リオリールとトルテのアトリエ~三つ大島の錬金術士~ 作:ジャミゴンズ
翌朝、ハチヤドの中心にある中庭のテラス席は、朝風呂上がりの人たちで溢れかえっていた。
白い湯気に混じって差し込む朝日は、幻想的だった。
リオリールはきょろきょろと辺りを見回しながら、漂ってくる朝食の匂いにお腹を押さえる。
「う~ん、良い匂い。 二人ともどこに居るのかな?」
出来立てのパンを齧ったり、スープをすする人たちを横目に中央テラスを横切るとテーブルの一角に見覚えのある頭を見つけて、リオリールは駆けだした。
「お兄ちゃん、トルテちゃん! おはよう!」
「ああ、リオ。 よく眠れたか?」
「おはよ、リオ」
いつもの旅装束とは違い、二人とも宿で提供されている軽装で食事を取っている。
カスカルは朝風呂にでも入ったのか、ほんのり肌が赤くて髪がしっとりと濡れていた。
「それで? そっちの宿はどうだったんだ?」
スープに口をつけながら、兄の問いかけにリオリールは目を輝かせた。
「潮騒亭すごかったよ! あのね、お鍋を安く買えて、商談のお勉強をすることになったんだよ!」
「ん?」
「買い物したの?」
そんな素っ頓狂なリオリールの説明から始まったが、三者三様でとても満足のいく一日だった事は確かだったようだ。
いつもの朝の食事がそれぞれの体験を持ち寄って、豪勢に彩られてるみたいだ。
「ねぇ、みんな。 店主さんから聞いたんだけど、この後テラス席の階下はフリーマーケットになってるんだって。 この町で少し錬金術の道具を売ってみない?」
今日の夜はどこに泊まろうか、なんて話し合ってるカスカルとトルテにパンを口に詰め込んで飲みこんだ後、リオリールはそう提案した。
温泉の中で思った事。
成人の儀の旅を続けていく今後。
ぷにの楽園での経験などから、リオリールは知識と技術を売る事に楽しみを覚えていた。
鍋も勝手に買っちゃったのも少しだけ響いている。
「いくつか思いついた物もあるし、安いけど、ハチヤドに居るとお金もかかるし」
「それならこの後はリオリールと一緒にいようかな?」
トルテは考え込むように顎に手を当ててそう言った。
「そうか、じゃあ俺は少し別行動をするよ」
「そう? お兄ちゃんは何するの?」
「ヘーゲ兄さんに貰った『真紅』について気になるだろ? 名前から宿の一つかと思ったけど、パンフレットには乗ってないからさ」
ああ、とリオリールとトルテも納得したように相槌をうつ。
ユウバナ村の大工、ヘーゲ兄さんが旅立つ前にくれたのだ。 確かに気になる。
「どういう場所か分かったら、教えてね」
「ああ、今日はゆっくりと過ごすか」
「うん」
食器を片付けると、三人はそれぞれの目的のために立ち上がった。
カスカルは使ったテーブルを備え付けられた布で拭きながら、錬金術の話をして遠ざかっていく妹達を見送って。
そっとポケットの中の真紅のチケットを指先で確かめた後、中央テラスを後にした。
小一時間ほど歩き回ったが、『真紅』という言葉を掲げた場所は見つからなかった。 ハチヤドは想像以上に広く、階段や橋が入り組む立体的な構造だ。 全てを見て回れたわけではないが、どうもすぐに見つかりそうもない。
海が見える展望台のベンチまで戻り、カスカルは懐からチケットを取り出した。
指先に触れる分厚い紙の感触。少し汗ばんで湿っている。
頭をガシガシと掻いて、短く息を吐いた。
