真人間には向かないプラン   作:ikos

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Love laughs at locksmiths.

恋は鍵屋をあざ笑う。恋する馬鹿はどんな頑丈な錠前を掛けても止められない、つまりはそういうお話でした。

いよいよ大詰め。
ハラハラしながら見守っていただければ幸いです。




CHAPTER 6:Love laughs at locksmiths.
真人間には向かない人生計画(プラン)


 

 

 三日後、バスキュラープラントのリアクティブシールドは、惑星封鎖機構の超兵器に耐えきった。

 

 タンクの中に詰まっているコーラルは不活性化した結晶だとはいえ、それなりの可燃物だ。大量に存在するそれらが超兵器の常軌を逸した高エネルギーに曝されて、不穏な反応をしないとは限らない。

 未知の爆発現象が起きてもおかしくはないという研究員たちの主張には一定の説得力があったので、オキーフやホーキンスとも話し合った上、退避ではなく修繕を選んだ。

 

 ルビコンはつかの間の平穏を迎えていた。

 

 連日の激務にもかかわらずマッドサイエンティストの面々は目を爛々とさせながら、惑星封鎖機構の調査に前のめりで協力していた。

 そこには、新たな液体磁石のメカニズム解明を諦めきれない気持ちがあったのだろう。固形化した不活性コーラルはまだ磁力を帯びており、還元すれば液体に戻せる可能性もある。タンクを解体して掘り進めてみれば、ほんの僅かでも液体のコーラルが残っているかもしれない。鬼気迫るというより嬉々として研究に(建前としては危険性の再評価試験に)のめり込んでいるようだ。何人かはルビコンへの居残りを選ぶだろう。

 

 惑星封鎖機構との停戦合意は、思っていたよりもスムーズに進んだ。

 

 ここからアーキバスのルビコン進駐部隊を殲滅する意義は薄く、逆に、予想される被害は甚大だ。人間でも割に合わないと考えるだろう。そして、AI(システム)もまた同様に判断した。

 だがしかし、面子というものもある。あくまで降伏を要求される可能性も一応考えていたのだが、監査と全艦の臨検への協力を条件に出した甲斐か、それとも「システム」と一度接触しておいたのが功を奏してか――早々に交渉はまとまり、迅速に、惑星封鎖機構がバスキュラープラントとアーキバスの艦船に足を踏み入れた。

 

 アーキバスが捕虜に非人道的な行為を取っていたことは、惑星封鎖機構も重々承知している。そこには相当な不満と憤懣があっただろうが、職業軍人としての矜持なのか、目立った衝突は起きなかった。

 緊張感漂う監査も平和裏に十日目を迎え、そろそろルビコンを立つ許可が出そうな空気だ。

 

 「システム」から単身呼び出されたのは、次から次へと湧き出てくる事後処理に、心底うんざりしていたタイミングだった。

 

 

 

 

 

〈随分と大胆な道を選んだものだ。よもやこのような方法で、特異的脅威の排除を果たすとは〉

 

 手狭な会議室で、深みのある声が笑った。

 以前話をしたルビコン強制執行システムの後任AIだろうが、データ同期の結果か、連続した対応をみせている。まるで既知の友人のような態度だ。

 肩をすくめて応じた。

 

「仮に提案しても、そちらは呑めなかっただろうな」

〈その通りだ、V.Ⅰフロイト。この計画はリスクがあまりにも大きく、失敗すれば取り返しがつかない結果をもたらすものだった。事前に打診されたところで合意はできず、我々の作戦行動はほぼ変化しなかっただろう。……だからこそ、我々の交渉をすべて無視した貴君の判断に、一定の理解を示しているのだよ〉

 

 チクリと刺しながらも、システムの態度は鷹揚だ。

 交渉に応じられる状況にはなく、交渉しても得るものがなかった。こちらがそう判断したことを、ある種の公正さで容認している。

 人間の高官であれば憤慨していたところだろうが、AIは感情に判断を左右されない。明確な利点だ。

 

 しかし、とシステムが続けた。

 

〈V.Ⅱスネイルが反乱の鎮圧に成功する可能性も、オールマインドがコーラルリリースとやらを達成する可能性もあった。コーラルを汲み上げ一箇所に集積するということ自体が、恐ろしく深刻な危険をはらむ行為であったことには変わりない〉

「そうだな」

 

 説教の気配を感じて、面倒になりながら視線をうろつかせた。どう逃げたものか。

 だが、逃げるよりも先に、話の流れが変わった。

 

〈しかしながら、事実、貴君は人類種の存続を達成してみせた。我々の作戦における想定よりも遥かに少ない被害で、将来的な憂慮をさえも消してみせたのだ〉

 

