鬼門
「――っ」
ルドルフ
「トレーナー……くん……?」
抱き締めたは良いものの、この後どうすればいいんだ?
ルドルフは小刻みに震えてるし、何していいか分からんし、何も返答は無いし。
暫く経ってから、ルドルフは振り向いて口を開く。
ルドルフ
「君は……バカなのか? 好きでもない女性を抱擁して、私の気持ちを弄んでいるのか……」
そういう訳じゃない。俺も、好きではない女性を抱き締めたりしない。
ただ、何故こうしたかは分からない。自分なりの何かのケジメ、償いなのか。俺は指輪を外して、地面に落とす。
ルドルフ
「な、何をしてるんだっ、トレーナー君っ!」
鬼門
「最初から言ってるだろ、誤解だって。仕事で使う道具だ」
ルドルフ
「え……」
鬼門
「役になり切る為の予行練習だって、先方に言われたんだよ……。だから、俺はまだ結婚なんてしない」
結婚はしない? トレーナー君は、まだ結婚はしない。
そうか、そうなのか……。それでは、ただ私の勘違い――。
いやまて、今までの言動は彼に私の心情を吐露しただけでは無いのか。君を想うだの、君は美徳だの、君を愛しているだの……言葉を並べてっ。
恥ずかしい。今すぐ走り出したい。でも、このままの状態で抱かれたいっ。
だが、羞恥心は消えない為、両手で顔を覆い、声も聞こえないように耳を畳む。
鬼門
「お、お~い、ルドルフ……どうした?」
ルドルフ
「いや、自分の不甲斐無さに消沈していただけだ。それと……先の言葉は、忘れてくれ……」
鬼門
「さっきの言葉って?」
ルドルフ
「……まぁ、ハッキリ聞いていなければそれでいいさ。それよりだな、トレーナー君」
顔を近付け、彼の双眸を見つめる。目線が合うなり、彼は視線を逸らしてしまう。
目を合わせる事に慣れていないのか、妙に彼はソワソワし始める。相変わらず可愛いな、君は。
ルドルフ
「いくら予行だとはいえ、薬指に嵌めなくてもいいのではないか? まだ私だったからいいものの、他の担当であればどうなっていたか」
鬼門
「だいぶ取り乱してたと思うんですが……」
ルドルフ
「コホン……。兎に角、今後はこの事象を踏まえて問題は起こさない事。分かったかな?」
鬼門
「それは分かったんだが……。少しルドルフに頼まれて欲しい事があるんだが」
目を泳がせながら神妙な顔で上を向く。言いづらそうに唸りながら顔を私に向け、彼のその言葉に心臓が飛び跳ねる。
鬼門
「モデルの人が欠員で、担当に新婦役を頼みたいんだが――」
言い終える前に、私は彼の肩を掴んでいた。
まだ付き合ってもいないのに、もう結婚の通過儀礼を行うことが出来るとはラッキーにも程がある。これはもう、そのまま済ませてしまうのもアリなのではないか?
私は妻でイイのではないか?
鬼門
「あ、あのぉ……ルドルフさん? 新婦役を――」
ルドルフ
「やろう! すぐにやろう! 日時はいつだっ! 予行練習ならいつでも付き合うぞっ!!」
鬼門
「予行はどうのって言ってなかった……? てか怖い……」
ルドルフ
「それでは、私に任せてもらおう。完璧にトレーナー君の新婦をやり切ろう」
鬼門
「はは……頼もしいな」
ルドルフ
「それとだなトレーナー君。君が落とした指輪……放おって大丈夫なのか?」
鬼門
「やべぇ……」
私が指輪を拾い、トレーナー君の薬指に滑らせる。これは私がしてもらう役目ではあるが、喩えようの無い高揚感が脳を侵食する。
何がとは言えないが、気持ちいい……。征服感とも言おうか、こうして瞳を重ねるとムズムズするな……トレーナー君。
気恥ずかしくて仕方ねぇ……。
茂みで覗っていたが、何を見せられてるんだ私は……。
テイオー
「ねぇ、シリウス〜。カイチョーの所に行こうよ〜、仲直りしたみたいだしぃ……」
シリウス
「はぁ……これだからお子様は……」
テイオー
「ナ、ナニサ〜……。子供扱いしてぇ……」
シリウス
「この状況で水を差すのが、まだまだ子供なんだよ」
テイオー
「でも、シリウスもトレーナーのこと好きなんじゃないの? かなり良い雰囲気だよ?」
シリウス
「フッ……」
私には皇帝サマにハンデを上げてやってるのさ。それじゃあ、フェアじゃねぇだろ?
