真人間には向かないプラン   作:ikos

11 / 50
距離のはかりかた

 

 

 欠伸混じりにブリーフィングを聞いていたせいで、スネイルが顔を引き攣らせながら眼鏡を押さえた。

 

「……昨晩は大人しくしていたようですが、まさか寝不足だとでもほざきますか、フロイト」

「8時間寝たんだが夢見が悪かった……いや、良かったのかあれは?」

「知ったことではありませんし、実にどうでもいいです」

「悩みどころだ。なんだかんだ美味しかった気もするが、あれはなあ……やっぱり悪かった気がする」

「実に、どうでも、いいです」

 

 噛んで含めるように繰り返し、4時間睡眠のスネイルが端末を叩く。

 

「話は聞いていましたね。何か質問は」

「“井戸”の情報だったか。この間ははずれだったが、確度は?」

「それ相応に。……ベイラムも同様の情報を掴んでいるようです」

「争奪戦になるか。いいな、楽しそうだ」

 

 機嫌を向上させながら場所を見て、目を瞬いた。

 ――ベリウス北部、BAWS第2工廠。何度か惑星封鎖機構とやり合っている場所だ。

 少し考えて、なるほど、とひとりごちた。

 ルビコン解放戦線は、維持できない「井戸」をみずから企業に売り渡すことで、惑星封鎖機構への撹乱に使うことにしたようだ。意気揚々と占拠した企業は、遠からず惑星封鎖機構の攻撃に曝されることになる。うまくすれば先日の奪取作戦自体を一時的にでもなすりつけられるかもしれない。悪くない手だ。

 この件に自分(V.Ⅰ)が関わっている以上、解放戦線はアーキバスは動かないと見ているはずだ。事実上、ベイラムを狙い撃ちにした策謀と言える。

 

 だが、せっかくだ。本腰を入れたレッドガンと遊べるなら悪くない。

 それに、そろそろ上層部が短期的な成果を欲している。餌をやる頃合いだろう。

 つらつらと考えを巡らせながら、スネイルに訊ねた。

 

「第1部隊だけで行くか?」

「いいえ。お目付け役に第6部隊をつけますので、そのように」

「……あいつか。……まあ、いいか。わりと仕上がってきたよな」

「このまま一定の成果が出れば運用を拡大します。今回の副次的な目的は、他の有人ACと共同作戦をとった場合のデータ収集ではありますが……貴方に言っても無駄でしょう。どうぞお好きに」

 

 お墨付きを得たことで、さてアセンブリをどうするかなと考えた。

 先日のレイヴンの感じだと、MT相手の追加レポートは必要がなさそうだ。今回は好きに組んでもいいかもしれない。

 G1とG2が揃って出てきてくれれば一番面白いのだが、ベイラムの傾向を見るにそれはなさそうだ。あったらあったで嬉しい驚きなのだが。

 ここのところ「やらなければいけないこと」ばかりに気を取られていたので、鼻歌でも歌ってしまいそうだった。

 楽しそうな様子が気に(さわ)ったのか、スネイルが声をかけてくる。

 

「……お遊びは落ち着きましたか。フロイト」

「落ち着いたというか、必要性が下がった。あとはACとHCくらいか」

「HC?」

「惑星封鎖機構の新型が出るとしたら、そんな名前になるだろ? 今あるのが軽騎兵(Light)なんだから、次は重騎兵(Heavy)だ」

 

 うっかり、まだ投入されていない機体の話をしてしまった。胡散臭そうなスネイルの視線を受けつつパネルを操作する。

 期待を込めて、G1とG2を相手にすることを想定したアセンブリを組んだ。

 とはいえ面白そうかどうかが最優先だ。リニアライフルはなんだかんだ悪くないと思い始めたので(データを取る意味でも)そのまま継続、左手はレーザーランス、肩はレーザードローンと2連装グレネードキャノンを選んだ。まずはG2を迅速に墜とせるかどうかが鍵になるだろう。

 そういえば、前回のレイヴンはレーザーランス(ブースター付の突進兵器)を無理やり振り回すという奇策に出ていた。あれは面白かったが、自分が同じことをするのは無理だ。さすがに耐G能力の限界を超えている。

