かなりの数を減らしたはずだが、レーダー反応は依然として真っ赤なままだった。
つかの間の閑暇は過ぎ去り、ここベルグレイブ要塞は、記憶通りに惑星封鎖機構の猛攻に
総じて、色々と厄介さのある仕事だった。
《強襲艦、2隻目の撃破を確認。――第3波が接近、30秒後に主砲の射程圏内に入ります。直掩は4機。LC高機動型です》
《撤収作戦の遂行状況は現在68パーセント。予想所要時間は51分》
飛び交うレーザー弾にじわじわと装甲を削られながらも、足を止めずに動き回り、流れ作業に似た単調さで敵機の数を減らしていく。
さすがにこれだけの数を相手にして、完全に被弾しないというのは無理な話だ。要所要所でリペアやパルスアーマーを駆使しながら、ごく慎重に長丁場の戦闘を継続した。
普及型アサルトライフルのあの感触は気に入っているのだが、こういった状況におけるリニアライフルの優位性は確かなものだ。優秀な弾速と弾数の多さ、単発威力の高さで、関節部に当てればMTを一撃で無力化する。数を頼みにする相手を手早く処理するには最適だろう。
第3波のLC機体をすべて片付けたところで、司令部から、要塞内に戻って補給を行うよう指示が入った。仕事はまだまだ終わりそうにない。
《第1部隊第2小隊が援護に入ります。一時撤退し、第4ハンガー5Eへ駐機を。マーカー情報を送ります》
「了解した。撤収作業の現況は?」
《現在80パーセント、完了まで約30分の見込みです。ただ、PCAが増援要請を行った模様。上級尉官の投入が予想されます》
「それはいいな。少しばかりやる気が出た」
管制官はスネイルではなかったため、不真面目な言動への
ハンガーに機体を固定して、整備班に仮眠を取る旨を伝えた。
コクピットのシートにもたれて両足を投げ出し、耐Gスーツを緩めると、深く息をついて目を閉じた。
企業が中央氷原に拠点を移し、コーラル集積地点へと着実に駒を進める中、危機感を覚えた惑星封鎖機構がやって来ることはわかっていた。前回と今回で変わる要素さえない。
警告の甲斐あってアーキバスの各拠点へは事前に一時撤収の徹底を周知されており、早期警戒網において大艦隊の動きをいち早く捕捉したことからも、初動は悪くなかった。――それでカバーしきれる量ではなかっただけで。
おまけにその直前、ベイラムに雇われたレイヴンがアーキバスの観測データを奪取したことで、撤収戦への参加要請を見合わせることになった。独立傭兵というのはそういうものだろうに、スネイルは妙な警戒心を掻き立てられたらしい。
結果、前回よりも単純に戦力が減ったため、一人頭の負担は結局大して変わっていなかった。つまりは出し惜しみなしのヴェスパー総動員だ。
コンディションの悪い中でやらされる退屈な仕事ほど苦痛なことはない。
強化人間のようにスイッチを切り替えて眠ることはできないが、それでも短い夢を見た。
よりによって、夢の中でも退屈な作業仕事をやっていた。
通信音で目を覚まし、緊迫感のにじむ早口を聞く。
《V.Ⅰ、作業完了しました。出撃可能です》
「状況は?」
《第2小隊及び第4小隊が応戦中。敵残存勢力はHC1機、MT11機。第3小隊は残存機極小のため第2小隊に再編成。しかしながら、防衛線は維持できています》
「そうか」
思ったよりも損害が大きい。だが、叩き起こされる事態になっていないならば、まず悪くはない戦況だ。
やはりMUM-Tを解消させたのは正解だった。HCを中心とする惑星封鎖機構の部隊を相手に、小隊3つでこれだけ持ちこたえられているなら上々だろう。
舞い戻った戦場では、報告どおりの近接タイプHC機に友軍が手を焼いていた。
HCは機体サイズからしてACより一回り大きく、出力も機動力も数段上を行く。パイロットも精鋭が当てられているはずだ。
レーダー反応に気づいてか、HC機が反応してきた。
