流刑貴族の追放記-極獄と呼ばれた果ての地にて-   作:Anacletus

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第100話「遠き胡蝶のカダスⅤ」

 

 この世界には叡智が在る。

 

 人々の常識はその文明の水準に帰属する。

 

 世の中の多くの者達は知識という名の井戸を掘りもすれば、埋めもする。

 

 しかし、一度でも掘られた井戸は二度も三度も掘られる運命だ。

 

 ただ、知識が天敵な存在もいるし、多くの場合は賢い人間が増える事を歓迎しない者達もいる。

 

 それが政治家や宗教家であった場合、悲劇と喜劇の末に破滅するのもよくある話だろう。

 

 無論、その社会的な真理というヤツが邪神の大陸でも同じなのはまったく度し難い程に人々の本質が変わらないという事を意味する。

 

 多くの歴史を知る控え目な為政者というヤツならば言わぬが花と心に思っている事だったりするのはご愛敬である。

 

 嘗て、神々の大陸で邪神の申し子を狩る魔女狩りが有ったように。

 

 あるいは邪神の大陸で神子狩りと呼ばれる神の申し子達の狩り出しが行われているのもそういう理由だ。

 

 何事も真実というヤツは大体、為政者のような情報をより多く扱い理解する者達にしてみると邪魔者なのである。

 

 神の真理を得た者達の一部は邪神によって大陸が染められて以降もまた人々の中に隠れ潜み、異端審問に掛けられぬよう……外大陸の教会から逃げる異端者達と同様にひっそりと暮らすのがデフォな一生との事。

 

 そんな一族の一つが兎耳のエルフ族だったりするのが氷床大陸らしい、と。

 

 少年は教えられていた。

 

「………」

 

 まぁ、大昔に何処かの太陽の女神が加護を与えた兎がうっかり亜人種族に子供を沢山産ませたのが悪い。

 

 そういう神話なのだ。

 

 石板には少なからず美化された兎がエルフと結ばれる様子が描き込まれており、太陽の女神(故人)……少年がぶっ倒した当人が微笑ましそうな表情を浮かべていたりするので……もはや呪いは本当に呪いであると明らめるしかなかった。

 

「………………」

 

 少年が渋いを通り越した様子で溜息を吐く。

 

 今も自分にニコニコと『苦労せよ。蜘蛛の主……』とか言っている脳裏の女神を掻き消して、被りを振った。

 

 大陸からの脱出の破綻。

 

 外の船は一応、地下からでも回収可能な算段は整えてあったが、第一目標であった普通に脱出という手段が潰されたせいで行動予定は組み換え中。

 

 その明らかに自分を呪いまくりだろう石板に背を向けて、イソイソとアルティエ・ソーシャは聖域と呼ばれているらしい祠を出た。

 

 そうして数歩進むと目をキラキラさせた兎耳のエルフである少年少女達が大量に周囲で屯しているという事実を以て、面倒な手順を再構築しておく。

 

「メガミサマはキレイ、デスネ」

 

『おぉおおおおおおお!! 使徒様がお喋りになったぞ!! ああ、太陽の女神様のご加護がありますように!!』

 

 襤褸布な外套を纏う少年少女の背後では大人達も数名、ざわついており、盛り上がっているようだ。

 

 ついでにジト目な男女が持て成されてボリボリと骨付き肉を齧っていた。

 

 何の肉かは聞かなくていいだろう。

 

 基本的に邪神の大陸の生物はほぼ全て邪神の魔力とそれに対する遺伝的な適応によって変異しているのが殆どでまともな遺伝子を持つ生物はいない。

 

 何処かで必ず邪神の魔力に適応した弊害として、幾つかの心身への欠陥がある為、通常の大陸の同じ種族……亜人にしてもエルフにしても、短命化しているはずであった。

 

「(これで確定……観測能力が殆ど失われてたせいで神力の正確な値が認識出来てなかった。力を垂れ流してたから、あの怪物連中が襲って来たと考えるべき……島から出れば、この有様……)」

 

 悲しい話であるが、持たざる者である少年は繰り返す島内での行動に特化し過ぎた結果として、新しい状況に放り込まれると正しく“最初から”状態では凡人に近いミスをするというのが露呈していた。

 

「(真菌そのものの自己開発は進んでる。でも、殆ど今は意味が無い。脳裏で状況の確認も出来ない。印が封殺されて、推定でどれくらい強くなったか分かる程度……肉体の再開発と能力付与を安易に試せないせいで真菌への大雑把な命令以外がほぼ死に札になってる。呪具と思紋機関の生成路線に切り替える必要がありそう……)」