 意外に思って、モニターに目を戻す。

 エンブレムと音波形だけで人の顔などはなかったが、声から説教めいた厳しさが薄れ、微笑んでいるような雰囲気になっていた。

 

〈――見事だ。貴君は、我々の予測を上回った〉

 

 AIが言うには最大級の賛辞だろう。

 どうにも、居心地の悪い気分になる。

 

「……褒められるとは思わなかったな」

〈暴挙ではあったとも。しかし、結果は結果として評価すべきであろう。惑星封鎖機構の一員であれば強い叱責と相応の懲罰が必要だが、貴君はただの私兵だ。その対象ではない〉

「そうか。意外と柔軟だな」

〈では、もう少し柔軟さを披露するとしようか。今回の件から、貴君を在野に放つのは非常に危険であると判断した。改めてリクルートを行おうと思うのだが〉

 

 正気か、と思わず口をついて出そうになった。

 これだけ組織に向かないとつらつら並べておいて、まさかスカウトに話が戻るとは。

 どこまで本気なのか、面白がるような声が続けた。

 

〈例外的に、貴君が引き続きACに乗ることを認めよう。各社のパーツや武装もすべて望むだけ用意しようではないか。さて、これならば、一考の余地があるのではないかね?〉

 

 ものすごく的確な条件を出してきた。さすがの学習能力だ。

 一瞬考えそうになってしまったが、惑星封鎖機構はどう足掻いても正規軍だ。がちがちにルールを固められた軍人生活に今さら適応できる気がしない。

 

「……譲歩してもらったのはわかるんだが、ちょっと無理だ。向いていない」

〈残念だ。では、業務委託ではどうだろう? 星外に持ち出されたコーラルの追跡調査は、民間軍事会社(PMC)に任せる予定なのだが〉

「それならもっと適任がいる。コーラルのCパルス変異波形は、レッドガンと関わりが深い。コーラル反応を探すのに役立つはずだ。生き残りを丸ごとリクルートしてみたらどうだ?」

〈……ふむ。彼らは受け入れそうかね〉

「封鎖機構がベイラムとの間に立って独立を交渉するなら、十分応じる価値があるだろう。後ろ盾なしであの人数を食わせていくのは大変そうだ。もしその気があるなら、G3辺りに話を持っていくといい。渡りをつける」

〈ならば候補として検討しよう。……なかなか、貴君も面倒見のよい男だ〉

「そうか?」

〈この件だけではない。貴君はコーラルを知的生命体として認識し、その生存を助けたのだ。他に何と言うのだね〉

 

 どれも結果的にそうなっただけなので、面倒見がいいと言われると首を傾げてしまう。

 〈それにしても〉と、人間じみた苦笑が続けた。

 

〈Cパルス変異波形――コーラルを知的生命体たらしめる存在か。まさか今になって、人類以外の知的存在が確認されるとは。これから、ルビコンは別の意味で騒がしくなることだろう〉

 

 そうだろうなと頷いた。

 ただでさえ政治的な混乱は大きい。第一種封鎖惑星の指定が解除された前例は、たった一例だけだ。

 そちらはルビコンと違い地表に生存する人類は残っておらず、応札した企業が大気組成を改めて調整した上で、新たな開拓惑星として人間を受け入れた。解除決定からここまでで三十年だ。

 今回はもう少しややこしい法的処理や利害調整が必要となる。ルビコンには不法滞留民だけではなく、システムの発言通り、人類が初めて遭遇した地球外知的生命体まで存在するのだ。

 おまけに、その知的生命体は地磁気と結びついており、その気になればこの星を人類が住むには厳しい状態に追い込むことさえできる。(人格)が少なくとも、ルビコンにおいては絶対的な強者なのだ。

 連邦政府は今ごろ頭を抱えているだろう。一部の学者は沸き立っているだろうが。

 

「その辺りは政治屋の仕事だ。俺達の仕事の範囲じゃない」

〈ふむ。貴君の見解として、人類とコーラルとは、はたして共存が可能だと思うかね〉

「軋轢はそのうち出てくるだろうな。ただ、火種も揉め事もただの飯の種だ。これから先はどこかに所属する気もないし、どちらにつくかはその時考える」

 

 システムが再び笑い、皮肉げにうそぶいた。

 

〈実に、傭兵らしい回答だ。選択権を自らが持ち続けるということが、貴君らの言う「自由」であるということか〉

「……考えてなかったが、言われてみればそうかもしれないな」

〈その自由が、人類の利益と相反することのないよう願おう。動向を注視されていることは念頭に置いておいてくれたまえ〉

「晴れて要監視リスト入りか。大げさだな。個人でできることなんて限られているだろう」

〈二つもの外れ値(イレギュラー)が併存するのだ、警戒を怠ることはできん〉

 

