コーヒーはブラック派です。

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A Spoonful of Sugar

 

 十二月も中旬になって、そろそろ年末に向けた準備もひと段落した頃だった。

 

「トレーナーさん……クリスマスの、ご予定は……?」

 

 いつものようにトレーナー室で過ごしている担当の生徒──マンハッタンカフェから、不意にそんな誘いを持ち掛けられて。

 

「ん? あ、え、クリスマス? うん、空いてる。何かあるなら付き合うよ」

「……ふふっ。ありがとう、ございます……」

 

 しどろもどろになりながら答える僕を見て、彼女は砕けたような笑顔を見せてくれた。

 珍しいことではあった。

 元々、大人しいというか、自己主張が控えめというか──言葉を選ばないなら、暗い子だとは思っていた。どこかに進んで出向くのはコーヒーショップと登山くらいで、それ以外は基本的に自室か、私物を持ち込んで巣のようにしている旧理科準備室でひっそりと静かに過ごしているような子だ。

 そんな子だから、担当して間もない頃はコミュニケーションを取ることも難しくて、色々と失敗したり、気を遣わせたりすることもあった。ただまあ、今となってはそれも昔の話で、四年も一緒に過ごしていると流石に慣れてくるし、彼女の好きな物とかやりたいことも、なんとなく分かるようにはなってきた。

 ……とはいえ、なんとなく、という程度ではあるのも事実だし。

 こうして一緒に過ごしていく中で、大人しい子なんだなあ、と改めて思うことも多々あった。

 だから。

 

「あのカフェから、まさかクリスマスの予定を聞かれるなんて」

「……聞こえてますよ」

「聞かせてるの。嬉しいからさ」

「そうですか……」

 

 浮ついた気分の僕とは正反対に、彼女は不機嫌そうに頬を膨らませていた。

 

「それじゃあ、当日はどうしよっか? 僕は別に、いつもみたく静かに過ごすのでもいいけど」

「……せっかくですから、どこかに出かけませんか?」

「いいね、そうしよう。そうだ、行く途中でイルミネーション片っ端から破壊して回る?」

「やめてください……」

 

 さすがにそこまではっちゃける気分ではないらしい。

 

「冗談冗談。じゃあ、どこか食べに行こうよ。できれば普段なら行かないようなお店とかさ。いい機会だし、ちょっと大人っぽいところに挑戦してみたりする? 言った手前、アテはないけど……」

「……でしたら」

「うん」

「クラスの子たちが最近、話題にしているお店があるので……そこが、いいです」

「……おー」

「ダメ……でしたか?」

「違う違う。ただ、カフェもそういうのに興味があるのが意外だっただけ」

「……怒りますよ」

「あはは、ごめんごめん。いいよ、そこにしちゃおう」

 

 なんて自分でも驚くほどに、話がとんとん拍子に進んでいって。

 気が付いた時にはもう、店の予約も既に終わっていた。

 

「待ち合わせはどうしよう? 駅前にしておく?」

「もう少し……早い時間にしませんか?」

「うん、それでも大丈夫だよ。どこか見たいところあるの?」

「……駅前のイルミネーションを、少しだけ……」

「え、マジで破壊して回る?」

「普通に眺めるという選択肢は、ないんですか……?」

 

 呆れたように息を吐いて、彼女は僕にじとっとした視線を向けてきた。

 

「確か今年のクリスマスは平日だから、トレーニング終わりに集合って感じにする? 何だったらその日はオフにして、お昼からそのまま出かけてってのも悪くないけど」

「そこまでは……大丈夫です。トレーニングを疎かにするつもりは、ありませんから」

「真面目だよね、カフェって」

 

 それはこの三年間で、充分に分かりきっていたことだけど。

 なんだかんだ、「クリスマスなんだからオフにしてほしい」なんて、ちょっとだけ年相応に甘えてほしかったところはあったり。

 

「それじゃあ、当日は……だいたい十八時くらいかな? 駅前の時計前で集合にしよっか」

「はい……お願い、します……」

 

 そうやって頭を下げると、彼女はそそくさとトレーナー室を後にしてしまった。

 思い返せば、確かに珍しいことではあった。

 嬉しいことに、トレーナーである僕が一緒に居ても苦じゃないみたいで、何か用事が無くてもトレーナー室でゆっくりしているような子だ。僕の方から何か言わなければ、そのまま下校時間ギリギリまで居座るくらいのことはいつもしていた。