じゃないと、アンタと渡り合っても面白くねぇ。私は必ず、アンタより
私は茂みに使った枝を捨て、その場から離れる。
はぉ……。何とかルドルフの誤解は解けた。指輪でこんなに大事になるとは……。
いや、普通は慌てるのか。俺も知り合いが指輪つけてた時は、びっくりしてたし。
兎も角、指輪を外して――。
いやいや、こんな高価な物、ポケットに入れて落としたらそれこそ問題だ。そしたら暫くはモヤシ生活になる……。指に付けるしか――。
シービー
「おーい、トレーナー」
夕方のトレーナー室。けたたましく開かれたドアの前に、シービーが現れた。
なんかもう一波乱来そうな感じだな……。やけにニヤニヤして、こっち見てるし……。あぁ……勇み足に近付いて来る。今度は何だ……。
シービー
「自主トレの時、ルドルフに聞いたんだけどさ♪」
これはあれか、指輪の件か。そんなキラキラした目で見つめるな。顔が良すぎる。
鬼門
「あぁ、あの件か。シービーはルドルフみたい取り乱すなよ? これは仕事で使う道具で――」
シービー
「何言ってるのトレーナー? アタシは少し前に流行ったトレノリがしたいんだけど?」
鬼門
「あ、そっち……。でもその遊び、理事長に禁止されただろ? トレーニングそっちのけで一日中トレーナー乗せるから……」
シービー
「パーマーとミラクルはやったんでしょ? アタシにも体感させてよ。愉しさを共有しないのは、不公平だよね?」
鬼門
「不公平なのは分かるが、たづなさんに見つかるとな……」
シービー
「見つからなければ良いんだよね?」
鬼門
「え――」
何だ? 体が浮いて――。
その時にはシービーの背中に乗せられていた。そのままトレーナー室を飛び出し、全力で駆け出していた。
コイツは話聞いてたのか?! 何で廊下走ってんだ!?
シービー
「アハハハッ♪ 楽しい〜♪ こんな感じなんだ〜」
鬼門
「呑気に感想言う前にっ、止まれぇぇ?!」
シービー
「アハハッ、まだダメだよ。他の人に自慢するんだから〜」
鬼門
「たづなさんに叱られるのは、俺なんだぞっ!?」
それより、シービーはどこに行くんだ? 学園を出たら、尚更人目につくだろ?
ん? あれって、トレーニングコースだよな。こんなの他の担当に見られたら、尚のこと面倒なんだが……。マジでシービーが何考えてるか分からん……。
ホラホラめっちゃ見られてる……。他のウマ娘の痛い視線が注がれる……。あぁ、死にたい……。
しかもタイミングの悪い事に、エースがストレッチしてる場面に出くわすとは……。
シービー
「おーい! エース!」
エース
「おー、シービー。どこ行ってたんだ――って何してんだよっ?!」
シービー
「何って、トレノリ。いいでしょ?」
エース
「てめぇ……。自慢する為にトレーナーさんおんぶするとか汚えぞっ!」
鬼門
「そんなこと言ってないで止めてくれよ……。たぶん、エースが止めないとやめないぞ? シービー……」
エース
「よっしゃ! 次はアタシなっ!」
鬼門
「禁止なんだよこの遊びっ!!」
いや〜、いいトレーニングだった。エースには捕まっちゃったけど、定期的にトレーナーをおんぶするのも悪くないかも。
走り疲れて、エースと芝で寝転んでいた時、トレーナーが何かと言い間違いしていた事に気付いて話しかける。
シービー
「そう言えばトレーナー。ルドルフが取り乱してたって言ってたけど、何したの?」
鬼門
「聞き逃さなかったのか……。いや、聞いてないなら聞かなかった事にしてくれ」
エース
「何だよ、気になるじゃんか」
トレーナー、何か隠してる? やけに視線合わせないし、そんなに言いたくないんだ。担当に隠し事は良くないと思うな。
アタシはトレーナーと距離を詰め、今あった事をダシに弱みに付け込んだ。
シービー
「いいのかなぁ? 無理矢理おんぶさせられたって、たづなさんに言っちゃおうかなぁ?」
鬼門
「……。今度の写真で、花嫁と花婿の写真を撮るんだよ……」
シービー
「へー。じゃ、花婿はトレーナーだよね? それとルドルフに何の関係があるの?」
鬼門
「代理で花嫁が、ルドルフになった……」
シービー
「はいはい、アタシも立候補するー!」
鬼門
「言うと思った……」
エース
「そ、それならっ、アタシもっ!」
鬼門
「いや、ルドルフだけの約束なんだが――」
シービー
「ルドルフだけなんて不公平でーす」
鬼門
「ルドルフ、すまん……」
ふふ、面白くなってきた。ウエディングドレスか、一生縁が無いと思ったけど、どうなるかな。
トレーナーはさ、アタシがどんな姿でも気に入ってくれるよね? あの時の温泉旅行みたいに、お互い言葉を交わさなくても、気持ちは……分かってるもんね?