「ヘーゲ兄さんが言ってたんだから、あるはずなんだけどな……」
勉強になる、いい経験になる。
そんな風に言っていたのだから、必ず何かあるはずだ。
もしかすると、こうして自力で広い街を歩き回って見つけ出すこと自体が、ヘーゲなりの経験の積ませ方なのだろうか。 あり得る。 ヘーゲは気風の良い兄貴だが、口よりも行動で示す人柄だから。
硫黄と潮の混じった風が、歩き回って火照った頬を撫でていく。
チケットを眺めながらベンチに腰掛けると、ふいに足元へ影が落ちた。
カスカルが顔を上げると同時、声がかかる。
「やぁ、こんにちは」
シルクハットをかぶった腰の曲がった小柄なお爺さんが、いつのまにか目の前にいた。
手には、焼き鳥の串のような長い棒に、何冊もの手帳をペタペタと貼り付けた奇妙な物体が握られている。
一瞬、その異様な持ち物に虚を突かれたが、カスカルは立ち上がって素直に頭を下げた。
「こんにちは、お爺さん。 俺に何か用ですか?」
「ファファ、真紅を探しているんじゃろ、大人を目指す青年よ」
しわがれた指先をカスカルが持つチケットに向けると、素直に頷く。
「ええ、探しているんですけど、見つからなくて」
「うんうん、気持ちはよぉく分かるぞ。 まずは此処に行ってみると良いぞ」
お爺さんは持っていた棒を杖のように地面に突くと、山側の方角をスッと指差した。 トルテが泊まった『深緑の隠れ蓑』がある辺りだった。
「道すがら分かれ道に当たったところに大きな看板があるんじゃ。 そこの横に置いてある物を見て見たら、分かるかものぉ?」
短くそれだけを告げると、お爺さんはニッコリと笑った。
――・
お爺さんに言われた通り、カスカルは山側にある『深緑の隠れ蓑』の近く、その分かれ道まで足を運んだ。
石造りの階段のすぐ脇。大きな案内看板の隣に、妙なオブジェがポツンと設置されている。 安っぽい薄板を継ぎ接ぎして作られたような、簡素な箱型だった。
正面の木板に文字を途中まで書いた物が貼り付けられているが、肝心の線があちこと欠けていて、そのままでは意味が通じない文字でしかない。
オブジェのすぐ真下には、短い木の棒が詰まっている小箱。
「棒を差し込むような穴があるし、どう考えてもこれを使えってことか?」
カスカルは小箱から棒を一本つまみ上げた。
指先に、やすりがけされていないザラついた木の感触があるが、殆ど同じサイズに調整されてはいるようだ。
カタカタと穴を押し込んでみると、木板の文字の一部がぐるっと回る。
物理的に動いた線のおかげか、一文字目が意味のある文字に変化したのが分かった。
「これで意味のある文字を作ればいいのか?」
穴に棒を差し込むことでオブジェの中の仕掛けが連動して、文字を象るからくりのようだ。
何度か間違えては抜き、別の穴へと差し込む。
いくつも同時に差し込むことで、動く棒の角度や回転が変わるのでかなり難しい。
首を捻りながら格闘すること、およそ二十分。
カコッ、という金属音と共に正解を導き出した。
木板に書かれている文字は『四文字』である。 からくり箱の天井部分にスリット状の隙間ができ、小さな引き出しのようにゆっくりとスライドして開いていた。
そっとカスカルが覗き込むと、古い紙とインクの匂いが微かに漂っている。
「これは……どこかの場所か?」
手のひらサイズの二つ折りになった紙と、この紙に使った筆が転がっている。
紙を広げればどこかの風景をラフに書き留めたスケッチ画。