 思わず笑った。

 レイヴンとセット扱いされるのは悪くない。かなう限り、そうありたいものだ。

 システムが意図したものではないだろうが、あやふやだった将来図が、少し形になったような気がした。

 

 

 

          - / - -

 

 

 

 さておき。

 次から次へと舞い込んでくる揉め事と書類仕事を一応投げ出さずに、渋々ながらも片付けていたのは、V.Ⅴホーキンスに脅されたからだ。

 組織が組織として統制を保てなくなれば、武力を持った人間は簡単に暴走する。

 ルビコンの民間人を対象に派手な略奪や虐殺が起きたとき、()()()()()()()と言ったところでレイヴンはどう思うだろうかと問われてしまえば、まあ、言い訳としては通らないだろうなと想像できる。

 

 そんなわけで粛々と役割を務めていたわけだが、小一時間雑談してきただけなのに未処理タスクが画面を埋めていた。

 思わず天井を仰ぐ。

 補佐役のホーキンスが、本日何杯目だかのコーヒーを啜りながら苦笑した。こちらは慣れた業務の延長だからか、疲れてはいてものんびりしたものだ。

 

「……なんでこんなに仕事があるんだ。事務担当が少なすぎるだろ」

「それはスネイルに言って欲しいね。彼は可能な限り、一人で全部を掌握しようとしていたからなあ……」

 

 それができてしまうから厄介だったのだ。あまりに神経質すぎて他人に任せたがらないあの男の悪癖が、ここにきてこちらに牙を剝くとは。

 大した内容でないものは片っ端から他所に振っているのだが、実際、その作業自体がかなり厄介で面倒なのだ。そろそろ誰かに押し付けなければと唸ったところへ、ノックとともに、V.Ⅷ(ペイター)が入室してきた。

 この男には主に臨検への立ち会いを任せていた。この時点でもう、嫌な予感がひしひしとしていた。

 

「今度は何だ」

「補給艦の保管燃料について封鎖機構から再要請です。コーラル反応検査だけではなくNMR(核磁気共鳴検査)をやらせろと言い出しました」

「まさか、全部か?」

「全部ですね」

 

 困ったものです、と言うV.Ⅷの態度は、欠片も困ったように見えなかった。平然そのものだ。

 その要求に応じれば、出立が軽く一ヵ月は延びる。ホーキンスが呆れ声で応じた。

 

「それはまた、随分と振るっているね……。一度は合意した内容だろうに、今さら蒸し返すのかい?」

「システムではなく現場担当者の発言ですから、まあブラフではないかと。我々をルビコンに引き止めるメリットもありませんし、どこまで言うことを聞くか、こちらの出方を見たいだけでしょう。というわけですので断る方向で調整します。ご裁可いただけますか」

 

 微塵も動じていないその態度は堂々としたものだ。

 実に図太く揺らぎがない。疲労さえ見えない。これが新世代型かと感嘆めいた気分になって、はたと気づいた。

 ――いたではないか。適任者が。

 ガタリと勢いよく立ち上がり、若手(ニューホープ)の肩を叩いた。

 

「何でしょうか、首席隊長殿」

「昇格したがっていたな、V.Ⅷ」

「ええまあ、そうですね?」

「よし。俺は今日付けで諸々の責任を取って辞職する。今日からお前がV.Ⅰだ」

「フロイト君!?」

 

 ホーキンスが慌てて声を上げたが、V.Ⅷは躊躇なく、輝かんばかりの笑顔になった。

 

「光栄ですフロイト隊長。このペイター、喜んで拝任いたします!」

「いやいやいや、ペイター君まで!?」

「退職金がわりにロックスミスと周辺のあれこれを貰っていく。ここにサインしてくれ」

「わかりました! お世話になりましたフロイト隊長、いえ、フロイト! 後のことはお任せください!」

「いや、待って待って! 話が早い! 二人とも、冗談じゃなくて本気なのかい!?」

「勿論です。私の栄達をお(よろこ)びください、ホーキンス隊長!」

 

 ホーキンスの悲鳴も何のその、ペイターが晴れ晴れしく胸を張る。

 この状況でヴェスパーの責任者を押し付けられて、こうも喜べる人間はそういないだろう。うきうきと足を弾ませながら惑星封鎖機構との折衝に向かっていった。実に頼もしい後任だ。

 ああもう、と額を押さえたホーキンスが、大きく息を吐きだした。

 

