流刑貴族の追放記-極獄と呼ばれた果ての地にて-   作:Anacletus

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第93話「暮れなずむノクロシアⅩⅡ」

 

「もぅっ、この子は……恥ずかしがらなくていいのにねぇ♪」

 

 ちぅちぅとアマンザが近頃、5サイズ程大きく成った胸をまだ名も無き赤子に吸われながら、視線を逸らして部屋の隅にいる少年にクスクスと艶っぽい笑みを浮かべていた。

 

「おねーちゃん……?」

 

 妹にジト目で見られて、姉として彼女がニヤニヤしてしまう。

 

「取りゃしないよ。時々、貸してくれるだけでいいからね?」

 

 近頃、この島に来た時とは違って肉付きが良くなったのだろう肢体は母になってようやく本来の健康さを取り戻していた。

 

 またエルガム達が食させていた神の一部の効果もあってか。

 

 何処か垢抜けない奴隷女という風情だったものが、今や蓮っ葉ながらも垢抜けない田舎の女主人というのがアマンザの評価かもしれない。

 

「まだ、目も開かないんですね……」

 

 フィーゼが繁々と赤子を見やる。

 

「ですわね。退避していて構えなかったから、ちょっと安心しましたわ」

 

 その横ではエルミが赤子の元気にお乳を吸っている様子に安堵していた。

 

「ふぅむ……つまり、この子は我の妹?という事になるのかや?」

 

 リリムが赤子を興味深そうに見ながら名前とか付けたいなーという顔になる。

 

「アンタらもお乳のやり方とか。作法とか。色々覚えておくんだよ。自分達の将来の為にね」

 

「「「「………」」」」

 

 集まっていた女性陣がちょっと無言になった。

 

 そして、チラリと少年を一瞬見てから、視線を赤子に戻した。

 

「―――」

 

 少年は全て見て見ぬふりである。

 

「取り合えず、仕事行ってくる」

 

 少年がそう言って、スゴスゴと退散していく。

 

 それを見送った女性陣はそれぞれに言いたい事があるような顔となったが、今は非常時である為、安心して見られるようになったらと自分達もアマンザに挨拶してから部屋から捌けていった。

 

 それと入れ替わりに戻って来た人豚の姫がアマンザから赤子をゲップをさせたのを確認した後、抱き上げる。

 

「それで、どうだったんだい?」

 

「はい。名前は遠征隊内で決めるようにとウート村長から。それとしばらくは黒蜘蛛の巣の外は危険かもしれないから、地下暮らしでお願いするとも」

 

「そうかい。ま、外の光も偽物の窓が出来たおかげで入って来るし、地下って感じじゃなくなったら、問題ないさ」

 

「そうですね。今、蜘蛛達が急激に大岩の破壊に動いている様子でして、それが終って防衛体制が整ったら地上に戻れるように計らうと」

 

「この子にも早く外を見せてやりたいね」

 

「まだ、先の話ですよ」

 

「ふふ、アンタが見る初めての顔や景色は一体どんなものになるんだろうねぇ……」

 

 そう微笑むアマンザにメレディーナは母の顔だなと思いつつ、隣室の部屋へと赤子を連れて行く。

 

 蜘蛛達が常に彼女達には見えないように付きっ切りなので安全は確保しているが、それにしても……神の分体の襲撃を生き残ったという実感が今一無い。

 

 それも結局は蜘蛛や遠征隊のおかげである事は間違いない事だろう。

 

「貴方もスゴイ人達に囲まれて大変ね。大きく成ったら、ちゃんと教えてあげたいわ……」

 

 きっと、そんな時期が来たら冒険譚や英雄譚として遠征隊は語り継がれているだろうが、今はまだ現実でしかない。

 

 滅びの最中。

 

 あらゆる敵を薙ぎ倒して生き残れなければ、彼らに未来は無い。

 

(東部の話も報告はしたけれど、緋霊王が熾れば、主神以外では恐らく神聖騎士でもお話にならない……まだ状況は拮抗してる。次の敵が一体何処になるのか……)

 

 そんな少し沈んだ様子で思案するメレディーナだったが、赤子用の揺り籠がある場所に贈り物が幾つか置かれているのに気付いた。

 

 その多くが男性陣からのものらしいと気付いて苦笑する。

 

 ウート、ウリヤノフ、エルガム、カラコム、オーダム、マルクス、六名の誰がソレを送ったのか。

 

 丸分かりだったからだ。

 

 村長たるウートは貴族の礼式を書き綴った自作の簡易の綴り。

 

 ウリヤノフは木製の花飾り。

 

 エルガムは乳香のような香りの樹脂が入った小瓶。

 

 カラコムは軟派男らしく少し派手な装飾の入ったお包み。

 

 オーダムは海の男達の間で子供の未来を祈願する時に出される貝殻細工。

 

 マルクスは手製の聖書の写本。

 

 ただし、イゼクスの本式のものではなく。

 

 聖書の基本的な神への帰依や諸々の礼を抜いた一般常識の類を記したものらしく。

 

 絵本形式になっていた。

 

 赤子に善い事と悪い事を教える程度のものであり、文字は大きくなったら読めばいいくらいのものだろう。

 

「皆さん。マメなのですね……」

 

 贈り物に囲まれた赤子の揺り籠を優しく揺らしながら、彼女は祝福されたこの子がどんな風に育つのだろうかと思い。

 

 ふと赤子の揺り籠に小さな小さな小指程の黒い剣を模したネックレスらしきものが置かれているのを見て、顔を引き攣らせた。

 

 彼女の知識がもしも正しいのならば、ソレは……契約済みの呪具だ。

 

 そう、赤子に降り掛かる全ての災厄を、傷を、病を契約した存在がその身に受けるという類の代物である。

 

 蜘蛛の複眼らしきものが十字部分に刻印されており、これが即座に蜘蛛達からの贈り物だと理解した彼女はチラリと部屋の四方。

 

