平成アニメ世界で令和の価値観を注入されたショタの話 作:浅学寺のえる
「はぁ、はぁ、アナタも脱いで下さいまし〜。
どうしてこうなった……
ここは山小屋。外は猛吹雪。そんな隔絶された状況に男女が2人きり──僕としいなさんだ。
遭難の末、九死に一生を得た筈の山小屋で、僕は再び危機に陥っている。正直、ギャグアニメ世界だと侮っていた。僕にとってここは、紛れもない現実なんだ。そして現実的に、このままでは貞操の危機もとい理性の危機だ!
落ち着くんだ僕。博士からの忠告を思い出せ。獣欲に飲まれてしまえば、僕の人格が塗りつぶされてしまう可能性を示唆されたじゃないか!
「相変わらず、恥ずかしがり屋さんですのね。でも大丈夫ですわ〜。ほら、私に身を委ねて?」
耳元に温かい吐息が吹きかけられる。
頬を赤らめた彼女が、僕へと迫る。この状況に流されてしまえば、僕は僕でなくなってしまう恐れがあるというのに。もう理性が保ちそうにない。厚手のスキーウェアを脱ぎ、清楚なブラウスを少しだけ肌けた彼女の魅力を前にして、もはや理性は蒸発寸前だ。
その僅かに残った理性で頭を回転させてみても、結局は彼女が言うように一刻も早く暖を取らなければ命の危機だという答えに辿り着く。
この山小屋には、非常食も水も備蓄されている。おまけに、ストーブと薪まである。ここまでは完璧だと言うのに!
どうして火を点ける道具が無いんだ!
「そうですわね〜。太陽光があればレンズで火も
毎回、耳元で囁かなくても分かってる。あと頬ずりもやめて!?
しかし彼女の意見も尤もだ。原始的な火熾し機を作る材料も無ければ、体力だって残り僅かだ。少しでも温存して、救助を待つのが正解である。
それは正解なのだけど、さっきの判断だけは失敗だった……『身体が温まる』とだけ箱に記載されていた飲料水。あれを飲んでから、彼女はずっとこの調子なのだから。
実際、身体が火照っているのでスキーウェアを脱いでも多少は平気なのだろう。しかし、いつまでもこの状況では身体が冷えてしまう。この極限下では、一刻も早く僕もウェアを脱いで、彼女と肌を合わせて一つの毛布に包まるのが最善なんだ。
僕もドリンクが効いてきたのか、もう頭が回りそうもない。博士の忠告だって、仮説に過ぎないんだし、もうこのまま彼女と──
「まあ! このバングル、外すと板状になりますのね。面白いですわ〜」
あっ。
【NTR反対!】
うるさいのが現れた。NTRって言うのは確か、『寝取られ』って意味だろ? 生憎、僕も彼女も特定の異性とお付き合いしている訳じゃないんだ。
【つまり、同性とお付き合いしてるんですね】
違う……少なくとも、僕は違う!
今は命の危機なんだ。腐海文書に付き合ってる暇はないから、黙ってて欲しい。えーと、バングルはどこだ?
【待ちたまえD君】【私にいい考えがある】
そのネタは僕でも知っているぞ。失敗フラグだろ、それ。
ああ本当、どうしてこんな事になっているのだろう……
祝日。
僕らはしいなさんの誘いを受けて、屋内スキー場という最新レジャー施設へとやって来た。
外観はまるで、ドラえもんのひみつ道具『ガリバートンネル』のような形──半円形の筒が、山なりに
全長1km。幅200m。高さ150mというトンデモない規模の巨大施設。内部は−4℃程度に保たれており、上層へ移動する為のリフトまで完備しているので、人工とはいえゲレンデにいる気分を味わえる。
本格的なオープンは今夏を予定しているこの施設。既に最低限の稼働ができるようになった為、一般人目線での感想が欲しい。というのが運営元である萬宮寿家からの要望だ。
その為、一般家庭で育った僕ら──姉の
「それじゃあ〜、お互いでぶつからないように2人ずつに別れて遊びましょう? わたしは理珠と一緒にお姉ちゃんペアね〜」
「りょーかーい」
B子さんと姉さんは友人同士。のんびりとした口調の2人は馬が合うようだ。
当初、誘われたのは僕と妹だけだった。けれど、B子さんの口利きで姉さんも参加する事になったのだ。
初めて僕ら3人が揃った場面を見たしいなさんは、とても混乱していた。僕が分裂したと思ったらしい……失礼な話である。改めて思うのだが、普段着がスカートという共通点のある姉さんと妹が間違われるのは解らなくもない。けれど、僕が2人と間違われるのは意味不明すぎる! ズボンはいてる奴が僕だよ!