「……いや、()()フロイト君が半月も頑張ったんだ……。快く送り出すべきだとは思うんだよ? ただこれ、ちょっと依願退職のノリじゃないなあ……」

「だいたい片付けただけ褒めてくれ。本社から横槍が入る前に出ていく」

「わかった、わかったよ。後のことはなんとかしよう。……ところでまさかとは思うけど、このあとすぐ、彼女のところに押しかけるつもりかい?」

「ああ」

「そうかぁ。……最後に一つ、人生の先輩として忠告をしておこうかな。行動力があるのは結構だが、怒られたくなかったら、ちゃんと相談をしてから行動に移すことだ。それが、何につけても円満の秘訣だよ」

 

 数十年も円満家庭を維持している男は言うことが違う。

 わかった、と不承不承頷くと、ホーキンスはいつも通りの、温和な笑みを浮かべた。

 

「元気でね。君たちの前途に、幸あらんことを」

 

 

 

          - / - -

 

 

 

 ハンガーで準備を進めている間に、副官が血相を変えてやってきた。

 どうやら辞職の話を聞きつけたらしい。

 

「フロイト隊長、せめてあと半月待てませんか。そうすれば準備が間に合います」

PMC(民間軍事会社)でも立ち上げようというんだろう? 悪いが、もう当分部下を持つ気はないんだ」

「独立傭兵をされるとでも? 無理ですよ! 貴方に帳簿をつけられるはずがない!」

 

 随分な言いようだが、居合わせた若手はケラケラと笑った。

 

「いやー副隊長、これ無理っすよ。隊長が決めたって言って、やめたためしがないじゃないすか」

「お前は止めに来たんじゃないのか!?」

「だって連れてかないってそういうことっしょ。泣きついて聞いてくれると思います? それに、俺ら全員引き抜いて独立なんてしたら、もうすっげぇアーキバスのヘイト買いますし。会社立ち上げても前途多難っすよ」

「……それは……確かに、そういった面はあるが……」

 

 部下の直言を素直に受け止められるのは、この男の美点だ。

 周囲のメカニックがそうだそうだと笑って囃し立てる。期待されていないというのは楽なものだ。

 できるだけホーキンスの真似をして、分厚い肩を叩いた。

 

「ヴェスパーはこれから立て直しで、お前たちの力を必要としている。頼まれてくれ」

「隊長……」

「……あの、隊長、いいこと言うならもうちょっと口調どうにかなんないっすかね」

「嘘くさいか。難しいな」

「うーん、面倒だからついてくんなってのがめっちゃにじんでるっす」

「それもある」

「隊っ長!!」

 

 

 

          - / - -

 

 

 

 湿っぽさもなく別れを告げてACに乗り込み、たどり着いたのは、中央氷原の旧アーキバス進駐拠点だ。

 既に放棄された空っぽの施設のはずだが、レーダーに複数の熱源反応がある。

 輸送機には解放戦線のエンブレム。どうも、気の早い空き巣現場に出くわしたらしい。

 数機のMTとトラックが慌てふためくのを見て、広域通信を入れた。

 

「気にせず続けてくれ。ちょっとサボりにきただけだ」

 

 信用されたかどうかは微妙だが、数秒して、おそるおそるといった具合に照準が外された。

 こちらを伺う様子を放置し目的地に向かう。特に施設の破壊はされていなかったので、目当ての建物は無事だった。

 ブーストを噴かしてゆっくり降り立つと、屋上に場所を落ち着けて、空の様子を見上げた。

 よく晴れた日だった。

 端末にはレイヴンからのメッセージが届いていた。老体でACに乗るという無茶をしたウォルターが、実はひどく体調を崩していて、とうとう病院に放り込まれていたらしい。

 「様子を見に行ってくる」という発言の1時間後には、「追い返された」と続いていた。

 ウォルターのことだ。色々やらかした不義理を怒っているというより、おそらく、猟犬に自分の面倒を見させたくないのだろう。

 あの男らしい強がりだ。わざわざ指摘するまでもなくレイヴンもわかっている。一度は引き下がったが、明日また改めて出直すつもりらしい。

 ここからは根比べだ。「折角だから同行する」と返信しておいた。

 

 ACのシステムを待機状態にし、そのまま大きく伸びをして、昼寝の体勢に入る。

 目を覚ましたのは夕方だった。

 全方位モニタに映る空が赤紫のグラデーションに染まっている。一面の夕暮れのあちこちを、流星群が彩っていた。

 惑星封鎖機構のデブリ処理だ。

 カーマン・ライン付近の滞留コーラルは、相変異の余波か活性を失って結晶化し、厄介なデブリとなっていた。大きさはそれほどでもないが数が多い。惑星封鎖機構は今後も当面ルビコンへの出入りが必要となるため、事故防止にデブリ処理を行うと聞いていた。

