修学旅行前日、23時38分。あと少しで明日が来る。今日が終わって、迎える明日がこれば、ついに修学旅行の日。
自分の部屋から窓を少しあけ、2月のはじめとくらべればだいぶ暖かくなってきたが、まだ少し肌に冷たいくらいの外の空気に吉井明久はふーっとため息をつく。
そんなため息も少し前までなら、白くけぶっていたのだが今はただただ音がするだけだ。もうすぐそこに春が近づいているのかもしれない。
思えば、今年は12月から2月の頭にかけて本当に冷え込んだ。そう感じるのは明久自身の感情だったり、というところにもあったのかもしれないがまさに凍りづけの冬。そんな言葉がぴったりだった。
それに同調しろという圧力をどこからか受けたかのように悩み苦しんだ。いっそこのまま氷ってしまえば、なんて思うほどの。
でもそんな季節も終わりを告げようとしている。暖かい春が近くまで来ている。
「…落ち着かない…。」
顔を戻してきた部屋の明かりは、豆球にして部屋の中はぼんやりと見える程度。そんな中でベッドの上にあぐらをかいて座り込んで、開けた窓を締め切る前に少し大きく深呼吸する。
外の空気は気持ちいいものだ。
明日から修学旅行だ。そう、この夜を越えれば。
そして瑞希が言っていたように修学旅行が終われば、このクラスもほとんど終わり。
目を閉じるだけで思い浮かぶ、これまでの一年。春から始まったドタバタの日々、そんな日々の思い出。夏の思い出。そして秋。それから…冬の苦悩。今思い返してみても本当に色々あった。それも本当に最後。
「…終わりかぁ。」
そう小さく呟いて、外を覗き込む。雲の位置が少しずれて、綺麗に三日月が姿を見せていた。
この修学旅行で美波にこの思いを伝えよう、きっと。なんだか、そんな気持ちが湧き上がってきたところで、脇においてあった携帯をなんとなしに開く。
暗い中で、少し眩しいくらいの画面に目をやるとメールが一件。
それは坂本雄二からで、そこには
明日一緒に学校行かねーか?行くなら待ち合わせは2丁目の交差点の…、なんて書かれていた。
逆立てた赤髪、キッと尖らせた目つき。そいつはすれ違うだけで誰もを閑古鳥にしてしまうような奴だった。悪鬼羅刹、今思えば、「なんだそれ」っていうような名前なんだけれど当時の雄二にはまさにぴったり。冬の凍てつく空の中で吠える誰も寄せ付けない一匹狼。だけど美波の教科書の件から、雄二は変わっていった。相変わらずだるそうにそれでいて髪は逆立て、目つきも鋭いのだけど確かに変わっていった。
それで今がある。
今までの明久ならなんで雄二と行く必要があるんだ!ってなもんなのであるが、考えてみればこのクラスでいるのもほとんど最後なのだ。
雄二の頭の良さはもはやAクラス並であることから判断してみても、それは坂本雄二とも、ということになるだろう。
ならば…
メールに、了解とだけ返して少し眩しかった携帯を早々と閉じる。
「…もう寝よ。」
そう思って扉を閉めようと扉に手をかけたところで、家の前を通る人影に気づく。
この間、家の前の古い電灯が取り替えられ、新しい電灯になったということもあって、そのライトは周りの電灯に比べてもかなり明るい。そのせいもあってか、はっきりとその姿がみえる。
どこまでも透き通る髪、それを肩口まで揺らして、本当に女かと勘違いしてしまうようなその美貌。
そうもちろん、木下秀吉だ。それにしてもどうしてこんな時間にこんなところを歩いているのだろうか。秀吉の方は明久に気づく様子がなかったので声をかける。
「秀吉?」
窓から身を乗り出して、頭を外に出して声をかける。
しかし距離もあってか聞こえないらしく秀吉が振り向かないので、もう少し大きな声で秀吉の名前を呼んでみる。するとようやく気づいたらしくこちらを振り向く。
「…明久!って…お主、窓の外なぞ見てなにをしておるのじゃ?」
「それはこっちのセリフだよ!こんな時間に出歩いて!もう真夜中だよ?」
そう問うと、秀吉は髪を風に揺らしながら少しこちらに近づいてきて 、