意外にもその声は甲高く、どうやら女のようだった。
《思ったよりは遅かったですが……とうとう来ちゃいましたかぁ、V.Ⅰ「フロイト」……。もう少し先だとよかったんですけどぉ》
四面四角な惑星封鎖機構の上級尉官らしからぬ、間延びするような喋り方だ。
新型機を預託される部隊長――そう考えれば、相応の実力を持つはずだった。変人という定義を出力したかのような印象で、かなり好戦的だ。
妙な人間っぽさを感じ、少し興味を持つ。
「うちの部下はなかなかやるだろう?」
《そうですねぇ。たかだか私企業の兵にしては、とぉっても生意気です! MTでさえなかなか落ちないんだもの! ……ってぇ……あん、
「うるさい“上”にはお互い難儀するな。まあいい、口だけの動きは見せてくれ」
《ずいぶんな自信ですねぇ。大ッ嫌いなタイプですぅ》
本当に妙な相手だ。よもや同類かと考えながら、部下に指示を投げた。
「ここまでよく持ちこたえた。お前らは下がれ」
《……隊長、ご注意を。この女……気味が悪いことに、腕は確かです》
「暇な相手でないなら何よりだ。俺に譲ってもらおうか」
通信の向こう、副官が盛大なため息を吐く。それでも一秒後には切り替えた。
慣れは偉大だ。
《第2小隊及び第4小隊、基地撤退支援に移ります。――くれぐれも先日のような無茶は控えてくださいよ、隊長》
「ああ。了解した」
言い終える前にレーザーが打ち込まれた。最小限の動きで回避すると同時、敵機がおそらくは最高速度で距離を詰めてくる。
構えられたパルスシールドが形態を変えた。さらに踏み込んでくる――ぶつかるように繰り出されたランス状のパルス攻撃を、ギリギリの間合いでいなした。
《うわぁ……! これをふつうに避けちゃうなんて、本ッ当に気に入らないですよう!》
「ああ、そうだ、それがあったな!」
同時に放った言葉は、ものの見事に噛み合っていなかった。
惑星封鎖機構の複合型パルス兵器。パルスの出力形態にバリエーションや強弱調整を付け加えられるなら、レイヴンのことだ、きっと色々工夫して、面白い使い道を編み出してくるに違いない。シールドの派生形と考えると生存率も上がりそうだ。考えれば考えるほど、悪くない選択肢に思えてくる。
もらうか、と結論を出すのは早かった。機体よりもその辺の機構を破壊せず確保したい。ストレスで鬱屈していた気分が、急に晴れたようだった。
「いいものを持ってきてくれた。下手に動き回ってくれるなよ、できるだけ壊したくない」
《わぁ、直球の愚弄ですねぇ! 甘く見られてブチ切れそうですぅ!》
「挨拶代わりとはいえ、奇襲を当てられない時点でな。まあいい、動けなくするだけの話だ」
高速機動を見せるHCをレーザードローンに追わせる。動きは悪くないが、想定の範囲内だ。多少挙動を修正するだけで囲めそうだった。
《寄せ集めのACにそんなこと言われるなんて、本ッ当、脳の血管が限界ですよぅ! さっさと死んで無残なスクラップになってくださぁい!》
「残念だ、趣味が合わないな。強い敵ほど面白いものだろうに」
《見解の相違ですねえ。この惑星封鎖機構の最高傑作な
会話のとおり、かなり好戦的かつ戦略に従わない種類のエースパイロットだ。
まさか、惑星封鎖機構にもこの手の人間がいるとは思わなかった。AIが好まないタイプの「外れ値」だ。
その極端さは嫌いではないのだが、口ぶりからして、相手を蹂躙することにこそ快楽を見いだす人種のようだ。まったくもって相容れない。似たような動きを繰り返す敵をどれだけ殺したところで、何が楽しいというのだろう。
それはただの「作業」だと思ってしまう自分にはさっぱり理解できないし、たぶん、レイヴンにとってもそうだろうと思う。
せっかく命を賭けて戦うのなら、相手が強い方がいい。強ければ強いほど、手こずらせられれば手こずられらせるほど、いい。