まあ現在は、それぞれ色違いのスキーウェアをレンタルしたおかげで見分けが付くらしい。派手な原色を纏う事でようやく区別されるなんて、まるで戦隊ヒーローじゃないか。ちなみに姉さんが赤。妹がピンク。僕が緑だ。戦隊好きの姉さんは『赤』を断固として譲らなかった。
「ワタシは妹とペア。ついて来て」
「はーい、ししょー」
いつの間にか、A子を師匠と仰ぐ妹に一抹の不安を感じる。
僕と同様にスキーは初体験である妹だが、A子の先導でスムーズに滑走していく。案外面倒見が良さそうで一安心。と、言いたいのだが! 木を
この巨大施設。屋内だと言うのに、コース脇に針葉樹が乱立しているのだ。
ただし、この木々は実物ではなく
A子と妹は、ホログラムを通過する事に快感を覚えてしまったようで、わざわざコースを外れて滑走しているのだ。
「まったく、子供ですわね。山小屋だけはホログラムじゃないという事を、忘れていませんでしょうね……?」
僕らがいる現在地は、リフトで登って来た斜面の頂上。この場所と施設の入口がある最下層との中間には、平面地帯が広がっている。初心者と上級者を分ける境目らしい。その平地部分に、工事関係者が休憩場所として利用していた山小屋が存在している。
オープン前には取り壊す予定らしいが、一般モニターの意見次第で再度工事が必要となる可能性もある為、まだ撤去する訳にはいかないらしい。僕らの意見一つでそこまで反映されると言うのだから責任重大である。
「では、私達も参りましょうか。けれど、どうしてスノーボードなんですの? スキー自体が初めてだと伺ってましてよ?」
そりゃあ僕だって、当初はスキーがしたかったけれど。
【ショタならスノボを乗り回してなんぼ】【大丈夫、ショタならできる】【劇場版なら、人力で雪崩だって起こせる】
レイワさんの圧が半端ない。いい加減、僕を『ショタ』と分類しないで欲しいものだ。高校生はショタじゃないし、屋内スキー場では雪崩も起きないし、起こさない。
けれどスノーボード自体には興味がある。僕もスケボーなら乗れるのだから、こちらの方が向いているかもしれない。
ああ。これだけは言っておくが、決してレイワさんに屈した訳じゃないとも。勘違いしないで欲しい。
【あ、私へのツンデレは解釈違いなので。ごめんなさい】
なんなんだコイツは! もう今日は絶対バングルを外さないぞ!
「さあさあ、行きますわよ!」
さて、しいなさんが当然のように僕とペアを組もうとしているものの。ひとつ問題がある。
現在頂上に残っている人数は
そう。今回の一般モニターには、僕らとは別口で参加してきた3人がいる。どんな手を使ったのか、上手いこと萬宮寿イグナを懐柔しこの場へとやってきた3人。
火鬼崎ワッカ、羽吹まこと、そしてE。お馴染み僕の友人らである。
「ちょっと! 勝手にペアを作らないでよ」
「貴女は、お呼びでないんですのよ。まったく、何処で嗅ぎつけたのかしら? 嗅覚までイノシシなんですのね」
「むきー! どうせ、スキーじゃボクに勝てないから負け惜しみで言ってるんでしょ?」
「なんですって!? いいですわ、そのケンカ買い取って差し上げますわ!」
あーあ、2人で滑って行ってしまった。仲が良いんだか、悪いんだか……
必然的に男3人が残される。バングルが異様に震えているけれど、絶対に外さないからな。
「はぁ〜、俺はまことちゃんと滑りたかったのに……」
「ワッカはいつも通りだからどうでもいいけどよぉ。オレは、お嬢様に優しくしてもらえるお前の事が羨ましいぜ! なんてったって、あの巨乳だもんなー! 真っ平なまことが横に並ぶと特に目立つよなっ!」
センシティブな発言には気を付けろよ? 令和だと完全アウトだし、平成でもセクハラが問題視され始めてるんだぞ?
