第七十六話『暗闇の向こう』
その地下通路がいつできて、誰が発見したのか――それは定かにない。わかっているのはこの通路がヘルシンキを中心に、クモの巣のように張りめぐらされているという事実だけだ。そしてその通路の存在を知る者は少なく、《天上の導き手》のメンバーでさえ、噂程度の情報しか持ち得ていない。
アーガマRを中心とした部隊を囮とした、地上部隊による地下通路を用いたヘルシンキへの進行ならびに制圧が《天上の導き手》の真の目的である。戦争がモビルスーツ中心のものに取って代わった時代には、白兵戦こそ有効であるという考えのもとであった。
「上の状況はどうなってるんでしょうね?」
制圧メンバーのひとりがリーダー格の男に訊ねた。上というのは囮部隊のことである。
「連邦だろうが、コスモバビロニアだろうが、よそ者は利用してやるまでだ。我々は作戦の成功だけ考えていればよい。」
囮部隊の目的は《天上の導き手》の本拠地があるヴァルコの町を解放することである。つまり《天上の導き手》がコスモバビロニアに対して宣戦布告をするということである。その手始めとしてヴァルコの町近隣に展開しているクロスボーン・バンガードに攻撃を仕掛けるというものである。そして、それがいま実行に移されていた。
「そろそろヘルシンキの足元だぞ。各員、準備はできてるか?」
そこには三十人の精鋭がそれぞれの思惑を表情に浮かべていた。
「この作戦は北欧の地の独立への第一歩だ。俺たちは俺たちの土地に土足で入りこんできたコスモバビロニアを決して許さない。いまこそ、民族としての誇りを取り戻すときだ! そしてつぎは地球連邦だ!」
男は銃を持つ手を掲げ、まわりを鼓舞する。まわりも、男に呼応するようにして声をあげた。
これはあくまではじまりなのだ。これから自分たちは人類の歴史に残る偉業を成そうとしている。彼らのテンションは最高潮に達しようとしていた。
「――あれはなんだ?」
そこに水を差すように、ひとりの男が赤い小さな光に気づいた。それにつられて他の人間も目を向ける。ランプの光とはちがう。なんの光だろうと不審な視線を投げる。ともするとその光は蛇行しながら動きだす。
そして、その光はひとつ、またひとつと数を増やしていく。その不気味な動きに彼らは、思わず後ずさる。
あの光は危険であると、どこかで警告が鳴り響いていた――
第七十七話『疾走する狂気』
ヘルシンキ浸入作戦は失敗に終わった。突如、潜入部隊の行方が途絶えたせいである。そして、いまだに生還者がいたという報はなく、行方不明の原因は一切わからないでいた。
一方で同時に展開していたアーガマRの部隊は、凱旋と呼んでいいくらいに十分な戦果をあげて帰還を果たした。
その結果は《天上の導き手》のアテがはずれたという事実を示すもので、少なからず彼らに落胆をあたえた。
しかし、ヴァルコの町に住んでいる人間のすべてが《天上の導き手》のメンバーというわけではなく、そんな組織とはなんの関わりも持たずに生きていく人間もたくさんいた。
これはヴァルコの町に暮らすある家庭に起こった一幕である。
ここにひとりの男がいる。
彼には妻とまだ幼い娘がいた。彼は日暮れとともに家路につくのが日課である。家の近くまで帰ってくると、家からは食欲をそそる臭いが風に運ばれてくる。そして、扉を開けると娘が愛らしい笑顔を浮かべながら、飛びついてくる。それが彼の日常である。
しかし、彼は扉を開けるとともに娘の顔を見ることなく、その場に倒れこんでしまった。彼にはなにが起こったのか理解できなかった。なぜなら倒れた瞬間に彼は絶命していたのである。
娘はなにごとかと父親に近づいていく。娘が父親の亡骸に触れようとした瞬間に、その娘を巻きこんで小規模の爆発が起こった。
妻は突然の轟音が響き、音源である玄関へすぐに向かった。
玄関を惨状を見た妻は言葉がでなかった。
玄関は黒く煤けており、半壊状態だった。そして、鼻をつんざくような肉の爛れた臭い。それは妻がいままでに嗅いだことのない――死臭であった。
おそるおそる目を向けると、そこに横たわる夫と娘の姿があった。見るも耐えられない姿をまざまざと見せつけられたあと、その妻は卒倒した。
その家庭を襲った不幸は、はじまりの合図であった。その後もヴァルコの町では、人間が突然死し、爆発する事件が相次いだ。
町が壊滅状態になるのに、さしも時間はかからなかった……