拝堂の床に、奇妙な影を作っている。
「……なんだろう?」
近づいて屈みこむと、それは『毛』だった。
人間ではありえない量の『赤い何かの毛』が散乱している。
細かいわけではなく、太くて長くて。
巨獣が毛をむしり取られて床にそのまま落ちたような散乱ぶりだ。
房のようなものも残っている。 触ってみれば硬いが柔らかい。
「……おとーさん?」
指の中の感触は、子供の頃から触れてきた毛の感触に酷似していた。
トルテは立ち上がって祭壇の方へと歩を進めた。
少し小走りに。 小さなトルテの足音が礼拝堂に響く。
祭壇の上にはカデルエイ神父の持ち物と思われる小物、筆記具と紙が無造作に置かれていた。
一枚の紙を取ってみると海面の上昇の問題について纏めた資料のような物だった。
さきほどまで、他人事のように考えていた問題。
少なくともリオリールやカスカルのように、深刻だとは思っても共感はあまりできなかった物が、石造りの冷え込んだ夜気を伝ってトルテの背筋をなぞっていくようだった。
「おとーさんの世界征服……もしかして、これが?」
父のレッドマンの目的は、三つ大島を沈めることなのか?
固まったまま紙面を手に取って見入るトルテは、その手が僅かに震え続けている事にも気づかなかった。
寒いからではない。
断片的なこの場にあるピースが、トルテの頭の中だけで繋がってしまい突きつけてくる事実が怖かった。
少しばかり時間をかけて落ち着いた胸を、トルテは抱いた。
何もしなくていい。
別に、何かできるようなこともない。
海面の上昇の問題は自然現象の可能性もある。 トルテが出来ることは何もないし、レッドマンの意思であってもそれは同じだ。
「……この教会。 フラウセス教会、だっけ?」
トルテが大好きな父の体毛を見間違えることはない。
きっと何かあるのだ。 それだけは分かる。
この教会は大陸の物と聞いているから、世界征服の為の何かが関係しているのかも。
「おとーさんの事を知られるのは良くない、よね……明日は、早く起きて急いで出発しないと」
パタパタと足音を立ててトルテは急いでレッドマンの体毛を集めてポーチの中に突っ込むと、客間の寝室に戻っていく。
中途半端に開かれた扉は、完全に閉まることなく、潮風に揺られてギィ……と夜中の間、音を立て続けたのであった……