継ぐ人   作:埴輪庭

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鏡像

 ■

 

 それが石像であることは明らかであった。

 

 しかしその石像は"認識"を拒絶するかのように、明確な識別を拒絶した。

 

 男なのか、女なのか、あるいはそもそも人間の形を持つのかすらも判然としなかった。

 

 眼前にあるものが何であるかが把握できない事にサイラス達は困惑する。

 

 だが時が進むにつれて、彼らの視界に映る石像はかすかに輪郭を取り始める。

 

 影が固まり、幽世と現世の間に下りる暗黒のベールを通り抜けて何かが滲み出てきたかのようだった。

 

 ところで、一つ問題があった。

 

 問題というより、奇妙な事と言った方がいいだろうか。

 

 石像を見ている各々が、それぞれ違った姿を視て取ったのだ。

 

 ゴロリはその石像に母の面影を視た。

 

 ビエッタは幼い頃憧れていた兄の様な青年を。

 

 マロも母を。

 

 バエルは彼に魔術を教えた師の姿を。

 

 ──そしてサイラスは

 

 ・

 ・

 ・

 

「…ユリア。それに、エマ」

 

 揺ら揺らと揺れる影がサイラスの愛する妻の姿を取っていた。

 

 ユリアとは彼の亡き妻の名前だ。

 

 それだけではない。

 

 影が分かれ、そちらの方もとある輪郭を取り始める。エマだ。

 

 エマは彼の亡き娘の名前である。

 

 彼が最も愛し、最も失いたくなかったふたつの顔。

 

 サイラスの心が重い霧が垂れ込める湿地のように冷たく湿っていく。

 

 石像がユリアの美しい顔とエマの無邪気な笑顔を描き出していった。

 

 かつてサイラスが彼女たちと過ごした日々が、一瞬で彼の心に蘇った。

 

 その美しくも儚い微笑みが、彼の記憶から甦ってくる。

 

 彼は顔を伏せ、深く息を吸い込み、吐き出した。

 

 呼気には深い悲しみと温かな愛情の混合体が多分に混じり、胸には痛みが走る。

 

 それが肉体的な痛みなのか、精神的な痛みなのか。

 

 サイラスには判別がつかなかった。

 

 ふらり、ふらりとサイラスの足が前へ前へと進みだそうとする。

 

 触れたかったのだ。

 

 理性では "アレ" が石像だと分かっている。

 

 大方、当人の最も求めている存在の姿を取って、獲物を罠にかけるような悪辣な魔術罠だろう、だから決して触れてはいけないと彼の理性は告げていた。

 

「やめておきたまえ、サイラス。"アレ" は君が思うようなものじゃないぞ」

 

 低い声がサイラスの足を止めた。

 

 同時に、幻影の様なものに囚われていた他の者達の目も醒まさせた。

 

 バエルだ。

 

 声に籠められた魔力は寝起きの冷水の様な作用を示し、夢幻の熱に浮かされた様な一同の頭を冷やした。

 

「"アレ" は、古代王国の遺産…俗に言う遺物だよ。"鏡像" という」

 

 バエルの言葉にビエッタの目が輝く。

 

 遺物とは迷宮探索の目玉ともいうべきもので、一攫千金の代名詞だ。

 

 一発当てれば数代に渡って遊んで暮らせるほどの富を築く事もそこまで珍しい事ではない。

 

 ビエッタに限った話ではないが、探索者は皆大なり小なり金を求めてこんなヤクザな仕事をしているのだ。

 

 例えばビエッタだが、彼女の夢…というより目標は、一代貴族になる事だ。

 

 後ろ暗い組織出身の彼女は、半ば強引に組織を抜け出し、リベルタまで逃げてきた。

 

 組織の追手もこのリベルタまでは追ってこれない。

 

 この都市では如何なる勢力の如何なる争いも許容されない。

 ここは探索者の街なのだ。

 

 探索の妨害をするような者達は "白バケツ" 達によって排除される。

 

 勿論抜け道がないわけでもない。

 

 要するに、探索者であれば問題ないのだ。

 

 例えばリラの元仲間達のように、表向きでも探索者として迷宮を探索するならばこの限りではない。

 