今は女子が誰も聞いていないから流しておくけれど、Eの発言には毎回ヒヤヒヤさせられる。
「うーん。けどやっぱりオレ的には、スキーウェアは無いな。折角の巨乳が隠れちまう! もっとさ、ナースとか婦警さんとか。そういう衣装のがいいよな!」
「相変わらず変態だなー、お前は」
ん? ワッカはEの事を変態だと言うけれど、今の発言はそこまで言う程だろうか?
むしろ、健全なのでは? 前にも、女子の制服姿がいいとか。OLの制服姿がいいとか言っていたな。もしかしてこの男、一般性癖の範疇を飛び出ない健全男子なのでは?
ダメだ……レイワさんに毒されたせいで、僕の基準がおかしくなっている。
「オレが健全だと? じゃあ、お前は一体どんな趣味してんだよ!?」
おっと、口が滑ってたか。ここは一般論で茶を濁そう。
別に僕の趣味じゃないけれど、一般的に変態というなら『ケモノ』にしか欲情しないとか。『スライム』にしか興奮しないとかあるだろ?
他にも『感覚遮断落とし穴』だとか、そのまんまな名称の『エ◯トラップダンジョン』なんて概念も知っているけれど、平成男児には刺激が強すぎるので黙っておこう。僕は友人思いなのだ。
「はははっ、スライムってゲームの話か! 相変わらず子供っぽいなー。いや、別に馬鹿にしてる訳じゃねーよ? お前が好きなゲームやアニメだって、作ってるのは大人なんだしよ。自分が子供の頃に憧れた物を、大人になって作る側に回るなんて立派じゃねーか! 去年お前が作ったゲームも面白かったぜ?」
まったく、僕の友達は健全な上に『いい奴』だから困る。小学生の頃から、まるで僕とワッカを諭すかのように時折こういった事を言うのだ。
女子にはあの態度が災いして遠巻きにされがちだが、兄貴肌な面から男子には割と人気があるE。付き合いの長い僕ですら、こう面と向かって褒められるとどうにも気恥ずかしくなってしまう。
よし! 談話してても仕方ない。そろそろモニターとしての役目を果たさなければ!
激しさを増すバングルの震えを無視し、慣れないスノーボードに悪戦苦闘しながら僕らも3人で下層を目指した。
あれから1時間。再び頂上へと全員集合した。
顔色を窺うに、みんな思い思いに楽しんでいたようだ。心配だったハブとマングースも、仲良くレースに興じていたようで何より。
「お前……あれだけスノボー向いてなかったのに、よく満足気な顔できるな」
「木がホンモノだったら大怪我してたぞ? ホログラムでよかったなー」
Eとワッカからは、散々な言われようだ。
まあいい。これで逆説的に、僕がショタでないことが証明されたのだから……言い訳をさせてもらえば、バングルが震えすぎてバランスが取りにくかったんだ! 全部レイワさんのせいだ!