 

「使徒様。こちらに……」

 

 ウサミミ・エルフ達に連れられて、祠周囲の樹林から出た少年が目にしたのは外と同等の光量を保持する村数個分はあるだろう領域。

 

 天井には太陽のような青く月の光を強くしたような輝くものが置かれており、ソレが神の力の類なのは少年にも分かっていた。

 

 彼らがいた城下で聞き齧った話では嘗て邪神と大神の戦争があった古代に邪神達が光を浴びても問題ない種族を創造し、外界へと勢力を拡大する前に増やす為の場所がウーヴェルアーズという土地だったらしく。

 

 今もその名残として明るいままなのだという。

 

「使徒様。此処へ」

 

 大人達が左右に展開し、床の間に座り。

 

 少年の前には御簾の下がった隔てられた空間があった。

 

 大きな屋敷の一角。

 

 内部に入っている誰かが長らしく。

 

 大人達は入ってから頭を下げっぱなしであった。

 

『面を上げよ』

 

 思っていたよりも若い声に少年が僅かに目を細める。

 

「使徒様。正面の御簾のお方こそ、我ら【兎月境(とげつきょう)】の主たる太守様であらせられます」

 

「太守?」

 

 少年は後ろで肉は喰い終わったらしい使徒の御付き(勘違い)な2人が取り合えず付いて来ている事に安堵しつつ、年老いたエルフに訪ねる。

 

「この境を支えている大家の主でございます。太守様は代替わりされて間もない為、今は我ら衆の者がお傍に付いて政を支えておりまする」

 

 御簾が女官のような被り物をした者達の左右から上げられる。

 

「我が第842代目の太守。桜花老じゃ」

 

 ウサミミ・エルフの少女だった。

 

 ただ、色合いが紅蓮に染まっており、獣人としての色合いが濃いのか。

 

 白い腕や脚が兎のソレであり、五指が人間よりも獣に近い。

 

 その容姿からして人間らしい中心線に沿った肌は四肢の末端に近付く程に獣に近くなっており、エルフというよりは本当に新しい種族と呼んだ方が良いだろう。

 

 齢10歳程度に見えるが、実際にはもう少し歳は上くらいだと少年には分かった。

 

 艶やかな色合いの毛並みや人を食ったようなニヤニヤした笑みは悪戯っ子のようだが、場所が場所なので自重しているように見える。

 

「(精神年齢が高いというよりは実年齢が肉体とは違う方っぽい)」

 

 肉体の変貌やらで寿命が影響を受けているのだ。

 

 そんなのは外側を見れば、少年には一目瞭然であり、生命に対しての探求をほぼ終えている身からすれば、何を言うまでもない。

 

 現在の回において完全に生命の創造にまで手を掛け、死者蘇生……転生の秘術を弄繰り回して脳裏で研究し、実際に実践していた少年には此処にわらわら集まっているウサミミ・エルフも遺伝的な欠陥があるのは分かっていた。

 

「やっぱり寿命が短い? 精神年齢の早熟は……短命種の特徴なはず」

 

「おお、分かるのか。面白い使徒様じゃな。くくく」

 

「太守様!? そのように軽々しく―――」

 

「良い良い。腹を割って話そう。皆の者は下がれ。使徒様の部下の方達には境の内部をあないせよ。泊る場所にもな」

 

「……よろしいのですね?」

 

「うむ」

 

「分かりました。皆の者。行くぞ。部下の方はこちらに」

 

 少年がチラリと後ろを見やるとランド達が完全に置いてけぼりではあったが、宿の方はやっておくという顔だったので少年が再び太守の方を向いた。

 

 大人達がゾロゾロと現場から捌けていく。

 

 扉が閉まって数秒後。

 

 御簾の中でだらけた様子になる獣人系エルフ少女がぐてーっと怠惰な様子で横になり、手で頭を支えて少年を見やる。

 

「名前は?」

 

「おなごに左様な話し掛け方を成さっては無礼ですぞ? 使徒様……ですが、名乗っておくべきか。桜花老は太守の護り名。真名を護る為のもの。真の名は兎月……嘗て、アマテラス様の大地において話されていた言語にて兎の月でウゲツと」

 

「別に演技しなくていい。最低限の礼儀も不要。話があるなら、助けられた分くらいは聞く」

 