ただの戦闘狂にはいまいち惹かれない、と再認識したところで、敵機はただの的にしか見えなくなった。
この上なく魅力的な賞品を抱えた、射的の的だ。
大きく動き続けるHCから、口径の大きなレーザー砲が立て続けに放たれる。ただの照準補正頼みで乱射している風ではなく、手前に
《ひゃあっ……気持ち悪ぅ……! カサカサ機敏に動く害虫ほど、やなものはないですねえ……! いいかげん当たってくださぁい!》
「頭の悪い会話だな。当てたいならさっさと当ててこい、あいつならそうする」
《うっわぁ。誰と比べてるんだか知りませんが、クッソぶち殺したい言い様ですよぉ!》
プラズマミサイルを回避した先に、チャージショットを撃ち込んできた。
システムが戦闘内で照準補正を更新しているとはいえ、どこに何を撃つかはパイロットの判断だ。学習能力は悪くない。四面四角な惑星封鎖機構の風潮の中で、異常に特異ながらHCを与えられているのだ。それだけのことはある。
ただ、声に交じる苛つき具合を見ると、このあたりが打ち止めだろう。
視界から消える動きを挟み、するりと滑るように背後を取る。レーザーブレードの出力を上げた。
《消えっ……るわけ、ないですよねぇ!!》
HCは追いつくように機体を反転させながら、同時にブーストで後退した。こちらの近接攻撃を避けたのは偶然に近いだろうが、最善の動きを見せたからこそだ。
ACでいうクイックターンに近い。惑星封鎖機構の機体には搭載されていないはずだ。
「避けたか。悪くないな」
《企業のワンちゃんごときに上から吠えられるの、ほんっと、耐えられないですぅ!》
照準を定めないうちにレーザー砲を撃ってくる。立て続けに撃ちながら
それでも当たらないことに憤慨して、大振りな動きでパルスランスを突き込んでくる。
軽くブーストを入れ、改めて背後を取った。
がら空きの背中、その腰部に狙いを定める。
リニアライフルのチャージ弾で、的確にブースターの内部機構を射抜いた。おまけで機体を踏みつけるようにして、逆肩のブースターを削り取る。
《ひぐっ――》
衝撃でかかったGにか、引きつるような声がした。
どうやったら面白くなるか、と片手間に考える。アーキバス向きではないだろう。多分弱い相手としかやりたがらなくて調子に乗ったままだ。
だとしたら――そうだ。G1に頭を抑えつけられてレッドガンの流儀を叩き込まれたら、ひょっとすると化けるかもしれない。
《……ブ、ブースターノズルが破損……!? やだやだ信じられない! しっかりしてくださいよぉHCちゃん!》
「前のLCは、この状態でも持ち堪えてたが」
《できますけどぉ! ……まずい状況だっていうのは分かりますよぉ!? だって貴方、絶対、ずぇええったいに逃がす気ないじゃないですか! やだやだやだっ! 蛮族相手に虜囚なんて、死んだ方がましですぅ!》
「殺して欲しいなら言え。その程度なら応じてやる」
《クソの極みなんですけどぉ!!》
HCが乱射するレーザー弾を特に難もなくひとつずつ回避して、もう一つブースターを潰した。
大体の仕事が終わったのを認識しながら、撤収作業の完了報告を受ける。既に興味は失われていたが、きゃんきゃんと甲高く吠える敵機のパイロットが意外にも命乞いをしてこなかったこと程度は覚えていた。
- / - -
気分だけで疲労が消えるというのは当然ながらただの錯覚で、戦闘が終わるなり、頭痛がひどくなった。
とはいえ、時間もないことだ。片付けるものは片付けておきたい。
拠点に戻ってすぐに先進開発局に連絡を取り、複合パルス兵器のAC転用を直接依頼した。機体から降りるのさえ
「……というわけだ、できれば色々応用できる武器に仕上げてくれ。出力と形態と……まあ、難しければ一方だけでもいい。期待している」