 

「鹵獲の練習をするのは結構ですが、相手は選んでください。解放戦線のゴミなど処分費用を貰いたいほどですし、ベイラムに関しても、既に十分なデータが揃っています」

「わかっているさ。だから持って帰ってないだろう?」

「先日の“ファクトリー”の件といい……随分と中途半端な人道精神に目覚めたようですが、体裁だけ整えて何になるというのです。貴方の本質が変わるわけでもないでしょう」

 

 スネイルは本心から言っているようだった。

 手を止めて首をひねり、どうなのだろうと考える。

 

「最近気づいたんだが、どうも、俺は自分というものがあまりないらしい」

「……は?」

 

 常に好き勝手かましている超絶問題児が何をのたまう、という感情をその一声に凝縮させて、スネイルが実に嫌そうな顔をした。

 

「冗談にしては笑えませんね。とうとう頭でも沸きましたか」

「実際そう思わないか? こだわってるところが狭くてそれ以外が何でもいいから、その時つるんでる人間の方針次第なんだよな。お前とか」

「……では、この頃の奇行はあの駄犬の影響だと?」

「面白いよな。なんであいつ、あんなにまともじゃないのにまともなんだ?」

 

 とはいえ、その辺りを「何でもいい」という時点で、人道にもとるのだという認識はある。

 それを意に介さず、止める気もなかった以上は共犯だ。今さら善人ぶるつもりもない。

 スネイルはいかにも不愉快そうだった。

 考えてみれば、倫理観という制約のない人間のほうが使い易いに決まっている。望ましくない状況になったと考えているのだろう。面倒くさくなって肩を竦めた。

 

「価値観が違いすぎると愛想を尽かされるだろ。合わせられる部分は合わせるさ」

「それを“猫を被る”と言うのです」

「そうか? でもそのうちばれるからな、そのつもりはない。ウォルターは把握しているだろうしな。今はやってない、って言えるかどうかだ」

「……更生した不良少年でもあるまいに……」

 

 とうとう頭痛が限度を超えたのか、スネイルが眼鏡を外して眉間を押し揉む。

 説得や誘導は難しいとそろそろ学習しても良い頃合いだと思うのだが、この男は一向に諦めずいまだにネチネチと絡んでくる。実に根気のある話だ。スルーして惚気で返せば話を切り上げるのが早くなると、ここのところの傾向では思っている。

 今回はそうする前に、嫌味めいた声が言った。

 

「“運命の女(ファム・ファタール)”に入れあげた男の末路は、(おおよ)そ破滅であると相場が決まっています。企業は貴方の破滅に付き合えませんよ、フロイト」

「そうだな、スネイル。適当なところで切り捨ててくれ」

「……そのうち首を求められなければ良いですがね」

「求められる方か? それだとあいつが惚れるのが別の男になるんだが」

「そのような含みは持たせていませんが、その時の貴方の顔は、実に見ものでしょうね」

 

 本当に嫌味の上手なやつだなと、いっそのこと感心した。話題を切り出したときから着地点を決めているのだろうか。器用なことをする。

 大して腹が立たないのも不思議だ。聞き流し慣れているせいかもしれない。

 ともあれ、わざわざヘロディアの娘など持ち出さなくても、破滅の約束された悪人というやつだ。神を相手に悔い改める予定もないのだから、いくら身内に甘い教義だろうと地獄行きは変わらない。

 聖書絡みで言うなら、"As ye sow, so shall ye reap."――種を蒔けば、人は必ずその刈り取りもすることになる。そういう世界だと割り切ってここまで生きてきたし、今さら清算できるものだとも思わない。結局のところ、運が尽きるのが先か命が尽きるのが先かというだけの話だ。

 

 ただ、今は少しばかり欲が出てきた。惚れた女の「趣味」に付き合おうと思うくらいには。

 

 もしかしたら運が尽きる速度が落ちるかもしれないし、何も変わらないかもしれないが、結局のところ、どちらでもいいのだろう。

 どこに向かっても地獄に変わりないなら、行きたい場所に向かうだけだ。

 

