卒業式が終わり、春休みも半ばに差し掛かる中、巌戸台分寮の生徒たちはそれぞれの部屋の片づけにいそしんでいた。
影時間が終わり、特別課外活動部が正式に解散することとなったことで、この寮の閉鎖が決定したためだ。
閉鎖後は建て替え工事を行い、その際にシャドウや影時間に関する記録といった活動の証拠をすべて桐条グループに移送、移送不可能なものについては第三者に渡らないように破棄されることになる。
「ここでの暮らし…あと、わずかなんですね…」
3階で風花の手伝いをしているアイギスはまとまっていく荷物を見て、寂しさを感じずにはいられない。
アイギスがこの寮に入って過ごしたのは半年ほどの短い期間で、その間にはオーバーホールのために長期間離脱していた時もある。
だが、それでもアイギスにとっては屋久島の研究施設以外の外の世界の居場所の一つ。
再会した理と共に過ごした場所がなくなることには辛さを感じた。
「うん…辛いこととか、悲しいこともいっぱいあった」
学校でいじめを受けていた時でも、家に居場所がない時でも感じることのなかった痛みを味わうことになった1年。
特に、ほんのわずかしかかかわることがなかったものの、本当は誰よりも心優しくて頼もしかった荒垣の死は今も風花の胸に残り続けている。
「でも…みんなと会えてよかった。ここで、みんなと過ごせてよかった…。心から、そう思えるよ」
「風花さん…」
「ありがとう、アイギス。手伝ってくれて。あとは他の人の手伝いに行ってくれる?」
「はい…何かあったら、いつでも呼んでください」
各部屋で片づけが徐々に進んでいるが、すべての部屋で今日片付けが行われているかと言えば、そうではない。
2階の男子のブロックでは、現在片づけをしているのは理一人だ。
真田と天田は荒垣の墓参りに行き、順平はチドリの面会中。
外出許可が出たため、二人でコロマルの散歩をするらしい。
屋久島での思い出の品々も、修学旅行で買ったお土産や写真も、既に段ボールの中だ。
今は勉強机の中の片づけをしている。
その中で、1冊のA4のノートを手に取る。
名前もタイトルもない、ただのノートを手に取った理はそれを机の上に置く。
「そうだ、このノート…」
ニュクスを封印し、遠からず死ぬ運命にあることを知っていたかつての理だが、ふとテレビでエンディングノートの話を聞いた。
お手軽な遺書といえるもので、遺族や友人へのメッセージを書いたり、身の回りの遺産のことを書いたりするもので、遺書と違うのは法的効力の有無で、エンディングノートにはそれがない。
だからこそ、好き勝手に記入できるというメリットがある。
例えば、余命僅かだと知った人がそこへ死ぬまでにやりたいことを書き込んだりすることで、残りの人生をどう生きるかを考える余地ができる。
このノートには、仲間たちへの最期のメッセージと死ぬ前にやりたいことを書いている。
だが、あくまでもそれはあの日までに死ぬことがわかっていたから書いたまでのこと。
もう死ぬ必要がない以上、このノートには用はない。
「捨ててしまおうか…」
「理君、入るよー」
外からゆかりの声が聞こえ、彼女が軽くノックをした後で部屋に入ってくる。
入ってきたゆかりを見て、理はわずかに笑って出迎える。
「すごい…ほとんど終わってる…。要領いいね」
「そんなに荷物もなかったから」
親戚を転々としてきた都合で私物といえるものが少ない状態で入寮した時と比較すると、思い出の品々が増えたことで持ち出すものが多くなった。
特に、手作りのチョーカーやゆかりのストラップ、野球グローブといった、人々と関係を深めた証は絶対に捨てるわけにはいかないものばかりだ。
なお、その中には書きかけの復学届があるが、それについては餞別ということで桐条経由で真田の手にわたっている。
「そっか…荷物いっぱいあったら、手伝おうかなって思ったけど…あれ?そのノートは?」
「これは…」
ゆかりにだけ、このノートのことを話そうかと思った理だが、すぐにそれをためらうことになる。
このノートは理にとっては自分の人生の未練を無くすためのもので、死んだ後はみんなへの最期のメッセージにするものだった。
だが、今となってはその必要がなく、むしろ嫌な思いをさせるだけのものになるのではと思えた。
順平とアイギスから聞いたが、理の遺体を抱きしめて涙している時のゆかりは見ていられなかったという。
「何か、隠し事?気になるし、見せてよ。恋人、でしょ?それに、秘密のままいなくなってほしくないし」
こうして一緒に生きているとはいえ、本来であれば理は既にこの世にいないはず。
綾時がくれた奇跡を無駄にしないためにも、ゆかりは少しでもいろんなものと理と共有したいと思っている。
そういう発想になっている時点で重たい女、面倒な女と思われるかもしれないなとは思いながらも、そうせずにはいられない。
「…わかった。でも、あんまりいいものじゃないよ」
フゥとため息をついた理はノートをゆかりに手渡す。
ベッドの端に腰かけたゆかりはノートを開き、書かれている内容を読んでいく。
「へえ…バレンタインデーでチョコをもらう、順平に教えてもらったゲームで遊ぶ、舞子ちゃんに電話をする、神木さんに会いに行く、もう1度屋久島へ行く、期末試験で1位を獲る…」
チョコレートとゲーム、期末試験については、その横に〇が書かれているが、屋久島や舞子、神木については〇が書かれていない。
期末試験結果で理が1位で掲載されていることは知っており、となると〇というのは達成という意味なのかと思った。
「理君…これって…」
「…エンディングノート、今はもう、必要ないものだよ。死ぬまでに、何をするかを書いてて…思ったことをどんどん書いていったら、止まらなくなってさ」
特にもう1度屋久島へ行くやフランスにいるベベに会いに行くはとても卒業式が終わって春休みにならないとできないことだ。
そんなことまで、達成されることがないだろうとわかったうえで書いた時に理がどんな気持ちだったのか、ゆかりは胸を締め付けられるような感覚を覚えた。
やりたいことリストを読み進めていき、それが記載されている最後のページに入っていく。
「これって…」
『ゆかりのお母さんに、ゆかりと一緒に会いに行くこと』『ゆかりと一緒にデスティニーランドへ泊りがけ旅行をする』
これは約束の日の前日に、ゆかりが言ったこと。
他にも、『ゆかりへホワイトデーの贈り物をする』『ゆかりと一緒に大学へ登校する』などもある。
そして、最後のやりたいことを見たゆかりが口元を左手で隠す。
「理君、これって…」
「…」
表情を変えずとも、わずかにそらす視線。
彼が若干顔を赤くしているようにゆかりには見えた。
「…もう、こんなの、反則じゃない…バカ」
本当にあの時死んだ後、エンディングノートを見つけて一緒に読んだ時、どんな顔をすればよかったのか。
でも、今は可能性がある。
いつになるかはわからないけど、こんなことを書いた以上は覚悟してもらおうとゆかりは静かに決心をした。
僕のやりたい最後のこと
『ゆかりと結婚する』