平成アニメ世界で令和の価値観を注入されたショタの話 作:浅学寺のえる
「起きて、義弟くん。もう朝よ〜?」
耳を優しく包み込む、甘い声。鼻孔をくすぐる、甘い匂い。
そして、視界を埋め尽くす白一色……これはメイド服のエプロン部分だ。さらに言えば、その胸囲部分に当たる。二度目の経験となるので断言してもいい。
僕は、B子さんに膝枕されている!
おかしい。もう彼女は、姉さんの恋人。僕を甘やかす事は無いと踏んでいたのだが……。
「お客様をお世話するのは、メイドのお仕事よ〜。でも、理珠が嫉妬しちゃうから『頭なでなで』は、してあげられないの。ごめんね〜」
え? だけど現在、僕は頭を撫でられている。
これは一体誰が……って、視界が狭くて全く見えない! 下手に動くと胸部装甲を掠めてしまうし、困ったな。まことの膝枕だと簡単に起き上がれたのに、B子さんの場合は圧迫感がすごいのだ。
なにせ、胸もさる事ながら『太もも』も常人を超える
「義弟く〜ん? 寝言は、おねんねしてから言うものでしょ〜?」
薄っすらと開いた瞼から、綺麗な碧眼が覗いている。目が笑っていない。
確かに今のは僕が悪かった。膝枕から転げ落とされても仕方ないな。
そういえば昨日も、デリカシーに欠ける発言をしたんだっけ? それをイグナ婦人に指摘されて、えーと……最終的にどうなったんだろう。
深夜0時を過ぎた辺りから記憶が無い。そもそも、ベッドで寝た記憶すらないのに、なぜ僕はふかふかのベッドでB子さんに膝枕されていたんだ?
「D、床で寝てた。頭にコブが出来てたから、ワタシがなでてあげてた」
僕を撫でていたのは、A子だったのか。A子 & B子さんに起こしてもらうなんて、クラスの男子からすれば垂涎もののご褒美タイムだろう。
銀髪メイドと金髪メイドによるモーニング甘やかし。ラグジュアリーなひと時が、あなたの疲れた心を癒してくれます。宿泊施設、萬宮寿邸の客間──あ、イタ!?
「D。寝言は寝て言って。そんな態度だから、イグナさまが怒った。それで頭を殴られて、気絶した。これがワタシの考え……どう、美衣?」
「多分あってるわぁ。詠ちゃんはお利口さんで、えらいえらい〜。義弟くんは、お泊まり会でテンションが上がっちゃったのね〜」
頭が痛い。ぼんやりとした記憶だけど、A子の推測で正解だろう。
昔みたいに『イグナばーさん』と呼んでしまったせいで、後頭部に鉄扇の一撃を喰らったのだ。あの御婦人、上品なマダムを装いながら全ての持ち物が武器に転用可能だからなぁ。頭に挿している『かんざし』で、僕の頭を刺されなかった事を幸運に思おう。
それにしても、A子は普通に『なでなで』してもらえるのか。現状では、頭部にダメージが残っている僕も撫でてもらいたいけれど……B子さんからの視線が少し冷たい。あれは、悪ノリで自滅した男子を見る目だ。ワッカとEは慣れてるだろうけど、僕は耐性がないからこたえる!
あれ? でも、B子さんが目を開いているという事は『千里眼』が発動している……?
僕を睨みながらも、服を透視しているのでは!?
「大丈夫よ〜。だって義弟くん、服を着てないじゃない。透視しなくても裸ん坊よ〜?」
「そう。着替えさせるために、ワタシがむいた。はい、あとは自分で着替えて」
えっ!? 僕は、昨日しいなさんが渡してくれた『寝巻き用ガウン』を着ているハズ。
着心地抜群で、もはや着ている感覚すら忘れてしまう程の逸品を──着ていない!?
服も着ずに堂々と会話していたなんて……まるで、裸の王様じゃないか!
「王様。そろそろ本当に時間がない。7時に、別館へ集合」
「お寝坊さんの王様は、ご飯抜きよ〜。だから、早く着替えてね〜」
あと10分も無い!? 遅れたら、またイグナ婦人に制裁されてしまう!
