平成アニメ世界で令和の価値観を注入されたショタの話 作:浅学寺のえる
「あら、おはようございます。昨日は大変でしたのでしょう? もうお加減はよろしいのかしら?」
登校途中、
落ち着いた物腰に温和な印象を与える声。
やや吊り目がちだが、その瞳は他者を慮る慈愛で満ちている。
濡烏を思わせる艶やかな黒髪のみ、昨日の女幹部と特徴が一致するものの。両手を組みながら、祈るような所作で見つめてくる目の前の少女が、あの高慢なミーア・クシロンの正体だとは誰も思うまい。
そう、彼女は猫を被るのが頗る上手いのだ。
ちなみに僕は自転車通学なのだが、彼女はリムジンでの登校途中。
どうやっても交差点を曲がることが不可能なくらいに長い車体。その最後列にあたる座席の窓から彼女が顔を覗かせている。
その座席の対面から会釈する頭が二つ。お付きの二人【A子】と【B子】も居るようだ。
僕が会釈を返せばB子は【糸目】のまま微笑み、A子は【ジト目】で睨んでくる。ああ、いつもの光景で安心する。
しいなが語った「昨日は大変だった」という文言は、むしろ車内にいる彼女らにこそ向けられるべき言葉だろう。
僕に起こった事と言えば、せいぜいが鼻血を出した後に気絶したくらいだ。
「……出血も気絶も、原因は解らないのでしょう?」
少し間を置いてしいなが尋ねてくる。どうやら僕の体調を本気で心配してくれているようだ。
気絶に関しては全くの嘘なのだが、正直に話すわけにもいかず何とももどかしい気分だ。
一先ず、鼻血の件に関してだけでも弁明しておくべきか。
実は昨日の夜、
元々、
半ば日常に起こり得る事だったので、姉が応対してくれた電話を引き継ぎ受話器を耳にした時には驚愕したものだ。今回の電話相手は、輪ではなく彼の祖父である火鬼崎善だったのだから。近所では有名な発明家。幾つもの特許を持っており、日常で何気なく使っていた生活用品が実は彼の発明だったなんて事が何度かある。
そんな火鬼崎博士が、立て続けに鼻血を出した僕を検査してくれるという話だった。
この世界に関する決して他言できない事実を知ってしまった身ではあるが、万が一脳に異常があってもそれはそれで困ってしまう。そんな葛藤が僅かにあったのだが、僕から受話器を奪い取った姉が勝手に快諾してしまったのだ。今日の授業が終わったら火鬼崎家へと向かう事になっている。
「…………それでしたら安心できますわね。あら? そろそろ、通行の妨げになってしまいますわ。それでは、ご機嫌よう」
普段は立板に水を流すように朗々と話す彼女であるが、今日はどこか歯切れが悪い。
そんな些細な疑問を感じていると、登校する生徒が増えてきた事を理由に彼女が別れを告げてくる。
緩りとした速度で上昇していくリムジンのパワーウィンドウ。
羨ましい。我が家の自家用車は未だに手回しハンドルで開閉しているというのに。
【スマートキー】【電気自動車】【自動運転】
令和の車はそこまで進化しているのか!?
僕はてっきり、太陽光発電で走るドラえもん型の車『ソラえもん号』こそが未来の覇権を握る自動車だと思っていたのに!