 見えないままの蜘蛛達に視線を向ける。

 

『(´・ωく)☆(イイって事よという顔)』

 

 彼女には見えなかった。

 

 が、蜘蛛達が何かやたらドヤ顔で全て自分達に押し付けられる最強の護符を送って得意満面になっている気がした。

 

 揺り籠に眠る赤子は彼らの姫なのかもしれず。

 

「ま、まぁ、悪いものではないですし……ただ、その……そういう形を選ぶ感性がちょっとアレなのでは……カメオとかでも良かったでしょうに……」

 

『((;゜Д゜)!!!』

 

 こうして蜘蛛達はさっそく衝撃の事実に基づき。

 

 ノクロシアの鋼材から削り出した護符をまた年齢が上がったら送ろうと誓った。

 

 生憎と彼らに可愛い女の子に似合うアクセサリーを造るという大業は難し過ぎたのである。

 

 ちなみにたいちょーとへんきょーはくの衣装を装飾したのは熟練の仕立て屋に弟子入りした女性もの下着にやたら詳しくなった蜘蛛の1人であり、生憎と激増する人口に対応する為に服飾関連を取り仕切るようになった個体は鋼材製の贈り物には関わっていなかった。

 

 天上蜘蛛も太鼓判を押した性能抜群の贈り物はこうして赤子が次なる齢を重ねた時に改めてリベンジで贈答される事が決定したのだった。

 

 *

 

「アルティエ~この塔……神様の気配が無いような気がするんだけど。本当に神様の力とか使ったヤツなの?」

 

 レザリアが戻って来たばかりの焼け野原となったニアステラとフェクラール、両地域の中間点の大穴を埋める形で少年が建造した塔の内部でそう訊ねていた。

 

 あちこちで今は必要な人手として蜘蛛達を狩り出しているが、レザリア以外は其々に仕事が割り振られている。

 

 フィーゼは精霊達の全体指揮による隕石からの防衛を左右する施設群の建造。

 

 リリムはその豪快な火力による瞬時の土地の整形。

 

 攻撃呪紋による地形の変貌をあちこちでやっていた。

 

 やたら地響きと共に地面や天井の一部に穴が開いたり、少し抉れたりして焼結した場所に蜘蛛達が群がっている。

 

 エルミは近辺の呪霊達の様子を見たり、何か異常が無いかの確認。

 

 引き続き外で延々と観測に入っているヒオネと御付きの女性陣は蜘蛛達が簡易に建てた観測塔に詰めており、ノクロシアとの時間差が解消されつつあり、現在その内外の差が急激に改善されている事を報告していた。

 

 蜘蛛達にはようやくノクロシアル・ソーロ……神に成れてしまう土が配布されて弁当代わりに全ての蜘蛛達にパクパクされ、ノクロシアン化した後にまた大神の遺灰でぬいぐるみ化した彼らは結果的には様々なモードを使いこなす事となっている。

 

 緊急時にしか使われない黒霊菌による能力ブースト・モード。

 

 ぬいぐるみのように愛らしい擬態が出来るようになったデフォルトの半神モード。

 

 ぬいぐるみであるのを止めて戦闘形態に移行した際のノクロシアン・モード。

 

 これらが両地域の全ての種族の蜘蛛に可能となったのだ。

 

 巨大に過ぎる貝蜘蛛。

 

 アルメハニア達は地域付近で海側からの侵攻に備えた防波堤のように浮上したノクロシアの上にカサカサと昇って陣取っており、その巨体にも関わらず伝説の都の屋根は軋みもしていない。

 

 神の襲撃時もまったく熱量に歪んでいなかった為、彼らには丁度良い休憩場所になっていた。

 

『(・∀・)(お、やってるやってるという顔)』

 

 大量の土とノクロシアの外壁や武器を少量、口にザラザラ流し込んで変化した様子は他の蜘蛛達にすればアレで足りるのかという顔になるものだろう。

 

 だが、全てのモードを順番に試した彼らは遂に人型形態になったらしく。

 

 それが滅茶苦茶デカイ鎧を着込んだ多碗の巨人になるのを見て『(´・ω・`)(蜘蛛形態の方がカワイクね?という顔)」になっていた。

 

 まぁ、彼らに巨大な橋の如き得物。

 

 グラングラの大槍の改良版である竜骨盾に砲身を格納して切り詰めた代物が複数持ちさせられ、明らかに南部でガシンが相対した天使の巨人を超える威容となった。

 

 これが置物としてノクロシアの上に立っていたら、正しく巨大な彫像として観光名所になるだろう。

 

「お~来たな。息子殿」

 

「あ、エルさん」

 

 レザリアが塔の最上階で何やら機械を弄っていたエルと複数の白衣蜘蛛達を見付けて近寄っていく。

 

「調子は?」

 

「ああ、問題ない。君の力を借りなくてもあの大岩は何とかなりそうだよ。どうせ、神々が無茶苦茶して来た時に備えるつもりなんだろう?」

 

「そういう事になる」

 

 少年が傍に寄ると、エルが最上階の中央の祭壇らしき場所で用意していた機械。

 

 大きな結晶に無数の不思議な色合いのボルトを埋め込んだような機材の下。

 

 台座部分のコンソールを弄っていた手を止める。

 

「どうだい? これならどうにか出来そうだろう?」

 

「確かに……」

 

「ね、ねぇ、二人だけで分かってないで何か教えてよ」

 

 男二人の世界に少女が膨れっ面になる。

 

「おぉ、済まない済まない。レザリアお嬢さん。この機材は蜘蛛達が外洋から来た神の分体を斃した時に使われた罠の応用なのさ」

 

「罠? ええと、空間と時間がどーたら……的な?」

 

「そうそう」

 

 エルがウンウンと頷く。

 