「ねぇ、しいな。今更なんだけどあの風速計って意味あるの?」
「あら、まことにしてはいい質問ですわね。ここは屋内なので当然風は吹きませんが、国の規定で設置が義務付けられてますのよ?」
「ふーん。萬宮寿家でも相手が国なら、ちゃんと言うこと聞くんだ」
「規定は規定ですもの。けれど、一見意味のない風速計が逆にシンボルとなるかも知れませんわよ? 計器に付いているプロペラが回らないという事実こそ、平成の叡智によって生み出されたこの施設の素晴らしさを物語っているのですわ!」
しいなさんが軽い演説をする。既にホログラムが平成の叡智を軽く凌駕しているというツッコミは野暮だからやめておこう。
そんなツッコミよりも、もっと野暮な現象が目の前で起きているのだから。
皆の注目がプロペラへと集まった瞬間、音を立てクルクルと回りだしたのだ。まさか空気を読んだのだろうか? ああ、元々そういう目的の機械なんだけれども。僕が言いたいのは、まるでギャグの伏線を回収するかのように『世界』が空気を読んだという意味だ。
「な、な、なぜですのー!?」
「壁に穴でも空いてたんじゃない?」
「貴女の所の道場じゃありませんのよ!?」
「そこまでオンボロ道場じゃない! 門下生だって沢山いるんだからね! そこにいる理奈だってウチに通ってるんだから!」
また始まってしまった。この2人が一緒にいると舌戦が絶えない。今回は僕の妹まで巻き込んで激しい論争が繰り広げられている。
蚊帳の外にいる僕らは、下層にある温泉施設へ行かないかとB子さんから提案される。彼女曰く、微風とはいえ空調設備に不具合が生じている可能性があるのでスキーは中止した方がよいとのこと。
ちなみに、この施設を維持するための冷房機器が出す排熱。それを利用して温泉の温度を管理しているようだ。
「奥義・胡蝶の舞!」
「ひゃん!? やめてよ、理奈!? なにするんだよ!」
「ごめんねまこ姉ぇ。りな、もう
「雪に脚を取られて動きが鈍い。まだまだ甘い。けれど、上体の捌きは花丸。妹は中々筋がいい」
いつの間にか、妹VSまことになってないか? まことも手袋を付けておけば、くすぐり攻撃を防げただろうに。先程、しいなさんとの舌戦を開始する際に決闘の合図よろしく、手袋を投げ捨てていたのだ。
おかげで素手になった手の甲を、妹に指でそっとなぞられてしまった。うーん、手の甲はそこまで敏感な部分でもない筈だが……まことにとっては違うようだ。悶えるまことを見て、ワッカが興奮を隠せずにいる。
それにしても、黄胡蝶流奥義・胡蝶の舞か。相手の隙を突き、露出した肌の表面を指でそっとなぞるという無駄に技量を必要とする技。
まったく、妹に変な技を教え込まないで欲しい。さらに言うなら、弟子入りして一週間も経たない人間に易々と奥義を伝授するんじゃない。
「ワタシは教えてない。技を盗まれただけ」
僕の妹は達人か何かなのだろうか? まさか、見ただけで奥義を盗むとは恐れ入る。
A子は後方腕組み師匠を気取っているものの、これでは片無しだろう。
「む。下がって妹。ワタシがお手本を見せてあげる」
「はーい! お願いします、ししょー!」
「ちょっと!? もういい! もういいからぁ〜!?」
「
「ひゃ、ちょっ!? ひゃめて……! やっ!」
「す、すごい!! お兄ぃが全く乗れなかったスノボーで滑りながら、まこ姉ぇの手の甲だけじゃなくて、ほっぺたと首筋までくすぐってるよ!」
コラ、さりげなく僕を馬鹿にするんじゃない。
というかA子の動きは何なんだ……滑走速度が早すぎて分身してるように見えるぞ。あ、良く見れば実際2人いるじゃないか。
2人ともピンクのウェアで判りにくいけれど、いつの間にか僕の妹も白銀・胡蝶乱舞に参戦している。いや、そもそも白銀・胡蝶乱舞ってなんだよ! 乱れているのは主に、まことの方じゃないか。
しかし、一瞬でこの技まで盗む妹は相当の天才なんじゃないか? スノーボードだって、今初めて乗ったハズなのに。なんだか無性に悔しいな。
「ほら、遊んでないで下層へ行きますわよ?」
しいなさんが、どこ吹く風で場を仕切る。僕の記憶が確かならば、争いの原因は彼女にも半分ある筈なのだが……まあ、歴史上そんな戦いも沢山あるんだ。一先ず騒動が収まったのだし、良しとしよう。
と、納得できるのは僕が実際の被害に遭っていないからであって、どうやら最大の被害者である少女は、やられたままでは気が済まないらしい。
息も絶え絶えで涙目になりながらも、精一杯の強がりでA子と妹を睨みつけている。当然と言えば当然の反応だが、なぜか妙に煽情的に見えてしまう。ゲレンデマジックというものだろうか?