《お任せください! ああそうだ、V.Ⅰ。例の新型耐Gスーツも完成が間近です。ファクトリー閉鎖の影響でテスターは限られていますが……まあ、そうですね、近々には試作品をお披露目可能かと》
「そうか」
そういえばそんなものがあったなと、眠気にぼんやりする頭で思った。
従来とは設計思想の異なるパイロットスーツだ。外部装置で脳味噌に経皮的に酸素と栄養素を送る、かなり外科医学に寄った仕組みのものになる。
機体の上下左右運動によって引き起こされるG-LOCとは、要するに脳の酸欠と栄養不足だ。それを運ぶための血液が頭部から末梢神経へ降りてしまうことを防ぐのが従来の耐Gスーツだったが、今回のこれは、全身の血液循環を機械装置でコントロールしようというものだった。
LAMMERGEIERの機動にかかるGは、従来のそれを大きく上回る。
強化手術のない人間が動かそうと思うなら、安全性に色々と課題が残されているとはいえ、この新型耐Gスーツの存在が必要不可欠だった。正確には、これを使ってぎりぎり、といったところだ。普通にグレイアウトは起こした。
これができてきたということは、前回のタイミングを振り返るに、LAMMERGEIERの完成も間近だろう。
レイヴンは喜ぶだろうか。
前回はスケジュールが合わず置いていったことで派手な喧嘩になって、まともにこの機体の話で盛り上がる機会を失ってしまった。
今回は、もう少しうまくやれるといい。――たぶん、そのとてつもなさに呆れながらもワクワクして、夢中になるだろう。どんなことができるか、どんな設計思想で作られたのかと、色々話は尽きないはずだ。
何だか無性に、声が聞きたくなった。
ようやく拠点の自室まで引き上げてベッドに倒れ込んでも、まだそんなことを考えていた。前回の自分が、ただでさえ少ない睡眠を犠牲にして勝手にレイヴンの部屋に押しかけてベッドに潜り込み、柔い身体を抱え込んで眠った頃を思い出す。お互い人の気配に敏感なので眠りが浅くなって、あの頃のレイヴンは苦情を言っていたが――今なら、それが必要だったのだと少しくらいは伝わるだろうか。以前はまったくもってそんな自覚がなかったから、ちょっと無理筋かもしれないが。
疲労は溜まりきっているのに眠れない。そろそろその周期だと思っていたので睡眠剤をもらってきてはいたが、水を汲みに行くのさえ面倒だった。
レイヴンとは、あれから、時折どうでもいい雑談をするようになっていた。
タイミングはどちらかのメッセージに即応があったときで、どちらからともなく通信を繋いで交わす会話は、無意味で生産性の欠片もないのに、妙に満足感があった。以前はACに関係のない会話など半分も聞いていればいい方だったが、今は声を聞くだけでも気分が上がる。つくづく変わったものだ。
エアがそこに割り込んでくることも多い。通信回線で話していればウォルターにも不審がられないからと、やたらお喋りなCパルス変異波形は「起きて」いる限り必ず会話に参加してくる。実際のところ話題提供者としては一番優秀だ。多分、そうでなければ早晩話すことが尽きていた。
レイヴンも自分も、お互いに仕事のことは話さなかったので、日常のエピソードとなるとそう多くはないのだ。
この間はレイヴンを唸らせた「お菓子」を羨んだエアが、味を電子データ化してどうにか味わえないだろうかと真剣に悩んでいた。味覚受容体の再現となるとどうにも難しそうだが、そういえば、そのうちAI研究者に話を聞いてみると応じていたのだった。
眠れないまま夢うつつに思考を漂わせているうち、端末が着信を告げた。
レイヴンからの通信だったが、聞こえてきた声は、エアのものだった。
――それも、かなり切迫した様子だ。
《フロイト……! フロイト、どうしましょう、レイヴンが……!》
「……落ち着け。何があった」