 その道行きを普通に楽しめる人間だと思っている。自分も、そして、程度は違えどレイヴンも。

 

 

 

 

          - / - -

 

 

 

 

 作戦実行日は翌日の夕刻になった。

 争奪戦とは言っても、先を争うのはスネイルのやり方ではない。基本的に漁夫の利を狙うのが常道だ。

 「壁」の攻略でベイラムの拙速な作戦を見越したのと同様に、今回も、BAWS側とベイラムの戦闘が発生してから動くという慎重策を取っていた。

 それに不満を唱えなかったことを訝しがられたが、そもそもが、これは解放戦線の罠だ。制圧戦は形だけのものになるだろう。両陣営ともに大した損害は出さないはずだと予想していて、外れることなく的中した。

 BAWSの第2工廠を訪れるのはこれで三度目だ。前回と様相が変わり、ところどころに黒煙を上げていた。

 司令部のスネイルが忌々しげに言った。

 

《……既に戦闘は終わっているようです。まったく、露払いの役にも立たないとは……呆れ果てますね》

「そうだな。ベイラムの戦力は?」

《ACが2機、MTがおよそ50機。レッドガンでしょう。V.Ⅵ、まずは第6部隊にてMT部隊の減耗を》

《お任せください》

 

 メーテルリンクが落ち着いた声音で応じた。

 SURVEYOR(サーベイヤー)の名を与えられた無人僚機はあれから色々と改良を重ね、想定する戦闘に応じてRaDの包囲型(APERITIF)とファーロンのマルチロック型(P19MLT-04)を使い分けるようにしたらしい。今回はファーロンだ。両手両肩マルチロックタイプのミサイルとなる。大量のMTへの対処はまさにうってつけだった。

 操作方法もいくつか試し、ロック対象の範囲と射撃パターンと機動パターンを3連のコード音声入力にまとめたと聞いている。より汎用性の高い操作を目指した結果だろう。

 前回では特に目立ったところもない凡庸なAC乗りといった印象だったが、プログラムに工夫を凝らせるMUM-Tとは相性がよかったのか、ここにきて大きく才能を伸ばしている。戦っていて退屈しない程度には。

 

 当座の待機を命じられ、暇を持て余しながらカメラを切り替えた。早くACに出てきてもらいたいものだ。

 インフェクション率いる第6部隊が工廠に突入した。

 規律だった動きをする隊だ。すぐにベイラムとの戦闘が始まる。

 

《敵襲!! やはりきたか……ヴェスパーだ! 陣形を崩すな!!》

《くそっ、アーキバスめ、鼻の効く……!》

《あれは……あの機体は何だ!? 記録がないぞ!》

《好きにやらせるな! 時間を稼げ!》

《ミシガン総長に報告を――》

 

 モニタの中で展開される戦闘は、およそ想定通りに進んでいた。

 広く陣を取るレッドガンのMTを面の制圧力で打破していく。麾下のMT部隊は撃ち洩らしの処理に回しているようだ。実に効率的で圧倒的、戦果としては十分だろう。これはスネイルの機嫌が良くなりそうだ。

 レッドガン部隊の混乱が激しい。そろそろ本命が出てくる頃合いかと考えていると、張りのある銅鑼声が広域回線に響いた。

 

《聞こえるか、役立たずども! 愉快な遠足の時間は終わった。直近に自殺の予定があるものだけがついてこい!》

 

 思わず身を乗り出してしまった。

 浮き立った気持ちのままに、こちらも広域回線で応じる。

 

「ベイラムがお前を寄越すとは思わなかったな、ミシガン。嬉しい誤算だ。お前とはずっと戦ってみたかった」

《アーキバスの戦闘狂はよほど暇を持て余していると見える。貴様のお遊びに付き合うのは業腹だが……いい機会だ、ひとつ教えてやろう。上見ぬ鷹を狙う砲口があるのだということをな》

「ああ。楽しみだ」

 