「実は冥領の蜘蛛達とは連携して研究中だったんだ。彼専用のドラク。おっと、乗り込んで使う“スゴイやつ”もこういう技術や新しい知識で改良し続けててね。未だに調整が終らない始末さ。はははは」

 

「お、おぉ~~何かスゴそう」

 

「そうそう。そんな感じだ。天上蜘蛛。今はセブヌス・ヤーンだったっけ? セブンス? まぁ、何でもいい。彼らも自分のいる地域で攻めて来る大神連合の勢力と戦ってる最中で手が放せない者が多いし、今回の神の分体騒ぎで彼の契約による減衰率を考えても敵は強大だ」

 

「えっと、力が弱まってたの? 今回の敵って?」

 

「ああ、恐らく両地域内部と定義される山脈の下の地表へ直接下りなかったのは領域の定義による力の減衰が極めて大きかったからだろうね」

 

「げんすい?」

 

「息子殿が見えない護りを敷いていたおかげで地表の被害は黒蜘蛛の巣以外が蒸発する程度で済んでいたって話さ。これがそうでなければ、今頃地下まで焼失してたはずだ」

 

「そうなんだ。アルティエ……ありがと」

 

「必要な事をしたまでだから問題ない。ゴライアス」

 

『(。-`ω-)“此処に”』

 

 少年の問いにすぐ声が帰って来た。

 

 少女がキョロキョロする。

 

「進捗は?」

 

『(。-`ω-)“エル殿の方式を蜘蛛側での再演算で検証しましたところ。装置そのものをあの大岩が我が方の直上100km以下の高度に侵入するより先にその上空で使う必要があると分かりました。それ以外であると恐らく主神による加護が途絶した場合、地域そのものがノクロシア以外、引力の関係で全て“剥されます””』

 

「という事らしいけど」

 

「おや? そうか。少し計算が甘かったか。じゃ、誰か運んどいてくれ。あ、これで完成っと。真空だろうと大気の薄い層だろうと原理的には問題なく動くし、動力も充填されてる。防御は可能だが、神の力の直撃には耐えられまい。後は君達次第だ。呪霊機で飛ばそうにもこの大きさのものを運んでいたら良い的だし、そこから先は君達の領分という事で」

 

 仕事を終えたらしい中年が「後はよろしく!!」と笑顔で現場から去っていく。

 

 その白衣の後ろ姿は正しく投げっぱなし。

 

 だが、彼に出来る事はしたし、更に重要な研究開発が待っている反面、それを蜘蛛達が留められるわけでも無かった。

 

『(。-`ω-)“それともう一つ。方法を発見致しました”』

 

「どういうの?」

 

『(。-`ω-)“外大陸の遠征団に所属する蜘蛛達が収集した技術や知識の中に物体を圧縮して作り出す神の石や賢者の石と呼ばれる秘儀がありました”』

 

「神の石……」

 

『(。-`ω-)“こちらで精査致しましたところ。その【賢者結晶】と呼ばれる代物。どうやら、物質的な物体ではなく。物体に働く因果律を集積したものかと』

 

「因果律を物理次元に表出させて固定化させる方法?」

 

『(。-`ω-)“はい。言わば“因果律結晶”……旧い時代の言葉では“特異点”と呼ばれるものではないかと推論されており、お粗末な現物を回収し、解析をしましたところ……元々の圧縮元が物体として事象に干渉する“存在”としての格が大きければ、大きい程に強力な次元干渉媒体となるようです”』

 

「やりたい事は分かった。もしもの時の予備計画に追加。それとソレが出来るのは?」

 

『(。-`ω-)“我とオネイロスが適任かと”』

 

「今のオネイロスは高都?」

 

『(。|`ω|)“すぐに呼び寄せました。今は地下の特注の部屋で寝ています”』

 

「分かった。ガシンにオネイロスの仕事を追加で」

 

 すぐにゴライアスの声の発信元。

 

 灰色の糸蜘蛛が少年達の背後から消え去った。

 

「アルティエ。みんなに任せて大丈夫?」

 

 その言葉が少年が大丈夫かというものであると気付いて、肩が竦められる。

 

「任せられる事しか任せてない。任せた以上は問題ない」

 

「そっか……うん。そうだね……」

 

 蜂の尻尾がゆらりと揺れる。

 

「もうちょっとして落ち着いたら、あの子の名前……みんなでちゃんと付けなきゃ、ね?」

 

 自分に微笑む少女の頭をポンポンした後。

 

「今度は必ず来る。だから、しっかり寝ておいて欲しい。明日からきっとずっと働き詰めになる……」

 

「それはアルティエでしょ? 寝てる時も起きてる時も何か考えたり、準備したりしてくる癖に……」

 

「よくある話をよくある方法で対処する。ただ、それだけ……それと隕石を砕く方法なら3つ目がもう此処にある」

 

「へ?」

 

「その腕なら、吹き飛ばせる……ただし、破壊して弾き飛ばしたりするだけで神の力との対決になると分が悪い」

 

「つまり、神様の力が働いてる大岩は砕けないって事?」

 

「そう。あの大岩を破壊しようとして危機的状況になれば、恐らくあの大天神とか言うのも出て来る。岩の事は蜘蛛達に任せて、大神を討ち取る方だけ考えてればいい。真正神との本格戦闘……恐らく、こちらと全力で戦うなら、ニアステラとフェクラールもしくはその上空での一騎打ちになる」

 

「勝てるかな……」

 

「こっちの全力に対して真正神が全力を出せば、この地域全てが吹っ飛ぶ。でも、この島の領域内部への攻撃ならば、威力は4割以下しか出ない」

 

「四割……」

 

「死ぬ前提なら、本気で来た場合、極短時間なら完全な能力も発揮出来る。残ってる大神が自滅覚悟で複数体来た場合も想定したら、そういう個人を相手に出来るのは恐らく遠征隊と蜘蛛達だけ……」

 

「分かった。防御に割かなきゃイケない人数も差し引くと戦えるのはゴライアス達とアルティエとボクだけって事?」

 