早く着替えて……って、これ女性ものだ!?
あー、もうっ、A子! 時間が無いのに、余計な仕込みをするんじゃない‼︎
別館……というか、萬宮寿流道場。
昔、僕も少しだけ通った事のある場所だ。まさか、渡り廊下で本邸と繋がっていたとは驚きだ。
しかし今の道場は、とても格闘技を学ぶ場所には見えない。床は板張りでも畳でもなく、ゴムマットの様な質感。照明は青い光を放っており、内部を薄暗く感じさせる。
そして何より異質なのは、中央部に設置されている『巨大ステージ』の存在だろう。
ああ、脳内でこの光景を見ているレイワさんの為に説明をしておこう。
この場所は、八角形をした
試合場を取り囲む客席は2層構造となっており、その全席を格闘家が埋め尽くすさまは壮観だ。
まあ、熱気に充てられた門下生がすぐに乱闘を起こすから……全員着席してる光景は一瞬で終わるけど。そんな不祥事が続出するから、本家の建物を使用禁止とされ、この館が建てられたのだろう。
屋根には『玉ねぎ』を想起させる金色の
いつからか、ミュージシャンの夢の舞台となったコンサート会場。
ここは、その『武道館』のレプリカなんだ。大きさそのままの、1/1スケール再現。
ライブ会場を模した今のステージ風景なら、レイワさんにも馴染みがあるだろう。
僕も子供の頃に、一度だけ母さんに連れられて
だと言うのに、この場にいる人数は──
「おーい、早くアリーナに来るゾイ!」
ファンキーな髪型の白髪男性が、ステージ場からマイクで呼び掛けてくる。
頭頂部に髪は無く、逆モヒカンとも呼べる髪型をしたサングラスの男性──ロックシンガーではなく、萬宮寿シグマ氏である。
あれが、彼の平常スタイルなのだ。パンクロックな革ジャンを着こなし、スキニーデニムを履きならし、ピザカッターの様な丸鋸が付いたブーツを履いている。
ちなみに博士として振る舞う際は、あの上から白衣を纏う。奇抜なマッドサイエンティストだ。
「ようやく来ましたわね。美衣と詠も、この者には手を焼いたでしょう。礼義を欠くような真似をされた時は、容赦なく折檻しなさいね?」
アリーナ最前列まで行くと、イグナ婦人が
そして、僕らの到着を以て全員集合。
萬宮寿シグマ、イグナ夫妻。
しいなさん、A子、B子さん。
僕と……ブーゲンビリアさん。以上7名。
箱の『キャパ』と全く見合っていない人数だが、もはやツッコむだけ野暮だろう。
しいなさんも、ブーゲンビリアさんも、今朝は『謎の玉』を着けていない。認識は阻害される事なく、誰の目から見ても『黒髪の令嬢』と『プラチナブロンドのメイド』に映っている事だろう。
「おはようございます、ディエゴ。6時58分……遅刻ギリギリでしたが、間に合って良かったですわ。では、時間も御座いませんし──ジーナ、映像の準備を」
しいなさんの指示で、ブーゲンビリアさんが機器を操作する。若干、手間取っていたようだが……程なくして、ステージ場の巨大スクリーンに『資料』が映し出された。
次に、天井から吊るされた『ゴンドラ』がゆっくりと下降し、萬宮寿夫妻がそれに乗り込んだ。
おそらくは、映像を元にシグマ氏が説明する流れなのだろう……イグナ婦人がゴンドラの位置を手元のリモコンで操作し、全長6m程の長さの『指し棒』を夫婦仲良く抱え、映画館顔負けな特注サイズの銀幕で、プレゼンテーションしてくれると言うのだ。
無駄が多すぎる!?
まず彼らに『プレゼン』の仕方を、誰かプレゼンしてくれないかっ!?