 映像では何度も見た、木星戦争の英雄――「歩く地獄」の操るAC ライガーテイルが迫りくる。役立たずと呼んだ部下たちを守ろうとするのが明らかな動きだった。

 蜘蛛のような複眼の高性能頭部、重量に耐える頑丈な四脚。ハイエンドで扱いにくい、惚れ惚れする機体だ。

 サポートは期待通りにG2とMT部隊だった。互いの援護機が撃ち出すミサイルの弾幕をかいくぐり、レーザードローンを展開しながら僚機に呼びかける。

 

「V.Ⅵ、お前は引き続きMTに対処しろ」

《申し訳ありません、V.Ⅰ。スネイル閣下より貴方のサポートをするよう作戦指示を承っております》

「……野暮だぞ、スネイル」

《遊ばせると言った記憶はありませんよ。今回は貴方の道楽に付き合うことはできません。万全の体制で、早急に片付けていただきます》

 

 取り澄ました声でスネイルが言う。やっぱり第1部隊だけで来ればよかったな、と渋面になった。

 まったく、テンションの下がることをしてくれるものだ。

 

「……仕方ない、G2を任せる。こちらには手を出すなよ」

《了解しました》

 

 ライガーテイルはガトリングの弾を叩き込みながら距離を詰めてくる。すかさずばらまかれた炸裂弾を横に避けたところへ、四脚の間合いが広い蹴りが狙ってきた。身に馴染んだ動きだ。

 斜め頭上を取るようにブーストを入れて蹴りを避け、リニアライフルで返す。ガトリングガンに思いのほか被弾させられている。それでこそだと口角が上がった。

 絶え間なく注がれる鉛玉と爆弾の合間をレーザードローンで狙った。

 角度を変えて、死角から時間差で3発――最大威力で放った最後の1発を避けられた。ミサイルが補足し、ドローンが1基墜とされる。

 

《――聞きしに勝る酔狂だ! まさかドローンをこう使うとはな!》

「面白いだろう?」

《データでは把握していたが、さらに器用さを増したものだ。これも遊びか! その姿勢では技量にムラが出そうなものだが……貴様、意外にも努力家か?》

「嬉しいことを言ってくれる。好きこそものの上手なれ、だな」

 

 尊敬する相手に褒められれば悪い気はしない。

 ただ、残念なことに、この男にとってもACに乗ることは“仕事”でしかないようだった。口の威勢は良いが性質は思慮深いのだろう。常にどこか苦みを抱え、背負うものを増やしながら進んできた人間の戦い方だ。

 なぜか、V.Ⅳと似通ったものを感じた。あの男が山ほど色んなものを失いながら年を取ったら、あるいはこんな戦い方をするようになるのかも知れない。それまで生きていればの話だが。

 間合いを見計らいあう撃ち合いが続いた。MT部隊も混戦状況にある。アイランド・フォーを思い出す感覚だ。

 ライガーテイルの炸裂弾が視界を塞ぐ。

 炎の幕に敢えて飛び込んで、機体を蹴り飛ばした。

 

《なんだと!?》

 

 隙を逃さず、レーザーランスをコアめがけて突き込む。回避するライガーテイルを追った追撃は、右肩を()った。

 頭部カメラをリニアライフルで狙い、レーザードローンを集める。

 

《総長――!》

《行かせない!》

 

 援護に入ろうとしたG2のディープダウンへ、メーテルリンクが無人僚機を突っ込ませた。ほとんどぶつかるようにしてミサイルを全門接射する。自機への被害もお構いなしのセットパターンだ。

 予想外の苦戦に気を取られたか、ライガーテイルが一瞬動きを鈍らせる。

 レーザードローンの集中射撃が頭部装甲をわずかに削った。

 MT戦も趨勢が見えてきた。残り6割――こちらの損害は2割程度だ。

 

 これが逆だったらスネイルが退かせる頃合いだ。さもなくば全滅が見えてくる。だが、ベイラムではそうもいかないのだろう。

 そうしているうちに、ディープダウンの左腕部がミサイルに潰された。

 ほとんど2対1をやっていたのだ。無理もない。好機とみて、メーテルリンクがMT部隊に退路を塞がせる。

 

 それが契機になった。

 ライガーテイルがこちらとの交戦を放棄し、ディープダウンやMTの前へと滑り込むように駆けつけた。

 パルス性の障壁がその場に現れる。パルスプロテクションを起動したミシガンは、声を張り上げた。

 