「……ヒオネは観測を続けて貰わないと困る。フィーゼの能力は支援向きで地下の防御とこちらへの支援の要になる。エルミは……もしもの時に【ハシマスの天理】を使って援軍を呼んだり……蘇らせて貰う事になる。ガシンは北部を殆ど全部担わせてる手前、抜けられない」

 

「……みんながみんなの力で頑張ればどうにかなるよ。その為にずっと鍛え続けてくれたんでしょ?」

 

「―――」

 

 少年が目を閉じる。

 

 そう任せて少女達を仲間を死なせた事は幾多。

 

 その死に様の連なり、彼を取り囲む仲間達の屍の山を奈落に見て。

 

「………頼む」

 

 そして、それを何とかしたいとずっとずっと鍛え続けて鍛え続けて、それでもやはり限界はあって……今、此処で誰かに何かを任せる不安が無いと言えば、嘘になるのは明白だったが、それでも……と思いを新たにする。

 

 過去最高となった今を、それでもまだ信じるならば、少年は再び走らないと誓った今すらも投げ捨てていいと思える。

 

 どれだけの時間、どれだけの世界、どれだけの地獄、どれだけの無残、何もかもを繰り返しても、また同じ分だけ繰り返す事になっても、此処まで来る。

 

 そう決意を固める。

 

「うん♪ 一緒にあの子に名前を付けてあげなきゃ、なんだから」

 

 こうして少年の気持ちを僅かでも感じ取れた少女はそんな重い雰囲気を吹き飛ばすように今も傷付き続ける少年の為に飛びっきりの笑顔を向けた。

 

 いつか、穏やかな日々の中で少年が暮らせますように。

 

 そんな叶わないかもしれない願いを彼女もまた嘗て“彼女達”がそうしてきたように胸へ刻んだ。

 

 こうして2人の男女が歩き出し、それを見ていた白衣蜘蛛達は『(;^ω^)(せーしゅんていいよねという顔)』で彼らを見送るのだった。

 

 *

 

「はぁ~~ようやく帰って来たと思ったら、家が全焼とかさぁ……ボクは怒ればいいのか泣けばいいのか苦しむよ?」

 

 人魚(仮)となって二本足で立つようになったボクっ子巨乳少女。

 

 アヴィラーシュは黒蜘蛛の巣の内部にある自分の家が綺麗サッパリ跡地になっているのを見て、溜息を吐いていた。

 

「あ、アヴィ」

 

「いや、知ってたでしょ!? どうせ、そのまた強くなった力で知覚能力も上がってた癖にわざとらしいんだよ!?」

 

 振り返った彼女が少年の声に膨れっ面になる。

 

「船長は?」

 

「もう報告は上がってるでしょ!!」

 

「貰ってる。海の神の撃退。ご苦労様って、さっき労っておいた」

 

 ほら知ってるじゃないかとアヴィの頬がちょっと膨らむ。

 

「その時、ボクは沿岸部の護りに入ってたんだけどさ。あっちじゃ今は神の力を持つ海産資源の漁獲がエライ事になってて、何処も活況だよ」

 

「美味しくて海系ウルのガワに出来そうな怪物の事?」

 

「そう、それ……結局、沿岸部を襲ってくるから、片っ端から蜘蛛達が戦艦も使って射殺したり、捌いたりして水揚げしてくれるんだけどさ。普通に考えたら、一匹で沿岸部の邦一つを落とすような戦力が毎日毎日40匹前後来るわけだよ。分かる」

 

「その内の半分くらいはそっちで仕留めてたって報告が入ってた気が……」

 

「ああ、そうだよ!? 蜘蛛達が迎撃網を構築するまでずっと呪紋使いっぱなしで魚竜って言うのかな。それっぽいのをバッタバッタ倒してたんだよ。疲れてると思わない? それでようやく霊殿から帰って来たと思えば、コレだよ」

 

 自分は怒っていますとアヴィが元自宅の全焼跡を見やる。

 

「……後で報酬は渡す。家は今回の一件が終ったら再建で」

 

「ボクだって分かってるよ。さすがに大岩が落ちて来たら、何もかも吹き飛ぶだろうしさ」

 

 天の大岩は後十数時間で堕ちて来るという計算で周知されている。

 

 常に観測系の蜘蛛達が確認している為、ほぼ誤差は無いだろう。

 

「あんな大穴まで開いちゃって、それを埋めるデッカイ塔まで立てて。君ってやる事成す事全部滅茶苦茶規模がデカ過ぎない?」

 

「そういう星の下に生まれてるかもしれない」

 

「それが冗談なら、笑えないじゃ済まないよ。まったく……」

 

 アヴィが少年が立てた迎撃拠点となる新たな黒蜘蛛の巣。

 

 いや、巨大に過ぎる両地域の中間点を見やる。

 

「アレでどうにかなるの?」

 

「どうにかする。艦隊は出なくていい」

 

「本当に? あの艦隊なら恐らく攻撃で砕けはするけど」

 

「崩壊した質量が降り注いだら、この世界が終る。蒸発させても同じ」

 

「それもオカシな話だよね。世界も一緒に滅びちゃ神だって今までの行いの意味が無いじゃないか」

 

「神はおそらく、この地点に落とした衝撃は相殺して、この地域を救世神を斃せる武器の原料にしたいみたい」

 

「へ? それって……」

 

「この地域そのものを武器の材料にする前段階。料理される寸前」

 

「ボクらは正しくまな板の上の魚なわけね……はぁ、それでボクに何の用?」

 

 アヴィラーシュもまた少年の性質を知るようになったからこそ、その行動に無駄がない事を知っている。

 

「今、あの隕石まで行く方法が欲しい。ちょっと強くなって載せてくれると助かる」

 

「載せるって……ボク馬や鳥じゃないんだけど」

 

「海の中を飛んでたなら、空も飛べる」

 