「どうにもこうにも落ち着かなくてのう。それで、散歩でもしてたってわけじゃ。」
修学旅行の前日なんてものは往々にして、そういうものなのだろうか。普段からあれだけ落ち着いている木下秀吉さえも落ち着かないなんていって、散歩に出てきているくらいなのだ。落ち着きのない、の代名詞とまで言われる明久が落ち着いていられるわけがない。
「でも、秀吉。夜中に女の一人歩きは危ないよ?」
「なにを言っておる!ワシは男じゃぞ⁉︎誰かに襲われるわけなか…」
「男!?」
「なにを今さら言ってるのじゃ!」
明久だって秀吉が男だということはよくわかっているのだけど、それ以前に見た目の問題である。
彼の見目はとにかく麗しい。もし変質者がいたとすれば、彼らは見た目で判断するであろうからまず間違いなく女と間違えられて、(秀吉の場合、女より女らしいかもしれない)なにかされるだろう。
「とにかく!僕が送るから!ちょっとそこで待っててよ。」
そう言い残して、部屋を出ていく。
その後ろから秀吉が、
「明久!?そんな配慮はいらぬ。1人でも帰れるし、それに明久が出歩く方があぶなかろう?」なんてことを言っている。
それは心配ない。明久が危ないとしてもそれはクラスメイトたちの襲撃にあうか、もしくはDクラスのおさげの怪物に破壊光線でも打たれるかくらいのものだ。
いやまだあるか、ドリルツインテールにも襲われるかもしれないし、勝手に出かけたからなどと姉にまたなにかされる可能性もある。
あれ、そう考えると割と危険多いな…。そうは思うのだが、そんな危険は秀吉とはまた次元が違う危険だ。
…
「良いといっておるのに…。」
「まぁまぁ。遠慮はいらないって!僕もちょうど散歩しようと思ってたところだし、ね。」
とやかくまだ言っている秀吉と共に秀吉の家まで、夜道をすたすたと歩いていく。
さすがにこの時間ともなると人通りも少なく、あたりの民家の電気の付き具合もまばら。
だから2人が歩く道を照らすのはほぼ街灯ととおりすぎて行く車のライトくらいのもので、もう30、40メートル先は見えない。音もほぼなく、聞こえるものといえば春に向けてフライングでもしたのか少しの虫の鳴き声か程度である。
「あれ、明日って何時集合だっけ。」
「夕方の4時じゃ。持ち物は、えーと…しおりは必須じゃ。」
みんなで結局何時間かかったろうか作ったしおり。毎日のように放課後残ってまで作った。
そこまで頑張ったのだが提出したら提出したで、鉄人に「そんなにこれに時間かけるくらいなら勉強しろ」と言われたもんだからより勉強へのやる気を失ったのがつい最近のことだ。
「持ち物といえば…空港って持ち物検査あったよね。」
「あるのう。たしか金属類とか危険物は持って飛行機には乗れないみたいな感じじゃったか。それがどうかしたのかの?」
「いや、さ。ムッツリーニの輸血パック大丈夫かな、持って行って。」
「だめじゃろうな。」
北海道でも、されとて北海道でも土屋康太に対して工藤愛子のちょっとエッチな、そしてなんとも扇情的ないたずらは発動するだろう。
だとすると…
「さようなら、ムッツリーニ。」
どうやらお別れの日は近いらしい。
容易に頭に思い浮かぶ。
死因は鼻血による出血多量。静粛に行われる式。
仏壇の前には聖書、さらにはいかがわしいDVD。泣いてわめく中心にいるのはムッツリーニから写真を買っていたクラスメイトたち、そして明久もその列に加わって、同じように仏壇に不必要となったエロ本を供えて、その死を悼むのだ。未練が多すぎて、とてもこの世から離れられないであろう康太のエロに対する執着魂を供養するために。
「そうならないことを祈るしかないのう…。」その通りかもしれない。
祈るしかないなら、祈ろう。何の神様にって?エロの神様に、に決まっている。
「にしても、本当に楽しみだねー明日。あれ、そーいえば、もう今日だっけか。」何となく気になって、ポケットに入れていた携帯電話を取り出してみて、開く。闇夜にパッとうつしだされた時刻は、0時5分。