 低軌道にある小さなスペースデブリの処理は、レーザー照射などで減速させて大気圏に落とすというものだ。重力に捕まった無数のコーラルが、可燃性固体にしては長く明るく輝きながら、圧縮熱で燃えつきている。

 

 そのまましばらく眺めて、通信に手を伸ばした。

 

「レイヴン、いま外が見えるか?」

《外?……ちょっと待って、もうすぐ、出るところ》

 

 息の上がった声が言った。

 通信越しに、重そうな扉が開く音がする。それとほぼ同じタイミングで、ACの外部集音マイクが同じ音を拾った。

 振り返ると、屋上に続く扉が開いていた。そこにレイヴンの姿を見つけて、急いでACから降りる。

 足元はこびりついて凍結した雪で覆われている。転ばないよう足早に歩いた。

 肩で息を整えているレイヴンは、大人しくそこで待っていた。体調は悪くなさそうだ。顔色も良く、防寒もしっかりしている。首元を覆うのはいつだかドーザーが作った毛糸のストールだ。なくさず持っていたらしい。

 レイヴンは毛糸に顎を埋めながら、いたずらが成功したかのように笑った。

 

「驚いた?」

「驚いた。なんでいるんだ。階段を登ったのか?」

 

 この建物は4階建てだ。電気も止まってエレベーターは使えない。落ちきった体力はクラゲよりまし程度になったのだろうが、どうにも気を揉んでしまう。

 

「わざわざ探しに来なくても、呼べば行ったぞ。晴れて無職だからな」

「聞いてるわ、電撃退職。大騒ぎになってるみたいよ」

「ちゃんと手続きは取った。仕事も、面倒なところは大体片付けた」

「うん」

 

 まだ息の上がったレイヴンは、胸元を押さえて深呼吸をしている。

 あまり喋らせないほうがいいだろうかと一度口をつぐみ、あれだ、と空を指さした。

 流星群は道中で見つけていたのだろう。レイヴンは目を細めて頷いたが、驚いた様子はなかった。少し残念だ。

 

「……誰かに何か言われたか?」

「安心して。連れ戻してほしいって頼まれたわけじゃないから」

「ならいいが」

 

 大分強引に出てきた自覚はある。まだ呼び出されることはあるだろうと思っていたが、幸いというのか、レイヴンを巻き込んで連れ戻そうとするほどではなかったらしい。

 

「色々、大変だったみたいね。お疲れさま」

「本当に大変だった。スネイルの見通しどおりだな」

「次席さん、なんて?」

「『ありがたみを思い知れ』だと」

 

 レイヴンが笑い声を忍ばせた。

 スネイルからは色々と実害を被ったはずだが、不思議と皮肉のない、陽性の声だった。

 

「……お前は結局、あいつと顔を合わせなかったんだったか」

「そうね。色んな人から噂は……というより、忠告? 悪口?……そういう話なら、色々聞いたけど。ずいぶんと嫌われていた人だったみたいね」

「だろうな」

 

 人のことは言えないが、実に傍若無人で自分勝手で、人望のない男だった。

 レイヴンが意外そうに目を瞬いて、こちらを見上げてきた。じっと何かを確かめるような眼差しに、なんだろうかと首を捻る。

 見上げるその目がやがて、穏やかに、笑みの形に細くなった。

 

「何だ?」

「貴方はその人のこと、嫌いじゃなかったんだろうなって思って」

 

 とっさに答えが出ず、どうだろうかと考えた。

 嫌いではなかった。特に好きでもなかったが。軽口を叩きあう程度の気安さはあって、つるんでいる間は多少退屈ながらも楽しかった。

 ただ、レイヴンに仕掛けたあれこれを考えると、多分、それなりに怒っているべきなのではないだろうか。

 

「……何度もお前を殺そうとしたやつだぞ」

「それはそれ、これはこれ。別にいいじゃない。こうして生きてる。私は遠慮なく嫌わせてもらうけど、貴方が、その人を嫌わなきゃいけない理由じゃないわ」

 

 結果論だ。ただ、そのさっぱりした割り切りが、淡々と穏やかでさえある声が、それでいいのだと許しているように聞こえた。

 胸のどこかにわだかまっていた、理由のはっきりしない(もや)を、寂しさか何かだと言ってもいいのだと。

 

 こみ上げる何かをごまかすように、冷えた空気を吸い込んだ。

 

 頭上には流星群。

 暮れなずむ空はよく晴れて高く、雰囲気は十分だ。

 