 その言葉に笑みを深めた太守が座り直して扇子で口元を覆う。

 

「よろしい。じゃあ、こっちでいいですか。使徒様……貴方、神を殺してますね?」

 

「勿論、その神眼の類で見れば、一目瞭然」

 

 少年が見る少女の瞳には確かに神眼の輝きが滓かにある。

 

「隠しもしないとは……なるほど……外の街では世界を滅ぼす大岩の話がされていましたが、炎が消えたとの話も総合すると……もう、アマテラス様は……」

 

「この間、殴り合った後に叩き潰した。最後は憂いは晴れたって言って、全部こっちに押し付けて笑って消えてった」

 

 実際、少年にしてみれば、邪神大陸なんて今関わってる暇は無い場所なのだが、女神の最後の力で飛ばされたと推測した場合、此処にいるのは偶然ではない。

 

「く、くくくく、まさかまさかの神殺し。まったく、世の中は分からない。あの太陽の女神が破れてしまうなんて……でも、貴方は此処へ来た」

 

「女神の陰謀」

 

「そうですか。なら、陰謀ついでにこの大陸を開放していってくれませぬか? 破滅の使徒様」

 

「……時間が掛かる事は後にして欲しい」

 

「そうもゆかぬのですよ」

 

 ひょいと立ち上がった太守が扇子をパチンと弾く。

 

 すると、虚空に映像が浮かび上がる。

 

「―――上位次元にある神格の本体?」

 

 少年が見たのは巨大な黒い繭のようなものがある空間。

 

 一見して少年が造っていたアヴィラーシュの卵のようにも見えるが、その卵の表面にはビッシリと暗い魔力を帯びた文字らしきものが浮かび上がっていた。

 

「この大陸の主神。【源界の階】と呼ばれる大欠片。その顕現体の様子です」

 

「どうして、そんな映像を持ってる?」

 

「我ら兎月境のエルフが所有しているからですよ」

 

「所有?」

 

 少年が映像を見て、拍動して蠢いている様子の卵がリアルタイム映像の類だと気付いた。

 

 理由は単純だ。

 

 この境と呼ばれている場所で感じられる力の波の周期に映像内部の拍動が被っていたからだ。

 

「この大陸の邪神は特殊なのです。元々、此処は大昔は竜の始祖たる神。カルトレルムの住処だったとか。太古の大戦争で竜は大陸を追われた。しかし、この地に根を下ろした階もまた瀕死の重傷を負った後、眠りに付いたのです」

 

「邪神勢力が邪神を放っておくはずない」

 

「ええ、ですが、自己封印した階は崩壊寸前でした。霊廟の内部で眠るソレを……太陽の女神の眷属である始祖達は密かに運び出し、力を収奪して弱める事にしたのです」

 

「収奪?」

 

「この大陸が氷床大陸となったのは大戦後の事です。そして、多くの邪神の申し子達はこの地から生まれる暗雲を邪神の加護だと思っていたようですが、実際には違うのです」

 

「……力を無理やり引き出し続けてるって事?」

 

「ええ、この地を氷床にしておく為の莫大な力を今も階は吐き出し続けている。そして、ソレがようやく終わる時期にあの大岩の騒動が起こった」

 

「何か問題でも?」

 

「貴方達のせいではないのですか? 安定して滅びつつあった階の影響が巨大化したせいで今や大陸各地は狂乱する神話時代の怪物達との戦いで阿鼻叫喚。ソレが今はこの地を目指して大挙して押し寄せてきている」

 

 虚空には次々に城の周囲から狂乱するように溢れ出した多数の怪物が何処かに向かっている様子が映し出された。

 

 その大河の如き流れはどうやらリアルタイムらしく。

 

 あちこちの街が保有する城と城下町は大きな被害を受けて、何とか存続を保っている有様……明らかに隠れ住んでいるだけの神の信徒が知っているには大き過ぎる軍事情報であった。

 

「……自業自得のような?」

 

「ふふ、その問題に拍車を掛けたのは貴方です。太陽の女神様……アマテラス様の力が顕現し、多くの怪物達が神話時代の敵を打ち倒さんと到来。もはや、隠し通す事も難しいでしょう」

 

「どうして欲しいと?」

 

「どうやら今は力を失っているご様子。【邪眼神殿】の者達が“腑分け”……別の破片に破片を食わせようとして聖域を開放する前に顕現体を破壊するか。もしくは……」

 

「運び出す?」

 

「ええ、そのどちらかを貴方に依頼したいのです」

 

