高校三年の夏、あるSNSのグループに参加した。そこは、Webで文章を書いている人間たちが集まるコミュニティだった。そのメンバーとボイスチャットでコミュニケーションを取るにつれて、ある問題を指摘された。
「……足立くんの話にはさ、『相手の気持ち』が全く登場しないよね」
僕が高校生なのもあり、よく話す大人のメンバーたちに学校での出来事を話すことが多々あった。その最中に言われた言葉が、自分自身を見つめ直すきっかけを与えてくれた。
この時は、『宿泊研修の帰り、数少ない(というか唯一の)友達H君とずいぶん前から都会で遊ぶ約束をしていたのに、僕とある程度交友を持つSさん(女性)が「私も一緒に行きたい」と言い出した。直前の予定変更が苦手な僕は、渋りながらも了承。だが、途中の電車内でトラブルを起こし、公共の電車内だというのに、僕が彼女を怒鳴りつけてしまった』という話をしていた。
「もう一度、トラブルの内容を説明してくれない?」
「はい。電車に乗る前に僕がモノレールを使った近道を提案したところ、その子の反対され却下。この時点で僕は彼女が乱入してきたことと、善意の提案がかなりの勢いで拒絶されたことにイライラしていた。そして、モノレールに乗り換えられる駅に着いた時、Sさんに『足立くんはこの駅で降りないの?』と言われた。それに対して、僕は『モノレールに乗らないことは確定していたはずなのに、彼女にそう冗談めいたことを言われ、嘲笑されているように感じて激高してしまった』です」
「その説明の中に、『相手の気持ち』や『その場の空気』に関する記述が存在しないんだ」
「え?」
「対人コミュニケーションで重要なのは、『相手の気持ち考え』、『その場の空気を読んで』行動し、発言することだと、分かってる?」
「えぇ……?」
「今までの18年間で、『他人と話す時には相手の気持ちを考え、その場の空気を読むことが重要だ』と、理解するに至らなかった?」
自分の気持ちと考えこそが最大で、他人の思考や場の空気はあまり考えない。それ故に、他人が言えないような鋭いことも言えるし、嫌われていようが積極的に話していける。自分最大の長所だと、思っていた。
この瞬間までは。
「至って……いないです」
「足立くん、君の
「はい。高校受験の躓きで抑鬱症状が出た時から、心療内科に通っています。薬も貰っています」
「なら、そこで発達検査を受けることを勧める」
「僕が、実はADHDやASDなどの発達障害を抱えていると言いたいんですか?」
「いや、そこは安心して大丈夫。足立くんは学力も考えもしっかりできるから恐らく黒ではない」
「そうですか」
「うん。しっかりしてるからADHDではないと思うし、こう僕が厳しいことを言っても冷静に対応できているのを見ると、ASDでもない。白にかなり近いグレーのあたりかな」
「グレー、いわゆる発達障害グレーゾンですよね?」
「その通り。まぁ、私は専門的な医者ではないから、あまり鵜呑みにしろとは言わないけれど、ここで伝えておかないと、大学でも同じことを繰り返すだろうから」
「なら、助かります。貴重な指摘に感謝します」
この後も、彼を含んだ何人かで数時間ほど話し、大いにダメ出しをされた。
僕が良かれと思いやったこと、つまり斎藤くんが陰謀説を唱えていたのを正そうとしたり、wikipediaからの引用は正しいと三十分主張したり、斎藤くんに仲直りの話を持ちかけた行為らは、相手の気持ちを一切考えず、自分の論理で正しいと解釈したことを人に押し付ける行為であり、それを繰り返しているだけだった。そりゃぁ、絶交されるのも当然だ。
電車でSさんに対して激高したのも、自分が嘲笑されたという屈辱感からだ。『電車内は公共の場だから、変に怒鳴らない』という場の空気を読めなかった。
「今後対人コミュニケーションを改善するためには、『相手の気持ち+場の空気 <
僕は指摘を受け止め、まずは心療内科で発達検査を申し込んだ。
〇
年が明けた1月、12月に行われた最終考査を終え、冬休みから卒業式までの休暇を過ごしていた。