「なあ、レイヴン。いい具合のシチュエーションだと思わないか?」

「『あとで』の話?」

「ああ。いま聞きたい」

「……いいけど、先に、話しておかなきゃいけないことがあるの」

 

 その顔に緊張の色を見つけて、首を捻った。

 心持ちうつむいたレイヴンが、腹の前で細い両手を組み合わせる。

 何かを話そうとするときに視線を合わせないのはめずらしい。そんな迷いの表れとは対照的に、淡々とした声が言った。

 

「強化を緩和しないといけないかもしれない。骨格筋ポンプ補助周りの血管に、負担がかかっているの。再生医療はいくつかあるけど、神経導管との兼ね合いで、どれも勧められないそうよ。……そのうち、今までと同じようには動けなくなる」

「耐Gが落ちるか」

「ええ」

「だったら、加速度が緩めの重量アセンだな。タンクより二脚か? ガチガチに装甲を固めて立ち回りを変えて……いや、まずは筋トレで素の数値を上げるのが先か。手ざわりの好みもあるだろうし、色々と試してみればいい。いくらでも付き合うぞ」

 

 レイヴンが目を丸くしてこちらを見上げ、瞬きを繰り返した。

 あれ、と首を傾げる。予想と反応が違った。

 

「……いや、待て。まさかもう乗らないとか、そういう話じゃないよな?」

「ちがう、けど」

「なんだ。(おど)かすな、焦った」

「……違うけど、でも、貴方をがっかりさせてしまうかもしれない」

「するわけがない」

 

 迷いなく答えた。

 半分は呆れていた。まさか、そんな心配をしているとは思わなかったのだ。

 

「お前は俺と同じくらいACが好きで、負けず嫌いで、工夫や練習を楽しめるやつだ。速度が出せないくらいで変わらない。大体、俺なんて何の強化もしてないんだ。お前だってこれくらいはできる」

「……なんで断言できるの……もちろん、努力はするけど」

「それならそれで十分だろう。それに、一番大事なのは強いかどうかじゃない。楽しいかどうかだ」

 

 嘘も方便もなく言い切った。今も昔もそれだけは変わらない、揺るがない真ん中だ。

 

 出会ったことで世界が色づいた。退屈な毎日が心躍るものになった。

 それまでは自分がこんな風になるなんて考えもしなかったのに、その変化や面倒さえも楽しかった。

 それは、ACに出会ったときと同じくらい、大きな人生の岐路だったのだ。

 

「お前ほど俺を楽しませられるやつはいない。お前だってそうだろ。だったら、傍にいるのが合理的だと思わないか」

 

 レイヴンが何度か、何かを言おうとして、そのたびためらったように口をつぐんだ。

 一度引き結んだ唇を淡い苦笑に変えて、ゆるゆると、かぶりを振る。

 肩をすべる髪が砂のような音を立てた。

 

「……そうね。貴方は、そういうひとだったわね」

「そこは変えようがないからな。いやか?」

「ううん、いいと思う。わかりやすい価値基準で」

 

 飲み込んだものはあっても、腹落ちはしたのだろう。

 どこか重荷を下ろしたようにも見える、そんな笑みだった。

 

「とんでもない額の治療費を貴方が払ったって聞いたけど、これも先行投資?」

「そうだな。お前がその身で稼いだ価値だ」

「……ありがとう。でも、先に教えてほしかったわ。額が額だもの」

「金は使うときに使わないと意味がないだろう。そこまで気になるなら、かかった分の金を受け取ってもいいが……あれだ。どうせなら、これから分割払いということにしないか? AC戦一回につき50万COAM相当で」

「もう。またそれ?」

「いや、これだと一回の単価が高すぎるか。すぐ終わるんじゃ意味がない。50年ローンだといくらくらいだ?」

 

 レイヴンが、小さく笑い声をこぼした。

 ごうと音を立て、ルビコンの大地を冷えた風が吹き抜けていく。夕日が沈もうとしていた。

 その風音に紛れるような、細い声が続けた。

 

「……本当はね、生き延びるって決めたときに、この先は一人でいようと思っていたの。家族は私を愛してくれたけど、そんな家族に負担をかけて、苦しめてしまう自分がいやだった。……もう、だれかの()()になりたくなかった。だから、生きるも死ぬも自分だけの問題にして、シンプルに決めようって」

「ウォルターと似たような事を言う」

 

 顔をしかめて指摘すると、レイヴンが目を丸くした。

 予想外だったらしい。

 