《撤退しろ! どうせ涸れる井戸だ。アーキバスにくれてやれ!》

《……だが、ミシガン、譴責(けんせき)は免れんぞ》

《死体に譴責も何もあるものか! 俺が殿(しんがり)をする! さっさと尻をまくれ、役立たずども!!》

 

 スネイルが追討を命じるかと少し待ったが、どうやら今回は「井戸」の確保を優先することにしたらしい。

 これで良かったような、少し残念なような、曖昧な気分になった。

 死に物狂いのミシガンと戦える好機だったかもしれないが、そうするにはメーテルリンクが少しばかり頼りになりすぎた。戦う相手なら良いが、僚機にするには微妙だ。次は置いていきたい。

 

 曇った空から針のような雨が降り始め、視界をくすませていった。

 機体の戦闘モードを終了させ、伸びをしながらシートにもたれ掛かる。

 

 集音マイク越しの雨音が、雑音のように響いていた。

 

 

 

 

          - / - -

 

 

 

 

 雨は夜半まで続いた。いつもなら寝付けないことなどほとんどないのに、雨音が妙に耳について、目を冴えさせていた。

 レイヴンとの連絡は2日途絶えている。仕事上の関係でウォルターから不定期に連絡禁止の指示があるので、特にめずらしいことではなかった。連絡が取れなくなったイコール仕事中ということなら話は早かったのだが、残念ながらそうではない。

 ただ、予感がした。

 あの日もこんな、雨の夜だった。

 

 ベッドから降りて、冷えた床に両足を下ろした。

 ブラインドを上げて空を見上げる。雨雲に覆われた空はどんよりと重苦しい。

 

 瞬きをしたその瞬間、空の色が変わった。

 北の方角で何かが起きた。――コーラルの爆発的な逆流現象だ。

 場違いに柔らかな薄紅色の光が、空に青さを映し出す。遅れて吹き付けてきた突風が、ガタガタと窓を揺らした。

 上空はもっと風が強いのだろう。雨雲を振り払い、まるで夜明けのような空が広がった。あれがコーラルの色なのか、それとも炎色反応によるものなのかは知らないが、ただの風ではない。熱放射と火球を伴わないだけましというだけで、相当量の電離放射線が発生している。通信機器の破損はこれが原因だ。

 普通の人間であっても致命的だが、電子的な改造を施された強化人間なら、なおさら危険度は高い。

 

 知らず詰めていた息を、ゆるく吐き出した。

 腕を組み、窓にもたれ掛かった。ひんやりと湿気た空気が肌を刺した。

 

(……無事でいろよ、レイヴン)

 

 あのレイヴンだ。心配するようなことはない。今回はウォルターだってついている。下手を打つとは思えない。それに、壊れにくい連絡手段も持たせた。

 ――大丈夫だ。

 ざわつく感情を押さえ込んで、もうひとつ大きく息を吐く。

 どうにも馴染みのない、胃の底が重くなるような感覚だった。

 

 

 

 

          - / - -

 

 

 

 

 それからさらに2日待って、もう十分待ったという気分になったので、ウォルターに連絡を取った。

 

《……何の用だ、V.Ⅰ》

 

 相変わらず苦々しげな声だった。どこか疲れたような印象で、何歳かさらに老け込んだような印象だ。

 

「単刀直入に言う。レイヴンと連絡は取れているか」

《なぜそんなことを聞く》

「北西ベイエリア消失の件、お前たちの仕事だろう。コーラルの逆流に呑まれたはずだ。……具体的には、あいつが今、昏睡状態にないかを懸念している」

《…………》

「お前が近くにいるならいいんだが、一人なんじゃないか? 強化人間とは言っても脱水症状に強いわけじゃないだろう。……二日目だ。そろそろまずい」

《……手は打つ》

「俺を使え。早いほうがいい。信用できないのはわかるが――……いや、待て。ビーコンの発信があった」

 

 思わず、肩から力が抜けた。

 深々と安堵の息を吐く。少なくとも今、意識はありそうだ。それならばまだ致命的ではない。

 画面に朗々と光る緑色の光は、そう遠くない場所にある。

 