 思わずアヴィが頭が痛そうに額に片手を当てた。

 

「……冗談じゃ……無いか。分かったよ。好きにして。で、どうするって?」

 

「ちょっとこっち」

 

 少年が彼女の手を握ると転移で瞬間的に先日の黒い沼地……一時的に地下へと退避していた真菌層が復活した場所へとやってくる。

 

「また、あの黒いドロドロで強くされるわけ?」

 

「………」

 

 少年が僅かに黙り込んでから静かに彼女を見た。

 

「完成されてるものには付け足すしかない」

 

「……ま、言いたい事は分かるよ。ボクってほら何でも自分に出来る限りはちゃんとやろうとしてたし、伸びしろが無いのは自分が良く分かってる」

 

 事もなげに彼女が苦笑する。

 

「それは嘗てならば、正しい。自分の性能を落とさず、出来るだけ長く使徒として活躍出来るようにって事を考えたなら、あらゆるものを投げ捨てて、単一の強固な固定性能を維持するのに全力を注ぐのは問題ない」

 

「非常時には問題しかない、と?」

 

「そういう事……あの初めてあった時点から見てもかなり強化されてるはずなのに成長してない。それは単純明快に強くなるよりも現在の強さを維持する事に多くの労力が注がれて、その殆どの力が維持を強固にする方面に特化されてるから」

 

 アヴィの瞳が少年を真摯に見詰める。

 

「……ボクはさ。君みたいに自分の限界の性能を常に維持して消耗する事や少しの休息で完全回復しながら成長させたり……みたいな能力向上方法は怖くて取れないよ……初めて会った時から少し経つけれど、今も強く成り続けてる。呼吸してるだけ、存在しているだけで強くなるなんて、反則じゃない?」

 

 少年へ何処か複雑そうな瞳が向けられる。

 

 ずっと、少年と接触してから観察した結果は彼女にとっては驚くべきものであり、少年が誰にも言っていない事実であった。

 

「出来るからやる。どんなものも足しにする。必要なだけの消耗と回復が可能なら、より強くなる事を1秒も止める必要はない」

 

 能力を制限しながら、その能力を最大限に発揮し、強く成り続ける事。

 

 それはつまり能力の拡大、肥大、制御、そして創出。

 

 これらを常に正しく生きているだけで行う。

 

 魔力、霊力、体力、筋力、消耗させるような大規模な呪紋や処理に使い続ける事で全てを消耗させ、同時に回復する魂と肉体を限界無く際限なく高め続ける。

 

 本来的な生物の“摩耗”が少年を今日までにエルコードになる事で無力化された時、自身の限界性能を引き上げ続ける事は呪紋や能力による自己の破壊や使用による疲労に対し、筋肉のように太く強く成長し続ける。

 

 それは少年がいつも呟くような言葉にせずとも延々と行われている処理だ。

 

 例え、一秒間で0.000001%しか能力が向上しなくても1日でどれだけの差になるか。

 

 これから戦う相手の事を考えるならば、それまでに“全てを尽くす”のは当たり前の話であった。

 

「何にそのやたら制御だけで死ねそうな体やら魔力やら霊力やら使ってるのさ」

 

「普通じゃ鍛えられない体になってからは物量で鍛えるようにしてる」

 

「物量?」

 

 その多くの魔力、霊力はどんな呪紋に注がれているものか。

 

 全身の筋肉と骨と内臓は何に対して使用されているというのか。

 

 彼女は知りたくないようなあるような複雑な様子となる。

 

 どの道、ソレは明らかに過剰なのだ。

 

 過剰な消耗、過剰な回復、過剰な成長が齎す全てを制御し切っている事だけでも彼女にはまったく驚きなのである。

 

 少年は死の淵が見えるギリギリを攻めながらあらゆる力を使い続けている。

 

 いつか、己の限界が来るまで止まる事は無いだろう。

 

 だが、その限界こそを少年は取り払い続けて来た。

 

 始まりのニアステラから行ける場所を拡大し、無数の資源を用いて己を強化し続けた先、今や神すら凌ぐ力を手に入れて尚、己を高めている。

 

「蜘蛛脚で蜘蛛が増える度に負荷が増える」

 

「―――負荷。それって何の負荷?」

 

「蜘蛛達や服従呪紋を刻印された全ての存在が受ける全ての傷、生体活動に対するあらゆる肉体精神他の恒常的な摩耗、状態異常、障害、傷、死亡時の衝撃、心理的負荷、負の側面は全部受け持てる」

 

「………………」

 

 何でもなさそうな少年の様子に彼女は沈黙する以外無かった。

 

「眷属契約の様々な“消耗”の配分は常に優先権がこちらにある。消耗が過剰になってる様子は今のところない」

 

 アヴィが僅かに俯いた。

 

「世界の全てを背負ってるって顔だ……まったくさ」

 

「自分の背負えるものを背負うだけで強く成れるなら、何一つ降ろす必要はない」

 

「……そっか。あの蜘蛛達が君を大事にするわけだ……分かった。で? ボクをどんな風に強くしてくれるって言うのさ? 大馬鹿野郎な英雄殿は」

 

 少年が今もニアステラ、フェクラール、あらゆる地域で増殖させている真菌の一部……凡そ1%を泉から湧き出させ、その真菌の巨大な塔のように立ち上っていく柱に両手を付けた。

 

「霊力掌握……」

 

 呟きは一瞬だ。

 

 少年の霊力による凝集が掛けられた巨大な柱がサイズを小さくしていき。

 

 最後には黒い棒として虚空に浮かぶ。

 

「ソレは?」

 

「【黒霊菌】……真菌の上位互換版を呪紋化してないヤツ。但し、最も新しく。今までこれに込めて来た呪紋や諸々の遺伝資源を内包してる」

 

 更に少年がソレに何やら同じような真っ黒の棒を押し込んだ。

 

「何ソレ? 同じヤツ?」

 