「その後は?」

 

「……静かに此処も滅びゆくでしょう。まぁ、此処で貴方が来たのは行幸という事にしておきましょう」

 

 少年が顕現体の在処をすぐに思い浮かべる。

 

「どうして頼む? これだけの情報網に邪神の力を使っているなら、全部退ければいいはず」

 

「ええ、まぁ、御尤もな疑問ですが……我らもまた地底の住人です。もはや、外で生きては行けぬ体なのですよ。短命なせいで数も少ない。大戦となれば、圧倒的な物量と他大陸の大欠片の守護を司る使徒達の軍勢を前にして敗北は必至です」

 

「敵は倒せないのに逃げて外大陸に持ち出せもしない体になってる?」

 

 少女が何かを詠唱し、真上から細い光の筋を地面に降り注がせ、そっと人差し指の先を光に翳した。

 

 途端に指先が赤くなり、皮が剥がれるようにして変質し、すぐに指が引っ込められ、また小さく詠唱すると指先が治癒していく。

 

「確かに太陽の光で反応してる……でも、それは防ぐ事は出来るはず。光の波長を変えたりするのはこの大陸の魔力運用でも可能」

 

 詠唱特化の魔力運用体系が普及しているカダスならば、それは出来るはずだった。

 

「持っていく場所が問題です。此処から動かせば、大欠片は力を発してしまう。そして、大欠片を此処から最も近い安全な場所に持っていって邪神勢力が拾えないようにするとしても、我らはその地の力に耐えられない」

 

「耐えられない?」

 

「太陽の女神……アマテラス様が治めていた大陸が近辺にあるのです。そこは年中神の炎に覆われ、太陽の光を発する邪神の申し子達には忌地として畏れられる場所……つまり、我らは近付いただけで焼け爛れて死にます」

 

 肩が竦められた。

 

「実体験?」

 

「過去に何度か境の者が近付きましたが、多くが大陸の沿岸部周辺に近付く事さえ出来ずに引き返して来ました。重度の火傷は治りこそしましたが、今も夢に見るそうです」

 

「自分達の信奉する神の力で傷付く以上は動かせない欠片と心中するか。欠片を破壊するしかないって事?」

 

「端的に申せば……ですが、そちらとて……見れば分かります。戦って倒す事は恐らく出来ないでしょう」

 

 少年がまだ見えている黒い繭のある虚空に目を細める。

 

「よって、最適解は貴方達に女神様の大地に大欠片を運んで頂くというのが恐らく最も確率が高い」

 

「10分、考える。境の内部を見ても?」

 

「ええ、構いません。でも、この里を見て、何かを思い付きますか?」

 

「邪神を安全に運ぶ方法ならある。問題はその方法に使う資源が足りるかどうか。もし、邪神を運ぶ為にこの地が人の住めない土地になると言ったら、どうする?」

 

「構いませんよ。愛着はありますが、自分達の寿命は悟っています。この里は良いところではありますが、我らの終の棲家以上ではありません」

 

 つまるところ、彼らの最終目標は邪神の討伐という事であった。

 

「分かった」

 

「ああ、それとやはり……我はこちらの話し方の方が良い。話してみて分かる。ただの小娘にどうこう出来る程、お主は甘くないじゃろう……」

 

「構わない。好きにするといい」

 

 少年がそこでようやく部屋を出た。

 

 少女が肩を竦める。

 

「面白い御仁です。何も言わずともそう出来るでしょうに……」

 

『我らと争う事を避けただけではないか?』

 

「あの御仁には手出し無用です。貴方もドラゴンの一体として最後まで見届けて下さい。今、あの方が此処に来た事自体が奇跡に等しいのです。この大陸に住まう全ての者達の命運は……そっと見ているべきでは?」

 

 彼女が自分の御簾に映る蜥蜴頭の影にそう呟く。

 

『我らにも……もはや未来は見通せない。だが、世界の終わりは幾度と無く……しかし、辿り着いたと言うのならば、見せてみせろと言いたくはある』

 

「つまり?」

 

『いいだろう。此度もまた見届けよう。お主が善き道と命の果てに辿り着いた時、我らもまた此処の観測を閉じるとしようか』

 

「ふふ……邪眼神殿が此処を見付けるまで数日の猶予はあります。それまでにどうなっているものか。少し胸がトキメキますね」

 

 影が揺らいで僅かに笑みを浮かべたように見えた。

 

『その気概在らば、此度は面白き事になりそうだ。最後の神獣よ』

 