「えっ……そう? どの辺りが?」

「自分が背負うのはよくても、背負われるのは遠慮したいって話だろ」

「……そう、……かも、しれない……」

「わりとちょくちょく似たところがあるよな、お前もウォルターも。頑固で自分の意思をなかなか曲げない。もうちょっと柔軟に生きてみろ」

「……貴方はちょっと、柔軟すぎると思うわ」

 

 不本意そうにレイヴンが口を尖らせる。

 張り詰めていたものが少し緩んだ。そんな感覚だった。

 

「そろそろ認めろ、レイヴン。俺にとってのお前には、それだけ価値があるんだ。どうなろうが負債になんてならない。もし別の病気になっても、たとえ治らなくて寝たきりになっても、お前の価値がなくなるわけじゃない」

「また極端なことを……了解、わかった。十分に伝わりました」

「……伝わっただけで信じてないな」

 

 沈黙は肯定だ。

 目を泳がせるレイヴンに、ますます顔をしかめた。

 さすがにきまり悪く思ったらしい。言い訳めいた返事が出てきた。

 

「……信じてないわけじゃ……ただ、日常に病人を抱えるのって、しんどいの。お金の問題だけじゃなくて、精神的にも、時間的にも。それを平気でいる必要はないと思うだけ」

「ならもう少し具体的に言う。寝たきりになってもシミュレータくらいは動かせるし、会話もできる。手足を失っても義肢がある。脳だけというのは今のところまだ研究途上なんだが」

「――待って。ストップ」

 

 待ったがかかったので、素直に一度口をつぐんだ。

 レイヴンは、続きを聞きたくないなあという気持ちをその顔にありありと込めて、いやそうに続けた。

 

「先に、ひとつ確認させてもらえる? ……あの、これって、プロポーズとかそういうたぐいの何かなのよね? 猟奇犯罪の予告じゃなくて」

「お前が言い出した『もしも』だろ。必要最小要件の話だ」

「……つまり、ACを動かせるなら、最悪、脳さえあればいいと……そういう話であってる?」

「あってる」

「…………」

 

 レイヴンはしばらく黙り込んでいたが、頭痛を思い出したように、眉間を押さえてうめいた。

 

「……どうしよう。思っていたよりまともじゃなかった……」

「お前が悪い。大事にされなくても別にいいなんて思うな。俺がお前をどれだけ大事にしているかわかってない」

「……フロイト。普通の人間は、これを『大事にしている』とは言わないのよ」

「普通の人間ならACに乗ってないし、お前と楽しく戦ってないし、全方位巻き込んでコーラルを無害化したりもしていない」

 

 大きな借りを思い出したのか、レイヴンが渋面になった。

 論点が違おうとも事実は事実だ。レイヴンはそれを指摘することなく大きなため息を吐いて、こちらを見上げ、とりあえず聞こうという姿勢を見せる。ただし、あからさまにドン引きしてはいたが。

 

「ただの極論だ。どうしても治しようがなくて、たとえば脳だけになっても、俺にとってお前には価値がある。そういう話だ」

「……だから喜んで受け入れろという話?」

「いや。もちろん丸ごと無事でいるほうがいいし、治せる限りは治すぞ。そのためのコネも金もあるし惜しまない。それくらいの甲斐性はあるつもりだ。さわれなくなるのも声が聞けなくなるのも、残念に決まっているからな」

「残念……残念ですむのね、それ……」

「まあ、最後まで聞け。まだ続きがある」

 

 レイヴンはものすごく微妙そうな顔のまま、首を傾げて先を促した。

 

「俺がお前に求めている最小限は、生きてさえいれば達成できるものなんだ。それがどんな形でも、いつまでだって、楽しく過ごせる」

 

 「でも」と、砂を噛むような思いで続けた。

 前の自分なら思いつきもしなかった、続きを。

 

「……でも俺は、お前にそれを強要はしない。お前が、『いやだ』と言うなら、やらない」

 

 レイヴンが目を瞠った。

 伝わったかどうかはわからないが、感情は詰め込めるだけ全部詰め込んだ。

 拳を握りしめる。自然と視線が落ちた。それは、断腸の言葉だった。適当ではない約束として口にするには苦すぎる。

 それでも、この女の人生はこの女のものなのだと、それを認めない限りは離れていくのだと――今の自分は理解している。

 

「お前がここで終わりにしたいと言ったら、これ以上はいやだと言ったら、そこで終わらせる。お前の望むやり方で、ちゃんと死なせてやる」

 

 靴を睨んだまま言った。

 誠意らしきものを見せるなら、多分目を見て話すべきなのだろうが、そうできるだけの余裕がなかった。

 