「ヴァルハイルの工業汚水の最高濃度を固めたヤツ。本当は神に使おうかと思ってた毒。この島で産出される全ての有用金属から絞り出した1g空気に溶かすだけで島全体が死滅するような物質の塊。近頃は五大災厄用にしようかと思ってたの。だけど、今のコレなら恐らく対応出来る……」

 

「菌に毒を混ぜて、どうするのさ?」

 

 二つが一つになったものが一瞬だけ、針山のように変化してからゆっくりと渦巻きながら球体となった。

 

 それが十数秒程、僅かに発光し点滅。

 

 それが終った後、少年の手に落下する。

 

 その玉は飴玉程までも小さくなっていた。

 

「黒霊菌が毒を全て平らげた。これで毒そのものは毒じゃなくて、単なる資材……適応完了……ナクア・レプリカのコピーと自動化設定も完了……」

 

「あの~すっごく嫌な予感がするんだけど……」

 

 少年がキロリとアヴィを見やる。

 

「はい」

 

「あの、いや、だからさ? 手加減てものを……」

 

「死なない」

 

「知ってるよ!? 死なないけど、マズイんだろ!!? 君としばらく一緒だったからね!? これでも詳しいんだ!!?」

 

 思わず喚いたアヴィに少年がジト目となる。

 

「……食べれば強く成れる。簡単」

 

「あのさぁ!? ボクでも知ってるよ!? 簡単な事程に怖いものは無いって!!?」

 

「問題ない」

 

「問題しかない……ぅ」

 

 だが、此処で受け取らないという事も出来ないのだ。

 

「はい。水」

 

 少年が黒い真菌製のコップに地下から汲み上げた水を入れて地面から彼女の前に差し出した。

 

「クソゥ……これで死んだら恨んでやるから!?」

 

 仕方なくひったくった彼女が渡された黒い飴玉らしきものを震えながらも一気に口に入れて急いで水で流し込んだ。

 

「はは……毒と菌の塊って……ホント、女に渡すのじゃないだろ。これでもボクは乙女なんだか―――」

 

 そう汗を浮かべて覚悟していた彼女の胃の中が熱くなった。

 

 途端、ブジュッと彼女の全身から滲み出るように黒い粘性のものが溢れ出し、彼女を包み込んだ。

 

 それは黒い繭のようにも見える。

 

 少年はそれを片腕に担ぐと再び現場から消えて、今現在は防衛拠点としての整備が進む塔。

 

 一応、ニアステラやフェクラールの者達から英雄の塔(仮)と呼ばれ始めた両地域の中間点の巨大塔の最上階にやってくると白衣蜘蛛達が誂えておいたらしい大きな繭を置く為の寝台っぽい場所にソレを置いた。

 

「(・ω・)ノ(あの~で、結局どうなるんです彼女という顔)」

 

 白衣の1人がそう訊ねて来る。

 

「落下前には起きる。後3時間くらいで体編成が完了する。昔、真菌で最後に挑み続けてた時の一形態を再現する」

 

「(・ω・`)(ああ、アレを……という顔)」

 

「強くなるよりも維持する事に特化されたのは恐らく集合呪紋のような特殊な呪紋体系で最大火力を出せるようになって以降、それが長く使える事を前提としたから、ならアヴィラーシュはアレを使うには打って付け」

 

「( ̄ー ̄)(つまり、もっと大きな安定化させられれば強い力を制御させれば、瞬間的な戦力よりも使い勝手の良い恒常戦力になるわけかという顔)」

 

 蜘蛛達が黒い繭をギョロリと複眼で凝視して、数秒後。

 

 少年のやりたい事と人魚に何を与えたのかを理解して、複眼から第三神眼を閉じ、額をちょっと揉む。

 

「(´・ω・`)(おやすみなさい。新たなる住人さん……一時の良い夢をという顔)」

 

 蜘蛛達は主が遠征隊の主要メンバー以外には施してない力に次ぐだけの力を得た人魚だった者を祝福しつつ、最終調整の終わった設備を不可糸に魔力を込めた糸でグルグル巻きの繭にする作業へと戻ったのだった。

 

 *

 

 アヴィラーシュは夢を見た。

 

 小さな小さな浮かんでは消える不思議な水面の泡沫。

 

 柔らかな虹色に輝くしゃぼんのようなものが浮かんでは弾けて消えていく。

 

 緩やかにぼんやりと眺めていた彼女は見る。

 

 その……残酷というよりはもはや立ち尽くすしかないだろう情景を。

 

 煙に巻かれた大地の上で夜の天上から遥か降り注ぐ光の雨。

 

 蒸発していく人体。

 

 手を引いていた誰かの腕だけが其処にある。

 

 あるいは笑い合い。

 

 共に立ち向かおうと背中を向けた時、その姿はもう何者かによって半ばから断ち割れている。

 

 痛みに耐えながら、内臓を零し、半身も無く微笑む愛らしかったはずの顔を醜く焼け爛れさせた少女。

 

 あるいは毒に苦しみ。

 

 内臓を腐らせられた痛みに絶命しながら、人の死に様とは思えない凄絶な顔で果てた少女。

 

 ああ、それを責める者も幾多。

 

 嗤う者も幾多。

 

 何もかもが力無きが故に少年には何一つ出来はしない。

 

 だから、一つずつ……一つずつ積み上げるのだ。

 

 何もかもを積み上げて、積み上げる度に死を積み上げて、前も後ろも積み上げて、少女達の死体の数を万倍、億倍、兆倍の敵の死体を積み上げて、力を磨き、魂を削り、技能を磨き……死ぬ度に覚え、死ぬ度に偶然すらも読み切る為に覚える。

 

 全ては想定されていなければならない。

 

 あっという間に彼の後ろは瓦礫の廃墟と化し、愛する者の屍の山と化し、分かり合った亜人達の恨めしそうな死に顔で埋まり、彼を攻める野営地の者の顔で埋まり続けた。

 