 こうして少年が10分後に戻って来た時、その瞳には何かを決めたのが見て取れた。

 

「これから邪神を運ぶ準備を始める。備蓄食料と遠征用の装備を人数分用意して、この里を放棄して出ていく準備を……」

 

 そうして、少年はウサミミ・エルフ達にサラッと生まれ故郷を捨てさせる事を決定したのだった。

 

 *

 

―――数日後。

 

 大寒波への突入始まる。

 

 という報が大陸の全ての街、地下において聞かれた時、多くの一般人が安堵したのは言うまでもない。

 

 だが、最もソレをホッとして聞いたのは最北端に位置する三つの街であった。

 

 最果ての街では他の街からの攻撃が撃退された後、その街からの食糧供与という話が来て、驚きながらも承諾。

 

 海賊から逃げている状態の為、今後の数年後の開放までに帰還ルートの策定やら諸々の情報を得る為に何人かを他の街に向かわせる事となった。

 

 いきなり、怪物によって出入口を破壊された食料許与を持ち掛けた街も同じような状況であり、他の地域に派遣している者達から北部に向けて怪物達の大移動が起こっているという話は地獄の防衛戦が始まる事を彼らに予期させた。

 

 各地の街の城下と協力して生き残る為の相互協定を策定するべきではないかという話が持ち上がっていて、それに賛同者が集まったのも当然だろう。

 

 そして、陸橋を巨大蛭が破壊したり、城下が崩れた街では大陸盟主……カダスという大陸群において絶大なる権威を誇る邪神の神殿。

 

 邪眼神殿からの声明によって、城下は厳戒態勢。

 

 外界からの侵略者がやってくるという話が広がると多くの怪物達の大移動もそいつらのせいに違いないという事で多くが納得。

 

 急いで戦支度と共に今までいがみ合っていた街との融和と食料供与による相互扶助を開始する旨が布達され、南方から来る怪物達の大河を横目に少なくはあるが、各地の街から名の通った冒険者達が次々に押し寄せ。

 

 敵の襲来に備えての邪眼神殿からの依頼によって城下の守護と戦力の再編に際して部隊として配下に付ける事となっていた。

 

『一一七の踊り場まで後退せよ!! 敵はビー・ランクの化け物揃いだぞ!!』

 

 神話時代の怪物。

 

 否、雑多な雑兵は基本的に形が歪なものが多く。

 

 同時に邪神の不定形な力を表すかのように纏まった数になると身体がまともな形成をされていない上に個体の大きさのみで識別される。

 

 元々、大陸で怪物のランクやクラスと呼ばれる単位で分けられているモノの大半は大戦後に大本の化け物達の基準を標準化して使い出した代物であり、実際に強さが現在の単位に当て嵌るかと言えば、そうでもない。

 

『こいつら本当にビー程度なのかよぉ!!? 絶対、間違ってるだろコレぇ!!?』

 

『こ、こっちの攻撃が殆ど利きやがらねぇ!!? エー相当にだって利くはずだろぉ!?』

 

 現在、人々の生活において危険な種族や生物として分類されている者達の多くは邪神が大陸を奪取した後に邪神の力に適応していった生物が殆どであり、その力の源を直接浴びていた嘗ての怪物達からすれば、数段力が劣るのである。

 

 それに匹敵するのは正しく上位の怪物達のみ。

 

 エーとかエスとかダブルエスとか。

 

 各地で呼ばれている者達の大半は正しく大戦時から生き抜いた生き字引や主のような生物ばかりであり、根本的に旧く。

 

 その後に発生した邪神信仰の人間や種族なんて言うのは正しく塵芥。

 

『ひ、ひぃいいいいいいいいいい!!?』

 

 陸橋の下の濁流と化した怪物の群れに落下した兵隊がどうなったのかを見てしまった元一般人達は正しく外界からの侵略者どころではなく。

 

 押し寄せて来る怪物達に対し、冒険者を全面に立てて背後から支援する事で何とか戦い続けていた。

 

 狭い空間という利点を生かして戦力を制限し、防衛を可能にした城と巨大な地下世界は正しく嘗て神々の連合と邪神達が戦った頃さながらの様相を呈し始めている。

 

『詠唱が間に合わん!! 後退!! 後退!! 隊列を入れ替えながら、後退せよ!! 陸橋の一部を爆破するぞぉ!!』

 

 幾つかの部隊が耐え切れなくなった様子で後退を開始する。

 