僕は、何もしないのも良くないと思いバイトを始めた。ASDグレーゾーンという診断が出ていたこともあり、最初はうまく仕事ができるか不安だった。
『自閉症スペクトラム 仕事できない』
『ASD バイト 受からない』
などの文面が検索欄を埋めるからだ。実際に、4回落とされた末の採用だった(諸事情はあったが)からなおさらだった。
僕はできる限り真面目にやろうと決意し、その通りに遂行した。
メモ帳を持参して同僚の名前や仕事内容を覚え、分からないことはすぐ質問し、常に周囲に目を向け、人手が足りない作業を手伝うなど、休憩時間以外は何かしら動くことにした。
すると、仕事は非常に上手くこなすことができ、女子大生の先輩には時たま頭をポンポンと叩きながら「働き屋だね~」と褒められ、ともに働いている社長には「足立くんみたいな良い子はどうやったら育つんだろうなぁ」とまで言われた。
観光地のエンターテインメント店なので、子連れのファミリーや若いカップル、外国人観光客などが客の大半だった。料金がある程度高いのと、娯楽と売りにした内容なだけあり、いわゆる客層は良かった。
特に、お客さんに喜んでもらい、「ありがとう」や、「すごい!」と言われる体験は、僕に『自分は必要とされる存在なんだ』という非常に大きな満足感与えてくれた。
自分がした行為に対して相手からはっきりと感謝を向けられることが、これほど自分を満たすとは予想していなかった。それでお金すら貰えるのだから、仕事を嫌になったり、面倒くさいと真剣に思う事態には陥らなかった。
結果的に、ASDグレーだという点を心配して臨んだアルバイトは、一度もバックレることもなく3月中旬までやり遂げられた。高校3年間で最も心から楽しめたイベントだろう。
2月中旬、順調にアルバイトが進んでいったからこそ、「卒業式に行きたくない」気持ちが増大していった。
入学してから三年の夏ごろまで、僕は"善いこと"を積極的にこなしていた。例えば先生に頼まれて1階から教室まで本を運んだり、掃除を積極的に行ったり、日めくりカレンダーをめくったり、ゴミ箱が溜まったら捨てに行ったりなどを意識して行っていた。
そうすればクラスメイトや先生の僕のことを見る目が良くなると思っていたし、感謝もされると思っていた。
だが、僕が私的な会話や行動において周りの空気を一切読まず、相手の気持ちも考えておらず、それによって自分自身がクラスで孤立していると認識すると、僕の考えは変化した。
クラスの人間は、掃除を全く行っていなかった。
机を後ろに下げるだけ下げて、時間が来るまで談笑に勤しむ。
僕はその中で一人濡らした雑巾を持ち、せめて1レーンだけでも拭く。他人の足に気を付けながら。僕でも役に立てる仕事をする。
掃除に関しては、皆は小学生以下だった。小中の時こなしていた掃除もできずに、何が高校生だ、何が難関校合格だよと以前から思ってはいたが、僕の孤立した立場を照らし合わせると見えてくる。
『友好関係で底辺をさまよう僕は、その中で掃除をする僕は、現実でのいわゆる『
『皆は僕が掃除をすることにありがたさなど微塵も感じておらず、むしろ善くあろうとする心情を利用されて、僕が疑似的にこき使われているだけ』
『もしかしたら世の中の誰もが『どうせ俺がやらなくても誰かやるだとう』と考えており、実際そう処理して生きた方が生きやすいのでは?』
その確信に至って以降、学校では善くあることを放棄した。
一方で、可能な限り『真面目に、より善く』取り組んだアルバイトでは、その姿勢が内容をいち早く覚え、環境に適応することに繋がった。
同僚からはよく褒められ、お客さんから大いに感謝される基礎となった。
当初不安だったアルバイトは大成功し、人生の糧にすることができた。
この隔絶した差異により、クラスの人間への嫌悪感は増大した。
僕と絶交した友達二人、落とし物を拾っても嫌な顔をする人、僕を突き放した先生、授業で僕が喋った瞬間に微妙な雰囲気を醸し出す他人らがいる教室に、行きたくなるわけがなかった。