「……本当はいやだ。生きられる限り生きて一緒にいて欲しい。お前がいない人生なんて退屈すぎる。……俺は本当に、お前がいれば十分楽しいんだ。ACに実際には乗れなくなっても、直接声が聞けなくなっても、いないより絶対いるほうがいい。……でも、お前に嫌われたいわけじゃない」

 

 レイヴンは静かに佇んだまま、何も言わなかった。

 まともな人間なら出てこないような人生計画だ。それでも、伝えないという考えはなかった。これ以上の嘘はつきたくなかった。

 顔を上げずにいると、ふいに、冷たい指先が手に触れた。

 少しだけ視線を動かす。困ったような苦笑を浮かべたレイヴンが、顔を覗き込んできた。

 

「……おかしなことだってわかっていたなら、言わないって選択肢はなかったの?」

「ああ」

「正直者って言っていいのかしら、これ」

 

 しかたのないひとだと言うような、冗談めいた口調だった。

 とりあえず嫌がられてはいないことに安堵して、冷えたレイヴンの手を自分の頬に寄せた。口説いているのだと改めて認識した。

 

 あの時は言えなかった。約束ができるかと問われて、頷けなかった。

 今度は、ちゃんと自分の考えを伝えた上で、いやならやらないと言いたかった。その場しのぎではなく、頭を使わない反射でもなく、本当に考えた上で――やらないと。

 

「俺は、大概ろくでもないし、まともでもない。その自覚はある。……ただ、この約束だけは破らない。お前の人生はお前に決めさせる。捻じ曲げない。……それが、俺にとって、どれだけいやな内容でも」

 

 レイヴンが言葉を探すように唇を震わせて、それから、くしゃりと表情を崩した。笑うのに失敗したような顔だった。

 うつむいた拍子に髪が流れて、顔がよく見えなくなる。

 

「……どうしよう。泣きそう」

「えっなんでだ、これでも駄目か。俺にしてはかなり頑張ったつもりだったんだが……待て、振る前に何が悪かったのか解説してくれ。善処する」

 

 焦りながら言い募ると、レイヴンが頑是なく首を振った。

 「そうじゃなくて」と小さくこぼれ落ちた声は、確かに、怒っても悲しんでもいない響きだ。

 そこでようやく、別の可能性に思い至った。

 

「……もしかして、嬉し泣きとかそういうやつか? だったらレアだな。見たい。泣いていいぞ」

「……いまので引っ込んだわ」

「なんだ。ケチだな」

 

 レイヴンが眉を下げて笑った。

 両手で柔らかい頬を包む。くすぐったげにレイヴンが首をすくめた。引っ込んだというわりに目尻に浮かんだ水気を、なんとなく親指で拭った。

 

「……俺だってそのうち壊れる。生きていればいつかACに乗れなくなる日が来る。それでも、お前がいるなら人生は退屈しない。絶対に楽しい。だから、俺にはお前が必要なんだ」

 

 澄んだ目が揺らいで見上げてくる。その色と意志が好きだった。

 その魂が持つ強さが。自分と同じものを楽しんでくれる頭のおかしさが。それでいて、妙なところでまともで、平穏だった人生に根付いているちぐはぐさが。笑いかたが、意地の張りかたが、距離が、声と口調が、そのかたちが、なにもかもが。

 いとおしかったり腹が立ったり、ずいぶんと振り回されてここにいる。

 退屈なんて、する暇もない。

 

「なあ。もういいかげん、これを愛だって言ってもいいと思わないか」

「……やっぱり泣かせようとしていない?」

「だったら学習の成果だな。褒めてくれ。結構な大人数に聞いて回ったんだ」

 

 レイヴンが笑った。

 晴れやかな、泣き笑いのような顔だった。

 

「……わたしも、

 私も、貴方と一緒にいたい。……ずっと、一緒にいたい。

 降参する。ぐだぐだ言うのはやめて、幸せになる努力をするわ。……貴方の隣で」

 

 ぶわりと嬉しさが背筋を駆け上がる。

 やっとだ。やっと手に入れた。本当に長かった。結果良ければ全て良し、百点満点だ。

 

「最っ高だ……! もう、一生覚えてるからな!」

 

 上がったテンションのままにレイヴンを抱き上げて、ぐるぐると回った。

 頭上から悲鳴が降ってくる。

 

「ちょっ……フロイト! 足元! 凍ってるから!」

「大丈夫だグリップ効いてる靴だ、問題ない」

「摩擦係数に無理を言いすぎじゃない!?」

 

 骨折はごめんだと騒ぐレイヴンをよそに、この世の春とばかり浮かれた気分で笑う。

 

 

 まるで、世界を手に入れたような気分だった。

 

 

 

 

 

 





あと一話です。


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