温泉の湯気のようなもの。 アーチ状の形の橋だろうか。 奥には建物が描画されている……どこか見覚えのある、だけど何処なのかはまったく分からない画だった。
「ここが真紅ってことなのか? いや、なんかそうは思えないけど」
うーん、とカスカルは腕を組んで考えるが、からくりを解いて地図を手に入れるというこの一連の出来事は、成人の儀の旅をしている少年の冒険心をくすぐっていた。
どうせ同じ町の中。
描かれている風景の構図から推測するに、それほど遠くはないはずだ。
カスカルは風景画を片手に持ち、ハチヤドの中心の一番見晴らしの良さそうな中央テラスへと向かった。
二階の展望テラス。 ちょうど良い所にあったテーブルに肘をつき、カスカルは手元の風景画と眼下に広がる街並みを交互に見比べた。
ズボンの後ろポケットから、しわくちゃになったハチヤドのパンフレットを引っ張り出す。
ちゃんと色も塗られていて、しっかりと見渡せば探し出せる気がする。
その感はちゃんと当たってくれたようだ。
風景画とパンフレットの挿絵と睨めっこを続けること数分、ようやく合致する建物を見つけ出した。
「ここだ。 太古の水滴響計っていう宿の近くと一緒だ!」
発見による、ちょっとした興奮がカスカルを突き動かした。
狙いを定めたカスカルは手すりから体を離し、気持ち早歩きで人ごみの中をすれ違う。
近くまで来ると人通りはまばらだ。
きょろきょろと風景画と同じ角度の場所を探して首を左右に振る。
「ねぇねぇ、君、君! なにか探し物でもしてるのぉ?」
「うわっ!」
不意に背後から、鈴を転がすような声が鼓膜をくすぐった。
肩を揺らして振り返ると湯上がりの艶やかな肌をした綺麗なお姉さんが、首を傾げてこちらを見ていた。
湯上りの、大人の女性がずいっと近づいてきてカスカルは思わず及び腰になる。
「あはは、驚いちゃった? ごめんて! ハチヤドは初めて?」
「あ、いや。 初めてというか、探し物といえば探し物だと思うんですけど……」
カスカルは手の中の風景画を見せた。
お姉さんは紙を覗き込むと、ポンと手を打って納得したように笑みをこぼす。
「なるほどぉ、謎解き中だったのね。 お婆さんの挑戦を受けて立ってるわけかー」
「え、お婆さんですか?」
「そうそう。 鼓奏村には手作りの謎解きを作ってる有名なおばあちゃんが居たの。 結構難しくて、みんな諦めちゃうみたいよ」
なんでも旅人を見かけると声を掛けてくるそうだが。
カスカルの脳裏にシルクハットのお爺さんの姿が過る。
手帳を何冊もペタペタと貼り付けた、あの奇妙な串のような棒。 もしかして、お爺さんも謎解きの挑戦中なのか、それともお婆さんと一緒に仕掛け人の一人なのかもしれない。
「そういうことなら頑張ってねぇ~、私は弱いから手伝えそうにないし~」
自分の頭を指さしながら、カラカラ笑って爽やかに去っていく。
明るい女性だった。 姿形は全然違うが、距離の詰め方なんか妹にも似ているとも思う。
気を取り直して少し奥まった路地へ進むと、絵に描かれていた風景ドンピシャの光景が目の前に広がった。
そこには、大人の腰ほどの高さがある一枚の石の看板が立っていた。
「また看板……普通の石っぽいけど、表面に文字が刻まれているな」
今度は動かす棒もない。 からくりを施すような仕掛けも見当たらなかった。
どうやって読めばいいのだろうか。
そもそも本当にこの場所だろうか?