「うぅ〜! よくもやってくれたなぁー!」
「離脱する。着いてきて、妹!」
「はい! ししょー!」
颯爽とスノーボードを乗りこなし、斜面を滑走していく女児たち。それを追いかける赤面した少女。第2ラウンドは『追いかけっこ』のようだ。
あれ? よく見れば、妹が乗ってるボードって僕がレンタルしてるやつじゃないか?
やられた! 白銀・胡蝶乱舞のどさくさでボードを盗られてしまってたんだ……代わりに妹が使っていたスキー板とストックが残されている。
「じゃ、オレらも行こうぜ。お前も、妹のスキー板で滑ればいいんじゃね? 体格も大体一緒だろ?」
「ストックの長さも問題なさそうだな! よーし、急ぐぞ! まことちゃんと温泉だー!」
友人らが、僕の尊厳を粉々に砕き、斜面を滑走していく。ワッカはそんなに温泉へ入りたいのか? そもそも混浴じゃないだろ、絶対。
とはいえここに居ても仕方ない。結局は僕も彼らを追いかける事になるのだが……これ、どうしようか? 正真正銘のスキー初体験だから滑り方が全く判らない!
「あらあら。弟くん置いてかれちゃったのね〜。お姉ちゃん達と一緒に行く?」
「その前に滑り方が判らないんじゃない? ウチはスキー旅行した事ないからねー。もう、どうしてスノボーばっかやってたのよ?」
「そういう事ならぁ、そーだ! しいなちゃ〜ん、弟くんに滑り方を教えてあげてね〜。ふふっ、それじゃあ皆には上手く言っておくから。ゆ〜っくり教えてもらってね?」
え……?
僕の理解が追い付かない内に、姉さんとB子さんまで先に行ってしまった。残ったのは2人だけ──僕としいなさんだ。
「まったく、強引ですわね。いえ、別に教えるのが嫌な訳ではありませんわ。元々は貴方と滑る予定でしたもの。まことに乗せられてしまい、先程は失礼いたしましたわ」
確かに当初はそんな話だったっけ。
まことへの愚痴をこぼす彼女だけれど、ストックの使い方や、スキーの滑り方と止まり方。他にも安全な転がり方などを、懇切丁寧に教えてくれる。
ライバルとの諍いさえなければ、彼女は基本的に人当たりが良い。
おかげで僕も、問題なくスキーを楽しめている。まあスノーボードが散々だったのは、バングルが震えていたせいだけど。
ワッカとEが近くに居ない今、バングルは全く反応しない。ようやくレイワさんの目が攻撃色から元へと戻り、腐海の森に帰ってくれたようだ。
僕も一通り滑れるようになったので、下層へ向かう事をしいなさんへ提案する。
最初は僕の上達が早すぎると文句を言われたものの、彼女の教え方が上手だからと返せば上機嫌になってくれた。
ゆっくりとしたペースでまずは中層にある平地を目指す。速度を出さない理由は、先程から風が強まっているからだ。どうやら空調が本格的に不具合を起こしているようだ。おかげで体感温度も大分低く感じている。早く温泉に浸かりたい。
「あら? この手袋は、まことの物ですわね。ここでレンタルした物を捨てて行くなんて、失礼な娘ですわ!」
斜面の途中で、片方だけの手袋を発見した。しいなさんは捨てられた物と表現したけど、これって決闘の合図で地面に叩きつけた物だよな?
