「ん?」
買い出しから帰ってくると、店の前でウロウロとしている鹿毛のウマ娘がいた。多分、年は同じぐらいだろうか。ただどうも違和感というか、何かが違うというか、そんな雰囲気を感じさせるウマ娘だった。
別にウマ娘自体はトレセン学園の近くに店があるということもありさして珍しいというわけではないが、なぜに店の前を行ったり来たりしているのだろうか。
「店の前でウロウロとして、どうかしたか?」
地面を見てないから何かを落としたというわけではなさそうだけど、何をしているのかは気になる。とりあえず声をかけてみるとその子はこちらに顔を向けた。うん。ウマ娘ってやっぱめっちゃかわいいな。
「あ、ううん。おいしそうな香りがするな、と思って……」
そう答えたウマ娘はきれいな日本語だったが、ところどころしゃべりなれていない外国人特有の訛りがある。確かに1時間も経たないうちに開店するからスープや出汁の匂いが店から漏れている。それにつられていたということは、この子ラーメンを見たことなかったのだろうか。
ウマ娘の隣を通り、ガラガラと店の扉を開ける。店のドアを開けるとは思っていなかったのか、キョトンとした表情を浮かべている。
「よければどうぞ」
「え?でも、まだ開店時間じゃないけど……」
「ここ、俺の実家なんだよ。開店まで時間あるけど、まぁ、別にいいよ」
キョロキョロと辺りを見渡すウマ娘。もしかして誰かと待ち合わせしていたのだろうか、と思っているとおずおずとした表情で店の中に入っていく。
「親父!新規のお客さん来たよ!」
「あぁ!?まだ開店前だろうが!」
「女の子1人店の前に立たせてるよりかはいいだろ!」
「俺は作らんからな!」
「俺が作るからいいだろ!親父は奥でスープ作ってろ!」
店に入るなり怒号が来る。それに負けじと大声で怒鳴り、返しで怒鳴られる。
「えっと、本当に入ってよかったの?」
店の奥と俺を交互に見るウマ娘。いきなりこんな場面を見せられて入ってよかったのかと思うのは仕方ないか。とはいえ、これは俺も親父も特に怒ってもないし何ならこれがデフォルトだったりする。
「いいのいいの。本当にダメだったら出ていけ!って言うから」
まぁ親父もそこまで短気ではないし、なんなら女の子を店の前でウロウロとさせているほうが怒るほうだ。親父の許可も得たことだし、その子にカウンター席に座るように勧める。その子も恐る恐るといったようにカウンター席に座り、物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回している。
「んじゃ、何をお求めですか、お客様。醤油とんこつ塩魚介。カタメフツウヤワラカメ。アブラニンニクチャーシューマシマシ好きなのをどうぞ」
メニュー表を取り出してラーメンの一覧が乗っているページを開き、その子の前に差し出す。しかし、差し出されたメニュー表を見て、困ったような表情を浮かべた。
「えっと、その、実は食べたことがなくて、どれがいいのかわからないの……」
「ラーメンを?ってことはやっぱ外人さん?」
「うん。アイルランドから来たの。日本に来るのは初めてで……」
「はえぇ。アイルランド。ずいぶん遠い所から来たんだな」
アイルランドって、ヨーロッパの方だったっけ?と薄い記憶をたどって思い出そうとする。なんかニュースでアイルランドのことについて流れてたような気もするが、その時チャーシューの仕込みに集中してたから全く覚えてない。アイルランドからの観光客が増えてるってニュースだったのか、その1人がこの子だってことか。
「ん~。でも、そうか。ラーメン食べたことないのか。まぁ、確かにラーメンは匂いはうまそうなんだけどなぁ……」
ヨーロッパの方はイタリア料理のイメージが強いから、ラーメンみたいな料理は珍しいだろう。ラーメンの中には匂いの強いものもあるし、ウマ娘の嗅覚は鋭いらしいから興味が出るんだろう。
「う~ん……。どうする?ラーメン食べる?今なら俺のおごりで1杯サービスするよ」
とりあえず今後おいしいラーメンに出会った、と海外の人からの口コミが広がってくれればこのお店にもお客さんが増えてくれるかもしれないし、ここ中央トレセンに近いけど若い子が来るような場所でもないからウマ娘がおいしいと言ってくれた、という評判ができたらもっと来るだろう。という打算で聞いてみる。
「え、えぇっと、ちょっと待ってもらっていいかな?」
まぁ、急にそんなこと言われても困るだろうとは思っていた。ウマ娘は席から離れて携帯を取り出し、流暢な外国語で話し始める。英語かな?と思ったけど流暢すぎて逆に聞き取れないから何語なのかわからん。
「うん。大丈夫」
少しの時間をかけて電話を終えたウマ娘はウキウキしたような表情を浮かべて席へ戻ってきた。わざわざ確認をしていた、ということは、もしかしてあまりカロリーの高い食べ物は食べたらよくないのかね?