 邪眼神殿の人員はその大半が近辺にある聖域。

 

 邪神が封印された霊廟を守護しており、今は戦力に加わる者もなく。

 

 冒険者達は次々にやってくる魔獣、神獣の類を退けながら、ジリジリと後退。

 

 街の最前線は城下に迫っていた。

 

 ウーヴェルアーズ城下。

 

 冒険者の酒場は今や各陸橋の守備隊を纏める司令部として機能していたが、南部からやってくる怪物達の波は増える事はあれど減る事は無く。

 

 次々に重軽症者が後送され、外界からの侵略を退けるなんて話はほぼされず。

 

 呻き声のする廊下の殆どは簡易の寝台を置かれ、次々に負傷兵を寝かせて回復させる病棟と化していた。

 

「……マズイ。マズイぞ……南部正面のガリトラカへ続く陸橋が断絶した。あちらからの援軍が何とか進軍していると連絡は来ているが、このままでは……」

 

 先日、邪眼神殿に色々と言われていた街の長。

 

 60代の太っちょな白髪の男がデカイ腹を縮めるようにしてテーブル上の地図の上の戦力図を前に頭を抱えていた。

 

「街長。主戦力である冒険者達も半数が治療限界……体力を回復するまで魔歌による治療が出来ぬ程に消耗しております。城を閉じての籠城戦へ移行するべきでは?」

 

「ダメなのだ……」

 

 部下達の声に男が呟く。

 

「どういう事です?」

 

「城の護りは鉄壁だ。おぬしらも知る通りな。だが、それは通常時……相手の戦力が壁の耐久限界を超えない場合の話だ。物量的に恐らく群がられた場合は落ちる。数が多過ぎるのだ。戦力をとにかく減らさねば、籠城しても数時間持たぬだろう」

 

 その声に周辺の参謀役達も苦い顔になる。

 

「神殿の方達は一騎当千と聞き及びます。今からでも援軍要請は?」

 

「外界からの侵攻を食い止めて、大欠片様の守護任務もやっている以上……我らのような下々の者の防衛など神殿は……」

 

「万事休す、ですか」

 

 難しい顔の男達はとにかく耐久し、相手を遅滞させる作戦も限界に近いと知るからこそ、此処で城下の街も終わりかという顔となった。

 

 その時、司令部となっていた酒場に駆け込んで来る伝令が息を切らして叫ぶ。

 

「街長!! 化け物達の流れが変わりました!!」

 

「流れが変わる? どういう事だ!! 正確に報告しろ?」

 

「そ、それが、いきなり濁流の如く流れていた怪物達の行先が迷走を始めた様子で全ての怪物達がまるで我に返ったかのようになった後、隣の怪物達を互いに攻撃し始め、こ、殺し合いになっています!!」

 

「何ぃ!? 今、観測所に向かう!!」

 

 司令部の者達の半数が慌てて城下に建てられた外界を覗く塔へと向かう。

 

 辿り着いて、城の下を覗いた時。

 

『ッ―――』

 

 誰もが息を飲んだ。

 

 怪物の大半が己の傍の怪物へと襲い掛かり、喰らい喰らわれ、狂乱する呻きと怨嗟の如き絶叫が混沌として陸橋の下で猛烈な飛沫と共に地獄を露わにしていた。

 

「ひぃぃ!!? な、何だ!? 何がどうなっている!!?」

 

「そ、それがいきなりの事でした。一瞬、ピタリとあの怪物達の河が止まったのです。その後、僅かな沈黙が終った後、あのような事に……」

 

 彼らが見ている合間にも大地の奥底。

 

 暗い奈落のそこから猛烈な赤と言わず、あらゆる色の血飛沫がまるで極彩色の如く城の基礎へと張り付いていく。

 

 だが、ふと……その地獄の最中に大地へ沈んだ敗北者達が形を失っていく。

 

 それは濃密な夜というよりは暗がりに沈む沼地のような漆黒。

 

 粘性を帯びた仄暗い暖かな終焉。

 

 ズルリと飲み込まれた最初の一体が融解した時、その周囲から未だ生きているほぼ全ての怪物達を異常に気付いて壁やあちこちの陸橋に取り付いて距離を取った。

 

 だが、生来の知性からして狂暴な本能を凌駕する闘争に突き動かされたような個体が数体……新たな得物かと暗い粘性の何かに襲い掛かる。

 

 しかし、音は無かった。

 

 闇に沈み込んだ個体達がどうなったのかは分からない。

 