きっと頂上付近にあった手袋が、強風で飛ばされたんだ。どちらにせよ、借りた物を粗末にしている点は擁護できないけれども。
「いえ、あの子も普段でしたら周囲をきちんと観察できますのよ? 先程は気が立っていましたでしょう? 昔から、一つの物事に囚われてしまうと視野が狭くなってしまいますの。私が何度も注意していますのに、仕方のない娘ですわ!」
んん? なんだか保護者のような目線で語ってないか?
以前聞いた『仲が悪いのは百合』という概念。その一端を目の当たりにした気分だ。
バングルは──反応なしか。レイワさんは百合よりも薔薇が好きらしい。
「きゃあ!? さらに風が強くなりましたわね。雪が舞い上がって、吹雪みたいですわ」
突風で舞い上がるパウダースノー。雪が降ってる訳でもないのに、一面真っ白になってしまった。ホワイトアウトという現象に近い。
これは油断していると危険だ。方向感覚が無くなる前に下層を目指した方がいいだろう。
幸い地面が平らになったので中層までは来れたようだし、あと半分だ。
だけど、平地の区間は滑っての移動が難しいので歩くしかない。広大な施設の為距離も長い。視界も悪いのだし、しいなさんと逸れないよう気を付けないと。
「しっかり手を繋いで下さいまし! こっちですわ!」
しいなさんが手を引いてくれる。情けないけれど、僕が下層だと思っていた方向は間違っていたようだ。このまま彼女の先導に着いて行こう。
既に視界は白一色。心なしか、雪まで降っているように感じる。まさか天井に設置されている『人工降雪機』まで故障しているのだろうか?
どんどん風も強くなる。おそらく風速10メートルは越えているだろう。元々この施設は−4℃を保たれているので、風を踏まえての体感温度は−14℃以下になる。未知の数字過ぎて、もう良く分からない!
「こんな事態になってしまい、申し訳ありませんわ。全て私の責任ですの。あなたにお返しをと思っていましたのに──」
いや、そもそもの話。萬宮寿家の管理する施設が、試作段階とはいえこんな不具合に見舞われるのだろうか?
この強風にしても、もはや空調の不具合では説明できない規模で吹き荒れているのだ。
何か超常的なチカラ。まさか怪人の能力? いや、A子とB子さんが居る時から風は吹き始めていたんだ。第一にあの2人が原因だとすれば、しいなさんが巻き込まれる訳がない。どうやって怪人になっているのかは不明だけれど、彼女らの絆の深さは原作知識などなくとも普段の行いから察せられる。
「……着きましたわ! さ、早く入りますわよ」
辿り着いた場所は、工事関係者の休憩所として建てられた小さな山小屋。
なるほど、目指していたのは下層ではなく此処だったのか。けれど助かった。現状では斜面を下るのは不可能なほどの猛吹雪だ。あのまま下層を目指していれば今頃立ち往生していただろう。
※図解
山小屋は施錠されておらず、簡単に中へと入る事ができた。
電気は通っていないのか中は薄暗い。一つだけある窓から、僅かな光が差し込んでいる。広大な施設内を照らしている天井の照明だ。
「見て下さいまし! ストーブがありますわ!」
薪ストーブだ。どうやら燃料となる薪も複数あるようだ。それに、探してみれば非常食やお菓子。水やジュースの様な物まで発見できた。水の方は、若干だが凍り始めているので室内も既に氷点下なのだろう。
他には、コンパクトサイズのラジオ。鍋、ヤカン、紙コップ、新聞、老眼鏡など。これらはやけに生活感のある品々だ。1枚だけだが、密閉袋に入っている新品の毛布まであった。
しかし、『火を付ける道具』『外部との通信手段』
肝心なこの2つだけは、何処を探しても存在しなかったのだ。
身体の震えが止まらないこの状況で、助かる望みがあるとすれば──もう、あのジュースだけだろう。仕舞われていた箱には『身体が温まる』と書かれていたんだ。きっと、ドラえもんの映画でのび太が遭難した際に飲んだ『物凄い栄養ドリンク』と似た類のものなんだろう。
得体の知れない飲み物に一縷の希望を託し、僕らは共にそれを口にする──