《それが……ああ、何から話したら……》
「状況から言え。今、何がどうなってる」
重い身を起こす。心臓が冷えて、強制的に眠気を叩き飛ばされた。
泣き出しそうに震える声が、はい、と短く
《……レイヴンが……ずっと、目を、覚まさないんです。……私……どうしたら……!》
「どのくらいの期間だ」
《期間……。……現時点で、61時間です》
「生命維持装置の準備はあるな?」
《……はい。バイタルは不安定ですが、人工呼吸器や心肺装置を必要とするレベルにはなく……現在は、点滴だけを受けています》
エアも少し落ち着いてきたようだ。医療施設の管理下にあるならすぐに命に関わる話ではない。少なくとも一刻を争う事態ではないとわかって、こちらも大きく息を吐いた。
「戦闘の負傷ではなさそうだな。コーラル絡みか」
《っ……はい。……外傷は、ありません》
一瞬、傷ついたような様子をみせたが、苦さを含ませながらもすぐに頷いた。
こういうところがレイヴンの信用を買ったのだろう。推測される不利益をごまかさない。至極真面目で、ひたむきだ。
ふつふつと苛立ちを覚えながら、収集していた情報を脳裏でさらう。
コーラル絡みで大規模な“事故”というと――エンゲブレト坑道でのコーラル逆流か。
思わず舌打ちが漏れる。びくりと身を竦めるような気配がして、エアを怯えさせたことに気付いた。ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜる。
「お前に怒っているわけじゃない。……今、あいつは医療機関にいるのか? 現在地の座標を送れ」
《わかりました。……フロイト、もし、可能なら……》
「すぐには行けそうにない。……あと二日で片付ける。俺が行ったときまでにレイヴンが起きていないなら、無理矢理にでも回収して、アーキバスの医療班に任せよう。それでいいな」
《……はい。お願いします。レイヴンには、一緒に怒られますから》
「容態が急変したらすぐに言え。……ウォルターは一体、何を考えてる……」
エンゲブレト坑道は老朽化したウォッチポイントのひとつだ。同じようにセンシングデバイスを破壊して、同じように逆流を引き起こしたのだとすれば、あまりにも度し難い行動だった。
本音を言うなら、今すぐにでも飛び出したいくらいだ。
だが、こちらの仕事を投げ出すには状況が悪い。撤収作業は今後のアーキバスの態勢に大きな影響を及ぼす仕事だ。資材はともかく、人材はそう簡単に補填がきかない。
通信を切り、くそ、と毒づいてベッドに倒れ込んだ。
眠らなければもたないというのに、眠れそうにはなかった。
- / - -
やっと足を運べたのは、宣言通り、エアの連絡から二日を数えた日だった。
ようやく惑星封鎖機構の襲撃が落ち着き、拠点の撤収作業も一段落ついた。報告も何もかも部下に丸投げして帰投せず、その足で向かったルビコンの医療機関――そう呼ぶのも躊躇われるほど前時代的な、古びた建物の玄関をくぐった。
時刻は夕方にさしかかっているとはいえ、病院内部は奇妙なほどに薄暗かった。
おそらく消費エネルギーを最小限に抑えるためだ。発電機は用意しているようだが、燃料であるコーラルが不足しているのだろう。とてもではないが、設備が整っているとは言えない。
インカム越しのエアのナビゲートで、迷いなくリノリウムの廊下を進んでいった。
杖をついた、紳士然とした男の姿が目に入る。項垂れたその男がこちらに視線をやるより先に、投げ出すような声をかけた。
「邪魔をするぞ、ウォルター」
息を呑む気配があった。顔を上げた男が引き止めるように手を伸ばす。
構わず病室の前にたどり着き、扉に手を掛けた。
「……待て、V.Ⅰ……!」
兎小屋のような狭苦しい病室の中で、脈拍モニターが単調な音を響かせていた。