おや? 離れていく萬宮寿家のリムジンのルーフにも、よく見ればソーラーパネルが付いているじゃないか。環境保全を謳っているだけあって、エネルギー問題に率先して取り組む姿勢は尊敬の念に堪えない。もっと改善できる点は大いにあると思うが……。
まあ、日本を代表する大財閥である萬宮寿家の意向を、僕の価値観で推し量る事自体が不可能な話だった。
先程通学路に生徒が増えてきた為、彼女は通行の妨げになってしまうと言っていたが、そもそもこの通学路は萬宮寿家の私道なのだ。通らせてもらっている身としては文句も言えまい。
僕たちが通う私立笛壱高等学校。しいなの住まう萬宮寿邸。この二点を直線で結んでいるのが、この道路なのだ。つまり、あの機能性を度外視したような全長50メートルはあるリムジンは曲がる必要無く移動できるのだ。そして最も恐ろしいのは、あの車で登校する事を目的として直線道路を通してしまったという事だ……つくづく頭が痛くなる。
「まあ! またお会いしましたわね」
校門をくぐり、僕が自転車を駐めていると再びしいな達と遭遇した。
校門から校舎までは50メートル。校舎入り口には、リムジンの頭が見えている。
後部座席に乗っていた彼女らは校門付近で下車を余儀なくされる、ここからは僕と同じく徒歩だ。
これがギャグアニメ世界。ツッコんだら負けである。
ふと校舎を見上げてみれば、2年C組の教室が目に入る。その一部は損壊していた筈だが、まるで何事も無かったかのように外壁は綺麗に修繕されていた──
昨日の顛末を思い返そう。
拘束された怪人と悪の女幹部。その幹部ミーアに頬ずりをする女子。
ヒーローは観戦の姿勢へと移行し、僕へと雑談を持ちかけてくる。
僕も両目を開いていた為、気絶から目を覚ましたと思っての事だろうが、せめて話題は考えろと言いたい。
「なんかさ! 女の子同士って、イイよなっ!」
開口一番がこれである。
確かに僕と輪は友人同士なのだが、ヒーロー『リングリット』とは会話した事すらないんだぞ。
形の上では初めて会話する相手だというのに、同意を求められても返事に困る。さて、どう答えるか……
【百合の間に挟まる男】【炎上案件】
視界が一瞬だけ赤く染まる。これは緊急事態だ!
急いでリングリットを止めなければ、きっと何かしらの火種になる!
「うんうん。蝶と花……いや、花同士かな?」
……ああ、問題なさそうだ。
僕が止めずとも、リングリットは【後方腕組み師匠】の如くミーアとまことを眺めている。
彼女らをどう表現するか悩んでいるようだけれど、花と蝶に例えるならウツボカズラに捕まったカラスアゲハといった所か。我ながら酷い表現だ。やはり百合というワードは偉大だった。
「この気持ちは一体? 胸が温かくなるというか、見守りたい……あるいは崇高なもののような……尊い?」
待て待て、令和の叡智も無しに未来の価値観を先取りされたら僕の立つ瀬がなくなってしまう。本当に輪は相変わらずだなぁ。
彼のヘルメットには、認識阻害効果があるようだけれど僕には効果が薄いようだ。
正体を知っているからなのか、単に付き合いが長いからなのか。或いはその両方か。
同様に、ミーアが装着している【VRゴーグル】の様な見た目をしたバイザーにも正体を誤魔化す機能があるらしい。
ゴーグルの前面は、おそらく液晶になっているのだろう。
ミーアの表情に合わせて、緑色のドットで描かれた瞳がパターンを変える仕様だ。
中央に一つある
《こりゃ! 折角捕らえたんじゃ、今のうちに敵の正体を確かめんか!》
「あ、そうだった! あのバイザーを外せば、ミーア・クシロンの正体が分かるかもしれない!」
ヒーローと女幹部は、互いに正体を知らない。
と言うよりも、それぞれの勢力に属する人間以外で正体を把握しているのは僕だけだろう。
ここでミーアの正体が露見してしまえば、それはそれで問題なさそうではあるが、おそらく『彼女』がそれを許さない。
ああ、ここで言う彼女とはミーアの胸に顔を埋めている羽吹まことの事ではなく
その光景をジト目で眺めている、柴犬怪人ケンケンαこと──【A子】の事である。
「ごめん、ミーアさま。どうか、無事でいて……」
「くぅ〜ん、わふ」
「んっ! やっ、ダメですわ! いい加減、離れなさいな! ひゃっ!?」
「むー。ずるい」
何処かで聞いたようなセリフを放つA子だったが、肝心のミーア様の耳へは届いていなかった。
不貞腐れたA子は少し頬を膨らませながら、拘束されている四肢へと力を込める。
すると彼女の身体から閃光が迸り、瞬く間に僕の視界は白く染まった。
これは自爆。前回の猫怪人同様、彼女たちは窮地に陥るとこの方法を取るようだ。
光が収まったのち、教室に残っていた人間は5人。