「あ~。もしかして減量中とか、糖質制限中だったりした?」
「ううん、そういうわけではないけど、まぁ、ちょっと事情があって……」
少し言いづらそうに視線を逸らす。まぁ家庭ごとに事情はあるだろうし、アスリートである以上食べ物に気を遣うのは当たり前のことか。
「そうか?食べたくないならそう言ってもいいんだぞ。初めて食べる物だし」
「そういうことではないの。本当に大丈夫だから、らぁめん?っていうの?食べてみたいな」
「あ、そう?なら、腕によりをかけて作らせてもらうよ」
ウマ娘特有の整った顔立ちでホニャリとした笑みを浮かべてそんなことを言われたら、こっちはそういうしかない。こういうとき男ってつらいよなぁ。特に長年女性との交際経験もないとどうもウマ娘には甘くなってしまう。
「それで、何食べる?」
「う~ん。はじめて食べるからよくわからないかなぁ。おすすめってあるかな?」
「おすすめ、おすすめねぇ……」
おすすめが食べたい、と言われるとはっきり言ってとても難しい。人によって好みが異なるから自信作を出しても首をひねる人もいる。俺自身そういった経験があっておすすめを聞かれると非常に困る。しかし、この子はラーメンを食べたことがない。最初から食べる気で来ていないから下調べもしていないのだから店員に聞くしかないのは仕方ないだろう。
「食べられないものとかある?例えばネギがダメ、とか豚肉は宗教上の理由で食べられない、とか」
「そういうのはないかな」
「なるほど」
となると、作れる品の自由は効くか。最初から脂の多いものは癖が強いから出すわけにはいかない。味噌も海外の人で口に合わないこともあったと聞いたことがある。ならシンプルな塩かと思ったが、せっかくなら味の濃いものを食べてもらいたい。若い子ならその方がいいだろう。
「ま、ここは自信のあるもので行くか」
何を作るのかを決め、少し待つように言って厨房に入る。厨房で親父が忙しなく動いているのを横目に、タレと出汁を混ぜる。これは俺が作ったタレと出汁であり、鍋を分けてでも作った俺の自信作だが、念のためわずかな雑味すらも感じすぎる舌で問題がないかを確認する。雑味も旨味、なんてことも言えるけど、今は俺が自信をもって出せる品を出す。味見をしたところ、味は問題ない。これなら大丈夫だと確信して、今朝自作した麺を茹でていく。硬すぎず柔らかすぎずの非常に絶妙なタイミングで麺を上げてスープに入れる。そのまま自作のチャーシューを多めに入れ、ネギともやしをトッピングして見栄えもよくする。これなら大丈夫だろうと自信を持ち、ラーメンを待っている子に持っていく。
「はい、おまちどうさん。醤油ラーメンカタサフツウチャーシュー増し増しだ」
「うわぁ……」
出されたラーメンを見て目を輝かせる。匂いも気に入ったのか、柔らかい表情を浮かべてフォークを持って麺を持とうとする。
「すするの難しいだろうし、熱いからレンゲに麺とスープを入れて冷ましてから食べたほうがいいぞ」
「うん」
俺の言葉に従ってフォークでクルクル巻いた麺をレンゲに入れ、スープで満たして息を吹きかけて冷ます。ある程度熱が冷めたところでスープと一緒に麺を口に入れると、目を輝かせて咀嚼を早める。
「……っ!おいしい!」
「よかった。外人さんに通じるおいしさってことで自信つくわ」
味が気に入ったのか、麺とスープをレンゲに入れては冷まして食べ、冷まして食べを繰り返す。ある程度量が減ったところにチャーシューを食べてみてと催促してみると素直にチャーシューを口に入れる。もぐもぐと口を動かしながら目を輝かせ、ゴクリと飲み込むと満面の笑みを浮かべてどんぶりを見る。
「このお肉もおいしい……!」
「そうだろそうだろ。俺が作った自信作のチャーシューだ」
おいしい、おいしい、と言われてうれしい言葉を連呼しながら次々と口に入れていく。最後には飲まなくて大丈夫だと言ったのにレンゲですくってまでスープを全部飲んでくれたのだからこちらも笑みがこぼれる。
しかし、上品に食べてたなこの子。礼節の教育を重視して育てられたのか?
「ふぅ。おいしかった……」
「お粗末様。初めてのラーメンでそこまでうまそうに食ってくれて嬉しいぞ」
食べ終わったどんぶりを回収し、洗い場の水に入れる。
「あの、お勘定は……?」
「ん?あぁ、いらんいらん。最初にも言ったけど俺のおごりだから。気にしなくていいよ」
お金はあるけれど支払い方がわからない、といった感じだろうか。もしかしたら箱入り娘として大事に育てられたのだろうか不安そうな表情を浮かべているのを、何でもないように手をヒラヒラさせて笑い飛ばす。
「ま、本当にうまかったってんならまた来てくれ。そのほうが俺としても嬉しいしやりがいもある」
「うん!また来るね!」
惚れてしまいそうになるほど魅力的な笑みを浮かべ、約束をするようにうなずく。次がいつになるかわからないけど、こんなかわいい子がまた来てくれると思うとこちらもやる気が起きるってもんだ。
「それじゃ、いつかまた来るね!」
「おう。またな」
店を出て来た道に向かう前に手をヒラヒラと振るウマ娘を俺も同じように手をヒラヒラと振って見えなくなるまで見送る。かわいい子だったな、と満足そうに俺のラーメンを食べてくれたことに充実感を覚えて店に戻る。
「親父!1000円入れて釣りとっとくぞ!」
「勝手にしてろ!もうすぐ店開けるんだから早くお前も仕込み手伝え!」
「わーったからんなでけぇ声出すな!うるせぇんだよ!」
相変わらず声のでかい親父だ。厨房にいるのに耳が痛くて仕方ない。そう思いながらレジを打って会計した後、親父の手伝いを始める。この日はこれ以降大きく変わるようなことは起きなかった。次の日も、その次の日も。かわいい女の子にラーメンを作ってあげたなんてことが夢だったかのように思えるほど何事もない日々が過ぎていった。
そして1年が過ぎ、希望した学校に進学できた俺はいつも通りに実家でラーメンを作っていた。そんな中、まさかあの時ラーメンを奢ったウマ娘がアイルランドの冗談抜きでのお姫様だったとは知らず、再開した時にそれを知った時、腰を抜かしそうになるとは思いもしなかったのだった。