 いつの頃からか。

 

 笑わなくなった少年はただ前を向いて、己を糧にして生きた。

 

 己を使い潰して生きた。

 

 自分の限界の為に自分を追い込み。

 

 自分の全てを知る為に死体になりながら、己の臓腑の状況を感覚で理解した。

 

 指先一つ動かす為に何が必要で、自分の限界を超えて動きながら、限界が何処まで続くか、何処まで消耗出来るか。

 

 それをこそ知る為に死に続けて……至る。

 

 それは体の動かし方だ。

 

 一定の精神力と肉体を得て、己の魂に、己の脳の全ての力を用いて、限界を外し、同時にまた外された力を全力で制御する。

 

 細胞の一つ一つにまでも行き渡る制御は神経の過剰な摩耗、脳の細胞の過剰な働きによって磨滅、という前提で行われる。

 

 だから、少年の技はとても少ない。

 

 必要な技能を磨き続けた結果である為に少ない手札に課された使命は汎用であり、その汎用性を極めて彼は剣技と成した。

 

【黒跳斬】

 

 初めて少年が遠方を攻撃する剣技として使う事となったソレは特定の武器の力ながらも自らの肉体を限界駆動させる事で剣の威力を空気を媒介にして伝導させるまでに威力を高めた。

 

【双連撃】

 

 一度の攻撃で倒せぬ敵が多過ぎて、二撃必殺を求めた末に生まれた力はまったく合理的に二回の攻撃を刃で重ねる事を主軸とし、両手に剣を持てば、容易に使え、片手剣でも両手剣でも威力を重ねる事で更なる飛躍を見せた。

 

【無尽斬】

 

 武器の連撃回数を増やす。

 

 特殊な武器であれば、その回数を更に増やせた事で力の強い敵でも威力の集中によって倒す事が出来るようになった。

 

 そして、全てが多くの敵によって破られ、破られ続け、必要な場面も必要な状況も絞られて、剣技に見切りを付ける要因となった。

 

 他の技能も同じ。

 

 特定の出来事に起因し、戦闘の為に剣技や呪紋を修めても意味が無い事も多く。

 

 ならばと言葉の極意を敵から学び、陰謀を学び、相手を罠に嵌め、準備という準備を尽くして、抗う為ならば如何なる残酷も冷酷も卑怯も厭わない。

 

 だが、それでもやはり死はやってくる。

 

 いつか捨てた技能は幾多あるだろう。

 

 鍛冶場に立てば、その技で幾多の銘剣を打てる。

 

 台所に立てば、多くの者を魅了するだろう料理を出せる。

 

 労働者となれば、多くの労働者に熟練の技を見せ、野営地を繁栄させられる。

 

 政治の場に出れば、あらゆる敵を翻弄し、罠に掛けて陰謀によって忙殺出来た。

 

 虚言を労せば、正しく地獄を造り、敵を屠るだろう。

 

 だが、背後の者達の顔は曇った。

 

 投げ掛けられた言葉は鋭利な刃となり、少年を串刺しにした。

 

 畏れられ、止めろと後ろから刃を突き立てられた事もある。

 

 結局、人の道に外れれば、誰の援護も期待出来ない。

 

 だが、それを知ったからこそ、己の今がある。

 

 何一つとして余計なものはない。

 

 労働も料理も鍛冶も政治も陰謀も全て知らずして此処まで少年は事態を導けなかった。

 

『………君は』

 

 アヴィラーシュは思う。

 

 無限にも思える泡沫が天に昇っていく。

 

 世界には幾多の絶望が転がっている。

 

 だが、どうして諦めないのか。

 

 それを知ればこそ、彼女は瞳を閉じる。

 

『そうか。まったく、スゴイ……本当に凄いヤツだよ。君ってば……』

 

 百万の亜人を殺しても決して得られないものを後ろにして、背を向けて、ただ護る。

 

 その笑顔を護る。

 

 その精神を魂を生活を護る。

 

 何も言わなくなったのは言えなくなったからだけではない。

 

 ただ、示せばいいのだと気付いたからだ。

 

 少年は―――何も語らず。

 

 ただ、示した。

 

 無限の旅人は知る。

 

 死が絶対の終わりだとしても、それは今ではないと全てを背中にして戦い続ける事をいつの頃からか実践していた。

 

 示された暗示は明白だ。

 

 あまりにも矛盾している。

 

 分かって欲しいけれども、分かって欲しいならば、示す方法は一つ。

 

 そう……行動で背中で示して見せるしかない。

 

『これが君が最後に辿った末路の一つ』

 

 少年の姿が変異していく。

 

 それは一つの答え。

 

 己の全てを捧げた形態の一つ。

 

 嘗て、百万の亜人を皆殺し、幾多の王を磨り潰した。

 

 黒き猛獣は空を自在に颯の如く駆け。

 

 刃では傷付かず。

 

 黒き猛威として竜とも鳥とも違う。

 

 黒き真菌は少年に告げたのだ。

 

 旧い旧い自分の姿を。

 

 人のようにも見える。

 

 竜のようにも見える。

 

 鳥のようにも見える。

 

 だが、明確に違う。

 

 黒き大地より湧き出した無限の泉。

 

 あらゆる攻撃を正しく黒き大河によって堰き止め、受け流しながら、威力を拡散させながら、あらゆるものを侵食し、呑み込み、戦力として加え、消化しながら、暴威となって全ての生命を取り込み、神すら朽ちるだろう世界そのものとなる。

 

 それは行方不明となった旧き時代の五大災厄。

 

 少年ですら取り込まれ、忘れている“いつか”に告げられた名。

 

『ヴェラ……神朽ちる沼』

 

 スゥッと彼女と瓜二つのソレが黒く黒く湧き出して、彼女に微笑む。

 

『ボクはアヴィラーシュ。アヴィっと呼んでよ』

 

『っ』

 