まず、僕とヒーロー。そして──
口では「あらあら」と言いつつも、大して戸惑ってはいなさそうな【B子】
強い光で目を覚まし、未だ寝ぼけた様子をみせる【クラスメイトE】
最後に、顔を押さえ俯きながら悶えている羽吹まこと。手で隠れて見えないが、おそらく彼女の顔はトマトの様に赤くなっていることだろう。
「……ねえ、見た?」
そう問いかける彼女に対して、僕は首を横へ振りすかさず否定した。
「うそ! だって君、顔赤いもん! ァ〜〜ッ!!」
どうやら僕の顔も相当に赤かったらしい。まことは声にならない悲鳴を上げ、蹲ってしまった。
居た堪れなくなり、僕は教室の被害状況へと目を移す。
窓側の壁には直径3メートル程の穴が空いている。
窓は勿論。中央にある柱。そのコンクリートと中にある鉄筋までもが綺麗にくり抜かれたように消失している。
何か円形、あるいは球体の物体が障害物を消しとばして直進したような形跡。
この場から消えた2人が、この現象を引き起こしたと見て間違いない。
最後にA子がいた位置、ミーアがいた位置、そして教室に空いた穴。
それらを線で結び延長させていけば、その先に存在している建物は萬宮寿邸なのだから。
「わん!」
自己主張をするかのように、小さな柴犬が吠える。
怪人が消えた後、その現場にはモチーフとなった動物が現れる。これで3匹目だ。
例によって萬宮寿家で引き取るそうだ。B子が子犬を胸に抱えて教室から出ていく。
いつの間にか変身を解いていた輪に声をかけられ、僕らも揃って下校する。
帰り道、まことが鬱憤晴らしをしたいと言い出し男3人は彼女のカラオケに付き合う事となった。
少し遅い時間だからか、僕だけが店のカウンターで年齢確認をされた。納得がいかない。
高校の制服を着ているというのに、どうして小学生と間違う事ができるんだ……。
回想終わり。
さて、今日は土曜日。授業も午前中で終わりだ。
先週の第2土曜は休日だったものの、他の週は半日授業というカリキュラムだ。私立高校とはいえ、この辺りは公立高校と同じで助かる。
まあ、一昨年まで
ここ
僕らが受験した頃は、ここは公立高校だったのだ。
そんな常識では考えられない事を行なったのは勿論、萬宮寿家。
その為、しいなの祖母である萬宮寿イグナが現在この高校の理事長を務めている。
欧州の血を半分引いているイグナは、来年還暦を迎えるとはとても思えない──【美魔女】である。
恐るべき事にこの魔女は、孫が可愛い余りに学校を一つ市から買い取ってしまったのだ。
耐震に不安があると言い、春休み中に校舎を丸ごと建て替え、ついでに各教室へ冷暖房を完備してくれた事には感謝している。
だが、何も自ら教鞭を執らずともよいだろうと言いたい。
教員免許を持っている彼女は、理事長職と兼任して2年C組の世界史を担当している。
そして、教育に関しては異様に厳しいのだ。
時計を見上げれば時刻は正午を回って長針が真下を向いている。まさか、1時間も説教を受ける羽目になるとは……。
「あら? お祖母様のお話は終わりましたの? まったく、
解放されて廊下へ出てみれば、またもやしいなと遭遇する。
呆れ気味に話す彼女だが、僕自身あんな巫山戯た間違いを起こすとは思いもしなかった。
世界史の授業で最古の人類を問われ、サヘラントロプス・チャデンシスと答え、約700万年前に人類が出現したと口述してしまったのだ。
令和知識の弊害だろう。無意識下で当然と思ってしまっていたのが恐ろしい。
この時代の歴史教育では、アウストラロピテクスという答えが正解なのだ。人類の出現も440万年前という事になっている。
教科書は時代と共に改訂されていく。どうやら現在と令和では随所に差異があるようだ。
今の僕は油断していると、鎌倉幕府の成立を1185年と答えてしまいそうだ。
「……やっぱり、調子が悪いのかしら? それとも、あの時の結晶が──」
調子が悪いというのなら、彼女の方だろう。
もはや恒例となっている舌戦。Eがハブとマングースの戦いと揶揄するそれが、今朝はまことの圧勝で終わったのだ。
高笑いを上げ勝ち誇るまことの姿は、昨日のミーア・クシロンを彷彿とさせた。
言葉に詰まるしいなの姿は痛々しく、あの場面だけを切り取れば『ヒロイン』と『悪役令嬢』は完全に入れ替わっていた。
そして、まことが絶好調だった点に関しては僕にも原因がある。
今のまことは【自己肯定感爆上がり】状態なのだ。
昨日のカラオケで、僕らが褒めちぎった影響が如実に現れてしまった。正直、やりすぎた……
「──聞いていますの? よろしければ、ご自宅までお送り致しますわよ?」
思考に耽っていれば、目の前に萬宮寿しいなの顔がある。とても心臓に悪い!