 それが、どうしていきなり、という話になるんだけど。

 

「……ああ、そうか。そういえば、クリスマスデートになるのか」

 

 なんて今更なことに、彼女がいなくなってからようやく気が付いて。

 それが数日前の出来事だった。

 

 

 十二月二十五日。クリスマス当日。

 

「お待たせしました……」

 

 時計台の前で待っていると、そんな風に声をかけられて。

 携帯に向けていた顔を上げたそこには、先ほどまで一緒だったカフェの姿があった。

 ただ、今の彼女が着ているのは、いつものような落ち着いた服じゃなくて、普段よりもちょっとだけ気合の入った──在り体に言えば、少しだけ攻めた感じの衣装だった。そういえば今年の流行りは、そんな感じだった気がする。いつだったか、廊下を歩いている生徒たちがそんな風に話していたことを思い出した。

 ……いや、よくないな。

 せっかく僕のために着飾ってくれたのに、他の娘のことを考えるなんて。

 

「ああ、もう来たんだ。早いね? まだ五時半だよ」

「その質問は……アナタにそのまま、お返しします。先に待っていてくれたんですか?」

「そりゃね。女の子と一緒に出掛けるんだから。それくらい甲斐性は僕にもあるよ」

「……言わなければ格好良かったですよ」

 

 そうやって、彼女は呆れたように溜息を吐いた。

 白く染まった息が、ゆらゆらと夜空に昇っていく。

 

「じゃ、適当にイルミネーション見て回ろっか」

「……そうですね」

 

 なんて言ってから僕が歩き出すと、カフェは静かに隣へと並んでくれた。

 彼女が目当てにしていたイルミネーションは思っていたよりも豪華で、適当にそこら辺を歩くだけでも、きらきらとした装飾があちらこちらから目に飛び込んでくる。トレーナー業を始めてから、クリスマスなんて縁がない──正確には、年末のレース関係で忙しくてクリスマスに携わるヒマなんてないものだと思っていたけど、改めてこうして静かに過ごすのが普通の季節だよなあ、なんてことを思った。

 そう考えると、やっぱりこの学校の生徒たちは大変だと思う。

 だって、思春期の大事な三年間を、レースに捧げなくちゃいけないんだから。

 それが絶対に悪いことだとは思わないし、仕方のないことだとは思ってる。

 だけど、こういう機会に巡り合わない子たちもいると思うと、やっぱり。

 

「綺麗ですね」

「……そうだね。破壊しなくてよかったよ」

「いつまで言ってるんですか……」

 

 咄嗟に口にした冗談に、カフェはいつもみたいな視線を僕に送ってきた。

 

「何か……イルミネーションに、恨みでもあるんですか?」

「いや学生時代にさ、クリスマスデート当日に彼女に振られたこと思い出すんだよね。わざわざ店の予約まで取ったのに、結局イルミネーションに包まれながら一人で帰ることになっちゃって。ホント最悪だった」

「……イルミネーションは、何も悪くないのでは?」

「それは分かってるんだけどね。でもさ、当てつけにもしたくなるのも分かってよ」

「ちなみに……どうして、振られることになったんですか?」

「ああ、今日もお金ないからメシ奢って~、って言ったらキレられちゃって。何発かブン殴られた後にそのままバイバイって感じ。……今考えると、あの子はもうちょい保った気もするんだけどなー……?」

「…………………………」

 

 そんな他愛もない、いたって普通の話をしていると、ふとカフェが僕の方をゆっくりと見上げて。

 

「前々からうっすら……いえ、ほとんど確信を得ていた上で、聞かないようにしていたことですが」

「うん」

「…………いわゆるヒモですよね、アナタ」

「大正解」

 

 正直に答えると、彼女は今日のうちで一番大きなため息を吐いた。

「いつから気づいたの?」

「初めて話した時からです」

「え、そうなの? その時はまだ、上手く隠せてると思ってたんだけど」

「……アレで本当に隠していたつもりですか?」

「ああ、そんなにバレバレだった?」

「そういうことに疎い私でも……分かるくらいには……」

 