気づけば日にちは次の日付に変わっていたらしい。外で日付が変わるのを迎えるのなんていつぶりだろうか。初詣の時ぐらいだろうか。
「お、もう日付も変わったのじゃな。やっぱり楽しみじゃ!来年は受験もあるし、今年までのようにずっとふざけあってる、なんていうふうにはいかんじゃろうからの…みなと楽しめるのも最後になるかもしれん。そう思うと余計に…のう。」秀吉は少し空の方を見上げながら、しみじみ言う。
来年は受験。その言葉が頭にささる。
進路調査表には結局明久も色々考えた結果、進学と書いておいたから多少は勉強せねばなるまい。
それにしても秀吉の言葉、どこからどこまでとっても…
「そいえば、姫路さんも同じようなこと言ってたよ、この前。」
「姫路が…。どうやら意図せず二番煎じになってしまったらしいの。」
下を向いて、秀吉が呟くように言う。よくみるとその横顔は少し微笑んでいるようにうつった。
「うん。なんか、さ…この一年間ほんとに楽しかったって。だからとても楽しみ、なんだってさ。まぁそれは僕も考えることは同じだけどさ。また秀吉たちと一緒のクラスになれて、それで姫路さんが突然Fクラスに来てさ。偶然のことが重なってこうなったならそれに感謝したいくらい!」
なによりも美波がいてくれて。
なんてこと秀吉の前では恥ずかしくてとても言えないけれど。
ほんとは楽しかったなんて一言じゃとても片付けられないようなそんな一年間だった。悩んだり苦しんだり、何度もした。けれどそれでも短い自分の人生の中でではあるが、最高の一年。
きっとこれからも。
そんな明久の声を聞ききったあと秀吉はしばらく黙り込んだで、順調に秀吉の家へと向かっていた足をぴたりと止めて、おもむろに。
「…そういえばお主。島田に告白したのかの?」
まさかだった。
心を読まれているんじゃないかと疑いたくなるほど、タイムリーな秀吉のその質問。
事情聴取されている時に虚偽の供述をして、それをまさに見抜かれんとしている犯人の心境…今の明久の気持ちを言うなればそんな感じであろうか。
「いや、まだ。」
とにかく返そうと短く、だけど気持ちを込めてはっきりと切り返す。そうまだなのだ。
そしてそれが一番の今の課題。
まだ美波の気持ちを確かめられてない。なんせわからないのだ。美波の気持ちが自分に向いてるのか。
それでもあの日、美波は日本に残ってくれた。それで明久に力をくれた。それだけで明久には十分だった。
だから今度は逃げない、自分の気持ちからも。告白を恥らう自分からも。美波がくれた勇気があるから。
そう考えいたって、秀吉にいざ言おうと思ったところで、
「…そうじゃったか。のう、明久。」真面目な顔をして秀吉が明久を見やる。
「わっ!」
そのあまりの顔の真剣さに少しかおをのげぞってしまう。
「今からワシが言うことは、いわば…戯れ言じゃ。じゃから、明久は全くもって気にすることなんかない、とそれだけ言っておく。」
「なにさ。」
「ワシは、島田のことが…」
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待ちに待ったといえる修学旅行。その出発は夕方で、一旦学校に集まってから空港までバスで向かうということになっている。
今、明久は雄二が昨日言っていた待ち合わせ場所に来ているわけなのだが、相変わらずというかなんというか…
「…なんだよ。雄二のやつ、遅いなぁ。」
雄二は来ていない。
全く、いい加減なやつだ。
普段は遅刻AND遅刻AND遅刻するような明久すら、昨日のメールの通りにしっかりと待ち合わせ場所に来ているというのに。それどころかなんなら少し気がはやりすぎて、15分前についたくらいのものである。
まぁここに来て、とやかく言っても仕方が無い。もう少し待って、来なければメールの一本でも打って、先に行けばいいだけのことである。
とりあえずと落ち着いて、ガラガラと転がすというよりは引きずりながら持ってきたキャリーバッグの可動式の持ち手を引っ込めて、その上にちょんと腰掛けて、色んなことを確認してみる。
