「まあ、レオナ様!本当にお美しいですわ!」
宴がある日の歌姫の準備は大掛かりだ。
今日も控室では、開宴の何時間も前から、侍女たちが歌姫である私の支度を整えている。
自分の身支度だけれども私自身がすることは何もない。…自分が何をされているのか興味もない。
「今日のお衣装も本当に素敵ですわ。ここまで贅を尽くした最高級品を、今日だけのためにお与えくださるなんて…」
「宝石も、上質なものばかりこんなにたくさん…。本当に、ご寵愛のほどがうかがえますわ」
慣れた手つきで手際よく作業をしながら、侍女たちが華やいだ声を響かせる。
話を要約すると、彼女たちはどうしても私をあの男の寵妃にしたいらしい。
…寵愛?…吐き気がするからやめてほしい。
…実際、こんなものはただの余興だ。
宴の度に新調される衣装も、使いきれないほどの宝飾品も、私を美しく仕立て上げる侍女たちも。
……私自身も。
「支度は終わったかしら?」
「アン様!」
支度が終わる頃合いを見計らって一人の女性が控室に入って来ると、侍女たちはピタリと会話をやめて恭しく礼をする。
「こちらでいかがでしょうか?」
「…上出来ね。…本当によく化けること」
彼女はアンと言って、この城で働く女性の中で一番偉いらしい。
今現在、私についての一切を任されているのも彼女だ。
とはいうものの、自分の仕事が忙しいらしく、普段は侍女たちに任せきりで、私のところへは用事がある時にしか来ない。
「…聞いていらっしゃいますか?レオナ様?」
…一切聞いていなかったけれど、どうせいつものように今日の宴がどのような趣旨のもので、どういった客が参加するのかといったことを長々と話していたのだろう。
…心の底から興味がない。
「…そんなことより調弦がしたいのだけどいいかしら」
私はアンの返答を待たずに宴で使う小さな竪琴の調弦を始める。わざと、ゆっくりと時間をかけて。
…本当は彼女の長々とした話が全部終わった後でも十分間に合うのだけれど、こうしていればこれ以上何も言われない。
いつもと変わらない私の態度にアンも諦めたらしく、大きくため息を吐き、調弦が終わるのを待った後、私に告げた。
「お時間です。参りましょう」
宴での私の席はいつも同じ。
会場の一番奥で宴の主催者の姿を隠すようにその席を隔てるカーテンの、すぐ斜め前。
そこに座って、カーテン越しにしか姿を現さない宴の主催者に代わって、その覇業を伝え広めることが私に与えられた役割だ。
私はあの日から、歌姫として仕えている。
この宴の主催者である魔界の神――大魔王バーンに。
席へと向かう私に宴の参加者たちが向ける視線が、次々に口にする雑音が、何もかもが気持ちが悪い。
…無理もない。
こんなものを身に纏える女性など限られている。
自分で自分が誰のものか宣伝しながら歩いているようなものだ。
“自分たち人間が長きに渡って太陽を独占してきた愚行を心から悔い、贖罪のために歌うことを懇願した歌姫が慈悲を与えられ、その才と美貌から魔界の神の寵愛を受けるまでになった”
…今の私はそんな風に噂されているらしい。
最初から最後まで何もかもでたらめだけれど、私にそれを訂正する術はない。
席に着いた私は、後ろに伴っていたアンから竪琴を受け取り、膝と右肩で支えるように構える。
一呼吸置いて私が竪琴を奏で始めると、それまでの雑音が嘘だったかのように会場が静まり返る。
その竪琴の音色に合わせて、私はあの日のことを語る。
いかにして魔界に太陽がもたらされたのか、大魔王によるその歴史的覇業の物語を。
ただ、この目で見届けることしかできなかった、あの日の、あの光景を――
あの日、私たちは地上の総力を結集して
小さな奇跡によってその計画を地上に伝えることができ、6本の柱に搭載された黒の
その瞬間、大魔王は時限装置のタイムリミットを待たずに自らの魔法力を真下の柱にぶつけた。まるで、地上で奔走する人々や、わずかな希望を見出した私たちを嘲笑うかのように。
その直後、すさまじい轟音とともに、爆発の瞬間は訪れた。
真下の柱から地上全土へと走った超高熱により、他の全ての
その爆煙は大魔王が魔力で覆い直していたらしい大魔宮をも包み込んだ。
結界の外が煙で何も見えなくなる中、いつまでも鳴り止まない轟音――。
永遠にも感じられた時間が過ぎ、結界の外の視界が晴れた時――、私たちの眼下に地上は存在しなかった。
私たちは失ったのだ。
守るべき、愛する地上を。
そこに住む全ての人々を。
残された私たちはただ絶望するしかなかった。
倒れた勇者が再び立ち上がることはなく、また、勇者を立ち上がらせることができる者が現れることもなかった。