一瞬疑ったが、何度か見返して首を振る。 場所は間違ってないはずだ。
「まてよ、最初の仕掛けで木板に最後に出来上がった文字は『四文字』だったよな」
あれがただの合言葉ではなく、この石の看板を読み解くための鍵になっているのではないか。
石の文字を読んでいく。
ほとんど意味の通じない羅列だが、いた、や、ほし、のように意味の通じる言葉も混じっていた。
4文字で読めるようなところを探すが、見つからない。
「……いや、考えは間違ってないはずだ。 どこかに意味のある文字が……」
その時、ふっと陰になった。
日が建物に隠れて陽ざしが遮られたのだ。
面白いことに、石板は丁度よく陽が当たっている場所と陰になっている場所が真ん中で別れている。
石の天辺は光に当たって、中央が影になり、そして下部がまた光に当たっているのだ。
「あっ!」
文字が光と影で割かれて、初めて分かる仕掛け。
別れたところで光っているところの上下の文字を重ねると意味が繋がったのだ。
カスカルは陰になった建物の天井を見上げた後、石板の文字を追うように読んだ。
「どうくつ……洞窟だ。 この石板は四文字で洞窟って読めるぞ」
しかし、パンフレットを取り出して確認しても洞窟を売りにしている宿屋はない。
ハチヤドの外だろうか。
そうなると、地元に詳しくないカスカルはこれ以上の進展が見込めない事になる。
誰かを頼るしかなさそうだが。
カスカルの脳裏に先ほどのシルクハットのお爺さんの姿がフラッシュバックした。
「……一回、展望台に戻ってみよう」
――・
カスカルが展望台に戻ると、先ほどのお爺さんはまだ同じベンチに腰掛け、手帳がびっしりと貼り付いた棒を眺めていた。
「おじいさん!」
「おお、早かったね。 難しいだろう? 諦めてしまったかの」
駆け寄ってきたカスカルに、お爺さんは目を丸くしてシルクハットを少し持ち上げた。
「はい、多分偶然が重ならなかったら解けなかったと思います。 でも、なんとか二つ解けました」
「二つも解いたのかね!? ふぁっふぁ、そりゃあスゴイ。 君は賢いんだなぁ」
そう言って、お爺さんは手帳がたくさん張り付いた自慢の棒をカスカルに見せてきた。
ペラペラと風に揺れる手帳のページには、不器用な文字で色々な図形や文字が書き殴られている。
彼によると、もう二週間もずっとこの謎解きをし続けているが、まだ四つしか解けていないらしい。
「ずっと貝殻拾いしかしてこなかったから、こういう頭を使うのはまったく解けなくて困っておったんじゃよ」
確かにあの棒を差し込むからくりは、カスカルもかなり苦労をした。
石板の仕掛けは、偶然だった。
頭の柔らかさだけでなく、根気も必要な仕掛けだし難しかったと思う。
「最後の謎解きの石板からは『どうくつ』という文字が出てきたんです。 でも、俺はハチヤドに来たばかりで心当たりがないので、戻ってきました」
「なるほど、洞窟か。 そうか……それなら、ワシ以外は分からんじゃろうな。 えーっと、カスカル君だったかな?」
「ええ」
「ワシはクエスシオンじゃ。 名乗りが遅れて悪かったのぅ」
「いえ、大丈夫ですよ、クエス爺さん」
そう言うと、クエスシオンはよっこいしょと立ち上がった。
カスカルに手招きして、ついてくるように促す。
向かう先は、村の入り口方面……海の方角のようだ。
「お爺さんは、どうしてこの謎解きをしているんですか?」
歩きながら純粋な疑問をぶつけると、クエスシオンは前を向いたまま家内じゃよ、と短く返してきた。
てっきり、さっきのお姉さんが言っていた謎解きを仕掛けるお婆さんと一緒に仕掛ける側の人間かと思ったが。
カスカルが口を開こうとした時、お爺さんはぽつりと零した。
「二週間前に、亡くなった」
「え……」
「遺言に託されたのが、ワシ宛てのこの謎解きだったんじゃ。 一所懸命に考えたが、頭の出来がそもそも違うんじゃ。 ワシ一人ではとても出来ん」
クエスシオンの友人の漁師たちにも声を掛けたらしいが、誰も手伝ってはくれなかったそうだ。