「やっとか……。あいつが呼んだなら文句はないな? 今から向かう」

《……到着後、連絡しろ。ヘリのロックを解除する。……言っておくが、下手な真似はするな》

「わかっているさ、今更嫌われたくない」

 

 すっかりお約束になったやりとりを交わして、ロックスミスを出した。

 山際へ隠れるように停められたベースヘリは、ずいぶんと立派な代物だった。よくあるオールマインドの貸与品でもなさそうだ。まず環境を整えるという方針は、スネイルにも通ずるところがある。

 下手をするとまだコクピットの中かもしれないと思ったのだが、そちらは空だった。居室の扉を開け、ようやく姿を見つける。

 眠っているようだ。ベッド代わりのマットレスの上で、おざなりに毛布にくるまって丸くなっている。まだパイロットスーツのままだった。

 傍らに膝をついて、手を伸ばす。呼吸はしていた。脈拍も、少し弱いが安定している。とりあえず一刻を争うことはなさそうだ。

 安堵のあまり、座り込みそうになった。自分で思うより心配していたようだ。

 

 平常心を唱えてスーツの前をはだけさせ、腕を抜き取った。

 柔らかな腕を消毒し、持参した点滴キットを接続して、ようやく人心地つく。スーツの下は下着姿ではなくとも薄いタンクトップで、実に目の毒だ。

 安心したのか、口移しで水を飲ませるチャンスだったのでは、などと益体(やくたい)のない考えが頭をよぎった。

 実際のところあれは誤嚥(ごえん)の可能性があって危険なのでやらないが、ちょっと惜しいことをしたような気もする。

 

 ウォルターには状況の報告だけ入れ、そのまま返事も聞かずに一晩居座った。このまま連れ出してアーキバスの医療棟に放り込まなかっただけ、自重したと褒めて欲しいくらいだ。

 腕を飾る、緊急ビーコンのリストバンドを指でなぞる。

 薄灰と、薄橙と、明度の高いオレンジ。機体の色だ。つけていてくれたことが嬉しかったし、使ってくれたことにはもっとほっとした。

 呼吸は安定している。顔色も悪くない。眠り続けているのに隈ができているのは気になったが、揺り起こすよりは自然に起きるのを待った方がいいだろう。

 

 レイヴンが目を覚ましたのは、翌朝遅くだった。

 くぐもった声に顔を上げる。固く閉ざされていた目蓋が震え、焦点のあわない目がさまようように動いた。

 

「起きたか、レイヴン」

「……フロ、イ、ト……?」

「水を飲んでおけ。……点滴が刺さったままだから、気をつけろよ」

 

 ん、と短く答えて身を起こす。手を貸す必要はなさそうだったが、掠れた声だった。

 差し出したボトルをレイヴンが受け取り、半ば脱がされたような格好に気付いてか、顔をしかめる。潔白を示すために両手を挙げた。

 

「お前、多分軽く2日以上昏睡していたぞ。点滴を打っただけだ。誓って(やま)しいことはない」

「……2日……」

 

 体の不調で実感したのだろう。少しずつ水を含んで喉を潤し、レイヴンがほっとしたように息を吐く。

 その間に点滴の針を外してやると、不思議そうに首を傾げた。

 

「……助かったわ。でも、どうしてここに……?」

「お前が呼んだんだろ」

 

 それで、とビーコンのリストバンドを指差すと、困惑したようにそこへ視線を落とした。

 そんなはず、という反応だった。

 

「……覚えがないわ。帰って横になってから、意識が――」

 

 とたん、痛みに耐えるように顔をしかめたので、不安が増した。

 前回よりも昏睡期間が短い。それが良い兆候なのか悪い兆候なのか、この場で判断はつかなかった。できれば精密検査を受けさせたいところだ。

 少しばかり逡巡して、細い肩に手を置いた。ひどく冷えていた。

 

「大丈夫か? どこが痛い?」

「……コーラルの逆流に、巻き込まれてから、幻聴が起きていて……。ごめん。無意識に、呼んだのかも……」

「幻聴?」

 