忘れ物はもうないであろう。姉の玲と昨日も確認したし、行く前にも確認してきた。
昨日秀吉が言っていたしおりもちゃんと手持ちカバンの方に突っ込んである。
そうして考えてみるとやることはやってここに来たわけなのだから、確認なんかほとんどすることがなく、すぐに手持ち無沙汰になる。
そして本当にこの時間で正しかったろうか、携帯のメールを確認しようとしたところ、ちょうど一通のメールが。
From 坂本雄二
To 吉井明久
わりぃ。母親が少し問題を起こしてな、10分ほど遅れる。
「なんだ…またなにかしたのかな、雄二のお母さん。」
これはたしかに急用である。これは場合によっては、そう。絶対的な死を覚悟させられることもある、と雄二が言っていた。なんせ聞く話によると雄二の母は平気で、米を洗剤で洗い、プラスチックを焼いて、挙げ句の果てにキッチンを水びたしにしてしまうのだ。
ここまでいくと、どうして今まで雄二が元気に生きてこれたのか不思議なほどだ。自分の姉の玲の料理も相当ひどいものがあるが、これほどまでではない。
そしてそれよりもなによりも恐れるべきなのは、そんな恐ろしい雄二の母の料理を遥かに超えてくる瑞希の腕前なのだけど。
とにもかくにも、これで10分以上ほどは暇なわけである。
そうなるとどうしても頭に思い浮かんでくるのは、昨日の夜のことで。
秀吉はたしかに言った。茶化すわけでもなんでもなくそう極々真剣な目で。
ワシは島田のことが好きじゃ、と。
あの時、12月。美波は秀吉のことが好きだ、って明久は本気で思っていた。思っていたというよりはそう思い込んで逃げようとしていただけなのかもしれないが。その時からだ、美波と秀吉との仲がその前よりも良くなったように感じたのは。
そういえば、秀吉は年末のクラス会の時も美波が気になるとか言っていたっけ。
考えれば考えるほど、わからなくなる。それからもうひとつ改めて自分の身勝手さに気づかされる。秀吉の気持ちを考えていなかった。美波のことを応援するとかどうとか言って、結局は自分のことばっかりになってしまっていたらしい。色んな人が色んなことを考えている。どれだけ分かりきった気でいる相手にでさえ、それは同じことなのだ。
でもただ好きじゃ、と宣言しただけでなく秀吉はそのあとにこう続けた。
「明久よ、逃げてはだめぞ、お主はお主が選んだ答えから逃げてはならぬ。ワシは、お主に逃げて欲しくてこのようなことを言っているのではない。ワシ自身が自分から逃げたくないから、だからこんなどうにもならないようなことでもこうして口に出せる。自分の気持ちに素直になるのじゃ!たった一言…なんじゃからの。」
、と。
素直に。自分の気持ちに…もう逃げ
…
「…お…」
ん?
「おい…」
「おい!」
…!
「…雄二!やっと来たんだね!」
「やっと…って。わりと前に来たんだがお前が気づかなかったんだよ。まぁいい、とにかくこのままじゃ遅刻しちまう。行くぞ!」
「え、あ、うん!」
いくら考えてみても悩んでみてもこの気持ちは変わらないのだから、もう迷うことなんてない。
美波に伝えるんだ、この気持ちを。他ならぬ自分のために。
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「CAさん、どんな人なんだろーな。」
「お前、そんなの…こう出るとこ出てて…締まるとこ締まってて、なぁ。」
空港へ向かうバスの車内。Fクラスの話題の中心はもっぱらそこであった。わざわざAクラスと戦闘してまで手に入れた権利である、期待が膨らまないわけがなかった。
そんな中、明久たちのグループはといえば…
「三階だての家からがーんって音が聞こえてね、それから水ナスの…」
残冬の怪談をまだ日もくれる前というのにはじめていた。
とはいえ話も怖くないし、少し顔を怖く作って、話している美波はむしろかわいく映るくらいなのだが。
最終篇入ります。