そして――、そこからの光景は地獄だった。
一方的な惨殺――。
大魔王は、それはそれは丁寧に、私の心を折っていった――
…歌がこの辺りまでくると、いつも、身体が私に異常を訴え始める。
指先が震え、顔が強張り、ほとんど過呼吸を起こしかけているのを必死に堪えて声を絞り出す。
血に染まる戦場が、途切れることのない悲鳴が、ひとりまたひとりと息絶えていく仲間たちの姿が、それでもなお終わらない凄惨な光景が――、まるで今目の前で起きているかのように思い起こされる。
…平静を装わなければ。
カーテン越しの男は、きっと私のこの姿を見て楽しんでいるのだろう。
仲間たちとともに戦うことも、自ら命を絶つことも、目の前の惨劇に耐えることもできなかった私が、こうして歌う姿を。
惨たらしく引き裂かれた愛する人の亡骸は、もう、ほとんど原形をとどめていなかった。
その時点で、きっと、私は心を失ってしまっていたのだ。
私は、それ以上の攻撃をやめてもらうかわりに、この男のものになるという条件を呑んだ。
その後、瞳化を解除され、身体の自由を得たが、具体的には3つの事柄を禁じられた。
一つ目は、凍れる時間の秘法などの、最終決戦の場で大魔王について知り得た事柄を口外すること。
二つ目は、自らの意思で自死を図ること。
三つ目は、大魔王の命令に逆らうこと。
だから、自分で生死を決めることはできないし、歌えと言われれば歌うしかない。
今の私は、一国の王女として世界中をまとめる地上の指導者の一人でも、正義の使徒として仲間を導く勇者パーティーの一人でもない。
いかにして魔界に太陽がもたらされたのかを知る歴史の証人として、そして、大魔王の強さ、おそろしさを語り続ける魔界の歌姫として、ただ生かされ続けているだけの…だだの余興だ。
◆
「おはようございます、レオナ様。…お顔の色がすぐれませんわ。お食事をこちらにお運びしましょうか?」
起きているのにいつまでも寝台の上で動かないでいる私に、侍女が天蓋から顔を覗かせ声をかける。
「…いいえ、大丈夫よ。…もう起きるわ」
…魔界に来てから熟睡できた日などない。
来たばかりの頃は特にひどく、あの日の光景を夢に見てはうなされ続けたり、呼吸ができなくなって飛び起きたりした。
一晩中そんな調子なので、昼間も寝台の上から動けず、窓の外でいつまでも降り止まない雨の音を聞いているだけの日々を送った。
最近は少しは眠れるようになり、昼間は起きて動けるようになったが、宴の翌日は元に戻ってしまう。
でも、少し無理をしてでも、動いた方が気が紛れる。
侍女に手伝ってもらって、寝衣から宴の時とは比べ物にならないほど簡素なドレス――というよりほとんど部屋着に近い衣服に着替え、寝室を出る。
以前はあんなに大好きだったおしゃれももう何の興味もない。こんな簡素な服ばかり着ていると侍女たちが品位がどうのこうの遠回しに言うのだけど、まともな服など着れる体調ではないし、自室から出ることもなければ誰かに会うこともないのだからと無視している。
私は後宮の外れに自室を与えられた。王城で生まれ育った私でも広いと感じる部屋で、造りも格調高く、置かれた調度品も一級品ばかりだった。
この部屋に住むのが本来どのような女性であるのかは、一応、理解している。
私だって“側に仕える”という言葉が含む意味がわからないほど幼くはない。
ちなみに最初侍女たちはこんな外れの部屋の、しかも人間の側室に仕えるなんてとあからさまに不満な様子だった。…その後宴の度に与えられる衣装や宝飾品を目にして手のひらを返したのだけど。
部屋を移動すると、朝食が用意されている。私が宴の翌朝はほとんど食べられないのを分かっていて、消化に良いものが、少しだけ。侍女たちも私に合わせてとてもゆっくり給仕をしてくれる。
…味がしない。
私が味を感じられないだけで、腕の良い料理人が作っているのは間違いないのだけれど。
ほとんど苦行に近い食事を何とか終えると、その後は一日中竪琴を弾き続ける。別に竪琴を弾きたいわけでも、弾かなければならないわけでもない。気を紛らわせることができるのであれば何でもいい。
竪琴はもともとある程度弾けた。幼い頃から城を抜け出してはお転婆ばかりだった私を心配した周囲に、半ば強引に身につけさせられたものの内の一つだけれど、その中では一番上達が早かった。
そういえば、はじめて大魔王の前で披露した時には、『これは思わぬ拾い物であった』とか何とか言っていたような気がする。
ここでは、他に何も、することがない。
ただ、こうして気を紛らわせ続けるだけの、何の意味もない、同じような毎日を繰り返すだけ。
この地獄はいつまで続くのだろう。