『ねぇねぇ、ボクと良い事しない?』

 

 そう微笑んだ黒い自分が見ている先には少年の背中がポツリ。

 

 でも、背を向けた姿は振り返る事無く。

 

『あ~あ、振られちゃった。ま、いっか……いつもの事だしね』

 

 キロリと黒い自分に視線を向けられ、彼女が僅かに身構える。

 

『ねぇ、アヴィラーシュ。ボクになってよ』

 

『ッ―――』

 

『君がこれから活躍する為にはさ。ボクの力が必要じゃないかな?』

 

『生憎と自分の力に満足してるから遠慮するよ』

 

『せっかく、ボクが直々に力を貸してあげるって言ってるのに……』

 

『彼との仲が長いのは良く分かった。でも、ボクは媚びたりしない。お前が何だろうと屈したりしない。もう其処にお手本がいるからね』

 

 歩き出した少年を見送って、そう彼女は黒い自分に獰猛な笑みを浮かべて見せる。

 

『……何度取り込んでもそうなんだよねぇ。まぁ、いいさ。これからも彼とボクは分ち難く在る。いつか彼が繰り返しも出来ずに何もかもを失ったら……その時こそ、ボクが彼のものになろう♪』

 

『力を貸さないとか。神代の怪物もケチなんだね。案外……』

 

『ふふ、君も何れ分かるさ。この島は“ボクら”にとっても特別だ。君もまた歌の神に愛されし者だからこそ、覚えておくといい』

 

『どういう……それにボクの神の事を知ってるの?』

 

『君は此処から出たら忘れちゃうだろうから教えておこう』

 

 黒いアヴィラーシュが横を指差す。

 

 その先には大きな光の河が縦に天を貫く柱の如く流れていた。

 

『……これは……』

 

『ほら、見える? あの河の畔に手を付き出した女が二人』

 

『っ』

 

 彼女が目を凝らした。

 

 確かに河に手を突っ込んだり、川の水らしきものに手を翳す女達がいる。

 

 彼女達は反対側から互いを見る事もなく。

 

 しかし、確かに何処か似通った雰囲気があった。

 

 片方は何処か幼く少女とも言えるかもしれない赤黒い髪を伸ばした白い簡素な貫頭衣を着込んだ存在。

 

 その背中には七対の虹色の翼が生えていた。

 

 逆側の淵にいるのは妖艶な笑みの女。

 

 正しく女神のような豊満な胸元に聖母にも似た美貌。

 

 白いドレスを着た片腕の無い女は周囲に様々な蟲を象ったレリーフが浮かんでおり、その幾つかは崩れ去っていた。

 

 2人は互いに何かを謳っているように唇を動かし、呟いている。

 

『ほら、上を見て見なよ。アレがある』

 

 アヴィラーシュが河の上を見上げる。

 

 すると、其処には車輪の如く左右どちらに回っているのかも定かではない河であったものが渦を巻いてまるで互いを食い合う陰陽の如く四重螺旋を描いていた。

 

 そこから河が流れ出しているのだ。

 

『アレが河の始まり……』

 

『島の神々が作り上げた四重螺旋を用いた呪紋さ。それを動かしているのは歌の神……君の知ってるソレだ』

 

『ッ―――』

 

『君の神様はアレを動かす為に神々が作り出した世界の唄を彼女達によって奏でている』

 

『因果……』

 

『全てが滅びるはずだった世界は未だ在る。それは全てあの四重螺旋の呪紋が稼働しているからなのさ』

 

『あの2人は何をしてるの?』

 

『彼女達は反対側から働き掛け続けてる。妖精はまた悪戯で世界に救いはあると言祝ぎ。女神はまた新たな時代に命が息吹くようにと呪う』

 

『………』

 

『よく見て……あの2人の中間点……あそこにあるよ。彼が……新たなる階梯へと呪紋を誘った二人の英雄……沈んでしまった1人目とは違う。ようやく辿り着いた二人目の英雄の因果が……』

 

 それを彼女が見ようとした時、彼女の視界がノイズに塗れて途絶していく。

 

『ああ、君じゃコレが限界か。でも、魂に刻んおくといい。いつか、必要になるかもしれないからね』

 

『………………』

 

『ボクのアルティエによろしく……ちゃんとあの子達と同じように子作りするんだよ? ふふ……神刻は果てへと至り、繰り返す為にこそある。君達もまた……彼と同じく。新たな段階へと入った……』

 

『………………っ』

 

『次代の子が必要だ。新たな命が……“ボクら”も一枚岩じゃないからね。あのようやく出て来たヒキコモリがノクロシアで後生大事にしていたモノを差し出したように……ボクもそろそろ差し出そう』

 

『お……ま……ぇ……は……ぁ……』

 

 黒き彼女は邪悪とも違う。

 

 何処か艶めく瞳で彼女の腹部に頬を摺り寄せる。

 

『さぁ、第二幕の開演までもう少し……それまで暮れなずむノクロシアを楽しむといい。あの子も生まれた事だし……あの哀れで無力な大神共が如何に狡賢く立ち回るものか。喜劇と悲劇を観覧しよう!!』

 

 声も遠ざかっていく。

 

 最後には何もかも聞こえなくなって、ノイズに全てが塗れていく。

 

『それと、これはボクからの贈り物だ。蜘蛛達ばかりが増えたんじゃ、公平とは言えないだろう?』

 

 彼女は自分の下腹部に何かがドスリと埋め込まれたのを感じた時、体の全てが沸騰して、意識の何もかもが渦巻きながら恍惚に溶けていくのを感じた。

 

『ふふふ……お休み。アヴィラーシュ……君はもぅ彼の虜さ……あの初めて出会った日からね……♪』

 

 ひそめく呟きに何もかもが熱く蕩けた彼女は消えて、ハッと顔を上げた時。

 

 サラサラと糸が殻のように解けながら眩い光が溢れ―――。

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