『
いにしえの時代は、自然界の精霊を降ろす儀式だった。人の想念に触れていない、純粋な『思念体』との同調を可能とする者──それが巫女なのだ。
萬宮寿の始祖である『オメガ』という女性は、複数の精霊をその身に宿す事ができたそうだ。一つの身体に、火、水、木、金、土。その五つの属性を備えた史上最高の巫女。あらゆる天災にも打ち勝つ、圧倒的な力を有していた……らしい。どうにも眉唾な内容である。
話を現代へ進めよう。
近代化を果たした平成の世に於いて、自然界の精霊に助力を乞うのは難しくなった。科学の進歩と反比例するように、精霊を知覚する力は人間から失われて行くそうだ。
蛇口をひねれば水が流れる。
それが常識となってしまった僕らは、無意識に『道理』を書き換えてしまったのだろう。
日照りが続いたとて、天に雨を乞わずとも生きていける。
ダムの貯水が尽きるまで、真に危機感を持てる人間は少ない。僕だってそうだ……むしろ、ペットボトル飲料さえ販売していれば、直近の渇きは癒せる。と、考えてしまうな。風呂とトイレには困るものの、人が干涸びる姿までは想像できない。
もはや、超常の存在に救いを求める時代は終わった。大多数の人が、そう感じているだろう。
それは巫女も例外では無い。現代で生活する以上、しいなさんも近代文明に触れている。いくら機械に疎いとは言え……いくら巫女の資質に優れているとは言え、自然界の精霊と同調する事はほぼ不可能なのだ。
だが、その条理を覆せる存在が『
精霊と同調できずとも、人間同士ならば相互理解ができる。
僕が心の底から
「その通りですわ、ディエゴ。理解が早くて助かりましてよ! それでは、おじいさま。
「うむ。ブリーフィングは、これにて終了ゾイ。作戦決行まで三時間程の猶予がある……少年、しいなを宜しく頼むゾイ」
統合精霊の仕組み、作戦の概要、諸々の注意点。僕がそれらを理解できた事で、この会合は終わりのようだ。おそらく他の6人は、事前に承服済みの内容だったのだろう。
あの巨大スクリーンによる説明が、僕一人の為だったと思うと萎縮しそうだ。
でも、今は尻込みしている場合じゃない。
僕の手を引く『しいな』さんに、きっぱりと融合拒否の意志を伝えなければ──
今回の件、慎重に選考しました所、誠に残念ですが
「は……? 何を仰ってますの?」
おかしいな。レイワさんから聞いた作法通りにしたのに……あ!
これは『電子メール』での話だったっけ。多分、文章にしないと正確に意図が伝わらないんだ。今から紙に
僕が融合する相手は、あなたじゃない。
そこに居る、ジーナ・九重・ブーゲンビリアさん──
の、姿をしている『萬宮寿しいな』さん以外と、僕は融合しない‼︎
「……わ、私がジーナだとでも仰りますの!? 確かに、昨日までは『入れ替わって』おりましたわ。ですが今の私は身も心も、しいな でしてよ! そうでしょう、美衣、詠」
「う〜ん……今朝は、置き手紙だけで『しいな』ちゃんと会ってなかったから〜、何とも言えないわ」
「ワタシも同じ。でも、さっきの『ジーナ』は機械オンチで、しいな様みたいだった」
そう。彼女が抵抗なく、僕を『ディエゴ』と呼んできた事で疑念が生まれ。
本人の口から、元に戻っていない理由を説明してもらえると助かるのだが……彼女は悲しそうな表情を浮かべるだけで、何も語ってはくれない。
「ふ、ふん! 証拠も無いのに、おじいさま達の前で妄言を吐かないで下さいまし。不愉快でしてよ! それに、今までだって散々『ディエゴ』と呼んでおりましたでしょう? この私が、
その態度がもう答えなのだが──
シグマ氏は、入れ替わりの弊害で人格に影響が出た可能性を提言。
イグナ婦人は、何も語らないメイドさんの口を割ろうと必死。
A子とB子さんは、明確な証拠を示せず悔しそうな表情を浮かべている。証拠と言っても『心』は目に見えない。他人が立証するのは不可能に近い。
なので……少し乱暴な手段だけど、しいなさんの口を割る事にしよう。
まさか腕時計のギミックが、こんな場面で役に立つとは思わなかったな。
時刻を4時17分に合わせ、リューズを5回ノック。1、2、3、4、5──
文字盤が開き、中からレンズ状の照射機が現れる。これは『
シグマ博士が改造した市販時計なんて、金額では表せない価値を持っている。
そして、僕自身にとっても何に変える事のできない特別な価値がある。
だってこれは、しいなさんからのビデオレターなのだから。
──《助けて、オビ=ワン・ケノービ……なーんて、冗談ですわ! うふふ、あなたはこう言う趣向がお好きでしょう? あ、待って下さいまし美衣。やっぱり、今のジョークは微妙ですわ。もう一度撮り直しを……え。録画できるのは、一回限り?》
「な、な、な、なぜソレを!? どうして、解除方法を知ってますのー!?」
おっと。早くも彼女の口を開く事に成功してしまった。
でも少し静かに……。肝心のメッセージが、このあと流れてくるから!