 自分としては、今度こそちゃんとした大人になろう、と思って前向きになっていたつもりだったんだけど。どうにも、カフェにとって僕はやっぱり、そういうダメな大人に見えちゃってたみたいで。

 

「私を含めた生徒に対する扱いも、他のトレーナーさんよりどこか慣れているような印象がありましたし……何よりアナタ、甘えるのが上手ですよね。特に女性に対して。確かに普段は自分から相手に甘えさせるような振る舞いをしますけど、ここぞという時に甘えるじゃないですか。……もしかして、末っ子だったりしますか? いずれにせよ、アナタの甘え上手は才能だと思いますが……」

「ちょ……えっと、カフェ? もしかして怒ってる?」

「……察しが良いですね。そういう感覚も、学生時代に磨いたんですか?」

 

 なんて皮肉と同時に、いつもの数倍は鋭い視線を向けられた。

 

「他の子たちも、よくアナタの話をしていますよ。噂だと、ファンクラブもあるとか……」

「ファンクラブって……いや、女子高だとそういうこともあるのかな?」 

「……少なくとも、アナタは多くの生徒にあまり健全ではない目で見られていると言いたかったんです。アナタは誰にでも優しいですから。それに……私だって多少は思うところも、あります。……どうですか? 女性経験の豊富なアナタなら、今の私がどう思ってるかもお分かりなのでは?」

「そうだなあ……」

 

 なんてカフェの隣を歩きながら、しばらく考えて。

 

「もしかして、僕のことを独り占めできなくなったからつまんなくなっちゃった?」

「……アナタは……本当に、どうしようもないですね」

「あはは、ごめんごめん。でも、僕がこう言うことも想像ついたでしょ」

 

 返事は無かった。でも、多分それは肯定の意味だって、何となく分かった。

 

「せっかくのクリスマスなのに、こんな話はしたくありませんでした……」

「それは僕も同じ。じゃあ話題の切り替えってことで、そろそろお店の方に行くのはどう?」

「……ええ。そうしましょう」

 

 今から向かったとしても、ちょっとだけ予約の時間よりは早くなっちゃうけど。

 このまま歩き続けていたら、またカフェがご機嫌ナナメになっちゃうかもしれないし。

 だから、ちょっとだけでも機嫌を取らないとなあ。できるだけ怒らせないようにしないと。

 そう考えたところで、やっぱり僕は学生の頃から変わってないなあ、なんて。

 そんなことを、ふと思い返した。

 

 

 予約した店は、駅前のビルの上階にあるちょっとお高めのレストランだった。

 学生の財布じゃ手も足も出ない……というわけじゃないけど、そこそこの値段のするような、そんなところ。正直、こんなお店を本当にうちの学生が話題にするのかな、とちょっと疑問に思ったけど、ここはカフェの顔を立てておくために黙っておくことにした。

 

「じゃ、乾杯しよっか。メリークリスマス」

「……メリー、クリスマス」

 

 なんて、夜景を眺めながら形だけの乾杯をして。

 それから運ばれてくるコース料理を、カフェは嬉しそうにしながら食べてくれた。

 僕としては、ちょっと戸惑うかな、それくらい可愛いところも見せてほしいな、みたいなことを密かに期待していたんだけど、この子がこんなに嬉しそうにしているのが珍しかったから、これはこれでよかったな、なんて勝手に一人で満足した。

 そうやって食事をしていると、自然と今までの話になった。

 出会った時の頃や、クラシック級に上がってアグネスタキオンという生徒とひと悶着あったこと。シニア級に上がってからは、海外遠征も視野に入れていたけど、なんだかんだ日本でゆっくりしたよね、てかそもそもパスポート作るの面倒だったからよかったよ、みたいな話をしたら、未だに根に持ってますからね、と睨まれた。

 そんな話をしているうちに、改めて思ったことがあって。

 

「よくもまあ、こんなヒモ野郎にカフェはここまで付き合ってくれたよね」

 

 何の気も無しにそう口にすると、カフェは手を止めた。

 

「……それ、は」

「僕のトレーナーとしての実力なんて、下から数えた方が早いのに。それにカフェならあの頃でも引く手あまただったでしょ。僕みたいな男なんて早くに見切りつけて、もっと別の良い人見つけた方が……」