酷いですね、とカスカルが慰めると、お爺さんは苦笑いをした。
どうやら、亡きお婆さんに先手を打たれて『爺さん一人で解かせろ』と、遺言が回っていたのだという。
「ワシは海に出てばっかりだった。 それでしか稼げなかったし、ほとんど海に居たんじゃ」
「海に……」
カスカルは漁師である父親のウータスを思い出していた。
長い時には数ヶ月、家を空ける事も珍しくない。
「家に帰る日もすぐに寝ちまって、ろくに話も出来んかった……最後も、それでな」
「……」
「死に目にすら会えなかったんじゃ。 ワシは馬鹿だった」
呆れられたのかもしれんな、と寂しそうに笑うお爺さんの横顔には、深い皺と共に後悔の色が滲んでいた。
何とも言えない気持ちになったカスカルは、無言でお爺さんの小さな背中の後ろをついていくことしかできなかった。
やがて二人はハチヤドを抜け、リオリールたちと歩いた『奏で海浜』へと出た。
波の音が心地よく響く中、クエスシオンは砂浜の端にある岩肌がごつごつと露出した一角に向かっていく。
「ワシらの中で『どうくつ』と言えばここじゃよ。 海しか知らんかったから、若い頃はここで良くデートをしておったんじゃ」
懐かしそうに、そして少し照れくさそうに、お爺さんはカスカルに振り向いて笑った。
海や雨で抉れたのか、岩の間に人が一人通れるほどの隙間があり、奥へと続いている。
足元の小さな水たまりを避けて進むと、薄暗い突き当たりに、不自然な木の枠で仕切られた手作りのドアが姿を現した。
あまりにも此処にばっかり来るせいで、廃材で個室を作られたと言って笑った。
「もう何年も来なくなって久しいが……」
クエスシオンがそう言ってドアノブに手を掛けようとすると、おや、と動きが止まった。
ドアのレバーには、棒を回すことで上のナンバーが動く仕組みの、手作りの鍵が取り付けられていたのだ。
「また謎解きかい! もういい加減、遺品整理もせにゃあかんのに勘弁してぇな」
文句を言いながらも、お爺さんの声はどこか弾んでいた。
そして、この謎解きは彼にとって一番簡単なものだった
それは、お爺さんとお婆さんが若い時に作った、二人だけの共通の思い出の番号だったからだ。
少しだけ目を細めて考えた後、クエスシオンは自然とその番号に合わせる。
カチャリ、と。
小気味よい音が『どうくつ』に響いて、そっと鍵が外れた。
「カスカル君。 ワシは今、判った気がするよ」
「なにがですか?」
「この中に、何があるか」
クエスシオンがギィと音を立ててドアを開き、持ち込んでいたカンテラの灯りを翳した。
瞬間、オレンジ色の光が乱反射し、狭い空間がキラキラと輝きに包まれた。
壁一面に、色とりどりの珊瑚と、ふた島の特産品である宝石貝が丁寧に張り付けられていたのだ。 それもいくつも、いくつも。
宝石貝は文字通り、貝の中に小さな宝石を抱いている。
カンテラの光を反射して、赤く揺らめく中で白い輝きが小部屋中を満たしていた。
奥の壁には、クエスシオンが一度だけ描いたという妻の似顔絵が大切に立てかけられ、その手前には、いつか彼が贈った古びているけれど品のある木製の椅子が中央に置かれている。
部屋とも呼べないような小さなスペース。
そこには、クエスシオンがこれまでの人生で愛を込めて贈ったプレゼントの数々が、所狭しとひしめき合っていた。
ポタリ、と静かな部屋の中に水滴が落ちる。
天井からの滴ではなく、クエスシオンの眼から零れ落ちて。
「ばかやろー……全部、生活のために売ってきたなんて言ってやがったのによぉ……」
顔を皺くちゃにして、声を震わせながら涙を流す。
自分よりも何倍もの人生を送ってきた男の、子供のような無防備な涙。
カスカルは胸が締め付けられ、もらい泣きをしそうになって、誤魔化すように周囲へと視線を逃がした。
ふと、中央の椅子の上に、何かが置かれているのに気がついた。
「クエスお爺さん。 手紙じゃないですか、これ」
カスカルはそっと椅子に近づき、白い封筒を手に取った。