──《コホン! 愛するディエゴへ。あなたは、そう呼ばれるのを嫌がるかも知れませんが……このメッセージを聞いている頃、
──《龍位精霊に敗北。もしくは、私の悪事を知りあなたが幻滅されたか。そういった場合に、美衣が解錠手段を伝える手筈になっておりますわ。未練がましく思われるかも知れませんが、私の想いだけは伝えておきたいんですの》
──《たとえ、私に『シーナ』という名前を贈ってくれた人が理珠さんだとしても。あなたには、それとは
恩があると彼女は言うけれど、僕には身に覚えが無い。なのでこの機会に、本人から直接聞きたい所だが……無理そうだ。
赤面した彼女は、言の葉を紡ぐ機能が一時停止している。涙目になって「わァ……ぁ……!」と、声にならない声を出すだけで精一杯の様だ。
──《ですので! 私は、あなたの事を、あ、あい……ダ、ダメですわ美衣。やっぱり恥ずかしくて「大丈夫よ〜、しいなちゃん。仕切り直した時に、もう告白しちゃってたもの〜」えぇ!?》
──《嘘ですわよねっ!? もっと綺麗に告白する段取りでしたでしょう!? 彼が生涯、私を忘れられなくなる程の、儚くも美しい演技プランを組んで練習も──》
メッセージが終了した。何度聴いても、混沌としていて面白い。
彼女には、儚い演技など必要ない。まして美しさならば、演じるまでも無い。
ただ
「〜〜ッ‼︎ もう嫌ですわー! こ、これ以上の辱めは耐えられませんの!」
この反応が、動かぬ証拠。赤面して顔を隠す彼女こそが、しいなさん本人だ。
そちらの
「くっ……こ、これは萬宮寿流心術『明鏡止水』で平常心を保っていますのよ!」
まだ言い逃れする気なのか。けれど、状況証拠なら他に幾らでもあるんだ。
ここで一気に畳み掛けてしまおう!
昨日、しいなさんの身体で車を運転していた件。視力が低下している肉体で、あなたは眼鏡をかける事なく普通に運転をしていた。ああ、コンタクトレンズを付けていたのだろう?
今だって付けている筈だ。僕らがこの場にやって来た時、2階席の入り口にある『デジタル時計』の示す時刻を正確に読み上げていたのだから!
「それがなんですのよ!? 視力が落ちているのだから、コンタクトを付けて当然でしょう!」
しいなさんは、コンタクトを付けない!