 真っ白になった顔が、きつそうに歯を食いしばって眉根を寄せている。

 前はそんなことはなかったはずだ。――そこでふと、心当たりに思い至った。

 今のレイヴンは旧世代型の強化人間だ。()()()()に合致する。

 

「……もしかして、“エア”か?」

 

 顔を上げたレイヴンが目を瞠る。向こうの反応は一段と劇的だったようで、すぐ、痛みを覚えたように両耳を押さえた。

 音声でない以上意味はないだろうが、よほどきつかったのだろう。うかつに口にしてしまったのは失敗だった。

 やり過ごすように浅い呼吸を繰り返して、レイヴンがこちらを見る。痛み止めを飲むかと聞けば、首を振った。

 

「どうして、名前を……まさか、幻聴じゃないの?」

「多分な。……エア、レイヴンがきつそうだ。悪いがしばらく静かにしてやってくれ」

 

 声は聞こえなかったが、無事に要求は伝わったようだ。

 レイヴンが安堵の息を吐く。

 顔色はまだ白かったが、のろのろと耳から両手を下ろした。手を置いたままだった肩をぎこちなくさする。拒まれなかったが、目蓋を開けているのも重いようだ。余裕がないだけかもしれない。

 

「……ごめん、助かったわ……。……幻聴じゃないなら、悪いことをしたかも。ずっと無視していたの」

「ああ、その手のやつは会話したら駄目なんだったな。多分精神疾患じゃない。安心しろ」

「……ほっとした。頭は痛いし吐き気はするし、もう、どうしようかって……」

 

 目を伏せたまま、ため息のような声で言う。どこか途方に暮れた、張り詰めたものがほどけたような顔だった。

 見覚えのある、気を許した表情だった。やっと見せてくれた甘えのようにも思えた。

 引き寄せられるように、その伏せられた目蓋に口づける。

 そうしてしまってから、しまった、と気づいた。距離感を間違えたかもしれない。

 

 予想に反して、レイヴンは怒らなかった。

 静かにこちらを見上げて、迷うように、一度視線を落とす。

 そして、もう一度そっと見上げてきたから――ああ、いいんだな、とようやく確信が持てた。

 

 顔を近づける。レイヴンが目を伏せた。

 久々のキスは、触れ合わせるだけのものだった。

 一度離れるか離れないかくらいでもう一度押し当てる。ん、と小さな声が細い喉で絡まった。足りない、と引き寄せるように腰に触れ――そのままがっつきそうになっていることに気づき、あわてて両肩を掴んで押し剥がした。

 妙な沈黙が落ちる。

 きょとんと目を丸くしたレイヴンが笑ったので、多分、それで正解だった。

 

「……貴方、本当に私のことが好きなのね」

「今更そこか?」

「だって、信用させてくれないんだもの。言動が」

 

 柔らかな笑い声をこぼして、首を竦めるようにする。

 原因を押し付けられたような気分になって、唇を曲げた。

 

「そこくらいは信用してもいいだろ。信じたところで何の害にもならないはずだ」

「言ったことがないのに?」

「……言ってなかったか?」

 

 素で問い返せば、レイヴンが視線を泳がせる。しまったな、といった様子だった。

 完全に言わせる流れだっただろうに、そのつもりではなかったらしい。ひどい女だ。

 構わず言おうとした口を、両手で塞がれた。何だか腹が立ったので、その手を掴み取る。

 

「ごめん。言わなくていい。……今の私じゃ、応えられない」

「別にいい」

 

 両手が片手に収まってしまうほど細い指だ。前より肉が足りない気がする。

 ますます不機嫌が増して、勢い任せに抱きしめた。

 レイヴンが小さく息を飲む。反射的にか身を竦めたが、押し返しては来なかった。抱きしめ返してくることもなかったが。

 またしばらく妙な沈黙が落ちて、タイミングを逃したな、と視線を宙に上げる。

 あやすように背中を何度か叩くと、しのんだ笑い声が聞こえた。

 華奢な手がジャケットの裾を握りしめる。覚えのない仕草だ。それとは逆に、以前よくそうしていたように、肩口に額を押し当てて腕の中に収まった。

 冷えた身体から温度が伝わってくる。あらためてその柔さを意識した。

 思わずうなだれて、唸るように言った。

 