そして、膝を地面について泣き崩れるお爺さんの目線に合わせてしゃがみ込み、ゆっくりとそれを差し出した。
「……カスカル君、開けてくれぃ。 手が震えて、破いてしまいそうじゃ」
「わ、判りました」
少しだけ緊張しながら、カスカルは丁寧に封を切った。
中に入っていた一枚の便箋を取り出し、中身だけをお爺さんの震える手へと渡す。
目の前で開かれたため、カスカルの目にもその短い一文がはっきりと見えてしまった。
―――ずっと愛してたよ、ばか
暗い洞窟の中。
老人が肩を震わせてむせび泣くこの小さな空間は。
冷たい岩肌の見た目とは違って、どこまでも温かく、ずっと優しい世界であった。
――・
「ありがとうな、カスカル君。 こんな時間まで付き合わせてしもうて」
『どうくつ』の質素な木の扉を閉めると、吹き抜ける潮風が微かに冷気を帯びていた。
謎解きと、その後のあたたかな余韻に集中していたこともあり、外に出る頃には太陽は思った以上に傾いている。
「いえ、クエスお爺さんの役に立てて良かったです。 俺にも忘れられない思い出になったと思います」
「ふぁっふぁ、ワシが認定証を出せる立場なら、ぽんと渡してやりたいところじゃが、すまないな……ああ、そうだ。 これ、空泡貝殻と宝石貝を一つずつ持って行くと良い」
クエスは自分の上着のポケットをごそごそと探り、小ぶりだが美しい光沢を放つ貝殻を差し出した。
2枚の貝の表面が夕陽を受けて、真珠のような虹色のきらめきを放っている。
「え、しかしそれは、お婆さんが遺した大事な物でしょう?」
「いやいや。ワシは馬鹿じゃが、礼節は欠かしたことがないのが取り柄じゃ。 これは見事にワシの謎を解いて此処に連れて来てくれたことへの、正当な対価として受け取ってくれ」
皺だらけの温かい手から押し付けられるように渡され、カスカルはそれ以上断るのをやめた。
「……分かりました、そういうことなら。大切にします」
指先を滑るような空泡貝殻と宝石貝の滑らかな感触を確かめ、カスカルはそれを自分の胸ポケットへと慎重にしまう。
その時、指先がカサリと分厚い紙の感触に触れた。
すっかり忘れていた『真紅』のチケットだ。
「あ……」
そういえば、元々はこれを探してハチヤド中を歩き回るのが今日の目的だったのだと思い出す。
カスカルがチケットを引っ張り出して苦笑していると、クエス爺さんがそれを見て目尻を下げた。
「ああ、そうじゃ。 君が探していた『真紅』じゃが、そろそろ開く頃合いじゃのう」「え?」
「真紅の宿は、夕方からしか開かん」
なんでも、真紅のチケットを握りしめたまま朝っぱらから展望台のベンチで悩んでいる若者を見かけたので、店が開くまでの時間つぶしに付き合ってもらうつもりで声を掛けたらしい。
カスカルはなるほどと声に出して笑った。
道理でいくら探しても見つからなかったわけだ。
開いてすらいないのだから、街の景色に溶け込んでしまっていたのだろう。
「そういうことだったんですね」
「そのチケットを持ってれば、すぐに案内してくるじゃろ。 行ってくるとええ。 きっと良い勉強になるし、こんな爺に付き合うよりも楽しいはずじゃ」
ユウバナ村でヘーゲ兄に言われたことと全く同じ台詞を、クエスお爺さんも悪戯っぽく笑みを浮かべながら口にした。
ポンポン、と力強くカスカルの背中を叩く。
「ありがとうございます、クエスお爺さん」
カスカルは礼を一つして、クエスシオンに見送られながらハチヤドへと戻ったのだった。
〇空泡貝殻
貝殻の中に空気が一杯溜まると、海面を飛び出して跳ね跳び、海に 『泡』を作る事から名付けられた。 沖合の底に沈んでいる事が多く、貝殻広いのベテラン でもめったに採集できないレアものである。
〇宝石貝:中に大きな真珠が入っている、ふた島で獲れる貝の一つ。 宝石の大きさは様々で、小ぶりな物は採集されても海に返される事が多い。 数は獲れるが大ぶりな物を手に入れるのは、かなり貴重。 ふた島の主要輸出物の一つであり、経済を支えている。