彼女は、目に物を入れるのが怖いんだ‼︎
「はぁ……?」
あ、あれ? 格好良く決まったと思ったのに、手強いな。
けれど他にも、状況証拠はある。しいなさんと僕にしか判らない思い出の数々。それを確認する事で、彼女の記憶には整合性がないと証明できる。
まずは、まことと入れ替わった時に、胸が小さくなったのを気にしていた件から──
夢の世界でトイレに行って、現実でおねしょしてないか気にしていた件──
子供化の影響で中学生まで成長し直した時、まことをお姉ちゃんと呼んでた件──
スキー場の山小屋で、本当は頬を上気させ、薄着で僕に迫っ──
「ストップですわディ、ディエゴ‼︎ み、認めますわ……私が、しいなですの! ジーナと入れ替わったまま、戻れなかったんですのー‼︎ だからもう、それ以上は勘弁して下さいましーっ!」
途中から、しいなさんの可愛い所を挙げるだけになってたけど、結果的に目標達成だ。
「いいえ、まだですわ。そこの
本当にしつこい人だなぁ。
既にA子とB子さんだけでなく、シグマ氏とイグナ婦人も『入れ替わり』の継続を確信していると言うのに。互いの人格に影響が出たと言い張っても、記憶に関しては誤魔化せないだろう。
魂の記憶で、しいなさんは僕らとの経験をしっかりと覚えている。
それに引き換え、あなたは上辺だけの出来事しか把握していない。
もし違うと言うのなら、夢の世界で出会った女性の名前を言ってみてくれ。僕の姉を自称した、あの人の名前だ。
「そ、その様な些末事は、記憶に留めておく価値が御座いませんわ」
「私は覚えておりますわ。『名津いおん』さん……とても忘れられない程に、印象の濃い方でしたもの。ジーナ、もう宜しいでしょう? 彼に本当の事を話すべきですわ」
お粗末な言い逃れをする女性に、しいなさんが優しく問いかける。
しかし、それでもブーゲンビリアさんは認めない。なにが彼女を頑なにさせているのかは判らないが、このままでは話が一向に進まない……困ったな。
「そーだ。Dが困ったら、これを渡す約束だった」
周囲の空気を無視して、僕へビデオテープを手渡してくるA子。
BETAテープ。この規格の物なら、先程しいなさんが操作していた機材で再生できそうだ。
だけど、これが一体なんだと言うのだろう……そもそも、A子は誰と約束したんだ?
「昨日ワタシの代わりに、Dをお風呂場から客間まで案内してくれたメイド。あの見知らぬメイドが、そのテープを預けてきた」
ああ、僕の入浴中に風呂場へ乱入して来たあのメイドさんか。
確か『
そもそも、A子ですら身元を知らない人間に、僕の案内を任せないで欲しいなっ!
「落ち着いて〜、義弟くん。詠ちゃんには、わたしがキツく叱っておくから〜。今は、そのテープを見てみましょう?」
確かにB子さんの言う通りだ。
現状を打破できる可能性に賭けて、謎のテープを再生してみよう──
巨大スクリーンに映し出されたのは、昨夜未明の映像記録。
画面下の時刻表字は、2:45。おそらく場所は、ブーゲンビリアさんの私室。
そこに、しいなさんがやって来たという場面なのだろう。明らかに盗撮だと思われる画角だが、上手い具合に入れ替わった二人の姿を捉えている。
──「ジーナ、大変ですわ! 108時間経ったのに、私達の身体が戻ってませんのよ!?」
──「落ち着いて下さい、しいな様。九重の占星術で、この可能性も想定済みですわ。よいですか? 『呪詛返し』が108時間で効力を失うのは、しいな様の巫女として優秀な
語られるのは、肉体が持つ巫女としての資質の差。
思い返せば、まことの身体になった彼女は『魂』を掴む事ができなかった。やはり、巫女の力の源流は肉体に由来していると言う事だ。
呪詛は、しいなさんの魂に紐付いている。ブーゲンビリアさんの肉体も巫女としての力を有しているが……その資質は、しいなさんの半分も無いらしい。
本来ならば、呪詛返しは108日間も続く恐ろしい呪い。
ブーゲンビリアさんの肉体では、どの程度まで軽減できるのかは未知数。少なくとも、しいなさんの倍である216時間。日にちにして、9日間は元の身体に戻れない計算だ。
当然、危機の到来に間に合う訳もなく……。
──「そ、そんな……私はディエゴと約束しましたのに。二人で一緒に、龍位精霊を倒すと……」