ベッドの上で眠る女は、両手足を抑制具に固定されていた。悪夢に
苛立ちに叩きつけそうになった拳を、ベッドフレームを握り込むことでどうにか押さえた。
「……どういうことだ、ウォルター」
「……どうやってこの場所を知った」
「それがそんなに重要か? 答えろ、ウォルター。二度目だろう。この状況下でセンシングバルブに手を出せば、こうなることはわかりきっていたはずだ」
「……部外者に言えることはない。以前もそう言ったはずだ、V.Ⅰ」
口の重さに舌打ちする。
ベッドを背に振り返ると、ウォルターは苦々しげな顔で杖をついていた。レイヴンから引き剥がそうとする様子はないが、どこか、この状況を持て余しているようにも思える。
「今までの猟犬と同じようにこいつを使い潰す気なら、許容する気はない。こいつは俺が貰う。お前は今からでも別を探せ」
「……それを決めるのはお前ではない。冷静になれ、V.Ⅰ」
「知ったことか。金で手を打てないなら力尽くだ、手段を選ぶつもりはない。……こいつを俺に渡せ、ウォルター。次の犬が見つかるまで、代打くらいは務めてやる」
ウォルターが目の険を強める。
一触即発の気配の中、懐のハンドガンを意識した。
そこに手を伸ばせば引き返せない。インカムの向こうから、エアが焦ったように制止してきたが、応じる気はなかった。
開けられたままの扉を、誰かがガンガンと叩いた。
ノックとも言えない騒音でその場に割って入ったドーザーが、呆れの色濃い顔で、医療品を抱えていた。
「ウォルターさん、そりゃ悪手ってやつだぜ。普通に言ったほうがいいだろうよ。アンタが全部ひっかぶるタイミングじゃねえや」
ウォルターが眉間の皺をさらに深くする。
顔をしかめたいのはこちらの方だ。どういうことだと促せば、唸るようなため息が返ってきた。
「……エンゲブレト坑道の件は、俺の命令ではない。……あの仕事自体にも俺の関与はない。あいつ自身が選んで、独自に進めた仕事だ」
「事実だな?」
「……ああ」
ウォルターが重々しく頷く。エアも慌てたようにインカムで言葉を重ねてきた。
〈本当です、フロイト。……っごめんなさい、私のせいなんです……! 私が、情報を集めに行きたいなんて、言い出さなければ……!〉
「わかった。詳しくはあとで聞く」
エアとウォルターの両方に向けて言い、部屋に入ってきたドーザーに目をやった。
ドーザーが持ち込んだのは包帯の替えや薬剤だった。拘束している手足が傷を負わないよう、軟膏の塗布や保湿、褥瘡予防に散圧の作業を定期的に行う必要があるらしい。看護士は重傷病の患者で手一杯で、点滴以外に必要性のない強化人間に手をかけられる余裕はないのだという話だ。
想像以上の場末感に、思わず天井を仰いだ。
「……状況は理解した。猟犬としてのこいつをどうするかは保留だ。ともかく、一旦俺に身柄を渡せ」
「断る。……あの頃よりもアーキバスに余裕はないはずだ。不測の事態を起こしかねん」
「それでもここよりマシだ。看護士もつけられない、まともな医療機器もないような場所に置いておけるか。俺はそれほど寛容じゃない」
寝不足の頭が鈍い痛みを上げていた。
いつになく、余裕がなくなっているのが自分でも分かった。それでも判断が間違っているとは思わない。ウォルターが何と言おうと、ここで譲るつもりにはなれなかった。
「冷静になれ、V.Ⅰ。バイタルを確認しろ。命に別状はない。あとは意識が戻るのを待つだけだ。……この拘束は、自分で点滴を引き抜いてしまうためだ。アーキバスに移したところで、状況は変わらない」
「容態が急変したらどうする。高濃度コーラルに曝露するのは2回目だぞ。そんなデータがあるわけでもないのに、どこに楽観できる根拠がある」
「……むしろ、悲観の根拠こそがない状況だ。お前は何を知っている? 怖れを抱く理由があるのか」