 上から藻掻いている様子すら見えない。

 

 ただ、静かにゆっくりとソレが―――広がり始めた。

 

 一瞬にして機敏な反応を見せた個体の多くが最も強き旧い時代の上位種……混沌の怪物達だった事は間違いなかった。

 

 ソレの広がる速度は時速で80km強。

 

 奈落の底が僅かに見える地表すらも黒く染めた何かに捕捉される前に全速力であらゆる後方の怪物達の上を飛び越えるようにして逃げていく。

 

 それに一瞬で我に返った者達もいたが、何もかもが遅かった。

 

 そもそも南部への道は事態を知らないままに未だ大河の如き怪物達の列が殺し合い中なのだ。

 

 屍が積み重なってもいる状態では満足に身動き出来る個体は多くない。

 

 最上位の最も先端にいた個体達のみが背後の全ての同胞と言うべきだろう旧い旧い時代の同種達を見捨てて逃げる事に成功したのだ。

 

 断末魔というもの程の音も立てられない。

 

 ただ、黒い何かに飲み込まれたソレは一瞬で溶かし喰らわれているのか。

 

 まるで平面の凪いだ海に沈むように……そんな深さは無さそうな黒い何かによって瞬時にその構成物質の多くを平たい闇に同化されていく。

 

 その速度は恐ろしく早く。

 

 辛うじて上に逃げた者達もまた下の黒いものに接触していた時点で、その部位を完全に自分から切り離す有様で全力で逃げ始めた。

 

 殺し合いよりも本能による逃走を選んだソレらが深手を負いながらも、失せていく様子は潮が引いていくようにも見えた。

 

 それからの数分。

 

『―――』

 

 何もかもが信じられず。

 

 意味が分からず。

 

 茫然としている人々の前からあらゆる地底の騒音が闇と共に失せていった。

 

 それから……それから……幾らの時間が経った事か。

 

 黒い膨れ上がったコールタールのような何かが地面を見せて何処かに引いていく。

 

 その先を目で追った者達は見た。

 

 黒い何かが集まって光の当たらぬ闇の奥で形を取っていく。

 

 ソレは―――船に見えた。

 

 その表面が凍っていく様子をただ彼らは見ている事しか出来なかった。

 

 霜が降り、凍り付いたような表面から放たれる冷気はまるで大陸の外を見ているかのような凍てつく波動のようなものを宿しており、

 

 ソレが浮かび上がった時、2名の人影がその船に向かって天井付近から飛び出した。

 

「あ、アレは!? 神殿の!!?」

 

「え!?」

 

 人々の見る前で浮上していく凍てついた船の甲板から斬撃のようなものが虚空を奔り、ソレを回避した2人が同時に左右に逃げるより先に顔面を握り潰されそうな握力で回避を挫かれ、城の横の岩壁へと投げ付けられた。

 

 5重のクレーターを生じさせながら、猛烈な大地を震わせるような巨大な衝撃を頭部から受け切った神殿の者達。

 

 ソレがクレーターの20m以上奥へとめり込んだままに血反吐を吐き出し、己の穴という穴から血を零しながら未だ潰れていない瞳をギョロリと震わせ、虚空に佇む黒い影を見やる。

 

 ソレは少なからず女に見えた。

 

 青黒い色の背中の開いたレースが付かないワンピース・タイプの質素なドレスを着た女は二人の神官が口を開くのを待っている様子で淡い笑みを浮かべている。

 

「ごほ……い、何処かの欠片とお見受け、致し、ます……」

 

 邪眼神殿の遣いたる機械杖を持った彼女が己の自慢の杖に罅割れが起きているのを横目に相棒である大男もまた動けないようだと明らめて、そう時間稼ぎする。

 

『そう言えば、そんな頃もあったわね』

 

 女がコロコロと年頃の少女のような声で笑う。

 

 その声は女の姿とは何処か合わない。

 

『でも、あちらでは五大災厄と呼ばれていたのよ?』

 

「あちら……まさか、失われた……」

 

『神世の頃は自由に何処にでも行けた。神々との争いはあったけれどね。この懐かしい空気……まったく、変わっていない。ねぇ? 邪眼神殿とか言い出したのはどいつなのかしら?』

 

「我ら……の……開祖は大破片【共楽の蔡者】様です」

 

『共楽? 自堕落の間違いじゃないの? あの坊やが残ったと……まったく、最終的にモノを言うのは欲望って事か。神々と何も変わらない。ある意味、旧き者達はまったく本当に創造者としては優秀だったわけね……』