──「残念ですが、今のあなたには『統合精霊化』を成せる程の力は御座いませんわ。ですが、ご安心を。あの坊やとは、私が融合しますわ。世界の危機ですもの、異論は御座いませんね?」
世界の危機というワードを出され、しいなさんの雰囲気が一転した。
シグマ氏にも説明されたが、龍位精霊は放置できない存在なのだ。超大型の台風が、消える事なく世界を移動し続ける様なもの。
建造物への被害、農作物への被害、流通網の寸断、都市機能の崩壊──予想される被害の数々。
それでも、現代社会ならば何度かは持ち堪えられる。経済的な損失は計り知れないが、復興を果たせるだろう。だが、再生を嘲笑うかのように再び危機が訪れていては心が保たない。
世界規模の天災が、終わる事なく文明を破壊する。紛う事なき、人類存続の危機。
ゆくゆくは、地上に済む生命の大多数が生存の危機に見舞われるだろう。環境変化による選別は、適応できないものを容赦なく切り捨てる。その先にあるのは……種の絶滅。
だからこそ、しいなさんは役目を任せる決断をしたのだ。
萬宮寿しいなの役目を、その肉体を持った者に委ねる。責任感の強い彼女からすれば、忸怩たる思いだろう。アングルの都合上、映像から表情を窺うことは出来ないけれど……震える肩が彼女の心情を物語っている。
──「……わかりましたわ。大役を任せてしまい申し訳御座いませんが、ジーナには」
──「違いますでしょう、
──「…………はい、しいな様」
ブーゲンビリアさんに命令され、しいなさんはB子さんへの置き手紙を書いている。身体が元に戻ったという旨と、朝は忙しいので席を外すという内容らしい。
直筆の手紙を持って、しいなさんが退室する。部屋には一人。黒髪の少女が、くつくつと笑っているのみ。
次第に笑いを堪え切れなくなり、ついには──
──「オーッホッホッホ! 上手く行きましたわっ! 嗚呼、くいな様の血を引いた『至高の肉体』が、これからも私の物になるなんて……‼︎ こんな幸運、笑わずにはいられませんわ。あとは子犬を籠絡して、融合してしまえば……。ふふっ、あの坊やならば簡単に堕とせますわ」
初めてフィアット500に乗った時、良いように手玉に取られたのだから侮られても仕方ないけど…… 随分と、僕に対する評価が低いようだ。
まあ、その油断のおかげで難なく背中をとる事ができた!
「は、放しなさいっ!?」
姉さんからは女子への羽交い締めを禁止されているけれど、今回の相手は
これだけ彼女が焦ると言う事は、この先は見られたら不味い内容という事だ。
さあ、どんな真相が待っているのか見てみようじゃないか!
──「ああ、美しい……。フフフフ、本当に生き写しの様です。鏡を見る度に、くいな様とお会いできる幸福。素晴らしいですわ……! はぁ、はぁ、今日も我慢できませんの……んっ、くいな、さま」
……この流れを、僕は知っている。
鏡にチュッチュした後は、一人芝居を始めるのだろう?
先駆者であるB子さんへ視線を向けると、顔を逸らされてしまった。瞼は閉じているけれど、きっと目は泳いでいるに違いない。
A子は、画面上の『しいな』さんの姿に顔を赤らめてモジモジしている。
萬宮寿夫妻は揃って硬直中だ。自分達の娘が
そして、僕が拘束中のブーゲンビリアさんは……ヒステリックな金切り声を上げ続けており。
一番の被害者である しいなさんは、両手で顔を隠し蹲っている。一番可愛い反応だ。
《さて、この先の映像は割愛しましょう。未成年者には、刺激が強すぎますからねぇ》
映像は終了し、音声だけがスピーカーから流れてきた。
変声機を通した声は異様に甲高く、男女の判別すらできそうにない。
《ですが、証拠としては充分でしょう。ジーナ・九重・ブーゲンビリアの目的は、萬宮寿しいな嬢の肉体と立場を乗っ取り、そこに居るエージェントD君と融合を果たす事です。えぇ、シグマ氏も良くご存知の『
この回りくどい言い回しに、湿度の高い口調。
そして、僕をエージェントなどと呼ぶ人間は一人しかいない。
生きていたんだ。
《おや、自分の正体が気になりますか? そうですねぇ……ある時は、学生。ある時は、オメイラガ戦闘員。またある時は、『
勿体ぶっての肩透かし。
シグマ氏だけが、お約束のように『ズコー』と転けている。彼だけ昭和のギャグアニメ世界を生きているのかも知れない。
いや、それよりも!