責める口調ではなかった。感情を押し殺した声が、若干のいぶかしさを帯びた。
こわがっているのかという問いかけに、とっさに答えられなかった。
数秒かけて飲み込んで、そうなのかと納得する。
「お前にとっては替わりがきく犬でも、俺にとって、こいつの替わりはいない。差があるとしたらそこだ」
事実ではないと知りながら口にした。
ウォルターが反論することはないとわかっていた。男の内心がどうあろうと、他に方法がなければ目的のために使い潰す。その覚悟を固めている男は、決して個人的な情感を口にはしない。
唇を引き結んだ初老の男は、その目だけに、どこか疲れた色を見せていた。
「……人間は、そう簡単に替わりのきくものではない。誰一人として同じ人間などはいない」
「お前の今までの犬もか」
「当然だ」
どんな心情でそう言えるのか、とても理解が及ばない。駒を個として見る必要性などないはずだ。
それ以上追求するのは諦め、レイヴンに目をやった。
少し落ち着いたのか、先ほどよりも呼吸が安定していた。
「それでも切り捨てられるなら同じことだ。……意識が戻るまではアーキバスに預けろ、ウォルター。こいつが起きて、帰るというならちゃんと帰す。ここよりも、万一の治療態勢として適切だ」
「……認められん。今は、そのときではない」
思わず舌打ちが漏れた。なるほど、言葉少なだというのにこちらの話を受け入れない。目的を聞き出そうとして手を焼いていたレイヴンも、たぶんこんな気持ちだったのだろう。
やはり実力行使か、と腰を浮かせかけたとき、ふと、袖口を引かれる感触があった。
打たれたように振り返る。
拘束されたままの手が、袖を握っていた。レイヴンの目蓋が震え、重そうにして目を開ける。見慣れた色の目が、気怠げにこちらを捉えた。
掠れた声は、聞き取るのも難しいほどだった。
「……さわぎすぎ……。あんまり、こまらせないで、あげて……」
そのとき湧き起こった感情は、うまく言葉に言い表せなかった。
安心したし嬉しかったが苛つくし腹も立つわで、その額を弾いてやりたくなった。耳元でエアがうるさいくらいにレイヴンの名前を呼んでいなければ、うっかり本当にそうしていたかもしれない。
ウォルターがベッドに近づき、安堵の滲む声で言った。
「……目が覚めたか、621」
「……ごめん、ウォルター……。めいわくを、かけたわ」
「独断での行動については、のちほど精査する。今は休め。……痛みや不具合はないか」
「……大丈夫そう。というか、これは何? 外していい?」
「ああ。そうか、そうだな」
ウォルターが抑制具を外してやる。擦れを軽減するために巻かれていた包帯もほどかれ、現れた手足は赤くなって痛々しい。一歩引いた場所で見ていたドーザーはウンウン頷きながら、なぜだかこちらに手元の薬剤を手渡してきた。
意図が分からず見返すと、とたんに面倒くさそうな顔になる。
「外した痕、赤くなってるだろ。塗ってやらねえと。それとも、俺がやった方がいいのかい」
「……ラミー。それは俺が」
「いやまあ、ウォルターさん、こいつも落ち着いた感じだ。ちょっと二人で話させてやりましょうや」
そう言って、渋るウォルターをぐいぐいと部屋の外に押し出す。
まさか味方をされるとはと、呆気にとられて見送った。
「……貴方の味方をしたんじゃないと思うわ、フロイト」
見透かしたようにレイヴンが言った。
掠れた声だった。ベッドから身を起こそうとして、力が入らないのか諦めたので、背中に手をあてて起こしてやった。
「なら何だ、あれ」
「……さあ?」
はぐらかすように笑う。ドーザーの言葉通りに軟膏を手に取ったが、「自分でやるから」と取り上げられてしまった。さっきまで魘されていたくせに、もう平気そうな顔をしている。――そこに虚勢が混じっていないか、判断はつかなかった。