 

 沈黙する2人が今の自分達で勝てない階梯の女を前にして唇を噛む。

 

 だが、彼らを横目に異変を感じて駆け付けてきた残りの邪眼神殿の神官達が味方が攻撃を受けているという事で総員による攻撃を決行する。

 

「やめ―――」

 

 しかし、高速で突撃した数名の者達は実力差を知る前に儚く黒い糸のようなものによって絡め取られ、地面に引きずられて落ちた……ソレ切り……音も無く黒い湖面に沈んで消える。

 

「っ………」

 

 少女が僅かに唇を噛んだ。

 

『その杖……あいつの……お気に入りなのね。貴方』

 

「ッ」

 

『そう……なら、あいつに伝えなさい。久しぶりに帰ったら、この体たらく。滅びたくなかったら、全力で抗いなさい。もしも、再び相まみえたならば、戦う栄誉くらいはやってもいいと』

 

「貴方は………っ」

 

『私? 五大災厄の時は神朽ちる沼と呼ばれていたけれど、今はこの体に引っ張られているから、過去の人格とは違うのよね。ふむ……では、“黒き大海”とでも名乗っておきましょうか。元々、此処では名前なんて無かったのだから』

 

「―――」

 

 思わず口を閉ざした神殿の者達に背を向けて、年齢不詳の女が船の甲板に乗り込む。

 

『さぁ、此処は引き払いましょうか。源界の階……貴方が私の糧になるとは……まったく、世の中は分からないものね』

 

「「ッ」」

 

 女の胸の中央部。

 

 そこから蒼白く細長い結晶のような何かが顕現する。

 

『あの最弱の邪神が今や頂点。滅びるのは必然。それを貴方はどうでもいい事だと眺めていたのでしょうね……貰うわよ』

 

 女が大口を開けて、その結晶を掴み取り、バキリと齧ってゴリゴリと咀嚼して呑み下していく。

 

 たった数秒の出来事であった。

 

「じゃあ、また会いましょう。旧き者の似姿達……次は戦場だといいわね」

 

 こうして、船は出航する。

 

 優雅と言って良い程に軽やかに凍り付いた船が外に出る次のポイントへと向かって加速し始めた。

 

 それを見送る事しか出来ない神殿の二人はその船が見えなくなった後。

 

 全身を何とかクレーターから抜け出させ、落下して何度かバウンドした後にカラリと乾いた地面から立ち上がる。

 

「……乾いて、いる? ……ッ」

 

 そこまで気付いてしまった彼女がハッと顔を上げる。

 

 空気は乾いていた。

 

 空気は乾燥していた。

 

 その理由を彼女は歴史に詳しいからこそ知っていた。

 

「ゴルトフ……ゴルトフ・メイレン……大陸全土に地表への脱出を発令しなさい。もうすぐ大陸が渇く。この地下は灼熱地獄になるわ。いえ、本来の姿に戻ると言うべきかしら……」

 

「それは……どういう……エザリ様」

 

 互いに重症ながらも何とか立ち上がった男が訊ねる。

 

「嘗て、この大陸は竜の巣だった。竜達は……旧き竜の神の下。溶岩の大地に暮らしていた。大破片の影響が失われた今……この大陸に未来は……」

 

「ッ」

 

「少しでも助ける、のよ……此処に至っては使い潰しても意味が無い……まさか、外界に向かった遠征者達の生き残りが戻って来るなんて……アレは……恐らく、神々との争いに敗れた大破片達の1人よ」

 

「まさか、神世の最初期に行われた遠征の?」

 

「……今はとにかく、民間人の避難を……海の氷はやがて解けるでしょう。我らがカダスへと向かう航路を……」

 

「御意……」

 

 男がふら付きながらもその場からすぐに消え去る。

 

「……もう邪神の申し子に未来は……雲が消えるまで一体どれだけ時間があるの……」

 

 その日、永久の氷床と謳われた大地に異変が起こった。

 

 それはもはや沈黙して数千年という火山の大噴火。

 

 複数の山々から上がった黒煙は巨大な火柱の最中に稲光を煌めかせ、氷に覆われた大地に息吹を吹き込むが如く。

 

 氷を溶かし、気温を引き上げ、灰の雨によって世界を黒く黒く汚しながら、全てを水の流れで押しやっていく。

 

 邪神の大陸……その一つは新たな時代へと突入していく事となるのだった。

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