彼女は【とにかく顔がイイ!】じゃなくて、いやそれも合っているけれども。彼女はとても
八方美人と言うには、ごく一部の人間に対して明け透けに物を言うのだが、基本的には淑女然としている。
悪の女幹部ミーアのように高笑いも上げなければ、水着のようなコスチュームも着ていない。
清楚な印象を残しつつ【絶対領域】を形成する制服の着こなし方は、見事の一言。
優雅な所作も相まって、まさに深窓の令嬢を絵に描いたような存在だ。
つまり、彼女の本性を知っていた所で急に接近されると素直に戸惑ってしまう。
むしろ【ギャップ萌え】とも呼べる感情を抱いてしまいそうだ。
真っ直ぐと見つめられる事に耐えられず思わず視線を動かせば、彼女の長い黒髪の中に同色で判りづらいがイヤホンのケーブルを見つけてしまった。
なにか音楽でも聞いているのだろうか? 僕には今や不要とはいえ、昨日までウォークマンを使っていた身としては共感を覚えてしまう。
無意識に耳を澄ましてしまい、イヤホンから漏れる独特のノイズが混じった小さな音を捉えてしまった。
《わたくしはニンゲン。わたくしはニンゲン。わたくしはニンゲン──》
「こわっ!?」
「な、怖いとはなんですの! 人が心配しているというのに!」
思わず大きな声が出てしまったが、なんだこの音声? 彼女自身の声で、まるで自己暗示をかけるかのように繰り返している。
人間である事を繰り返し意識しなければ自我が保たない? そんな非常識な──
嗚呼そうか。
昨日の柴犬怪人がもつ特殊能力『精神動物化』
おそらく彼女は、その影響下にあるのだ。この世界は勧善懲悪のヒーローものでもある。その『懲』にあたる現象。
人を呪わば穴二つ。彼女の身に、呪詛が返ってきたのだ。
そう考えると、今週の中頃まで彼女が常時キャスケット帽を被っていたのにも合点がいく。
理事長への忖度で彼女を注意できる教師はいなかったが、校則違反ではある。体面を繕うのが上手な彼女にしては違和感のある行動だった。
だが、あの帽子を外す事ができなかったと考えれば腑に落ちる。
先週襲撃してきた怪人の能力から推察するに、帽子の下にはきっと『ネコミミ』が生えていたのだろう。
「もう! 体調に問題がないのでしたら下校なさいな。火鬼崎博士に呼ばれているのでしょう?」
そうだった。僕は軽く挨拶を交わし、この場を後に──ん?
後ろを振り向けば、眼前に銀色の頭が現れる。僕よりも頭一つ分小さいA子が真後ろに立っていたのだ。
その手に掲げている画用紙には「それじゃあ、またね萬宮寿さん」と書かれている。これは僕が直前にした発言だ。
なるほど、今朝から続く違和感の正体はこれか。
イヤホンを付けている状態では大きな音以外は聞き取りづらい。そこでA子が紙に台詞を書き出し、会話を成立させていたのだ。文字を待ってから喋り出すのだから【ラグ】が起こるのも当然といえる。
「あの、これは! そう! この子に字の練習をさせてましたの!! そうですわよ、ねっ!?」
「……そう」
いやいや、いくら幼く見えるからと言っても無理があるだろう! A子が涙目になっているぞ!?
達筆かつ高速で『萬宮寿』と書いてみせた彼女が、今更字の練習をする必要もないだろう。
僕はイヤホンの事を指摘して、そのせいで筆談をしていたのだろうとフォローする。
続けて捲し立て、もう放課後なのだから音楽をこっそりと聞いていたことを別に責めたりはしないと言い放つ。
そしておまけとばかりに、昨日のカラオケ帰りに購入した新発売のCDを贈呈しておいた。訳あって未開封なので失礼には当たらないだろう。
長尺になってしまった僕の台詞を一生懸命書き出しているA子を待たずに、今度こそ僕はその場を後にした。
余りにも居た堪れない状況を脱兎の如く抜け出し、僕は自転車を走らせ火鬼崎家へと駆け込む。
約束の時間5分前。危うく遅刻するところだった。
輪への挨拶もそこそこに、僕は博士の待つ地下室へと案内された。