 だが、それではビエッタは生涯リベルタから出る事が出来ない。

 

 彼女は自身の才覚を自覚しているが、成長はいつか止まる事も知っているし、仮に自身の才覚が極致に至るまでに磨かれたとしても個人で組織に抗うなんて事ができない事も知っている。

 

 だが一代とはいえ貴族位を購入出来れば話は別だ。

 

 金を積んで貴族となる。

 

 ビエッタは何処の国の貴族位を買うかも既に決めていた。

 そうすれば少なくとも、ビエッタが所属していた組織程度の規模では手を出せなくなる。

 

 ビエッタは自由が欲しかった。

 

 自身の首に巻きつく不可視の首輪を断ち切りたかったのである。

 

 そしてゴロリにも、マロにも。

 

 他の探索者達にも各々の理由があった。

 

 ■

 

 バエルは注意深くサイラスの様子を確認し、彼の意識が明瞭である事を認識して、それにより警戒の念を強めた。

 

 ──囚われているか

 

 バエルは内心舌打ちした。

 

「あの遺物、"鏡像" はそれを見た者にとって掛けがえの無い存在をその身に映し出す。ただそれだけの遺物だが、些かタチが悪い。これまで、多くの人間がこの遺物の為に身を持ち崩した。甘い幻夢の世界に浸り、今を生きようとしなくなる。食事を拒否し、睡眠を拒否し、他者との交流を拒否する様になる。最終的に枯れて死ぬのさ。勿論、使い道がないとは言えないがね…。古代王国では末期の病に侵された者が安楽に逝けるように使われていたそうだよ」

 

「こわ!確かに私も…まぁ、昔の…その、初恋の人を、みたけどさ。でもそんな洗脳されてるような感じはしなかったけどなあ。いまだってそんな危ないものだって知れば、むしろ警戒心みたいなのが湧いてきてるし」

 

 バエルの説明は強烈な覚醒作用があったらしく、ゴロリもビエッタもマロも完全に我を取り戻したらしい。

 

 ビエッタはねめつけるような視線を石像に注いだ。

 

 彼女の目には既に石像の本来の姿が見えている。

 

「それにしても、あれは像っていうか柱だね。なんかぬるっとした感じの…石柱っていうの?なんであんな風に見えたんだろう。後から考えれば不思議だなぁ。流石遺物ってとこか!へへ、あれってさ、持ち帰るのは…無理か、うん、ゴロリでも持てなさそうだもんね…」

 

 ゴロリがだまって首を横に振るのを見て、ビエッタも無理難題を強請するのはやめた様だ。

 

「そうだ、"鏡像" には意思を強制するような力はない。あったとしても微弱なものだ…とされていた」

 

 されていた?とマロが首を傾げた。

 

 バエルはサイラスの背に視線を注ぎながら言葉を続ける。

 

「…"鏡像"を視界にいれた時、"鏡像"が映し出す存在が、その者にとってどれ程大きい存在なのかが重要だ。その存在がそのものにとって大きければ大きいほど、重ければ重い程、"鏡像" の及ぼす影響も大きくなる。これは多くの場合、余り問題にはならない。なぜならば、君たちがすぐに正気に戻った様に、多くの者達はある程度割り切っているからだ。家族の死、恋人の死、友人の死。ああ、確かに悲劇だろう。悲しむべき事だ。だがその悲しみも時が癒してくれる。思い出せば悲しくなることはあるかもしれないが、すぐに日常に立ち戻る事ができる…そうだろう?」

 

 ビエッタもゴロリもマロも頷いた。

 

 サイラス以外は。

 

 ビエッタが何かに気付き、ゆっくりと後ずさる。

 

 サイラスから距離を取ろうとしているのだ。

 

 ゴロリがマロの前に出た。

 

 バエルは陰鬱な声で続ける。

 

「"鏡像" に囚われた者は、幻夢に浸り日常に戻ろうとしなくなる。だが、もし無理やりに連れ出そうとする者がいれば…抵抗をするのだ。それこそ、殺し合いを辞さない程に激しく。ビエッタ、もう一歩離れたほうがいいな。サイラスの抜き打ちは雷の閃きに例えられた事もある。早く、そして伸びるぞ」

 

 

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