レイヴンが、ふとこちらの顔を見上げて、眉を下げた。
「……ひどい顔してる」
「そこまでか?」
苛々しているのは自覚があったが、顔に出ているとは思わなかった。
なんとなく顎を撫でる。
レイヴンの髪が汗で額にはり付いていた。お前こそと返したかったが、先に彼女が口を開いた。
「そうね、まさに凶相って感じ。……眠れてないの?」
「誰かのおかげでな」
「それはさすがに嘘よね。企業が今大変だっていうのは聞いているわ。……でも、ごめんなさい。忙しいところに、いらない心配をかけた」
力の限りため息を吐いた。
まったくもって、何もわかってはいないのだ。謝るなら無茶をしたこと自体を謝ってもらいたい。
「……どのくらい聞いていたんだ?」
「アーキバスに預ける預けない、のあたりから」
「それより前の話の方が深刻だった」
「……何を話してたの?」
答える代わりに、ベッドに膝で乗り上げた。
目を丸くしたレイヴンが、緊張と警戒心を見せて腰を引く。それ以上逃げられないように顎を掴んだ。
「っ」
「いいか、レイヴン。俺は我慢強い人間じゃない。……いま待てているのは、お前の強さを信用しているからだ」
「……どう、いう……」
「このままだとお前が生き残れないと判断したら、俺は、どんな手を使ってでもお前を
揺らぐようだった目が丸く
反発されることは分かっていた。だから、これはただの念押しだ。脅しでもなく、懇願でもない。ただの事前通達だ。――そう判断すれば、そうする、というだけの。
本質的に我が儘で傲慢だという自覚はある。譲っている今こそが異常事態なのだ。それにも限度はある。
顔を逸らさせる気はなかったが、そもそもそうするつもりもなかったようだ。
触れている
生きている。まだ。
「……ずいぶん勝手な事を言うのね」
「言わせたのはお前だ。嫌ならもう少し安全策を取れ」
「この稼業で、“安全”? どんな冗談なの」
「レイヴン」
「……離して。痛い」
「このまま幽閉されたいか」
「絶対にお断り」
睨み合いが温度をさらに下げ始めたとき、扉が景気のいいノックに鳴った。
扉越しに、ドーザーが声を張り上げてくる。
「お二人さん、いったんその辺にしとけ! ウォルターさんがそろそろブラックホール生成しそうな空気だ!」
「な――」
レイヴンがとっさに声を呑む。
剣呑さがどこかに吹き飛んだ。視線をうろつかせるレイヴンは、どんな会話をしていたっけと必死に反芻している様子で、ため息交じりに手を離した。
「出歯亀か。悪趣味だな」
「しょうがねえだろ、アンタ信用がねえんだよ。……つーかよぉ、この状況でおっぱじめるのがガチ喧嘩って……あんたら……」
「……ともかく! 忙しい中お見舞いに来てくれたことは感謝するわ。お帰りはあちら!」
びしりと扉を指さすレイヴンに、意趣返しとばかり両手を伸ばした。頭を掴み、髪を思い切りぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
ちょっと、という抗議の声を聞き流して身を起こした。少しばかり気が晴れた。レイヴンがふてくされたような顔で見上げてきた。
「俺が言ったことは忘れるなよ、レイヴン。一ミリも冗談のつもりはないからな」
レイヴンは眉を顰め、大きく息を吐いた。
「……わかってる。死ぬつもりなんてないわ。あと、全力で抵抗するから」
綺麗な目が見据えてくる。やたらと意志の強い目だ。
いつか雨の夜に、見たのと同じ色だった。ちりちりと刺すような感覚が消えない。あのときとは違うと分かっていても、本当に違うのかと自分を疑っている。
言わずにいることが、言わないと決めたことが山のようにあるのだとは気付いていた。
リミットを見極める必要を、改めて認識した。
――生き残らせるために必要な準備と、待てる限界値を。