あのメイドが、ヒコボシの変装だった方が驚きだ。女装のクオリティが高過ぎて、全く判らなかった……すると、あの怪しい口調も演技なのか。
──「ワターシ、虞発麗アル。タイル濡れててスベたら危ないネ。サポートされるがヨロシ」
アル。タイル……アルタイル=
難解すぎるヒントが隠されていた!?
ああ、だけど「サポート」という発言は、直接的な意味で捉えて良さそうだ。彼は僕の為に、ブーゲンビリアさんの陰謀を暴いてくれたのだから。
《全て内緒では、余りにも不親切でしたねぇ。立場だけでも明かしましょうか……現在、自分はOZ/bornからも追われる身となっています。とある女性の手によって、防空壕に生き埋めにされ──》
長尺な身の上話だったが、要約すれば三行で済む。
防空壕の入り口を塞がれ、OZ/bornと連絡途絶。裏切り者と認定される。
運良く見つけた崩れかけの穴から脱出成功。生徒会長を騙し、八柱家へメイドとして潜入。
緊急会合に同行する機会を得て、盗撮、ビデオ編集、A子へテープを預け──どこかへ高飛び。
早い話が、僕の為に陰謀を暴いてくれたのではなく、私怨100%だったのだ……。
《という訳で、自分は逃走中です。現在の萬宮寿家に邪魔立てする気もありませんので、大いに世界を救って頂けると有り難いですねぇ》
長かったヒコボシのメッセージに区切りが付いた所で、僕も羽交い締め役から外された。
現在、ブーゲンビリアさんは鎖によって後ろ手で拘束されている。
鎖はもちろん、イグナ婦人の私物。ハンドバッグに擬態した『分銅付き鎖鎌』から取り外した鎖だ。昨晩アレを使われていたら、僕は目を覚ます事が無かっただろう……。
「少年よ、ジーナから離れておるゾイ。万が一、おぬしの『魂』を取り出され、無理やり融合されてしまっては敵わんゾイ」
尤もな理由を述べられ、僕は萬宮寿夫妻の近辺からも遠ざけられてしまった。
これから、ブーゲンビリアさんへの詰問が始まるのだ。『相剋の真芯』というワードが出た時から、シグマ氏の顔色が変わっていた。イグナ婦人にしても、孫娘の立場を奪おうとした者への怒りがあるのだろう。大人達の間には、シリアスな空気が流れている。
その一方で、僕の周囲では
「詠ちゃ〜ん? 侵入者にお仕事を任せて、いいように利用されちゃった悪い子は『おしおき』よ〜?」
「美衣コワイ。たすけて、しいな様」
「もう、しょうがないですわね。美衣、この子を許してあげて下さいな。侵入者のお陰で、ジーナの目論見を事前に知れたのですし。逆に良かったですわ!」
しいなさんの姿は違えど、三人の雰囲気は普段と全く変わらない。
この場面だけを目にすれば『正常性バイアス』が働いて現状を正確に理解できていない……と、令和時代ならばそう揶揄する人が居るかもしれない。だけど、きっと違うんだ。
全て理解した上で、彼女達は後悔のない選択をしている。
これが、笑顔でいられる最後の瞬間かも知れないのだから──
《さてさて! 推測するに、現在は萬宮寿夫妻による尋問が続いている頃合いでしょうか。では、手持ち無沙汰な少年少女の為に……先程の映像を、
唐突に楽しい企画を始めないでくれ!?
復讐するにしても、陰湿すぎるだろう! 解説の必要なく、彼女の心情なんて丸分かりだよ!
《まず前提として、彼女は萬宮寿くいなさんに並々ならぬ『劣情』を抱いており──》
「ギャァァ────ッ!?」
《──彼女にとって、しいな嬢は愛する女性の娘であると同時に、憎き男の娘でもあります。愛憎こもごもですねぇ。そして先日、自身がその『娘』となる事で、愛情を向ける対象は『肉体』のみとなり──》
「ビャァァ───ッ!?」
随所でブーゲンビリアさんの
武道館に木霊する大絶叫は、どこかへ姿を眩ましたヒコボシの耳にまで届いていそうだ。
ああ、これが令和で言う所の『ざまぁ展開』なのか。
だけど! しいなさんボディの喉が心配だから、もう止めてあげて!?