「……くそ。頼むから、早く好きになってくれ」

 

 顔を伏せたまま、レイヴンが吹き出した。

 よほど面白かったのか、そのまま肩を震わせて笑っている。

 

「そこで笑うか?」

「だ、だって……すごい自信。それだと、好きになるのは確定してることになるんだけど」

「もうだいぶ好きだろ」

「……どうかな」

 

 好意もない男にこんなことを許す女でもないだろうに、言質を取らせるつもりはないらしい。

 今度こそ、軽く肩を押されて、大人しく距離を戻した。

 

「不思議よね。貴方が私のことを知っているはずなんてないのに、誰のことを言っているんだろうって思うのに……どう考えても、私のことなの。私の向こうに誰かを見てるんじゃなくて、間違いなく、私を見てる」

「……だろうな」

「私、貴方とどこかで会ったことがある? でも、以前の私と今の私じゃ違うはずなのよ。……そんな時期なんてあるはずないのに」

「……お前が覚えてなくても、俺は覚えてる」

 

 レイヴンは笑ったまま、困ったように首を傾げた。

 それはまあ、困るだろうな、と思う。どう考えても辻褄が合わないのだ。

 

「全部知らないと、信用できないか?」

「……信用じゃなくて、優先度の問題。もしウォルターが、必要があって、貴方を殺すように言ったら……私は多分、拒否できない」

「遠慮するな。そうなったら俺も遠慮しない。どんな手を使っても生かして捕まえて返さない。そのときはもうウォルターが悪いからな、文句は言わせない」

 

 レイヴンが目を瞬いた。まさかそう来るとは思わなかった、と言わんばかりの顔だった。

 

「傲慢ね」

「ああ」

「……貴方のそういうところ、きらいじゃないわ」

「そこはもう好きでいいだろ」

 

 レイヴンは笑って首を傾げるだけで、答えなかった。まあ、予想通りだ。

 右手を掬い取って、少し骨張った指を撫でた。やはりもう少し食べさせたい。ウォルターが栄養を取らせていない訳ではないと思うのだが、どうにも気持ちがざわめいた。

 

「今は無理ならいつまでだとか、言いたいことは山ほどあるんだが。……お前の気が済んだときにちゃんと生き残っていて、俺の隣に来てくれたら、それでいい」

「……私にそんな価値がある?」

「俺にとってはな」

「……今の即答は、正直ちょっと、ぐっときたわね……」

「もう一回言うか?」

「遠慮しておくわ。うっかり誘惑されそう」

 

 されてもくれないくせにそんなことを言って、レイヴンは笑った。

 

「そういえば、思い出したんだが」

「何?」

「強化人間のデバイス、痛覚遮断機能がなかったか?」

「……あ」

 

 すっかり存在を忘れられていたエアが怒り出して、レイヴンがあわてて釈明に回る。たどたどしく「あの、違うの、忘れてない」「無視していたことはごめん、私が悪かったけど……待って、違うの、そうじゃない」「いちゃいちゃしてたとかそんなのじゃなくて」などとしどろもどろになっているのがめずらしくて、思わず笑った。レイヴンが抗議するような視線を寄越してきた。

 

 すぐに終わりそうになかったので、ウォルターに目が覚めたという連絡を入れると、そちらはそちらで説教が発生した。通信を切って居座ったせいだ。

 

 結構いろいろ我慢した認識でいたので、なんだか理不尽を感じた。

 

 






とりあえず一区切り。今回はレイヴンがエアちゃんと出会いました。

レイヴン視点だった前作と異なり、「パイロットは基本インテリ」という先入観からちょこちょこ蘊蓄を入れてます。けど今回はちょっとジャンル違いだったような気もするな……。
サロメって一般的なキリスト教徒的にどんな位置づけなんだろう実際。宗派によっても違いそうだけど。
個人的な認識としては、ママに命じられて義理のパパに「あいつ処刑して☆」と言わされた女の子という印象。巡礼者に恋をして云々は後世の追加設定ですが、またなかなか倒錯的でいいですよね……



  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。