 

 そこまで口にしたところで、ああ、またやっちゃった、と後悔した。

 恐る恐るカフェの顔を覗くと、案の定彼女は呆れたような表情を浮かべていて。

 

「アナタを甘やかしたくなる人の気持ちが、よく分かりました……」

「いや、ごめん。卑屈になるのはよくなかったよね」

「……構いませんよ。もう、慣れましたから」

 

 いつもなら、呆れたような表情で言われるようなセリフだけど。

 その時のカフェは、なぜか少しだけ微笑んでいた。

 

「正直なところ……私もどうしてここまで我慢できていたのか、分かっていません」

「我慢って」

「ですが、アナタとこうして過ごしている時間は……落ち着きます。アナタが女性の扱いに慣れているから、なのかもしれませんが……私の気分がいいことは、事実です。ですから、アナタはそのままでもいいと思います。少なくとも、これからも私の隣にいるつもりなら」

「ふーん……」

 

 柄にもなく、そんな面白くも何ともない返事が自然と口から漏れた。

 いや、だって、なあ。

 普段ならあんまり感情も表に出さないし、口数も少ないあのカフェが。

 まさかここまで、直球で好意をぶつけてくるなんて、思っても無いことだったから。

 

「カフェさんも僕のこと甘やかしてくれるんだね」

「どうでしょうね。……私が気持ちよく過ごすためかもしれませんよ」

「でもさ、いいの? そんなに甘やかしてたら、多分僕はずーっとヒモ男のまま……いや、今よりもっとひどい感じの男になっちゃうよ? 具体的にはキスしてご機嫌取るとか、そういう感じの」

「……レースの賞金、まだ有り余っていますよね」

「あー……まあ。持て余すくらいには」

「それなら、それが無くなるまでは許しますよ」

 

 ……カフェの飲み物にも、もちろん僕の分にも、アルコールは入ってないはずだけど。

 あまりにも突飛なことを言い出すものだから、思わず疑った。

 

「なんだか変わったよね、カフェも」

「いったい誰のせいでしょうね」

「あはは、それもそうだね。なら、大人として責任はちゃんと取らないと」

「……今まで我慢した分だけ、お返ししてもらいます」

「もちろん。なんでもしてあげるよ」

 

 なんて冗談交じりに笑ってみせると、カフェはまた小さく笑って。

 

「今言ったこと、忘れないでくださいね」

 

 デザートが運ばれてきたのは、ちょうど彼女がそんなことを口にした時だった。

 

「……このケーキ、ちょっと甘すぎじゃない?」

「そうですか……? 私は、そこまで気になりませんでしたが……」

「大人の舌だと甘すぎるのかな。後でちょっと口直ししたい気分かも」

 そこまで言ったところで、カフェも気づいてくれたみたいで。

「甘えるつもりなら、ちゃんと『おねだり』してみたらどうですか……?」

「……そうだね。また、いつもみたいにカフェの淹れたコーヒーが飲みたいな」

「ふふっ……よく、できました……」

 

 観念して言葉を渡すと、彼女は得意げになって頬を緩ませた。

 はっきり言って、真っ当な関係じゃないと思う。

 それはカフェにも言えることだし、何より一番は僕が、という話にもなるけど。

 でも、それも悪くないかな、とも思う。大人としての責任とか、他人にとやかく言われることになるとか、そういのは正直、どうでもいいし。一番は、この子が喜んで満足して、気分の良い時を長く過ごしてくれるなら、それも一つの形だよなあ、なんて。

 惚れた弱み、っていうのは経験したことがないから分からないけど、きっとこういうことかもしれない。

 そこまで考えたところで、思春期の大事な三年間を、とか考えていたのは杞憂だな、と思った。

 

「……なら、これからも甘えちゃおうかな」

「ええ……構いませんよ。私も、飽きるまで付き合いますから……」

 

 思考から漏れた呟きに、カフェはそうやって返してくれた。

 そこで会話が一度終わったから、手慰みにケーキを口に運ぶ。

 やっぱりこのケーキは甘すぎるな、なんてことを考えたりした。

 




2023年12月30日開催のコミックマーケット103で頒布された、サークル「春一番」の合同誌「冬来たりな馬、春遠からじ」に寄稿させていただいたものです。

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